第106話 謁見後(地図付き)
謁見後、リオはリーゼロッテ=クレティアに誘われ、彼女と対談することになった。
沙月からも美春達の部屋へ一緒に行かないかと提案されたが、彼女には一人で美春達の部屋へ向かってもらっている。
リーゼロッテには今回の件で伝えておきたいことがあったのだ。
そうしてやって来た場所は王城の談話室。
登城が認められている貴族ならば申請することで誰もが利用できる個室である。
そこでリオがアンティーク調のソファに座ってリーゼロッテと向き合っていた。
傍らでは彼女の侍従にして侍女の役目を果たすアリア=ガヴァネスが黙々とお茶の用意をしている。
アリアは見事なまでに存在感を消しており、室内の主と客に対して違和感を与えない。
まさしく侍従の鏡であった。
「失礼いたします」
迅速に、かつ、丁寧に工程を完了させ、アリアがお茶を差し出してきた。
軽く一礼すると、静かに部屋の隅へと移動する。
そうして対談の準備が整うと、リーゼロッテが開口した。
「ハルト様、まずは名誉騎士へのご就任おめでとうございます」
「ありがとうございます。正直、身に余る大役だと恐縮しているのですが……」
礼を述べて、リオが困ったような表情を浮かべた。
「ですが上手く活用すれば利点も多いと存じますよ?」
小首を
国に属さないとはいえ、これからリオはガルアーク王国内で正式に貴族として扱われることになるのだ。
シュトラール地方において身分の差は絶対――。
中にはリーゼロッテのように平民に対しても分け隔てなく接する貴族はいるが、それは圧倒的に少数派だ。
相手が平民というだけで見下す貴族はいるし、実際に貴族というだけで様々な面で平民よりも優遇される。
今日からリオもそんな貴族の一員に仲間入りするのだ。
しかも、そこいらにいる木端貴族とは訳が違う。
通常の貴族とは序列も扱いも異なるが、名誉騎士といえば軍関係に明るい貴族からは特に
国王直々に実力と功績を認められたというネームブランド、単なる名誉職の範囲を超えて与えられる特権的地位――。
いずれも持っていて損はないものばかりで、貴族というだけでガルアーク王国内での行動がしやすくなることは間違いない。
デメリットらしいデメリットといえば、対外的に名誉騎士であることを活用しすぎると、次第にしがらみが生まれて国に縛り付けられることにもなりかねないということだろうか。
(まぁ、ハルト様に名誉騎士として活躍してもらって、既成事実を作らせることも陛下のお考えなのでしょうけどね。他にも狙いはいくつかあるようだけれど……)
それらはあくまでリーゼロッテの分析にすぎないが、おそらくリオならば薄々と感づいているだろう。
ゆえにリーゼロッテが自らの考えを口にする真似はしなかった。
「ええ。かと言って貴族として何かをしようとも思いませんが」
と、リオが落ち着いた声で告げる。
「そうなのですか? ハルト様ならば貴族として
おや、と、リーゼロッテが目を
「買いかぶりすぎです。貴族の皆様とのお付き合いは平民出身の私には荷が重い。今回の夜会で身に染みました」
「作法に問題はまったくございませんでしたが……」
「表面を取り繕ったハリボテにすぎません。細かく見られるとすぐにボロが出ますので」
苦笑し、リオが
「ふふ、ご謙遜を」
言って、茶目っ気のある笑みを浮かべると、リーゼロッテが優雅に紅茶を口に含んだ。
(考えれば考えるほどに気になるのよね……)
リーゼロッテはリオという存在に強く興味を惹かれていた。
今、彼女の目の前にいる少年は、以前とある国の教育機関に通っていたという。
リオの出生地がベルトラム王国であることからすれば、そのとある国とはベルトラム王国である可能性が高い。
ベルトラム王国に国営の教育機関は王立学院しか存在しないが、私営の塾になると一気にそこそこの数に膨れ上がる。
平民であるというリオの言葉を信じるのならば、おそらくは私営の塾に通っていた可能性が高いが、その中でも貴族の作法を教えるような教育機関となればだいぶ数は限られてくる。
通える人間は平民の中でも富裕層に位置する家の者くらいだ。
(移民の子が富裕層のための私塾に通う? ありえないわけじゃないけど……)
リーゼロッテがいくら考えたところで答えは出ない。
リオは彼女の目の前で涼しい顔をして紅茶を飲んでいた。
思わず根掘り葉掘り
探りを入れるような質問を投げかけることはできるが、リオに警戒されるのはリーゼロッテの本意ではない。
結局、リオから語ってくれるのを待つことしかできなかった。
「ともあれ、今後、何かお困りのことがございましたら是非ご相談ください。私でよろしければお力になりますので」
