第97話 お風呂
日本に暮らす女子高生であった
そんな彼女が日常生活において抱く最大の不満がお風呂である。
王城となればもちろん専用の浴場施設が備わっているのだが、浴場には底の浅い浴槽があるだけで、洗い場という髪や身体を洗うスペースが存在しない。
身体や髪は浴槽の中で洗い、湯に浸かることを目的としていないため、浴槽の底を深くする必要がないのだ。
このように浴槽一つでお風呂がすべて完結してしまうという関係上、必然的に浴槽を利用するごとにお湯を入れ替えることになり、浴槽のサイズもそれほど大きくはできない――というよりも無駄に大きくする必要があまりない。
もちろん、お城の浴場となれば身の回りの世話をする者が同室するため、部屋の広さはそれなりに確保してあるのだが、浴槽自体は比較的こじんまりとしている。
ちなみに、専用の浴場施設を備えているのは王侯貴族が暮らす邸宅くらいで、平民の家になると大きな風呂桶を適当な室内に置いて、そこで髪と身体を洗うのが一般的だ。
お風呂でお湯を贅沢に使用することに慣れている日本人からすれば、耐え難いと感じる者がいてもおかしくはない生活文化であろう。
加えて、十七歳の少女と言えば花も恥じらう乙女であり、お風呂が大好きなお年頃でもある。
沙月もその例に漏れず長風呂を習慣としていた。
つまるところ、沙月は飢えていたのである。
一日の疲れを湯船の中で解消することに――。
温かいお湯に浸かって、ゆったりと手足を伸ばすことに――。
その快感を、忘れられずにいたのだ。
しかし、だからといって、個人的な我儘で高い工事費用を払わせ、王城の浴場施設を造り変えることなどできるわけもない。
その結果、この数か月間、沙月は風呂に入る度にげんなりと溜息を吐き、悶々とした日々を過ごしてきた。
この点、この世界に来て初日から温泉気分を味わえた美春達には少し想像しがたい苦痛なのかもしれない。
もっとも、ここ最近で王都の宿屋に泊るようになって、ようやく文化的な衝撃を受けてはいたのだが。
それはさておき、今の沙月にとって、温泉のようなお風呂があるとは誠に聞き捨てならない話であった。
是非とも家主と交渉してお風呂に入る許可を得なければ――。
そう決意したところに、タイミング良くリオがお茶を淹れ直しに来た。
この状況、実に
沙月はとっさにソファから腰を浮かせると、素早くリオに近寄った。
「ねぇ、ハルト君。頼みがあるんだけど」
と、沙月がにっこりと満面の笑みを浮かべて言った。
すぐ傍のソファでは美春達が苦笑いを浮かべて様子を見守っている。
「えっと、はい。なんでしょう?」
妙な迫力を感じ取り、リオが一歩後ずさる。
その手には空になったティーポットが握られていた。
「お風呂を……貸してほしいの」
神妙な顔つきで沙月が頼みこむ。
まるで魔王退治にでも赴く勇者の如き決意を、リオは彼女から感じとった。
「は、はい。どうぞ」
そんな謎の迫力に圧倒されながらも、リオが頷いた。
すると途端に沙月の表情がパッと明るくなる。
「本当? いいの?」
「はい、大丈夫ですよ。別にお風呂くらい勝手に入ってもよかったのに」
リオが苦笑しながら答えた。
この家の住人である美春達が一緒にいるのだから、別にお風呂くらい勝手に入ってもらっても特に気にするようなことではない。
だが、沙月は整然と
「何を言っているのよ。人様の家でお風呂を借りるんだから、きちんと家主様の了承を得るのが筋ってものでしょう」
と、さも当然とばかりに語る。
随分と律儀な人だなと思い、リオはそっと微笑んだ。
「了解です。じゃあ、お風呂場はあそこの扉の向こうなので、美春さん達に案内してもらってください」
「やったぁ!」
家主の了承を得たことで、沙月がグッと拳に力を込めて喜びを表現する。
「じゃあ美春ちゃん、亜紀ちゃん、行きましょう」
沙月が振り返って、美春と亜紀に言った。
「洗い場のシャワーが二つしかないですから、沙月さんは先に美春お姉ちゃんと入ってきてください。せっかくなので私はセシリアさん達も呼んで後から行きます」
と、亜紀が応じる。
お風呂場のスペース的にこの家に今いる女性達が全員で入ってもゆとりはあるのだが、身体を洗い流すための魔道具の数が不足していた。
