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精霊幻想記(Web版) 作者:北山結莉

第六章 今日より明日、明日より昨日へ

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第112話 出発後

「して、今後の予定は決まっているのか?」


 リオにアマカワの家名を名乗る許可を与えると、フランソワが尋ねた。


「西へ赴いてみようと考えております」


 リオが答えると、フランソワが「ふむ」と一呼吸おいた。


「そもそもお主はアマンド近郊で活動していたのであったな」

「はい、左様でございます」

「クレティア公爵領に立ち寄ることがあればセドリックかリーゼロッテの下へ立ち寄るがよい。用が重なるようであれば魔道船で王都へ一緒に来るよう伝達しておく」


 魔道船を用いれば通常運航でもアマンドからガルアーク王国の王都まではせいぜい数時間程度の距離しかない。

 一方で地道に街道を歩いて進めば、両者の距離は片道で二週間弱といったところだ。

 リオならば魔道船よりも早く空を飛ぶことはできるが、フランソワがそのことを知るはずもない。


「お心遣い、心より感謝いたします」

「よい。先も言ったがサツキ殿とシャルロットのためにも定期的に顔を出せ。寂しがってしまうからな」


 念を押すようにフランソワが言った。


「承知いたしました。善処します」


 内心で嘆息しながら、リオは慇懃いんぎんに答えたのだった。


 ☆★☆★☆★


 リオがフランソワと謁見をする少し前のことだ。

 ガルアーク王国王都東部の湖畔にある港にて、セントステラ王国の魔道船三艇が停泊していた。

 貴久やリリアーナが乗船している魔道船には侵入者が忍び込まないよう、警備の騎士達が神経を尖らせている。

 その中には二人一組のペアとなって船の周辺を歩き回っていたキアラとアリスの姿もあった。


「アリス、船の内部、及び周辺に異常な魔力反応はありませんね?」

「ありませんよー。いたらとっくに教えてますって」


 キアラが尋ねると、呑気な声でアリスが言う。


「魔力感知ができる者は貴方しかいないのです。ミスは二度と許されません。もっと気を引き締めなさい」

「はーい。わかってますよぉ。でも私って働きすぎだと思うんですよね。というわけで休息を欲しています」


 などと、アリスはのんびりとした様子を見せているが、今この魔道船に不用意に人が忍び込もうとすることは非常に難しい。

 肉眼で騎士達が目を光らせているのはもちろん、アリスがおかしな魔法や魔道具が使われていないか探っているからだ。

 魔法を使用するのに必要な技能は二つ、精霊の民の間ではオドとも呼ばれる魔力の感知と操作である。

 ゆえに、魔法が使える人間族ならば魔力の感知は可能だが、普通は一定量以上の魔力に触れでもしない限り、空気中に漂う魔力を察知することはできない。

 ましてや事象化すらしていない純粋な魔力エネルギーそのものを視認することなど不可能だ。

 こういった高い精度での魔力感知と純粋な魔力の視認は、何らかの魔力異常を察知するうえで非常に役立つ上に、精霊術を習得するうえで必須の技能でもある。

 だが、人間族はこれらの技能を効率的に習得するために必要な修行ノウハウを知らない。

 基本的に魔法を使用する際に高い精度での魔力感知と純粋な魔力の視認は要求されないからだ。

 無論、精霊術を使えるようきちんと長い訓練を積めば人間族でも習得は可能なのだが、あいにくと現在のシュトラール地方に精霊術は普及していない。

 精霊術よりもより容易く習得が可能な魔法という技術が大々的に普及してしまったため、習得難易度が異常に高い精霊術の需要が駆逐されてしまったのが原因だ。

 もっとも人間族の中にも極稀に精霊術に高い素養を持つ天才が存在する。

 そういった例外的な人間が才能と多少の訓練で高い精度での魔力感知や純粋な魔力の視認を可能としてしまう。

 訓練の過程をすべてスキップして精霊術を使えるようになってしまったリオは例外中の超例外であるが、アリスも例外寄りに位置する人間であった。

 要人の暗殺の際における潜入や隠密には特殊な魔道具が用いられることも多いため、アリスのような素質を持つ者はどこの国でも護衛役として非常に重宝されている。

 もちろん、巧妙に魔力を隠蔽して魔術や精霊術が使用されていたり、触れ合うくらいの至近距離にならなければ発動に気づかないような極小出力の魔力で魔術等が使用されている場合もある。

