第100話 夜会二日目 後編
歓迎されない来客の訪問に、ホールの中がドッと騒がしくなる。
「こっちだ!」
「こっちにもいるぞ!」
賊が現れたのは二か所、二グループであった。
ある者達は扉から、ある者達は窓の外から、敏捷な身のこなしで次々とホールの中に侵入していく。
その顔には白い仮面を、その身体には黒い装束を着用している。
「うわぁぁぁぁ!」
瞬く間にパニックに陥る付近の貴族達。
波のように混乱が伝播していく。
「来るな!」
「逃げろ!」
我先に逃げようと押し合い、会場の中がごった返す。
「お静かに!」
「通してください! 賊を撃退します!」
人垣に押されて、ホール内を巡回していた警備の騎士達も満足に動くことはできないようだ。
騎士達は非常時に備えて訓練を行っているが、会場にいる多くの貴族はそうでない。
もちろん中には戦闘訓練を受けていたり、箔付けに軍役に就いていたことがある者もいるが、それらは少数派である。
パニックを起こした群衆が合理的に動かないことなど自明であり、有事の際に対処が後手に回らざるをえないのは必然であった。
そもそも城の警備をすり抜け、何の前触れもなく会場の中にまで部外者が押し寄せることが異常なのだ。
異常事態が起きても未然に防げるよう、厳重な警戒態勢は会場の外に敷かれているのだから。
出席者は厳重に管理され、見栄えの関係から会場の中には必要最小限の騎士が配備されているだけである。
となれば、内通している者が存在して、賊を招き入れたと考えるのが自然だろう。
だが、今は犯人を明らかにする場合ではない。
「計画通りに行動しろ。散開!」
各グループのリーダーと思しき人間が号令し、賊が二人一組になって散り散りになっていく。
こんな大それた犯行をしようとしているのだ。
選りすぐりの手練れ達が、あらかじめ状況をシミュレートし、訓練を行ってきたのだろう。
ゆえに、その行動に迷いは一切感じられない。
今は混乱により生じた一瞬の隙を突かれただけ――。
もたもたしていれば警備の騎士達が自由を取り戻し、賊の迎撃に回るのも時間の問題である。
しかし、賊達にとってはこの僅かな時間が勝負どころであった。
常人を軽く凌駕する身体能力で、賊達が一直線にホールの中を駆け抜ける。
「ひぃぃ!」
賊達の進行を手助けするように、貴族の人垣が綺麗に割れていった。
騎士達は貴族の波に押され、賊達は出来上がった道をすいすいと走り抜けていく。
中には何とか人垣を抜けて、賊の進行を妨げようとする騎士もいたが、
「がっ」
胸を賊のナイフで一突きされ、地面に倒れる。
なまじ個々の戦闘能力が高いだけに、独自の裁量で動き回っていた騎士達であったが、今はそれが災いしていた。
一人の騎士に対して二人一組の賊が完璧に連携していくため、局地的な多勢に無勢を強いられる形になっているのだ。
しかも賊一人一人の戦闘能力は騎士と互角以上である。
そうして人ごみを抜けた少数の騎士も邪魔になるようであれば迅速に処理されていく。
ちなみに、ガルアーク王国の会場警備隊を除いて、ホール内には武器の持ち込みがすべて禁止されている。
といっても警備の騎士達が持っている武器も非殺傷を前提とした棍棒とナイフだけだ。
長物は人ごみの中で振り回しにくいというのもあるが、これは原則として捕縛することを念頭に置いているからである。
事前に十分なシミュレーションとトレーニングを積んだ手練れの賊達に対し、混乱を突かれた防衛側が圧倒的に不利なのは明らかであった。
賊達は騎士達が満足な対応をしてくるまでの僅かな時間を有効に活用し、全力で目的地へと駆けている。
彼らが向かう先は――、
「お、おい、連中こっちに向かってきてるぞ!」
弘明が上ずった声で叫んだ。
そう、賊達はリオ達がいる場所に集結しつつあった。
(狙いはこの場にいる人間か?)
