第66話 こんな世界で出会えた君は?
セリアが岩の家に暮らすようになってから数日が経過し、この数日間でリオは美春達にこの世界の言葉を教え始めた。
昨日もほぼ一日かけて三人に基礎を教え込み、セリアの協力も得てスパルタ教育を行ったところだ。
並行してセリアの研究を手伝ったりもしている。
何だかんだでリオは忙しくも充実した毎日を送っていた。
そんなある日の早朝。
「ん……」
岩を切り取って作られた小さな窓から、爽やかな朝日が差し込み、リオはぼんやりと目を覚ました。
薄っすらと目を開くと天井が視界に映る。
この岩の家を作って以来、リオは旅先でも安心して眠れるようになって、昨晩もぐっすりと眠ることができた。
ドミニクの作成した特製の幅広いベッドの上で、リオはのろのろとした手付きで毛布と上掛けをめくろうと手を動かす。
すると、その時だ。
手に何か柔らかいものが触れた。
毛布や上掛けとは違う。
ベッドのマットレスでもない。
もっと弾力がある。
手のひらに収まるくらいで、少し冷たい。
小さく手を動かすと、何とも気持ちよい感触が手に伝わって来た。
何だろうか。
その正体を探るべく、リオはぎこちなく手を動かした。
すると――。
「ん……」
衣擦れする音と一緒に少し艶めかしそうな女性の声が聞こえてくる。
「すー……、すー……」
続いて、すぐ側で穏やかな寝息が聞こえることに気づき、ぎぎぎ、とリオは横に視線をやる。
すると、すぐ隣にぐっすりと眠りこんでいる一人の少女がいた。
年齢はリオと同じくらいだろうか。
実在感が薄いというか、透明感が強いというか、神秘的な雰囲気と美貌を醸し出している。
長い桃色の髪の美少女だ。
いや、物凄い美少女である。
「ん……」
少女はもぞもぞと動き、ぎゅっとリオの部屋着を掴んできた。
そのままリオに顔を寄せてくる。
少女の寝息が耳元に吹きかかった。
リオの思考が一気に覚醒する。
「…………」
至近距離から呆然と少女の顔を見つめると、リオは身体から力を抜いて再度ベッドに体重を預けた。
そうして目を瞑る。
(夢か……。俺はまだ眠っているんだ。そうに違いない)
なんて、現実逃避するように自己暗示をかける。
だいたい、いくらぐっすり眠っているからといって、見知らぬ人間の気配を察すれば目を覚ますはずだ。
少し平和ボケしすぎているのだろうか。
いや、そもそもリオが家の周囲に張り巡らせた侵入者探知の結界魔術に部外者がひっかかった反応はない。
それなのに気づかなかったのだから、きっと夢に違いない。
そう考えて、目を瞑る力を強める。
ゆっくりと一分ほど時間が経ったところで目を開けると、おそるおそると空いている手で毛布と上掛けをめくった。
そこにはさらにありえない光景が広がっていて――。
雪のような白い素肌、非常にバランスの良い女性らしいなめらかな肢体、ふわりと柔らかそうなふくらみ――。
つまり、全裸の美少女がいた。
「っぇえええええ!?」
リオが仰天して大声を出す。
目が覚めたら裸の美少女が隣で眠っているなんて。
こんな経験は二度の人生を通しても初めてのことだ。
リオの声で目が覚めたのか、少女が気だるげに身体を動かした。
その動きが妙に色っぽくて、リオは顔を紅潮させ、サッと視線を逸らす。
「ん……」
少女は無表情なままぼーっとした目でリオのことを見ている。
リオの全身に冷や汗が流れた。
なんで、どうして、俺は全裸の美少女と一緒に眠っているんだ。
心の中でそう叫ぶ。
「ど、どうしたんですか! ハルトさん!?」
すると、美春が部屋の中に慌てた様子で入って来た。
部屋の防音性は万全だが、扉が少し開いていたため、リビングの方にまでリオの大声が響いたのだろう。
お世話になってばかりは悪いと考え、美春は気を利かせて誰よりも早起きして朝食の準備をしていたのだ。
チュニックドレスの上に身に着けたエプロンがすごく似合っていて本当に可愛らしい。
だが、今はそんな美春に見惚れている場合ではない
美春はぽかんとした表情で、部屋着姿のリオと全裸の美少女を眺めていた。
慌ててリオが毛布を少女に被せたがもう遅い。
「き、きゃぁ!」
今度は美春の声が部屋の中に響き渡った。
無理もない。
