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精霊幻想記(Web版) 作者:北山結莉

第五章 思い描いた未来の先で

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第86話 正装の購入と決断と

 ガルアーク王国の王都へと出発しなければならない期日が迫ってきたある日のことだ。

 沙月のお披露目を兼ねた夜会用の正装を購入するため、リオはセリアと一緒にアマンドへと訪れた。


「うふふ」


 と、隣を歩くセリアのご機嫌はすこぶる良い。

 セリアは外出用に魔道具で髪の色を変えているせいか、普段とは少し雰囲気が異なって見える。

 るんるんと鼻歌交じりで隣を歩く姿はなんだかとても可愛らしかった。

 そんな彼女の姿に、リオはちょっとだけ微笑むと、


「すみません。俺の買い物に付きあわせてしまって」


 と、セリアに話しかけた。


「え? ううん。いいのよ。引きこもってばかりだと身体に悪いし。やっぱり外を歩かないとね」


 思わず「おお」と、リオが感嘆の声を漏らしてしまいそうになる。

 引きこもりを地で行くセリアからは想像もできないくらいに健康的で前向きな発言だ。

 最近も彼女は部屋に閉じこもって研究漬けの日々を過ごしていた。

 普段からこうして運動するように心がけてくれればいいのに――。

 そう思って、ちらりと横目でセリアを眺めると、彼女はにこにこと微笑んでいた。

 そんなセリアが何を考えているかというと、


(せっかくリオと二人きりのチャンスなんだから。今日という日を生かすわよ! 何だかんだで二人きりで外出した機会って一回しかなかったし、しかもその時は別行動だったし……)