もともとこの家はリオが当分の間一人で暮らすことを前提に作られた家であったため、そこら辺は設置が遅れているのだ。
「ありがとう亜紀ちゃん。じゃあ沙月さん、行きましょうか」
美春が頷き、先に沙月を案内することになった。
「どうぞごゆっくり」
とんとん拍子で話が決まっていく様子を微笑ましげに眺めながら、リオはその背中に声をかけたのだった。
☆★☆★☆★
「…………広い」
浴場に入ると沙月が呟いた。
脱衣所の入り口に設置された
そう、夢にまで見た理想郷が目の前にあるのだから、今はどんなことだってスルーしてみせる。
そう思えるくらいにこの家の浴場は素晴らしかった。
何よりも魅力的なのは、岩風呂と檜風呂という二つの浴槽が設置されているということである。
生活用の室内とは異なり、壁は岩肌がむき出しになっており、まるで洞窟の中にある温泉にやって来たような気分だ。
給湯口からはお湯が贅沢にどばどばと流れ出ており、湯船からは透き通ったお湯がなみなみと溢れそうになっている。
浴槽からは湯気が立ち上っており、視界に薄っすらと
「温泉にやってきたみたいですよね」
と、美春が微笑みながら言った。
「……うん。最高」
沙月が気も
「こちらへどうぞ。お風呂の使い方を説明しますから」
「あ。うん、よろしくね」
美春に案内され、まずは洗い場へ向かうことになった。
洗い場の壁には鏡が埋め込まれ、鏡の下にある台座には様々なバスアメニティが置かれている。
二人は台座の前にある風呂椅子に座った。
「お湯を出すにはその水晶に触れてください。触れる時間によってお湯が出てくる時間を調整できるんですけど、ちょっと触れるだけでも十秒はお湯が出続けますから」
そう言って、美春が台座に埋め込まれた水晶に触れると、鏡の上に描かれた幾何学文様の陣が光を放ち、そこからシャワー状にお湯が溢れ出てきた。
ちなみに、本来ならばシャワーとして利用できるほどのお湯を継続的に作り出すには相応の魔力量を消費することになるが、そこら辺は家の心臓部に組み込まれた精霊石の補助もあって効率性が上がっている。
他にもこの家に組み込まれている魔道具はこの精霊石の補助を受けていたりする。
「へぇ、面白そう」
沙月も水晶に触れてみると、頭上からシャワーが流れてきた。
「適温ね。お城にもこれがあれば便利なのになぁ……」
と、羨ましそうに沙月が呟く。
「とても便利ですよね。私もハルトさんから魔術を教えてもらっているんですけど、まだまだわからないことだらけで……」
「へぇ、そんなことも教えてもらっているんだ」
沙月が感心したように声を漏らす。
「はい。言葉とか、魔術とか、護身術とか、他にも色々と」
「そうなんだ。彼ってけっこう多芸なのかしら?」
「だと思います。料理もすごく上手ですし、ここにある石鹸類も全部ハルトさんが作ってくれたんですよ」
と、台座の上に並んだ石鹸類を眺めて、美春が言った。
「驚いた。……本当に多芸なのね」
「すごいんですよ? 日本で使っていたシャンプーやトリートメントより品質がずっと良いんです」
「本当? 楽しみ。お城で使っている石鹸はあまり肌に合わないから」
言って、沙月が小さく嘆息した。
あまり贅沢は言えないが、普段使っている石鹸類は日本で利用していたものと比べると品質が低い。
常識的に考えれば王族が使用している石鹸よりも良い石鹸を他の人間が使用するなど考えにくいのだが、この家に入ってから沙月の常識は何度も覆されている。
これほどのお風呂があるのだからと、沙月の期待値はぐんぐんと上昇していた。
それから美春が石鹸の種類を説明し、身体を清めることにする。
「そう言えばこうして美春ちゃんと二人でお風呂に入るのって初めてよね」
沙月が泡だった石鹸で身体を洗いながら、ご機嫌な様子で言った。
「そうですね。何だか不思議な感じがします。異世界でこうして一緒にお風呂に入れるなんて」
「ねー。ふふ、何か嬉しいな」
嬉しそうに微笑んでから、沙月が横目で美春の裸体をちらりと覗き見た。
「うん」
頷き、やがて観察するよう見つめだす。
当然、美春がその視線に気づくことになった。
「ふーん」
と、沙月がニヤリと笑みを浮かべる。
「え、えっと、何でしょうか?」
美春が恥ずかしそうに両手で身体を隠した。
「美春ちゃんって身体の線がスラッとしていて綺麗よね。肌もスベスベしてそうだし」