 だが、彼女の傍で不用意に魔術や精霊術を発動させれば、発動時に放出される魔力の波を即座に察知されることだろう。

 幼くしてその才能を開花させ、名家の長女でありながら王女の騎士として育てられることになったアリスであるが、今ではリリアーナの近衛騎士として欠かせぬ人材であった。


「出発したら国に着くまで休憩してもいいそうです。それまで我慢なさい」

「はい、はい。わかりました」


 多少、上下関係や規律に緩いところはあるが。


「はいは一度で十分です」


 少しピリピリした口調でキアラが言う。


「はーい。……もう。これが最後の仕事だからって、イライラしなくてもいいのに」


 アリスがぼそっとぼやく。


「何か言いましたか?」

「いえ、何も!」


 ジロリと睨むキアラに、アリスがぶんぶんと首を振る。

 出発の合図が甲板に響き渡ったのはそんな時の事であった。


 ☆★☆★☆★


 魔道船内部にある豪華な造りのサロンで、美春、亜紀、雅人の三人が貴久達の到着を待っていた。

 所用で貴久が遅れると告げられ、美春達は先に見学を済ませ、この場で長らく語り合っていたのだ。

 だが、一向に貴久がやって来る様子はない。


「なあ、兄貴はいつくるんだ? 腹減っちまったよ。なぁ、美春姉ちゃん」


 雅人が愚痴るように言った。


「え? あ、う、うん。何かな?」


 じっと椅子に座っていた美春がハッとしてき返す。


「いや、腹が減ったなって。……なあ、やっぱり具合が悪いんじゃないのか? なんか朝からぼーっとしてて変だぞ?」


 雅人が言う通り、美春は少し上の空といった感じで、午前中からずっと落ち着きがない。

 話しかければ応答はしてくれるのだが、こうして話を聞いていないことが何度もあったのだ。

 とりあえず相づちは打ってくれるため、話だけがどんどん進んで、後になってようやく自らの置かれた状況を把握できていないことに気づくことがしばしばあった。

 精彩さを欠いているというか、まったくもって普段の美春らしくない。


「ううん。大丈夫だよ。心配かけてごめんね」


 否定して、美春が儚げに微笑む。


「まぁ、ならいいんだけど。亜紀姉ちゃん、兄貴はいつ来るんだ?」


 貴久とリリアーナが到着したら、魔道船で遊覧飛行しながらランチタイムと告げられているが、時刻は既に昼下がりに突入している。

 食べ盛りである雅人の胃袋は声高に空腹を訴えていた。


「わからないわよ。すぐに用事を済ませてこっちに来るって言ってたから、そろそろ来るんじゃない」


 どこか気まずそうに視線をそらして、亜紀が答える。

 貴久に頼み込まれて協力した亜紀であったが、何も知らない美春と雅人を目の当たりにすると罪悪感がひしひしと押し寄せてきた。

 美春達はこの後すぐにセントステラ王国に向けて出港することを知らない。

 事実を知れば今すぐにでも船を抜け出してお城へ戻ろうとするだろうか。


(お兄ちゃん、ハルトさんと沙月さんに事情を説明したのかな?)


 貴久から説明を受けたところによると、可能な限り早くリオと沙月にもセントステラ王国に足を運んでもらうよう頼むことになっている。

 いったい貴久はどんな話を二人にしているのだろうか。


(やっぱり私も残った方がよかったのかも……)


