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精霊幻想記(Web版) 作者:北山結莉

第四章 再会、その裏で

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第82話 迎撃に備えて

 アマンドの中央広場からやや東に進んだ路地で、リオは灰色のグールと戦っていた。


「つ、強い……」


 目の前で繰り広げられている一方的な戦いを目にして、ナタリーが呆然と呟く。

 リオは腰に差した剣を抜かず、驚異的な身体能力で動き回るグールを体術のみで軽々と圧倒していた。

 既にグールの身体には着実にダメージが蓄積しており、最初のうちは驚異的な治癒能力でダメージを負った部位や骨折した箇所を修復していたのだが、その動きもかなり鈍くなっている。

 リオは魔法を使用していないが、かなりの身体能力を見せており、おそらくは何らかの魔道具を使用しているのだろうと、ナタリーは判断した。

 実際にアーティファクト級の武具の中には使用者の身体能力や肉体の強度を高める業物が少なからず存在する。

 それよりも疑問なのは、どうしてこれほどの実力差があるにもかかわらず、明らかに手加減をするような真似をして戦っているのかということであるが、その疑問はすぐに氷解した。


「すごい! お兄ちゃん強い!」


 ナタリーの後ろでは、ミレーユが興奮しながらリオの戦う姿を眺めていた。

 リオとグールの戦いは大立ち回りをしている演劇のようにしか見えないが、普通はミレーユくらいの子供が魔物と戦う姿を見れば、その後の人生にトラウマを抱えてもおかしくないくらいに凄惨な光景を目の当たりにすることになる。

 具体的には、人や魔物の身体が吹き飛び、血飛沫ちしぶきが周囲に降り注ぐ、そんな光景だ。

 骨を折るように投げ技を仕掛けたり、的確に人体の急所に打撃を打ち込んだりと、リオの攻撃は容赦がないが、グールは一見すると綺麗な身体を保っていた。

 それこれもミレーユの情操に配慮しているのだろう。

 生死がかかった魔物との戦いで、そういった配慮ができる程にリオとグールの実力差は圧倒的なのだ。


(しかし、だからと言ってアレを相手に素手で戦うのは……)


 同じ真似が自分にできるだろうかと問いかけ、ナタリーは背筋に冷や汗を浮かべた。

 グールの動きは単調だが、それを補って余りあるほどの身体能力と治癒能力を持っている。

 生身でグールの攻撃を受ければほぼ間違いなく致命傷を負うはずだし、ダメージを与えてもしぶとく回復していく姿はじわじわと戦意を削いでくるだろう。

 それでも武器があれば治癒能力が追い付かなくなるくらいにダメージを与えることはさほど難しくはないが、素手でそれを行うとなると一度のミスも許されない高度な戦闘技術が必要となるはずだ。

 それを易々とやって見せるリオの実力と胆力はナタリーではとても計り知れない。


「ガッ……」


 ナタリーがあれこれ考えて愕然としているうちに、またしてもリオがグールを遠くに投げ飛ばした。

 ビクビクとのた打ち回りながら、折れた両脚を使って何とかグールが立ち上がる。

 好戦的な気勢はみられるものの、おそらくもう戦闘を継続することができないくらいに内臓も骨も痛めつけられているのだろう。

 グールはフラフラとたたらを踏んでいた。


(とんでもないタフさだな)