 と、内心で強く意気込んでいた。

 十代半ばにも達していない少女と言っても差支えのないくらいに若々しい見た目をしているセリアは二十一歳の乙女である。

 遅れて咲いた初恋相手の隣を歩き、今日の彼女はいつにも増してときめいていた。

 そんなセリアの心情はつゆ知らず、


「でもなんだか新鮮ですね。こうしてセシリアと二人だけで一緒に都市の中を歩くのって。昔は研究室で会うことが多かったですし」


 リオが少し懐かしそうに言った。

 突然に声を掛けられて、セリアがびくりと震える。


「えっ? ええ、そ、そうね。あの頃はよく紅茶を淹れてもらってたっけ。えっと……」


 意気込みすぎているのか、隣を歩くリオのことを意識してしまい、セリアの声が半音高くなってしまう。

 願ってもない二人きりの状況で、喋りたいことはたくさんあったはずなのに、想いが声にならない。

 何とか平静を装おうとはしているが、顔が熱くなっているのが自分でもわかる。

 こほんと咳払いをして何とか落ち着きを取り戻すと、セリアはリオに言葉を送ることにした。


「ところで夜会にはどんな正装を着ていくつもりなの? ハルトなら燕尾服とか似合うと思うけど」

「実は俺、服を吟味して選ぶのがどうも苦手で。いつも何となくで服を買ってきたものですから。だからセシリアに選んでほしいなと思いまして」


 と、うかがうようにリオが答える。

 今日こうしてセリアを連れてきたのは貴族として夜会に幾度も出席してきた彼女が頼りになると考えたからだ。

 一緒に正装を選んでほしいとは言ったものの、リオとはしてはあまり自分の服のセンスに自信がないため、完全にセリアに選んでもらいたかったりする。


「うん。それは構わないけど、私でいいの? ミハルも良いセンスをしていると思うけど……」


 そう言ってから、小声で「リオ、ミハルと仲が良いし」とぼそりと呟く。

 だが、その声がリオの耳に届くことはなかった。


「はい。セシリアなら夜会の経験も豊富でしょうから。それに服のセンスも良いと思いますよ。セシリアなら俺に合う服を選んでくれるかなと思ったからこそ頼ったんです」

「そ、そう? ありがとう……」


 セリアは気恥ずかしくなってしまい、かぁっと顔を赤らめて礼を言った。

 あまり口数が多い人間ではないが、リオは意外とストレートに感情を表現してくる。

 不意にドキリとしてしまうことも多く、こうしてドギマギしてしまうこともよくあった。

 しかし、いつも自分ばかりがドキリとさせられるのは少し悔しい。


「じゃあ早く行きましょう。ほら」


 偶にはこちらからドキリとさせてやろうと考え、セリアは思いきってリオの手を掴んだ。

 そうしてすたすたと歩き始めるが、その足取りは普段の彼女よりも妙に速い。

 そんなセリアに引っ張られてリオも歩く。


「ちょっとセシリア。歩くの速くないですか?」

「は、早く行きましょうって言ったでしょ。男の子なんだから情けないこと言わないの」


 大人の余裕を見せつけるどころか、若干しどろもどろになりながら、セリアが返す。

 ゆっくりと歩けるものか。

 隣に並んで横顔を見られたら、顔が真っ赤に染まっていることがバレてしまう。

 リオと手を繋げた喜びと気恥ずかしさが相まって、セリアは絶妙な幸福感に浸っていた。

 自分からリオをドキリとさせてやるという当初の思惑は吹き飛んでいたりする。

 そんな感じで歩きながら、二人が訪れたのは上流階級向けの衣類を取り扱う衣装屋であった。


「さ、選びましょうか。その前にまずはサイズを測らないといけないかしら」


 お目当ての店に足を踏み入れると、セリアが弾んだ声で言った。

 正装の販売もしており、どうやら既製品の販売だけでなくオーダーメイドも受け付けているらしい。

 先ほどからずっと繋がれたままの手を引いて、セリアはリオと一緒に店の奥に入っていく。


「いらっしゃいませ。当店へおいでいただき、ありがとうございます。本日はどのようなご用でしょうか?」


 店が製作したであろう正装を着た男性の店員が二人を出迎える。


「夜会用に彼の正装を買いに来たの。まずはサイズを測ってもらえるかしら?」


 買物に慣れた感じでセリアが答えた。


「畏まりました」


 それからリオは店員に体のサイズを測ってもらうことになった。

 正確なサイズを測るために試着室に入り、半裸になって大人しく採寸される。

 サイズを測ったのは若い女性店員なのだが、僅かに顔を赤らめているせいで、リオまで恥ずかしくなってしまう。


(働き始めて日が浅いのか?)


 などと考えるリオ。

 それから店員が部屋の外にいるセリアへとサイズを伝えて、その間にリオは服を着ることにした。

 どうせすぐに試着をするのだからと元から着用していた服をすべて着ることはしない。

 薄着姿で試着室から出ると、既にセリアは商品の選別を開始していた。

 良さそうな服を見つけては何やらブツブツと呟き、服を両手で持ってかざしてじっと見つめている。


「あ、ハルト、出てきたのね」


 リオに気づき、セリアがパッと笑顔を咲かせた。

 それから吟味中のテイルコートを持ってくると、


「はい。じゃあまずはこれを着てみて」


 そう言って、リオに差し出してきた。


「はい。わかりました」


 受け取った服を持って試着室に戻ると、リオは手早く着替えを始めた。


「着替えました」


 試着室を仕切る布を開き、リオが告げる。


「うん。なるほどね。似合っているわよ」


 セリアがじっとリオの全身を見渡すと言った。

 その言葉が嬉しくてリオが微笑む。

 リオとしてはもうこの服でもいいんじゃないかと思ったのだが、


「さ、じゃあどんどんいってみましょうか。まだまだ候補はたくさんあるからね」


 と、セリアが新たな燕尾服を差し出して告げる。

 どうやら先はまだ長そうだ。

 服を受け取り、リオは苦笑して再び試着室へと戻った。

 それからリオはセリアの着せ替え人形の如く試着を繰り返す。

 既に自分でも何回着替えたのかわからない数の服を試着している。

 服を選ぶセリアの表情はとても楽しそうで、なんだかリオまで楽しくなってきた。


(今の生活を楽しんでもらえてはいるのかな)