 貴久から美春達を魔道船に引き止める役目を任された亜紀であったが、自分がこの場にいる必要性は特に感じない。

 美春達では無暗に船内をうろつくことはできないし、そもそも貴族街を出歩いて王城にたどり着くことすらできないのだから。

 この場にいても不安な気持ちが押し寄せてくるだけである。

 ならばいっそ貴久のすぐ傍にいたかった。

 そうして亜紀が心を悩ませていると、


「きゃ……、揺れてる?」

「地震か?」


 船内に軽い振動が走った。

 魔道船の核となる動力機関が起動したのだ。

 亜紀と雅人が突然の揺れに目を丸くする。


「でも、ここ湖の上だよ?」


 美春がつぶやいた。


「船の上って揺れないのか?」

「……たぶん。どうだろう?」


 雅人の質問に、美春が自信なさげに答える。

 すると、次の瞬間、僅かに揺れが強まったかと思うと、乗っている船が動き出した感覚が僅かに伝わってきた。


「なあ、この船、動いてないか?」


 雅人がサロンを見渡しながら言った。

 だが、あいにくと室内には船外を見晴らせる窓がない。


「うん、動いているみたい。貴久君が来たのかな?」


 美春が頷き告げた。

 魔道船による遊覧飛行は貴久が来るまでお預けとなっているはずである。

 だから、もしかしたら貴久が来て遊覧飛行が始まったのではないかと思ったのだ。


「なんだよ、出発する瞬間はデッキにいたかったのに」


 などと雅人が不満を口にすると、重力に引きずられ、上昇にあたって生じる負荷が押し寄せてきた。


「お、おお、なんか不思議な感じだな。ちょっと外に出てみようぜ」


 そう言って、雅人がサロンの扉へ歩き出す。


「あ、ちょっと! 駄目よ、雅人!」


 亜紀が慌てて雅人を呼び止める。

 すると、そこで、サロンの扉が開いた。

 現れたのは貴久だけだ。


「なんだよ兄貴、空を飛ぶ瞬間くらいデッキに出させてくれよ」


 と、いきなり現れた貴久に、雅人が口を尖らせて言う。


「悪い。ちょっと話があるんだ。座ってくれないか?」

「でも、もう空を飛んでるんだろ? 早く見学したいんだけど」

「見学はなくなった。今はセントステラ王国に向かっている」


 貴久が硬い声で告げた。

 そわそわした様子を見せていた雅人であったが、何を言われたのか理解できなかったのか、一瞬だけ呆けた表情を浮かべる。

 すぐ傍では美春が「え?」と、動じた様子をあらわにしていた。


「は? 何言ってんだよ?」

「帰国することになったんだ。今はセントステラ王国に向かっている。みんなにも一緒に来てもらうことになった」

「ちょっと何言ってるかわからないんだけど」


 雅人が訝しそうに顔をしかめた。


「だから今からそれを説明する。まずは座ってくれないか? ついでに食事にしよう」


 ☆★☆★☆★


 一同がサロンの卓につくと、温かい食事が即座に運ばれてきた。

 ガルアーク産の子牛を用いたホワイトシチュー、焼き立てのパン、オムレツ、キノコのソテー、色とりどりの野菜サラダ。

 美味しそうな匂いが鼻を刺激し、雅人の空腹が刺激される。

 聞きたいことは山ほどあるが、せっかくの食事を冷ますのももったいないと考え、雅人は少し遅めのランチへと即座に手を伸ばした。

 何とも雅人らしいというか、空腹という本能的な欲求に抗えない雅人に、美春が思わず苦笑する。

 話を切り出そうにも、食事をしている彼の前で行ってもいいものか。

 そうやって美春が逡巡していると、


「それで、セント、せんと――」

「セントステラ王国だよ」


 国名を思い出せずに言いあぐねる雅人に、美春が教えた。


「そう。セントステラ王国に帰るってどういうことだよ? ハルト兄ちゃんと沙月姉ちゃんはどうしたんだよ? この船に乗っているのか?」


 と、パンをほおばりながら、雅人が質問攻めをする。

 どうやら話は話できだすようだ。


「この船には乗っていない。後日、セントステラ王国に来てもらうことになった」

「は、はぁ? なんでだよ? 聞いてないぞ」


 予想外の展開に、話の流れに頭がついていかない。


「ご、午後はハルトさん達と会うんじゃないの? 約束したんでしょう?」


 美春が慌てた様子でいた。

 貴久が顔をしかめたくなったのを必死にこらえる。


「ごめん。無理になったんだ。だからこうしてセントステラ王国に向かっている」

「……え?」


 貴久が済まなそうに言うと、美春が表情を凍らせた。

 次の瞬間、


「う、嘘! 嘘でしょ?」


 美春が取り乱したように叫んだ。


「え? 船? セントステラ王国に向かっているの? なんで?」

「み、美春お姉ちゃん、どうしたの?」


 普段の美春では想像できない取り乱し方に、亜紀が驚いた様子で言った。

 雅人も目を丸くして呆けている。

 美春がへたりと椅子の上に座り込んだ。


 ――そんなことあるはずないのに、どうしてこんなことになっているの?


 ただただその疑問だけが頭の中に浮かぶ。

 昨晩、美春は一睡もできずにベッドの中で考え事をしていた。

 いや、考え事をしていたのはつい先ほどまでずっとだ。

 ハルトは天川春人なのか。

 仮に自分が想像した通りの事実が存在するとしたら?

