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精霊幻想記(Web版) 作者:北山結莉

第五章 思い描いた未来の先で

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第99話 夜会二日目 前編

 シュトラール地方の最東端に位置するガルアーク王国。

 その近隣に位置する大国が三つ――、西のベルトラム王国、南のセントステラ王国、北西のプロキシア帝国である。

 ガルアーク王国、ベルトラム王国、セントステラ王国が長い歴史を持つ大国であるのに対し、新興国家であるプロキシア帝国はシュトラール地方北部に乱立していた小国家群を次々と侵略し、その規模を急速に拡大した。

 これを見かねたベルトラム王国並びにガルアーク王国という二大国が同盟関係を結んで牽制を図り、国際的なパワーバランスが膠着こうちゃくし、緊張状態が生まれたのがここ数十年の話である。

 ところが、最近になってベルトラム王国内でクーデターが起きたことでその国際関係に刺激が加えられることになった。

 しかもそのクーデターの背後にはプロキシア帝国の陰が見え隠れしていたという情報もまことしやかに世間に出回っている。

 ガルアーク王国王政府が現ベルトラム王国王政府に見切りをつけ、フローラを盟主に添えた『レストラシオン』を迎え入れたのがクーデターの起きた直後のことであった。

 それゆえ、現在のシュトラール地方東部は火種が燻った状態にある。

 シュトラール地方の北東部には多くの小国家が存在しているが、これらの国にとって昨今の国際状況は決して他人事ではない。

 仮に本格的に開戦されれば巻き込まれることは必至で、現に大国の代理として小競り合いを繰り広げてきた小国も中にはある。

 そんな国際世情の中で開催されたガルアーク王国主催の夜会、そして勇者である沙月のお披露目は、近隣の小国からも大きな注目を集めていた。

 今宵、夜会に招かれた小国はいずれもガルアーク王国の息がかかっている国であり、現在、会場となるホールの中では各国から招いた外賓の紹介が行われている。

 基本的に格下の国が各上の国の夜会に招かれた場合には、大使として王族を寄こすのが慣例的なマナーとなっており、現在ホールで紹介されている者達はいずれも王族ばかりであった。

 ちなみに紹介の順番は国力の強弱や外交関係によって暗黙の内に決められている。

 そうして各国から来場している王族達が壇上で順次紹介されている中で、とある小国の王女が紹介される番となった。


「ルビア王国、第一王女殿下、シルヴィ様のご入来となります!」


 と、紹介役の騎士が告げた瞬間、ホール内にいる貴族達がざわめきだす。

 その直後、壇上の扉から一人の少女が姿を現した。

 背後には五人の従者達を引きつれている。


「っかー! 姫騎士キタコレ! マジモンだよ! やっぱファンタジー世界に来たんだから姫騎士を見ないとなぁ」


 と、異様なテンションで舞い上がっている人物が壇上の裏で一名待機していることはさておくとして、ホールの中にいる貴族達の視線は紹介されたばかりのシルヴィ王女に寄せられた。


「姫騎士シルヴィ王女殿下のご登場ですか」

「何とも凛々しいお方ですな」

「ええ、勇者サツキ様にも引けを取らないようにお見受けします」

「戦場の花を飾るに相応しい秀麗なお方であらせられる。兵達の戦意高揚にはうってつけでしょうな」


 などと、男性陣の噂話も他の小国の王族が紹介された時よりも幾分か熱が入っている。

 なお、一部の若い少女の中には熱い視線を送っている者もいた。

 シルヴィ=ルビア、小国ルビア王国の第一王女として生まれた少女であり、その見た目から年齢は十代後半といったところである。

 女性にしてはすらりと高い身長、美麗で凛々しい顔立ち、肩まで伸びたブロンドヘア――、実に人目を惹きつける魅力に溢れた人物だ。

 妙齢の女性らしい柔らかな身体つきをしているが、その身のこなしからはどこか力強い武人めいた雰囲気が感じとれる。

 身に着けている純白のドレスには武骨とも見えるシンプルな黒の装飾が施されており、腰に帯剣でもすれば儀礼的な戦装束になりそうであるが、それが彼女の雰囲気に良く似合っていた。