 うきうき気分で新たな服を吟味するセリアを見て、リオは思った。

 今の生活に不満を抱いているか、ストレスが溜まっていたら、ああいった顔はできないだろう。


「うん。すごく似合っているわよ」


 リオが最終的に購入を決めたテイルコートを纏うと、セリアがうんうんと深く頷きながら言った。


「どうも……」


 姿見に見慣れない自分の姿を見て、リオがむず痒そうに礼を言う。

 普段とは違う格好をするというのはなんだか妙に気恥ずかしいものだ。

 オーソドックスなダークカラーのジャケットとパンツ。上着は後裾が長く、ツバメの尾のように長く割れている。

 上着の下に真っ白なベストを身に着用し、ウィングカラーのシャツに、首には黒のネクタイを結ぶ。

 若者向けにお洒落な装飾が施されてはいるが、シンプルで上品な雰囲気を醸し出していた。


「ありがとうございました。またのお越しを」


 店員に見送られて、二人が店の外に出る。


「ねぇ、ハルト。私ね。一度、お忍びでベルトラム王国の実家に行ってみようと思うの」


 帰宅する道すがら、決意めいた表情を浮かべて、セリアがおずおずと言ってきた。 

 リオが目を丸くしてセリアを見やる。


「あ、勘違いしないでね! 今の生活に不満があるわけじゃないのよ! 何一つ不自由のない生活を送らせてもらって、ハルトには本当に感謝しているの!」


 と、慌ててセリアが語る。

 リオは一先ず彼女の話をすべて聞いてみることにした。


「ただね。当たり前だけど実家には何も言わずに逃げ出しちゃったし、手紙を一度送っただけで何の連絡もしてないから。流石に心配をかけすぎているんじゃないかなと思って……」


 リオの反応をうかがうように告げるセリア。


「忙しい時期にごめんなさい! ハルトには迷惑をかけないように、貴男が夜会に参加している間に私一人で行くつもりだったんだけど、なかなか言い出せなくて……」


 そう言って、セリアは申し訳なさそうにリオに頭を下げた。


「お話はわかりましたけど、水臭いですよ。セシリア」


 リオは小さく嘆息すると、やや呆れのこもった声色で言った。


「言ってくれればいくらでも協力しますから。遠慮なんかしないでください」


 と、セリアの顔を覗き込み、言い聞かせるようにゆっくりと語る。


「う、うん。ごめんなさい……」

「謝らないでください。というよりも俺の方から気遣ってあげるべきでした。こちらこそすみません」

「リ……、ハ、ハルトは悪くないってば! これは私の我儘なんだから!」


 思わずリオの名で呼びそうになってしまったセリア。

 周囲には人も少ないため、そこまで神経質に偽名で名を呼ぶ必要はないのだが、セリアは慌てて口をつぐみ、ハルトと呼び直した。


「セシリア、家族が家族のことを心配するのは当たり前のことです。これは我儘の範疇はんちゅうには入りませんよ」


 と、リオがかぶりを振って言う。


「けど困りましたね。送りたいのは山々なんですけど、夜会が終わった後の方が時間的に都合が良いかもしれません」


 いくらセリアの実家とはいえ、今の彼女は逃亡中の身だ。

 流石に正面から堂々と実家に帰ることはできないだろう。

 忍び込むのならばリオかアイシアの協力が必要になる。

 また、正面から帰ったところで、その後すんなりとこちらに戻ってくることができる保障もない。

 セリアを心配した両親がそのまま彼女が外に出ていくことを反対するかもしれないからだ。

 心配のあまり怒っている可能性だってある。

 あまり考えたくはないがセリアを軟禁したり、当初の政略結婚を強要したりするおそれだってあった。

 それゆえ、出来ればリオも一緒に行って陰から見守るか同席したいところであるが、どれほど時間がかかるのかわからず、途中でセリアを放って帰ってくるわけにもいかない以上、一緒に行くのならば夜会が終わった後の方がいいだろう。


「俺が夜会に行っている間にアイシアに送ってもらって密会に協力してもらうという手もありますけど……」


 そうなると美春達は三人だけで王都の宿屋で寝泊まりしなければならなくなる。


「……美春達を三人だけで宿屋に泊らせるのは不安よね?」


 と、リオの懸念を察して、セリアが尋ねてきた。


「……はい。そうですね」

「私も心配よ。あ、でも……」


 言って、セリアは何かを思いついたような表情を浮かべた。

 そうしてから口元に手を当てて、考える素振りを見せる。


「あの子達のことを思うのならば良い経験にもなるかもしれないわね」


 逡巡しつつもセリアが語る。


「良い経験……ですか?」

「ええ、基本的にあの子達って常に傍に守ってくれる誰かがいるじゃない。僅かな時間とはいえ三人だけで生活することで得られるものはあると思うの。王立学院でやる野外演習と似ているのかしら。ほら、野外演習の時って教師が傍にいない状況で生徒達だけで行動するじゃない?」