リオは瞬時にそう当たりをつけた。
とはいえ、狙われる理由がある人間を特定するには候補が多すぎる。
大国の王族達か、勇者である弘明か、あるいは大貴族の娘でありリッカ商会の会頭でもあるリーゼロッテか。
迷うそぶりも見せずにピンポイントに向かってくるあたり、密かに目当ての人物の動向を監視していたのかもしれない。
「な、何だ? 警備の兵達は何をしている?」
ヒステリックな調子を帯びた声で、ミシェルが言った。
「お、お兄様」
シャルロットがおびえた様子でミシェルに寄り添う。
見渡す限り様々な方位から賊達が迫っていた。
「くっ! 全方向から来るぞ! 円陣を組め!」
付近で秘かに王族の警護をしていた騎士五名が円陣を組んだ。
ざっと見ただけでも、賊の数は軽く十人を超えている。
迎撃側の人数が不足しているのは明らかだった。
騎士達の表情に強い焦りの色が浮かぶ
「皆様は我々の後ろで一か所になって固まってください! 決してその場を動きませんよう!」
一人の騎士がそう言って、円陣の内部に避難するよう促す。
弘明と会話をしていたリリアーナのすぐ傍には、いつの間にかセントステラ王国の令嬢三人が接近していた。
「リリアーナ様、こちらへ」
「は、はい」
セントステラ王国の令嬢が落ち着いた声で呼びかけ、リリアーナを円陣の中心部へと連れ込む。
そこには既にミシェル、シャルロット、リーゼロッテ、リオの四人がいた。
「じょ、冗談じゃねぇ! どーすんだよ。うじゃうじゃ来てるぞ!」
一方で、弘明はその場に立ちつくし、顔面蒼白になって叫んだ。
明確に敵意をもって迫りくる賊達。
時折、気まぐれに行っていた接待染みた模擬戦とは訳が違う。
そもそも弘明がこの世界に来てから本気で戦闘訓練を行ったことはなかった。
日本に暮らしていた時だって何か武道を習っていたわけではないし、暴漢に襲われたこともない。
言うならばこれが彼にとって生まれて初めての実戦。
勇者になって特殊な力を得たとはいえ、刃物を持った相手が一斉に迫ってくれば恐怖を覚えない方がおかしいだろう。
「ヒ、ヒロアキ様。この場にいては騎士の方々の邪魔になります。早く後ろへ避難しましょう」
フローラが慌てて呼びかけるが、弘明は硬直したままだ。
視界は極端に狭まり、足が震えている。
フローラの言葉なんて聞こえていやしない。
「リーゼロッテ様は王族の方々と一緒に後ろへ。私は騎士の方々の援護に回ります」
リオが落ち着いた声でリーゼロッテに言った。
発言と同時に前へと踏み込む。
別にこの場にいる王族達を護衛する義理などないが、王族を見捨てて自分一人だけ逃げ出せば後で何を言われるかわかったものではない。
それに護衛の騎士達による防衛ラインを抜かれれば流石にリオも戦わざるをえなくなる。
だが、防衛ラインを抜かれた状態で戦えば混戦になるのは必至だ。
ならば自分から先に打って出た方が状況は幾分かマシになる。
そう判断してのことだった。
「っ、ご武運を!」
リーゼロッテがリオの背中に声をかける。
リオの強さを実際に目にした彼女からすれば、防衛に回ってくれるのはとても心強い。
「これから我々で『
と、セントステラ王国の令嬢が言った。
「私も手伝いましょう」
すかさずリーゼロッテが名乗り出る。
『
防御性能は込めた魔力と展開面積に左右され、持続して使用するには魔力消費量が多く、使いどころが難しい魔法であった。
だが、援護の騎士が到着するまでの時間稼ぎが必要な今の状況には相応しい魔法だろう。
四人で薄く広く展開すれば簡易バリケードになる。
「ヒロアキ様! フローラ王女! はやくこちらへ!」