誠実そうな恩人が、自分達の気づかぬ間に全裸の美少女を連れ込んで、一夜を共にしていたというのだから。
リオからすればそんな事実は存在しないはずなのだが、美春からすればそんな事実が存在したようにしか見えない。
「ち、違うんだ! みーちゃ、美春さん! これは――」
最悪だ。
リオは慌てて釈明しようとするが、上手い言葉が出てこない。
思わず昔の呼び名で呼びかけてしまいそうになったくらいに混乱している。
すると桃色の髪の美少女が無表情のままリオにぎゅっと抱き着いた。
リオに寄り添い、不思議そうな表情で美春のことを見つめている。
その姿を見て、美春の顔がさらに真っ赤に染まった。
「す、すみません! 勝手に扉を開けちゃって!」
慌てて頭を下げて、美春が扉を閉める。
「誤解で……」
リオの弁明の声が虚しく部屋に響き渡った。
残ったのはリオと桃色の髪の少女だけだ。
リオががっくりとうなだれる。
「何事よ、リオ? なんかミハルの悲鳴が聞こえたんだけど」
すると、今度は寝不足な表情でセリアが室内に入って来た。
おそらく徹夜明けなのだろう。
その後ろで美春が慌てた様子でセリアを制止しようとしていた。
拙い言葉で必死に「駄目、駄目」と呼びかけ続けている。
だが、どうやら一歩間に合わなかったらしい。
セリアの視界にもばっちりと二人の姿が収められることになった。
「は、はは……」
引きつったリオの笑い声が室内に虚しく響き渡る。
毛布一枚で身体を隠した美少女が、ベッドの上でリオに寄り添っていた。
隙間から覗ける地肌がセリアの妄想を掻きたてる。
「ふ、ふふ……」
顔を赤らめつつも、セリアは表情を取り繕って微笑を浮かべた。
結果、二人の笑い声が謎のハーモニーを奏でることになる。
ただし、その笑い声に込められている各々の感情は異なるが。
「お楽しみのところを失礼したみたいね」
そう言い残し、セリアはやや乱暴に扉を閉めた。
扉の外で美春とセリアがどのような空気を共有しているのかが気になったが、今はそれどころではない。
「……えっと、君は誰?」
盛大に顔をひきつらせ、リオが尋ねた。
本音としては今すぐ美春とセリアを追いたいが、この見知らぬ少女をこのまま捨て置くこともできない。
といっても、まだ頭が混乱していて何を聞けばいいのかわからず、漠然とした質問を投げかけることしかできなかった。
「私は春人と契約している精霊だよ?」
なんて、首を傾げて、澄んだ雫のように透き通る声で、少女が答える。
どこか無機質だが、綺麗な声だった。
「え、あ……契約……そうか、契約精霊。君が……」
その言葉で一気にリオの頭が冷静になる。
ハッと顔つきを変えて、リオは少女の顔を見据えた。
改めて見ると、異常なくらいに整った顔つきをしている。
まるで一流の芸術家が生涯を賭しても生み出すことが叶わぬくらいに。
彼女の美しさは、幻のように、儚げで、いつ消えてもおかしくないような気がした。
今まで美春以外の女性に見惚れたことなんてないが、その強い想いがなければ思わずこの少女の美しさに吸い込まれそうになっていたかもしれない。
「どうして今になって目覚めたのか聞いてもいい?」
――時が来たからだよ。
一瞬、目の前にいる少女の声が聞こえた気がした。
リオが目を丸くして少女を見つめる。
だが、少女はゆっくりと首を振って――。
「わからない」
そう、答えた。
相変わらず無表情なままだが、どこか寂しそうな声色だ。
すると、すっと手を伸ばし、リオの手を掴みとった。
――温かい。
そんな呟きが聞こえたような気がした。
少女はホッとした表情を浮かべたように見える。
「えっと、じゃあ君の名前は?」
「名前もわからない」
真紅の瞳を悲しげに揺らして、少女は答える。
「名前もわからないって。じゃあ、何ならわかるのかな?」
戸惑いがちにリオが尋ねる。
「私は春人の側にいる。だから、名前が欲しい」
自分の側にいる。
それは彼女がリオの契約精霊である以上は当たり前のことなのかもしれない。
自身でも気づいていないが、リオは当然のように少女の同行を認めていて、そのことに抵抗感は抱かなかった。
それに、名前がないのは不便だ。
だが、今のは質問の答えになっていない。
