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精霊幻想記(Web版) 作者:北山結莉

第五章 思い描いた未来の先で

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第87話 いざガルアーク王国の王都へ

 美春達をガルアーク王国の王都へと移動させると、今度はリーゼロッテと一緒に王都へ向かうため、リオはとんぼ返りでアマンドへと戻ってきた。

 一先ず、美春、亜紀、雅人の三人だけで宿屋に泊るという話は保留されることになり、アイシアとセリアも王都へ同行している。

 三人だけの宿泊が認められるかどうかは、周囲の治安や宿屋の客層といった安全面において問題がないと判断できるかどうか次第だ。

 いずれにしろアイシアには王都の滞在中にやってもらうかもしれないことがあるため、セリアにはベルトラム王国行きを今しばし待ってもらうことになった。

 仮に美春、亜紀、雅人の三人で宿屋に泊まることになっても、宿泊日数は一日から長くともせいぜい数日程度になる予定だ。

 今回の王都滞在は美春達の身につけた言語能力が日常生活においてどこまで通用するのかを実践する試験的な意味合いも兼ねている。

 リオを除く五人の話し合いで、宿屋の人間とのコミュニケーションは率先して地球出身組が行うと決まった。

 今の美春達は世間知らずで、籠の中で生きる鳥のようなものだ。

 たとえ三人だけで宿泊することがなくとも、都市の中で暮らすことは美春達にとって良い経験となるだろう。

 心配しているリオとは裏腹に雅人は乗り気で、三人だけで滞在できたらいいなと心を躍らせていたりする。

 そうして雅人からの強い申し出もあり、条件付きではあるが、リオも断腸の思いで美春、亜紀、雅人の三人で宿に滞在することに同意することになった。

 暴行、傷害、窃盗、恐喝、強盗、詐欺、略取、誘拐、強姦――、そうした犯罪は都市の中であっても起きることは特に珍しいことでもない。

 ゆえにこの世界で生きる人間は犯罪を日常茶飯事な事象として受け入れ、犯罪と隣り合わせの生活を送っている。

 有効な自衛方法は犯罪に遭遇しないように意識して行動することであり、都市の中で暮らしている者ならば普通は身につけている感覚である。

 いずれも美春達が都市と関わって生きていく可能性があるのならば知っておかないといけないことだ。

 リオはそういった感覚を五人に対して懇切丁寧に語っておいた。

 美春、亜紀、雅人の三人はもちろん、セリアは貴族の箱入り娘であるし、アイシアも精霊で人間の感覚には疎いところがあるからだ。

 もっとも、美春達が滞在する宿屋の警備には国も関与しており、見張りの兵士が配置されていて、周辺の治安は良い。

 宿から離れて無暗に治安の悪い区画に移動しなければ危険は少ないだろう。

 値段的に客層も富裕層がメインとなっているが、富裕層向けの宿屋といっても所詮は宿屋だ。

 地方都市ならともかく、一方的に絡んで相手を悪役に仕立てることができるくらいの権力を持っている者が滞在する施設ではない。

 それでもそういった貴族が絶対に宿泊してこない保証はないが、そこまで考えていたら何もできやしない。


(大丈夫だ。ちゃんとみんなを信じよう)


 アマンドにある閑静な住宅街を歩きながら、既に別行動している五人のことを想い、リオは小さく嘆息した。

 これからリオはしばらくの間リーゼロッテと一緒に過ごすことになる。

 その間はガルアーク王国の王都までの移動はもちろん、滞在中もリーゼロッテの目の届く範囲で行動しなければならない。

 下手に放置して不審な行動に出ないか監視する意味合いもあるのだろう。

 リオも必要な場合を除いて不用意に独断で行動することを控えようと決めていた。


「ハルト様。ようこそお越しくださいました」


 リーゼロッテの屋敷に赴くと、侍従のコゼットがリオを出迎えた。

 両手でロングスカートの生地を軽く掴んで、優雅に一礼する。

 その所作は慎ましやかで上品なものであり、白と黒のコントラストで彩られた清楚なメイド服を着ているのだが、コゼットの生まれ持った女性的な魅力もあって大人の色香が漂っていた。


