横須賀線で70系が主力だった頃に、東京駅で撮影していました。
関西育ちの私は、見慣れた湘南顔の電車はオレンジ色と緑色の湘南色だけだと思っていましたが、小学校低学年で初めて東京に行った時に、東京駅で初めて見た湘南顔でクリーム色と青色の綺麗な電車電車の存在に驚かされました。それが横須賀線の70系だと知ったのは、後に東京に移り住んだ中学生になってからのことでした。
以来、東京駅に行くたびに13番線を発着する横須賀線を覘きに行くようになりました。
ところが撮影した車両は下り方(横須賀方)ばかりで、その理由は思い出せません。(光線具合?)
クハ76068 1964年7月 東京駅クハ76062 1964年5月 東京駅
1両目のクハ76080 1962年8月 東京駅
2両目のモハ70063 1962年8月 東京駅
3両目のサロ85010 1962年8月 東京駅
当時の横須賀線は6両編成で、70系(クハ76,モハ70,サロ75)以外に、80系のサロ85、32系の残党(クハ47,サロ45)や関西から転入してきた43系(クモハ43・53,サハ48)が混結された編成もありました。
6両編成を大別すると、次の3通りの編成パターン(横須賀方から記載)がありました。
①最も一般的な編成
クハ76(偶)+モハ70+サロ75(85・45)+モハ70+モハ70+クハ76(奇)
3両目の1等車にはスカ色塗装のサロ85も多数見られ、時にはリベット付のサロ45の場合もありました。
上掲の写真は、この①に該当する編成です。
②横須賀~久里浜の短区間運用に充当される2両を東京方に連結した編成
クハ76(偶・クハ47)+モハ70+サロ75(85・45)+モハ70+クモハ43(53)+クハ76(奇)
中間に入ったクモハ43(53)は、何故か撮影していません。
③32系の残党や関西からの43系転属車を横須賀方に纏めて連結した編成
クモハ43(53)+サハ48+サロ45(75)+モハ70+モハ70+クハ76(奇)
次は、②の写真出クハ47が横須賀方の先頭を務めていました。
32系の残党 クハ47000番台 1962年9月 東京駅(この画像はネガが見つからず、印画紙をデジカメで再撮影しています)
その次は、③の旧型車を纏めて横須賀方に連結した編成です。
先頭車は、クモハ43000番台(関西からの転属車) 1962年9月 東京駅
2両目は、サハ48032(関西流電の仲間) 1962年9月 東京駅
3両目は、サロ45007(32系の残党) 1962年9月 東京駅
モハ70の間に挿まれたサロ45012 1964年7月 東京駅
横須賀線の普通車は殆どが70系の3扉車で編成されており、乗客も3扉の乗降口に整列乗車で並びます。
ところが、編成によっては32系・43系の2扉普通車が連結された編成が到着すると大混乱となり、今と違って
到着するまで扉位置が判らない時代でしたから苦情が殺到して、2扉車は3扉車に改造されることになりました。
2扉サハ48を、3扉に改造したサハ58020 1964年5月 東京駅
(3両目には70系本来のサロ75が連結されています)
3両目はサロ85030 1963年10月 品川駅
1等車が80系のサロ85の場合は70系と窓高さが違うため、前後のモハ70とは塗装ラインが不揃いでした。
70系のサロ75は70系普通車と窓高さが同一であり、編成での塗装ラインは揃っていました。
サロ75のネガが見つかりませんので、鉄道コレクションのモハ70+サハ75(サロ75を3扉化)で代用します。
(右側のサハ75の屋根が青色塗装されていますが、セット品であるクモハ52の張上げ屋根車に塗装を揃えてあるためです。また、左側のモハ70は300番台の全金属車で窓の中桟の位置も変更されていますが、窓高さとクリーム色の塗り分け線のみご注目いただき、他はご愛嬌ということで無視して下さい)
(右側のサハ75の屋根が青色塗装されていますが、セット品であるクモハ52の張上げ屋根車に塗装を揃えてあるためです。また、左側のモハ70は300番台の全金属車で窓の中桟の位置も変更されていますが、窓高さとクリーム色の塗り分け線のみご注目いただき、他はご愛嬌ということで無視して下さい)
1964年から横須賀線にも111系(113系)が投入されることになり、70系は32系,43系と共に順次地方線区に転出してゆき、撮影していた数年後の1968年にはすべての置き換えが完了しています。
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