美少女になってちやほやされて人生イージーモードで生きたい! 作:煉瓦
ふぅ……。
興奮冷めやらぬなんとやら。
最大手と言われるトイレを並び終えて人心地着く。
冷静になった頭で状況を把握してみると、現在位置が全くわからないことに気づいた。
スマホを見ると今は11時50分、集合時間まで10分を切っている。
地図もない状況でここから控室まで戻るのは普通に考えて不可能では?
最終手段とばかりにRAINで湊に連絡を入れようとするが、電波が混線しているのか延々と通信エラーが出るだけで反応がない。
そうしている間にも人波に浚われてわたしはまた自分の意志とは関係なくどこへなりとも流されていく。
踏ん張りが利かない小柄で非力な身体が恨めしい!
「あば、あばば、あばばば!?」
ぴぃ!? 足踏まれた!
ぎゃあ! お尻触られた!!
にゃぁ!? また足踏まれた!!!
もう波に逆らう気力もなく、トボトボと大人しく従って歩いていく。
背の低いわたしじゃ見える視界は前方の男の広い背中と、左右の肘、あとは背後の腹。
どんなに頑張ってもそれ以外の情報を視界から得ることは出来ず、諦めて地面をぼーっと眺めて足を踏まないように心がけるのが精一杯だった。
もう少し背が高かったら周りを見渡して自分がどこにいるか分かっただろうか、そして強引に人波に逆らうことができただろうか。
確かに、確かにわたしは非力だ。
50m走は14秒掛かる上に息が上がって瀕死になるし、厚めの辞書なら持ち上げるのに腕がぷるぷる震える。
よく転ぶしよく泣くしよく迷子になる。
けど、それでも美少女だ。
普通美少女が困ってたら道を空けたりしないかオタク??
美少女はコミケに敗北するのか? あん???
なんて、ちょっと落ち込んだ思考がどんどんマイナス方向へ転がり落ちていく。
ドナドナ気分で運ばれる子牛気分で歩くこと10分。
ようやく人波は別フロアへ辿り着くことで解散となり、わたしも解放された。
「はぁ……はぁ……あつ……」
前の人と肌が触れるか触れないかぐらい距離を詰めていたせいで、四方からの人の熱と会場の熱気で全身から止めどない量の汗が流れ落ちる。
ワンピースがピッタリ張り付いて不愉快だ。
「あ、時間……」
スマホを確認すると12時4分。
イベントの開始が12時30分だからまだ辛うじてギリギリ間に合う可能性もあるけど、それでももう無理だ。
すでに私の心は折れていた。
アスカちゃんに貰った勇気と元気も、オタクのおしくらまんじゅう10分耐久で既に使い果たしてしまった。
トボトボと近くの空いていたベンチに座り、呆然とする。
あるてまの初リアルイベント、その最終日大トリ。
2期生として唯一人大役を任されたのに最終調整に間に合わずベンチで黄昏るなんてある意味、黒猫燦には相応しい結末なのかもしれない。
それもこれも企業ライバーとしての自覚を持たずに、ヘラヘラと他のことへうつつを抜かしていたのが原因だ。
端的に言えば、わたしはアスカちゃんと関わってから浮かれていた。
夢のような日々に最近はあるてまの黒猫燦としてではなく、ただの黒音今宵として過ごしていた気がする。
もっと、自覚を持たないと……。
じゃないと黒猫燦が好きと言ってくれたアスカちゃんに、黒音今宵が好きと言ってくれた六花ちゃんに失礼だ。
だったら、足掻かなきゃ。
彼女が好きと言ってくれたわたしは、こんなところで諦めるわたしじゃない。逃げ回っても最後は勇気を出して頑張って、自分を変えようと足掻くわたしだ!
バッと立ち上がり駆け出す。
現在地が分からないけどそれでもジッとしているより遥かにマシだから、手当たり次第それっぽい道を進むのだ。
オタクっぽい人が集まっているところと、オタクっぽい人が進む方向にはだいたい自分が目指しているものがあるという定説がある。
だから再び人波にダイヴだ!