 その答えを知りたい、知らなければならない。

 でも、ハルトが見せてくれた色んな側面、その中には、時折、恐ろしいくらいに冷酷と思える部分がのぞけたこともあって――。

 自分が想像している事実が存在しないかもしれないと思うと、その答えを知る時が迫っていると思うと、怖がっている自分がいて、思わず逃げ出したくなってしまって――。

 ハルトと会うまでに、少しでも心を整理しようと時間を置いてみたけど、心は整理されるどころか混乱する一方で――。

 美春は頭の中はどんどんぐちゃぐちゃになってしまっていた。

 けど、それでも、魔道船から降りればハルトに会えると、怖くはあったけど、同時に期待してもいたのだ。

 ハルトに会えると想像するだけで心臓が高鳴って、胸が苦しくなるけど、それでも会わなければならない時がやって来るはずだった。

 なのに、そのハルトが他の用事を優先させたなんて、そんなはずがない。


「嘘だよ。そんな、そんなはずが……、そんなはずないの!」


 ハルトは告白してくれた。

 渡したい物があると言ってくれた。

 なのに、どこかへ行ってしまうなんて、そんなはずがない。

 美春は名状しがたい焦燥感に襲われていた。


「本当だよ」


 貴久が言うと、美春の華奢な身体がびくりと震える。

 ほんの一瞬だけ逡巡するような表情を浮かべると、


「……降りなきゃ」


 美春がぼそりとつぶやいた。


「え?」


 隣に座っていた亜紀が首をかしげる。

 すると、美春がおもむろに立ち上がった。

 そうして慌てた様子で扉へと走り出す。


「ちょ、美春お姉ちゃん! ま、待って! どこに行くの?」


 亜紀が慌てて後を追いかけ、美春が扉を開けたところで取り押さえる。

 本当に美春らしからぬ行動だった。

 いったいどうしたというのだ。


「放して! お願い! 早く降りないと!」


 美春が焦ったように叫ぶ。


「む、無理だよ! この船、空を飛んでるんだよ!」


 そんな馬鹿な真似を許せるものかと、亜紀が言う。


「だって、私、残るって言ったよ! ハルトさんのところに。なのにどうして何の説明もなしにこんな状況になっているの?」


 いまだ状況の把握すら満足にできていないが、納得できるはずがない。


「そうだよ。何があったのか、説明してもらうぜ。兄貴。納得できない理由ならすぐに戻してもらうからな」


 雅人も顔をしかめて美春に賛同した。


「大丈夫だ。また会える。沙月先輩とその話を済ませてきたんだ。了承ももらっている」


 美春達の反応は想定済みだったのか、貴久がさほど動揺した様子は見せずに語る。

 この発言で一応は雅人だけでなく美春も話を聞く姿勢を見せた。

 美春にしては珍しい真剣な剣幕で貴久をじっと見つめている。


「了承って、なんで俺達に黙ってそんな話をしてるんだよ?」

「……ごめん。それについては悪いと思っている。急ぎの用事が出来て時間がなかったんだ」


 貴久がバツが悪そうに謝罪した。


「急ぎの用事って、なんで俺達が無理やりそれに付き合わされているんだよ? ハルト兄ちゃんと沙月姉ちゃんに別れの言葉すら言えてねえぞ」

「……ごめん。みんなと別れたくなかった」


 貴久が頭を下げると、雅人が顔をしかめて舌打ちする。


「それを言われると困るというか、弱るんだけど、……順序ってもんがあるんじゃねーの?」

「本当にごめん」


 正論を述べて非難する雅人に、貴久が苦い表情を浮かべた。

 それを見かねて、


「わ、私がお兄ちゃんと相談して一緒に決めたの!」


 亜紀が慌てた様子で会話に割って入った。


「亜紀姉ちゃんまで絡んでいたのかよ……」


 と、雅人が呆れた様子を見せる。


「亜紀には俺が頼んでお願いしたんだ。俺は兄なんだ。お前たちを保護しないといけない。治安も良くない世界で離れ離れに暮らしているなんて耐えられなかった……」


 この想いに関しては嘘は吐いていない。


「そうだよ。お兄ちゃんが帰っちゃったら折角会えたのにまたバラバラになっちゃうんだよ?」


 亜紀が即座に貴久を援護する。


「そりゃ……そーだけどさ」


 釈然としない様子で、憮然ぶぜんと口を尖らせる雅人。

 雅人だって何も望んで貴久と離れ離れになりたいわけではない。

 昨日は勢いで喧嘩してしまったが、一日考えて何か上手い方法はないかと彼なりに模索したのだ。


「沙月姉ちゃんは無理かもしれないけど、せめてハルト兄ちゃんには一緒に来てもらうようにできなかったのかよ?」


 いったいハルトはこの件についてどう考えているというのか。


「……一応、誘いはしてみた。でも、先に片づけないといけない用事があるって断られた」


 その発言に、美春と雅人が目を見開く。

 そんな話をしていたこと自体が初耳だったからである。


「アマンドの方に戻らないといけないみたい。でも、用事を済ませたら来てくれるんだよね、お兄ちゃん? 沙月さんも」


 亜紀が説明を補足し、貴久にいた。

 彼女も貴久が悪くならないようにと必死だ。


「ああ。相応の準備が必要になるみたいだけど、ガルアーク王国の許可が下りれば沙月先輩も来られるみたいだ。ハルトさんの方は用事がどのくらい時間がかかるのかはわからないけど……」