「こんにちは。コゼットさん」


 既に何度か対面していることもあり、リオも自然体で挨拶をする。


「はい。こんにちは。今日もこうしてハルト様のご尊顔を拝しまして私は幸せ者ですわ」


 と、悪戯っぽい笑みを浮かべながら、コゼットが言った。


「お上手ですね。私もコゼットさんにお出迎え頂き非常に嬉しく思っていますよ」


 即座にリオが微笑を浮かべて返す。


「まぁ、ありがとうございます。さ、どうぞおあがりください。これから先のスケジュールや連絡事項について説明申し上げますので」


 コゼットに案内されて、リオはリーゼロッテの屋敷の中へと入っていった。


 ☆★☆★☆★


 リーゼロッテの屋敷にある侍従の控室にて。

 コゼット、ナタリー、クロエの三人が備え付きのソファに座り休憩をとっていた。


「ハルト様。中々の難敵ね」


 冷めた紅茶を口にすると、おもむろにコゼットがそんなことを言いだした。

 その発言にナタリーが目を丸くして、


「ちょ、貴方! もしかしてハルト様を狙っているの?」


 と、慌てた様子で尋ねた。

 コゼットは与えられた仕事を完璧にこなし、職務態度も極めて良好な侍従として知られている。

 接客態度は柔らかく、親しみやすく、優雅であり、その容姿も美女ぞろいのリーゼロッテの侍従隊の中でもかなり整っており、男好きする魅力的な身体つきもしていた。

 それゆえ、客としてやって来た男性の中にはコゼットに粉をかけてくる者も少なくない。

 コゼットはお眼鏡に適った男性から声をかけてくるように、仕事に影響が出ない範囲でさりげなく仕向けることがある。

 客がコゼットを気にいった場合には、彼女の気を引こうと有利な条件で取引をしてくれることもあるため、リーゼロッテもコゼットの男好きな性格を知りながら放置しているのが現状である。


「あら、当然じゃない。端整な顔立ち、気品と教養を感じさせる立ち振る舞い、それにアリア並みの強さ、あんなに良い男を放っておくなんて女が廃るわよ」


 しれっと答えて、コゼットがナタリーに視線を送る。


「ハルト様はリーゼロッテ様の大事なお客様なのよ。下手に手を出して怒らせたらどうするのよ」


 リーゼロッテの屋敷に客が訪れる場合、あらかじめ来客の重要度、性格、好みといった情報が侍従達に通知される決まりとなっている。

 先日のアマンド襲撃の件により、現在のリオはリーゼロッテの中でVIP扱いされており、侍従達には最高のおもてなしをするようにと通知されていた。


「私の職務内容には男性客の人物像を把握することも含まれているのよ。ハルト様と適度にお近づきになることも仕事のうちよ」

「た、確かにそうだけど……。貴方の場合、お近づきになる意図によこしまなものが含まれてるじゃない!」

「あらあら、相変わらず貴方は真面目ねぇ。そんなんだからいつまで経っても男の一人もできないのよ」


 と、飄々(ひょうひょう)とした口調でコゼットが応じる。


「話を逸らさないで! 私達はお客様をおもてなしする侍従にすぎないのよ。不用意にお客様に手を出すなと言っているの。そ、それに貴方だって今は男はいないじゃない」

「一直線に恋に突っ走る少女じゃあるまいし、私が男女関係で下手を打つわけがないでしょ。仕事に影響が生じない線引きくらい心得ているわよ」


 と、コゼットは鷹揚おうように語った。

 事実、これまでコゼットは客とお近づきになっても仕事に悪影響を生じさせたことはない。

 コゼットのことを気にいっている客は多く、生じさせた影響はリーゼロッテにとっては好ましいものばかりである。


「で、でもハルト様は年下なのよ?」

「やっぱりお堅いわねぇ。大人の男女関係に数歳くらいの年齢差は関係ないじゃない」


 コゼットが蠱惑的こわくてきな微笑を浮かべてうそぶく。

 そんな二人の舌戦に新人のクロエが興味深そうに耳を傾けていた。


「お、大人の男女関係……」


 そう呟いて、ごくりと唾を呑みこむクロエ。


「てっきり貴方もハルト様のことを狙っていると思っていたのだけれど、違ったのかしら? でも経験値不足なナタリーの手におえる相手じゃなさそうだし、そっちの方が良いのかもしれないわねぇ」


