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精霊幻想記(Web版) 作者:北山結莉

第四章 再会、その裏で

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第79話 転生者の会合

 リオはリーゼロッテの屋敷へと一人で訪れた。

 彼女の屋敷はアマンドに隣接する湖を一望できる湖畔の丘にあり、ちょうど都市の中心から北東部に位置する。

 色合いは白を基調とした木造の優雅な豪邸で、いかにも貴族の住居らしい風格を漂わせていた。

 邸宅の周囲には平面幾何学式庭園が広がっており、庭を囲うように立派な塀がそびえ立っている。

 屋敷の周辺は富裕層の居住区となっているようで、スペースにはゆとりがあり、開放感に溢れる空間が広がっていた。

 周囲に広がる湖を見渡せば背後に浮かぶ森や山とのコントラストが非常に美しく、散歩をしたら随分と気持ちが良さそうである。


「初めまして。私はハルトと申します。こちらはリーゼロッテ=クレティア様がお住まいになるお屋敷でしょうか?」


 慇懃に口上を述べると、リオは門番の兵士に屋敷の主の名を尋ねた。


「はっ。さようでございます」


 質の良さそうなコート状のクロースアーマーを身に着け、腰に品のある片手剣を下げているリオの姿を目にすると、若い門番の兵士が畏まった様子で敬礼した。

 おそらくは貴族かそれに準じる人物と思ったのだろう。


「ハルト様。お話は伺っております。どうぞこちらへ」


 と、思いきや、どうやら既に話が伝わっていたようだ。

 門番の兵士は簡単なボディチェックを行ったものの、剣を預かることはなく、リオを庭の中へと招き入れた。

 パッと見て警備の兵が少ないことから、武装した人間を中に招き入れても大丈夫なのかとリオは考えたが、どうやら一見すると人の見えない場所に警備の人材が配置されているようだ。