「皆様、随分と賑わっていらっしゃいますね。シルヴィ王女殿下には何か人気の秘訣があるのでしょうか?」


 と、世間話程度の関心を抱いた様子で、リオがリーゼロッテに尋ねた。

 おや、と、リーゼロッテがリオに視線を向ける。


「ハルト様はご存知ありませんでしたか。シルヴィ王女殿下は近隣諸国では名の知れたお方なのですよ。その最大の理由が王族でありながら騎士としてお振る舞いになられていることです。普通の国では少し考えにくいことなのですが、姫騎士と呼ばれて親しまれていらっしゃるようですね」

「なるほど……。騎士として振る舞われるお姫様がいらっしゃったとは、寡聞かぶんにして存じませんでした」


 と、リオが興味深そうに言う。

 人気の秘訣は物珍しさもさることながら、シルヴィが誇る美貌や風格によるところも大きいのかもしれない。


「腕の方はかなりのものと伺ったことがありますが、英雄的な活躍をしているというわけでもありませんからね。貴族として社交界に関わっていなければお聞きになられたことがないのも無理はないかと」


 二人がそんな話をしている間に、紹介が終わったシルヴィは壇上の隅へと移動していた。

 それからも幾つかの小国の王族が紹介され、いよいよ大国からの外賓を紹介する番となる。

 紹介されるのは初日から出席している現ベルトラム王国特別政府である『レストラシオン』の首脳陣と、二日目から出席することになったセントステラ王国の大使達だ。


「セントステラ王国よりお越しくださいました。勇者タカヒサ=センドウ様、並びにリリアーナ第一王女殿下のご入来となります!」


 最初に紹介されたのはセントステラ王国の面々であった。

 普段は他国との交流を控えている国の登場ということもあり、会場にいる者達が大きな関心を寄せ始める。

 今か今かと大使達が壇上に姿を現すのを待っていると、ようやく入り口となる扉が開いた。


「おお!」


 壇上の扉から姿を現した二人の男女に、会場にいる者達の視線が釘付けとなる。

 リオもスッと目を細め、壇上にいる少年――千堂貴久の姿をその目に収めた。


(彼が……)


 どこか見覚えのあるのは気のせいではないだろう。

 会ったことはない。

 話したこともない。

 だが、少しだけではあるが、遠目から見たことはある。

 その時の記憶は今も色あせることなく、リオの脳裏に鮮明に焼き付いていた。


「彼がセントステラ王国の勇者殿ですか。実に見栄えのする青年ですな」

「ええ、堂々としていて、覇気を感じます。加えて容姿も良いとくれば非の打ちどころがない」


 ホールの各地で勇者である貴久を見定めるような会話が繰り広げられる。

 貴久がその身に纏っているのは青を基調に白銀の意匠を凝らした儀礼服であった。

 身長は百七十センチ後半と、僅かにリオよりも低い程度か。

 はっきりと整った顔つきをしており、短髪の髪を爽やかにセットし、胸を張って会場にいる者達に笑顔を振りまいている。

 その姿はまさしく好青年や貴公子といった表現が相応しい。


「それにしても……セントステラ王国の王女殿下は実にお美しい方ですな」

「ええ、美姫とは聞いていましたが、まさかこれほどとは……」


 一方で、貴族達の視線は貴久の隣を歩く少女にも向けられていた。

 リリアーナ=セントステラ――、セントステラ王国の第一王女であり、貴久のパートナー兼世話役として同行した人物だ。

 輝くような金髪のロングヘア、淡く薄い黄色のドレス、おっとりとした優しい顔立ち、育ちの良さを感じさせるお淑やかな所作はまさしく理想の美姫を体現していると言っても過言ではない。

