第93話 差し出すその手
沙月への挨拶を終えて階下のホールへと戻ると、リオとリーゼロッテは貴族達から再び声をかけられることになった。
人の数が多いこともあり、それぞれが手短に二人への挨拶を済ませていく。
そうして群がる貴族達の数も少しずつ減ってきた。
「それではリーゼロッテ様。ごきげんよう。セドリック公爵閣下にもよろしくお伝えくださいませ」
「ええ、承知しました。それでは」
別れの挨拶を済ませて、二人が相手をしていた最後の貴族が立ち去っていく。
いったん貴族の波が止んだところで、リーゼロッテはちらりと横目で隣に立つリオを見やった。
「ハルト様、サツキ様へのご用件はもうお済みになったのですか? 何かお話しになりたいことがあると仰っていましたが……」
わざわざ夜会に出席してまで沙月と話したいと言っていたのだ。
何か重要な話があると考えるのが普通なのだが、先ほどのリオは沙月とごく簡単に挨拶を済ませただけである。
ずっと握手を続けてはいたが、不自然に会話を引き延ばすような真似は見受けられなかったし、沙月に何かを伝えようとしていたというわけでもない。
となればリオはまだ沙月に伝えるべきことを伝えていないのではないか。
リーゼロッテはそう考えた。
それにリオが先ほど沙月を呼んだ時に聞こえた名前の響きはいったい――。
「実を申せばまだまだお話ししたいとは思っております。ですがこうしてお会いできたこと自体にも意味があるのです。なので要件は既に済んだと言えるかもしれませんね」
リオが煙に巻くような言い方をして答える。
リーゼロッテはその言葉の真意を一瞬では掴みかねた。
いや、たとえ時間をかけたとしても真意を見抜くことはできないのかもしれない。
今の彼女がそれをするには圧倒的に情報が不足しすぎているのだから。
だが、上手く言葉で説明はできないが、何かが引っかかる。
リーゼロッテはそう思った。
しかし、今はその答えを導き出す時間ではないだろう。
「わかりました」
結局、リーゼロッテはこの場でそれ以上深く追及することはしなかった。
「もう少ししたらダンスの時間になるはずです。その時はよろしければ私と一曲踊ってくださいませんか?」
もやもやした考えを打ち消すように、やや困ったような笑みを浮かべると、リーゼロッテが尋ねた。
基本的にダンスは男性から申し込むのがマナーだが、お互いの関係によっては女性から誘ってもマナー違反となるわけではない。
「ええ、喜んで」
リオは即座に頷いて即答した。
すると、そこで、
「よろしいかしら?」
リーゼロッテと向き合うリオの背後から、二人に声をかける人物がいた。
ベルトラム王国フォンティーヌ公爵家の令嬢であるロアナである。
「これはロアナさん。ごきげんよう」
先に気づいたリーゼロッテが小さく会釈して返事をする。
「こんばんは、ロアナ様」
リオも振り返って挨拶の言葉を口にすると、小さくお辞儀をした。
「ええ、ごきげんよう。お二人とも――」
「なっ、き、貴様は!」
ロアナが何かを言いかけたところで、それに被せるように大きな声が響いた。
付近にいる者達が何事かと声の主に視線を向ける。
リオもその人物――スティアード=ユグノーのことをやや呆気にとられたように見つめていた。
「ど、どうして貴様がここにいるッ?」
スティアードは
「どうしてと仰いましても、ご覧のとおり今回の夜会に参加させていただいております」
リオは動じることはせずに苦笑を浮かべて答えた。
それが
「私がご招待したのです。貴方のことは伺っておりますよ。スティアード=ユグノーさん」
リーゼロッテはすかさずスティアードに状況を説明した。
スティアードはやや憮然とした表情を浮かべると、
「……君は?」
と、リーゼロッテの名前を尋ねた。
「これはご挨拶が遅れてしまい申し訳ございません。私はリーゼロッテ=クレティアと申します。以後お見知りおきを」
「っ……。君がリーゼロッテか。噂はかねがね聞いたことがある」
自己紹介をされてリーゼロッテの素性を理解したのか、スティアードは僅かに顔をひきつらせた。
ガルアーク王国の中でも有数の大物貴族であるクレティア公爵家の一人娘、近隣諸国にまで名をとどろかせる才女、若くしてリッカ商会の会頭を務めるガルアーク王国の重要人物――。