まぁ漠然とした質問をしたリオにも非はあるのだが。
「えーと、そういうことじゃなくて、君がどんな精霊なのかとか、どうして俺と契約しているのかとか、教えてほしいなって」
もちろん、尋ねれば何でも答えてもらえるなんて思ってはいないが、知らぬ間に自分の契約精霊になった彼女には説明する義務があると思うのだ。
しかし、彼女は本当に何もわかっていないようで、困ったような雰囲気がリオに伝わってきた。
そんな少女を見つめて、リオが小さく息を吐く。
「名前か……。そういえばなんで俺の名前は知っているの?」
今気づいたが少女は先ほどからリオのことを春人と呼んでいる。
それはどういうことなのか。
そう思って、リオは少女が春人の名を知っている理由を尋ねた。
「だって、春人は春人だよ?」
「いや、そういう意味じゃなくて……」
天然な様子で意味深な発言をする少女。
リオはじっと彼女を見つめた。
少女も黙ってじっとリオを見つめている。
どれ程見つめ合っていたのか、最初に折れたのはリオの方だった。
「えっと、名前が欲しいって、俺に名づけてほしいってこと?」
こくりと少女は頷いた。
「そう言われてもな……」
リオが言葉に詰まる。
いきなり名前をくれと言われてもそう簡単に思いつくものでもない。
それにそんなに簡単にあげてもいいものではないように思えた。
だが、名前がないと今後、困ってしまうのは確かである。
「少し考える時間をもらってもいいかな?」
リオは困ったようにそう尋ねた。
「うん」
こくりと、少女が頷く。
「それで……その……当たり前だと思うけど、服は持ってないんだよね?」
今も上掛けと毛布の下が全裸であることを想像し、思わず顔を紅潮させてリオは尋ねた。
「服……」
ぽつりと呟くと、小さな光が溢れ、少女がおもむろに毛布と上掛けをめくる。
「わっ、ちょ!」
慌てたようにリオが視線を少女から視線をそらす。
そうやって壁をじっと眺めていると――。
「これでいい?」
なんて言葉がすぐ隣から聞こえて、リオはおそるおそる首を動かした。
視界に衣類らしきものがちらりと映り、意表を衝かれたように少女に視線を向ける。
そこにはフリルの付いた清楚な黒いワンピースを身に着けた精霊の少女がいた。
「え、なんで……?」
正直に言えば凄く可愛らしい。
だが、それよりも疑問の念の方が強かった。
いつの間にか少女はリオの手を握っていて――。
「オドとマナで編んだ」
少し冷たい声で、そう言った。
「え、あ、さっき布団から漏れた光はそういう……」
納得したように言葉を漏らす。
だが、リオにもちょっとやり方はわからない。
オドとマナで服を作る。
そんなことができるのか?
疑問に思ったが、今は先に解決すべき問題がある。
「とりあえず、み……美春さんの誤解を解きたいんだけど、事情を説明するから協力してもらってもいいかな?」
先ほどの出来事を思い返して、一気に気分が重くなり、力弱く呟く。
協力してもらうといっても、一緒に傍にいてもらうだけで、説明をするのは主にリオの仕事になるのだろうが。
「……わかった」
数瞬の間を置いたが、リオの困った様子が伝わってきて、少女は小さく頷いた。
どうやら悪い子ではなさそうだ。
「えっと、君が俺の前世についてどれくらい知っているのか今は聞かないけど、とりあえず黙っていてほしい。いつか、俺が自分で彼女達に伝えるから」
小さく息を吐き、リオは少女にそう伝えた。
少女はどういうわけか自分の前世のことを知っているようだ。
うっかり美春にそのことを語られるとリオとしては困ったことになる。
「わかった」
感情の薄い声で少女が返事をする。
本当にわかっているのか。
まぁ悪い子ではなさそうだし、大丈夫だろう、たぶん。
リオはそう思って、この少女のことを信じることにした。
というよりも信じるしかない。
「じゃあ行こうか」
リオは少女を伴って、ラウンジに足を踏み入れた。
扉から出て行くと、キッチンの中で美春が気まずそうに料理をしている姿が視界に映る。
セリアはニコニコと笑みを浮かべてリビングのソファで美春の淹れた紅茶の香りを楽しんでいた。
よく見るとカップを持つ手が震えているのだが、それに気づけるほどの余裕はリオにもない。
