第94話 密談
リオが差し出した手をじっと見つめると、沙月がその手を掴む。
エリーゼやドロテアを含めたベルトラム王国の令嬢達はやや呆気にとられた様子で二人のやりとりを眺めていた。
「失礼します」
沙月に向けて一言、そう
「皆様、申し訳ございません。勇者様からお誘いを頂戴しましたので、一曲お相手を務めさせていただくことになりました。この場を立ち去るのは大変名残惜しいのですが、失礼させていただきます」
困ったように笑みをたたえて、リオが令嬢達に告げる。
それでようやく令嬢達は我に返った。
「ゆ、勇者様直々のお誘いとあらばお断りするわけにはまいりませんわねぇ」
エリーゼがぎこちない笑みを浮かべて答える。
先にリオへ声をかけたのは自分達だ。
確かに立場的に勇者である沙月の方が格上であるのは自明ではある。
だが、それでも自分達が狙いをつけていた男を横からかっさらわれていくのは女として面白くない。
本来ならばこのまま自分たちの誰かがリオと一緒に踊っていたかもしれないのだから。
というよりもそれが目的で彼女達はリオに近寄ったのだ。
しかし、だからといって、淑女として表だって目くじらを立てるわけにもいかない。
「え、ええ、まだまだハルト様とはお話ししたいのですけれど、そういうことでしたら」
ドロテアも引きつった笑みでエリーゼの言葉に同意した。
他の令嬢達も似たように首肯していく。
「そのように仰ってくださること、大変嬉しく思います。また後ほど機会がありましたら、私から皆様に声をおかけすることをお許しください」
「ええ、もちろんですわ」
令嬢達がリオの言葉に相づちを打つ。
社交辞令なのかもしれないが、気の利いたフォローがあれば彼女達の面目も立つというものだ。
仮に何のフォローもなしに立ち去られていればこの場にいる令嬢達の不興を買うことになっていただろう。
主に沙月が――。
「申し訳ありません。彼とは少し話したいことがありまして」
そう言って、沙月も申し訳なさそうに謝罪の言葉を口にした。
「そんな。お気になさらないでくださいませ。勇者様のお望みとあらば私達は喜んでこの場を引かせていただきますから」
「ありがとうございます」
令嬢達に礼を告げて、沙月はリオと共にその場を後にした。
二人が並んで歩く。
その距離は内緒話ができるくらいに近い。
「声をかけてくれてありがとうございます。よく一人で行動できましたね?」
と、リオが盛況な周囲の喧騒の中で沙月だけに聞こえるように言った。
「そうね。大変だったわ。一人で抜け出して行動するのは」
「でしょうね」
リオが苦笑を浮かべて同意する。
こうして二人で並んで歩いているだけでも目立って周囲の視線を集めてしてしまうのだ。
主賓である彼女が一人で歩いていれば、行く先々で声をかけられたはずである。
それらをすべてを愛想良く断るのはかなり大変だったことだろう。
「すみませんでした。あの場にいる人達に聞かせたくない話なので」
「ええ、わかっているわ。だからこそお望み通りキミを訪ねてきたの。さっきはビックリしたんですから。教えてもらうわよ。キミが美春ちゃ――」
沙月が何かを言いかけたその時のことだ。
「ま、待ってくれたまえ! サツキ!」
ホール中央のダンス広場へと移動する道すがら、沙月を制止する声が鳴り響いた。
「見つかっちゃったか」
嘆息して、沙月が呟いた。
その声色には少し面倒くさそうな感情がこめられている。
「どうかしたの? ミシェル」
沙月が振り返って声の主に尋ねた。
そこには背の高い優男風の青年が立っている。
リオの見間違いでなければ、先ほど挨拶をしたガルアーク王国の王族の中にいた人物のはずだ。
確か沙月のすぐ傍に立っていた男である。
年齢はリオや沙月よりも少し上といったところか。
彼の名はミシェル=ガルアーク、正真正銘ガルアーク王国の王子だ。
「どうかしたのじゃないさ。ちょっと目を離した隙に急に姿を消してしまうんだから。心配したんだよ。君が迷子になったんじゃないかって」
と、ミシェルが沙月に語りかける。
「ならないわよ。私をなんだと思っているの?」
沙月が口を
「そんなことを言って君は一度城の中で迷子になったことがあるじゃないか。勝手に城の中を探検しようとして」