もたもたしている二人を見かねて、リーゼロッテが叫んだ。
弘明の身体がびくりと震える。
ちらりと背後を見ると、まとまって避難している者達の姿が見えて、
「に、逃げろ、逃げろ!」
と、弘明が身を
「きゃ!」
振り向き際に弘明とぶつかり、フローラが姿勢を崩す。
その時、すぐ傍では既に戦いが始まっていて――。
☆★☆★☆★
「助太刀します。連携はできませんので、遊撃要員として」
王族達を守るように円陣を組んでいた騎士達の隙間に潜り込むと、リオが手短に言った。
リオが入ったことによりカバーできる範囲が広がる。
「っ、助かります!」
間に入られた左右の騎士二人の顔に歓喜の色が宿る。
「俺は目の前に来た二名を」
リオはそれだけ言い捨てると、踏み込んで目の前に迫っていた賊二人との距離を詰めた。
もちろん精霊術でこっそりと身体能力を底上げすることは忘れていない。
「弓!」
二人一組で行動していた賊の一人が叫んだ。
彼らはどこにも弓など装備していない。
(フェイク? 仕込み武器? いや――)
次の瞬間、賊二人が縦一列になって――、
「ふっ!」
先頭に立った賊が右手でナイフを突きだした。
が、リオが冷静に左手で払いのける。
そのまま流れるように身体を動かし、右手で相手の腹部に強烈な打撃を打ち込んだ。
「っが……はっ」
男の口から声にならない悲鳴が漏れ、その身体が崩れ落ちる。
と、同時に、すぐ後ろから次の賊がスッと姿を現し、襲い掛かってきた。
二段構えの必殺コンビネーションなのだろう。
おそらく「弓」という号令はあらかじめ決められたフォーメーションの合図と判断した。
倒れた男の背後から放たれた追撃が不意打ちとなってリオに襲い掛かる。
その手にはナイフが握られていた。
心臓をめがけた死角からの強烈な突き。
当たれば即死は免れないだろう。
だが、リオは焦ることなく、少しだけ身体を横にずらした。
賊の放った突きがスレスレの位置で空を切る。
「なっ!」
仮面の下から漏れる驚愕の声。
リオは側面に位置をとり、素早く賊の手を掴み捻った。
そのまま身体を引っ張り、足を引っ掛けて体勢を崩すと、賊の身体をくるりとひっくりかえす。
宙で回転した賊の胴体に肘を打ち下ろすと、
「がぁ……っ」
賊の身体が勢いよく地面に叩きつけられ、意識を失った。
接敵からここまで僅か数秒の出来事である。
既に何人か援軍が来ているようだが、一人で賊と戦っている者もいる。
リオの左側にいた騎士がまさしくそうであった。
相対した賊二人のうち何とか一人目を撃退したようだが、騎士の右腕にはナイフが突き刺さっている。
(援護するのはこっちか)
瞬時に判断し、リオが横から加勢しようと思ったその時、
「きゃ」
右腕を刺された騎士の背後で、フローラが弘明とぶつかり姿勢を崩した。
弘明は振り向き際にフローラにぶつかったことに気づかず、リーゼロッテやセントステラ王国の令嬢達が築いている最終防衛ラインの中に避難していく。
「くっ、限界です! 防壁を張ります。『
弘明が駆け込んできた直後、セントステラ王国の令嬢達とリーゼロッテは『
避難していた王族達と弘明を囲うように魔力の障壁が展開される。
「ちっ」
舌打ちをして、騎士の防衛ラインを突破した賊数名が後一歩というところで足を止める。
展開面積が広いことから障壁を壊すことはさほど難しくはないが、それでも時間は消費してしまう。
その間に追撃の騎士達が迫って来てしまった。
一方、その頃、
「ぐっ」
背後から聞こえたフローラの悲鳴に一瞬だけ、負傷した騎士の意識が奪われてしまった。
その隙を突いて、対面していた賊が負傷した騎士を思いきり突き飛ばす。