 意味深長な言葉を語りながら、コゼットがちらりとナタリーに視線を送る。


「ど、どういう意味よ?」

「言葉通りの意味よ。最初に言ったでしょ。ハルト様、中々の難敵だって」


 勝ち誇ったように言われて、それ以上は素直に追及するのも癪で、ナタリーは言葉に詰まってしまった。


「ど、どういう人なんですか。ハルト様って?」


 すると、今まで黙って話を聞いていたクロエが横から合いの手を入れてきた。


「女慣れしているというわけじゃないけれど、女性に対して物怖じはしない殿方ね。気さくで話しやすい人でもあるけれど、人との距離には敏感なようでパーソナルスペースは広いみたい。ああいう手合いはガードが固いけど、親密な相手のことはとても大切にするタイプよ」


 コゼットはフフッと笑うと、僅か数回ほど接して分析したリオの人物像を述べた。


「相変わらず見事な観察眼ね。男に限定してだけれど」


 ナタリーがしらっとした表情でコゼットを見やる。


「ありがとう。褒め言葉として受け取っておくわ」


 にこりと笑みを浮かべてコゼットが礼を言う。


「あ、あの。じゃあどうすればハルト様みたいな人と仲良くなれるんでしょうか?」


 と、おそるおそる尋ねるクロエ。


「ハルト様みたいな人ねぇ。ひょっとしなくてもクロエもハルト様を狙っているわけね」


 言って、コゼットがニヤニヤと笑みを浮かべる。


「ち、違っ! あの、私は母と妹を助けてもらったから。その、お礼を言いたくて!」


 クロエは顔を真っ赤にしてあたふたと手を動かした。

 必死に「本当ですよ!」と弁明するクロエを「わかってるわよ」と微笑ましくなだめるコゼットとナタリー。

 そうしてクロエが落ち着きを取り戻したところで、会話が本来の話題に戻る。


「意外と正面からぐいぐいと攻めれば邪険にはされないと思うわ。けど、私達の立場上それは難しい戦法ね。となると残った手段はコツコツと接触する機会を増やして親しくなっていくしかないわけだけれど……」


 と、そこでコゼットはいったん言葉を切った。


「けれど……?」


 ナタリーとクロエの声が重なる。


「そこから先は恋愛経験値の差がモロに出ちゃうのよねぇ。礼を失しない範囲で親密に接して、向こうからこちらに食いついてくるように振る舞っていかないといけないわけだから。だからナタリーじゃ難しいと言ったのよ」