 不必要に客を威嚇しないための措置だろう。

 庭に視線を滑らせると、至る所からそれとなく様子を窺われていることに気づく。

 門番の兵士は庭に控えていた侍従二人に口頭で事情を説明すると、リオに礼をして門へと戻った。

 そのまま若い侍従が案内を引き継ぐ。


「初めまして。ハルト様。私は当屋敷の侍従でコゼットと申します。こちらは侍従見習いのクロエにございます」

「よ、よろしくお願いします!」


 コゼットと名乗った侍従はリオよりは年上だが、二十歳手前といったところだろうか。

 容姿は整っており、街中で見かければ確実に男達からナンパされるであろう美貌を持っている。

 コゼットは自らとクロエと呼ばれた少女の挨拶を行うと、深くお辞儀した。

 クロエも可愛らしい容姿をしているが、リオよりも若く、歳はラティーファや亜紀と同じくらいだろうか。


「ええ、よろしくお願いします」


 リオは一瞬、クロエの顔に見覚えがあり、視線を固定したが、違和感を覚えられぬようすぐに目礼した。

 クロエも先ほどからリオの顔を直視し、どこか不思議そうに見つめていたが、客に対して失礼な態度だと思ったのか、少し緊張した様子を見せながらもぺこりと頭を下げた。


「アリアより話は伺っております。リーゼロッテ様が此度の件を謝罪申し上げたいとのことです。ご昼食の用意がございますので、どうぞごゆるりとお過ごしくださいませ」


 と、コゼットが言う。


「予想しておりましたが、リーゼロッテ様にお目通りが叶うとは恐縮ですね」


 少し意外な風にリオが語ってみせる。


「はい。リッカ商会の会頭として直接にお会いしたいとのことでして。どうか過度に緊張なさいませんよう。主もそのようにお望みでいらっしゃいますので」

「さようですか。承知しました」


 リオは小さく微笑を浮かべ、承諾の返事を述べた。

 その悠々とした態度に、コゼットが極僅かに目を丸くし、リオに気取られぬよう、ほうっと息を漏らす。


「では、こちらになります」


 コゼットはそう言うと、リオを案内し始めた。

 屋敷に入ると、明るく、白く、開放感があり、シンプルな美しいデザインの内装が目に入ってくる。

 リオとしては華美に装飾した重厚感のあるデザインよりは、こちらの方が趣味に合う。

 そうして屋敷の内装を横目で楽しみながら歩いていると、


「こちらでございます」


 コゼットとクロエがとある部屋の前で立ち止まった。

 ゆっくりと扉を開けて、部屋の中に入る。

 そこは少人数用の食事にと作られた食堂であった。

 部屋の中は広すぎず狭すぎずと、少人数で食事をする分には快適な広さで、品の良い家具や小物が設置され、室内の空間を彩っている。

 果たして、そこで、リーゼロッテ=クレティアは品のある笑みを浮かべてリオを出迎えた。

 そのすぐ後ろにはアリアが控えている。


「よくいらっしゃいました。ハルト様」


 ドレスの裾をつまんでお淑やかに一礼するリーゼロッテ。

 まだ幼さを残しながらもややおっとりとした彼女の顔立ちは、見る者を魅了する気品と愛くるしさを併せ持っていた。

 身に纏っているダークブルーを基調としたドレスは、細身ながらに芸術的にバランスの整った身体のラインを強調させており、初心な男も女慣れした男も思わず虜にしてしまいそうな艶やかさを醸し出している。

 そんな淑女然とした彼女の姿を目にし、リオが僅かに目を見開く。

 だが、その理由は決して目の保養になるからではない。


(ああ、やっぱりそうか)


 頭の中で欠けていた複数のパズルのピースがぱちりとはめ込まれ、その全体像がリオの脳内に浮かび上がった。

 リオはこの少女と一度だけ対面したことがある。

 シュトラール地方でもあまり見かけることがない綺麗な水色の髪、生まれ持った天性の美貌、何よりも、ただそこにいるだけでにじみ出るような気品。

 数年前、ベルトラム王国を立ち去ってから未開地に入るまでの間に、リオが出会った人間の数は非常に少ない。

 まともに会話をした人間は手で数えられるくらいだ。

 ゆえに記憶違いということはないだろう。

 そう、リーゼロッテはかつてリッカ商会の店舗でリオを接客した少女であった。

 どうして数年前に彼女が一般の店員に混ざって接客を行っていたのかは不明だが、案外、その見た目とは裏腹に悪戯心のあるお転婆な少女なのかもしれない。


(厄介だな)


 この屋敷に来てから、リオが一度でも面識を持ったことのある数少ない人物と、既に二人も遭遇している。

 いったいどういう巡りあわせなのだろうか。

 何か予感めいたものを感じずにはいられない気がする。

 先ほど出会ったクロエも何となくリオの容姿に既視感を抱いたようだが、どうやら見覚えがあるのはリーゼロッテも同じようだ。


「えっと、どこかでお会いしたことがありませんでしたっけ?」


 と、小さく首を傾げながら、リーゼロッテが尋ねた。

 彼女も伊達に若くしてリッカ商会を一流の商会に成長させたわけではない。

 貴族としても商人としても人の顔と名前を覚えるスキルは必須だ。

 今までに数えきれないほどの人間と出会ってきた彼女ではあるが、重要人物達の顔と名前は正確に覚えるようにしていた。

 リオの場合は重要人物であったというわけではないが、シュトラール地方では極めて珍しい黒髪をしていたことや、貴族然とした教養も持ち合わせていたことから、それなりに強く印象付けられていたりする。

 ゆえに、髪の色が変わっただけにすぎないリオに対して強い既視感を覚え、リーゼロッテは不思議そうにリオの顔を見つめていた。

 ここで年頃の男ならば、彼女に会った記憶になくとも「会ったことがある」、と答えてもおかしくはなさそうであるが、


「公爵令嬢である貴方とお会いしたのは初めてと記憶しておりますが……」


 リオはとっさに言葉の綾をついてとぼけた。

 ここで素直に答えて、かつてセリアに送った手紙のことを思い出され、その関係にまで言及されても面倒であると思ったからだ。

 後になってリーゼロッテが思い出したら「まさか公爵令嬢が職員として働いているとは考えもしなかった」とでも答えておけばいいだろう。


「そう……ですよね。申し訳ありませんでした。ご存知かもしれませんが、私はリーゼロッテ=クレティアと申します。このアマンドの代官であり、リッカ商会の会頭を務めております。以後、お見知りおきを」


