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精霊幻想記(Web版) 作者:北山結莉

第四章 再会、その裏で

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第61話 迫られた選択

「一度、手紙が来てからずっと連絡がなかったから心配していたのよ!」


 セリアはリオの胸に身体を預けたままその顔を見上げた。

 ぽかぽかとリオの胸を叩く。


「すみません。ヤグモからこっちに連絡を取る手段がなくて……」


 リオが少し困ったように謝罪する。

 既にリオがベルトラム王国を立ち去ってから三年以上の月日が流れている。

 その間に手紙を送った回数は一度だけ。

 セリアが心配するのも無理はないのかもしれない。


「そんなことわかっているわよ!」


 セリアの声が室内にこだました。

 部屋の外にいる騎士はリオの幻術によって異常がないものとして警備をしているはずだが、偶然に部屋の前を通りかかった者がいればセリアの叫びを聞きとってしまった可能性もある。

 リオは少しだけ焦ったが、その心配を口にすることはしなかった。

 自分の胸の中にいるセリアがあまりにも儚く思えてしまったから。


「ごめんなさい。心配をおかけしました」

「馬鹿、馬鹿」 


 力弱く呟いて、目尻に涙を浮かべ、セリアはリオの胸に顔を埋めた。


「よく帰って来てくれたわね」


 トクン、トクン、とリオの胸の鼓動が伝わってきた。

 温かくて、安心感がある。

 セリアは心の底から胸を撫でおろした。

 このどうしようもなく不安な状態において、リオがこうして会いに来てくれたことが、危険な旅に赴いたリオの安全が確認できたことが、どうしようもなく嬉しかったのだ。

 リオが現れてくれた。

 ただそれだけのことなのに、こんなにも安心できるなんて、セリアは自分自身のこととして驚いていた。


「でも、このタイミングで来るなんてずるいわよ」


 ぼそりとセリアが呟く。

 どういうわけか先ほどから全身が熱い。

 いまだかつてない程の心臓の高鳴りをセリアは感じていた。

 それは単にリオが帰って来て嬉しいからなのか、一瞬とはいえ立派に成長した姿に見惚れてしまったからなのか、それともこうして抱き着いてしまっているからなのか。

 すべてが原因なのかもしれないが、今このタイミングでやって来たというのが最大の原因だとセリアは考えている。

 だって、王城に軟禁され、親族を含めて周囲の人間との接触を断たれ、望まぬ結婚を強いられて。

 セリアの心は張りつめて限界に近かったのだから。

 そんな状態でこうしてリオがやって来てくれたら、安心したり、喜んだり、色んな感情が沸き上がっても無理はないと思うのだ。

 今セリアがリオに抱き着いているのも、そうやって心を揺さぶられているからに違いない。

 そう考えて、セリアは必死に自らの胸の鼓動を押さえつけようとした。


「タイミングですか」


 不思議そうにリオが尋ねる。

 今のセリアが何を考えているのかはリオにはわからない。

 だが、今のセリアの様子と現在のベルトラム王国の時勢を考えると、ここ最近の彼女にはあまり良くない出来事が起こっていたのかもしれない。

 何の前置きもなしにそこら辺のことを尋ねるのもどうかと思うが、今はあまり時間がなかった。

 扉の前にいる騎士にかけた幻術は早ければ数十分ほどで解けてしまうし、誰かがセリアに用があって訪ねてくる可能性もある。

 手短に話を終える必要があった。


「……この国の情勢は色々と聞きました。何やらだいぶ慌ただしいみたいですね」

「ええ……」


 弱々しく微笑を浮かべて、セリアが相槌を打つ。


「シャルル=アルボーという男と結婚すると聞きました。おめでとうございます、と言った方がいいんでしょうか?」


 当時はあまり結婚する気はなかったセリアが結婚するというのだ。

 そのまま祝福してよいものなのかどうか測りかねて、リオが困ったように尋ねる。

 だが、案の定というべきか、セリアの顔がかげって、リオはセリアが結婚を望んでいないことを察した。


「やめて。私はあの男と結婚なんてしたくないのよ!」


 何故かリオに自分の結婚が知られることに底知れぬ抵抗感を覚え、セリアは今にも泣きそうな顔を浮かべて拒絶の言葉を口にした。

 そう、リオの言葉はセリアの心にくさびのように打ち込まれているのだ。


「セリア先生……」


 セリアの悲痛な叫びがリオの胸に突き刺さる。 

 リオは何も言うことができなかった。

 安易な慰めの言葉をかけて事態が好転するというのならば、いくらでもそんな台詞を吐いてやろうとは思う。