と、沙月からの不意打ちの発言。
「え、ええ?」
美春の顔は熟れた桃のように真っ赤になってしまった。
恥ずかしそうにもじもじと身体を動かす。
「そういう
沙月がうんうんと感慨深そうに頷く。
続けて、
「えい!」
と、素早く美春の背後に回り込み、胸のふくらみに触れた。
「きゃ! さ、沙月さん?」
沙月が悪戯をしたことで、美春が身をよじらせた。
「く、くすぐったいですよ! やめてください!」
自分から身体を動かしたことで、さらにくすぐったくなるという悪循環に陥る。
「だって、美春ちゃんが動くから」
「さ、沙月さんが変なところを触るからですよ!」
「ええー、いいじゃない。私たち以外誰もいないんだし」
沙月の手がわきわきと動く。
「も、揉まないでください!」
美春が顔を紅潮させて言った。
「はーい」
返事と同時に、沙月の手がぴたりと動きを止める。
だが、その手は美春の胸に固定されたままだ。
「う……、えっと、あの……」
首を動かし、美春がちらちらと背後に視線を送る。
「どうしたの?」
尋ねて、沙月がぴくりと泡の付いた両手を動かす。
「ひゃう。あ、あの手と……あ、泡が……」
美春がびくんと身体を震わせて呟く。
「手と泡が……何?」
沙月が蠱惑的な笑みを浮かべて尋ねる。
「そ、その、く、くすぐったいです……から。離してください」
小さく身体を震わせ、途切れ途切れに息を切らせながら、美春が懇願した。
「あー、もう! 美春ちゃん可愛すぎ!」
沙月が美春の身体をぎゅっと抱き寄せた。
「さ、沙月さん……」
身体を強張らせ、美春が困ったように呟いた。
だが、沙月は素知らぬ顔で、
「ねぇねぇ」
と、耳元でささやく。
「は、はい?」
美春がおそるおそる返事をした。
「美春ちゃん、襲ってもいい?」
「だ、ダメです!」
美春が堪らず叫ぶ。
「あはは、冗談よ、冗談。あー、面白かった」
あっけらかんと答えて、沙月があっさりと距離を取る。
その表情には実に清々しい笑顔を浮かんでいた。
「むぅ、……沙月さんって時々いじわるですよね」
そう言って、美春はジト目で沙月を見つめた。
「そりゃあ久々に美春ちゃんと会えて嬉しいんだもん。思わずスキンシップをとりたくなっちゃった」
と、沙月が悪びれた様子もなく、ストレートに感情を表現して答える。
「う……」
美春は何だか気恥ずかしくなってしまった。
サッと顔をうつむかせ、沙月から視線を逸らす。
それから数秒ほど沈黙が続いて、
「……ありがとね。美春ちゃん」
ぽつりと沙月が言った。
「……えっと、何がですか?」
横目で沙月の様子を
「うーん。美春ちゃんが美春ちゃんでいてくれて、かな?」
「えっと……はい」
またしても美春がうつむく。
よくわからないが、このタイミングでこういうことを面と向かって言うのはずるい。
美春はそう思った。
「さて、じゃあそろそろお待ちかねのお風呂に入るとしますか!」
それから身体を洗い終えたところで、いよいよ湯船に浸かることになった。
最初に選んだのは岩風呂の方である。
「くああ…………」
沙月は乙女の恥じらいも忘れて、悶えるような声を口から漏らした。
「やっぱこれよね。湯船に浸からなきゃお風呂に入ったとは言わないわ」
軽く体を伸ばして、沙月が気持ちよさそうに息を吐いた。
「ふふ、そうですね」
美春がにっこりと笑みを浮かべて頷く。
すると、その時、お風呂場の扉が開く音が響いた。
「あら、亜紀ちゃん……とセシリアちゃんだっけ?」
美春と沙月が身体を洗い終えるタイミングを見計らっていたのか、亜紀とセリアが一緒に浴場へやって来た。
「随分と綺麗な子よね、セシリアちゃん。ハルト君の知り合いなのよね?」
と、沙月がセリアの裸体を目にして、惚れ惚れと語る。
魔道具で髪の色を変えてある美しい金髪に、
「はい。そうですよ。でも、ああ見えて歳は私達よりも上なんです」
沙月がセリアの年齢を勘違いしていることを察し、美春が答えた。
「え、嘘? 私はてっきり亜紀ちゃんより少し上くらいなのかなと」
案の定、沙月は目を丸くした。
「ですよね。最初に聞いた時は私達も驚いたんです」
美春がふふっと微笑みながら同意する。
「そうなんだ。へぇ……なるほど……」
呟いて、沙月は何かを考えるようにセリアのことを眺めると、