 愉快そうにコゼットが語り、ナタリーはムッとして口をすぼめた。


「グイグイと攻める……。恋愛じゃなくてお礼を言うだけなら……」


 クロエがぼそりと呟いたが、その声はコゼットとナタリーの耳には届かなかった。


「ごめんなさい。怒らないで。リーゼロッテ様との関係も踏まえて、軽はずみな気持ちで焦って手を出すべき相手じゃないって伝えたかったのよ」


 その様子を見てコゼットがナタリーへと素直に頭を下げる。


「そのくらいわかっているわよ」

「そうね。けど恋は盲目って言うじゃない?」


 そう言って、さりげなく何やら考え事をしている様子のクロエを見やるコゼット。

 見られた当の本人はともかく、ナタリーはその視線から意図するところを察した。

 コゼットは口元に微かな苦笑を浮かべると、


「だから、本気で狙いたいなら相談に乗るわよ」


 ほがらかにそう言い放った。

 ナタリーが小さく溜息を吐く。

 いい加減なように見えてこうして遠まわしに気配りをしているところが、中々どうしてコゼットの憎めないところである。

 おそらく今までの会話はまだ十三歳と幼い新人のクロエに対する教育の一環だろう。

 実際に現時点でクロエがリオに惚れているかどうかは不明ではあるが、その可能性は低くない。

 コゼットと一緒に働くようになってそれなりに長いが、ナタリーが彼女とここまで大した喧嘩もせずに何だかんだ仲良くやってこられた所以だろう。


「もちろん私もあわよくばって形で狙わせてもらうんだけどね」


 加えて、コゼットが悪びれもせずに明け透けと付け足す。

 前言撤回。

 やっぱり気に食わないかもしれない。

 そう考え直して、ナタリーは小さく嘆息した。


 ☆★☆★☆★


 快晴の春空の下、波の代わりに雲と風を切って、一艘いっそうの船が大空を進んでいた。

 船体に鉄のプレートを貼りつけた木造の帆船はんせん状の形をしており、揚力ようりょくを得られるようにと側面には翼が取り付けられてある。

 それは神魔戦争期に作りだされたアーティファクト、魔道船であった。

 現存する数はシュトラール地方全土にわたって数百は下らないと言われているが、燃料となる魔石を大量に必要とし、船の機関を始めとした心臓部の整備も現代の魔法知識では困難な個所が多いため、一隻一隻に青天井の値段がつけられる代物だ。

 所有者であるリーゼロッテに伴い、リオは魔道船に乗っていた。

 そもそも一般人が搭乗できる乗り物ではなく、これまでに見たことはあったが、実際に乗船するのは初めての経験だ。

 アマンドを離れて北東に進んで行くと、ガルアーク王国の王都が存在する。

 最初はてっきり移動は馬車だと考えていたリオであったが、魔道船のおかげで快適な空の旅を満喫することができそうであった。


「魔道船の居心地の良さに驚いております。思った以上に揺れないものなのですね」

「快適に感じてくださっているのならば何よりです」


 船内の一室で、リーゼロッテとお茶を飲みながら、リオは雑談に花を咲かせていた。

 屋敷の中のように広々としているわけではないが、ゆったりとくつろぐには十分なスペースが確保されており、お洒落なインテリアに飾られてアットホームな空間が演出されている。


「それにしても素晴らしいケーキですね。ハルト様がお作りになられたのですか?」


 リーゼロッテがご満悦な表情を浮かべて、上品だが愛らしい所作でリオと美春が作ったパウンドケーキに舌鼓を打つ。


「ええ、お気に召して頂けたようで何よりです」


 言って、リオが微笑を浮かべて目礼する。


「ハルト様はお料理がお上手なのですね。先日に頂いたチョコレートも大変美味しゅうございました。こちらのケーキもしっとりとした生地に上品な甘さのチョコレートが重なって最高の一品に仕上がっていますよ」


 リオの向かいに座るリーゼロッテはにっこりと微笑んでいた。

 嫌みのない本心からと思わせる綺麗な笑顔だ。

 前にチョコレートを渡した時にもリオは感じていたが、どうやらリーゼロッテは甘いものに目がないようである。


(この子も俺やラティーファと同じで生まれ変わったのだとしたら、前世はどんな子だったんだろう)


