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 グーグルを始めとした巨大IT企業のサービスは、国境を越えて浸透し、暮らしや仕事に欠かせなくなっている。ごく一部の企業の力が強くなり過ぎることに問題はないのか。根本から議論を深めなければならない。

 米国の司法省が、グーグルを反トラスト法(独占禁止法)違反で提訴した。グーグルの基本ソフト「アンドロイド」を使うスマホに対し、他社の検索エンジンをあらかじめ組み込むのを禁じているなどと指摘している。アップル社の閲覧ソフト「サファリ」でグーグル検索を初期設定にする契約をしていることも問題視した。

 グーグル側は「消費者は強制や他に選択肢がないからではなく、自ら選んでグーグルを使っている」と反論し、他社の検索も容易に使えるなどと具体的に指摘した。今回の訴訟は端末の値上がりなどにつながりかねず、消費者の利益にならないとして、全面的に争う構えだ。

 トランプ政権はネット企業に対し政治的にも攻撃的な姿勢をとってきた。ただ、野党民主党が主導する下院司法委員会も巨大IT企業の独占を放置できないとする報告書を公表しており、批判は超党派的でもある。

 米国は独占企業に対し、ときには分割も含めた競争促進策をとってきた。1998年にはマイクロソフト社を提訴している。今回はそれ以来の大型案件だ。ネット時代の競争のあり方を左右しかねないだけに、実態の徹底的な解明と、広く深い視野での検討が求められる。

 グーグルのような巨大IT企業のサービスは、使う人が多ければ多いほど便利さが増すという特性が強い。しかも、消費者に対しては無料でサービスが提供されることも多い。巨額の資金をつぎ込んで開発される技術や機能は魅力的でもある。

 ただ、検索そのものは無料でも、それに連動した広告を企業に売ることで利益を得ているため、独占で広告料が高止まりすれば結果的に消費者の負担増にもなりうる。新規参入が事実上閉ざされて競争がなくなれば、技術革新が鈍って品質が向上しなくなる可能性もある。

 欧州では、すでに3度にわたってグーグルに競争法違反で巨額の制裁金が課された。日本は独占禁止法のガイドラインの改訂などで対応を図ってきたが、米国での訴訟の行方の影響は大きく、注視が必要だ。

 デジタル時代の独占は、情報やメディアの支配という新しい問題も突きつける。国家の一元的統制は許されないが、一握りの多国籍企業が牛耳るのも望ましくない。公と私の役割分担や人権と民主主義の観点からも、論議を重ねるべきだ。

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