「……ねぇ、ハルト君って何者なの? 色々とあって素性は聞きそびれたままなんだけど、ガルアーク王国の貴族かと思えばそうでもないみたいだし。かと言って他の国に所属しているというわけでもないのよね?」
と、おもむろにリオの素性を尋ねた。
美春がぱちくりと目を
「えっと、そうだと思いますけど、ごめんなさい。実はハルトさんのことは私達もあまりよく知らなくて、各地を旅しているということだけしか……」
そう答えて、美春が申し訳なさそうに頭を下げた。
美春達は第三者にリオの素性を語ることを禁止されている。
このルールもあって、美春達から積極的にリオのことを深く知ろうとすることは
だが、美春達が知っている事実の中でも、リオが偽名を用いていることや、リオの前世が日本人であったことなどは安易に口外していい事実とは思えない。
どこまで語っていいものかと瞬時に悩んだ末、まさか嘘の情報を教えるわけにもいかず、美春は予防線を張ることにしたのだ。
「へぇ、そうなんだ」
小さく唸って、沙月は興味深そうに目を細めた。
そうして再び思案顔を浮かべる。
「じゃあ彼の素性は置いておくとして、ちょっと気になるんだけど、どうしてハルト君って美春ちゃん達にここまで良くしてくれるのかしらね?」
「どうして?」
美春が沙月の言葉を復唱して尋ねた。
「だって、何の見返りもなく貴方達を無償で保護し続けているんでしょう? こうして私達が再会するために尽力までしてくれている。そう簡単に見ず知らずの人間のためにできることじゃないわ」
と、沙月が自らの考えを述べる。
美春はなるほどと深く頷いた。
「そう、なんですよね。ハルトさん、すごく優しくて……」
言って、美春が申し訳なさそうな表情を
「ふーん」
沙月はちらりと美春の全身を
「一応、念のために
と、少し真剣な顔で尋ねた。
「変なことですか?」
美春が不思議そうに小首を
「ほら、あれよ……。えっと……身体を要求されたり、とか?」
と、沙月が少し顔を赤らめて言う。
「かっ……」
すると美春の顔が一気に紅潮した。
「ハ、ハルトさんはそんな人じゃありません!」
湯船から立ち上がり、美春が言う。
沙月は少し呆気にとられたように美春の顔を見上げた。
「ふふ、今の反応で彼の人柄についてはおよその確証が持てたわ。やっぱり悪い人でないことに間違いはないみたいね。亜紀ちゃん達に見られているし、早く湯船に浸かり直したら?」
と、沙月が笑いながら告げる。
「あ、はい」
美春は亜紀達に向けてぺこりと頭を下げると、慌てて湯船の中に戻った。
「あれ、アイシアさんだっけ?」
ほぼ同時に、またしても浴場の扉が開いて、今度はアイシアが一人で中に入ってきた。
スタスタと浴場の中を歩き、洗い場へ移動すると、セリアの横にある空いていた腰掛けに座る。
次の瞬間、何もない頭上に水が現れたかと思うと、ざばりとアイシアの全身を洗い流した。
「え、何あれ? 何もないところからお湯が出たんだけど……。何か魔法を使ったの?」
一連の光景を見ていた沙月が目を丸くして尋ねる。
「あ、あはは……。アイちゃんはちょっと特別で……」
美春は苦笑いを浮かべて、はぐらかすように答えた。
「ずっと気になっていたんだけど、あのアイシアって子、綺麗すぎじゃない? なんて言うか女の色気がないわけじゃないんだけど、性別を通り越した透明感があるっていうか、次元が違うというか……」
沙月が吸い込まれるように、じっとアイシアを見つめる。
「そうですね。アイちゃんはちょっと神々しいっていうんでしょうか。人間じゃ敵いそうにないというか……。って、何を言っているのかわからないですよね。すみません」
「ううん。何となくわかる気がする。なんか芸術品みたいな美しさがあるのよね。セシリアさんも人形みたいに可愛いけど、アイシアさんの場合は本当に人形みたいに無機質というか」
小さく
視線を感じ取ったのか、アイシアがチラリと沙月を
美春がその様子を眺めて、
(うーん、改めて考えるとアイちゃんって精霊なんだよね。食事も食べるし、お風呂にも入るから違和感がなかったけど)
と、内心でそんなことを考える。
別に精霊は食事をとる必要もお風呂に入る必要もないらしいのだが、本人の要望もあってアイシアは美春達と同じように人間らしい生活を送っていた。