 と、貴久がそう答える。


「ハルトさんは……」


 美春が絞り出すように声を出した。


「ハルトさんは何か言ってなかった?」

「……みんなのことをよろしくお願いしますって」

「他には?」


 と、美春のすがるような眼差しに押されて、


「また……会えるからって」


 貴久はつい希望を持たせるような言葉を告げてしまった。

 なんて中途半端な真似をと悔いる。


「……行かなきゃ」

「え?」


 ぼそっとつぶやいた美春の声が聞き取れず、貴久が疑問符を浮かべた。


「私、行かなきゃ。ハルトさんのところに」


 美春が思いつめた表情で言う。


「無理だよ。この魔道船は時速百キロで空を飛んでいるんだ」


 貴久が突き放すように告げる。


「お願い、貴久君。今すぐ引き返すか、私を降ろして」


 美春が声を震わせて懇願した。


「ごめん。それはできない」


 貴久が苦々しく顔を歪めて、かぶりを振る。


「ど、どうして?」

「離れたくないんだ。俺は美春と離れたくないし、美春のことを守ってやらなきゃと思っている」


 貴久が自らの気持ちを吐露とろした。

 それは遠回しな告白に聞こえなくもない


「わ、私はそんなこと頼んだ覚えはないよ!」


 美春が感情的になって、普段よりもずっと強い口調で言い返す。

 彼女がこんなふうに誰かに自分の意見を主張することなんて滅多にない。

 亜紀や雅人は驚きで呆気にとられており、言い返された貴久も僅かにたじろいでいる。

 だが、貴久は決然と美春を見つめ返して、


「けど、現にハルトさんに守られなければ、美春はこれまで生きてこれなかっただろう? この世界で自分一人で生きていけるのか?」


 と、そういた。


「それは……」


 美春が返答にきゅうする。

 今の彼女が誰かに守ってもらわなければこの世界で生きていく力がないことは事実だ。

 そんなことは美春自身が一番よく理解している。


「亜紀も、雅人も、美春のことも、誰かが守ってあげないといけない。そうだろ?」

「そう、だけど……」

「その役目は俺がやりたいんだ。俺じゃ駄目なのかな?」


 イエスか、ノーか、貴久が選択肢を突きつける。


「貴久君が駄目とか、そういう問題じゃなくて、私は……」


 なんて言葉で言い表したらいいのか、上手い表現が見つからない。

 美春はそれがひどくもどかしかった。


「ハルトさんじゃないと駄目な理由があるのか?」

「ハルトさんには恩があるから……」

「彼は別に恩返しなんか望んでいない。ガルアーク王国からも、セントステラ王国からも、美春達を保護した件で国からの恩賞の申し出も断ったくらいだ。恩に縛られないでほしい。そういうことじゃないのか?」

「……別に恩に縛られているわけじゃないよ。そうじゃなくとも私はハルトさんと一緒にいたいの」


 一緒にいたい。

 その言葉が一番しっくりきた。

 貴久がひどく衝撃を受けたように顔を歪める。


「それは美春がハルトさんを好きだから?」

「好きとか、嫌いとか、私はそういう気持ちでハルトさんと一緒にいようと決めたんじゃないよ……」


 美春が悲しそうに瞳を揺らす。


「じゃあどうして?」

「どうしてって……」


 そんなことは美春本人にだってわからない。

 もしかしたらハルトが自分の幼馴染だからかもしれないから?

 ハルトの前世を知りたいから?

 確かにそれもあるのかもしれない。

 だが、仮にハルトが自分の幼馴染でなかったとしても、美春はハルトの傍に残る道を選ぶだろう。

 最初からそう決めていたのだから。


「なあ、俺達はいつか地球に帰るかもしれないんだ。そのことはわかっているよな? まさか地球に帰るつもりはないなんて思ってないよな?」


 そうやって必死に語る貴久を、美春が黙して見つめていた。


「彼と一緒に暮らす先に美春が地球に帰る未来はあるのか? 地球でやりたいこととかあるんじゃないのか?」


 言い切ると、貴久がじっと美春を見据える。


「……わからないよ」


 ぽつりと美春が言った。


「え?」

「戻れるかどうかもわからないのに、他の人のことも、自分のことも……今なにが起きているかもわからないのに、そんな先のことはわからないよ」


 美春が訴えかけるように語る。

 貴久は唖然と反論の言葉を呑んだ。

 亜紀や雅人もいたたまれない顔つきを浮かべている。


「……でも、今更引き返すわけにはいかないから。沙月先輩が来るまで、少し考える時間があったほうがいい。また後で話そう」


 ややあって苦し紛れにそう言い捨てると、貴久は立ち上がり、部屋を後にするため歩き出した。


「貴久君!」


 美春の呼び止める声が室内に響き渡る。

 貴久は一瞬だけ足取りを緩めたが、迷いを振り捨てるように扉を開くと、そのまま退室してしまった。


「タカヒサ様」


 サロンを出ると、リリアーナが騎士のヒルダと侍女のフリルを引きつれて立っていた。


「リリィ……」


 リリアーナは静かにまっすぐと貴久の顔を見つめている。

 貴久が気まずそうに視線をそらす。


「帰国したら三人の部屋を用意できるかな?」

「もちろんです」

「じゃあ、お願い。それじゃ、少し一人になりたいから」


 呼び止められることを恐れるように、貴久は立ち去った。


 ☆★☆★☆★


 フランソワの執務室を出て自室へ戻ると、リオの部屋の中で沙月が待ち構えていた。

 既に女中がもてなしていたようで、じっと目をつむって椅子に座り、難しい顔でお茶を飲んでいる。

 その身には白を基調とし、黒い装飾が刻まれたドレス状のクロースアーマーを着込んでいた。


「サツキさん。いらしていたんですね」


 リオが声をかけると、沙月が真剣な眼差しを向けてきた。


「お帰りなさい。待っていたわよ」

「はい……。ただいま戻りました」


 沙月とはフランソワと会う前に話をしたばかりだ。

 その時にした話が話であったために、何となく重い雰囲気になる。


「これからちょっと付き合ってほしいの。時間はいいかしら?」

「ええ、構いませんが」

「なら決まりね。ついて来て」


 そうして沙月に連れられ、リオは部屋を後にしたのだった。


 ☆★☆★☆★


 時は少しさかのぼる。

 城門で帰国する貴久達を見送った後、リオは貸し与えられた自室へと沙月を招いた。

 お城の尖塔上層に宿泊している沙月の部屋とは異なり、リオが宿泊している部屋はお城の低階層にあるため、城門から移動するならこちらの方が近い。

 低階層の壁はとても厚く窓は小さく作られているため、室内にいくつかある小さな正方形の窓から薄っすらと春の日差しが入り込んでいるが、室内を照らしているのは魔道具により作られた明かりである。