ティーカップを丁寧にソーサーの上に置くと、リーゼロッテが告げた。
「ありがとうございます」
清楚な笑みを浮かべる彼女に、リオが礼を言う。
「お礼を申し上げるのは私のほうです。昨夜の夜会で目立った被害がなかったのはハルト様がいたからこそ」
「いえ、そのようなことは――」
「ございますよ。純然たる事実です。狙いを絞って襲いかかってきた賊に対して、会場に分散していた護衛の騎士達は不利を強いられておりました」
リオが否定しかけたところで、リーゼロッテが言葉をはさむ。
狙われた王族達を護衛していた騎士が五人しかいなかったのに対し、襲撃してきた賊の数が十四人。
その戦力差はおよそ三倍である。
「どれほど過小評価してもハルト様がお一人で騎士数人分の働きをなさったことは事実です。おかげで応援の騎士達が駆けつける十分な時間ができ、あの場にいた王族の皆様をお救いすることができました」
整然と語るリーゼロッテ。
「もちろん私も助けられました。これで私はハルト様に二度も命を救っていただいたことになりますわ。ありがとうございました」
リオからの反論が出なくなったところで、リーゼロッテがきちんとお礼の口上を述べる。
「平素よりリーゼロッテ様にはお世話になっております。この程度はおやすい御用ですよ。むしろ申し訳ございませんでした」
少し困ったように笑みを浮かべて、リオが言った。
逆に謝罪を受けたことで、リーゼロッテが顔に疑問符を浮かべる。
「サツキ様のご友人に関する情報を伏せていたことです。今回の件でリーゼロッテ様を利用してしまい、結果的に騒ぎにもなってしまいました」
と、リオが謝罪を行った理由を説明する。
リーゼロッテは合点がいったようだが、ゆっくりと首を左右に振った。
「貴族ならば心の中で意図を秘めて誰かに近づくことなど日常茶飯事です。確かに事実を知り驚きましたが、私に何か害が生じたというわけではありません」
貴族はお互いに利益を得られるからこそ関係を築くのであり、打算を含まない交流関係など極めて稀なことだ。
何しろ結婚ですら政略によって成立するのだから。
結果的に害悪をもたらされたのならともかく、自分との交流で相手が利益を得ることにいちいち目くじらを立てていては貴族として生きてはいけない。
「むしろハルト様がご活躍なさったおかげで、私まで陛下からお褒めのお言葉を
そう言って、リーゼロッテが少し悪戯っぽい笑みを漏らした。
「お役にたてたのならば幸いですが……」
「はい。それはもう」
リーゼロッテが満足そうに頷く。
リオが黙礼して返した。
「それにしても、言葉も通じない見知らぬ少年少女。よく保護しようとご決断なさりましたね」
「幸い形見の魔道具がありましたから。途方に暮れて荒野を歩いている彼女達を見捨てることはできませんでした」
「ご立派です。その魔道具の効果をいまいち理解しかねているのですが、それを用いて彼女達に言葉を教えたということでしょうか?」
「ええ、あいにく口では説明しにくいのですが、この三か月間でだいぶ上達しましたよ。今はもう日常会話に支障はないかと」
リオがしれっと嘘で塗り固めて、リーゼロッテの質問に答える。
「ヤグモ地方には随分と便利な魔道具が存在するのですね。ひょっとするとハルト様は勇者様達の世界の言葉を話すことができるのでしょうか?」
尋ねると、リーゼロッテがリオの顔をじっと見つめた。
「ええ、多少は」
リオが曖昧な笑みを浮かべて首肯する。
「なるほど……」
意味深長なニュアンスを持たせて、リーゼロッテがつぶやいた。
「ご興味がおありなのですか?」
「はい。自分の知らぬ世界がある。そう考えると……」
答えて、リーゼロッテが少しだけぎこちない笑みを浮かべる。
リオは柔らかな微笑を浮かべて返すと、
(一応、魔道具の話は信じてもらえたんだろうか)
そう考えて、紅茶を口に含んだ。
最近では美春達も日常会話が成立する程度にシュトラール地方の言葉を操れるようになったが、まだまだ発音につたない部分がある。
それゆえ、美春達が母語としてシュトラール地方の言葉を喋っていないことは、少し会話をすれば簡単にわかってしまう。
そうなると自動的に浮かんでくる疑問点が、リオがどのようにして美春達と意思の疎通を図ったか、ということになる。
最も単純明快な答えはリオが日本語を喋れるということであるが、今度はどうしてリオが日本語を喋れるのかという疑問が湧いてしまう。
真の意味でこの世界の人間が相手ならばともかく、地球出身の者達が相手になると誤魔化すにも難易度が上がってくる。
もしかしてリオは――ハルトと名乗るこの男は、日本に暮らしていたことがあるのでは?
