第80話 忍びよる魔の手
今回は過激な戦闘描写があるかもしれません。
リオがリーゼロッテの屋敷を離れてから少し後、アマンド西部の門付近に異形の集団が現れた。
異形と言っても姿形は人間に近く、少し薄汚れてはいるが衣類も纏っている。
だが、彼らの容姿は明らかに人間ではなかった。
一体一体の容姿は異なるが、その数は十体。
視点が定まっているとは思えぬ真っ白な眼球、灰色に染まりきった皮膚、背中に生えた蝙蝠のような翼、間近で確認すればどう見ても人間でないことは明らかだ。
交易都市であるアマンドは基本的に人の流入出を制約しない。
東西にある門の近くには兵士の詰所が置かれ、門には常時、見張りの兵士が待機しているが、一部の例外を除いて通行人に対して検問を行うことはしない。
人が多すぎて個別に検問を行うことは現実的ではないし、人を自由に出入りさせた方が、都市経済の活発化に繋がるからだ。
ちなみに現在でも拡張中である都市の周辺には囲いの柵が設置されているが、その気になれば柵を乗り越えることは可能である。
それはさておき、見張りの兵士達は現在、森の中から現れた異形の集団を目にして、遠巻きながら明らかに動揺した様子を見せていた。
すると、異形の集団の近くを、たまたま魔物の狩りから帰ってきた冒険者達が通りかかる。
「ちっ、今日はツイてねぇな。せっかく大人数でパーティを組んだってのによ。魔物が全然いやしねぇ。魔物は増えたって話じゃねぇのかよ」
「ハッ、おおかたテメェの息が臭くてゴブリンも逃げたんじゃねーのか」
「んだとぉ?」
憎まれ口を叩きつつも、ゲラゲラと活気のある笑い声が響き、剣呑な空気が流れることはない。
これがこの冒険者達の日常的なやりとりなのだろう。
この瞬間はまだ幸せな日常が続いていたはずだった。
「っ!」
だが、およそ十メートルほどの距離に突っ立っている異形の集団に気づくと、冒険者達の動きがギョッとして完全に硬直する。
ジロリと真っ白な眼球で睨みつけられたような気がして、ぞくりと身体が震えあがった。
「お、な、なんだ、お前ら?」
やがて冒険者の一人が異形の集団に
眼球や肌の色、それに背中の翼はともかく、顔付きから体格まで一応は見た目が人間に近いせいか、人の言葉が通じるのではないかと思ったのだろう。
「…………」
だが、異形の集団は恐ろしい程に静まり返り、言葉を発することなく、冒険者達を見つめていた。
「ま、魔物か?」
「こんな魔物は見たことがないぞ」
魔物かと思ったが、冒険者達は今までこんな魔物に遭遇したことはなかった。
沈黙を貫く異形の集団を前にして、剣を抜くべきか、このまま話しかけるべきかと困惑していると、
「え? あ、ああ!」
後ろにいた冒険者の一人が大声を出して、際立って体格の良い一体の個体を指差した。
「も、もしかして……お前、ジーンか?」
どうやら異形の集団の中に見慣れた男の面影を有する個体がいたらしい。
肌の色が違いすぎるせいでよく見なければわからない程度なのだが、男は長年の付き合いでそれに気づいた。
「ジ、ジーンだと?」
「いや、あいつは一週間くらい前に行方不明になったんじゃ……」
困惑の色を見せる冒険者達。
ジーンと呼ばれた個体は自らを呼んだ冒険者達をジロリと凝視した。
「はは、なんだよ。ジーン、妙に凝った仮装だな。冒険者を止めて旅芸人にでもなろうってのかよ」
引きつった笑いを浮かべて、冒険者の一人がジーンと呼ばれた個体に話しかけた。
仮装にしては妙に生々しい姿ではあるが、人間は常識外の出来事に遭遇すると無理やり常識に当てはめて考え込もうとする生き物である。
ゆえにその男は心の中で警鐘を響かせながらも、相手がジーンという自らの知り合いであると信じて話しかけることにした。
「あ?」
だが、一瞬、ジーンと呼ばれた個体の目が赤く光ったように見えて、冒険者達が疑問符付きの言葉を発する。
その次の瞬間、異形の集団は一斉に行動を開始した。
