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 「麦と兵隊」「花と龍」などの小説で知られる作家火野葦平(あしへい)(1906~60)が残した「インパール作戦従軍記」が出版された。原本は1944年、陸軍報道班員としてつづった「従軍手帖(てちょう)」。兵隊の側から克明に戦場を記録した作家の観察眼は、多くの犠牲者を出して大敗した旧日本軍の無謀さを浮かび上がらせる。火野が亡くなって24日で58年となる。

 火野は現在の北九州若松区出身。本名は玉井勝則。召集されて中国にいた38年、「糞尿譚(ふんにょうたん)」で芥川賞を受けたのを機に陸軍報道部に転じた。

 多くの作戦に従軍し、その様子を手帖に書き続けた。戦場の実態や兵隊の様子に加え、現地の暮らしや自然などにも着目。日誌やメモ風の記述を細かな字で絵も交えて詳細に記した。20冊を超える手帖は現在、遺族が北九州市立文学館に寄託。このうち、インパール作戦は6冊に及ぶ。

 インパール作戦は、連合国軍の補給路を遮断しようと、インド北東部インパールの攻略をめざし、44年3月に開始された。だが、補給を軽視し、食糧や物資が欠乏。3万人以上が犠牲になったとされる。

 火野は44年4月に日本を発つまで、日本側の優勢を信じていた。

 ところが現地入りすると、出会った人々から「想像以上の苦戦」と聞かされる。爆撃に遭い、「こちらの飛行機や高射砲はどこにもない」と装備の不足を目の当たりにする。「一つの山を越えると次の山」「断崖は深く」という行程をたどり、「補給路としての路がこんなであることは想像のほかであつた」と記す。

 前線が近づくと、「点々と焼け…

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