 だが、そんな言葉など何の意味もない。

 セリアは賢い女性だ。

 苦しみを誤魔化すどころか、かえって現実を実感させてしまうだけだと、リオは過去の経験から知っていた。

 そうやってリオが困っていると。


「なんて、もうどうしようもないんだけどね。私は貴族だし、政略結婚くらい我慢しないといけないってことは理解しているの」


 精一杯の笑みを浮かべて、セリアは強がった。

 そもそも政略結婚は双方の家に利益があって初めて同意の下に締結されるものであるが、今回の事案は半ば脅迫により同意を取り付けたようなものだ。

 しかも正妻ならともかくセリアは七人目の妻だ。

 いくら適齢期を僅かに過ぎたとはいえ、名門伯爵家の令嬢に対し馬鹿にしているのか怒鳴り返したくなるような扱いである。

 娘の結婚を望んでいたセリアの父も今回の結婚には甚だ不満を抱いており、心情としては親子共々その有効性について大いに異議を唱えたいところであった。

 だが、現状においてこの国の権力を牛耳っている国粋主義者のアルボー公爵に逆らえば、最悪、クレール伯爵家は謀反の意志ありとしてお家の取り潰しをされかねない。

 セリアは逃れられない運命に捕らわれていた。


「最後にこうしてリオに会えたんだもの。元気が出てきたし、我慢して結婚するわ」


 セリアが寂しそうに微笑む。


「先生……」


 一瞬、リオの喉元に「俺と一緒に来ませんか」という言葉が出かかった。

 だが、果たして軽はずみにそんな言葉を口にしてもいいのか。

 セリアが今置かれた状況を打開するためには結婚そのものをどうにかする必要があるが、単にセリアをここから連れ出せばいいというものではない。

 貴族としての立場、周囲への影響、連れ出した後のセリアの生活、配慮しなければならないことはたくさんある。

 もしかしたら取り返しのつかないことになる可能性だってあるのだ。

 そうすることが本当に正しいのか。

 間違っていたとしたら自分に責任はとれるのか。

 そもそも彼女がそれを望むのか。

 もしかしたらセリアは後悔するかもしれない。

 そうなればリオも自らの行いを悔いることになるだろう。

 逃亡した事実が明るみに出れば確実に厄介なことになる。

 万が一の事態が生じた時、リオはセリアをずっと守り続けなければならない。

 カラスキ王国でゴウキ達の同行を拒否したのは、他人の人生を抱え込むだけの覚悟がなかったというのもあったからではないのか。

 そう考えると、安易にセリアを連れ出そうとしてはいけないような気がした。


「…………」


 黙って、リオはセリアの顔をじっと覗きこむ。

 セリアも弱く微笑んでリオの顔を見つめている。

 彼女は今にも消えてしまいそうで――。

 そう考えると、リオの心の針は振りきれた。


「俺と一緒に来ませんか?」


 リオは決然とその言葉を口にした。

 そうだ、こんな場所にいてもセリアが幸せになることはない。

 今のセリアを見て、リオは確信した。

 それだけは確かだ。

 となれば、リオが行うべきことはただ一つ。


「……え? え?」


 セリアが呆けたようにリオを見つめる。


「結婚が嫌なら逃げましょう。俺が先生をこの城から連れ出しますから」


 セリアは自分が辛かった時期に味方になってくれた。

 そんな彼女が今、辛い目に遭っている。

 ならばリオは彼女の味方になろう。

 深く考える問題じゃない。

 このまま望まぬ結婚をして、生涯を終えるセリアの姿なんて見たくないのだから。

 セリアが幸せになれる道を見つけ出してみせよう。

 それが難しいことだとは理解している。

 だが、それで問題は解決するというのならばやってみせよう。

 後はセリアが逃亡を望むかどうかだけだ。


「リオ……」


 一瞬、セリアは希望を抱いたような表情を浮かべた。

 だが、すぐに苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ直すと。


「……駄目よ。もし途中で脱走が見つかって捕まりでもすればみんなに迷惑がかかるわ。その時、私は生き残れても貴方は確実に処刑される」


 セリアはリオの提案を拒絶した。

 心情はともかく、我が身可愛さに周囲の大切な者達に迷惑をかけるのははばかられる。

 誰にもバレずに逃げられれば真相は不明で処理のしようがないが、途中で捕えられた場合には言い訳のしようがない。

 セリアの存在価値を考えれば家の取り潰しはないだろうが、クレール伯爵家の国内での立場はかなり悪くなるはずだ。

 シャルルとの結婚がどうなるかはわからないが、最悪、家族を人質にとられ、国のために、いや、ヘルムートのために、セリアは魔道具を開発することを強制されるかもしれない。