どうやら亜紀と雅人はまだ起きていないようだ。
「えっと、二人とも! おはようございます!」
硬いが良く通る声で、リオが語りかけた。
「おはよう、リオ」
相も変わらずニコニコしたまま、セリアが答えた。
何を考えているのかは読み取れないが、少し寒気を感じるのは気のせいだろうか。
「お、おはようございます! えっと、今、朝食を準備していますから、少し待っていただけますか?」
続けて、リオの方を見ることはなく、美春がキッチンの中から矢継ぎ早に答える。
こちらは顔を真っ赤にさせており、あたふたとしているのが丸わかりだ。
「あの! 少し話を聞いてもらってもいいですか? 彼女のことなんですけど」
背後に控えている少女に視線を移し、まず美春に対し、リオが言った。
続けて、同内容の言葉をセリアに投げかける。
すると、美春とセリアの視線が精霊の少女に集まった。
思わずその美しさに見惚れたのか、二人とも目を
水を打ったような静寂――。
「えっと、なんでしょうか?」
「ええ、もちろん説明して頂きたいわね」
しばらくして、気を取り直し、二人が各々別の言語で返事をする。
美春はともかく、セリアはリオにジト目を向けてきた。
ここはしっかりと説明しなければ。
そう決めると、リオは小さく深呼吸をして、口を開いた。
「まずは美春さんから説明してもよろしいですか?」
説明の順番を伺うべく、セリアに尋ねる。
「ええ、先に目撃したのはミハルだものね。しっかりと説明してあげて頂戴」
少女の無機質な雰囲気に毒気を抜かれたのか、少し疲れたように、小さく溜息を吐いて、セリアが答える。
リオはセリアに礼を告げると、美春に向き直った。
「以前、精霊という存在について簡単に説明したと思うんですけど、彼女がその精霊なんです」
「彼女が精霊……ですか?」
美春は契約精霊の少女へと視線を移した。
人間離れした美しさを放っているが、彼女はどう見ても人間にしか見えない。
二人の視線が重なる。
「美春……」
と、精霊の少女が美春の名を呼んだ。
「あ、はい。私は綾瀬美春です。えっと、貴方は?」
「私は名前がないの」
寂しそうに呟くと、少女は名前を持つ美春を羨ましそうに見つめた。
「お聞きの通り、彼女には名前がありません。どういうわけか彼女は俺の身体の中でずっと眠っていたんですが、彼女がどんな存在なのかは俺もまだよくわかってなくて」
いまだ自身でも事情はよく呑み込めていないが、リオは必死に説明を行い美春に訴えかけた。
「わかっていることは彼女が俺と知らない間に契約していて何らかの繋がりがあることくらいで。今朝目覚めたら、彼女が実体化して俺の傍にいたんです。これくらいしか説明できることはないんですが……、ご理解いただけたでしょうか?」
一通り説明を終えると、おそるおそる美春の顔を覗き込む。
「えっと、……何となくですが、事情は把握できたと思います」
すると美春がゆっくりと言葉を紡いだ。
「信じて……くれるんですか?」
「はい。その子の様子を見ていれば何となくわかります。それにハルトさんは理由もなく嘘を吐く人じゃないと思いますから」
そっとはにかんで、美春が答える。
「あ、ありがとうございます! や、やましいことはなかったので!」
精霊の少女に視線を向けながら、リオが熱く語った。
特に後半部分を。
すると美春はくすくすと笑って。
「はい、わかりました」
と、頷いた。
ようやくリオはホッと一息。
身体から力が抜けて数秒ほど立ち尽くした。
「えっと、それにしてもすごく可愛い精霊さんですね」
ちらりと少女に視線を向けながら、あからさまに気が抜けた様子のリオに美春が語りかける。
すると、黙ったままでいた少女が不思議そうに首を傾げた。
「もう話はいい?」
と、どういうわけか少女は日本語を使って尋ねた。
そういえば最初、見た目からリオはシュトラール地方の言葉で喋りかけたが、少女はシュトラール地方の言葉を普通に喋っていた。
それなのに今は日本語も喋れている。
「え、君、俺達の会話を理解できたの?」
そのことに気づいて、リオが目を丸くする。
「うん、春人が喋れる言葉は全部喋れるよ」
あっけらかんと少女が答える。
「……」
