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精霊幻想記(Web版) 作者:北山結莉

第四章 再会、その裏で

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第71話 おめかし

 リッカ商会が経営する女性向けの専門店にて。


「あの、美春お姉ちゃん。これ、私には可愛すぎる気がするんだけど……」


 試着室の中で、もじもじと姿見の前に立つ少女が一人。

 そこにはピンクのワンピースドレスを着た亜紀の姿があった。


「そんなことないと思うよ。すごく可愛いもん」


 にこにこと笑みを浮かべて、美春が亜紀を褒める。

 お世辞ではない本心が伝わって来て、亜紀が恥ずかしそうに頬を染めた。


「本当にこれを着たまま行かないと駄目なのかな?」


 と、亜紀が上目づかいで美春の顔を覗き込む。


「駄目だよ。せっかくハルトさんが買ってくれるんだから。それに外を歩く時は上にローブを着てもいいみたいだから、ね?」


 可愛い妹分の頼みではあるが、美春はくすくすと笑みを浮かべて首を振った。

 この後、美春達はこの都市で有数のレストランで昼食を食べることが決まっている。

 この日に美春達を連れてアマンドへ訪れることを見越して、リオがあらかじめ席を押さえておいたのだ。

 普段はあまり外出する機会がないことから、こういった際には少しでも楽しいひと時を過ごしてほしい。

 そんな思いから、料理の質はもちろん、食事中に無粋な輩に絡まれずにプライベートな空間で食事を摂ってもらおうと、個室席を予約してある。

 ところが一つだけ問題となってくるのがドレスコードであった。

 お忍びで来る客もいることからあまり厳格ではないし、美春達が着ているリッカ商会ブランドの衣類なら追い返されることもないのだが、美春達は家着を念頭に置いた普段着しか持っていない。