 外見的な美しさだけならばフローラも決して引けはとらないが、彼女と比べてどこか堂に入った社交的な存在感をリリアーナは醸し出している。

 その天使のような可憐さに会場にいる男性貴族達は揃って息を呑んでいた。


「それにしても同行している者達も皆可愛らしい淑女ですな」

「ええ、実に花がありますな。いやはや何とも……」


 貴久とリリアーナの背後には十人にも及ぶ配下が控えているが、そのほとんどが年若い少女達であった。

 他国の大使として王族に同行している者達が男性ばかりであることと対比するとかなり目立つ。


「続きまして、ベルトラム王国特別政府『レストラシオン』、勇者ヒロアキ=サカタ様、並びに、フローラ=ベルトラム第二王女殿下のご入来となります」


 紹介を受けて、弘明とフローラを始めとする『レストラシオン』の首脳陣が姿を現した。

 が、昨晩の内に紹介を済ませてしまったことや、貴久とリリアーナの登場により、完全に注目を奪われてしまった形になる。

 会場のざわめきは昨日ほどのものにはならなかった。

 弘明が少し不満そうに唇をムッとさせて会場を見渡す。

 続けて、いまだに注目を浴びている貴久を睨むように視線を送る。

 すると、リリアーナが視線に気づき、にこりと弘明に笑みを送ってきた。


「っ……」


 弘明がハッと目を丸くして、しかるのち顔を赤らめて硬直する。

 にへらとだらしない笑みを浮かべると、小さく会釈した。

 それから、隣にいるフローラのことも忘れて、弘明がちらちらとリリアーナに視線を送る。

 沙月とガルアーク王国の王族が姿を現すと、夜会の二日目が正式に始まりを迎えた。


 ☆★☆★☆★


 夜会も始まり、歓談の時間に入り込んだ頃。


「ハルト君」


 どこからともなくそそくさと姿を現し、沙月がリオに話しかけた。


「これはサツキ様」


 驚いたような表情を浮かべて、リオが恭しく頭を下げる。


「ご機嫌麗しゅう存じます、サツキ様」


 リーゼロッテも可憐に挨拶を行った。


「御機嫌よう、リーゼロッテさん。少し彼をお借りしてもよろしいでしょうか?」


 と、沙月が単刀直入に用件を切り出す。

 今は少しばかり予想外の事態が発生している。

 もともと沙月がリオに話しかける予定にはなっていたが、貴久の件で話し合っておく必要があると考えているのだろう。


「はい。もちろんですが、お二人は随分と親しくなられたのですね?」


 リーゼロッテが意外そうな顔でいた。


「はい。彼の両親が暮らしていた故郷の話をお聞きしたのですが、話しているうちにちょっと意気投合しちゃいまして。昨日はあまり話すこともできませんでしたし、もう一度お話をしたいなと思っていたんです」


 と、沙月が笑顔で答える。


「ハルト様のご両親が暮らしていた故郷のお話ですか。……その、よろしければ私もお聞かせ願えませんか? 異邦の地には私も少し興味がございまして」


 うかがうようにリーゼロッテが尋ねた。

 リオと沙月が何を話したのかはもちろん気になるが、無遠慮に他人の会話の内容を詮索するのは淑女の振る舞いではない。

 とはいえ、指をくわえて二人が親密になる様を眺めていられるほど、リーゼロッテという少女は慎ましやかな性格をしていなかった。

 ならば自分も会話に加えてもらえるようお願いしようと思い至ったというわけだ。

 それにこの夜会の期間を利用してリオと親しくなっておきたいという気持ちもある。


「え? ああ、そうですね。えっと……」


 返事に困り、沙月がちらりとリオに視線を送った。


(……俺にどうしろと?)