それが馴染みすぎて不思議に思うことはなかったが、改めて考えるとなかなか興味深く思える。
「なんか彼の周りって綺麗な子ばかりよね」
ふと、嘆息交じりに沙月が言った。
美春はハッと我に返り、
「そうですね。アイちゃんもセシリアさんもすごく綺麗ですから。亜紀ちゃんも可愛らしいですし」
と、反射的に肯定した。
「うん。それに美春ちゃんもね」
にこりと笑って、沙月が付け足した。
一瞬、きょとんとした美春だったが、
「え、ええ? そんなことないです。私なんか全然!」
言葉の意味を理解し、ぶんぶんと勢いよく首を横に振る。
「何言ってるのよ。中学時代、美春ちゃんってすごくモテてたじゃない」
「モ、モテたことなんてないですよ。私、地味だったし」
とんでもないと言わんばかりに、美春が首を左右に振る速度を上げた。
およそ自覚のないその反応に、沙月がやや呆れたような視線を投げかける。
「成績優秀、可愛くて、気立ても良い。おまけに調理部で料理が美味しいとくればモテない方がおかしいわ。実際、私の同級生でも美春ちゃんのことを可愛いって言っている男子はいたしね。家庭的で奥さんが似合いそうって評判だったわよ」
沙月が中学時代の美春を取り巻く恋愛事情について語った。
「う、嘘ですよ。そんな話は初めて聞きました」
と、美春が
だが、沙月は追い打ちをかけるように、
「美春ちゃんって一年の時に保健委員だったでしょ。怪我の手当てをしてもらってコロッときちゃう男子が多かったみたいよ。具体的に誰とは言わないけどね」
と、より具体的に説明を付け足した。
「……あの、えっと、本当、ですか?」
意外そうに、美春がおそるおそる尋ねる。
「本当だけど、ひょっとしてあまり嬉しくはない?」
恥ずかしそうにするわけでもなく、ただただ困惑した表情を見せるだけの美春に、沙月が
「あ、いえ……、嬉しくないわけじゃない……と思うんですけど、その、お付き合いとかはできませんし……」
顔をうつむかせ、美春が申し訳なさそうに語る。
「あらら、完全に脈なしなのね。まぁ無理もないか。美春ちゃんには意中の彼がいるものね」
語って、沙月は好奇の視線を送った。
「え……?」
疑問符を浮かべて、美春がまじまじと沙月の顔を見返す。
沙月は妙に自信に満ちた顔つきを浮かべていた。
「え……あ、あの……」
美春が消え入りそうな声で呟いた。
もしかして本当に知っている?
どうして?
次々と疑問が生じてきたが、それよりも強い羞恥心がこみ上げてきた。
次の瞬間、美春の頬が一気に紅潮する。
「やっぱり、その反応は当たりね」
「え、あ、し、知ってるんですか? 何で? 誰にも言ったことがないのに……」
「そりゃあ、わかるわよ。その反応を見ればね」
と、沙月が悪戯っぽく笑う。
「え……? ……あ!」
美春は自分が鎌をかけられたのだと悟った。
「沙月さん、騙しましたね?」
美春がムッと頬を膨らませる。
「ごめんなさい。でも、別に鎌をかけたわけじゃないわよ。中学時代からの関係だもの」
沙月が可笑しそうに笑って弁解する。
「…………」
そう言われると、自分はそんなにわかりやすい人間だろうかと、美春は不思議に思った。
だが、余計なことを言って情報を与えたくないため、顔を赤らめたままうつむいて沈黙を貫く。
「もどかしく思って見ていたんだけど、その様子なら大丈夫なのかな。というよりも私が知らない間に付き合っていたりする?」
「……?」
話の意図するところが読み取れず、美春が内心で首を
だが、意中の相手がいると知られてしまったことが恥ずかしくて、美春はさして気に留めることもしなかった。
「ねぇ、どうなの? 美春ちゃん?」
じりっと近寄り、沙月が尋ねる。
「し、知りません!」
答えて、美春はぷいっとそっぽを向いてしまった。
もしかして沙月はまたしても鎌をかけようとしているのではないか?
だとしたらこれ以上は墓穴を掘るわけにはいかない。
「もう、怒らないでよ。美春ちゃん」
美春の反応が可愛らしくて、ついつい加虐心を刺激するのだが、沙月はぐっと堪えて、美春のご機嫌をとることにした。
後輩達の恋愛事情はまた今度訊けばよい。
今はこんな世界でようやく出会えた友人とスキンシップをとりたいだけなのだから。
それから沙月の美春に対するご機嫌取りは亜紀達が湯船に浸かりに来るまで続くことになった。