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精霊幻想記(Web版) 作者:北山結莉

第四章 再会、その裏で

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第54話 こんな世界で出会えた君は

 少し時は遡り、リオはベルトラム王国に向かう途中で感知したオドとマナの震源地にやって来た。

 だが、事象の発生から既に一時間近くが経っているため、現場には誰もいない。

 視線を張り巡らせ、リオは周囲を注意深く観察した。

 すると、薄らとだが、草を踏みしめた痕跡を発見する。

 この場に人がいたようだ。

 足跡は三つ、大きさからして女子供のものだろうか。

 方角は森とは反対の方向に伸びている。


「あっちは街道があったな……。行ってみるか?」


 今、シュトラール地方でいったい何が起こっているというのか。

 この場には明らかに大規模な魔術を使用したオドとマナの乱れが残っている。

 先ほどの光柱と何らかの関係があるのか。

 言葉で説明できない妙な胸騒ぎがして、リオは足跡を辿ってみることにした。

 この先には街道がある。

 途中で馬が大地を踏み荒らした跡を見つけた。

 どうやらこの場で転移してきた人物達は馬に乗った人間と遭遇したようだ。

 争った形跡は存在せず、三人はそのまま馬と一緒に街道へと向かったようだ。

 リオはさらに足跡を辿り、やがて街道にたどり着いたが、街道は踏み荒らされているため、どちらに行ったかまでは足跡からでは判断できない。 


「…………」


 小さく舌打ちをすると、周囲に人がいないことを確認し、リオは風の精霊術で空へと高く舞いあがった。

 すると街道の遥か先に複数の馬車が存在するのが見える。

 馬車群は二手に分かれて街道を進んでいくところであった。

 もしかしたらあの馬車のどれかにオドとマナの震源地にいた三人が乗っているのかもしれない。

 このまま放置するか悩んだが、追ってみることにした。

 どっちから行くべきか。

 再び地面に降りると、二分の一の確率に任せ、一方の馬車群へと近づいていく。

 すると、ほんの一、二分で集団に追いついた。

 荷台に乗っている少年少女達の様子から、リオは運送者が奴隷商であることを瞬時に察する。

 周囲を囲む武装集団は護衛の傭兵達だろう。

 嫌な予感が強まり、リオは部隊を護衛するように展開している男達と接触してみることにした。


「ああ、なんだ、お前?」


 接近してきたリオの姿に気づき、どこか警戒するような視線を向けて、護衛のリーダーと思しき男が話しかけてきた。


「すみません。人を探しているんです。ここ一時間くらいの間に三人で行動している者達を見かけませんでしたか?」


 とりあえずは敵意がないことをアピールしてリオが尋ねる。


「ああ? 三人で行動している奴らだぁ?」


 素知らぬ顔で、この隊の代表格の男が答えた。

 男はジロジロとリオの全身を眺めている。

 ロングコートの隙間から覗けるリオの剣に、凝った意匠が施されていることに気づくと、僅かに目を丸くした。

 そのまま目を薄めてリオの剣を見ている。

 リオは内心で警戒の度合いを強めた。


「そんな奴らは知らね――」


 男が視線をリオの顔に戻して、白を切ろうとしたところで。


「た、助けて!」


 一人の少女の切羽詰った声が鳴り響いた。

 男が小さく舌打ちをして、少女に視線を送る。

 リオもハッとした顔つきで声の発信元に視線を送った。

 そこにいたのは黒髪の少女だ。

 その隣には慌てた様子の黒髪の少年がいる。

 リオは一瞬、目を見開いたが、すぐに男達に視線を戻して――。


「……ああ、彼女が自分の探し人です。どうして奴隷と一緒に荷台に載せられているのでしょうか?」


 と、冷たい視線を向け、尋ねた。

 状況証拠からしてあの二人が転移してきたのはほぼ間違いないとリオの直感が告げている。

 何よりも彼女の喋った言葉が決定的だった。