 そういった格調の高い店に行くにあたって着る服としてはやや場にそぐわない感があるのだ。

 男性であるリオや雅人はともかく、女性である美春達にあまり気恥ずかしい思いをしてもらうのはリオの本意ではない。

 そこで、せっかくだから、この際にと、リオは美春達に少しフォーマル向けの衣装を購入してみてはどうかと伝えてみた。

 美春達も女の子だ。

 必要以上に着飾りたいとは思わないが、お洒落に憧れのある年頃である。

 自分達のことを(おもんぱか)ってくれ、好きな服を選んでいいと言ってくれたリオに対して、申し訳なく思う反面、素直に喜びも感じていた。

 そんなわけで美春達はリオに感謝しながら、各々、外出用の一張羅を選んでいるところだ。

 美春は存外早く気にいった白のワンピースドレスが見つかり、既に購入したうえで身につけていた。

 その隣にはアイシアが黒のワンピースドレスを着てぼんやりと立っている。

 アイシアは自分で衣類を自由に編むことができるが、彼女も専用のドレスを購入していた。

 そのドレスを選んだのは美春である。

 ドレスを買うと告げられてもぼんやりと店に立ち尽くしていたアイシアを、美春が手を引いて連れ回したのだ。

 ちなみにアイシアが編んだ服はオドとマナで編まれており、アイシアが霊体化すると一緒に霊体化してしまう。

 早めにドレスを選んだ美春とアイシアであったが、亜紀とセリアはドレス選びに難航していた。

 より正確には、セリアは候補がいくつかあって決めあぐねているのだが、亜紀は見慣れない服ばかりで目移りして困っている、と言った方が正しい。

 セリアはともかく亜紀はそういったフォーマルな社交向けの服を着たことがないからだ。

 そんな亜紀を見かねて、美春は亜紀のドレス選びを手伝ってあげることにした。

 もちろん美春もドレスを着た経験はないが、亜紀に似合うイメージは長い付き合いでよく心得ている。

 亜紀に似合いそうなドレスを何着か見繕うと、試着室で店員に着替えを手伝ってもらうことにした。

 そうして現在に至る。


「でも、いいのかな?」


 着飾った自らのドレスをじっと見下ろし、亜紀が呟いた。


「どうしたの?」


 亜紀の雰囲気が僅かに変化したことを察し、美春が尋ねる。


「きっとこのドレス、すごく高いよね? 都市の中で歩いている人の服を見たけど、私達がふだん着ている服もかなり質が良いものみたいだし……」


 この都市にやって来て、亜紀は都市に暮らす人々の衣類が自分達よりもずっと粗末なものであることを感じていた。

 基本的に平民は新品の衣類というものを滅多に購入せず、着れなくなった衣類を再利用して自作したり、誰かの使い古したものを着ることが多い。

 加えて、服の素材も美春達がリッカ商会で購入したような上等なものでなく、持っている服の数も少ないときている。

 そんな数少ない衣類を何年にもわたって着回しているため、全体的にほつれや縫い直しの跡が目立ち、薄汚れたボロボロの服を着ている者が多くなるのだ。

 それに比べて美春達の持っている普段着は素材もデザインも洗練されており、見た目も新品同様である。

 外を出歩く時に身につけている全身を覆うローブこそ質素なものであるが、それを脱げば富裕層なのかと見間違えられるだろう。

 今まで何気なく与えられた衣類を着ていたが、ここに来て亜紀は自分がどれだけ恵まれた生活をしていたのか知るに至ったのである。

 そして、この分だとおそらくは普段の食事もものすごく良いものを食べさせてもらっているのだろうと薄々感づいてしまい、急に申し訳なさが沸き上がってきたのだ。


「うん……。私達はハルトさんのおかげで何不自由なく生活させてもらっているんだよ。その上こんな贅沢までさせてもらっちゃって、私もすごく申し訳ないと思ってる」


 と、亜紀に言い聞かせるように美春が言った。


「そう思っているからこそ、美春お姉ちゃんは私達の分まで働いてくれてるんだよね?」

「ううん。私はできることをしているだけだから……」


 と、美春は苦笑して首を振った。

 美春は家での掃除、洗濯、炊事を積極的に買って出ている。

 朝は誰よりも早起きしているし、たまにリオが留守をしている時は美春がいなければ家事は何も回らないほどだ。

 そうやって今までは日本にいた頃と生活水準が変わっていなかったために何となく実感が薄かったが、こうして都市へ来たことをきっかけに亜紀も本当に異世界にやって来たのだと強く思えてきた。