「ちょっと、今宵!」
「へ?」
オタク集団へ突撃とばかりに体当たりをかまそうとしたら、急に腕をガッと掴まれた。
自分的には結構なスピードを出していたつもりなのに、掴まれただけで急停止した。
「あぁもう、やっぱり心配になって探しに来たらこんなところで迷子になってる!」
「み、湊?」
そこには汗だくになった湊が肩で息をしていた。
「アンタね、その列は帰宅用の列。1回出たらもう帰ってこれないわよ」
「えぇ!? だ、だって人めっちゃいる……」
「あの人たちはお昼に合わせて帰る人たち。ほら、そこに看板あるでしょ」
「あ、ホントだ……」
見れば確かに【出口-EXIT-】という文字がある。
な、なるほど、気合が入りすぎて前後不覚になっていたようだ。
「で、なんで12時回ってるのにまだこんなところいるのかなー?」
「え、えと、あの、ま、まいご……」
「はぁ……。迷子になるならなるで早めに用事切り上げるとかスタッフの人捕まえるとか、色々やりようはあるでしょ。……まあ、予想はしてながらついて行かなかった私も悪い、か」
そう言うと湊はぐいっと腕を引っ張り、
「付いてきて」
と、先導してくれた。
どうやら目的地はわたしが駆け出した方向とは真逆だったらしく、迷いのない足取りでしっかりと進んでいく。
その横顔はいつにも増して真剣で、綺麗で、思わず見惚れそうになる。
やがて、見覚えのある道に出てそのまま控室に辿り着いた。
不可能に思われた到着がまさかこんなに簡単に達成されるなんて、流石は湊だ!
「いい? 分かってると思うけど控室がライバーにとっての会場だからね。もう機材の運搬は終了してるし、セッティングも終わってるから。あとは今宵待ちよ」
「みんなに迷惑かけた?」
「当然ね。入ったらまずはごめんなさい、しなさい」
「う、うん。湊もゴメンナサイ」
「私は、別にいいよ。いつものことだし、その、迷惑とか思ってないし……」
気を遣ってくれた湊の優しさに背を押されるように、扉を開く。
朝見た時とは打って変わり、地面には大量の配線が乱雑に散っている。
そして部屋の四方と中央に机が置いてあって、その上にモニターとマイクが鎮座していた。
「あの! 遅れてゴメンナサイ!!!」
開口一番、すぐに頭を下げる。
「遅いよ! あと3分で始まるところだったんだから!」
「まあまあぎりぎり間に合ったんだからいいじゃねーか」
「そう言うアルマさんも先程までいなかったのですよ」
「あ、こら、バラすな!」
思ったよりも部屋の空気は悪いものじゃなかった。
本番前でもっと張り詰めた緊張感があったり、わたしがいないせいでギスギスしているかと思ったけどそんなことはない。
最悪の状況も想定していたので、ほっと一安心した。
「兎も角、黒猫ちゃんが無事で安心したわ。そんな危ない格好してるし、もしも変態に捕まったらって思うと心配で心配で」
「うっ、以後気をつけマス……」
「お腹まで透けちゃって……汗は拭いたほうがいいわ。風邪引くかもしれないし。ほら、バンザイして」
「ん……」
されるがままの状態で神夜姫先輩が持参していたタオルで簡単に拭いてもらう。
そうしているうちに時間が刻一刻と迫っているかと思うと気が気じゃないのだが、神夜姫先輩はどこ吹く風で落ち着いている。
「あれ、口紅の色が……」
「へ?」
「ううん、なんでもないわぁ。はい、拭き終わったから用意しましょうね」
「は、はい」
「あ、私やります」
「そう? じゃあお願い」
引き継いだ湊が機材の説明をしてくれる。
マイクやイヤホンの調整は予めやってくれていたようだ。
モニターの向こう側には会場が見える。
長蛇の列を形成したオタクたちが黒猫燦はまだかまだかと待ち焦がれていた。
てっきり男ばかりだと思っていたのだが、何人か女の子も交じっている。それも高校生から大学生くらいと比較的若い世代が多い。
き、緊張してきたなぁ……。
いつもチャットでしか見ない人たちを実際に目にするとプレッシャーが半端ない。
どうしてアルマ先輩は鼻歌を口ずさんだり、ラビリット先輩は一人で笑っていられるんだろう。
「ね、今宵」
ガッチガチに緊張して全身ヴァイブレーションモードに突入していると、イヤホンを挿す前に湊がこっそり耳打ちしてきた。
「今宵なら大丈夫だよ。私が一番身近で黒猫燦を見てきたんだから保証する。絶対に大丈夫。だから頑張って」
「みなと……」
ニコリと笑う湊を見ているとそれだけで安心感を覚える。
さっきまでガチガチだった体は気がつけば動くし、煩いほど早鐘を打っていた心臓は一定のリズムで鼓動を奏でている。
あぁ、湊が側にいるなら大丈夫だ。
「ひゃぁん!?」
と感情に耽っているとズボッとイヤホンを挿された。
だ、だから耳弱いのに急にそういうことするなってぇ……。
「ば、ばかぁ……そういうことは家でやれよぉ……」
「っ、っ、」
恨みがましく涙目で湊を睨みつけると、口パクでなにか言っていた。
モニターの方を指差して、一体何を……。
【あのー、トークイベント始まりますけどそちら大丈夫でしょうか?】
「へ?」
打ち合わせの時、司会進行として紹介されていた女性スタッフがわたしのカメラを覗き込んでいた。
え、待って。え、これ始まってるの?