 この世界に存在するはずのない言語、そう、日本語である。


「あ、あー言葉が通じないんだが、迷子になっているみたいだったから保護してやったのよ。奴隷と一緒なのは生憎と他に人を乗せるスペースがなくてな」


 急に変わったリオの雰囲気に気圧されつつも、へらへらとした声色で男が答える。


「彼女は助けてくれと言っていますが?」


 尋ねて、いっそう鋭い視線を男に向ける。

 すると、男がつまらなさそうな表情を浮かべた。


「ちっ、言葉がわかるのかよ。探しているってのは本当みたいだな」


 と、悪びれた様子もなく、男は言った。

 リオはそれに――。


「では、あの少女と隣にいる少年を解放していただけますね?」


 そう言って、男を見据える。

 男はちらりと周囲にいる男達と目配せをし、剣呑な空気を発し始めた。


「あー、犯罪行為を見られてはいどうぞって帰すわけにもいかねぇ……」


 何やら脅迫めいた言葉を言いながら、剣を抜こうとした瞬間、リオから凝縮された濃密な殺気が噴出した。

 そのすべてがリオと対面している男に凝縮して向けられる。


「っ!?」


 殺される。

 男は瞬時にそう思ったが、身体が微動だにしない。

 手を剣の柄に触れたまま、小刻みに身体が震わせる。

 不味い。

 実力が違いすぎる。

 対応を間違えた。

 ただのガキじゃない。

 勝手に動けば殺される。

 勝手に喋れば殺される。

 逆らう気概を見せれば殺される。

 そう思わずにはいられなかった。


「別にあんたらが正規のルートで手に入れた奴隷まで奪おうなんざ思っちゃいない」


 沈黙した男にリオが口調を変えて語りかけた。

 そんなことをすればリオが奴隷の強盗犯となってしまう。

 わざわざそんな重罪を犯してまで見知らぬ奴隷を解放しようなんて使命感はリオにはない。


「俺は大人しくあんたらが拉致した二人の奴隷を渡せって言っているだけだ。わかるだろ?」


 氷のような微笑を浮かべ、リオは淡々とした声で続けた。


「し、しかしな。俺らも仕事なんだ。そう簡単に渡すわけにはいかねぇんだよ」


 身体を震わせながら、男は声を絞り出して答えた。

 荒事を生業として生きてきたが、今、人生の中でこれほどの恐怖を覚えたことはないというくらいに男は怯えている。

 それでも自らの仕事に対して有するプライドから、必死の抵抗を試みようとしているのだ。


「奴隷の拉致は違法行為だろ。あんたらの仕事には違法行為も含まれてるのか?」

「そ、そんなのよくあることじゃねぇか」

「そうだな。よくある話だ」


 男の言葉に、間髪を容れずに、リオは無感情な声色で同意した。

 そう、何も珍しいことではない。

 弱肉強食。

 人が法を守るのは権力の支配が及ぶ範囲だけ、そうでない場所では力を持つ者がルールとなる。

 圧倒的な強者の前には弱者は何をされても文句を言うことはできない。

 それはリオにもわかっている。


「でも俺はそういう話が嫌いだ」

「な、なんだよ。勇者ごっこか? そういうのは流行らねぇぜ。お前ならもっと楽に生きていける道がある。なんなら俺らと一緒に行動しねぇか?」

「さっきから話をずらすなよ。言っただろ。こっちはあの二人に用事があるから助けるだけだ」

「へ、へへ……。仰る通りで」

「わかったら早くしろよ。これ以上、無駄に時間を稼ぐようなら本当に力ずくで奪うぞ?」


 最後の言葉が決定打だった。

 馬車の近くで待機していた部下に声をかけるべく、男は焦ったように口を開いた。


「……わかった。おい、鍵を開けろ! 二人を出せ!」

「ふ、副団長? いいんですかい? 勝手に解放なんかしたら団長に……」


 副団長と呼ばれた男以外の部下は、リオの殺気に気づいておらず、戸惑ったように尋ねてきた。

 その言葉に男が激怒する。


「うるせぇ! 馬鹿野郎! お前は死にてぇのか!? こっちは金をもらって生きてる傭兵だぜ。引き際を見極めろや!」


 目の前にいる相手の実力に気づく分析力。

 それは傭兵として生きていくうえで不可欠の能力だ。

