第69話 心構え
言葉を習い始めてから一ヶ月もすると、美春達はシュトラール地方の言語でも簡単な意思の疎通くらいなら行えるようになり、リオは美春達に護身術と精霊術を教えることを決めた。
といっても、精霊術に関しては体内のオドの流れを感知する段階から始めて、オドの操作、オドの視認、マナへの干渉とやるべきことは多い。
魔法を教えるだけなら簡単なオドの操作までこなせるようになればいいので時間は大幅に短縮できるが、精霊術を教えるとなると初歩的な術を使うだけでも習得期間は短く見積もっても半年はかかるだろうとリオは見込んでいる。
もちろん美春達の才能によりその期間は前後するが。
最初の修行はかなり地味だし、感覚的な問題でやることも多くないので、目に見えた成果が出るのはまだまだ当分先のことになるだろう。
それゆえまずは護身術を重点的に教えることを決める。
美春と亜紀に関してはごく簡単な棒術と体術を教えることが決まったのだが、
「俺、剣術を習ってみたい!」
という雅人の強い要望により、雅人に対しては剣術を教えることが決まる。
そんなわけで訓練用の剣や棒を購入するために、リオは美春、アイシア、セリア、亜紀、雅人の五人を引き連れてアマンドへと訪れた。
アイシア、亜紀、雅人については今回がこの世界で初めての外出であり、亜紀と雅人は前日からだいぶ興奮していたようだ。
今回の外出は亜紀や雅人のストレス発散も兼ねているが、これだけ大所帯での外出は初めてであるため、リオとしては不安が大きい。
なにせ女性陣については全員が揃って人の目を惹く容姿であるから、ぞろぞろと都市の中を歩けばいらぬ注目を集める可能性が高いだろう。
そこで、少しでも不安を減らすために、リオは彼女達にフード付きのローブを着こんでもらうことにした。
万が一顔がさらけ出された時、美春達の黒髪が少し目立つということもあり、髪の色を変える魔道具も渡してある。
移動はアイシアの協力を得て精霊術で空を飛んでアマンドの傍までやって来た。
付近で人気のない場所に降りると、街道に合流して都市に向かって歩いていく。
「うおお! すっげー! ゲームみたいな街だ!」
都市の外観が見えてくると、雅人が感極まったように叫んだ。
「あんたRPGだっけ? 大好きだもんね」
やや呆れた声で後ろを歩いていた亜紀が言う。
今の隊列はリオと雅人が先頭を歩き、真ん中に美春と亜紀が、最後尾にセリアとアイシアがいて歩を進めている。
「まあね。実際の街の風景はこんな感じなんだな。へぇ~」
雅人は目を輝かせて都市の景観を楽しんでいた。
一度は奴隷にされかけて、この世界の危うさはその身をもって味わったはずなのだが、喉元を過ぎて熱さを忘れたのだろう。
今はお遊び感覚というか、少し気が抜けているように見える。
日本の都市に出かけるくらいならそれでもいいのだが、今から行く場所は日本の都市とは比較にならないくらいに犯罪が起きやすい場所なのだ。
都市は犯罪の温床である。
メインストリートならせいぜいスリに注意するくらいで、生命や身体の安全に関わる犯罪に出くわすことはあまりない。
だが、路地裏に行けば暴行、傷害、脅迫、強要、恐喝、強盗なんかは日常茶飯事である。
「何度も言ったけど、都市の中は危険がたくさんある。別行動するとしても、不用意に路地裏に行かないこと、それとスリにも注意すること。人とぶつかった時は財布が盗まれていないか確認するんだ」
リオは直前になって改めてその危険性を美春、亜紀、雅人の三人に訴えかけた。
以前に美春を連れてきたときは四六時中リオが一緒にいたが、今日は人数も多いせいで全員に対して十分に注意を向けきることはできないかもしれない。
アマンドの治安は他の都市に比べれば格段に良いが、今はまだまだ発展途上で人口の増加に対応しきれていない感がある。
必然的に職に
かつて孤児としてスラムで生きていたリオにはわかる。
生活に困窮して職や住居を持たない人間は生きることに必死だ。
おのぼりさん感覚で街の中をきょろきょろと眺めていたら格好のカモ扱いされるだろう。
ましてやこの場にいるのは全員が女子供にすぎない。
スリ程度ならまだいいが、女性に関しては強引に路地裏や宿屋へと連れて行かれることだってある。
美春達には都市が危険な場所だと認識し、心構えをしてほしかった。
「はい。気をつけますね」
「わかりました!」
「了解!」
と、美春達はしっかりとした声で返事をした。
「美春さん。少しでも危ないなと思ったらすぐに俺に知らせてください。俺がいない時はセリア先生かアイシアにでも」
念を押して年長者の美春にそう告げる。
「わかりました」