そして、スティアードが以前に問題を引き起こしたアマンドの代官でもあり、そのトラブルの際にリオとの間で締結された契約の効力を保証する立場にいる人物でもある。
そんな彼女がリオをこの夜会へと招待したとなれば、少なくとも二人が一定の近しい間柄にあることは確かだ。
スティアードも流石にその意味がわからないわけではない。
「話がいまいち見えないのですが、ハルトさんはスティアード君とお知り合いなのですか?」
と、事情を掴めずに置いてけぼりを食らっていたロアナが横から尋ねた。
「あ、いや、それは……えっと……その……」
正直に当時の状況を説明することもできず、スティアードは思わず言葉に詰まってしまった。
「お知り合い、といいますか。あまり大きな声では申せませんが、以前アマンドでお二方の間でちょっとしたトラブルが生じてしまいまして。
ハルト様はその被害者です。その際にお二方の間で結ばれた和解契約の立会人をリッカ商会が務めさせていただきました。
そのご縁で私はこうしてハルト様と親しくさせていただいてもおります」
リオの口から語らせるのも角が立つと考え、リーゼロッテは当時の経緯をロアナへと簡単に説明した。
「この大事な時に何をしているのですか、貴方は……。何か申し開きはできるのでして?」
呆れと侮蔑のこもった視線を隠そうともせずスティアードに浴びせて、ロアナが尋ねた。
「くっ……」
スティアードは恥ずかしそうに顔をうつむかせ、拳を震わせている。
その反応でロアナは事件の非がスティアードにあるものと断じた。
「申し訳ございません。身内の者がご迷惑をおかけしました」
困ったように
リッカ商会が和解の立会人となっている以上、事実関係に疑義を挟み込む真似はしたくないし、あえてスティアードを
「いえ、もう済んだことですから。契約さえ守っていただければ問題はございません」
と、リオが
契約内容を簡潔に要約すると、被害者であるリオとその関係人物に対して、直接的、間接的を問わずに、スティアードから今後一切の手出しを禁止する――こうなる。
恣意的に解釈すれば、リオに接近しようとするだけで契約に反したと言えそうであるし、偶然とはいえこうして対面していることでグレーゾーンに足を踏み込んでいると言えなくもない。
リオも好き好んでスティアードと再会したいとは思っていなかったが、今こうして出会っているのは不可抗力であるし、スティアードが大人しくしているというのならば、リオはあえて当時のことを咎めて糾弾しようとは思っていなかった。
相手がこちらの立場――というよりも美春達を害しようとしないのならば、もはや彼のことなどどうでもいいからだ。
「本当に申し訳ございません。重ね重ね謝罪申し上げます。スティアード、あなたの口からも今一度この方に謝罪なさい」
と、頭を下げたまま、ロアナが言った。
スティアードが明らかに不服そうな顔を浮かべる。
「なっ! どうして僕がこいつに! 契約も結んで、もう済んだことですよ!」
スティアードは叫ぶように反論した。
「そういう問題ではありません。貴方に非があるというのならば、今の貴方の態度は決して褒められたものではなくてよ。これ以上、恥の上塗りをしたくなければ今すぐに謝罪なさい」
大きくため息を吐くと、ロアナが言う。
その言葉にスティアードが身体を震わせ、不愉快そうに眉根を寄せた。
感情的になりロアナの言葉など聞き入れる様子はない。
そのままスティアードが怒気を強めていくかのように思えたその時のことだ。
「私はもう気にしておりませんよ。ロアナ様、どうかその辺で彼を許してあげてください」
二人の様子を見かねて、リオがロアナを
「っ……、貴様……」
スティアードはじろりとリオを
頭を下げたくもない相手に庇われる以上の屈辱はないだろう。
リオもそんな彼の気持ちを察することができないわけではないが、いつの間にかリオ達は周囲にいる者達の注目を集めていた。
遠目から興味深そうに様子を
これ以上大きく騒ぎ立てるのは少しばかり具合が悪いだろう。
「そう、ですわね。申し訳ございません。感謝します」
周囲の空気を機敏に察したのか、ロアナもそれ以上はスティアードに謝罪を促すことは止めることにした。
そのまま再度リオへと深く頭を下げる。
「どうしたのかね?」
そこへ周囲の
その中心人物であるギュスターヴ=ユグノー公爵がリオ達に声をかける。