かつて地球に暮らしていた者達が、自身の境遇と照らし合わせ、そう考えても不思議ではない。
現時点でリオの前世が日本人であったことを知っている者は、アイシア、セリア、美春、亜紀、雅人、沙月、ラティーファの七名。
自分以外にも転生者が存在する可能性はリーゼロッテやラティーファと出会った時から考慮に入れていたが、勇者が登場し始めた今となっては転移者が存在することも考慮に入れなければならない。
今後、リオが転生者であるという事実が先の七人以外の者に知られることによって、その後の展開がどのように推移していくのか、どのようなメリットやデメリットが生じるのかは予想がつきにくい。
ゆえに、必要性があるのならばともかく、わざわざ自分から転生者であることを大々的に知らせる気にはなれなかった。
「ところで、サツキ様のご友人方はアマンドでの暮らしに何かご不満を抱いていらっしゃらなかったでしょうか?」
さりげない話題転換を装って、リーゼロッテが問うた。
彼女の発言の裏に隠された懸念、それを――、
(まぁアマンドには地球産の品物が溢れているからな)
リオは瞬時に見抜いた。
アマンドに溢れる地球産の品々。
その大半にはそのまま日本語の名称が与えられている。
神装による自動翻訳によって違和感なくこの世界の言葉が日本語に翻訳されている勇者達であっても、沙月が行ったように、口の動きから発音を察することは可能だ。
ましてや、ゼロからこの世界の言葉を学んだ美春達であれば、リッカ商会が生産した製品名を耳にすれば日本語が用いられているという異変に気づいて当たり前である。
実際、美春達はその異変に気づいているのだから。
リーゼロッテほど聡明な人物であれば、この状況で自身の秘密をいつまでも隠し通せるなどと、事態を楽観視しているわけもないだろう。
それを踏まえたうえで――。
さて、自分は何と答えるべきだろうか、と。
リオは即座に思考した。
「ええ、素晴らしく快適な暮らしを送ることができたのではないかと」
と、リオがとぼけた笑みを浮かべて答える。
リーゼロッテはじっとリオの顔を見据えると、
「……ならば良いのですが」
と、含みのある笑みを浮かべて言った。
二人が視線を交わしあう。
(疑っている、か)
と、リオがリーゼロッテの心情を推察した。
無理もない。
リオがアマンド付近で活動していたことは彼女に知られている。
そうでなくともリッカ商会の製品はガルアーク王国中に流通しているのだ。
とくれば、リオに保護されていた美春達が、リッカ商会の作った地球産の商品に触れていないと考える方が不自然だろう。
だとしたら、美春達の間でいくつもの疑問が生じているであろうことも、それらの疑問を美春達がリオに伝えているであろうことも容易に想像できる。
どうして日本語名の製品がこの世界にあるのか、それを作るリッカ商会とは何なのか、リッカ商会を運営するリーゼロッテ=クレティアとは何者なのか。
もちろんリーゼロッテはスポンサーなだけで、彼女以外にかつて日本人であった者がそれらをこの世界に導入した可能性もないわけではない。
リーゼロッテと出会った当初は先入観で彼女が転生者だと決めつけていたが、実例が存在する以上、勇者達が登場する以前にもこの世界に転移者が存在した可能性はゼロではないからだ。
だが、真っ先に疑いの槍玉に挙げられる人物はリーゼロッテであるし、事実がどちらであろうと、リッカ商会の裏に秘密が隠されていることに変わりはない。
ゆえに、リーゼロッテは疑っているのだろう。
そして、警戒しているのだろう。
今、自分の目の前にいるリオのことを。
(いつかは確信を抱く事実だ。ある程度、本当のことを伝えて、疑念を払拭しておいた方がいいのかもしれない)
リオとしてはこの場で白を切ることもできるが、確実にリーゼロッテの中で不信の種が残ることは予想できる。
自身の秘密を知りながら、知らんぷりを貫く人間を、警戒しない者はいないのだから。
もっとも、その秘密にどれだけの意味と価値があるかはリオも計りかねている。
とはいえ、彼女は貴族であり、商人でもあるのだから、不確定な要素を残して自身の身を危険にさらす確率を僅かでも上げる真似は嫌うかもしれない。
そういった懸念を抱いた上で、リーゼロッテが今後どういった行動に出るのか、腹の内で何を考えているのか。
いずれにせよ、秘密を秘密のままにしておきたいのならば、口止めを図ろうとしてくるだろう。