 リビングにある椅子に腰を下ろし、沙月と二人きりで向かい合う。


「早速だけど、城門で言っていたキミの前世のことを聞かせてもらえるのかしら?」


 沙月が単刀直入に尋ねると、リオがこくりと頷いた。


「俺の前世は天川春人という名の日本人でした」

「天川、春人……? じゃあ今のキミの名前は?」

「この世界では俺の本当の名前ではありません。本当の名前はリオといいます」


 リオが言うと、沙月がちょっとだけ首をかしげる。


「偽名……とは少し違うのかしら。どうして前世の名前を名乗っているの?」


 当然の疑問だろう。


「詳しい説明は省きますが、俺は色々と面倒な過去を持ち合わせていまして。リオという名で活動するのは少しばかり都合が悪いんです」

「都合が悪い?」

「……ええ、まったくのとばっちりなんですが、昔とある国でちょっとしたいざこざに巻き込まれたことがありまして、リオという名を名乗るのは少し都合が悪いんです」


 と、リオが事実をぼかして伝えた。


「なるほど……、でもキミの顔を知っている人はいるんじゃない? その、大丈夫なの?」


 沙月が心配そうに尋ねる。


「ここ数年ほど、俺はヤグモ地方まで旅していましたからね。成長した俺の顔を見てもすぐに同一人物だと気づく人はそうそういないんじゃないでしょうか。現に気づかれたこともありません」