 それに、ようやく生存を確認できたリオが自分のせいで殺されると思うと、計り知れない拒絶感を覚えた。


「見つからなければ問題はないのでしょう?」


 だが、リオは不敵な笑みを浮かべてそう言ってみせた。

 セリアが目を丸くする。


「いや、まぁ、それはそうだけど……。それがどれほど難しいことか分かっているの? ここは王城の中なのよ?」

「ええ、ここは王城の中ですね。ところで――」


 苦笑して、リオは話を続ける。


「先生はどうして俺がこの場にいるんだと思いますか?」

「え、あ……」


 リオと再会できた嬉しさのあまり、セリアは真っ先に追及すべき疑問を忘れていたことに気づいた。


「リ、リオ、貴方、いったいどうやってここまで来たの?」


 今、セリアがいるのはベルトラム王国の王城の深部に位置する一室だ。

 城内には多数の騎士や兵士が巡回しており、そうでなくとも無数の宮廷貴族や使用人達がそこいらを歩き回っており、部屋の前には護衛の騎士まで存在する。

 ここまで侵入するにはそういった者達の目を全て掻い潜る必要がある。

 あらかじめ関係者として内部に潜入していたというのならともかく、完全な部外者が立ち入ることはほぼ不可能であると言ってよい。

 仮に部外者だというのならば騒ぎが起きているはずだが、そういった様子は一切ない。

 とはいえリオは指名手配されているはずだ。

 もう三年以上前の手配だが、その効力は残っている。

 本格的な捜査はされていないが、のこのこと現れれば拘束されるのは間違いない。

 リオは成長しているし、素性を偽れば関係者として王城の中に入り込むことも可能かもしれないが、付き人もなしにこの場にやって来ているのはどう考えてもおかしい。

 今のセリアを付き人なしで誰かと会わせるなど考えられないのだから。

 だから、リオが関係者としてここにやってきたとは思えないが、セリアの常識がそんなはずはないだろうと強く主張している。

 そんな真似が出来れば国王を暗殺することだって難しくはないのではないか。


「忍び込みました」


 だが、セリアの疑問に、リオはあっさりと答えた。

 それもセリアがありえないだろうと思っていた答えを。


「い、いや、いくら何でも……、どんな魔法よ、それは」


 それならば正式な手続を経て客人としてここにやって来たと言われた方がまだ信じられる。

 だが、状況証拠がそうでないと強く主張していた。

 そうなると認めざるを得ない。


「リオ、貴方、本当に……」


 愕然とセリアは呟いた。

 セリアの知るリオは魔法を使えなかったはずだ。

 すると身一つでこの中に忍び込んできたというのか。

 それとも、おそらく髪の色を変えているあの首飾りのように、何らかの魔道具を使用しているというのか。


「信じてもらえたようですね」


 リオは微笑を浮かべた。


「本当にどんな魔法を使ったの? 宮廷の警護に務める騎士や兵士の大失態よ、これ……」


 事の重大性を把握しているセリアが真面目な表情を浮かべて尋ねる 

 リオは何かを考えるかのように口元に手を当てると。


「……こんな魔法ですかね」


 と、そう告げた。

 次の瞬間、小さく風が吹いたかと思うと、セリアはリオの姿を見失った。

 目の前で話をしていたリオがいつの間にか姿を消していたのだ。


「……え? リオ?」


 突如、姿を消したリオの名前をセリアが口にする。


「こんなわけです」


 続けて、リオの声が聞こえたかと思うと、小さく微風が吹いて、セリアはリオを認識した。


「ど、どういうわけ?」


 唖然とセリアが呟く。

 いったいどういうことか。


「今のは周囲に溶け込んで透明になる魔法みたいなものです」


 落ちついた口調で語るリオ。


「と、透明になるって、そんな魔法は私が知る限り存在しないんだけど……」

「厳密には魔法じゃありませんから。魔法で同じことをしようと思っても難しいでしょうね」