「きゃっ」
騎士の身体がフローラにぶつかり、二人して倒れこむ。
『
(一先ず狙いを彼女に絞ったか)
負傷した騎士を突き飛ばした賊も含めて、計四人の賊が無防備に倒れるフローラを確保せんと接近する。
一番近くにいるのは騎士を突き飛ばした賊だった。
「っ!」
後一歩というところでリオに邪魔をされ、賊の男が息を呑む様子が伝わってきた。
怯んだ隙に相手の装束を掴んで、リオが男の体勢を崩す。
そのまま右手後方から近寄っている一人の賊にめがけて、思い切り男の身体を投げ飛ばした。
とんでもない勢いで男は吹き飛び、見事に接近していた賊の身体にヒットする。
「ぐあっ」
ぶつかった衝撃を支えることができず、二人の賊がまとめてリーゼロッテの展開する魔力障壁に叩きつけられ崩れ落ちる。
リオはサッと身を反転させて、左側からフローラに襲い掛かる二人の賊に向き直った。
強く地面を蹴って、フローラと賊二名の
「相手をするな」
一人がそう言うと、賊達は迷うことなく左右に分断した。
リオがどちらか一人に対応している間に、もう一人がフローラにたどり着こうという作戦だろう。
「私が盾になる! 君は構わず一人に狙いを定めてくれ!」
と、フローラと一緒に倒れてしまった騎士が叫んだ。
文字通り身体を張って賊の一人を食い止めるつもりなのだろう。
見上げた騎士道精神である。
そんな心意気はリオにはないが、感心はした。
同時に死なせたくないとも思う。
「っ……」
リーゼロッテが『
相手は高速で走り回っているため、外す可能性の方が高いのだ。
隙間ができてリーゼロッテの場所から賊がなだれ込んできては元も子ない。
「リーゼロッテ様はそのまま『
そう叫ぶと、リオは迷わず一人の男に狙いを定めた。
リーゼロッテの顔から悩みが消える。
「ふっ」
フローラの護衛を諦めたのかと、狙われた賊が勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
だが、その次の瞬間、
「なっ?」
賊の視界からリオの姿が消え去り、驚愕の声を漏らした。
実際にはリオが素早く地面すれすれの位置まで潜り込んでいただけなのだが、僅かとはいえ油断した男にはリオの姿が消えたように見えたのだ。
その隙にリオが相手の片足を強引に掴み取る。
そのまま精霊術により強化した腕力をもって無理やり足をすくうと、男をもう一人の賊に向けて投げ飛ばした。
「はっ」
先ほど似たような手で吹き飛ばされた賊達の姿を見ていたのか、賊は余裕をもって飛んできた男を避けた。
だが、それによってフローラへと近寄るのが遅れてしまう。
その間にリオが賊に近寄り、進路を妨害してしまった。
「ちっ」
分散してフローラを狙う目論見が阻止されたことで、賊の男が小さく舌打ちした。
二人が数歩ほどの距離で向かい合う。
「計画は失敗したようだな。他の連中も半数以上が捕縛されたみたいだし、投降したらどうだ?」
と、リオが冷たい声で尋ねる。
「任務を果たせぬ時点で我らに待っているのは死のみだ!」
叫ぶと同時に、賊がリオめがけて突進してきた。
まさしく玉砕覚悟である。
ナイフを用いた目にも留まらぬ三連撃。
胸、腕、腹。
切り裂かれた空気がヒュッと風切音を鳴らす。
リオは素早く手を踊らせ、そのすべてを鮮やかにいなした。
「くっ」
男の口から苦しそうな声が漏れる。
今の攻撃は男が放てる全力の攻撃であったが、リオにはまだまだ余裕が感じられるではないか。
が、その時、周囲の状況を確認するためか、ちらりとリオが視線を動かした。
(若いな! 油断したか!)