肉体の限界を超えて魔法で身体能力を強化したような速度で、一息に冒険者達に迫る。
瞬く間に接近すると、一体の個体が全力で一人の冒険者の胴体を殴りつけた。
「ごっ」
そのまま拳に体重を乗せると、冒険者の身体に風穴が空く。
「グ、グハ、グハハハハッ」
ソレは不気味な声を上げて高らかに笑った。
その笑い声は明らかに人間のものではない。
「え? あ? っふ」
身体を貫かれた男が恐る恐る眼下を見下ろす。
何をされたのか、一瞬、男にはわからなかった。
だが、ソレは愉悦に染まった笑みを浮かべると、現実を教えこむように――、
「ガガガ」
ざく、ざく、ざく、と尖った爪で抉るように男の腹を突き刺した。
「お、おっふ。あ、あああ、ああああ!」
腹部を包み込むような生暖かい感触に、男が絶叫する。
混乱しているのか、顔を前後にガクガクと震わせているが、やがてその動きも止まり、男の命はこと切れた。
あまりにも猟奇的な殺人劇に、言葉を失い、呆然と立ち尽くしていた冒険者達だったが、
「てっ、テメェ!」
ようやく目の前の存在を敵と認識した。
各々が剣を抜き、ソレに斬りかかる。
「がぁっ。てぇ……」
だが、冒険者達の持っていた剣は弾かれてしまった。
灰色の皮膚は鉄のように硬質化しており、男達が装備している安物の剣では刃が通らないようである。
有効打を与えるには、冒険者達が全力の一撃を叩きこむか、魔法で身体能力を強化する必要があるだろう。
だが、男達は身体強化の魔法を使うことはできなかった。
「な、何だ、テメェら!」
すると、ニヤリとソレが笑ったように見えた。
「ガ……」
異形のソレ――、その正体は果たして魔物であった。
千年以上前に起きた神魔戦争期より姿を現した超常生命体。
その生態系は不明で、魔石を核として生きており、死ぬと魔石を残して跡形もなく消滅する人の敵。
では、魔物の討伐を生業とする冒険者達ですら目にしたことがないこの魔物の正体は何なのか。
それは屍食鬼――、人を喰らう元は人であった魔物で、人を喰らい続けなければ弱っていずれ活動を停止する呪われた存在――、グールである。
知能は低いが一応は自我があり、狂ったように人を襲い喰らっていく、それがグールだ。
「グガッ」
生理的な嫌悪感を誘う声を漏らすと、残りのグールも一斉に行動を開始した。
すべての個体が冒険者達に迫る。
冒険者達は慌てて武器を構えると、躊躇せずに迫り来る魔物達に斬りかかった。
だが、斬れない。
刃は間違いなく届いているのに、生半可な力では打撃程度の攻撃にしかならないのだ。
「グガガ」
苛烈な反撃が冒険者達を襲い、やすやすと人間の身体を破壊していく。
冒険者達の数は十二人、グールの数は十体だが、数の利が有利に働くことはなかった。
まるで地獄絵図のような虐殺が一方的に繰り広げられる。
「っごほ……」
そして、今、吐血の音が響き、さらに一人の命が失われた。
飛び散る
元が人間とは思えぬ怪力でグール達は冒険者達を蹂躙していた。
固い皮膚により守られた手で殴ればそれはハンマーの如き鈍器となり、鋭い爪の生えた手を突き刺せばそれは槍となり、単純に掴み握るだけでそれは万力となる。
グール達は自らの武器をいかんなく使用して冒険者達をなぎ倒した。
「あ……、お、あ……」
あまりに凄絶な光景に、門番の兵士達の動きが固まる。
中には直視に耐え兼ねて嘔吐する者まで現れた。
完全に頭が追い付かない。
総毛立つような恐怖だけが感じとれた。
あれでは戦いにすらなっていない。
やがてその場にいた冒険者達が死に絶えると、グール達の視線が都市の門に向けられる。
「ひっ……」
ぞくり。
本能的な死の予感が兵士達に襲い掛かり、思わず悲鳴を漏らした。
都市の門から百メートルほどの距離に連中はいる。
あの身体能力では数秒ほどで埋まってしまう距離だ。
「っ……ぁ……」
兵士達がそれぞれが何かを言いかけたが、喉に詰まった。
怖い、殺される、殺される、死ぬ、死ぬ、殺される、怖い、死ぬ、殺される、怖い、死ぬ。