もしかしたら沙月や美春達に自身の秘密を打ち明けて口止めを依頼するかもしれないし、あるいは秘密が漏れるのを恐れて彼女達を消そうとすることだってありえる。
リーゼロッテが何の
味方につければ頼もしいが、敵になれば厄介な存在になることは間違いない。
無暗に挑発するのは悪手だし、現状、彼女とは良好な関係を築いているのだから、可能ならばこのままの関係を維持するのが好ましいことは確かだ。
リーゼロッテが貴族であり、商人でもある以上、切れない関係と利益がある限り裏切るおそれは低い。
これまでの関係で把握した彼女の人柄も踏まえて、リオもそれだけは信用できた。
「サツキ様のご友人は三名。そのうち二人は女性ですが、彼女達はリッカ商会の製品を非常にありがたがっておりましたよ」
リッカ商会は手広く商品を取り扱っているが、中でも女性を対象にした商品はかなり充実している。
生産体制と流通網が完璧でないがゆえに各地での需要と供給が一致しきっていないが、アマンドであれば手に入らない商品はほとんどない。
リオがアマンド付近で根城を張り続けていたのもそういう経緯があったからだ。
「それは嬉しい限りです。お客様にお喜びいただけたとなれば商人冥利に尽きますから」
感情の読み取りにくい微笑を貼りつけ、リーゼロッテが応じた。
「特にリッカ商会が販売している製品の一部には彼女達も大変驚かれておりました」
「なるほど……」
言って、リーゼロッテがスッと目を細める。
「何か秘密があるのではないかと不思議に思われたようですが、それに関して何も他言しないよう伝えておきました。彼女達はそれを了承しております」
何が秘密なのかを意図的にぼかして、リオが告げた。
すると、リーゼロッテが虚を突かれたように目を丸くする。
「それは……どうしてでしょうか?」
「無暗に口外することでデメリットこそ生じますが、メリットは何もございませんので」
「デメリット……ですか?」
尋ねて、リーゼロッテが小首を
「私が以前リーゼロッテ様と結んだ契約のことですよ」
と、リオがほのめかす。
「……先の契約で有事の際に保護してもらいたい方々とは、やはりサツキ様のご友人方だったということでしょうか?」
「ええ、五人のうち三人が。勇者の友人である彼女達は非常に不安定な立場に置かれることが予想されます。なので味方は多い方が良い」
リーゼロッテは真剣な面持ちでその話を聞いていた。
「だからこそ、今後、有事の際にはリーゼロッテ様の力が及ぶ範囲で彼女達のことを保護していただきたいのです」
「それは……もちろんです。そういう契約ですからね」
然りと、リーゼロッテが頷く。
「ありがとうございます。彼女達の保護をお願いしているということもありますが、今後もリーゼロッテ様とは良き契約相手でいたい。それが嘘偽りのない私の本心です」
「契約相手ですか」
その言葉の意味を
「私は商人ではありませんが、利益が人と人を強く繋げるという絆だということは理解しております。そして今、私達は契約によってお互いに利益をもたらしている」
そう語ると、薄く笑みを浮かべて、リオはリーゼロッテを見据えた。
リーゼロッテもじっとリオの顔を見つめ返す。
やがて何かが腑に落ちたのか、
「……なるほど。商人としてはこの上なく説得力のあるお話です」
リーゼロッテが
先ほどまで見せていた警戒の色合いもだいぶ薄まっている。
「というわけで、私は今の貴方との関係を崩すことを望んでおりません。少々不本意ですが、本日付で貴族にもなってしまったことですしね。貴方ほどのお方とは是非、
言って、リオが小さく肩をすくめる。
「そういうことでしたら。もとより私もハルト様とは良き契約相手でありたいと強く思っておりますので……」
「ならば話は早い。私もリッカ商会の商品に関する秘密を他言しないことを誓いましょう。そこから派生して何かを詮索する真似もいたしません」
「……私としてはありがたいお話です。ですが、本当にお
「ええ、近隣諸国にも名を馳せる大商会の秘密など、私の手に余りますからね。知ったところで何ができるというわけでもありません」
リオが苦笑しながら
リーゼロッテはいたずらっぽく笑みを浮かべると、
「それは残念です」
と、そう告げたのだった。
これまでに何度かご要望がございましたので、シュトラール地方の地図を描いてみました。
ペイントすらほとんど使ったことがないので、未熟な点や作中との矛盾点があるかもしれませんが、イメージの参考になれば幸いです汗
なお、あまりにもひどい場合は修正して掲載し直すことがありますので、そちらもあらかじめご了承ください。