その隙を賊の男は見逃さない。
瞬時に間合いを詰め、リオの胸を突き刺そうとした。
しかし。
リオは最初から攻撃が来ることを予期していたかのように、ナイフを握っていた男の拳を跳ね上げた。
「なっ!」
男が唖然とする。
そのままリオに手を絡め取られると、手首を捻られ、思わずナイフを手放す。
どういうわけか、そのまま体の動きを制され、あっという間に地面にひっくりかえってしまった。
リオは倒れた男を抑え込むと、
「終わりだ」
と、戦闘の終了を告げた。
「くそっ」
それでも賊の男が暴れようとする。
しかし、リオが首筋に手刀を叩き込むと、かくんと崩れ落ちた。
リオがすくりと立ち上がる。
(……後は大丈夫そうだな)
周囲の戦況を判断して、リオはもはや自分の出る幕はないと判断した。
増援の騎士達が集結し、周辺にいた賊達はあらかた地面に伏している。
結局、王族は一人も害されることはなかったようだ。
あとはこの国の人間に任せて、生け捕りにされた賊達から事情を聴取し、情報を吸い出すだけなのだが、
「がっ……あっ!」
突如、リオが気絶させた賊が苦しみだした。
「おい。大丈夫か?」
慌てて声をかけるが、賊の男は胸を押さえて、小刻みに身体を
リオが男の容体を確認し始めるが、呼吸は停止し、瞳孔は開きっぱなしになっており、心臓も鼓動していない。
おそらくだが、死んでいる。
どうして?
致命傷になる攻撃は与えなかったはずだ。
となれば、何らかの内的あるいは外的な要因があったと考えるのが自然である。
リオは傍に落ちていたナイフで素早く男の衣類を切り裂いてみた。
すると、男の胸のあたりに、複雑な術式が刻まれているのを発見する。
「これは……禁呪か……?」
禁呪――、使用を禁止され、研究すら重罪として処罰される封印指定の魔術、中には存在すら知られていないものもあるが、いずれも効果は悪質なものばかりである。
男の身体に刺青のように刻まれた術式が本当に禁呪であるかどうかは知らない。
だが、その効果は禁呪に指定されていてもおかしくはないくらいに危険な魔術であった。
ちなみに、肉体に術式を取り込んで術者が任意に魔術を発動させる技法を魔法と呼ぶが、術式を取り込むのは肉体の内部である。
肉体の表面に刺青として術式を刻みこんで魔術を発動させる場合は魔法にカテゴライズされない。
「…………」
数秒ほど厳しい顔つきで賊の亡骸を見つめると、リオは小さく息を吐いて周囲を見渡した。
どうやら他の場所でも一斉に賊達が苦しみだしたようで、既に戦闘は終了したようだ。
騎士達はいきなり絶命した賊達を唖然とした表情で見つめている。
「あの、大丈夫ですか? 痛みはとれましたか?」
リオのすぐ傍でフローラの声が響いた。
どうやら負傷した騎士に『
いつの間にかリーゼロッテが寄り添い、無防備なフローラを守るように周囲を警戒している。
「はっ、この程度の傷ならば……」
畏まった様子で騎士が答えた。
王族に手ずから治療を施してもらえる者などそうはいない。
緊張してしまうのも無理はないだろう。
「もう大丈夫です。ありがとうございました」
男性騎士はふらりと立ち上がると、緊張した動作で敬礼する。
「良かった……」
フローラがホッと息を吐く。
騎士の治療が無事に終了したことを確認すると、リーゼロッテはすぐにリオのもとへ駆け寄った。
「ハルト様。ご無事でしたか?」
無事なのは戦闘を見ていたからわかることだが、リーゼロッテは尋ねずにはいられなかった。
「ええ、私は見ての通り無傷ですよ」
答えて、リオが肩をすくめる。
「良かった。そちらの賊は……?」
「死んでいますね。胸に術式が直接刻み込まれていました。おそらくは禁呪の類ではないかと」