 リオは内心でグールの生命力と頑強な肉体にほとほと呆れていた。

 斬撃は試してみないことにはわからないが、身体は硬く、打撃に対してはあり得ない程の耐久力を持っているようだ。

 動きは単調であるが、身体能力と治癒能力も驚異的であるため、体術だけで戦うとなると中々に厄介な相手である。

 だが、グールの実力も対処法もおよそは見当がついた。

 そろそろ幕引きだと、そう言わんばかりに、リオはゆっくりとグールに歩み寄る。

 グールは血を吐きながら、リオを威嚇するように力弱くうなった。

 しかし、リオは止まらない。

 相手が動き出そうとしたタイミングで、一気に間合いを詰めると、ナタリー達の死角となるようにグールの前に立ち塞がる。

 リオはグールの顎の先端を掴むと、強化した腕力で思いきり首の骨を折った。


「ガッ」


 鈍い悲鳴とともに、痛々しい骨折音が響き渡る。

 流石に身体中にダメージを負った状態で首の骨を折られたため、グールの身体が地面に沈み、そのままぴくりとも動かずに硬直した。

 リオは油断なくグールを見下ろす。

 その正体が本当に魔物ならば、グールはこのまま灰になって魔石だけを残して消滅するだろうと考えて――。

 果たして、息絶えてから数秒後、鍍金めっきが剥がれるように、グールの皮膚がボロボロと崩れ落ちる。

 背中に付いていた羽も千切れ、やがて人肌が露わになり、リオは小さく目を見開いた。


「人間……なのか?」


 ぼそりと呟く。

 その容姿は確かに人間のものと酷似している。

 いや、人間そのものだった。

 まるで元々は人間だった者がグールに変化したとでもいうような――、そんな突拍子もない考えが頭の中に浮かぶ。

 だが、次の瞬間、グールの死骸が急速に干乾びて、音をたててボロボロと灰になり崩れ始める。

 それは魔物が死んだ時に起きる特有の現象だった。

 しばらくして完全に崩れ去った残骸にキラリと一つの石が残る。

 まるで濃紫色のサファイアのような宝玉――、魔石だ。

 だが、通常の魔物が残す魔石とはサイズも内蔵している魔力の量も異なったため、リオは驚きで目をみはった。

 すると、そこで、


「お疲れ様でした。お見事です。やはりソレは魔物だったのですね?」


 やや申し訳なさそうな声色で、ナタリーがリオの背中に声をかけた。

 おそらくリオ一人に戦わせてしまったことを心苦しく思っているのだろう。


「ええ、どうやら魔物だったようですね」


 リオは振り返ると、そう答えて、ナタリーに魔石を見せた。

 魔石を残すということは魔物であるという何よりの証明だ。

 そのはずなのだが、先ほどグールが消滅しかかる前に見せた人間のような姿が、リオの脳内に焼きついて離れない。


「随分と大きな魔石ですね。やはりそれだけ強力な魔物だったということでしょうか」


 ナタリーはグールが最後に見せた人間の姿に気づいていないのか、興味深そうに魔石を覗き込んでいた。


「そう、でしょうね」


 と、リオが歯切れの悪い返事をする。

 しかし、物珍しい魔石に注意を惹かれ、ナタリーがリオの声色の変化に気づくことはなかった。


「とりあえずさっさとこの場から離れましょう」


 かぶりを振って脳内の疑問を振り払うと、リオが告げた。

 この場所に新手の魔物がやって来ない保証がない以上、今は考え事をしている場合ではない。


「はい。そうですね」


 ナタリーが頷き、賛同する。

 リオはナタリーと顔を見合わせると、


「それでは。俺はこれで。彼女達は俺が東門まで連れて行きますから」


 そう言って、目礼をし、踵を返した。

 これ以上の面倒事に巻き込まれるのは御免だが、無力なレベッカとミレーユを捨て置くのも後味が悪い。

 ゆえに、必要な会話をすることを避け、二人を連れてさっさとその場を立ち去ろうとしたのだが、


「え、あ! え、ええ。あ、ちょ、ちょっと待ってください!」


 あまりにも淡白な別れの言葉に、ナタリーは慌ててリオを呼び止めた。


「先ほどの魔物について主……、リーゼロッテ=クレティア様にご説明願えないでしょうか? 屋敷ならば安全ですし、ここからなら東門に向かうよりは早く着きますので」