 違和感は抱いているようだが、それ以上詮索するのは失礼と考えたのか、リーゼロッテはかぶりを振って自己紹介を始めた。


「これはどうもご丁寧に。ご挨拶が遅くなり申し訳ございません。お初にお目にかかります。リーゼロッテ様。御前に侍りますはハルトと申します。この度は御身の御厚意に心より感謝申し上げます」


 言葉遣いには相応の敬意は込めているものの、それ以外の何かを込めた様子はなく、リオが落ちついて名乗りを上げる。

 そのままうやうやしく(こうべ)を垂れると、その堂に入った姿にリーゼロッテが感心したように小さく息を吐いた。


「よしてください。ご迷惑をおかけしたのはこちらなのですから。今、この瞬間、私はクレティア公爵家の長女ではなく、リッカ商会の会頭としてこの場に立っております。先日は我が店の不手際により御気分を害されたことと存じます。誠に申し訳ありませんでした」


 リーゼロッテはゆっくりと(かぶり)を振ると、リオに先の一件の謝罪を申し入れた。

 そうして、この瞬間だけはクレティア公爵家の立場を捨て置き、深く頭を下げる。


「ご容赦ください。和解にご助力くださったことにより、私は既にリッカ商会から十分にお気持ちを頂戴しております。その上でリーゼロッテ様から直々に謝罪のお言葉を頂戴してしまっては誠に心苦しく存じます」


 リオが平民であり、リーゼロッテが公爵家の人間であることを考えれば、文句なしの対応と言っていい。

 ここで被害者の立場に胡坐をかいて多少尊大な態度をとったところで不敬になることはないが、かといって何の考えもなしに高圧的に出るのはただの恥晒しである。

 保身のために被害者の立場を維持しつつも、今後の関係を考えて厄介者扱いされないために相手方の立場を最大限に敬うのが無難であろう。


「こちらこそ恐縮です。今後は二度と先のような一件を起こさぬよう肝に銘じる所存ですので、手前どものレストランを今後もご利用いただけますと幸甚(こうじん)です」

「接客業は後手に回らざるを得ないことが多々あるかと存じます。特に客同士の問題は悩ましいことでしょう。あのレストランのサービスに不満はありません。この都市に立ち寄った際にはあらためて利用いたしますことを誓いましょう」

「そう仰っていただけると嬉しい限りです」


 ホッとしたように微笑み、リーゼロッテは再度、頭を下げた。


「いつまでも立ち話をさせてしまうのも心苦しいですわ。さ、どうぞおかけください。月並みですが謝罪の意味を込めて御食事を用意いたしましたので」


 自己紹介からの流れで始まった先日の一件についての話が落ち着いた頃合いを見計らうと、リーゼロッテはリオに椅子へと座ることを勧めた。

 リオの傍に控えていたコゼットがスッとテーブルに近づき椅子を引く。

 リーゼロッテに小さく目礼をして、リオは席に座った。

 シュトラール地方においては、貴族から食事時の前後に招かれるということは、「そのまま食事でもどうですか?」と誘いを受けることを意味する。

 実際に訪問して食事時になった際には、必要以上に形だけ謝絶する姿勢を見せずに、軽く礼を告げて食事を摂るのが暗黙のマナーだ。

 昼時に招待しておいて食事を出さなかったり、昼時に招待されておいて食事を拒んで帰ることは、失礼な行為とされている。

 もちろん招待された時に断りを入れておけば話は別であるが。

 もっとも平民はそういったマナーを知る由もないのだが、リオはベルトラム王国の王立学院で貴族のマナーについても学んだことがあったため、それを知っていた。


「ご丁寧に痛み入ります。ご挨拶のしるしとして、これをどうぞ」


 そう言って、リオはリーゼロッテに見えるように小さな酒樽を掲げた。


「そちらは?」


 主であるリーゼロッテがその中身を尋ねる。


「私が所有しているお酒が入っております。リーゼロッテ様のお口に合うかは自信がありませんが、中々の一品ですのでよろしければお飲みください。甘めのお酒なので食後酒として飲まれるとよろしいでしょう」