 それを備えていない者は傭兵として長生きすることはできない。

 普通は歴戦の凄みとともに実力が滲み出るものだが、中にはその強さがすぐに分からない者もいる。

 男は知っていた。

 そういう連中の多くが普段は虫も殺さぬような顔をして、いざ実戦になると躊躇なく人を殺すのだ。

 リオはまさしくそれだった。

 男がリオの強さに気づくことができたのは運が良かっただけ。

 もしリオが殺気を放つ前に一気に仕掛けていたら確実に殺されていたはずだ。


「分かったらさっさとあいつらを連れ出せ!」

「へ、へい!」


 副団長と呼ばれた男に予想以上に激しく叱責され、部下の男は慌てて馬車の扉を開いた。

 そうして亜紀と雅人が丁重に連れ出される。

 馬車を降りたところで解放され、二人はおそるおそるとリオのところにやって来た。


「もう一人はここにいないのか?」

「ああ、もう一人は娼婦として高く売れそうだったんで、別ルートで向かっちまった」


 リオの質問に、男が包み隠さずぺらぺらと答える。

 亜紀と雅人に確認をとられれば美春がこの馬車にいないことはすぐにわかることだが、少しでもリオの心証を良くしようとしてのことだ。


「ここに来る前の街道で別れたんだな?」

「ああ。そうだ」


 必要な事実を聞き出すと、リオは男達に興味を失ったかのように亜紀と雅人に視線を移した。

 瞬間、何となく亜紀に既視感を覚えて、僅かにハッとしてその顔を見つめたが、すぐにそれを捨て置く。


「……行こう。今は時間がない。あと一人いるんだろ?」


 どこかぎこちない発音で日本語を操り、二人に喋りかけた。

 この二人を助けた以上、残りの一人を助けない理由もない。

 むしろ助けた方が恩を売れて話を聞き出しやすいだろう。


「え? あ、日本語? 外人?」


 亜紀はリオの言葉を理解してくれたようだが、発音が片言に聞こえたのか、その容姿と相まってリオを外人と勘違いしたようだ。


「これから少し走ることになる。君、俺におぶさってくれ」


 雅人に向けて、リオが言った。


「え? そんなことしたら逆に遅くなるんじゃ……」


 戸惑ったように雅人が答える。

 雅人の常識では人を背負って走るなんて非効率的極まりない行為だった。


「いいから早く。残りの一人を助けられなくてもいいのか?」


 その言葉がきっかけとなり、雅人はおずおずとリオの背に乗っかった。

 既に成長期の終盤を迎えているリオとこれから成長期に入る雅人では、身長に二十センチ以上の開きがあるため、とりわけアンバランスというわけではない。


「君も。ちょっと恥ずかしいかもしれないけど、我慢してくれ」


 言って、リオが亜紀を抱きかかえる。


「きゃ……」


 亜紀が小さく悲鳴を漏らす。

 はたから見ると珍妙な光景だが、周囲の男達は馬鹿にすることなく黙ってその様子を見つめていた。


「二人ともしっかり掴まっているんだ。特に、後ろの君は自分でしっかりと捕まっていないと振り落とされるぞ。いいな?」

「え、はい」


 リオに促され、雅人がリオにしっかりと捕まる。

 それを確認すると。


「うわ!」

「きゃ!」


 リオが一気に走り出した。

 予想以上の反動がかかり、二人が小さく悲鳴を漏らす。

 ぐんぐんと急激に加速していくリオに、亜紀と雅人は唖然としていた。


「あんなガキの噂、聞いたこともねぇぞ。ありゃ団長以上の化けもんだぜ」


 その場に取り残されたのは護衛の傭兵達と奴隷の少年少女達だけだ。

 二人を抱えて馬以上の速度で走っていくリオの後姿を見て、先ほどのリオの躊躇ない殺気を思い出し、男は身震いをしながら呟いた。


「あ、あの! ここってどこなんですか?」


 走り続けるリオの顔を至近距離から見上げて、亜紀が尋ねた。

 先ほどからリオはとても人間が出すことは敵わない速度で走り続けているが、息切れの一つも起こしていない。

 これなら話しかけても大丈夫かもしれないと考え、思い切って現状を確認してみることにしたのである。


「ここはユーフィリアス大陸のシュトラール地方、そこにあるセントステラという国の国境付近だ」


