第113話 気にくわないから
場所はガルアーク王国王城の練兵場。
リオは木製の短槍を掴み、沙月と向かい合っていた。
「あの、どうして試合をするんでしょうか?」
手にした槍の握り心地を確かめながら、リオが苦笑し尋ねる。
「気にくわないからよ」
沙月がムスッと答えた。
簡潔だがいまいち要領を得ない。
リオは追加で質問を送ってみることにした。
「えっと、何がでしょう?」
「ハルト君!」
答えて、沙月がビシッとリオを指差す。
「はは……」
呆気にとられ、リオが思わず引きつった笑みをたたえる。
沙月は目をスッと細め、
「ハルト君が美春ちゃんのことを好きな気持ちはよくわかったけど、最初から駄目かもって諦めていたのが気にくわない。駄目なら駄目で仕方ないって、一人で自己完結して納得しているところも気にくわない。キミの都合も言っていることも理解できるけど、理性で納得はできても、感情では納得できない!」
よほど不満に思っていたのか、唇を尖らせて一気にまくしたてた。
「……それで、試合を?」
「そう。色々と考えがまとまらなくてモヤモヤしているの。私、感情を引きずるのってあまり得意じゃないし、でも、何かきっかけがないとこのモヤモヤは晴れそうにないし、キミに言われたことの答えだって出せそうにないし。……だから、試合。試合するの!」
そこまで気持ちを吐き出して少しはすっきりしたのか、沙月は深く息をついた。
正直、理由になっていない。
だが、沙月が試合を行おうとしている動機を、リオは何となく察することができた。
「なるほど」
「私なりに色々と考えてみたけど、ハルト君は一方的に言いたいことを言ってさ。何かだんだん腹がたってきて。だから、身体を動かしてスッキリさせたいの。いいでしょ、付き合ってもらっても?」
「いいですよ。でも、大丈夫なんですか? 勝手にこんな真似をして」
沙月は勇者だ。
明確に序列を決められているわけではないが、勇者と言えば権威的には国王と同等以上に位置付けられてもおかしくはない。
そういった事情がある以上、沙月と試合をして怪我でもさせてしまえば事だろう。
たとえ多少の怪我なら魔法で治癒できるとしてもだ。
「かまわないわよ。城から勝手に出ないのなら、いちいち行動を制約される覚えはないし」
沙月があっさりと言い放つ。
リオは少し意外に思ったが、勇者である沙月本人が許可を出すのならば問題はないのだろう。周囲にいる者達が止める様子もない。
それどころか、話を聞きつけたのか、既に周りに人だかりができ始めているではないか。
神魔戦争の歴史で語られている勇者として今世に召喚された沙月、『黒の騎士』となり一気に知名度を上げたリオ――この二人の組み合わせが注目を集めないはずがなかった。
中には騎士をはじめとする武官ではない貴族の姿まである。
「あ、槍は使える? 美春ちゃん達に棒術を教えていたって聞いてはいたけど」
「ええ、一応は」
「なら問題ないわね。言っておくけど、私が女とか勇者だからって手加減はしちゃ駄目だからね。接待試合は認めません」
と、沙月がきっぱりと釘を刺す。
「はい、わかりました」
リオが苦笑して頷いた。
「で、審判役の人だけど……」
言って、沙月が周囲を見渡し、一人の騎士に視線を向けた。
「えっと、カイルさんでしたよね。審判役を頼んでもよろしいでしょうか?」
沙月が審判役に指名したのはカイルだった。
夜会で賊の襲撃を受けたことをきっかけに、リオとも面識がある青年だ。
「はい、喜んで! ルールは騎士の練習試合と一緒でよろしいでしょうか?」
勇んで首肯し、カイルが尋ねる。
「私は構わないけど。ハルト君、ルールの説明は?」
「お願いします」
「では、自分が説明いたします」
リオが頼むと、カイルが名乗り出る。
「時間制限はなし。一本勝負。寸止めで決定的な状況に持ち込むか、顔面以外の部位に有効打を当てた方の勝利とします。武器を手放しただけでは敗北となりませんのでご注意ください。以上が基本的なルールとなります」
「承知しました」
カイルの説明を頭に叩き込み、リオが頷いた。
「なお、魔法と魔道具の使用は身体能力の強化に限って可とすることもできますが……」
「あ、私はアリがいいかな」
と、沙月がリオの反応を