「あっ、ち、父上……」
自らの父の姿を発見し、途端にスティアードの顔色が目に見えて悪くなる。
「ロアナ君、いったい何があったというのかね?」
顔面蒼白になったスティアードを冷たく
「私も詳しいことは存じないのですが、何やらスティアード君が過去に彼との間でトラブルを起こしたようでして。謝罪するように促したのですが、スティアード君が拒みまして……」
困ったようにロアナが答える。
「アマンドのレストランでの一件です。ユグノー公爵閣下」
と、リーゼロッテがユグノー公爵に告げた。
それですぐに得心が行ったのか、
「なるほど。そういうことでしたか。これは愚息が失礼しました。ハルト君と言ったね、申し訳ない」
ユグノー公爵は即座にリオへと謝罪の言葉を送った。
「いえ、私は気にしておりませんので」
笑みを貼りつけて答えたものの、予想外の展開にリオは内心で
正直ベルトラム王国の人間たちとはあまり関わりを持ちたくはないというのに、先ほどから連続してベルトラム王国の人間と対面しているからだ。
それも上層部に位置するような人間ばかりとである。
「スティアード。私に恥をかかせるな。そう言ったはずだったな。今すぐ謝罪しろ」
実の息子に視線を送ることなく、ユグノー公爵が冷たく言い放った。
スティアードの身体がびくりと震える。
「せ、先日はご迷惑をおかけしました……」
ややあって上ずった声でスティアードが呟いた。
「……申し訳ございません」
そうして絞り出すように謝罪の言葉を口にすると、スティアードがぺこりと頭を下げる。
周囲には決して少なくない人の目もある。
リオはスティアードの性格をおよそでしか知らないが、おそらく彼にとっては耐え難い屈辱だろう。
「え、ええ。契約通りあのような真似を二度としないでくだされば結構ですので」
僅かに引きつった笑みをたたえながら、リオは
あまりにもみじめな姿に、スティアードのことが流石に
「君にはきちんと謝罪したいと思っていた。君さえよければいずれあらためて謝罪の場を用意しよう」
実の息子が頭を下げている横で、何を考えているのか計り知れない笑顔を貼りつけながら、ユグノー公爵は言った。
「いえ、お気になさらず。閣下もお忙しいでしょうから」
リオは社交辞令でもその申し出を受け入れることはしなかった。
のこのこと相手の用意した領域に入り込めば何をされるかわかったものではない。
ないとは思うが息子が結んだ契約を煩わしく思って始末しようとしてくるか、それともリーゼロッテとの関係も踏まえて利用や勧誘をしようとしてくるか、いずれにせよ純粋に謝罪が目当てではないだろう。
必要性があるのならばともかく、怖いもの見たさで彼らと繋がりを得ようとするほどの冒険心をリオは持ち合わせていなかった。
「ふむ。まぁこちらは謝罪をする立場だからね。無理強いはしないよ。考えるだけ考えておいてくれたまえ。それはそうと、もうすぐダンスの時間だね。よければ後で我が国の令嬢達とも踊ってやってくれたまえ。君ほどの男性と踊れるとなれば彼女達も喜ぶだろう」
不必要に食い下がることはせず、ユグノー公爵はあっさりと話題を変えてきた。
やや拍子抜けの感はあるが、それならそれで面倒な断りの言葉を言う必要もない。
「ええ、あいにく最初のお相手はリーゼロッテ様の先約がございますので、その後に機会がありましたら喜んで」
その程度なら構わないだろうと、リオが首肯する。
夜会のダンスシーンにおいて未婚の若い男性が女性を誘わず踊りに参加しないことはあまり褒められた真似ではない。
絶対にというわけではないが、最低でも一人とダンスを踊っておかないと周囲への面目が立たないのだ。
できれば二、三人と踊っておくとなお好ましい。
なので、リオとしてはあまり気乗りしないのだが、社交辞令的な意味合いで承服することにした。
「おお、そうかね。ならばせっかくの機会だ。我が国の令嬢を紹介しておこうか」
言って、ユグノー公爵は背後へと視線を流した。
そこにはコバンザメのごとくユグノー公爵に付き従う男性貴族達とその娘の令嬢達がいる。
いったい今日だけで何人の貴族と知り合いになったのだろうか、まだまだ貴族達の自己紹介は延々と続きそうだ。
リオは内心で溜息を吐くと、それをおくびにも出さないで笑みを貼りつけた。
隣にいるリーゼロッテもご同様である。