「そんなことないよ。私や雅人なんか何もできてない。それに美春お姉ちゃんがいるからこそ私達はこんな世界に来ても安心していられるんだから」

「私なんか何もできてないよ。全部ハルトさんのおかげだよ」

「そんなことないと思うけど、でも、ハルトさんに出会ってなかったらって思うと本当にゾッとするね」


 危うく奴隷にされかけた当時のことを思い返し、亜紀は軽く身震いをした。


「あのね……、どうしてハルトさんは私達にここまでしてくれるのかな?」


 続けて、亜紀はおもむろにそう尋ねた。

 美春は目を(まばた)き、「え?」と、亜紀に視線を送る。


「だって、ここまでしてくれる理由がないもん。だから、どうしてなのかなって……」


 と、少し戸惑い顔で理由を説明する亜紀。


「それはハルトさんが優しい人だからじゃないかな」


 と、美春が迷うことなく告げた。


「美春お姉ちゃんはハルトさんのことをそう思っているんだ……」

「うん。そうだけど……、亜紀ちゃんはハルトさんが優しくないと思っているの?」


 僅かに目を丸くし、美春が尋ねる。


「ううん。そんなことはないと思うけど。なんかハルトさんのことがよくわからないっていうか……」


 口ごもるように語尾を弱く呟き、亜紀は美春から目を逸らすように(こうべ)を垂れた。

 そう、確かにリオは優しいと思う。

 それだけは間違いない。

 だが、なんというか、リオには頑なに一線を引いているところがあるように思える。

 人との距離に敏感というか、パーソナルスペースが広いというか、どこか侵しがたい領域が存在するのだ。

 亜紀達はリオの過去もリオの前世もよく知らない。

 リオが語ってくれないというのもあるし、何となく亜紀達から尋ねにくいというのもある。

 そのせいか、一ヶ月も一緒に過ごしているというのに、何となくリオに近寄れた気がしない。

 今の距離感にどこか違和感があるのだ。

 亜紀はそのことについて何とも名状しがたい感情を抱いていた。


「亜紀ちゃんは不安なのかな? ハルトさんのことをよくわからないことが」


 ぽつりと美春がその理由を尋ねる。

 亜紀は美春の顔を見上げると、


「不安……なのかな? 美春お姉ちゃんはハルトさんのことをどう思っているの?」


 おずおずとそう尋ねた。


「私? 私は……不器用だけどすごく優しい人だなって思っているよ。それに……」


 美春が途中まで言いかけて、途切れる。


「それに?」


 亜紀が尋ねると、


「えっと、あのね。私、ちょっと変な事を言うけど、怒らないで聞いてくれるかな?」


 美春は亜紀を窺うようにおそるおそる話を持ち出した。


「え、うん……」


 亜紀がいぶかしげに首をかしげる。


「何となくハルトさんはハル君に似ているなって……」


 美春がぼそりと呟く。

 その言葉は確かに亜紀の耳に届き、ハッと顔つきを変える。


「な、何を言っているの? そんなわけないじゃない!」


 語気を荒めて、亜紀が言った。

 すぐに何事かと周囲の者達が美春達に視線を送ってきたことに気づき、慌てて亜紀は申し訳なさそうに頭を下げた。

 周囲の人間の注意が美春達から外れる。


「ねぇ、美春お姉ちゃん。あんな人、もう会えるかどうかもわからないんだよ。いつまであんな人のことを覚えているの? あっちだって美春お姉ちゃんのことなんかもう覚えてないと思うよ」


 少し咎める口調で、饒舌に亜紀が語りかける。

 美春が春人のことを話したのは随分と久しぶりだ。

 それは亜紀のせいだけど、春人の話題はタブーのように避けられていたから。

 だというのにここにきて美春は春人のことを口にした。

 いったいどういう心境の変化なんだろうか。

 けど、一つだけ、亜紀は確信した。

 天川春人という存在は今もなお綾瀬美春の心の中に残り続けていると。


「そう、だよね。ごめんね。急に変なことを言って」


 美春が申し訳なさそうに謝罪する。


「謝らないでよ……」


 と、亜紀はそっぽを向いて言い捨てた。

 すると、そこで、


「春人は貴方達のことをすごく大切だと思っている」


 と、横から沈黙を貫いていたアイシアがそう語りかけてきた。


「アイちゃん?」


 目を(まばた)き、美春がアイシアの名を呼んだ。

 亜紀と一緒になって急に会話に入ってきたアイシアを見やる。


「けど、春人は怯えている。本当の自分をさらけ出すことを。自分が醜いんじゃないかって、恥じている」


 戸惑う美春達を置いて、アイシアが淡々とした口調で語り続ける。

 その言葉の真意を美春達は掴みかねていた。

 いったい何を言っているのだろう。

 けど、とても大事なことを言っているように思える。


「好きにならなくてもいい。けど、嫌いにはならないであげて。春人はそれを一番怖がっているから」


 どうしてか、その物言いは美春達の心に奥深くまで響いた。

 言い終えて、アイシアは再び黙り始める。

 そのままじっと美春達を見つめていた。


「それってどういう……」


 困惑した様子で亜紀が尋ねようとすると、


「お待たせ。私はこの紫のドレスにしてみるわ。って、どうかした?」


 そこに着替えを終えたセリアがやって来た。

 美春達の間に気まずさとは違う微妙な雰囲気が漂っていることに気づき、目を丸くする。


「あ、えっと、なんでもありません」


 拙い言葉で亜紀が答える。

 まだまだ亜紀は流暢にシュトラール地方の言葉を操ることはできないし、聞き取りも十分にできるわけではない。

 それでも何となくセリアが何を言っているのかくらいは理解できる。

 とはいえ、「どうかしたのか?」というセリアの問いに対して満足に説明する会話能力がないため、とっさに何もなかったと答えてしまったわけだが。


「そう? そろそろハルトが来る頃よ。せっかく着飾ったんだから驚かせてあげましょう」


 と、嬉しそうにセリアが語った。

 すべてを聞き取れたわけではないが、誰を思ってその笑顔を浮かべているのかくらいは読み取ることができる。


「あ、ハルト! どう、似合ってるかしら?」


 やがてそのお目当ての人物が迎えに現れると、セリアの笑みはいっそう強まった。

 思わず同性の亜紀が見惚れてしまうくらいだ。


(セリアさんはハルトさんのことが好きなんだろうなぁ)