「俺は構いませんよ。ただ、身体強化の魔法は使えないので、魔道具を貸していただけるとありがたいです」
人間族の前で精霊術を使うことは極力避けたいため、リオは身体能力の強化ができる魔道具の貸出しを頼むことにした。
身体能力を強化する魔法として『
魔法を使用するためには術式契約によって体内に術式を取りこむ必要があるが、個々の術式を取りこむにあたっては難易度や適性というものが存在するからだ。
つまり、魔力の操作が未熟だったり、適性がなければ術式契約は成功しない。
そういった者達のために開発されるのが魔法と同じ効果を秘めた魔術を封じた魔道具であった。
ただし、魔法が使用者の任意である程度の出力調整ができるのに対し、魔道具で魔術を発動させると一部の例外を除いて出力調整ができないというデメリットが存在する。
「では、こちらをお使いください」
あらかじめ準備していたのか、カイルはリオに指輪を差し出した。
「ありがとうございます。『
リオが礼を告げ、受け取った指輪を装着する。
続けて呪文を唱えると、指輪から術式が浮かび上がり、リオの身体を包み込んだ。
「準備ができたみたいね。早速、試合と行きたいんだけど、一つ言っておくことがあるの」
「はい、何でしょう?」
「神装の身体強化って魔法よりも性能が良いみたいなのよ。私の意志に呼応して勝手に身体が強化されちゃうみたいでさ。一応、意識してセーブはできるんだけど、白熱すると難しいというか」
「問題ありませんよ。実戦では条件が完全に互角なことなんてまずありませんから」
「……へぇ、流石、実戦経験のある人の言葉は違うわね」
あっさりと流したリオに、沙月が感心したように目をみはる。
「そんな大したものじゃありません。……始めましょうか、カイルさん」
「はい。サツキ様も準備ができたようでしたら、試合を開始します」
「私もかまわないわ」
沙月が首肯したのを確認し、カイルが口を開く。
「それでは、両者、距離をとって武器を構えてください」
カイルの言葉に従い、リオと沙月が十メートルほどの距離を取って向かい合う。
二人は揃いも揃って左足を一歩前に出し、手にした短槍を中段に構えた。
あらゆる動きに転じやすく、攻めと守りの両方に適した基本となる構えだ。
「それでは――」
カイルが空に向けて手を高く挙げる。
数瞬の後、
「はじめ!」
大きな声で叫んで、カイルが手を振り下ろした。
「やあっ!」
掛け声と同時に、沙月が地面を蹴り、爆発的な加速を生み出してリオに接近する。
射程に入ると同時に最速の突きをリオにお見舞いした。
が、リオが冷静に槍を絡め、綺麗にいなしてしまう。
一帯からどよめきの声が上がり、沙月の顔にも驚愕の色が浮かぶ。
「先手必勝と思って一撃を放ったんだけど、流石ね」
迅速にバックステップを踏んで距離をとってから、沙月が言った。
「速かったですよ。でも当てるつもりはなかったでしょう?」
リオが落ち着いた声で答える。
「
沙月はくすりと微笑んだ。
「ええ、悔いが残らないようにどうぞ」
リオが薄く笑みをたたえて告げる。
「そう? じゃあ、いくわよっ!」
槍と槍の先端が触れ合うかどうかの距離を保ったまま話していた二人であったが、沙月が一歩前に踏み込んで槍を動かし、リオの槍をはじいた。
戦闘再開だ。
二人が強化された身体能力で存分に槍を振るい打ち合う。
(身体能力が上がっているのに、動きが雑じゃない。綺麗な槍捌きだ)
と、リオが沙月の技量に感心する。
確か沙月は薙刀を習っていたと言っていたはずだ。
基本が身に付いていないと、魔法や精霊術で身体能力を上げても十全に技術を発揮することは叶わない。
身体能力が上がった者同士の戦闘は高速で動き回ってナンボといった面があるため、足の運びに関して必ずしも基本が通じない場合もあるが、基本的には基礎が物を言う。
グレイブは薙刀と形が似ているおかげか、それも幸いしているのだろう。
時には槍を薙ぎ、時には槍を突き、時には槍をいなし、時には走り回る。
高速かつ高度な槍の応酬を目の当たりにして、周囲のギャラリーもどよめきながら二人の試合を見守っていた。
「やるじゃない!」
沙月が声を
「ありがとうございます。沙月さんも素晴らしいですよ」
息切れもせずにリオが告げる。
沙月はフッと笑みを浮かべると、