「初めまして。ブラント伯爵家のエリーゼと申します」
「私はアルベルト伯爵家のドロテアですわ」
そう言って、一人ずつ令嬢達が自己紹介を行っていく。
年代はいずれの令嬢もリオやリーゼロッテと同じ程度だ。
もしかしなくとも中には王立学院時代にリオの旧友であった者もいたりする。
エリーゼとドロテアなどがまさしくそうで、いずれもロアナの派閥に所属していたとリオは記憶している。
みな綺麗どころばかりで、口調や仕草も慎ましやかで上品なのだが、その目には興味と好奇心の強そうな光が満ちていた。
「ご丁寧にありがとうございました。皆様のご尊顔とご尊名、確かに記憶いたしました」
社交的な笑みを浮かべてリオが小さく会釈する。
適当に愛想を振りまくのにもだいぶ慣れてきたものだ。
「ははは。良かったな。ハルト君は今回の夜会でも密かに注目されている人物だ。顔を覚えてもらって損はないぞ」
冗談めかして言っているが、ユグノー公爵の目は笑っていない。
それはどれほどの利用価値があるのか、リオを見定めようとしている目であった。
令嬢達は嬉しそうに微笑んで、ユグノー公爵の言葉に頷き同意している。
「私が、ですか? ご冗談を」
リオは意外そうにユグノー公爵に尋ねた。
「何を言うか。リーゼロッテ嬢のパートナーであるというだけでも、多くの注目を惹きつけることになるのだよ。しかも君はまったくの無名の存在だというではないか。興味を持たない方がおかしいさ」
「……なるほど。そうかもしれませんね」
リオはフッと苦笑を漏らして同意した。
妬み、出世、保身――、この夜会に参加するような貴族はより強い権力を持つ者の周辺に対しては常に目を光らせている。
自意識過剰なことはわかっているつもりだったが、ひょっとしたら自身が思っている以上にリオは注目されているのかもしれない。
もっとも、いくら注目されたところで自分に取り入る意味など何もないのだから、ただの注目損にしかならないのに――。
そう考えるとこうして貴族達と交流を持つこともただの茶番にしか思えなくもない。
「おっと、そろそろダンスの時間のようだね」
会場内にいる演奏者達が準備を終えたのを見計らって、ユグノー公爵が言った。
「リーゼロッテ様。早速ですが、私と一曲いかがでしょうか?」
リオは微笑を浮かべると、隣に立つリーゼロッテへと手を差し出した。
「ええ、もちろんです」
リーゼロッテが嬉しそうに頷き、その手をそっと掴み返す。
「ユグノー公爵閣下、それでは失礼いたします」
リーゼロッテがユグノー公爵に向き直って言った。
「ああ、私はこの場から君達の踊りを見させてもらうとするよ」
小さく会釈して別れの挨拶を済ますと、二人は手を握ってホールの中心にあるダンススペースへと移動した。
ほぼ同じタイミングで何組かペアがやって来て、踊り始める準備を整えている。
「ほう、リーゼロッテ嬢のダンスですか」
「お相手は例のパートナーの青年ですな」
「これは面白そうだ。少し見させてもらうとしましょう」
リオとリーゼロッテが踊る姿を見てみようと、ダンススペースの周りにはちらほらと
誰もが興味深そうに二人の様子を眺めている。
スペースの中央にたどり着くと、二人はダンスを踊るべく抱き合うように密着した。
「何だか見られていますね」
遠慮なく浴びせられる視線を感じとり、リオが苦笑しながら言う。
「ふふ、そうですね。見られるのは嫌ですか?」
そう尋ねて、リーゼロッテは息がかかるほどの至近距離からリオの顔を見上げた。
「嫌というわけではありませんが、慣れなくてむず
「緊張していらっしゃるんですか?」
「リーゼロッテ様のお相手ですからね。緊張もしますよ」
「意外です。なんというかハルト様はそういった感じが全然見受けられませんから」
「だとしたらこの夜会で腹芸が上手くなったのかもしれませんね」
などと会話をしているうちに演奏が始まる。
それに合わせて二人はステップを踏み始めた。
「お上手ですね」
と、リーゼロッテがリオのダンスを褒める。
「きっとお相手が良いのでしょう」
「……本当にお上手です」
リーゼロッテはそっとはにかんだ。
「うーむ、やはり美男美女はただ踊っているだけで絵になりますな」
「いやいや、絵になるのはあの青年が上手にリードしているからでしょう」
「ふむ、リーゼロッテ嬢も上手く息を合わせておりますぞ」