 亜紀の質問に対してリオが的確に回答する。


「え、ここは日本じゃないんですか?」


 まったく聞き覚えのない大陸名、地名、国名に亜紀が呆然とした表情を浮かべた。


「日本……。違うよ」


 感慨深げに日本という国名を口にすると、リオは亜紀の疑問を否定した。


「じゃ、じゃあ地球のどこかだったりするんですか?」


 おそるおそる亜紀が尋ねる。

 その視線には何かを期待したような感情が籠っていた。


「地球ではないね。君たちにとっては残念ながら」


 だが、リオはそんな亜紀の期待を断ち切るような回答を突き返した。

 亜紀が事実を呑み込めず、怪訝な表情を浮かべる。


「え、じゃあここは……。それになんで言葉が……」


 亜紀が呆然と小さく呟いた。

 身体能力と一緒に五感も強化されているリオの耳にはその声が届いている。

 だが、リオはあえてそれを聞こえないフリをした。

 咄嗟に亜紀達を助けてしまったが、今は少しでも頭を整理する時間が欲しい。

 そもそもどうしてこの世界に日本人がいるのか。

 その理由を詳しく聞いておきたい。

 それに――。


(どうする。この子達……)


 問題はどこまで亜紀達と関わるべきかである。

 見た目からして亜紀は中学生、雅人は小学校高学年くらいの年齢のはずだ。

 一緒にやって来たというもう一人の人物が何歳かは知らないが、言葉も通じない世界に放り出されて自力で生きていくことなどまず不可能だろう。

 待ち受けている運命は死か、はたまた先ほどのように悪意ある者に拉致されて隷属するか、おそらくはその二つに一つだ。


(流石に事情だけ聞いてさようならっていうのは後味が悪いか)


 言葉を教え、最低でも自分達で生活ができるようになるまで、面倒を見てやる必要があるだろう。

 そうなると自分の前世の情報も含めてどこまで自分の素性を明らかにするかが問題となる。

 今、リオは身分を隠している。

 クーデターが起きたようだが、リオは数年前にベルトラム王国で指名手配されていた。

 当時は逃げるだけであまり戻って来るつもりもなかったが、これから先はしばらくこの地方で活動しなければならない。

 極力、素性は隠さなければならないだろう。

 だからこそ、こうやって魔道具まで自作して変化している。

 亜紀と雅人とはしばらくの間は一緒に暮らすことになるが、いずれ離れていくことを前提にするならば、あえて自分の素性を教える必要はないようにも思える。

 しかし、これから長いこと一緒に生活していくとなると、いっそのこと教えてしまった方が色々と楽なのも否定できない。


「…………」


 とりあえず今は偽名を名乗って、様子を見たうえで事情を説明するのが正解かもしれない。

 リオはそう思った。


「あ、あの、どうして貴方は日本語を喋れるんですか?」


 リオが考えている間に、亜紀は困惑から立ち直ったようで、そんなことを尋ねてきた。

 日本語を使わなければコミュニケーションが成立せず、情報も収集できなかった以上、日本語を使ったことには後悔していない。

 もちろん、やや面倒なのは否定できないが。

 既にこうして会話をしている以上、その理由を誤魔化すのは難しいだろう。

 名前と違って、下手な嘘を吐けば色々と勘ぐられるかもしれない。

 何個か適当な嘘は思いついたが、咄嗟に思いついたものにすぎず、あからさまに怪しいと思われるようなものばかりである。

 そもそも嘘を吐くべき様な事柄なのだろうか。


「……それは俺がかつて日本で暮らしていたからだよ」


 数瞬の間を置いて、リオはそう答えた。


「え、日本で暮らしていたんですか?」


 亜紀は首を傾げて、不思議そうな表情を浮かべた。

 ここは地球ではない。

 だが、目の前にいる少年は日本語が喋れて、かつては日本で暮らしていたという。

 どういうことだ。

 少なくともリオの容姿は純粋な日本人のものではない。

 髪の色もそうだし、顔つきも純粋な外人かせいぜいがハーフといった感じだ。


(留学生とかハーフの帰国子女だったのかな?)