 堰を切ったように捲し立てるナタリー。

 彼女からすればグールという未知の魔物をリーゼロッテに報告するのは必須である。

 グールの魔石を提示して、可能ならば戦闘を行った者の口から直接に語ってもらうことが望ましい以上、リオの同行は欠かせなかった。

 そうしたナタリーの職責は理解できるのだが、


「ちなみに……拒否権は?」


 僅かに辟易とした顔を覗かせて、リオが尋ねる。


「申し訳ございません。その場合は緊急事態につき代官権限を代理行使して強制的に招致します」


 僅かに顔を強張らせて、ナタリーが語る。

 その選択は本意でないのか、声に苦々しそうな響きが混じっていた。

 もっとも、強制的に招致すると言っても、ナタリーにはリオを連行する実力も自信もないのだが。

 しばし逡巡すると、リオは嘆息し、


「承知しました。参りましょう」


 観念したように、そう答えた。


 ☆★☆★☆★


 現在、リーゼロッテが暮らす屋敷は、戦場のような慌ただしさに見舞われていた。

 それもこれもアマンドの西の門から大量の魔物の群れが流れ込んできたことに起因する。


「重傷者は治癒魔道士の下へ。魔力回復用に魔石は常に補充しておきなさい。逃げ遅れた避難民の受け入れは屋敷の大広間にて行います。誘導はスムーズに行うように!」


 屋敷の庭では、侍従のコゼットが屋敷に勤める兵士や使用人達にテキパキと指示を下していた。

 庭に設置された臨時の野外病院には、怪我をした兵士や冒険者達がひっきりなしに運び込まれている。

 また、魔物に襲われるなどして東門へ逃げそびれた一部の民間人が保護を求めてやって来ていた。

 ちなみに、多少のパニックがあったものの、民衆の避難がほぼ完了したことは確認済みである。

 幸い都市に暮らしている人間には緊急時に備えて警戒訓練を施していたことから、狂乱状態に陥ることはなかったようだ。

 リーゼロッテは執務室の窓から目まぐるしく人が動き回る庭の様子を苦々しい面持ちで眺めていた。

 しばらくして深く溜息を吐くと、


「それで、各地の戦況はどうなっているのかしら?」


 リーゼロッテは振り返り、背後に控えていたアリアに尋ねた。

 屋敷の執務室は臨時の対策本部室とされ、今はアリアから状況の報告を受けている最中である。


「はっ。侵入してきた魔物の数は最大で千体には及ばないものと考えられます。その大半が西門から侵入し、都市の中心部に向かっています」


 アリアが落ち着いた口調で淡々と報告を行う。


「中央広場の手前にてそれを迎え撃つべく、アマンド兵士団と冒険者の混成部隊が魔物の大軍と交戦中です。数ではこちらが劣りますが、戦況は何とか五分五分に保っているようです。パトリック団長が素晴らしい働きをしているようですね」


 よどみなく説明を続けるアリア。

 リーゼロッテは神妙な面持ちを浮かべ、黙って話を聞いている。


「避難民が集まる東門の付近にも兵力を集中させております。討ち漏らした少数の魔物が流れ込んでくることもあるようですが、一応は問題なく撃退できているようです」


 リーゼロッテは苦々しく嘆息し、顔を強張こわばらせた。

 少数とはいえ東門まで魔物の到達を許しているとは由々しき事態である。

 早急に魔物を殲滅する必要があるだろう。


「兵士団からいくつかの遊撃隊を編成して東門の付近を巡回させておりますが、こちらは人手不足で十分な人員を確保できていないとのことです」


 そこまで伝えると、リーゼロッテが状況を受け入れて整理する時間を作るべく、アリアはいったん言葉を止めた。


「……報告ご苦労様。およその戦況は理解したわ。他に伝えておきたいことはあるかしら?」


 リーゼロッテが尋ねると、


「はい。気になる点が一つ。実は正体不明の魔物が現れたという報告がありまして……」


 アリアは頷き、やや躊躇いがちに言った。


「正体不明の魔物?」


 と、リーゼロッテが訝しげな声を漏らす。


「はい。ゴブリン、オーク、オーガのいずれとも異なる人型の魔物のようです。何やら都市の襲撃時に姿を見せ、とんでもない強さで冒険者達を惨殺したようですが、今のところ都市の中で同様の個体が現れたという報告は上がっておりません」