 リオが笑みを貼りつけたまま視線を受け止める。

 ここでリーゼロッテに付いてこられると、本題を話すことができず困ってしまうのは明らかだが、まさか素直に「ご遠慮ください」と伝えるわけにもいかないだろう。

 この程度の頼みを拒否する上手い理由も即座には思いつかなった。

 となればリーゼロッテの頼みを受け入れるのが自然な流れだ。

 ただ、沙月と情報を共有して今後の方針を検討したいのは事実である。

 とくれば、別な口実を適当に作って、僅かでもいいから時間を作るしかない。

 そう判断して、


「ええ、大した話をできるわけでもありませんが、私は構いませんよ。ご興味がおありでしたら是非」


 リオが一先ず快く承諾する。

 沙月もそうせざるを得ないことを理解しているようだが、少しもどかしそうな表情を浮かべていた。


「ただ、その前に昨日サツキ様から個人的に尋ねられた件でお話をしてもよろしいでしょうか? 少しばかりプライベートに関わる話でして。長くとも二、三分で終わると思うのですが……」


 リオが申し訳なさそうに語って、小さく頭を下げた。

 そのままチラリと沙月を見やる。

 視線が重なり、沙月が一瞬だけ目を見開くが、


「えっと、そうね。確かに聞かれるとちょっと恥ずかしい……かも」


 少しぎこちない笑みを浮かべて即座に同意した。


「これは失礼いたしました。なら私は少し離れておりますね」


 口許に手を当て、上品に驚きを表すと、リーゼロッテが言った。

 今の話の流れで会話に加わろうとするのは、よほど神経が図太い人間か、話を全く聞いていなかった者くらいだろう。

 リーゼロッテは控えめに微笑んで言うと、数歩ほど距離を取った。


「ありがとうございます」


 リオと沙月が軽く頭を下げる。

 除け者にするような形になってしまい多少の罪悪感は覚えたが、素早くリーゼロッテから会話を聞かれない位置まで歩く。


「よくもまぁ咄嗟にあんな機転が利くわね。まったく白々しさを感じなかったわよ」


 と、沙月が半ば呆れのこもった声で言った。


「世知辛い世の中ですからね。処世術です」


 リオが苦笑して語る。


「お褒めの言葉は嬉しいですが、時間がありません。早速ですが本題に入りましょう」

「そうね。……もうわかっていると思うけど、セントステラ王国の勇者。彼が亜紀ちゃんと雅人君のお兄さんよ」

「ええ、知っています。もう彼とは接触を図ったんですか?」

「一応ね。でも美春ちゃん達のことはまだ話してないわ。キミの了承を得る必要があると思ったし、すぐ傍にお姫様がいて二人きりで話すこともできなかったから。簡単に顔合わせをして、また後でゆっくり話そうと言ってそれきり」

「そうですか……。俺としては沙月さんに教えて実兄である彼に教えない理由はないと考えています。もちろん慎重に事を運んだ方がいいとは思いますが」


 リオが緩やかな口調で語った。


「そうね。その通りね。私も同じ考えだけれど……」


 頷き、沙月が思案顔を浮かべる。

 続けて、数瞬の逡巡しゅんじゅんを経て、


「おそらく貴久君は三人と一緒にいたいと強く思うはずよ。彼は何というか、家族愛の強い子だから。亜紀ちゃんのことも雅人君のこともとても大切にしているわ」


 と、少し困ったように語った。

 それでリオは沙月が何を懸念しているのかを察する。


「美春さん達には国に所属した勇者と一緒に行動することの危険性を既に伝えたんですよね?」


 と、リオが尋ねた。


「……うん」

「なら後は当人が何を望むかですよ。貴久さんもその当人に含まれます。俺達が懸念していることを伝えて、彼を含めた当人達がどう思うのかに任せるしかありません。俺が沙月さんにしたことと同じです。美春さん達は沙月さんに会いたがっていましたから」


