(四) その後の墨壷の変遷
戦後、新潟の三条から機械造りで、欅の安い木製墨壷が急激に東京市場に出回り、さらに昭和40年代初め頃からより安価なプラスチック製墨壷が三条で生産されたことによって、高級な東京墨壷ばかりでなく、安価な木製墨壷までも大打撃を受け、昭和40年代、50年代に木製墨壷は急速に使われなくなりました。 |
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そして、昭和59年に東京板橋のタジマツールから、墨壷の革命と評価された画期的な墨壷であるパーフェクト墨壷が売り出されました。プラスチック製の携帯用墨壷で、蓋をすることによって墨を漏らさず、墨の乾燥をも防ぎ糸の自動巻取式で下振り機能を持ち言わば下振り機能を合わせ持った中世の墨壷の現代版ともいうべきもので
した。この後、亜流のものがいろいろと出て、今度はプラスチック製の墨壷が打撃を受けている時に、2×4工法や材木のプレカット加工の一層の進展、ハウスメーカーによる組立工法の発展などによって、墨壷そのものがほとんど使われなくなり、現在に至っています。 |
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しかし、最近では木製墨壷の美術工芸的価値を再評価し、道具としてよりもアンティークとして飾りたいという人達が少なからずいるとの話も聞きます。このような方向で墨壷が復活するのかどうか分かりません。新潟では「壷源」や「壷静」や「壷昭」など、まだわずかの人達によって欅の木をつかって墨壷が彫られています。木製墨壷が消滅しないことを祈るばかりです。 |
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