「まだまだ余裕みたい、ね!」
連続の突きをお見舞いすることで応じた。
一息で五突きという怒涛のラッシュがリオに襲いかかる。
だが、リオはゆっくりと後退しながら、冷静にそれらを
「っと!」
槍を受け流され多少バランスを崩していた沙月だったが、
リオの槍が虚空を振り払った、が。ぴたりと動きが止まったかと思うと、くるりと向きが回転し、沙月に向かって吸い込まれるように再接近した。
「きゃ!」
とっさに槍を構え、沙月が下から迫ってきたリオの攻撃をかろうじて受け流す。
だが、反動で身体が軽く吹き飛び、勢いが余ったまま地面に着地した。
沙月が勢いを殺すようにバックステップを踏んで、リオから距離をとろうとする。
しかし、リオは一気に間合いを詰め、沙月に連続の突きを見舞わせた。
「くっ」
沙月がリオの目をじっと見据え、両手で槍を動かし攻撃を
すると、リオが突きを引くと見せかけて、フェイントで槍を横に振るった。
横から迫りくる槍を、沙月は姿勢を低くしてひらりと避ける。そうしてから、カウンターで素早い突きをリオに放った。
リオが柔軟な足の運びで身体を動かし、スレスレの位置で突きを避ける。
「おお!」
瞬きの隙すらないような凄まじい槍撃の応酬に、周囲の観客達の視線にも熱がこもっていく。
「なんと互いに見事な槍捌き」
「サツキ様だけでなく、ハルト卿も見事だな。互角の戦いではないか」
「いや、サツキ様が押されているようだ」
などと、周囲にいるギャラリーが好き勝手に講評をたれていく。
「なんか見世物みたいになっているわね!」
言って、沙月が上段から槍を振り下ろす。
だが、リオは沙月の槍を上段で受けて器用に力をいなし、明後日の方向へと
勢い余って沙月の槍が地面に押し付けられる。
「お喋りしている余裕があるんですか?」
「っ、やってくれるわね!」
沙月は慌てて槍を上に振るい、リオの胴を薙ぎ払おうとした。
しかし、リオは軽く跳躍し、空中でくるりと身を
それから着地するまでの一瞬の間に、がら空きになった沙月の胴めがけて槍を
「きゃ!」
本能的な危機感を覚えて、沙月が勢いよく飛び退いた。
刹那、リオの槍が部分鎧を装着した沙月の胴をかする。
沙月は距離をとって地面に着地したところで、
「なーんか、余裕って感じね」
と、小さく息をついて、ちょっとだけ
「そんなことはありませんよ」
槍を構えたまま、リオが苦笑してかぶりを振る。
「いや、手を抜いているってわけじゃないんでしょうけど、何か余裕を感じるし」
沙月がジトっとした視線をリオに向けた。
「沙月さんだって力をセーブしているじゃないですか」
「そうなんだけど、肝心の実力と経験値に大きな差を感じるのよ。正直、身体能力が同じなら普通に戦っても私に勝ち目はないと思う」
「意外ですね。沙月さんともあろう人が最初から勝利を諦めちゃうんですか?」
そう言って、リオは不敵に微笑み沙月を見据えた。
「ぶ、分析よ、あくまでも分析! 勘違いしないでよね、一泡吹かせてやるんだから!」
沙月が意気込み、槍を構える。
「では、試合続行と行きましょう」
そう言って、リオは前へと足を踏み出した。
槍を握る沙月の手に力がこもる。どんな攻撃にも対応できるよう、身体の力は抜いて意識をリオに集中させた。
「甘いわよ!」
叫んで、沙月が完全にリオが間合いに入るよりも先に槍を突きだす。
突き終えた瞬間にはリオの胴にクリーンヒットする絶妙な一撃だ。
しかし、リオが自在に槍を振るって、軌道を逸らす。
だが、沙月もその程度で怯んだりはしない。
小刻みに突きと薙ぎのコンボを放ち、数瞬の間、沙月がリオを圧倒するように攻撃を加える時間が流れる。
ある時、沙月がやや大振りに槍を横に薙いだ。
リオが姿勢を下げてそれを避ける。
だが、沙月はあらかじめそれを予想していたのか、焦ることなく槍の軌道を変えて、姿勢を下げたリオに向けて槍を振り直した。
しかし、リオはふわりと跳躍すると、空中で沙月の槍の太刀打ちを踏みつけ、そのまま体重を下に押し込み、槍の頭を地面に押さえつけてしまった。
その神業的な動きに、「おお」と周囲にどよめきが生じる。
次の瞬間、リオは沙月の左首筋にゆっくりと槍を突きつけた。
どのように見ても勝敗が明確についたのは明らかだ。
沙月は一瞬だけ呆けた表情を浮かべると、