「新種の魔物ということかしら?」

「おそらくは。もっとも、目撃した兵士で生存者が一人しかいないため、確定情報とまでは言えませんが……」

「なるほど……。警戒しておくに越したことはないわね」


 そう言って、リーゼロッテは何かを考えるように目を瞑った。


「いずれにせよ、今は都市への被害を最小限に抑えることを最優先で考えましょう。都市の中に強い魔物が現れる恐れがあるというのなら尚更よ」


 再び目を開くと、何かを決意したように、リーゼロッテがスッと顔を引き締める。

 そのままアリアの顔を正面から見据えると、


「アリア、貴方は中央広場に向かいなさい。そしてその場にいる魔物達を殲滅して来てちょうだい」


 リーゼロッテはそう告げた。

 敵の主戦力は中央広場前に存在することから、可能な限り迅速にその場にいる魔物を殲滅する必要があるだろう。

 敵の主力には自陣の最大戦力をぶつける――、極めて単純明快な戦術だが、利には適っている。

 被害の拡大を最優先で阻止すべき以上、今は戦力を出し惜しみしている場合ではない。

 リーゼロッテの手駒の中で最強にして最優の存在であり、氷のように冷たく美しい美貌を持ち合わせる絶対の切り札。

 本人が聞けば淑女に対して何を言うのだと怒るかもしれないが、アリアは一騎当千の強さを誇る傑物だ。

 彼女ならばたかだか千の魔物くらいに引けを取ることはないだろうと、リーゼロッテは全幅の信頼を抱いている。


「仰せのままに」


 こうべを垂れて、アリアは承服した。


「武器庫からフラガラッハを持っていくといいわ」


 リーゼロッテは物憂げな微笑を浮かべて頷くと、そう告げた。

 フラガラッハとはリーゼロッテが所有するアーティファクト級の魔剣だ。

 装備者の魔力を用いて身体能力と肉体の強度を高め、切断力を極限まで鋭くし、切った傷の治癒を妨害する魔術が込められており、値段をつけるとすれば魔金貨数百枚は下らない。

 アリアが装備すればまさしく鬼に金棒となろう。


「それと侍従隊の面々から治癒魔法の使い手と屋敷の護衛に必要な人員を残して、残りは都市の各部に遊撃要員として放ってちょうだい。情報収集に向かって帰還していない侍従も護衛の人員に含めていいわよ」


