聞き手・定塚遼
「また逢(あ)う日まで」「魅せられて」……。洗練されたサウンドで、日本のポップスの表現領域を広げた希代のメロディーメーカー・筒美京平さんが7日、80歳で死去した。ピンク・レディー、山口百恵などを手がけ、同時代に競い合った作曲家・都倉俊一さんが、筒美サウンドの魅力と歌謡曲の黄金期を語った。
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「こうきたか!」「やられた……」。(筒美)京平さんと同じ時代にいて競い合うとき、そういうことがしょっちゅうありました。非常に尊敬し、意識していた。日本のポップスの先駆者であり、第一人者だった。
1960年代後半~70年代。ちょうど京平さんや僕らの時代になって、「ポップス」という言葉が広がっていった。それまでは演歌・歌謡曲の世界ですから。古賀政男さんとか遠藤実さんの時代を経て、日本の音楽シーンががらっと変わった。その世代のトップにいたのが京平さんだった。
歌い手を見て、どんな歌がいいか直感的に分かる人で、歌い手によってまったく違うアプローチをするのがすごかった。
例えば、岩崎宏美は、もう抜群に歌がうまいわけですよね。「ロマンス」という曲も、非常に透き通った岩崎宏美の高音に映えるようなメロディーを作った。
太田裕美の「木綿のハンカチーフ」もそう。「僕は旅立つ~」というあたりは、彼女の持っているロングトーン、ハイトーンを見事に生かすような歌。この曲は京平さんの中でもとても好きなメロディーです。
尾崎紀世彦の「また逢う日まで」は、はじめ別の歌手に提供されていたが、声量があればあるほど生きるようなメロディーに仕立てられていて、尾崎紀世彦の歌唱力を100%使いきるような歌だった。
ああいう迫力があって歌いすぎちゃうような人は、メロディーが単純だと欲求不満になっちゃうけど、ああいう「大きい歌」を与えて、彼はそれを欲求不満なくのびのびと歌っているでしょ。
その歌手の歌唱力や音域の広さに合わせて自在に歌を作った。例えば、浅田美代子に書いた「赤い風船」なんかは、1オクターブくらいの音域の中に、彼女のたどたどしさが逆に魅力になるようなメロディーを詰め込んで、彼女の魅力を見事に引き出してヒットさせちゃった。あのときにも「おおー、すごい!」って思ったんですよね。
京平さん自身は、歌はあんまりうまくなかったといいます。でもそれが懐の深さ、引き出しの多さにつながっていたと思う。
作曲家には色んなタイプがいるけど、自分で歌える人たちっていうのは、自分の世界に入っちゃうことが多い。自分が歌って気持ちいい歌を作るわけ。でも、自分で歌わない京平さんは、完全に提供する相手の身になって歌を作るから、とにかく幅が広かった。
京平さんとコンビを組んだ阿久悠さんもそうでした。演歌の先生たちとか、銀座で女性を口説いて、そうした個人的な体験を曲に生かす人もいるけど、阿久さんは実体験を歌にすることはほとんどなかった。僕は阿久さんを「妄想作家」って呼んでいたぐらいでね。京平さんと阿久さんは、「自分を主人公、主役にしない」という点で共通していたと思う。そして、時代を嗅ぎ分けて合ったものを投げていく「大衆とのキャッチボール」が2人とも抜群にうまかった。
僕と京平さんの違いは、まず詞先か曲先か。僕は曲を先に作るけど、京平さんはできあがった詞にメロディーを付けることが多くて、「良い詞がほしい、良い詞がほしい」と言っていたらしい。
あとはプロデュースするタイプかどうか。僕はピンク・レディーにしても山口百恵にしても、シリーズものにしたり、編曲したりとすべてプロデュースする。京平さんはプロデュースというよりは、楽曲そのもので勝負する。その違いはありました。
一番好きな曲は……、「魅せられて」ですかね。ジュディ・オングの。サビでファルセット(裏声)を使うメロディーに加え、パフォーマンスとアレンジも含めて「これはやられたな」という感じ。
古今東西色んな作品ありますけど、このジャンルはこの1曲で終わり、真似(まね)はできないっていう曲がたまにあるんですよね。もう同じような路線で作ってみようとは思えないぐらい完成されている。
70年代は、僕も25人くらいの歌手を抱えていて、それが3カ月にいっぺんはシングルを出すという時代だったけど、京平さんは僕よりも曲数が多かった。音楽業界がもう非常に熱い時代で、テレビも歌番組ばっかり。朝から晩までも歌で世の中が洪水みたいな時代だった。
いつの時代もそうかもしれないけれど、70~80年代という時期は、とくに時代と音楽が一緒に歩いてきた。そして何百万、何千万の人たちの心に残っているというのはすごいことだと思う。
京平さんを先頭に、全速力でみんなで走り抜けてきた。仲間であり、ライバルであり先輩であり。だからやっぱり亡くなったという知らせはショックでね。
でも、決して作品がなくなるわけじゃない。京平さんをはじめ、僕らの時代の音楽は、クラシックとしてずっと先の未来まで残っていくものがたくさんあると思う。だから、どう伝承されるかに興味がある。
いまはシンガー・ソングライターが一つのジャンルを確立した。しかしいつの日か、何十年後かに、あらゆる歌手を通じて人の心に伝わる普遍的なメロディーを書くソングライターという職業作家がいた時代のことが評価されるときが来て欲しい。京平さんも、きっとそういう思いがあったんじゃないかな。(聞き手・定塚遼)
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