美春はリオと目を合わせ深く頷いた。
リオは頷き返すと、
「セシリア、アイシア。不用意に人が少ない場所には行かないようにしてくださいね」
最後尾を歩いているセリアとアイシアに振り返って、シュトラール地方の言語に切り替え、話しかけた。
セシリアというのは外出する際に取り決めたセリアの偽名だ。
「ふふ、心配してくれてありがとう。でも万が一の時はリオが守ってくれるんでしょ?」
セリアは僅かに眼を見開くと、リオの意図を察して嬉しそうに微笑んだ。
「もちろんそうしたいですが、心構えの問題です。セシリアたちの買い物中は別行動になりますし、店の外には出ないようにしてください」
苦笑してリオが返す。
もちろんリオが一緒にいれば問題が起きても対処できるが、今日、女性陣の買い物中、リオと雅人は別行動する予定だ。
美春達が買物をする場所は女性向けの専門店だけだが、最悪、それ以外で不意に離ればなれになる可能性だってある。
「わかってる。美春達のことは私が守るわ。私だって『
と、セリアが細腕でこぶを作る仕草をして見せる。
「それはそうなんですが……」
セリアの言うように、魔法で身体能力を強化できるのならば、そこら辺のゴロツキに負ける心配はないのだが、それでも不安になってしまうのは幼く見えてしまうセリアの容姿ゆえだろうか。
「春人、私も美春達を守る」
いつの間にかリオのすぐ傍にやって来ると、腕を引いて、静かだが良く通る声で、アイシアが言った。
相変わらず無表情というか、虚ろな表情をしているが、何となく言葉通りの意志が伝わってきて、
「わかった。よろしく頼むよ、アイシア」
口元に微笑を浮かべ、リオは答えた。
「ちょっと。私の時よりすんなりと信用しすぎじゃない?」
セリアも一歩前に出て、ムッとした様子でリオに語りかける。
「あはは。こう見えてアイシアは高位の精霊ですからね」
たしなめるようにリオが言った。
高位の精霊であるアイシアは精霊術の本家本元ともいうべき存在だ。
リオから供給されているオドを用いれば自由自在に精霊術を操ることができる。
その気になればセリアが比較にならないくらいの戦闘能力を内に秘めているはずなのだ。
「ふーん、この子ってどのくらい強いのかしら?」
どうやらセリアはアイシアの実力に興味を惹かれたようだ。
「どうなんですかね。その気になればちょっとした自然災害を起こせるんじゃないかと」
何気ない様子でリオが語る。
「し、自然災害?」
するとセリアの顔が盛大に引きつった。
「まぁ俺が必要な量のオドをすぐ傍で供給する必要はありますけどね。離れ離れの状態だとせいぜい……」
言いながら、リオが口元に手を添えて考えるそぶりを見せる。
「せ、せいぜい?」
セリアはごくりと唾を呑んだ。
「まぁ最上級魔法くらいの精霊術しか使えないんじゃないでしょうか?」
「そ、それでも十分すぎる威力よ! それになんで疑問形なのよ?」
泡を食ったようにセリアが叫ぶ。
最上級魔法といえば発動に時間がかかるが、威力は折り紙つきの広域殲滅魔法が代表的だ。
戦場で使われる際には一撃で平均三百人程度の犠牲者が生じ、密集地帯に放てばその被害者はさらに増える。
消費される魔力は膨大で、普通の魔道士では使用に必要な魔力を保有していないため、不足している魔力を補うために大量の魔石を用意する必要がある大魔法だ。
人間族にしては桁外れに魔力の多いセリアでも魔石なしだと一発撃てば魔力が枯渇して倒れてしまう。
しかも術式適合率が低いために使用者は少なく、軍部では治癒魔法の使い手以上に重宝される存在である。
「いや、俺を基準にして考えたんですけど、俺も上級魔法以上の規模で攻撃的な精霊術を使ったことはないものでして。どれくらいのオドが必要でどれくらいの威力が出せるのかはわかんないんですよね」
実際に全力で使ったことがないのに正確な威力を知ることはできないのだろう。
つまり今リオが告げた回答は控えめに言ってということだ。
しかもリオの魔力は無尽蔵にあるといってもいい。
二人が一緒になったらどれ程の威力がある精霊術を使うというのか。
セリアはいっそう顔を青ざめさせた。
「いい、アイシア? 都市の中じゃ絶対に全力で精霊術を使っちゃ駄目よ!」
焦った様子でアイシアの説得にかかるセリア。
リオならば意味もなくオーバーキルを行うことはないだろうが、アイシアは目覚めたばかりで少し危なっかしいところがあるように思える。
もしかしたら加減が効かないんじゃないか。
セリアの言葉に、アイシアはきょとんした表情を浮かべた。
リオはそんな彼女の反応に苦笑し、