 続けて、リーゼロッテが命令を付け足す。

 アリアは僅かに逡巡すると、


「畏まりました。ならばリーゼロッテ様の護衛にはコゼットを残しましょう」


 落ち着いた声色で、そう告げた。

 コゼットは屋敷に仕える侍従の中でもアリアに次ぐ実力の持ち主だ。

 アリアが屋敷から離れてしまう以上、コゼット以外にリーゼロッテの護衛を任せられる人材はいなかった。


「ええ、そうして頂戴」


 リーゼロッテがよどみなく首肯する。


「それでは失礼いたします」


 恭しく礼をすると、アリアは執務室から立ち去った。

 リーゼロッテが部屋の中に一人残される。

 冷めた紅茶を飲み、喉を潤すと、ややあって大きな溜息を一つ。


「とりあえず態勢は整えられたけど、やられたわね。まさか魔物が群れを成して都市を襲ってくるなんて」


 リーゼロッテは顔を曇らせて、つぶやきを漏らした。

 神魔戦争期ならともかく、神聖歴が始まって以降、魔物が大規模な群れを成して人間を襲ったという話は歴史上、数えるくらいしか発生したことがない。

 そもそも魔物の生態系や行動には不可解な点が多く、高度な知性を兼ね備えた存在もいないため、謎に包まれている点が多々あるのだ。

 今回、アマンドを襲っている原因として考えられるのは、やはり十日ほど前に確認された黒い竜が原因なのだろうか、それとも別の原因があるのか。


「何にせよ、今の事態を乗り越えた後のことを考えると頭が痛いわね」


 ☆★☆★☆★


 燦々と陽光が降り注ぐ穏やかな昼下がり、アマンドの南西部に位置する森の中で、雅人は黙々と剣を振っていた。

 反復練習は欠かせないものだと教えてくれた師であるリオの言葉を信じ、この数日間で学んだ型をひたすら繰り返す。

 すぐ傍では亜紀も棒を振って身体を動かしている。

 そんな二人の様子を椅子に座りながら眺める美春、セリア、アイシアの三人。

 美春が先ほど家事を終えて、休憩がてら二人をお茶に誘ったのだ。

 その間に美春はセリアに会話の練習に付き合ってもらい、時折アイシアが二人の間に入って通訳を行う。

 ここ最近ではよく見られる光景である。

 実に平和なひと時であったのだが、徐にアイシアが立ち上がった。

 その視線は鋭く、誰もいないはずの森の中をスッと目を細めて見つめている。


「どうかした、アイシア?」


 不思議そうにセリアが尋ねた。


「変な気配が魔物を連れてこっちに向かって来てる」


 と、アイシアが端的に状況を報告する。

 セリアは一瞬、呆けた顔を浮かべた。

 だが、すぐにその意味を理解すると、息を呑んで、


「本当なの?」


 やや狼狽えたように尋ねた。

 この家は結界によって侵入者が入ってこないよう守られているはずなのだが、本当だとしたら一大事だ。


「間違いない。何か嫌な気配が魔物を誘導してる。このままだと十分くらいでここに来る」


 アイシアは確信を持った様子で断言した。

 そもそもどうしてアイシアが見えない場所にいる魔物の存在に気づくことができたのかは不明だが、精霊である彼女にはセリアでは想像もつかない索敵方法があるのかもしれない。


「セリアは美春達と一緒に家の中に隠れていて」


 アイシアが美春、亜紀、雅人の三人を連れて家の中で隠れているように指示する。

 セリアは顎に手を当て、考えるそぶりを見せると、


「駄目よ。美春達に隠れてもらうのは賛成だけど、私も一緒に戦うわ」


 決然と、そう答えた。

 一瞬、アイシアが僅かに目を丸くする。


「リオがいない間の留守くらい守ってみせないとね。貴方には勝てないだろうけど、私、こう見えてけっこうすごい魔道士なんだから。手助けくらいはするわよ」


 そう言って、セリアが微笑みかける。

 アイシアはすぐには決断せず、じっとセリアを見つめると、


「わかった」


 こくりと頷いた。

 そのままアイシアが美春に視線を送る。


「美春。雅人と亜紀の二人を連れて家の中に隠れて。近くに魔物が来ているから。たぶんここを襲おうとしている」


 アイシアがそう告げると、美春はハッと表情を変化させた。

 胸を締め付けられるような感じがして、きゅっと唇を噛みしめる。

 自分は何をすればいいのだろうか、自分に何かできることはないだろうか――、恐怖も動揺も冷めない頭の中でそんなことを考えた。

 だが、美春にできることなど何もない。

 せいぜいがアイシアの邪魔にならないように家の中に隠れているくらいだろう。

 それが事実だ。


「はい。雅人君と亜紀ちゃんに伝えてきますね」


 それを理解し、美春は精一杯の笑みを取り繕って答えた。

 そのまま足早に雅人達のもとへ駆け寄り、手短に事情を説明する。


「アイシア姉ちゃん!」


 すると雅人が神妙な面持ちを浮かべて走って来た。

 雅人は美春の制止も聞かずやや興奮した様子を見せている。


「なぁ、俺も戦うよ」


 そう言いながら、雅人は覚悟を込めてアイシアを見つめた。

 だが、アイシアはきっぱりと首を振ると、


「駄目」


 と、そう答えた。

 雅人がやや面食らったように立ちすくむ。


「な、なんでだよ。この剣に込められている魔術を使えば俺だってそれなりに戦えるぜ!」


 手に持っている剣を掲げて、雅人が叫んだ。

 雅人が持つ剣にはリオが精霊石を埋め込み、追加でいくつか戦闘向きの魔術を込めていた。

 雅人の剣ほどではないが、美春や亜紀の棒にも実戦用に魔術を込めてある。

 いまだ魔力を扱うことのできない雅人達のために、魔術の発動は呪文方式が採用されており、決まった呪文を唱えれば勝手に剣が使用者の魔力を吸い上げて効果を発動させる仕組みとなっている。