「この世界にやって来た最初の頃の話でしょ」
沙月が小さく嘆息する。
「それで、用がなければもう行きたいんだけれど?」
「行くってどこへ……?」
「これからこの人と一緒にダンスを踊るの」
沙月は惚れ惚れするような笑みをにっこりと浮かべてリオを見やった。
「ダンス……? この男と……かい?」
ミシェルが呆然した様子でリオの顔を見つめる。
「ええ、そうよ」
きっぱりと沙月が肯定する。
「な、何を言っているんだ。君は勇者なんだから最初に踊る相手はちゃんと選ばないと……」
「あら、彼じゃ駄目なのかしら? かなり格好良いと思うのだけれど」
そう言って、沙月は悪戯めいた面持ちでリオに一歩寄り添った。
二人の肩が触れそうなほどに近くなる。
「なっ……」
ミシェルは大きく目を見開いた。
そしてすぐにリオをじろりと睨む。
「君は……リーゼロッテがパートナーとして連れてきた人物だったね」
少し意外なことにミシェルはリオのことを覚えていたようだ。
「はい。ハルトと申します」
リオは苦笑をたたえながら名を述べた。
少し面倒な状況に内心で
「リーゼロッテといい、サツキといい、こういう男がいいのか?」
ムッとした表情でぼそりとミシェルが呟く。
別にミシェルの顔は不細工というわけではない。
むしろ完璧といっていいくらいに整っている。
顔の両側面に流れるウェーブのかかったブロンドのミディアムヘアは多くの女性の視線を惹きつけることだろう。
ただ、細見ではあるが身体つきがしっかりしているリオと比べると、すらりとしていてやや貧弱なイメージを与えるかもしれない。
もっとも、王族であるのならば必ずしも身体を鍛える必要もないため、筋肉質でないのはやむを得ないのかもしれないが。
「彼の顔つきって私の祖国の人間と少しだけ似ているのよ。言ったでしょう。私は元の世界に帰りたいって。そのためならどんな些細なヒントだって見逃せない。貴方達は私が元の世界に帰る協力をしてくれるんでしょう?」
途端に真顔を浮かべると、沙月はそう告げた。
「そ、それは……。け、けど、顔つきが似ているからって、君が元の世界に帰るためのヒントになるとは限らないんじゃ……」
押された様子でミシェルが答える。
「あら、ひょっとしたら彼の遠い祖先が私の元の世界の人間かもしれない可能性だってあるじゃない」
「そ、そうなのかい?」
ミシェルがリオに尋ねた。
「私の祖先のことについて詳しいことは存じません。ですが、勇者様は私の故郷の地について興味をお持ちのようなので、私の知る限りのことをお伝えしようと思っております」
リオが落ち着いた口調で沙月の話に合わせる。
「っ……。で、でも別にダンスを踊る必要はないだろう? 他にそういった機会をセッティングすることだって……」
一瞬、言葉に詰まりかけたが、それでもミシェルは食い下がった。
どうやら沙月がリオと最初に踊ることは承服しかねるようだ。
すると、そこに、
「あら、いいじゃないですか。お兄様。私は勇者様がその殿方とダンスを踊ることに賛成ですよ」
一人の少女が現れ、ミシェルに向けてそんなことを言った。
年齢はリオと同じか、それと少しだけ年下といったところか。
その容姿は実に可愛らしい。
茜色のかかったセミロングのブロンドヘアは鮮やかで、フリルの付いた可愛らしいドレスの上からでもスタイルが整っているのがわかる。
「シャ、シャルロット……。君まで……」
ミシェルは困惑したような表情でシャルロットと呼ばれた少女を見やった。
「勇者様はお兄様のものではないですし、婚約者でもないのですから。お兄様が束縛なさる道理はありませんし、無理にそうなさっては勇者様も気疲れしてしまうはずですよ」
と、シャルロットが沙月を援護する旨の発言をする。
「そうよ。私は勇者になることには同意したけど、正当な理由もなく行動を束縛されることまで同意した覚えはないわ」
沙月はそれに便乗した。
「くっ……。でも僕はサツキのためを思って……」
「この数か月間ずっと王城の中で閉じこもって一部の人間とだけしか接触していなかったんですもの。外の方と触れ合うのは勇者様にとって良い刺激になるのではないでしょうか?」