 言い聞かせるように、リオがゆっくりと語る。

 リオは千堂貴久という人間がどのような人物なのかをまったく知らない。

 だが、亜紀や雅人が慕っているのだから、悪い人間ではないのだろうと思っている。

 それに、何よりも、二人にとって貴久は兄なのだ。

 会うのが自然、会いたいと思うのが当然である。

 美春だってきっと会いたいと思っているに違いない。

 であれば、彼女達の再会を手助けしてやるのが自分の役目だと、リオは己の心に決めていた。

 まるで籠の中に鳥を閉じ込めているようで、理由をつけて本人達の意志を無視する真似はしたくなかったから。


「そう、よね。とりあえずは状況を説明して、美春ちゃん達に会ってもらうしかないか。ちょっと老婆心が強すぎたかな」


 語りながら、沙月が困ったように眉尻を下げる。


「キミにはまた迷惑をかけることになっちゃうけど、昨夜のように密会のセッティングを頼めるかしら?」

「もちろんです」


 微笑を浮かべて、リオがこくりと首を縦に振った。


「ただ、彼と二人きりでのコンタクトは俺よりも沙月さんの方がとりやすいはずです。そちらはお願いできますか?」

「それは構わないんだけど、夜会の最中は基本的にお姫様と一緒に行動しているみたいだからね。狙うとしたら昨日みたいにダンスの時間がいいかしら?」

「そうですね。あとは夜会が終わった後に同郷人同士でゆっくりと語らいたいとでも言えば時間は作り出せるかと。二人きりの面会が許されるかは別として、表だって友人同士の再会に水を差す真似はしにくいでしょう」

「そうね。そっちも後で試してみるわ。ゆっくりと喋れる時間が作れれば儲けものだし」


 言って、沙月がフフッとほくそ笑む。


「それでは話はここまでということで。できれば彼とダンスを踊った後に二人で声をかけてくれますか?」

「そこはお姫様のガード次第だけど、やってみるわ」


 そこまで語ると、二人が身をひるがえしてリーゼロッテに向き直った。


「お待たせして申し訳ございません。リーゼロッテ様。話が終わりました」

「そんなことはありませんよ。無理を言ってお話をお願いしたのは私なのですから」


 リーゼロッテが優しい声で告げた。

 リオが小さく会釈して応じる。


「では、私の両親が暮らしていた故郷の話をいたしますね」


 それからリオは沙月とリーゼロッテにヤグモ地方に関する話をすることにした。

 語った内容は表面的な情報だけであったが、沙月もリーゼロッテも特に興味を抱いた話が食文化に関する話である。


「主食となる穀物は稲と呼ばれる植物の種を脱穀したものですね。他にも穀物を発酵させた液体や固形物を調味料として使ったりしています」


 と、リオが語る。

 言うまでもなく、これらは米、醤油、味噌である。

 沙月とリーゼロッテの目に好奇の光が灯った。


「……たぶんだけど私の祖国にあった食材と同じ物な気がする」


 沙月がぼそりと言う。


「そうなのですか? 米、醤油、味噌という食材なんですよ。米は炊いて食べるのが一般的ですが、他の食材と一緒に炒めて味を付けたりすることもできます」


 と、リオがカラスキ地方の言語でそれらの固有名詞を発音する。

 神装により特殊な翻訳能力を与えられている沙月は即座にその意味を日本語として理解した。


「ああ、やっぱり! 同じよ。この世界にもあるんだ」


 沙月がパッと明るい表情を浮かべる。

 もしかしたらこの世界でも和食が食べられるのではないかと期待したのだが、


「残念ながらシュトラール地方では流通していない食材なんですけどね」


 リオが苦笑してその希望を潰す。

 落胆の色を隠せず、がくりとうな垂れた沙月であったが、


「……あの、リーゼロッテさんが経営している商会でそういった商品を扱っていたりは?」


 尋ねて、すがるような視線をリーゼロッテに送った。


「……おそらくですが穀物の種を加工した食材については心当たりがあります。ただハルト様が仰いましたような調理方法――炊いて食べられている食材ではありませんね」


 リーゼロッテが残念そうに首を左右に振った。

 実を言えば、一時期、リーゼロッテもこれらの食材を得ようと腐心したことがあったりする。

 まず、広大なシュトラール地方を探して、米だけは何とか見つけることができた。

 シュトラール地方では主穀の中でも麦類の栽培が盛んであり、稲の栽培はごく一部でしか行われていないのだが、リッカ商会の伝手を使えば発見するのもさほど困難ではない。

 そうして手に入れた念願のお米であったが、結果はリーゼロッテが満足できる品ではなかった。

 一部の地域で例外的に栽培されている米は大粒種で粘り気がほとんどなく、その調理用途はサラダやスープの具材として利用されることが主であるからだ。

 つまり日本人が好むような白米として食べるには全く適していない。

 それでもおかゆとして食べるのであればと、リーゼロッテは密かにアマンドで栽培を行っていたりする。

 一方で、醤油と味噌については発見することが叶わなかった。

 一応、再現を試みようとしてみたこともあるのだが、製造に必要な菌の種類も入手法も不明であった以上、すぐに断念することになる。


「そうなのですか。普通に炊いた米それ自体には味はないらしいのですが、粘り気があるといいますか、柔らかくて、つやもあり、味の濃いおかずと一緒に食べると相性が抜群なようですよ」