 実際に雅人はリオが監督する傍でこの剣に込められた魔術を使用したことがあった。

 この剣の真の力を解放すれば、雅人でもそこいらの魔物には負けないくらいに戦うことはできるだろう。

 だが――、


「それはその剣が強いだけ。貴方が強いわけじゃない」


 アイシアがあっさりと言い、雅人は怯んだ。


「で、でも……、俺は……」


 胸がもやもやして、雅人は剣を掴む拳を握りしめた。


「今はまだ貴方が戦う時じゃない」


 声を震わせる雅人を見下ろし、アイシアが言った。


「でもセリア姉ちゃんは戦うんだろ?」


 尋ねて、雅人は縋るようにアイシアの顔を見上げた。


「セリアには私の隣で攻撃魔法を撃ってもらうだけ。そもそも魔物を近づけさせないから。貴方が剣で戦う必要はない」


 理路整然と答えるアイシアの言葉に、雅人はいよいよ言葉に詰まった。

 女性であるアイシアとセリアの二人を戦わせて、男の自分が隠れているなんて……。

 名状しがたい悔しさを覚え、ぎり、と、雅人は歯をきしませた。


「雅人君」


 困ったように呼びかけると、美春はそっと雅人の手を引いた。

 逆の手には亜紀の手が握られている。

 美春に手を引かれながら、亜紀は不安そうに雅人の顔を見つめていた。

 雅人が顔を背けるように俯き、美春が二人の手をぎゅっと握る。

 その顔を強張こわばらせながら、雅人と亜紀は手を引かれて黙って家の中に入った。


 ☆★☆★☆★


 リオは再びリーゼロッテの屋敷へと戻って来た。


(まさか今日のうちに戻ってくることになるとはな)


 自嘲と言っていい笑みを浮かべて、リオは慌ただしく人が動き回る屋敷の庭を見渡した。

 するとあくせく働くクロエの姿が目に映る。


「お母さん! ミレーユ!」


 リオ達が庭の中に入ってきたことに気づくと、クロエが慌てて駆け寄ってきた。


「あ、お姉ちゃんだ! 久しぶり!」


 えへへと笑みを浮かべて、ミレーユがクロエに抱き着いた。

 布越しに妹の温もりを感じとり、クロエがホッと安堵する。


「無事で良かった。でも、何でお母さん達がここに?」


 一緒にいるリオとナタリーに会釈すると、クロエが尋ねた。


「お二人は魔物に襲われているところをこの方……ハルト様に助けて頂きました。リーゼロッテ様にご報告したいこともあり、お越し頂いているところです」


 尋ねられたレベッカに代わって、ナタリーが手短に事情を説明する。

 その説明にクロエが目を見開く。 


「あ、ありがとうございます!」


 すぐに事情を呑みこんだのか、慌ててクロエはリオに頭を下げた。


「いえ、たまたま通りかかっただけですから」


 リオが苦笑を浮かべてかぶりを振る。

 どうやらレベッカはクロエの母親で、ミレーユはクロエの妹のようだ。

 道理でレベッカの顔には見覚えがあるわけだなと、リオは内心で苦笑した。

 このレベッカはかつてリオがアマンドに滞在した時に宿泊した宿屋を経営していた女将なのだから。

 確か旦那がいたはずだが、今は考えても詮無いことだ。


「クロエ、貴方は二人を屋敷の中に招き入れた後に仕事に戻りなさい」


 と、ナタリーがクロエに命令を下す。


「ありがとうございます、先輩!」


 クロエが安堵のこもった笑みを浮かべて返事をする。

 ナタリーは微笑を浮かべて頷き返すと、


「ハルト様、お待たせしてしまい申し訳ありません。時間もございませんので、すぐに主の下へ案内いたします」


 リオに頭を下げ、そう告げた。

 ちなみに、リオとナタリーはここに来るまでの間に簡単に自己紹介を済ませてある。

 お互いにまったくの初対面であるという建前上、茶番ではあるが、リオがリーゼロッテと面識を持っているということも伝達済みだ。


「ええ、よろしくお願いします」


 リオはこくりと頷き、ナタリーに案内されて、リーゼロッテの下へ向かった。

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