シャルロットが理路整然と告げる。
周囲に味方もいない状態でここまで言われてしまっては、これ以上食い下がるのも見栄えが悪い。
ミシェルはそう思ったのか、
「……わかった。君がサツキと踊るのを認めよう」
渋々といった感じで頷いた。
シャルロットは嬉しそうに笑みを咲かせると、
「それでこそ私のお兄様ですわ! 代わりといってはなんですがお兄様は私と一緒に踊ってくださいな」
そう言って、じゃれる風にミシェルの腕に抱きついた。
「シャルロット……。わかったよ、それじゃあ一曲踊ろうか」
仕方がないと言わんばかりに小さく息を吐いて、ミシェルが言った。
シャルロットが「ありがとうございます!」と答える。
「ありがとね、シャルちゃん」
片目で小さくウィンクしながら、沙月が小声でシャルロットに礼を告げた。
「いえ、別に。素敵なお方ですね。ダンス、楽しんできてください」
ちらりとリオに視線を向けると、シャルロットが言った。
「別にそういうのじゃないんだけどな」
沙月が困ったように苦笑する。
「それではお兄様、早く行きましょう!」
にっこりとほほ笑んでミシェルの腕を掴むと、シャルロットはすたすたと歩き出した。
「よかったんですか?」
二人の後姿を見守りながら、リオが沙月に尋ねた。
「何が?」
「いえ、何やら王族の方だったようなので、お誘いを無下にしてもよいのかなと」
「いいのよ。不必要に邪険にして関係を悪化させるつもりはないけど、今は彼の相手をするよりキミの話の方が聞きたいから」
真面目な表情を浮かべて沙月が答える。
こうして彼女がリオの話を聞きたがるのには理由がある。
そう、リオは先ほど沙月と握手した際にある精霊術を行使した。
それは自己の心の声を相手に伝えるという一種の念話術だ。
精霊契約を結んでいるアイシアとのように一定の距離が離れていても双方向で念話ができるわけではない。
肉体的な接触が不可欠であり、相手も同じ精霊術を使えない限り、一方的な通話しかできないという制約が存在するものだ。
それゆえ、使用できる場面は限定されているが、内緒話をするには便利な精霊術である。
「聞きたいことはたくさんあるけど、まずは聞かせてちょうだい。貴方が美春ちゃん達を保護しているという話……本当なの?」
尋ねて、沙月がリオの瞳ををじっと覗き込む。
嘘は見逃さない。
そういった気概が感じられる。
「ええ、本当です」
リオは沙月の瞳を見つめ返した。
二人の眼差しが虚空でぶつかり合う。
「身の安全は?」
「もちろん無事ですよ。今も元気にこの世界で暮らしています」
リオがそう答えると、沙月はスッと目を細めた。
「現状で私が貴方の話を信じられる根拠って、キミが美春ちゃん達の名前を知っていることしかないのよね。だから私はキミを信じるしかない。けど相手の素性も目的もわからないまま盲目的に信じることなんてできないわ」
「なるほど。仰る通りですね」
深く頷いて、リオが相づちを打つ。
「なら最初にこうして私と接触を図っているキミの目的を聞かせてくれないかしら? どうしてキミは私と美春ちゃん達を会わせようとするの?」
沙月は落ち着いた口調で尋ねた。
「それは構いませんが、そうですね――」
リオは少し考えるそぶりを見せた。
目的は何かと聞かれても、リオはすべて美春達のために行動しているにすぎない。
今、沙月はリオのことを見極めようとしている。
どのようにそれを伝えれば信じてもらえるのだろうか。
考えてみたが、言葉を並べるよりも、ありのままのことを伝えた方がいいのかもしれない。
「美春さん達が貴方と会いたがっていたから……ですかね。俺個人の目的というのは別に……」
ややあってリオはそう答えた。
「美春ちゃん達が私に会いたがっているから?」
「はい」
リオが即答する。
(完全な善意から行動してるっていうわけ? まぁ、絶対にありえないわけじゃないと思うけど……)
沙月が見た限りだと、リオが嘘を吐いているようには思えない。
だが、ちょっと人が良すぎやしないだろうか。
勇者である自分の利用価値は沙月も理解しているつもりだ。
この世界に来てから、そしてこの夜会でも、沙月を利用しようといろんな人間が近寄ってきた。