 一名、勘の鋭い少女がいたが。


「そっか……。なら、いいわ。それで、どうしてその天川春人だったキミのことを話そうと思ったのか、いてもいいのかしら?」


 リオは一つ一つ大まかに語った。

 天川春人と綾瀬美春との関係。

 千堂亜紀との関係。

 それらを踏まえた上で自分の想いを伝えるべく、夜会で告白したことを。

 沙月は小難しい顔をしてその話を聞いている。


「――じゃあキミは美春ちゃんを探して同じ高校に入ったの? 私と同じ高校に通っていたってこと?」


 リオの話を聞き、沙月が信じられないといわんばかりに驚いた様子で尋ねた。


「まぁ同じ高校に通うとは知りませんでしたけど。一応、沙月さんの後輩になるんですかね」


 リオが苦笑しながら答える。


「後輩……。キミが私の……」


 沙月がいまいち実感が湧かないふうにつぶやく。

 だが、やがて何かに気づいたように、沙月が首をかしげた。


「……ちょっと待って。おかしくない?」

「時系列がですか?」


 リオが落ち着いた声でいた。


「う、うん。春人君は大学生の時に亡くなったんでしょ? それでこの世界に生まれ変わった。今の君は……」

「十六歳ですが、記憶が戻ったのは七歳の時です」

「……どういうこと?」


 沙月がいぶかしげに漏らす。


「それは俺にもわかりません。ただ……」


 言いかけて、リオが途中で言葉を切った。


「いえ、なんでもありません。そんなことより、話を本筋に戻してもいいですか?」

「うん……。キミは美春ちゃんのことが前世から好きで、告白、したんだよね」

「ええ」


 リオが大人びて見える笑みを浮かべて首肯した。


「……いいの? キミはこれでいいの?」


 ぽつりと、沙月がつぶやくように尋ねる。


「何がですか?」

「行っちゃったのよ! 美春ちゃん、好きなんでしょう? 亜紀ちゃんだって、妹なんでしょう?」


 叫ぶように語って、沙月がやるせなさそうに顔を歪める。


「ええ。だから打ち明けました。伝えた方が良いと思ったことはすべて」


 リオが落ち着いた声色で答えた。


「伝えて、駄目だったからって、はい、わかりましたって、そんな簡単に諦められるものなの? キミの気持ちはその程度の重さしかないの?」

「寂しくないって言えば嘘になりますけど、好きな人の恋なら応援するしかないですよ。亜紀ちゃんのことも、相手が嫌がっているのに無理に会おうとは思いません」


 リオが妙に達観した笑みをたたえて言う。


「手紙……。あの手紙に書いたの? キミの前世のこと」


 沙月がぽつりといた。


「はい」

「じゃあ……美春ちゃん達が貴久君と一緒に帰国したのは、その手紙を読んだことも関係しているの?」

「ええ、おそらくは」

「美春ちゃん達、何だって?」

「もう会えないと」


 リオが淡白に告げると、沙月が表情を歪めた。


「嘘よ!」


 沙月が叫んだ。


「嘘、ですか?」

「うん。美春ちゃんはそんなことを言う子じゃない」

「自信たっぷりですね」


 断言する沙月に、リオが苦笑して言う。


「キミは信じられないの? 美春ちゃんのこと」

「信じていますよ。だから美春さんが安易にその結論を出したんじゃないだろうって思います。俺の自己満足で嫌な想いをさせてしまったとも」


 リオがそう語ると、沙月が苦々しい表情を浮かべた。


「……ハルト君、ドライだってよく言われない?」

「そう言っていた人が一人いましたね」


 リオの脳裏にセリアの顔が浮かぶ。


「一つ疑問なんだけど、どうして告白した時に手紙を渡さなかったの?」

「ちょうど渡そうと思ったタイミングで皆さんがバルコニーに来てしまったものですから」

「ああ、なるほど……。私達が邪魔しちゃったのか、ごめん」


 と、沙月が申し訳なさそうに謝罪する。


「別に沙月さんが悪いわけじゃないですよ。雅人には心配しないでくれと言ったんですが、存外早く皆さんが探しに来て少し驚きました」

「確かシャルちゃんが二人がバルコニーの方に行くのを見たって言ったのよ。それで貴久君と亜紀ちゃんが動き出しちゃって……」

「なるほど」


 リオが当時の状況を想像し、苦々しく笑みをたたえた。


「でも何となくわかったわ。キミが早めに手紙を渡そうとしていた理由が。渡したのは今朝になって?」

「ええ、美春さんが一時的に留守だったので、結局、貴久さんに渡してもらうことになりました」

「そうなんだ……。なら別に無理にシャルちゃんに付き合う必要もなかったのに」


 と、沙月がそんなことを言った。


「一介の新人貴族が王族の誘いを断るわけにもいきませんよ。身分社会ですから」

「まぁ、そうだけど……。会社でいう仕事の付き合いみたいなもの、か。むぅ……」


 何かが気にくわないのか、沙月が唇を尖らせる。

 取引先との付き合いがあるからと、幼い頃に父親から自分との約束をすっぽかされた過去の体験を思い出してしまったのだ。

 成長した今では理解できなくもないが、あまり好ましい出来事だとは思えずにいた。


「ハルト君なら夜中にでもこっそり忍び込んで手紙を渡せたんじゃない?」


 と、沙月が不満そうに尋ねる。


「無理ですよ。尖塔の上層階にある沙月さんの部屋と違って、下層にある俺の部屋には外へ出入り可能なテラスがないんです。開錠して扉を開けて廊下に出れば、その時点で見張りの衛兵に必ず気づかれます。ただでさえ城内で俺の行動は監視されている節がありましたし、そうでなくともお城の中には警戒態勢で警備が厳重でしたから」


 外敵の侵入経路を限定するため、通常、お城の低階層には換気用に作られた人の出入りが不可能なサイズの窓しか備わっていない。


「あー、もう! ならいっそ口で伝えなさいよね!」


 と、沙月が憤慨しながら言う。


「……沙月さんは何にこだわって怒っているのですか?」


 と、リオが不思議そうに尋ねる。


「美春ちゃん達の反応がわからないことよ! キミの言うこともわかるけど、それでも私は美春ちゃんが何も言わずにキミのもとを立ち去るような子とは思えない。面と向かって話をした方が良かったんじゃないの?」


 沙月が咎めるように言った。

 確かに話がこじれるのは目に見えていたのかもしれない。

 美春はともかく、亜紀は感情的になって、話したいことも話せなくなる可能性が高かったのだろう。

 だが、それでも、口で伝えた方が良いと、沙月は思った。


「そう、ですね。美春さんに告白する時に、そうしようとはしたんですが……」


 言いながら、リオが口許に自嘲じちょうを覗かせる。


「その前に私達がバルコニーに乱入しちゃったのか」


 自力で解答にたどり着き、沙月が盛大に溜息を吐く。

 リオは告白して、前世のことも口頭で簡単に伝えて、その上で手紙を渡そうとしていたのだ。

 だが、その前に貴久達がバルコニーにやって来て、タイミングを逃してしまった。

 そういうことだろうと考えて、沙月がもどかしそうな表情を浮かべる。

 しばし、二人の間に沈黙が降りた。


「それで……まだ肝心なことを聞いていないわ」


 やがて、ぽつりと沙月がつぶやいた。


「何でしょうか?」

「どうして私にこの話をしようと思ったの?」


 いて、沙月は真剣な眼差しでリオの顔を覗きこむ。


「次に美春さん達と会った時に、俺のことには触れないでほしいんです」


 リオが簡潔に答える。

 すると、一瞬、沙月は何を言われたのかわからず、呆けてしまった。


「……どういうこと?」

「美春さん達から俺の話題を振ってくるのならともかく、沙月さんからは俺の話題を振らないでほしいんです」

「どうして?」


 沙月の表情がこわばる。


「そうすることで美春さん達に嫌な思いをさせてしまうかもしれませんから」

「そんなことっ!」


 言いかけて、沙月が苦々しく言葉を呑んだ。

 弱々しく笑みを浮かべているリオの顔を見ていると、息が詰まりそうになってしまった。

 自分が熱くなっているのがよくわかる。

 沙月は荒々しく嘆息して心を落ち着けると、


「……ねぇ、美春ちゃんが貴久君のことを好きかもしれないって、知っていたのよね。なのにどうして告白しようと思ったの?」


 ややあって、そう尋ねた。


「結果はわかっていても、何も伝えないで生きていくよりはマシだと、そう思ったからです。前世の俺はそうして後悔して生きていましたから」

「……そっか。じゃあ、この世界で再会してすぐに美春ちゃんに告白しなかったのはどうして?」


「色々と理由はありますが、怖かったからです。自分が本当に天川春人だったのか、仮にそうだとしても今の自分に天川春人の何かが残っているのか」

「……どういうこと?」


 沙月がいまいち理解しかねたふうに首をかしげた。


「それを証明する客観的な証拠が何もないですから。自分の前世が記憶通りの人間だったかなんて、どうやって証明すればいいんですか?」


 リオが淡々とした口調で尋ねる。


「それは……」


 沙月は即座には返答しかねた。


「まぁ、それはあくまできっかけにすぎません。要は自信が持てなかったんです。仮に自分の前世が天川春人だったとしても、今の俺は肉体的にまったくの別人ですし、価値観もだいぶかわってしまったから、そんな自分に自信が持てなくて、それが怖かった。まぁ、沙月さんと会って話して、ようやく決心がついたんですけどね」