 リオがあっけらかんと聞き捨てならない言葉を告げると、魔法学者としてのセリアの好奇心が大いに刺激された。


「な、何それ? どんな原理なの?」

「えっと、オド、魔力を込めた風を操って……って、今はそんな説明をしている暇はありませんよ」


 勢いよく尋ねてきたセリアに押されて思わず説明しかかったが、リオは苦笑して首を左右に振った。


「え? あ、あはは、ごめんなさい。つい気になっちゃって……」


 我を失いかけていた自覚があったのか、セリアはばつが悪そうに笑って謝罪した。

 魔法関係になるとすぐに夢中になってしまうのは今も昔も変わらないようだ。


「とりあえず先生一人を誰にも知られずにここから連れ出すくらいならどうってことはありません。だからもう一度言います。先生、俺と一緒に来ませんか?」


 まるで軽く散歩にでも誘う風に、リオは言った。


「えっと、自分で言うのも何だけど、今の私、結構な重要人物よ? もしリオが私を連れて逃げたことが明るみに出れば、今度こそリオは正真正銘の犯罪者にされてしまうわ」

「構いませんよ。どうせ王族殺人未遂の冤罪をかけられている身です。そこに貴族誘拐が追加されたくらいどうってことはありません。このまま先生が不幸になる方が問題です」

「リオ……」

「この国の外に出てしまえばベルトラム王国内で指名手配されようが関係ありません。それにそもそもセリア先生が失踪した件をベルトラム王国が公にするとは思えませんし」

「それは……そうかもしれないわね」


 国内外問わず、セリアを欲しがる勢力はたくさんある。

 そんな者達にベルトラム王国からセリアがいなくなりましたなどと伝えればどうなるかは予想に難くない。

 そうでなくとも国の面子を考えれば国の重要人物が失踪ないし誘拐されたなどと馬鹿正直に公表できるものではない。

 おそらく国は可能ならばセリアが失踪した事実を隠そうとするだろう。


「で、でも、ここから出られたとしても私はリオの足手まといになるだけよ。私、魔法以外には何のとりえもない女だし」

「知ってます。俺がいないと部屋の掃除もできませんでしたからね」


 言って、可笑しそうに笑うリオ。

 セリアはむぅと頬を膨らませた。


「私、ここを出たら行き場がなくなるのよ? もしかしたら今後、一生リオの側に居続けるかもしれないわよ?」

「少なくともセリア先生が安心して暮らせる定住先を見つけるまでは一緒にいますよ。そこがシュトラール地方であるかどうかは保証できませんが」

「……そこは俺が先生を生涯をかけて養うくらい言ってほしいんだけど」

「あはは、すみません。無暗に先のことを確約できない性質でして」


 ジト目のまま睨むセリアに、リオが苦笑して謝る。


「そうだったわね」


 セリアはくすくすと笑った。


「後は一つだけ約束を守ってもらえれば、特に先生にしてもらうことはありません」

「約束?」

「はい。おそらく俺と一緒にいるうちに先生は色々と常識外れな出来事を垣間見ることになるかもしれません。説明できることは説明しますが、先生が見知ったことを無暗に第三者に言いふらさないと誓ってください。もちろんセリア先生に身の危険が及ぶ場合はこの限りではありませんが」

「常識外れなことね……」


 セリアがじっとリオを見つめた。

 既にセリアはその一部を垣間見ている。

 あれほどのことができたのだ。

 おそらくあれ以上に驚くようなことも出来てしまうのだろう。

 先ほど見せた透明になる魔法のようなものだって、貴族であり魔法学者であるセリアにはその有効価値がとんでもないものだとわかっている。

 一般に知られればそれを再現しようと躍起になってリオを探そうとする者が現れるかもしれない。

 リオもそこら辺のことを懸念しているのだろう。

 セリアがそうやって納得をしていると。


「俺と一緒に付いて来るとなると先生が失うものも大きいはずです。リスクもあります。だから、無理やりに先生を連れて行こうとは思いません。俺に付いてくるかどうかは先生が決めてください」