ここでみっともないダンスを披露していようものなら
「あーあ、挨拶が長引いたせいで出遅れたな。せっかくロアナに付き合ってもらって踊りの練習をしたっていうのによ」
二人がダンスする様子を、弘明も
つい先ほどまで挨拶に来る貴族達の相手をしていたせいで休む暇もなかったのだ。
慣れない環境に置かれていることで、少しばかり疲労とストレスが蓄積し始めている。
「まだまだ先は長いですよ。えっと、次の曲になったら私と踊ってください」
弘明がほんの少しだけ不機嫌になっているのを機敏に感じとり、行動を共にしていたフローラが隣でおずおずと言った。
「おう、そうだな。それにロアナとも踊らないとな。えっと……」
頷きながら弘明が会場に視線を走らせる。
「お、いたな。フローラ、あっちへ行こうぜ」
少しして目的の人物を発見すると、弘明は軽快な足取りで移動を開始した。
どうやらロアナは同年代の貴族の令嬢達に混ざってダンスを眺めているようである。
そこではひそひそと令嬢達が
「あの中だとハルト様が抜きんでていいですわねぇ」
「本当、どうせ政略の道具にされて近づくならああいった貴公子然とした人がいいですわ」
「落ち着いた雰囲気が好印象ですよねぇ。余裕があるといいますか」
どうやらダンスを踊っている男達の品評を行っているようだ。
「貴方達、はしたなくってよ」
すぐ傍で繰り広げられる淑女らしからぬ会話に呆れて、ロアナが
「えー、でもロアナ様もハルト様は良いと思いませんか?」
と、とある令嬢が少し口を
先ほどリオに挨拶をした令嬢の一人――エリーゼだ。
「……私は見た目だけで殿方を好きになったりはしませんわ」
ロアナが毅然と答える。
「えー、そりゃ地位や財力は大事ですけど、容姿も良いに越したことはないですよぉ。どうせなら両方兼ね揃えている相手が良くないですか?」
「否定はしませんが、理想ばかり追い求めるのはよしなさい。結局は権威や財力に勝る殿方の魅力はないのですから」
「その割にはさっきからハルト様のことをじっと見つめているではないですか?」
エリーゼがニヤリと笑って茶化すように告げる。
「なっ、私はそのようなつもりで彼を見ているのではありませんわ!」
ロアナは慌てた様子で顔を紅潮させた。
「わかってますわよ。本命は勇者様で、ハルト様は目の保養ですよね。勇者様と結婚できれば将来は安泰ですものねぇ」
ドロテアはすかさずエリーゼに援護射撃を行った。
「もう、知りませんわ」
ロアナは顔を膨らませてそっぽを向いた。
そう言いながらも視線は気づかぬうちにリオを追いかけている。
「よう、ロアナ。あー、なんだ、ハルトとリーゼロッテが踊るところを見ていたのか」
そこへ弘明がやって来た。
ロアナがホールの中央で踊るリオへと視線を送っていることに気づき、無意識のうちに少しだけムッと口を
「ええ、お二人の踊りが優雅でとてもお上手だと思ったものでして。弘明様もお手本にするといいですわよ」
「あー、そうだな」
「そろそろ今演奏されている曲が終わります。フローラ王女殿下の次は私と踊ってくださいませ」
「おう、いいぞ。けど、俺がフローラと踊っている間、ロアナはどうすんだ?」
「ヒロアキ様以外の殿方と最初に踊るわけにはいきませんわ。私はこの場でお待ちしております」
その言葉で弘明は満足そうに笑みを浮かべた。
「あー、そうかそうか。いいぜ。じゃあその後にリーゼロッテを誘ってみるかな」
「ならば私の方からお声をかけておきましょう。ちょうど演奏が終わりましたから、ちょっと行ってきますわね」
「ああ、よろしくな。行こうぜ、フローラ」
そう言い残して、弘明はフローラを連れてダンスをするため立ち去った。
二人の背中を見送ると、ロアナは息を吐き、中央のダンススペースから戻ってきたリオとリーゼロッテの下へと歩みだす。
「ハルトさん、リーゼロッテさん。お疲れ様でございました。お二人とも素晴らしいダンスでしたわよ」
「あら、ロアナさん。ありがとうございます」
リーゼロッテが微笑を浮かべて礼を告げた。
リオも小さく会釈して礼を言う。
ロアナは少し困ったように微笑むと、
「実はヒロアキ様が是非リーゼロッテ様と一曲踊ってみたいと仰っていまして、貴方ほどの女性となれば他の殿方の相手でお忙しいとは思いますが、後ほどお相手になっていただけないでしょうか?」