 こうして頻繁に会う機会が増えたせいか、ふとリオは思った。

 そんなことを考えながら紅茶の香りを楽しんでいると、リーゼロッテと視線が重なる。

 彼女は何か言いたげにリオを見つめていた。


「どうかなさいましたか?」

「あ、いえ。その……」


 と、リーゼロッテは言いよどんだ。


「何か仰いたいことがあるのでしょうか? よろしければお聞かせください」


 リオが水を向けてみると、リーゼロッテは躊躇ためらいがちに口を開いた。


「その、こうして何度もまみえているのに、あまりハルト様のことを存じ上げないなと……」


 薄っすらと頬を桃色に染めて、リーゼロッテは少しだけうつむいた。

 どうやらリーゼロッテもリオと似たようなことを考えていたようだ。

 二人の関係を言い表すならビジネスな結びつきになるわけだが、質問とは暗に相手方に返答を強要する行為である。

 それゆえビジネスシーンにおいては相手方に対してプライベートな質問をすることは避けるのがマナーである。

 特に目上の相手に質問をしようものなら、失礼な行為として気分を害されることも少なくない。

 これまで二人は必要以上にお互いのプライベートを詮索する真似はしなかったのだが、こうして日常的に顔を合わせるようになって二人の距離も少しずつ縮まってきている。

 より親密な関係を築こうと考えるのならば、ここいらが今後の二人の関係を決める分水嶺ぶんすいれいとなることだろう。

 そこでリーゼロッテは思い切って自分から足を踏み込んでみることにしたのだ。

 男なら思わず自分語りを始めてしまいかねない彼女の可憐な仕草であったが、


「なるほど。仰る通りですね」


 リオは落ち着いた口調で相づちを打った。

 今後のビジネスパートナーとしてリオもリーゼロッテに対してまったく関心がないというわけでもない。

 望むところというわけでもないが、今の流れは悪い話ではなかった。

 それから二人はしばしお互いの自己紹介を含めて少しずつ身近な話をし始める。

 特に盛り上がりを見せたのが紅茶に関する話題であった。


「ブレンドティーはセンスも要求されて私にはハードルが高いのですが、フレーバードティーはたしなむ程度に自作しておりますよ」

「まぁ、是非ハルト様がお作りになられた紅茶を頂きたいですわ」


 王立学院時代にはセリアの紅茶好きの影響を受けて付き合わされたり、精霊の民の里ではオーフィアが開くお茶会に招かれたりと、リオは何かと紅茶に触れる機会が多かった。

 そうして周囲の人間に付きあって紅茶を飲んでいるうちに一端いっぱしの紅茶通になってしまったのだ。

 今では茶葉をブレンドしたり、茶葉にフレーバーをつけたりして、オリジナルのお茶を自作するようにもなっており、美春と一緒に新しく何種類か試作品を製作中でもある。

 対するリーゼロッテもリオ以上に紅茶が好きなセリアに負けない程の紅茶好きであり、共通の話題を見つけてからはそれが会話の糸口となって話が更に弾み出した。


「そうですね。いくつか持参しているものがございますので、よろしければ後ほどお試しになってください」

「まぁ、楽しみにお待ちしておりますね」


 そう言うと、紅茶のカップに口をつけ、リーゼロッテは悪戯っぽく笑みを浮かべた。

 それからしばしの間、歓談を行うと、解散の時間がやって来る。


「それでは失礼いたします。楽しいひと時を過ごさせていただきました」

「それは私から申し上げたい言葉ですわ。アフタヌーンティーにお付き合いくださりありがとうございました。間もなく到着の時刻かと存じますので、部屋に戻るか外の景色でもご覧になってお待ちくださいませ」