 セリアの喜ぶ顔を見て、亜紀がぼんやりと考える。

 リオはセリアの着飾った姿を目にすると「似合ってますよ。綺麗ですね」と口にした。

 セリアは満更でもなさそうだ。


(ハルトさんはセリアさんのことをどう思っているんだろう)


 最初、セリアを家に連れてきた時、亜紀は二人の関係を恋人に近い何かだと勘繰った。

 だが、リオはセリアのことを純粋に教師として尊敬しているように思える。

 そこに恋愛感情はあるのだろうか。

 何となくそんなことを思っていると、


「亜紀ちゃんもすごく似合っているよ。気にいってくれたかな?」


 リオが亜紀に話しかけてきた。


「あ、はい。ありがとうございます! こんな良い服を買って頂いて」


 ぼんやりと考え事をしていたところに急に話しかけられ、亜紀がおずおずと返事をする。


「かまわないよ。今後、正装する必要があったらその服を着るといい。成長したらまた別の服を買おう」


 と、リオが微笑ましげに言う。


「はい!」


 亜紀が嬉しそうに返事をする。

 続けて、ちらりとリオの傍でアイシアやセリアのドレス姿に見惚れている雅人の姿が視界に映り、亜紀は小さく溜息を吐いた。


「うちの愚弟は良い剣が見つかったんでしょうか?」

「ああ、良い剣が見つかったよ」

「すみません。良い物を買って頂いた上に弟のお世話まで任せちゃって」


 礼を述べて、亜紀が深くお辞儀をする。


「いや、必要な買い物だからね。俺も色々と見て回れて楽しかったし」


 リオは笑顔を浮かべてかぶりを振った。


「そう、ですか。良かったです」


 リオの言葉が嬉しくて、亜紀が笑みを浮かべる。

 同時に、ふと先ほどの美春の言葉が亜紀の脳裏をよぎった。

 リオが天川春人に似ていると。

 まだ幼い頃に見た曖昧な兄の姿が頭の中に思い浮かび、亜紀は僅かに顔をしかめた。


「どうかした?」


 そんな亜紀の些細な変化に気づき、リオが不思議そうに尋ねる。


「あ、いえ! 何でもありません!」


 焦ったように亜紀が首を左右に振った。


「そう? じゃあ、目立っているみたいだし、そろそろ出ようか」


 言って、苦笑しながらリオが店内を一瞥する。

 先ほどから着替えを終えた美春達は店員と客の注目を集めていた。

 中にはカップルで来店中の客もおり、特にアイシアの容姿に見惚れた男達が連れの女性から非難の言葉を耳元で囁かれているが、その効果の程は定かではない。


「外は寒いし、目立つから、ちゃんとローブは着た方がいい」


 いつの間にか亜紀のローブを持ってきて、リオがドレスの上からふわりと着せた。

 まるで実の兄のように気遣ってくれるなと、亜紀は思った。

 その瞬間、亜紀の中で何かがすとんと落ちる。

 同時に突拍子もない想像をしてしまった。


「えっと、はい!」


 だが、すぐにそれを振り払うように、亜紀は力強く返事をする。


(馬鹿だな、私)


 亜紀は苦笑をたたえた。

 何を考えているんだろう。

 ぼんやりと覚えている幼い頃の兄の姿をリオに重ねるなんて。

 きっと美春が変な事を言ったからだ。

 絶対に、そうに違いない。

 亜紀は少しばかり不機嫌そうに嘆息した。

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2015年10月1日 HJ文庫様より書籍化しました(2020年4月1日に『精霊幻想記 16.騎士の休日』が発売)
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