リーゼロッテに向けてそう尋ねた。
「ええ、もちろんですよ。勇者様と踊れる名誉を
リーゼロッテが微笑んで頷く。
「ありがとうございます。ヒロアキ様に代わりましてお礼申し上げますわ」
ロアナはぺこりと頭を下げた。
「では、いつまでも私がリーゼロッテ様を拘束するわけにはいきませんね。私は少し一人で行動しますので」
二人の会話を見守っていたリオがそんなことを言った。
ダンスも始まったこの時間帯になると、一緒にやって来たパートナーと別れて行動を始める者も増えてくる。
そろそろリオもリーゼロッテと別行動する頃合いだろう。
「そんな。ハルト様のお陰様でかつてないほどに楽しい夜会を過ごすことができましたから」
「そう仰ってくださると男冥利に尽きます」
リオは薄っすらと微笑んで礼を述べた。
「それではまた後ほど合流しましょう。帰りも馬車をご用意しましたので」
「はい、お世話になります。それでは」
そう言い残すと、リオはリーゼロッテと別れた。
「あ、ハルト様よ」
「次は誰にお声をかけられるのかしら?」
会場の雑踏の中を歩いていると、令嬢達のそういったささやきが聞こえてくる。
今回の夜会でリオも随分と顔が知られてしまったようだ。
現在は踊りを楽しむ時間帯であり、こうして注目されている状態で誰にもダンスを申し込まずに、いつまでも一人でうろうろと歩き回るのは何とも居心地が悪い。
とはいえ見知らぬ女性に声をかけて踊りを申し込む気にもなれなかった。
今は二曲目の踊りが始まっているので、そちらを眺めるフリをして時間を稼ぐのがいいだろうか。
そんなことを考えていると、
「あのぉ、ハルト様」
リオに声をかけてくる者達がいた。
先ほどユグノー公爵と一緒に行動していた令嬢達だ。
「はい、なんでしょうか?」
リオは愛想笑いを浮かべて応じた。
「えっと、先ほどは自己紹介だけでしたので、もう少しハルト様とお話がしたいなと思いまして」
「確かエリーゼ=ブラント様でしたね。私のような者にそう仰ってくださるとは光栄です」
「まぁ名前を憶えてくださったのですね。ありがとうございます」
嬉しそうにエリーゼがお礼を言う。
「ええ、先ほど自己紹介してくださいましたから」
「あら、エリーゼだけずるいですわ」
と、エリーゼの隣に立っていた令嬢が
「もちろん貴方様のお名前も憶えておりますよ。ドロテア=アルベルトお嬢様」
困ったように苦笑して、リオがドロテアの名前を言う。
「まぁ、まさか全員の名前を覚えたのですか」
「いえ、まぁ本日お会いした方々全員というわけにはいきませんが、印象に残っている方々の名前はできるだけ覚えるように頑張りました」
「あら、どのように印象が残ったのか気になりますわ」
「皆様お綺麗ですから」
苦笑しながらリオが答える。
「まぁ、お上手ですのね。ずいぶんと女性慣れしていらっしゃるのかしら?」
エリーゼとドロテアを筆頭に、令嬢達が色めき始める。
満更でもなさそうなあたり、自分達が美しいという自負があるのだろう。
だが、リオはとても言えなかった。
まさかエリーゼとドロテアがかつてリオと同じ学院に通っていたクラスメートであり、名前を聞いて顔を見て二人のことを思い出したとは。
というよりも王立学院時代にエリーゼからは密かに言い寄られたことがある。
遠回しに袖にしたら手ひどい噂を流されるようになったが。
「そのようなことはございませんよ。恥ずかしながらこんなに多くの女性に囲まれるのは初めてのことでして。少し緊張しているくらいです」
そう、もしかしたら自分の素性がバレてしまうのではないかと思うと余計に緊張してしまう。
リオは内心で冷や汗をかき、少しだけ引きつった笑みを浮かべていた。
何とかしてこの場にいる令嬢達と距離を取りたい。
そう思ったところで、
「ようやく見つけたわよ。ハルトさん……だったわね」
突然、リオは背後から声をかけられた。
振り返ると、そこには一人の女性が立っている。
純白のドレスに身を包んで、ピンと背筋を張り、やや好戦的にも見える目つきでまっすぐとリオを見つめていた。
リオも彼女の視線を受け止めてまっすぐと見つめ返す。
「是非、私とも一曲踊っていただけないかしら?」
ちょっとだけ目を見開くと、リオは顔をほころばせて頷いた。
「……ええ、喜んで。沙月様」
そう答えて、この夜会へとやって来た目的の人物――