 そう言って、笑顔の挨拶を交わすと、リオはリーゼロッテの部屋を後にする。

 甲板に出ると空から差し込む陽光はもう朱に色を変えつつあるところであった。

 遥か彼方の地平に浮かぶ夕日が色鮮やかに光り輝いている。

 大陸の遥か彼方まで見渡すことができる景色はまさしく絶景の一言が相応しい。

 地表には山がそびえ、峡谷が刻まれ、森が広がり、湖がはびこり、野があって、川が流れている。

 ぽつりぽつりと散在する矮小わいしょうな都市の姿を眺めていると、自分がちっぽけな存在に思えてしまいそうだった。

 それは吸い込まれてしまいそうなくらいに綺麗で、とても幻想的な光景である。

 魔道船から眺める景色にたそがれるのもそこそこに、リオは自室に向かってきびすを返そうとした。

 その時だった。


「あ、あの! ハルト様!」


 緊張して硬くなった少女の声を耳にし、リオが反射的に立ち止まる。

 声の主に振り返ると、そこにはリーゼロッテのお付きとして同乗しているクロエが佇んでいた。

 年齢は亜紀と同じくらいだろうか、まだあどけなさの残る表情はどこか強張っているように見える。


「クロエさんでしたか。こんにちは。どのようなご用でしょうか?」


 ゆっくりと近づいてくるクロエに薄く笑みを貼りつけて会釈すると、リオは柔らかな口調で用向きを尋ねた。


「は、はい。あの……」


 クロエは何やら意気込んでいるのか、気を張った様子で深呼吸をすると、


「先日はありがとうございました!」


 リオに向かって勢いよく頭を下げた。


「はい。えっと、レベッカさんとミレーユちゃんのことでしょうか?」


 クロエからお礼を言われて、リオに思い当たる節は一つしかなかった。

 おそらく先日アマンドを襲撃した魔物に襲われていたクロエの母と妹を助けた件だろう。


「は、はい。私、あの時はお母さ……母と妹のことが心配でいてもたってもいられなかったんです。ハルト様が二人を連れて屋敷にいらっしゃった時はすごく安堵しました」


 と、カチコチと緊張した様子を見せながら、クロエが当時の心境を語る。

 年齢が近いせいか、その姿は何となく亜紀やラティーファと重なった。


「それから詳しい話を母から聞いて、もしハルト様が通りかからなかったらと思うとすごく怖くなってしまって……」


 あの時、リオがあの場を通っていなければ、クロエの母レベッカと妹ミレーユは間違いなくゴブリンとオークになぶり殺されていただろう。

 後からナタリーが通りかかったとしても、その時には既に手遅れになっていたであろうことは確かだ。

 一歩間違えれば最悪の結果が待ち構えていたことから、クロエはリオに大きな恩を感じていた。


「だからちゃんとお礼を言いたかったんです! 本当にありがとうございました!」


 クロエは不器用ではあるが、清々しいくらいストレートに感謝の気持ちを言い表してきた。


「いえ、お二人ともご無事で何よりですよ。その後、お変わりはありませんでしたか?」


 と、リオがレベッカとミレーユのその後の様子を尋ねる。


「はい。母も妹も元気です。二人とも是非ハルト様に何かお礼をしたいと申してました」

「いえ、お気持ちだけで結構ですよ。屋敷へ移動するまでの間に十分お礼のお言葉も頂戴しましたし。お気遣いなさいませんよう」


 リオはかぶりを振って、やんわりとお礼の申し出を断った。


「い、いえ! 駄目です! きちんとお礼をさせてください!」


 だが、予想外にクロエが食い下がる。

 リオは僅かに呆気にとられてしまった。


「あ、も、申し訳ございません!」


 熱くなってしまった自覚があったのか、クロエは慌てて謝罪した。


「いえ、構いませんが……」


 少しばかり気まずい空気が流れる。


「申し訳ございません。私、きちんとお礼と謝罪の言葉を言えないですごく後悔したことがあって……。こういう時はちゃんとお礼を言おうって決めていて……」


 ばつが悪そうに顔をうつむけ、クロエは尻すぼみに弁明した。


「そうだったんですか……」


 少しばかり過剰とも言えたクロエの反応を見る限り、それだけ過去の行いを悔いているのだろうか。

 一度しか会ったことはなかったが、クロエはもっと気さくで明るい少女だったとリオは記憶している。

 初めて会った時は、明るい笑顔を浮かべて、少し強引なくらいに腕に抱き着いて客引きをしてきたはずだ。

 もちろん今のリオとクロエの関係は当時とは異なるし、あまり馴れ馴れしく接するわけにもいかないのだろうが、今の彼女からはかつてを思わせる底抜けの明るさをあまり感じられない。

 単に数年の間で成長してそういった気質が鳴りを潜めていったのか、過去の事件で少しばかり人との距離に敏感になってしまったのか、あるいは他に理由があるのだろうか。

 だが、そこは自分が踏み込むべき領域ではない――、リオはそんなことを思って、


「先ほども申し上げた通り、もうお礼の気持ちはきちんと受け取りましたよ」


 と、諭すように言った。


「きちんと言葉で表して頂いたおかげで、クロエさんの気持ちは伝わってきましたから」


 続けて、リオが言葉を付け足す。


「は、はい」

「あまり気負わずに『ありがとう』『ごめんなさい』と一言だけ告げるだけで十分なんじゃないでしょうか。クロエさんが緊張しすぎると、相手も何だろうと緊張してしまいますから」

「一言だけ。『ありがとう』『ごめんなさい』……」


 何か思うところがあるのか、クロエがそれらの言葉を何度か繰り返し呟いた時――。


「王都だ~!」


 甲板に乗組員の声が響き渡った。

魔道船は14話で名前だけ登場しております。

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