と、リオが自らの検分した情報を伝えた。
「そうですか……」
リーゼロッテが難しい顔を浮かべる。
続けて、真面目な顔つきに改めると、
「ハルト様、助かりました。貴方がいなかったらフローラ様だけでなく、ミシェル様、シャルロット様、リリアーナ様にも害が及んでいたかもしれません」
と、リーゼロッテがリオに向かって深々と頭を下げた。
「礼には及びません。パートナーの女性を護衛することも男性の務めでしょう?」
言って、リオが穏やかに頬を緩める。
リーゼロッテは僅かに目を丸くすると、
「私のパートナーがハルト様で本当に良かったです」
嬉しそうに微笑んで、そう言った。
「あ、あの、すみませんでした! 私のせいでご迷惑をおかけしてしまい……」
フローラがゆっくりと立ち上がり、申し訳なさそうに頭を下げた。
「そのような――」
リオが返事をしようとしたその時のことだ。
「フローラ、大丈夫だったか?」
弘明がやって来て、フローラの両肩をガッと掴んだ。
フローラの身体がびくりと震える。
「は、はい。ハルト様と騎士の方が助けてくださったので……」
「そんなことよりどうして転んだんだ? 心配したんだぞ?」
叱りつけるような口調で弘明が言った。
「す、すみません。私、昔から間が抜けていて……」
非難されたと思ったのか、フローラがしゅんとうつむく。
「あー、まぁ……無事だったから良かったけどな」
と、弘明が少しバツが悪そうな口調で告げる。
少なくとも我を失い逃げ出してしまったことは自覚しているのだろうか。
そんな彼らの寸劇を脇に、リオは他の賊達も死んでいるのかを確認しに行ってしまった。
「あ……」
リオにお礼を言いそびれたフローラが消え入りそうな声を漏らした。
「手伝います」
伏した賊達を一か所に集めていた騎士達に混ざって、リオも作業に加わった。
リオが倒した賊が六人、負傷した騎士が倒した一人、他にも七人の賊がいたようで、合計で十四人もの賊達が捕縛されたことになる。
「リーゼロッテもこっちに来いよ。まだ賊がいるかもしれないからな。後ろに下がっていれば安全だ」
近くでリオ達の作業を見守っていたリーゼロッテに弘明が声をかけた。
「いえ、私は……」
言って、リーゼロッテがリオを一瞥した。
だが、弘明は彼女の手を掴むと、
「いいから。無理をしなくていいんだ」
と、そう言って、くいっと腕を引っ張った。
「っ」
小さな痛みを感じて、リーゼロッテが微かに顔を歪める。
男である弘明からすればさして力を入れたつもりはなかったのだろう。
弘明がリーゼロッテの表情が変化したことに気づくことはなかった。
「は、はい」
結果、やむを得ず弘明に手を引かれるがまま、リーゼロッテは後ろへ下がることにした。
「しかし……すさまじい捕縛術でしたね。訓練された手練れの賊を六人も相手にして素手で圧倒するとは……」
と、腕を負傷した騎士がしみじみと語った。
六人という数字は賊の半分近くである。
「ははは、下手に援護しては邪魔になりそうな勢いでしたな」
「素晴らしい活躍でした。貴方がいなければ取り返しのつかない被害が出ていたことでしょう」
「その歳でそれ程の腕が立つとは才能だけでなく修練も積まれているのでしょうな」
リオの戦闘を見ていた騎士達がわやわやとその武功を称賛し始める。
騎士達は皆若いが、リオよりは年上の男達である。
だが、その口調には強い敬意がこめられていた。
すると、そこへ、
「ハルト君!」
と、リオの名を呼ぶ女性の声が響いた。
リオのことを君付けで呼ぶ女性などそうはいない。
というよりも思い当たる候補は一人しかいなかった。
振り返るよりも前に声の主を特定すると、
「サツキ様、無事だったんですね」