そのせいか沙月は自分でも気づかぬうちに少し疑り深くなっていたりする。
この夜会に参加できるということは目の前にいる青年も権力と何らか形で関わりを持っているはずだ。
果たしてそういった人間が打算なしの善意で自分に近寄ってくるだろうか。
離れ離れになった友人同士の再会を手助けするために、身を粉にして動き回るのだろうか。
何か前提条件を見落としているような気がする。
それを見極めるため――、
「ふ~ん、なるほどね……」
沙月はぐいっとリオに顔を近づけた。
そして尋ねる。
「……それだけ?」
と。
「ええ、それだけです」
リオが大きく頷く。
それからリオは視線だけで簡単に周囲を見渡した。
「ところで――」
「……何?」
沙月が可愛らしく首を
「少し周囲から注目を集めすぎているみたいです。距離を取った方がよろしいかと」
少し戸惑ったように笑みを浮かべて、リオが言った。
沙月が顔を近づけてリオの顔を覗き込んだせいで、今の二人の距離はかなり近い。
あと一歩でキスでもするのではないか、そう思えてしまうくらいに密着している。
「なっ……」
唖然として、沙月は慌てて周囲に視線を送った。
リオに意識を取られるあまり、どうやら外部への意識がおろそかになっていたようだ。
周囲にいる大勢の者達が自分達に好奇の視線を向けていることを認識し、沙月の顔がかあっと紅潮してしまう。
強い羞恥心が全身を突き動かし、沙月がとっさにササっとリオから大きく一歩距離を取る。
その様子を見てリオは少し可笑しそうに笑った。
「……何よ?」
沙月がジト目でリオを睨む。
「えっと、そろそろ次の曲の演奏が始まるみたいなんですが、行きませんか?」
小さく咳払いをしてから、リオが提案した。
「……そうね」
少しぶっきらぼうに答えてリオから視線を外すと、沙月はすたすたとダンスの広場へ向けて歩き出したのだった。
☆★☆★☆★
ホール中央のダンススペースのすぐ傍には、次にダンスを踊る者達が控える待機場がある。
そこにはリーゼロッテやロアナの姿もあった。
沙月がリオと一緒に待機場へと入ってくると、その場にいた者達が急速にざわめき始める。
「注目はされてるみたいだけど、キミがいるおかげで周囲から気安く声をかけられないのは楽ね。今は誰からも話しかけられたくないし、適当に笑って話し込んでいるフリをしましょう」
無遠慮に浴びせられる視線に疲れた様子で、沙月が呟いた。
幸い今のところは周囲から距離を取られてはいるが、沙月に声をかけようと思う者がいつ現れるともわからない。
今日の主賓は沙月であり、この夜会に参加する誰もが沙月とコンタクトを取りたくて仕方がないと言っても過言ではないのだ。
「ええ。そうですね。ところで少し伺いたいことがあるんですが、よろしいですか?」
「え? うん、構わないけど……」
「沙月さんはどうして勇者になろうと思ったのかなと思いまして。お聞かせいただけないでしょうか?」
沙月がこの世界で何をしようとしているのか、リオはそれを知りたかった。
美春達から聞いた人物像とこれまで話した印象からでは考えにくいが、沙月が勇者になって富や名声を集めるだけ集めたいという俗な願いを隠し持っていないとも限らない。
仮にそういった願いを抱いているとしたら、美春達が持っている膨大な魔力には利用価値が出てくる。
あまり疑いたくはないが、リオは沙月に潜在的にでも美春達を利用するつもりがあるのかを確かめたかった。
「……別に勇者なんてやりたくないわ。なりたくもなかった」
真面目な顔つきを浮かべると、沙月が言った。
「では……どうして?」
「……私はね、地球に帰りたいの。大切な家族がいる、友達がいる、やり残したことが沢山ある。それがいきなりこんなわけのわからない世界に呼び出されて、周りには知っている人が誰もいなくて、知らない顔をした人達がみんな私のことを勇者様って言う……」
そこまで語って、沙月は小さく溜息を
「この世界に来た最初の頃はさ。私、自分に起きたことが受け入れられなかったの。
簡単に事情を説明してくれた王城の人達に、すぐに元の世界に帰してくださいって頼み込んだけど、方法はわかりませんって言われて……。
恥ずかしい話だけどそれからしばらくの間は使い物にならなかったわ。