 と、リオが沙月とリーゼロッテの食欲を掻き立てるようなことを語る。


「…………っ」


 女性陣二人が揃ってごくりと唾を呑んだ。

 リオから食に関する話を聞いて、故郷の味を思い出したのだろう。

 長いこと異邦の地で暮らしていると、ふとしたことで故郷の味が恋しくなるというのは無理もないことだ。

 リオも実際に経験したことがあったことがあるからよくわかる。

 今、この二人の前で、普段から毎日のようにそれらの食材を使った料理を食べていると教えたらどうなるのだろうか。


(何か面倒くさいことになる気がする)


 シュトラール地方で手に入らない食材を持っていると説明したところで、その入手経路を説明することを考えると非常に面倒くさい。

 それを説明するとリオがどのようにヤグモ地方まで移動しているのかについても言及しなければならなくなる。

 一瞬、教えてあげてもいいかなと思ったが、リオは教えることはしなかった。

 だが、二人の美少女が少し遠い目をして、食欲をそそられたように唇をキュッと動かすところを見ていると、形容しがたい罪悪感が湧いてくる。

 ちょっと意地悪をしてしまったかもしれない。

 そう思って、せめてもの罪滅ぼしとして、


(まぁ、機会があったら作ってあげよう……かな)


 と、リオは内心でひっそりと誓った。

 すると、そこで、


「沙月先輩」


 と、沙月の名を呼ぶ声が響いた。

 この会場で沙月のことを先輩付けで呼ぶ人間など一人しかいない。

 リオ達が身体の向きを変えて声の主に視線を送る。


「急に消えちゃうから驚いたんですよ。まだ話したいことがあったのに」


 果たしてそこに立っていたのはセントステラ王国の勇者である千堂貴久であった。

 その隣には同王国のリリアーナ王女が寄り添っている。

 また、付近には数名の令嬢達が距離を保って静かに立っていた。

 ほぼ同じタイミングで、


「サツキ、また君は勝手にいなくなって……」


 ガルアーク王国の第一王子であるミシェル=ガルアークもやって来た。

 その隣には第二王女であるシャルロット=ガルアークもいる。


「よう。何してるんだ、揃いも揃って」


 加えて、止めと言わんばかりに、坂田弘明とフローラ=ベルトラムまで姿を現す。

 運命の悪戯か、夜会に出席している三勢力の勇者と王族がそろい踏みしたことになる。

 何となく厄介なことになりそうな気がして、リオはひっそりと息を吐いたのだった。


 ☆★☆★☆★


 どうしてこうなったのだろうか。

 現在、リオは自らが置かれた状況に内心で苦悩していた。

 ちらりとホール中央にあるダンススペースの待機場に視線を送ると、そこには沙月と貴久が二人で何やら話し込んでいる姿が見える。

 沙月と貴久が旧知の仲であることは既に一部の者の間では既知の事実となっていた。

 ゆえにああして二人でダンスを踊ることは何ら不自然ではない。

 顔を突き合わせた一同で簡単に会話をした後、沙月がダンスに誘ったところ、貴久はあっさりと申し出を了承したのだった。

 それはリオとしても都合の良い話の流れであったのだが――、


(何で俺がこの場にいるんだ?)