リオが柔らかな口調で言った。
沙月が不安そうな表情でリオに迫る。
「私は襲われていないもの。大丈夫よ。そんなことよりハルト君こそ、大丈夫だった? 怪我とかしてない?」
おそるおそるリオの身体を触りながら、沙月が焦燥した様子で尋ねる。
「ご覧のとおり無傷です」
「そっか、良かったぁ」
リオの両腕を掴み、沙月がほっと息を吐く。
一気に力が抜けてしまったようだ。
そんなに自分を心配してくれたのだろうかと、リオは少しだけ目を
「もう、心配させないでよ」
「すみません」
リオが苦笑して謝る。
「ははは、姫様の登場ですな」
と、傍で二人のやり取りを見ていた騎士の一人が言った。
周囲の騎士達も賛同するようにどっと笑い始める。
「ち、違いますから! そういうのじゃありませんから!」
沙月が顔を赤くして否定した。
鎮圧も終わってすっかり緊張の糸が切れたのか、つい先ほどまで襲撃者が現れたとは思えないくらいに和やかな空気が出来上がっている。
警備の者達からはともかく、出席していた王侯貴族から目立った被害が出ていないのも影響しているのかもしれない。
賊の目的が王族に絞られていたおかげか、襲撃者を除いて奇跡的に死者もゼロである。
だが、襲撃者達に限れば死人が出た事態であるのも事実であった。
「えっと、それでこの人達は……?」
落ち着いたところで、ちらりと地面に伏した賊達の亡骸を見やり、というよりも必然的に視界に入り、いたたまれない表情で沙月が尋ねた。
仮面を取られ、苦しみに満ちた形相で地面に転がる姿を目の当たりにし、冷や水を浴びせられたように思考が冷静になったのだろう。
「残念ながら……」
リオが小さく
「そっか……」
沙月は顔を曇らせ、一瞬、泣きそうな顔を浮かべた。
十人を超える
これだけ生々しい死体を見るなんてこれが生まれて初めてのことである。
怖くなったのか、沙月はぎゅっとリオの服の袖を掴みだした。
「行きましょうか」
間に入って沙月の視界を遮ると、リオが優しく語りかけた。
「うん……。ごめん。ちょっとだけ、腕借りてもいい?」
青ざめた顔で沙月が
勇者をやっていれば、やがて死体を見慣れることになるかもしれない。
そんな当たり前のことは沙月も理解していただろう。
しかし、日本で平和に暮らしてきた十七歳の少女に対して、理解から進んで、いきなり受忍まで求めるのも酷な話である。
想像と現実とではまったく違うのだから。
「はい」
頷き、それ以上は何も言わず、リオはそっと腕を差し出した。
「ありがとう」
沙月がそっとリオの腕を掴む。
「沙月先輩」
うつむき気味になって歩き始めると、目の前で沙月の名が呼ばれた。
沙月がゆっくりと顔を上げる。
そこには千堂貴久が立っていた。
隣には怯えた様子のリリアーナがそっと寄り添っている。
沙月とは別に真っ先にリリアーナの安否を確認しに行ったのだろう。
「えっと、貴久君……大丈夫なの? ちょっと顔色が悪いけど」
「大丈夫です。その、彼が……そうなんですか?」
青ざめた顔で貴久が尋ねた。
だが、
そういった表情だ。
「うん」
沙月がこくりと頷く。
「そう、ですか……」
貴久の瞳が小さく揺れる。
その心の内にどのような感情を秘めているのか。
リオにはわからなかった。
「どうも、初めまして。千堂貴久といいます」
名乗りをあげて、貴久がぺこりと頭を下げた。
「ハルトと申します。初めまして」
リオも簡単に自己紹介を返す。
それからすぐにその日の夜会は中断されることが知らされた。
最終日となる明日の夜会が開催されるかは追って知らせるとのことだ。
こうして自己紹介以上の会話をすることはなく、リオと貴久との初会合は終わりを迎えることとなった。