 言って、リオが小さく肩をすくめる。


「じゃあ……キミは納得しているというの? これで、こんな終わり方でいいというの?」

「……ええ」


 わずかに間を置いて、リオが首肯した。


「本当に?」

「できなくたって、するしかないんです」


 疑心的な沙月に、リオがきっぱりと言いきる。

 沙月は悲しげに表情を曇らせた。


「……ごめん。私ならそんなふうには割り切れないと思う」

「そりゃあ人によって価値観はそれぞれでしょうから。沙月さんはそれでいいと思いますよ。でも、美春さん達にこの件を追及することは止めてほしいんです。お願いします」


 リオが深く頭を下げて頼む。

 沙月は視線をそらして黙殺した。


「それともう一つ。これはお願いというか、提案なんですが」

「……何?」


 沙月がおそるおそる尋ねる。


「今後、俺達は少し距離を取った方がいいかもしれません。今日以降はこうして会うことも避けた方がいいです」


 沙月はきょとんとした表情を浮かべると、


「な、何でよ?」


 泡を食っていた。


「俺という存在がガルアーク王国に利用されている節があります。あまり親しくなりすぎると、取りこまれかねませんよ?」


 リオが冷ややかに告げると、沙月は愕然と息を呑んだ。


「そんなこと……」


 沙月が言葉に詰まる。「ない」とは言いきれなかったのだ。

 実際、今、沙月がこの国の貴族の中で最も親しい相手は断トツでリオである。

 ガルアーク王国の人間と一定以上親しくせずにこの数か月を過ごしてきた沙月であったが、美春達と再会したことによって風向きは少しずつ変わり始めている。


「フランソワ国王陛下の思惑がわからない以上、当面は距離を置いた方がいいのではないでしょうか?」


 警戒を促すリオの発言に、沙月が躊躇ためらいをたたえた眼差しを向けて返す。


「少し……考える時間を頂戴」


 そう言うのが精一杯だった。


「わかりました。俺は明日にでも王都を発ちますので」


 告げて、リオが席を立とうとする。


「待って!」


 沙月が呼び止めた。


「何でしょう?」

「少しだけ聞かせて」

「はい」


 リオが腰を下ろし、再び目の前にいる沙月と向き合う。


「……キミは清算しようとしているんだよね?」


 ぽつりと、沙月が尋ねた。


「清算……ですか?」


 リオが小さく首をひねる。


「美春ちゃん達との関係。何もなかったことにしようとしているってワケ?」


 沙月が言うと、リオが目を見開いた。


「……ええ、そうですね」


 答えを返すのに、わずかに間があったのを、沙月は見逃さない。


「自棄になっているわけじゃないのよね?」

「違いますよ」


 今度は決然とした口調で返された。


「そう……。ありがとう。それじゃ、また後で」


 ☆★☆★☆★


 リオは沙月に連れられ、お城にある広大な練兵場にやって来た。

 いたる場所で騎士や兵士たちが訓練にいそしんでいたが、二人が姿を現すと、慌てた様子で位の高そうな騎士数名が駆け寄ってくる。

 その中にはリオの知り合いの騎士であるカイルもいた。


「これはサツキ様にハルト卿。お待ちしておりました」

「突然にごめんなさいね。お願いした件なんだけど――」

「既に準備はできております。少々お待ちを」


 沙月が事情を説明し、壮年で年長の騎士がスムーズに対応する。

 どうやら事前に何らかの打ち合わせをしていたようだ。 


「おい」

「はっ」


 壮年の騎士が呼びかけると、カイルともう一人の若い騎士が急ぎ足で走りだした。

 そうしてすぐに訓練用に作られたグレイブと呼ばれる木製の短槍二本を抱えて戻ってくる。

 グレイブの長さはゆうに二メートル強はあり、二メートル半には少し届かないといったところだ。

 一人の騎士がグレイブを沙月に手渡し、もう一人の騎士がリオにもグレイブを手渡す。

 大した説明もされずにこの練兵場へ連れてこられ、武器を握らされたわけだが、その動機や狙いはともかく、何が行われようとしているのか、ここまできて予想がつかないリオではない。


「さ、ハルト君、試合をしましょうか」


 不敵な笑みを浮かべて、沙月がニコリと告げたのだった。

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2019年8月1日、精霊幻想記の公式PVが公開されました
2015年10月1日 HJ文庫様より書籍化しました(2020年4月1日に『精霊幻想記 16.騎士の休日』が発売)
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精霊幻想記のドラマCD第2弾が14巻の特装版に収録されます
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2019年7月26日にコミック『精霊幻想記』4巻が発売します
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「読める!HJ文庫」にて書籍版「精霊幻想記」の外伝を連載しています(最終更新は2017年7月7日)。
登場人物紹介(第115話終了時点)
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