与えられた王城の部屋に引きこもって、しばらくして本当は城の人達は私が帰る方法を知っているんじゃないかと疑心暗鬼になって、それを探ろうと城の中をこっそり歩き回ったりもした」
当時のことを思い出したのか、沙月がきゅっと歯を食いしばる。
彼女が置かれていた客観的な状況を考えれば、口で説明されるだけでは想像もできないくらいに辛い日々だったのかもしれない。
複数人で転移してきた美春達と違って、沙月は本当に一人ぼっちだったのだから。
「けど、最近になってかな。少しずつ冷静になってきて、このまま無駄に時間が過ぎていくことがすごく怖くなったの。
ひょっとしたら私このままこの世界でお婆ちゃんになっちゃうんじゃないかって……。
それでようやく『何かしなきゃ!』って前向きに物事を考えられるようになったのかな。地球に帰るための手段を探そうって思った。たとえそれが無駄に終わるとしても、何もしないまま諦めるなんて絶対に嫌だったから。
けど、私一人じゃできることなんて知れているじゃない? だからこの国の力を借りようと思ったの。幸い向こうは私を勇者として利用したがっていたから、勇者をやる代わりに私が元の世界に戻るための手助けをしてくれって頼み込んだの。
こんな感じかな。私が勇者をやる志望理由」
言って、沙月がリオに力弱く微笑みかける。
それは、とても気丈だけれど、とても
「……すみません。話しにくいことを伺ってしまって」
「いいのよ、別に。今の私を美春ちゃん達に会わせていいのか、試していたんでしょ?
どうやら信じられないのはお互い様みたいね。今の質問で貴方が美春ちゃん達のことをちゃんと考えてくれているということは何となくわかったわ」
沙月の問いに、リオは僅かに目を丸くした。
驚いたことに沙月はリオの意図を見抜いていたようだ。
どうやらかなり優れた洞察力を持っているようである。
「で、どうなのかな? 試験の結果は。合格?」
沙月がじっとリオの顔を覗き込む。
リオは口元に笑みを浮かべると、
「……ええ、貴方を美春さん達にお引き合わせします」
と、そう答えた。
「そろそろ次のダンスが始まるようですね。続きは踊りながら話しましょうか」
ちらりとダンスホールの様子を窺うと、リオが言った。
そして沙月へと手を差し出す。
「そうね。一応、元の世界で社交ダンスの経験はあるけど、こっちの世界のダンスとはステップが微妙に違うの。リードしてもらってもいいかしら、ジェントルマン?」
そう言ってリオの手を掴むと、沙月は楽しそうに小さく微笑んだ。
「ええ、喜んで。レディ」
リオもにっこりと笑って頷き返す。
すると、その時、ホールに拍手が鳴り響いた。
フローラが少しミスをしたようだが、ダンスを終えた弘明とフローラを称賛しているようだ。
会場にいる多くの者達が二人に注目しているらしい。
だが、リーゼロッテを含むダンスの待機場にいる者達は、弘明とフローラの組み合わせよりも、リオと沙月の様子を注意深く観察していたのだった。
☆★☆★☆★
「あー、二人とも。良かったら俺と踊らないか?」
弘明はご機嫌な様子でフローラと一緒に待機場に戻ってきた。
そのままリーゼロッテとロアナにダンスを申し込む。
「はい、そのためにロアナさんとヒロアキ様をお待ちしておりました」
「ええ、ですがいくらヒロアキ様といえども一度に私達二人と一緒に踊るのは不可能ですわ。お身体は一つしかないのですから。どうぞ先にリーゼロッテ様と一緒に踊って来てくださいませ」
お淑やかに微笑んでロアナがリーゼロッテに順番を先に譲る。
「そうだな。じゃあリーゼロッテ、踊ろうぜ」
「はい。それではお言葉に甘えて。失礼します」
リーゼロッテはにこりと笑って頷いた。
そこにリオと沙月が通りかかる。
「って、沙月と……ハルトじゃんか。よお」
弘明が二人に声をかけた。
「これは皆様、お揃いで」
極めて高貴で美少女な三人を侍らせる弘明の姿はリオと沙月以上に目立っている。
リオは四人の姿を視界に収めると、瞬時に笑みを浮かべて挨拶をした。
沙月も愛想笑いを浮かべて会釈する。
エスコートするように沙月の手を握るリオの姿を見ると、弘明はフンと鼻を鳴らした。