リオは呆気にとられて言葉を失った。
理由を聞きたいのはやまやまだけど、尋ねても「わからない」という答えが返ってくるのが何故か目に見える。
「精霊ってすごいんですね……」
美春は精霊なら何が出来ても不思議ではないと思っているのか、純粋に感心しているようだ。
リオは小さく溜息を吐くと。
「えっと、じゃあ、次はセリア先生に説明をしないといけないので。美春さん……と君も少し待っていてくれるかな」
と、そう言った。
精霊の少女がこくりと頷く。
同じように美春も頷いて。
「あ、はい。じゃあ私は朝食を作っておきますね」
と、そう答えた。
「すみません」
美春に謝り、リオがセリアへ視線を移す。
「話は終わったみたいね。納得のいく説明をしてくれるのかしら?」
腕を組んでむっとした表情を浮かべるセリア。
「俺の知っていることはすべて説明しますので、それで勘弁してください」
リオは思わず苦笑を浮かべた。
美春への説明が無事に終わったおかげか、先ほどまでの余裕のなさはいつの間にか消えており、リオは落ち着きを取り戻していた。
(美春に説明する時は焦ってたくせに)
それが少しばかり悔しくて、セリアの頬がちょっとだけ膨れる。
「ええ、よろしくね」
けれどセリアは強がって不敵な笑みをリオに向ける。
こんな態度しかとれない自分は可愛らしくないなと、セリアは思った。
(リオって美春のことをどう思っているのかしら? って、いけない、いけない。今はこの子のことを聞かないと)
思考が脇道に逸れかけたところで、セリアは意識を精霊の少女に戻した。
リオが美春のことをどう思っているのかも大事だが、突如として現れたこのとてつもない美少女のことも大事だ。
いったいリオとはどういう関係なのか。
先ほど見た毛布一枚の煽情的な少女の姿を思いだし、セリアは顔を赤らめた。
すると、そこで。
「まず、彼女は精霊です」
リオが説明を開始した。
「え……?」
セリアの思考が停止する。
まるで初球から決め球を投げられたような気分だ。
「精霊ってあらゆる生物の高位存在とか言われるアレよね?」
とはいえ、流石というべきか、すぐに気を取り直すと、セリアはリオに質問を投げかけた。
「はい。そういった存在と思って頂いてけっこうです。人間族で実際に精霊を目にしたことがある人はほとんどいないと思いますが、精霊の中には人と契約を結ぶ存在がいます」
「契約?」
「人と精霊の結びつきを強めて助け合う関係だと思ってください。精霊は人が保有するオド……魔力をもらい、その代わりに人は精霊から手助けをしてもらえたりします」
「興味深い話だけど今は置いておくわ。話の流れからして、その子はリオと契約をしている精霊ということになるのかしら?」
「その通りです。流石ですね」
少し情報を提示するだけで的確にこちらの意図を理解してくれる。
実に話しやすい相手だ。
「お、
リオの言葉が嬉しくて、つい丸め込まれてしまいそうになったが、まだ少女があんな恰好でリオの部屋にいた理由を説明してもらってはいない。
「それは俺もよくわかっていないと言いますか。この子は俺と契約状態のままずっと深い眠りに就いていたんです。今朝、俺が目覚めたらいつの間にかこの子が俺のベッドにいまして……」
「ふーん、本当に?」
じろりとリオを睨むセリアに。
「本当です」
リオはきっぱりと答えた。
「やましいことがあったんじゃないの?」
「な、ないですよ……」
ちらりと少女の裸体やら胸の感触やらが少しばかり鮮明によぎったが、あれは不可抗力だ。
そう言い聞かせて、リオは冷や汗を流しながら
「ふーん……」
セリアがジト眼でリオを見つめる。
「あはは……。まぁ後は信じてもらうしかないんですが。どうしても信じられないならこの子からも話を聞いてみてください」
「……いいわよ。信じてるから」
少し拗ねたように視線を逸らし、セリアはぼそりと呟いた。
リオの言っていることを疑うつもりはない。
セリアはリオならば無理やり女の子に迫るような真似はしないと信じているからだ。
けれど、信じることはできても気に食わないものは気に食わない。
この感情が嫉妬であることは何となくセリアもわかっていたが、生まれて初めて抱いた感情に折り合いをつけることはなかなかどうして難しいものである。