「そうだね。それにこっちの地方だと人間で精霊術を使える人はいないから使うと目立つ。よほどのことがない限り、精霊術を使うにしても身体能力か肉体の強度を強化するくらいに留めておいた方がいい」
と、横から言葉を挟むことにした。
魔法を使用すると術式が中空に浮かび上がり微細な光とともに事象が発動する。
精霊術は術式が浮かび上がらない代わりに微細な光と一緒に事象が発動するだけだ。
それゆえ基本的には同じ事象を発動させても見る者が見れば違いは一目瞭然である。
とはいえ、身体能力や肉体の強度を強化するだけなら事象が外部に見える形で発動することはないため、傍目から見ても精霊術を使用したとはわかりにくい。
護身の意味で使うには最適の精霊術だろう。
「わかった」
アイシアがこくりと頷く。
そんな話をしているうちにリオ達はアマンドへとたどり着いた。
最初に向かったのは以前に美春やセリアを連れてきたリッカ商会の女性向けの専門店だ。
「それじゃあ後で迎えに行きますから」
「ありがと。じゃあ行ってくるわね」
セリアに引率を任せ、美春、亜紀、アイシア達と別れる。
四人が店に入っていくのを確認すると、
「じゃあ行こうか」
リオは隣に立っている雅人に声をかけた。
美春達が買い物をしている間に武具屋に行って雅人の装備を買うのだ。
「おう、よろしくな。ハルト兄ちゃん」
雅人が嬉しそうに無邪気な笑みを浮かべて返事をする。
これから何を買うのかわかっているのだろうか。
小さく嘆息し、リオは武器屋へ向けて足を進めた。
そうして武器屋を巡ること数店、中々これはと思える剣に巡り合うことができずにいると、
「なぁ、ハルト兄ちゃん。無理して良い剣を買わなくても俺なら大丈夫だぜ? 最初は安物の方がいいんじゃないのか?」
雅人が遠慮がちにそんなことを言ってきた。
「自分の命を懸けるものなんだ。出来るだけ良い物を見繕った方がいい。幸いお金に余裕はあるしね」
リオは真剣な面持ちで、安物ではなく良質な剣を選ぼうとする理由を説明した。
弘法筆を選ばずという言葉があるが、同じ実力を持った者同士ならばより良い武器を持っている方が勝つのが道理だ。
遠慮しているのかもしれないが、安物でかまわないという発言は、自分の命を安く見積もっているか、命を懸けることを想像できていないという証拠である。
そして、おそらく雅人は後者だろう。
「いいか。雅人。俺は君に剣術を教える。それは何かを殺すための技術だ。その対象には人間も含まれる。そして、君が剣を振るう時、君は人の命を奪うために自らの命を懸ける必要がある。相手だって殺されたくはないだろうからね。だから君に誰かを殺し殺される覚悟がないのなら、俺は剣術を教えることはできない」
今が良い機会だと考え、いったん立ち止まり、リオは雅人にそう語りかけた。
「え、あ……ハルト……兄ちゃん?」
スッと変わったリオの雰囲気に、雅人が返す言葉もなく狼狽えた。
今、雅人の目の前にいるリオは普段とは別人のように優しさが消えている。
ざわりと心臓が騒ぎ、雅人は急に足場を失ったような感覚に襲われた。
「そう、言いたいんだけどね。あいにくとこの世界は命が軽い。君が誰かを殺そうと思わなくとも、誰かが君のことを殺そうとするかもしれない。この世界に来て最初に遭遇した連中のことを思い出すといい」
小さく嘆息し、リオは言葉を続ける。
「その時、俺が傍にいてあげられればそれでいい。けど、常にそうだとは限らない。だから俺は君に命を懸ける覚悟がなくとも剣術を教える。君には自分の身を、そして君にとって大切な人を守る術を身につけておいてほしいんだ」
「あ、お、俺……」
雅人はぎりりと歯を食いしばった。
ぎゅっと拳に力を入れ、顔を伏せる。
ひどく葛藤している様子がリオに伝わってきた。
「今はそんな覚悟はなくてもいいさ。こう言われたからってすぐに命を懸けることができる奴はきっと心が壊れている」
感情を殺したように冷たく、リオはそう言い捨てた。
雅人が目を丸くして顔を上げる。
しかし、リオは優しく微笑んでいて、
「ま、とりあえず俺は君に剣術を教えるってことだ。難しい話はこれくらいにしておこう。もし俺が美春さんや亜紀ちゃんの傍にいない時は雅人が二人を守ってあげてくれ」
軽く雅人の頭の上に手を乗せると、明るい声色でそう告げた。
「あ、ああ! 任せてくれよ! ハルト兄ちゃん!」
一瞬、雅人は呆けたようにリオの顔を見つめると、パッと笑顔を浮かべて答えた。
「よし。じゃあ次の店に行こうか。さっきの店で聞いた話だと次の店はオーダーメイドもやってるらしい。腕だけならこの都市で一番だそうだ」
そう言うと、リオは少し足早に再び歩き始める。
雅人は嬉しそうにその背中を追った。