「……負けたわ」
と、自らの負けを認めた。
「勝者、黒の騎士、ハルト卿!」
カイルがリオの勝利を宣言する。
すると、静まり返っていたギャラリーが、歓声を上げ始めた。
「ありがとうございました」
リオが軽く一礼して試合終了の挨拶を告げる。
「ありがとうございました。……あーあ、結局、勝てなかったか」
妙にすがすがしい声で、沙月が言った。
「いえ、ヒヤッとしましたよ。時間が経つにつれて上手くなっているのがわかりました」
「うん、なんかこの試合で強くなれた気がする。身体を動かしたら少しスッキリしたし」
そう言って、沙月が軽く伸びをする。
「なら良かったです。すみませんでした。俺のせいで……」
微かに表情を曇らせ、リオが告げた。
「まぁ、モヤモヤしたのは確かだけど、ハルト君が謝るべき理由はないわ。こうして付き合ってもらったしね」
苦笑し、沙月がかぶりを振る。
「考えはまとまりそうですか?」
「あー、うん。そのことなんだけど、さ。今日の夜、私の部屋で食事しない? その時に話をするから」
「ええ、構いませんよ」
「本当? じゃあ、決まりね」
リオが首肯すると、沙月は薄く微笑んだ。
「はい。……なら、そうですね。品目を減らすように伝えてくださいますか? 普段の半分くらいで。お腹も空かせておいてくれると助かります」
口許に手を当て
「え? うん。いいけど……どうして?」
「それはその時のお楽しみです」
きょとんと首を傾げる沙月に、リオが愉快そうに笑みを浮かべて告げた。
☆★☆★☆★
沙月との試合を終えると、リオはクレティア公爵邸へと足を運んだ。
リーゼロッテとは事前にアポイントを取っていたため、スムーズに面会が認められる。
応接室に案内されると、そこにはリーゼロッテだけでなく、彼女の両親であるセドリックとジュリアンヌの姿もあった。
リオが三人と向き合う形でソファに腰を下ろすと、面談が開始される。
「明日、王都を出立することにしました。短い時間でしたが、クレティア公爵家の皆様には本当にお世話になりました。ありがとうございます」
と、リオがまずはお礼とお別れの挨拶を口にした。
「いや、大したことは何もできなかったが、楽しいひと時を過ごすことができたよ。君さえ良ければ魔道船で私の領地まで送迎しようとも思っていたんだが……」
「申し訳ございません。ありがたいお話なのですが、所用もございますので」
と、リオが折り目正しく誘いを断る。
「そうか。通常の貴族と序列こそ異なるが、君はもう我が国の貴族だ。貴族として何を為すのも為さないのも君の自由だが、良ければ今後もお付き合いいただけると嬉しいよ」
「恐れ入ります。実は貴族としての家名が決まりましたので、今日はそのご報告も兼ねて
「ほう、それはめでたいね。何という家名にしたんだい?」
セドリックが興味深そうに
「アマカワです。ハルト=アマカワ、今後はそう名乗ることにしました」
「ほう、アマカワ、か。聞きなれない響きだが、不思議と耳に馴染む。良い家名だね」
「ありがとうございます。珍しい響きなのは、両親の故郷で用いられている言葉を参考にしたからでしょう」
リオがしれっと偽の答えを口にする。
「ああ、君のご両親はヤグモ地方のご出身だったね。なるほど、ならば納得も……ん?」
カチャリと紅茶のカップがティーソーサーにぶつかる音が鳴り響き、セドリックが話を中断する。
音をたてた張本人――リーゼロッテに周囲の視線が集中した。
「どうしたんだい、リーゼロッテ? 珍しいね」
紅茶を飲む際にカチャカチャと音をたてるのはマナー違反とされている。
普段は完璧に作法を踏まえて優雅に紅茶を
「あ、いえ……、申し訳ございませんでした。とんだ無作法を……」
リーゼロッテがぎこちない笑みを浮かべて謝罪する。
「それは構わないが、具合でも悪いのかい?」
と、セドリックが愛娘を心配する。
「大丈夫です。ちょっとうっかりしてしまったようです」
「ふふ、ハルトさんの前だから緊張しているのかしら?」
かぶりを振ったリーゼロッテに、ジュリアンヌがお茶目な笑みを浮かべて言った。
「あ、あはは、お母様……」
リーゼロッテが苦笑いを浮かべて言葉を
「……まさかね」
リーゼロッテの口が小さく開いたのを、リオは見逃さなかった。