「まぁよくよく考えると明らかにおかしな状況だしね」
言って、心を落ち着かせるべく、セリアは美春が用意してくれた紅茶を口に含んだ。
(私って嫉妬深い性格なのかな? うう、いけないわ。心を落ち着けないと)
そう考えて小さく深呼吸をすると。
「それで、この子の名前はなんていうのかしら?」
セリアは少女の名前を尋ねた。
「実はこの子には名前がないんですよ」
「そうなの?」
「はい。本人がそう言っているので」
「うーん、でも名前がないのは不便じゃないかしら。何か良い名前をつけてあげないと」
「彼女も名前が欲しいみたいで、何にしようかと考えているところです」
「名前なんて感覚的なものだからね。多少は安易に思えてもしっくりくればそれでいいものよ。そんなに難しく考える必要はないと思うけど。貴方はどんな名前がいいの?」
ちらりと精霊の少女に視線を移し、セリアが尋ねた。
少女は少し黙って。
「春人がつけてくれる名前ならなんでも」
と、そう答えた。
「随分と愛されているじゃない」
セリアが半目でリオに視線を送る。
「あはは」
リオは困ったように笑って応えた。
「えっと、もう少し方向性を教えてくれると助かるんだけど、好きなものとかさ」
と、リオが少女に聞くと。
「……春人が好きだったり大切だったりするもの」
少女はそう答えた。
「俺が好きだったり、大切だったりするもの……」
真っ先に頭の中に思い浮かんだのは美春だ。
だからだろうか。
すぐに一つの名前が頭の中に思い浮かんだ。
「アイシア……とか?」
アイシアとは精霊の民の古い言葉で温かい春を意味する言葉だ。
美春の春という文字から連想した名前である。
彼女の髪の色は桜の花びらのように優しいピンクの色をしているし、不思議と合っているように思えた。
「アイシア。それがいい」
すると精霊の少女は即答した。
「いいの? みんなと考えて他にもいくつか候補を考えるけど……」
「ううん。アイシアがいい」
少女は目覚めてからあまり感情を表に出していない。
だというのに、この時だけは珍しく少女の意志がしっかりと感じられた。
「まぁ、君が気に入ってくれたならいいんだけど……」
リオが少し意外そうに少女を見つめる。
すると、一瞬だけ、リオは少女が嬉しそうに微笑んだように見えた。
「じゃあよろしく。アイシア」
「うん。よろしく。春人」
こくりと頷くアイシア。
「私はセリア=クレールよ。よろしくね、アイシア」
「よろしく。セリア」
相変わらず無機質だが透き通るような綺麗な声で、アイシアはセリアにも挨拶を告げた。
「じゃあ朝食の時に改めてみんなに紹介するよ」
まだアイシアの会っていない住人が二人いる。
これからこの家で暮らすことになるのなら紹介は必須だろう。
「うん。亜紀と雅人」
「二人のことも知ってるんだ……」
アイシアは何を知っていて、何を知らないのか。
少し調べる必要がありそうだ。
そう考えて、リオがアイシアに質問を投げかけようとしたところで。
「おはようございます」
亜紀が眠そうな顔でリビングに姿を現した。
「おはよー」
ほぼ同時に雅人もリビングへと姿を現す。
「あれ、その人は……?」
すぐにアイシアの存在に気づき、亜紀が疑問符付きの声を出した。
「ああ、この子は――」
リオが亜紀たちにアイシアを紹介しようとする。
と、そこで。
「ハルトさん、ご飯ですよ」
朝食を作り終えた美春がやって来た。
「あ、亜紀ちゃんと雅人君起きたんだね。おはよう」
「おはよう。美春お姉ちゃん」
「おはよー。美春姉ちゃん」
それは、いつもの朝、いつもの光景だった。
今日からここに暮らす住人が一人増えたけれど、それは変わらない。
そんな様子をリオは微笑ましげに眺めた。
いつの間にかアイシアがリオの隣にいて、ちらりとアイシアの顔を見やる。
(よくわからないことばかりだけど)
そう、結局、アイシアが目覚めたというのにまだまだわからないことだらけだ。
彼女が起きたら聞いてみたいことがたくさんあったというのに、世の中なかなか上手くいかないものである。
だが――。
「それも悪くないかな」
嬉しそうに口元に笑みをたたえて、リオはそう呟いた。