 そう言って、リオはセリアに手を差し出した。

 セリアはその手を――。


「……行く。行くわ。私をここから連れ出して、リオ」


 しっかりと掴みとった。

 そこに躊躇いは感じとれなかったが、セリアのことだから何も考えていないことはないだろう。

 即答したセリアに眼を見開いたが、リオはしっかりとセリアの手を握り返した。


「じゃあ今すぐここから出ましょう。何か持って行くべき物はありますか?」

「部屋にある私物を持っていくと逃亡したと勘ぐられそうだから、持っていくとしたらこの部屋にある魔道具とその材料くらいかしら。それなら研究結果と一緒に拉致されたと思ってくれるだろうし。まぁ、一度に運べる量には限度があるから厳選しないといけないけど……」


 語りながら悩ましそうに室内の魔道具を見つめるセリア。

 室内には乱雑に無数の魔道具やその材料が置いてあり、分厚い本も大量に積まれている。

 中にはそれなりに大きく重量のある物も存在するため、運び出すとなると選ぶ必要があるだろう。

 セリアはそう考えていたのだが。


「全部持っていこうと思えば持っていけないこともありませんけど、どうします?」


 リオが言葉を投げかけた。


「え?」

「いえ、必要なら部屋にある魔道具を全部持っていくこともできますけど、どうしますか?」


 同じ内容の説明をリオが苦笑しながら行う。


「いや、持っていくったって、リオは手ぶらだけど、いくらなんでもそれは無理でしょ」

「ところがですね。自分にはこういうことができるんですよ。『保管ストレージ』」


 部屋に置いてあった手ごろな魔道具に触ると、リオは時空の蔵を使用するべく呪文を唱えた。

 瞬間、触っていた魔道具が歪み、その場から消失する。

 セリアは唖然とした表情でその光景を眺めていた。


「今消えた魔道具が不要ならこの場に置いていきますが、必要ならばこのまま持っていきますのでご安心を。どうします?」

「……え、ええ、お願いするわ。ついでに部屋の中にある物は全て持っていってちょうだい」


 引きつった笑みを浮かべ、セリアが答える。

 思考を放棄したのか、少しばかり投げやりな口調になっている。

 リオは言われたとおりに部屋に置いてある物を時空の蔵へと手当たり次第に収納していく。

 あっという間に部屋の中が綺麗になって行き、やがてもぬけの殻となった。

 この光景を見た者達はさぞ混乱することだろう。

 現にセリアも大いに混乱しているところだ。


「じゃあ行きましょうか。ご両親とのお別れはよろしいですか?」

「……大丈夫よ。落ち着いた頃に手紙でも出すから」


 セリアは寂しそうに微笑んで答えた。


「わかりました」


 リオはセリアの手を握った。


「移動中は喋らないでくださいね。外からは俺達の姿は見えないはずですが、音や気配までは消せませんから」

「わかったわ」

「では行きましょう」


 小さな風が吹いたかと思うと、セリアは周囲の光景が見えなくなった。

 驚いて声が出そうになったが、リオの言いつけを守って口を閉じる。

 リオには周囲の様子が見えているのか、迷うことなく歩を進めていく。

 セリアはリオに手を引っ張られるがままに歩いた。

 途中で誰かの喋り声が聞こえてくるが、誰もセリア達の存在に気づいている様子はない。

 どうやら本当に透明になっているようだとセリアは思った。

 後になって護衛の騎士は懲戒処分を食らうかもしれないが、散々視線によるセクハラをされた報いだと思えば心はあまり痛まない。

 そうやって小一時間ほど歩くと。


「さて、もう大丈夫ですよ」


 ようやくリオが口を開いた。

 瞬間、一気に周囲の視界が開く。

 いつの間にか城の外はおろか王都の外にまでやって来たようだ。


「こ、こんなにあっさり脱出できるなんて、本当にとんでもないわね」


 顔をひきつらせて、セリアが呟いた。


「説明すると長くなりそうなので、移動の際にでも話しますよ。それよりですね。先生を抱きかかえて一気に移動しようと思っているんですが、よろしいですか?」


 リオはそんなことを尋ねた。


「抱きかかえる?」

「はい」


 さっさと王都から離れてしまいたいため、リオはこのまま空を飛んで立ち去るつもりなのだ。


「え、うん。別にかまわないけど……」