 ふと思いついた考えの意図を説明するセリア。

 要はこの機会に精神的に自立するための社会経験を積めるということだ。

 確かに思い返せばこの世界にやって来てからあの三人だけで行動を認めたことはほとんどない。

 一度だけ、リオがセリアを連れてくるときに三人で留守番をしたくらいだろうか。

 とはいえあの時は周囲にまったく人がいない状態での留守番で、外界と関わりを持つ心配はする必要がなかった。

 都市の中で実際に三人だけで生活する場合とは状況がまったく異なる。

 皮肉なことに美春達を鳥籠で囲うように保護したままでは、彼女達の精神的な成長を促せないことは事実であろう。


「確かに……仰る通りですね」


 一理あると考え、リオは頷いた。


「まぁ高級な宿屋に泊まっていれば普通は危険な事態は起きないんじゃないかしら。少なからず私達以外の人と触れ合うことにはなるけどね。でも、そういう経験を積ませることが目的よ」


 美春達はこの世界でリオやセリア以外の人間ときちんと会話をしたことがない。

 最近は普通に日常会話をできるようになってきたし、スパルタだが習得した言語を実地で使用する良い訓練にもなる。

 セリアが語る通り、普通に過ごしていれば危険が及ぶ可能性はほとんどないことから、この機会に美春達にこの世界の人間達が暮らす中で生活させてみることは悪くない選択肢のようにも思える。


「仮に変な輩が因縁をつけてきても、こないだ貴方から受け取ったペンダントを提示すればよっぽどの世間知らずでもない限り引き下がるはずよ」


 ペンダントというのはリオがリーゼロッテとの間で結んだ美春達の保護に関する契約を証明する物品だ。

 そのペンダントにはリーゼロッテの庇護下にあることを意味する紋章が刻まれており、これを提示すれば無条件に彼女に保護してもらうことができるというものである。

 その紋章はクレティア公爵家の家紋と酷似しており、この国に生きる有力者であってもそれを提示されたら正面から歯向かおうと考えることはしないだろう。


「あのペンダントは本当に緊急時に使用してほしいといいますか。いや、まぁ今想定している事態は緊急時なのかもしれませんけど……」

「リスクを恐れていたらリターンは得られないものよ。今回のケースで考えられるリスクなんて無視できる程度に微々たるものだと思うけど。私の件とは切り離して、貴方が試してみようと思うのなら、家に帰ってからあの子達の意志を確認してみたらどうかしら?」

「そう、ですね……。聞くだけ聞いてみましょうか」


 可愛い子には旅をさせよ、ともいう。

 タイミングをうかがってリオが王城を抜け出し美春達の様子を見に行ってもいいし、何なら最初の数日はセリアとアイシアを一緒に滞在させて様子をみさせてもいいだろう。

 リオはしばし逡巡すると、悩ましげではあるが、検討の意志を示した。


「ふふ、相談ならいくらでも乗ってあげるから、じっくりと考えてみなさいな。最終的に貴方が下した判断なら私は尊重するわ」

「ありがとうございます」


 リオは穏やかに微笑んで礼を告げた。


「さて、じゃあ話を変えましょうか。どうなの? マナーは学院で習ったでしょうけど、夜会なんて初めての経験でしょ? 自信はあるの?」


 少し重くなった空気を明るくするように、セリアが努めて明るく言った。


「どうでしょうか。もう何年も実践していないので不安ではありますね」


 リオが苦笑して答える。


「うーん。ハルトなら言葉遣いは問題ないでしょうけど、よかったら私が細かい作法をレクチャーしてあげましょうか? ダンスなんかも自信がなければ教えるけど」


 セリアも伊達に高位貴族の令嬢であったわけではない。

 引きこもり体質な彼女ではあったが、貴族間の交流を完全に絶つことはできず、夜会に出席した経験はそれなりにあるのだ。

 そんなセリアにマナーを教えてもらえるとなれば百人力である。


「助かります。お願いできますか?」

「うん、任せなさい!」


 セリアが慎ましやかな胸を張って答える。

 リオの役に立てることが嬉しいのか、その表情は実に晴れやかであった。

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2015年10月1日 HJ文庫様より書籍化しました(2020年4月1日に『精霊幻想記 16.騎士の休日』が発売)
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登場人物紹介(第115話終了時点)
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