「へぇ、リーゼロッテの次は沙月かよ。随分と仲良さそうじゃねぇか。見た目通りに色男な奴だ。なぁリーゼロッテ」
と、妙に鼻につく笑みを浮かべて弘明が言う。
「え、あ、はい。えっと……あはは」
リーゼロッテが困ったように苦笑して同意する。
リオと視線が合うと、「すみません」と口を動かして、リーゼロッテは周囲に悟られぬよう少しだけ頭を下げた。
リオが微笑を浮かべて小さく頷きを返す。
「だが無名の奴が分不相応に目立ちすぎるのは感心しないぜ。俺の世界にこんなことわざがある。出る杭は打たれる、ってな。度が過ぎると鼻につくぞ」
小さく肩をすくめて、弘明が語る。
「ご忠告痛み入ります。未熟者の身ゆえ、大変勉強になります」
答えて、人当たりの良い笑みを浮かべながら、リオは深く頭を下げた。
随分と上から目線で語られているが、素で良かれと思ってアドバイスしているのか、意図的にあてこすっているのか、リオにはわからない。
だが、王立学院時代には貴族の子弟達からさんざん皮肉や嘲笑を浴びせられていたのだ。
仮に弘明が意図して皮肉を言っているのだとしても、この程度でリオが気分を害されるはずもなかった。
「ああ、気をつけろよ。よし、じゃあ踊るか。リーゼロッテ」
そう言うと、弘明はリーゼロッテの肩に手を回した。
「えっと、はい。喜んで」
僅かに身を固くしたが、リーゼロッテが美しく微笑んで頷く。
弘明は去り際にちらりとリオの顔を見やって、フンと笑みを漏らすと、身を
そのまま二人でダンスを踊るスペースへと歩み出す。
すると、リオの隣で不機嫌そうな呟きが響いた。
「何、あれ? すごい偉そう。降って湧いた勇者の地位がそんなに立派なわけ?」
弘明の態度に何か思うところがあるのか、沙月が彼の背中を睨む。
当初は呆れ顔で弘明の言動を見守っていた彼女であったが、次第に怒りが湧き出てきたようである。
「失礼しました」
そう告げて、ロアナが深く頭を下げる。
そのまま気まずそうに立っているフローラに視線を移すと、
「フローラ様、こちらで弘明様のダンスをご覧になりませんか?」
ロアナはフローラを
「あ、はい。えっと……」
頷きながらも、フローラはその場を離れるべきか迷ったように足踏みをした。
そのままリオとロアナの間で視線を往復させると、
「す、すみませんでした。ご気分を害されたでしょうか? 何やら勇者様は不慣れな夜会にお疲れのご様子で……」
やがて決意したようにぺこりとリオに頭を下げた。
「別にフローラ様が謝罪なさることじゃないと思いますけど」
沙月が口を
「あう。す、すみません。えっと……」
びくりと震えて、フローラが萎縮したように縮こまる。
「だからフローラ様が謝罪なさる必要はないですよ」
今度は苦笑しながら、沙月がフローラに言った。
リオはフローラの様子を眺めながら、
(不器用で気が弱いところは昔と変わっていないんだな)
内心でそんなことを思った。
そもそも王族がそう簡単に他者へ頭を下げるべきではない。
謝罪の言葉は口にしても、特に悪いと思っていないような偉そうな態度をとればいいのだ。
フローラは王族としては少し優しすぎるのかもしれない。
リオはそう考えた。
とはいえ、別にそのことを彼女に伝えるつもりはない。
だが、これ以上フローラがリオと沙月の前で申し訳なさそうに萎縮している姿を衆目に
臣下の身分ゆえに沈黙を貫いて言葉を挟みかねているようだが、ロアナからも少し焦燥している様子が感じられる。
ここは謝罪相手であるリオが事態の収拾を図るしかなかった。
リオは内心で小さく嘆息すると、
「お止めください。私は気分が悪くなどなっておりませんよ。フローラ王女殿下にそのような真似をさせてしまっては弘明様のご忠告通りの事態になりかねません。
どうかお気になさらず。御身はロアナ様とご一緒にヒロアキ様のダンスをご覧になってください」
そう語って、
「は、はい。……ありがとうございます」
フローラがしょんぼりとお礼の言葉を告げる。
「さぁ、フローラ様。どうぞこちらへ」
今度こそロアナに
去り際にロアナが小さくリオに向かって腰を折る。
「私達も行きましょう、ハルト君。もう踊りが始まるみたいだし」
気持ちを入れ替えるように小さく嘆息すると、沙月が言った。