 中に入っているのは精霊の民が作った酒の一つだ。

 どこぞの酒好きなエルダードワーフが飲み切れないくらいに酒を渡してくれたために、リオの時空の蔵の中にはまだまだ大量の酒が眠っている。


「まぁ、嬉しいですわ。私もお酒は嗜みますのよ。甘いお酒とは興味があります。ありがたく頂戴いたしますね」


 礼を述べて、リーゼロッテが無邪気に可愛らしい笑顔を見せる。


「せっかくですから今日の御食事の後に頂いてもよろしいでしょうか?」

「はい。もちろんです」


 先の謙遜とは裏腹に、リオは渡したお酒の味には絶対の自信を持っている。

 貴族として極上品を知っていたであろうセリアをして極上品以上の品と言わしめた酒だからだ。もっとも精霊の民が作る酒としては標準的な品なのだが。

 とはいえ、人間族が作るお酒しか飲んだことのないリーゼロッテの気を引くには十分だろう。

 これまでに客観的に得られた情報を踏まえると、リーゼロッテは貴族としてはかなり良識的な人物だ。

 先の一件の和解契約書の効力をきちんと保障してもらうためにも、心証を良くしておくに越したことはないだろう。

 本当は米、醤油、味噌なんかを渡しても彼女の注目を大きく引き付けることができると踏んでいるのだが、シュトラール地方のどこで栽培しているのか尋ねられても答えにくいし、他にも情報を秘匿する上で不都合な点が多い。


「クロエ、ハルト様に頂戴したお酒を食後に配膳してくれるかしら?」

「はい。お嬢様。承知しました」


 答えて、クロエが酒樽を持っていったん下がっていく。

 リーゼロッテは再びリオに視線を戻すと、


「先の一件でハルト様が連れていらした方々はお見えにならないと伺いました。本来ならば直接にお会いして謝罪のお言葉をお伝えするべきなのでしょうが、よろしければ私からの謝罪の言葉をお伝えくださりますか?」


 まずは様子見程度にと、この場にいない美春達の存在に言及した。


「承知しました。あまり多人数で参上してもご迷惑をおかけすると考えたのですが、確かにお伝えしましょう」


 リオがしっかりと諾了する。


「ご遠慮なさらなくとも良かったのですよ?」


 心苦しそうな面持ちを浮かべ、リーゼロッテがリオの顔を覗き込む。


「いえ、これまで貴族の方にお会いする機会がなかった者ばかりですから、参上するのは恐縮だと申しておりました。こちらの地方で用いられている言葉に不慣れな者もおりますので。御配慮痛み入ります」


 リオは微笑を浮かべて頭を下げた。


「そうなのですか? そういえばハルト様のお顔も近隣諸国の系統とは少し異なるように思えますが、まるで母国語のように堪能でいらっしゃいますよ」


 シュトラール地方には各国で通じる標準語が存在し、後は個々の地方ごとに言語が発達している。


「私は生まれが近隣の国でしたから」

「あらまあ、そうだったのですね。では、お連れの方々の中に故郷の知り合いがいらっしゃるのでしょうか?」

「はい。そんなところです」


 曖昧に肯定して、リオが頷く。

 すると、そこで、


「お待たせいたしました」


 いったん退出したクロエを含む侍従数名が食卓に料理を運んできた。

 まずは食前酒とともに前菜のテリーヌとサラダが配膳されると、二人が食事を開始する。

 食前酒は発泡性のワインで、アルコールの低いドライなやや甘い味わいのオーソドックスなものであった。

 グラスの脚を持って乾杯をすると、食前酒の味を楽しみながら、テリーヌやサラダを舌に運ぶ。

 オードヴル用の小さなナイフとフォークを使い上品に食べる様子を見て、リーゼロッテが感心したような視線を送る。


「あの、興味本位な質問で大変恐縮なのですが、ハルト様は冒険者の職に就いていらっしゃるのでしょうか? こういう言い方をすると冒険者の方々に失礼なのかもしれませんが、ハルト様は冒険者とは思えぬほどにマナーが洗練されているようにお見受けしたもので」


 と、リーゼロッテがリオの職を尋ねた。

 こうした席においては、食事の内容やマナーの美しさはもちろん、それらから派生した話題を尋ねることは特段失礼に当たるわけではないから、リーゼロッテの質問は十分にマナーの範囲内である。