頭の中を死と恐怖のイメージが覆い尽くす。
ところが、グール達は兵士達に興味を失ったようで、殺したばかりの冒険者達を貪り始めた。
――お前達などいつでも殺せると、そう言わんばかりに。
それはまるで捕食者と餌の関係だ。
その光景にとてつもない吐き気を覚える。
その時、がさりと、グール達のすぐ側にある森の木々が揺れた。
「ゲゲッ」
中から現れたのはゴブリンだった。
いや、ゴブリンだけではない。
後続から次々と魔物達が姿を現していく。
オーク、オーガ、ヘルハウンド、マッドボア、ベアコング、ハンタースネーク――、人間族の領域に生息しているよく知られた魔物の大集合である。
その総数は目測で数えきれない。
おそらくはこの付近の森に暮らす魔物をほとんどかき集めたのではないだろうか。
「ほ、ほ、ほほほほ、報告だ! ランス! お前は詰所にこの事を報告しに行け!」
そこでようやくその場にいた隊長格の兵士が泡を食ったように叫んだ。
こんな軍勢の魔物に攻められれば、アマンドの全兵力をかき集めなければ対抗できない。
加えてあの灰色の化物達に襲われたら――。
都市の壊滅――、最悪の結末が脳裏をよぎる。
「は、はい!」
恐怖で竦んだ兵士達だったが、隊長が叫んだことにより、ようやく頭も体もぎこちなくだが動き始めた。
指示を受けた見習いの兵士が飛ぶように都市の中へと走っていく。
殺した冒険者達の死骸を貪り食うグール達とは裏腹に、その他大勢の魔物達はアマンドに向けて進撃を開始した。
(早く態勢を整えてくれよ)
去りゆく新人の背中を目にし、隊長は内心でそう呟いた。
決してただでは死んでやらない。
一体でも多くの魔物を殺して、一分一秒でもこの場を死守しなければ――。
兵達はみなこのアマンドという都市が好きだった。
リーゼロッテが治めるこの都市が、他の都市よりもずっと暮らしやすいこの都市が、平和なこの都市が――。
理不尽にすら思えるこの状況に直面して、兵達は自らの使命に遵守して、身命を賭すべく覚悟を決めた。
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「あのグール達の指揮は任せましたよ。アルフォンス君」
慌てふためく兵士達の様子を少し離れた森の中から眺めながら、黒いローブを着たレイスが愉快そうに言った。
「三分の一の適合率をクリアして集めた貴重な個体達なんですから大切に使ってください。彼らも餌に飢えているでしょうから、食事を摂らせたら行動を開始するように」
「ワカッタ」
アルフォンスと呼ばれた存在が荒々しく呼吸をしながら返事をした。
その個体的特徴はグールと似ているが、皮膚の色は漆黒であり、他の個体とは決定的に異なる。
レイスの言葉を理解できるだけの知能も有しているようだ。
「他の魔物達は陽動です。好きに動かせておけばいいでしょう。併せてグールを五体、都市の中に放って一緒に陽動として使いなさい。貴方は時間を置いて戦力をおびき出したら、残りのグールを率いて代官のリーゼロッテを殺しに行くこと。いいですね」
「アア。絶対ニ殺ス。リーゼロッテ、アノ公爵、アノ女、アノ男」
不気味な声に怒気を込めてアルフォンスが答えた。
理性を失ったようにしか見えない真っ白な眼球は、いったい何を捉えているのだろうか。
それを知る者は本人だけだ。
「まぁこの戦力で都市に暮らす令嬢一人も殺せなかったら君はかなりの無能です。それでは、私は所用がありますのでこれで。せいぜい頑張ってくださいね」
そう言って、
そのままかつてアルフォンスという人間だったグールの前から飛び去ると、アマンドから南西の方角へと向かう。
「はぁ、やっぱり強化体でもグールはグールですね。頭が悪いのが欠点だ。まぁ彼の場合は元があまりよろしくないのかもしれませんが」
嘆息すると、レイスが面倒くさそうにぼやく。
そのまま南西の方角をスッと目を細めて睨みつけると、
「今はあちらにいる存在の方が気になります」
と、そう言った。