【お楽しみところ申し訳ないです! イチャイチャするのは自重してそろそろお仕事、お願いしますね!】
「に、に、に゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!!」
コミケ会場に、わたしの叫び声が響き渡った。
◆
「黒猫! 黒猫! 黒猫! 黒猫ぉぉおおおさぁああああああああああああああああああああああん!!! あぁああああ…ああ…あっあっー! あぁああああああ!!! 黒猫黒猫黒猫ぉおおぁさぁああああん!!! あぁクンカクンカ! クンカクンカ! スーハースーハー! スーハースーハー! いい匂いだなぁ…くんくん ううっうぅうう!! 俺の想いよ黒猫燦へ届け!! 画面向こうの燦へ届け! 」
「初っ端からヤバい人来たんだけど!? え、私の列こんな人ばっかりなの!? これマシュマロと同じじゃないか!?」
【はーいお時間でーす】
「せっかくのお喋りイベントなのにあれでいいの!?」
「こんちにわ、ゆいままと黒猫の結婚式はまだですか?」
「結婚しないが? できないが? 日本の法律知ってるか??」
「結婚式はできるらしいですよ」
「え、マジで? ど、どこ? いや興味はないけど参考程度にちょっと教えてほし」
【はーいお時間でーす】
「ちょっと! 教えて!!」
「挨拶もなく唐突に脈絡なく聞きたいんだけど 何色?」
「ほんと唐突だな! お喋りイベントだぞ!? ほんとにそれでいいのか、マシュマロでもできるだろ!? 黒だよ!!!」
「えっちなやつ?」
「悪いか? えっちなほうが気が引き締まるだろ」
【ちょっと何言ってるかよくわかんないですね】
「司会ちゃんと時間のアナウンスしろよ!!」
「黒猫さん、こんにちは。 いつも配信楽しく見させて貰ってます。 最近初めてアルバイトを始め、もうすぐ初給料もらえるのですが、黒猫さんはあるてまの初給料何に使いましたか?」
「えっと、ママ、あ、ちが、お母さんとご飯に行ってネックレスを買いました……は、恥ずかしいなこれ」
「ママ好き?」
「う……せ、世界で一番好き」
【はーいお時間でーす】
「ね、ねえ、休憩しない? なんかもうすごい疲れたんだけど!」
【まだまだ100人単位で残ってますよ】
「ぷりんたべようぜ そうだよプリンだよ ぷりんはさいこうだぜ? ぷるぷるしてあまくてとろけて 一期一会の瞬間を教えてくれるんだ だから、お前はプリンになるな 俺らが見てるからな」
【あ、ちょっと、まだ時間来てないんですけど】
「なんなんだあれ……私の列ってやっぱり変な人しかいないの……?」
「こんきりんー。今日はきてくれてありがとねー」
「あ、ああああの、きりんさん大ファンです! 初配信から見てます!」
「わーありがとう!」
「えと、えと、あの、え、いろいろ考えてたのに全部吹っ飛んだ……どうしよ」
「おちついてー落ち着いて深呼吸だよ。大丈夫、まだ時間はあるからねー」
「ひっひっふーひっひっふー」
「正しいけどそれはちょっと違うかな!」
「あ、あの、言いたいこと思い出せないから感謝だけ伝えます! いつも楽しい配信ありがとうございます! 毎日見て勇気もらっててほんときりんさん私の最推しだからえと、その、大好きです!」
【お時間でーす】
「ありがとねー、私もみんなのこと大好きだよー!」
「アルマ様お歌歌って!」
「おいおい唐突だな。まあいいけど、リクエストあるか? 一緒に歌ってやるよ」