「いえ、私は冒険者ではございませんよ」


 リオは薄く笑みを浮かべてかぶりを振った。


「恥ずかしながら、各地を旅しておりまして、魔物を倒しては魔石を売って、風来坊のような生活をしております。マナーは過去に通っていたとある国の教育機関で身に着けたものです」


 リーゼロッテからこういった質問が来ることはあらかじめ想定済みだ。

 ゆえに、すべてを教えるわけではないが、リオは嘘は含めず、あえてぼかして事実を伝えることにした。


「あら、そうだったのですか。それは立ち入ったことを伺ってしまい……、申し訳ありません」

「いえ、もう昔のことですから」


 特に気にした様子もないといった風にリオが薄く笑う。


「ではこちらには旅の途中に立ち寄ったということでしょうか?」

「はい。最近はガルアーク王国の中を旅していたのですが、アマンドは非常に居心地が良いですね」

「まぁ、ありがとうございます。そう仰っていただけると光栄ですわ」


 リーゼロッテが嬉しそうに微笑む。

 だが、すぐにその表情に影が差すと、


「ですが、最近、少しばかり気になることが起きてまして。アマンド周辺の魔物が活発な動きを見せているのです。これまで定期的に冒険者の部隊を派遣して間引いてきたのですが、ここ最近になって冒険者の失踪も増えてるようでして」


 リーゼロッテは物憂げにアマンド周辺で起きている悩みの種を口にした。


「魔物の活発化ですか。初耳ですね」


 リオが暮らしているのはアマンドから南西の森の中であるが、異変を察知したことはない。

 家の周辺には結界魔術がかかっていることから、基本的に魔物が立ち入ってくることはないし、アマンドへ来る時は空を飛んで来てしまうため、魔物と遭遇することもほとんどないからだ。


「ええ、巷では少し前に目撃された黒い竜がこの森の近くにいるからだなどと騒がれておりますね。魔物達の動きが活発なのも竜を恐れているからではないかと。原因は現在調査中ですが」

「黒い竜ですか?」


 と、リオが訝しげに尋ねる。

 リーゼロッテが「あら」と少し意外そうな声を上げた。


「御存じありませんでしたか? 約十日前にガルアーク王国の領土内で一体の黒い竜が空を飛ぶ姿が目撃されました。足取りは掴めておりませんが、飛行していた方角的にはちょうどアマンドがありまして。アマンドでは目撃証言もないため、この付近にその竜がいるのではないかと騒がれているのです」

「なるほど、そういう話でしたか」


 リーゼロッテが丁寧に情報を教えてくれたことで、リオにも少しずつ事態が呑みこめてきた。


「目立って行方不明者が出始めたのはここ十日ほどです。ゴブリン程度なら問題はないのですが、オークやオーガの姿も散見されると報告が挙がっております。他にも魔獣種の魔物も多数確認されておりますので。まだ街道沿いでの被害はありませんが、外を出歩くようでしたら頭の片隅に留めておいてください」


 ゴブリン、オーガ、オーク――、いずれも二足歩行の人型をした魔物だ。

 多少の知恵はあるのか、簡単な武具を持ったり衣類を身に着けてはいるが、言葉は通じず、凶暴かつ好戦的な存在である。

 厳密にはゴブリンとオーガが鬼人種とされ、オークが豚人種とされているが、いずれも人間族の女を好んで子を孕ませようとする。

 ゴブリンならば武装した大人でも相手をすることができるが、オーガやオークとなると素人が武装した程度ではとても敵わない。


「承知しました。貴重な情報をお教えいただきありがとうございます」


 礼を告げて、リオは小さく目礼した。

 現在の居住地に異変は見られないが、あまりにも魔物の活動が活発になっているようなら住む場所を変えるか、こちらから打って出て周辺にいる魔物を大々的に狩った方がいいかもしれない。