 その場に残されたリオは名状しがたい場違い感を味わっていた。

 その理由は一緒に会話をする羽目になったそうそうたる顔ぶれが原因である。

 坂田弘明、フローラ=ベルトラム、リリアーナ=セントステラ、シャルロット=ガルアーク、ミシェル=ガルアーク。

 勇者が一名、大国の王族が四名。

 そもそも王侯貴族が集う夜会に出席していること自体が場違いなのかもしれないが、このメンバーの中に交じるのは少しばかり度が過ぎていやしないだろうか。

 非公式とはいえリオ自身も遠い異国の王族であったりはするのだが、本人の中でそんな自覚は欠片も持ったことがないため、意味のない事実である。

 少しでも付き合いのあるリーゼロッテが隣にいるのがせめてもの救いだった。

 もっとも彼女自身も大貴族の令嬢なのだが――。


「君は随分とサツキと仲が良くなったみたいだね。名は何といったかな?」


 ガルアーク王国の第一王子であるミシェルがリオに尋ねた。


「ハルトと申します、殿下」


 にこりと笑みを貼りつけ、リオが名乗る。

 ミシェルはふむと値踏みをするような視線を送ると、


「……そうか。君と話をしてサツキも良い気分転換になったみたいだ。今日の彼女はいつもより明るいように見えた。よかったらまた彼女の話し相手になってやってくれ」


 少し気難しい形相でそう述べた。


「はっ。御意に」


 恭しい所作で承服しながらも、リオは内心で意外さを感じずにはいられなかった。

 ミシェルは自分と沙月の付き合いをあまり好ましく思っていないのではないかと考えていたからだ。


「何やらハルト様のご両親はヤグモ地方からの移民だったとか。サツキ様とお会いになる際は私やお兄様にもお話を聞かせてくださいな」


 と、シャルロットが明るい笑みを浮かべて付け加える。


「畏まりました。仰せのままに」


 さしたる義務を課せられるわけでもないのだ。

 王族にこの程度の頼みごとを乞われて断ることは難しかった。

 社交辞令的な意味合いで頼んだのかどうかはシャルロットのみぞ知るところであるが、今後、登城が認められ沙月との交流が持ちやすくなるかもしれないと考えれば存外悪い話でもない。


「その際はリーゼロッテも来て頂戴ね。また一緒にティータイムを楽しみたいわ」

「ありがとうございます。喜んでお供いたします」


 などと、リオやリーゼロッテがガルアーク王国の王族二人と会話をしているすぐ傍では、弘明が果敢にリリアーナに話しかけていた。


「ヒロアキ様は愉快な殿方なのですね」


 言いながら、リリアーナがくすくすとお淑やかに笑う。


「そうか。こんな話でいいならいくらでもしてやれるぞ」


 弘明が嬉しそうにへらへらと笑って言った。

 何を喋ってもリリアーナが楽しそうな反応を返してくれるため、弘明の語り口もいつも以上に冴えている。


「ではもっとお話しをお聞かせくださいな。私、世間知らずな箱入りの娘ですから、こうしてヒロアキ様と気兼ねなくお話しできるだけでとても幸せですの」

「あー、そうかそうか。とはいえ何から話したらいいものか……」


 どうせなら面白いと思ってくれるような話題を提供したいところだが、いざ意気込んで面白い話をしようと思うと何も出てこないものだ。

 そうして何を話そうかと弘明が悩んでいると、


「ではフローラ様がお聞きになられて面白いと思われたお話をお聞かせくださいませんか?」


 弘明の隣で黙って話を聞いていたフローラを気遣ったのか、リリアーナが提案した。


「わ、私がですか? えっと、そうですね……」


 突然に水を向けられたことで、フローラが返答に窮する。

 困ったように思案顔を浮かべると、


「……あの、ヒロアキ様が暮らしていた世界の浴場に関するお話は興味深いなと思いました」


 やがておずおずとフローラが言った。


「あー、風呂か。この世界の人間は湯船に浸からないからなぁ」


 弘明が感慨深げに語る。


「お風呂ですか。そういえばタカヒサ様も――」


 と、リリアーナが何かを言おうとしたその時のことだ。


「ぞ、賊だ!」


 ホールのどこかで、悲鳴にも似た大声が上がった。

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登場人物紹介(第115話終了時点)
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