「か、感激です! じゃあじゃあ『紅』で!」
「躊躇なく重い曲選んだな!? じゃあ時間もないしサビだけ、な」
「お願いします!」
「─────♪」
【時間です】
「おはラビリーット! 早速しりとりするのですよ!」
「え、あの、え、トーク内容決まってる感じですか?」
「シャネルカは今猛烈にしりとりがしたいのです。だから全員参加型のしりとりをします! トーク内容はしりとりでお願いするのですよ! じゃあまずはシャネルカのか!」
「かわいいシャネルカ!」
「感激なのです!」
「すごいぞシャネルカ!」
「感謝なのです!」
【お時間でーす。ところでこれしりとりなんですかね】
「こんちにわ咲夜様!」
「うむ、息災じゃの」
「あの、咲夜様は黒猫さんにハマってるって聞いたんですけど本当ですか?」
「はまっている、という言葉が適切かどうかは怪しいが黒猫のことばかり考えておるのぉ」
「そ、それってゆいままから黒猫さんを寝取るってことですか?」
「吝かではない、の」「ちょっと!?」
「あの、今なにか」
「気のせいじゃ」
「いやゆいままの声が」
「え〜さくやぁ〜よくわかんなーい、のじゃ」
【はいお時間でーす】
◆
「つ、つかれた……」
あれから3時間以上ぶっ通しで喋り続けた。
はじめはうまく喋れるか不安だったけど、来るやつ来るやつ全員がロクデモナイことしか言わないから気楽に喋ることができた。
で、リアルイベントが終わってから運営さんのお疲れ様宣言が出て、ようやくその場で解散となった。
スタッフさんたちもこのあとも仕事がある人、打ち上げに行く人、と三々五々に散っている。
先輩たちはこのあとラビリット先輩の提案により秋葉原をぶらついて打ち上げをするらしい。
本来であれば後輩であるわたしも強制参加させられそうなものだが、体力が尽きてグロッキーな姿を見た先輩たちは大人しく帰りなさいと言ってくれた。
そして湊が運転する車内。
バス待ちや電車待ちの一般参加者たちを尻目にスタッフ用駐車場から帰宅するのは凄い気持ちが良い。これを知ってしまうと徒歩で来ようなんて二度と思えなくなるね。
「おつかれさま。今日はよく頑張ったね」
「うん。デビューしてから1番疲れた……」
ほんと、オフコラボが大したことないように思えるぐらい濃密な1日だった。
人が密集するコミケで、しかも夏というのがなかなか堪えた。
全身汗だらけで何度、神夜姫先輩のタオルにお世話になったか分からない。
「それにしてもデビューから逃げてばっかりの今宵が逃げずにイベントを終えるなんて。……お母さん感慨深いわ」
「お母さんって、今まで否定してたのに……」
「散々否定してたけど否定しきれないぐらい今宵が世話焼けるからね……。先輩たちからも散々イジられたし、もう認めざるを得ないじゃない」
そう言う湊の横顔は夕日に照らされて真っ赤だった。
「けど、」
車が赤信号で止まる。
同時に湊がこっちを見て、腕を伸ばしてきた。
突然のことに反射的にギュッと目を瞑った。
「もう、ままなんて呼ばせないから」
「んっ!?」
グイッ、と。親指で強引に唇を拭われる。
指の腹に、色の混ざったルージュが付着する。
それを湊は、じっと見つめて、
「覚悟してね」
蠱惑的に、微笑んだ。
その顔に夕日の赤は、ない。
赤から青に、車が再び走り出す。
湊の真意は理解できない。
それでも、トクトクと、今まで感じたことのない鼓動と共に、夕日がわたしを焦がした。