 そう考えながら、リーゼロッテに礼を告げると、リオは会話をしている間に配膳されたパンとスープに口をつけた。

 スープを飲み終えると、タイミング良く冷えた白ワインがグラスに注がれる。

 すぐにクリームソースのパスタも運ばれてきて、それに合うように計算された白ワインを口にし、しばし歓談を楽しむ。

 やがて肉料理が運ばれ、それを引き立てる絶妙な赤ワインと一緒に楽しむと、あっというまに食後酒とデザートの時間がやって来た。


「実に素晴らしい料理の数々でした。料理長の腕が非常に良いのでしょうね」

「ありがとうございます。料理長に代わりましてお礼申し上げますわ」


 そんな会話をしていると、デザートのお菓子と一緒にリオが持参したお酒が配膳された。

 リーゼロッテはグラスに入った酒の香りを上品に嗅ぐと、


「こちらは果実酒でしょうか。気高く甘い芳醇な香り。ああ、素晴らしいですね。香りだけでこのお酒がどれだけ素晴らしいものかわかります」


 うっとりしたように感想を告げた。

 そのまま吸い込まれるように食後酒を口に含むと、


「っ……!」


 その目を大きく見開いた。

 感動のあまり身を震わせ、思わず目を輝かせる。

 あまりの美味さにしっかりと味わう前に酒を飲みこんでしまったほどだ。

 味を楽しむことも忘れて飲み干したことを後悔して、再度、酒を口に含む。

 グラスに入っている量はそれほど多くないため、じっくりと舌の上で転がしながら、その味わいを楽しんだ。


「度数はやや高めで重厚。なのに水の如くスッと飲める口当たりですね。私の知る限りで最高のお酒に勝るとも劣らない味わいです。が、このようなお酒に心当たりはないのですが……」


 酒の余韻にひたりながらも、ようやく冷静さを取り戻すと、リーゼロッテは小さくコホンと咳払いをして感想を告げた。

 これまでに相当な数の高級酒を味わって生きてきたリーゼロッテであるが、今飲んだ果実酒はそれらの中でも群を抜いている。

 これほど上質なお酒ならば酒好きな貴族に売れば金貨十枚くらいの値段がついてもおかしくはない。

 いや、上手いこと希少価値を付けたりやオークションを利用したりすれば、その価格はさらに上がるだろう。

 他にも重要人物達への贈り物として利用できたりと、値段以上の活用の仕方が色々と思い浮かぶ。

 だが、机の上に置かれている酒樽には産地や生産者を示す刻印が焼きこまれていないため、そこだけは疑問に思った。


「それは祝着でございますね。献上した甲斐があるというものです」


 僅かに愉快そうな笑みを漏らし、リオが言った。


「あの、ハルト様。これほどのお酒をいったいどちらで?」


 何でも不用意に質問を投げかけるのはマナー違反であるためしないが、こうして話題のきっかけとなっている以上は尋ねずにはいられない。

 リーゼロッテはやや身を乗り出して質問を投げかけた。


「それは私の知り合いが自作したお酒です。人間嫌いで市場には流出させていない品なんですよ」

「なるほど。道理で樽に刻印が焼きこまれていないわけですね。その方を紹介していただくわけにはいかないでしょうか?」

「申し訳ありませんが。人間と関わるのが嫌で、人里から隠れるようにして暮らしているくらいに筋金入りですからね」


 言って、リオは苦笑しながら、小さく肩をすくめた。 


「そう……ですか」


 リーゼロッテの顔が曇る。

 だが、教えられないと言われても、これほどの酒をそう簡単に諦めることはできそうになかった。


「では、ハルト様に仲介人を依頼してこちらに卸してもらうことはできませんか? これほどのお酒でしたらこの樽の量で仲介料と合せて金貨十枚はお支払いします。取り分に関しましてはそちらの判断にお任せ致しますが」


 ゆえに妥協点として最初に考えられる案を提示してみることにした。


「そう、ですね。安定供給できる保証はありませんし、極少量で良いというのなら、了承してもらえる可能性はあるかと思いますが……。情報の秘匿は絶対条件になるでしょう」


 リオは条件を厳しくし、控えめに肯定的な返事をするだけに留めた。

 ちらりとリーゼロッテを見やり、その反応を窺う。


「はい。少量であってもかまいません。是非、お願いします。情報の秘匿はもちろんですし、むしろこのお話を他の方に持って行かないことをお約束していただければ、ハルト様個人にも仲介料とは別に追加で謝礼をお支払いしましょう」