 セリアは顔を紅潮させて答えた。


「じゃあ、失礼します」


 リオがセリアの身体をそっと抱きかかえる。

 セリアの身体は羽のように軽く、衣類越しに女性らしいしなやかさが伝わってきた。


「きゃ……。こ、これ、すごく恥ずかしいわね。おんぶの方が良くないかしら?」

「あはは、手を離されると危ないので、俺としては抱きかかえた方が安心でして。命綱を付ければ手放していても大丈夫なんですけどね」

「命綱?」

「すぐにわかりますよ。驚くと思いますが、人目にふれたくないので、上昇中はあまり大声は出さないでください」

「んん? まぁ、よくわからないけど……。わかったわ」


 されるがまま抱きかかえられたが、まさか空を飛んで行くとは思っていないセリア。

 不思議そうに首を傾げていたが、リオのことを信頼しているため、そのまま承諾した。


「では、行きます」

「っ!」


 リオが風の精霊術で空へと舞い上がる。

 セリアの目が大きく見開いた。

 ぱくぱくと口を動かしているが、言葉を失っているのか、リオとの約束を守ろうとしているのか、騒いだりはしない。


「もう喋っても大丈夫ですよ」


 空高く舞い上がって人目につかないところまで高度を上げると、リオがセリアに語りかけた。

 呆然と周囲の景色を眺めていたが、やがてセリアがゆっくりとリオに視線を移す。

 そして、何度か深呼吸をすると。


「な、何よこれぇぇぇ!?」


 セリアの心の叫びが空高くで響き渡った。

 リオはセリアの反応が可笑しくて。


「これは精霊術というものです。先生も存在くらいは聞いたことがあるんじゃないですか?」


 笑いながら、そう答えた。


「せ、精霊術? これが?」

「はい。術式も呪文の詠唱も必要としていないでしょう?」

「そういえば精霊術ってそういうものだったっけ。まさか本当に実在しただなんて……」


 セリアは呆然と周囲を見渡した。

 こんな光景は見るのは生まれて初めてだ。

 インドアなセリアも流石に驚きと興奮を感じずにはいられない。

 心なしかリオにはセリアの目が輝いているように見えた。


「先生、一つ聞いておきたいんですが、ベルトラム王国に召喚された勇者の名前を御存知ですか?」

「勇者? たしかルイ=シゲクラだったと思うけど……」


 驚くセリアにリオが尋ねると、セリアがあっさりと情報を口にする。

 仮に知らなかったとしたら後日に出直すつもりだったわけだが、二度手間になることは避けられたようだ。


「ルイ=シゲクラですか。なるほど」


 それは美春達の知り合いの名前ではない。

 どうやらベルトラム王国の王都に召喚された勇者ではないようだ。

 フローラ達の元に召喚された勇者を除くと、残りの勇者は四人。

 このうちの二人が美春達の知り合いだとは思うが、二度も連続して外れてしまうと少しばかり自信を失ってしまう。

 とはいえ考えられる限りで可能性が高いのは美春達の知り合いが勇者だということだ。

 今後も可能な限りこうして勇者の情報を集めてみるつもりだった。


「勇者の名前がどうかしたの?」


 不思議そうにセリアが尋ねる。


「実はですね。今、俺は勇者の召喚に巻き込まれたであろう子達と一緒に暮らしているんです」

「勇者の召喚に巻き込まれた?」

「はい。俺はほぼ間違いないと考えています。だからその子達から聞いた人物が勇者としてどこかに召喚されたのではないかと考えて探しているんです」

「……ということはこれからは私もその中に混ざって暮らすことになるってこと?」

「そうなります。後からの説明になって申し訳ないのですが……」

「いや、そりゃ時間もなかっただろうし、しかたないけど。どんな子達なの?」


 少し興味深そうにセリアが美春達のことを尋ねる。

 これから一緒に暮らすことになる同居人だと思えば当然の反応だろう。


「そうですね。三人いるんですが――」


 リオは美春達のことを語って教えた。

 美春と亜紀の存在を教えると少しだけセリアがムッとした表情を浮かべた気がしたが、セリアは何でもないと答える。

 他にも岩の家に辿りつくまでに色んなことを語って、気がつけばあっという間に移動を終えた。 

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