 リーゼロッテは専属契約を結ぶべく、リオに口止め料まで支払うと言う。

 予想通りというべきか、予想以上にというべきか、彼女は随分とこの酒の価値を高く評価しているようだ。


「承知しました。ご返事にひと月ほど時間を頂くかもしれませんが、よろしいでしょうか? とりあえずお話だけは伝えてみますので」


 確約することはせず、リオは前向きに検討する姿勢を示した。


「ええ、問題ございませんわ。料金と謝礼につきましては正式に契約が成立してからということでよろしいでしょうか?」

「はい、かまいませんよ。返事を御報告する際にはこちらへ直接に伺ってもよろしいでしょうか?」

「そうですね。お願いします。ただ、私は基本的にアマンドに滞在しているのですが、都市の外へ行くことも多いものでして。不在に備えて、侍従にも話を通しておきます」

「かしこまりました」


 こうして二人の間で仮の交渉が成立した。

 リーゼロッテは満足そうな笑みを浮かべると、再び食後酒を口に含んだ。

 リオもグラスを口に運び、思惑通りの展開になったことに喜びを感じながら、その酒の味を楽しむ。

 その後はしばらく歓談を楽しみ、小一時間ほど経過する。

 すると、ふとリーゼロッテが申し訳なさそうな表情を浮かべた。


「ハルト様。最後に一つだけお願いがあるのです」

「何でしょうか?」


 リーゼロッテの雰囲気が変わったことを察し、リオも真面目な表情を浮かべる。


「お願いというのはハルト様が被害者となられた先の一件についてです」

「あの件が何か?」

「はい。現在、我が国の隣国であるベルトラム王国にてクーデターが起きたという事実はご存知でしょうか?」

「ええ、存じ上げておりますが……」

「ならば話は早いですね。現在、我がガルアーク王国はベルトラム王国の反革命軍を支援しております。そして、先の一件でハルト様に害をなそうとした貴族達は二人とも反革命軍の指導者的立場に位置する人物達の子弟です。ここまで申し上げればお話はご理解頂けるでしょうか?」

「なるほど。和解契約の効力を覆したいとでも仰いますか?」


 リオは面白そうに笑みを浮かべて、そう尋ねた。


「まさか。あの契約の罰則はリッカ商会の名において執行いたします。ただですね。これはリッカ商会の会頭ではなく、この国の一貴族としてのお願いになるのですが……」


 言って、リーゼロッテが小さく嘆息する。 


「あの契約書はハルト様が先の一件を口外することについては何も制約されておりませんよね? それでハルト様に無暗にあの件を他言されてしまうと、反革命軍とそれを支持するガルアーク王国としては少々困ってしまうことになりまして……」

「そういうことでしたか」


 リオは口元に浮かべていた微笑を引っこめ、再び真面目な顔つきを浮かべた。

 顎に手を当て、考えるそぶりを見せると、


「指導者的地位にいる人物の子息がくだらない騒ぎを起こして牢獄に入りかかった。世間体はあまりよろしくありませんね。つまり、先の一件を黙っていてほしいということでしょうか?」


 と、そう尋ねた。


「はい。お話が早くて助かります。仲裁した立場にありながら、こうして一方の側の代理人となってお願いをすることは好ましくないとは思うのですが……」

「あの契約書の効力だと彼達の保護者もこちらには接触しづらいでしょうからね。お話はわかります。私も彼達の浅慮さには少し呆れたものですから。心中お察し申し上げます」


 そう語りながら、リオが小さく苦笑する。

 リーゼロッテも苦笑して、同意するように頷くと、


「お願いをご承諾いただけるのでしたら、私への貸しにしていただいてかまいません。この件に見合う範囲で私から何らかの形で借りをお返しいたしますので」


 と、そう言った。


「……なるほど。こちらからのお願いもご承諾いただけるのでしたら、そのお願いを聞き入れてもかまいませんよ。それで貸し借りはなしにしていただいてもかまいません」


 僅かに思案した様子を覗かせると、リオは条件付きで肯定的な返答を行った。


「そのお願いとは?」

「今後、万が一の事態が起きた時、私が指定する人物達を保護して頂きたいのです。保護する人数は最大で五人まで。保護してもらいたい時は私か被保護者達から保護を申し出ると思います。どうでしょうか?」


 リオの言葉に、リーゼロッテは一瞬、考え深い顔を覗かせると、


「なるほど。その保護対象となる方達の素性を伺っても?」


 と、そう尋ねた。


「レストランで私と一緒にいた五名です。そのうちの一人は他国の貴族ですが、他の者達は平民です」


 リオが端的にそう告げると、


「なるほど……、貴族ですか。つまりは匿わなければならない事情をお持ちということですか?」


 リーゼロッテは瞬時に事情を察し、スッと目を細めてリオを見つめた。


「はい。そうなります。申し訳ありませんが、名は伏せたままにさせていただきます。何なら条件を煮詰めるために契約書を作成してもかまいません」

「そうですね。もう少しお話を伺いたいですし、お願いします」


 秘匿したい事情があるというのならば、契約を締結もしてない段階で名を伏せたがるのは十分に理解できるが、何も聞かずに契約を結ぶのは軽率である。

 リーゼロッテとしては可能な限り情報を引き出したいところだ。

 それから、さらに一時間ほど、リオとリーゼロッテは話し合いをすることになる。

 ピリピリした様子はないが、二人は忌憚なく堂々と交渉を行った。


「ふふ、今日は本当に素晴らしい時間を過ごすことができました。実のあるお話もできましたし、今後も末永くよろしくお願い致しますね」


 果たして二人の間で契約が締結された。

 契約成立時にはお開きの時間になってしまったのだが、別れの挨拶を告げるリーゼロッテは中々にご機嫌な様子である。


「はい。本日はお招き頂きましてありがとうございました。こちらこそどうか今後ともよろしくお願いします」


 リオも満足そうに笑みを浮かべて別れの挨拶を告げた。

 今日は軽く面識を持つだけに留めておこうかと思っていたのだが、予想以上に収穫を得ることができた。

 これで万が一の時はリーゼロッテに美春達の保護をお願いすることができるようになったのだから。


「それでは」

「ええ、またお会いできますことを心よりお待ちしておりますわ」


 屋敷の前で握手を交わすと、リーゼロッテは立ち去るリオを見送った。


「さて、ナタリー」


 リオの姿が消えたところで、リーゼロッテは一人の女性の名を呼んだ。


「はい」


 すると、見送りの侍従の中から一人の女性がスッと姿を現した。


「尾行して簡単にハルトさんとその周辺人物の情報を集めてきてちょうだい」

「承知しました」


 主の命に従い、ナタリーはリオが立ち去った方向に早足で向かった。


「スカウトはなされなくてよろしかったのですか?」


 どんどん小さくなっていくナタリーの後姿を眺めながら、背後に控えるアリアが尋ねた。


「今日のところはね。今後も確実に会うことにはなるでしょうし。冒険者でもないそうだから、焦る必要はないわ。一応の人柄も知れたし、それなりに得る物もあったからよしとしておきましょう」


 有事の際には訳ありの貴族と平民を匿う契約はしてしまったものの、今日の面談でリオからもたらされたものは多い。

 最大の収穫はあの美酒だろう。

 セリア達の詳しい情報を伏せたまま保護を依頼する代償として、リオは他にも販売できるお酒を複数種類、それも一定量、贈与すると告げた。

 リーゼロッテとしては美酒はあれ一つだと考えていたのだが、まさか同等の味の酒が複数種類もあるとは考えてもいなかった。

 あの酒の利用価値を考えると、相当に魅力的な条件である。

 おまけに酒の販売の仲介も積極的に頼み込んでくれると確約し、仮に仲介が成立しなくとも自分が貰い受けた酒を定期的に卸してくれるとなれば、訳ありの貴族を一人くらい世間の目に触れぬよう匿ってもお釣りがくる。

 本当はまだまだ酒の種類はあって、中には秘蔵の霊酒もあるのだが、そんなことも知らず、リーゼロッテは小さくほくそ笑んでいた。

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2019年7月26日にコミック『精霊幻想記』4巻が発売します
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「読める!HJ文庫」にて書籍版「精霊幻想記」の外伝を連載しています(最終更新は2017年7月7日)。
登場人物紹介(第115話終了時点)
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