 亜紀はそのように勘違いした。


「その話はひとまず置いておこう。とりあえず名前を聞かせてもらってもいいか?」


 二人が微妙にすれ違っているまま、話は進んでいく。


「あ、私は千堂亜紀です」

「千堂亜紀。亜紀……?」


 呟き、リオが亜紀の顔をじっと見つめる。


「あ、はい。変な名前ですか?」


 近くからじっと見つめられ、亜紀が僅かに顔を赤くして尋ねた。


「いや、良い名前だと思うよ」


 なんて、リオが答えて――。


「あ、ありがとうございます……」


 亜紀はさらに顔を紅潮させる。


「で、後ろの君は何て名前なんだ?」


 そんな亜紀の変化に気づく様子もなく、リオは後ろで背負っている雅人に名前を尋ねた。


「あ、俺は千堂雅人です!」


 と、どこか興奮した口調で、雅人が名乗る。

 目まぐるしく移り変わっていく風景に感動しているようだ。


「そうか。俺はハルトだ」

「……ハルト?」


 リオが偽名として用いている前世の名前を名乗ると、亜紀の雰囲気が僅かに変わった。

 どこか無機質な声でリオの偽名を呟いている。


「……俺の名前がどうかした?」

「あ、いえ、何でもないです……」


 勢いよく首を振って、亜紀は何でもないと否定する。


「そうか……。二人は姉弟なんだな。もう一人も君達の兄弟か何かか?」

「いえ、もう一人兄もいるんですけど、えっと、さっきまで一緒にいたのは血は繋がっていないけど私達にとっては姉みたいな人で――」

「っと、ごめん。どうやら追いついたみたいだ。少しここで待っていてくれるか?」


 亜紀が質問に答えているところで、リオが言葉を被せる。

 強化されたリオの視力が遥か彼方で移動中の馬車を捉えたのだ。

 亜紀達にはぼんやりとしか見えていないだろう。


「連中と話をつけてくる。その女の子も君達と同じ黒髪の子かな?」


 手ごろな岩場の影に隠れるように立ち止まり、リオは二人をそっと下ろした。


「は、はい。そうです。その、よろしくお願いします!」

「ああ、大丈夫だ。危ないからこの岩の影から動かないでくれ。周囲に危険な生物はいないはずだけど、岩から顔は出すなよ」


 真剣な顔で、リオが二人に言い聞かせるように言った。

 遠目とはいえ、もしかしたら嫌な光景を見せてしまうかもしれない。

 その予防という意味もあるが、純粋に二人の身の安全も考えている。

 その可能性は低いが、万が一、空を飛ぶ攻撃的な生物が近づいてくるとも限らないため、自衛できない二人がむやみに姿を出すのは好ましくない。


「わ、わかりました」

「はい!」


 リオに注意され、亜紀と雅人が緊張した声色で答える。


「良い子だ。戻ってきたらまた話の続きをしよう」


 安心させるよう微笑むと、リオは軽快な足取りでその場を後にした。

 リオの動きは亜紀から見ても非常に洗練されている。

 自分達を助けてくれたリオなら大丈夫なはずだ。

 無条件にそう信じて、亜紀は祈りをささげた。

 岩場の影から躍り出て、リオはまっすぐに馬車の進行方向にある街道の先へと近づいていく。


「ちょっとよろしいでしょうか?」


 そうやって馬車の前に先回りすると、街道に立ち止まり、相手を警戒させないよう、リオは丁寧な口調で話しかけた。 

 すると、商隊が歩みを止める。


「なんだ?」


 護衛の傭兵のリーダーと思しき大柄な男が、馬の上からリオを見下ろし、冷たい声色で尋ね返した。

 筋肉質な身体を上質な革鎧で包み込み、その下にはクロースアーマーを着込んでいる。

 油断なくリオを睨みつけ、腰に差した剣を抜き放つ。

 先ほどリオが相対した男のようにリオを子供に毛が生えた程度だと侮っている様子はない。

 同じく武装したリオが剣を抜けば、瞬時に斬りかかってくることが窺えた。


「こちらの商隊で黒髪の少女を保護して頂いたと伺いまして――」

「何事だ!?」


 リオが用件を切り出そうとしたところで、後続の馬車から身なりの良い男が姿を現し、言葉を挟んできた。

 この男が商隊を率いる奴隷商人なのだろう。

 いきなり進行が停止したためか、機嫌が悪いようだ。

 リオは小さく溜息を吐いて。


「つい先ほどこちらの商隊で黒髪の少女を保護して頂いたようでして。私はその子の保護者です。無事に保護して頂きありがとうございます」


 そう言ってから、にっこりと感情のない笑みを浮かべた。

 相手が美春を拉致したのは明らかであるが、リオはあえてこのような言い方をしている。

 穏便に済ませたかったらこの話に乗れという遠まわしなアピールだ。

 もしこれをスルーされたならば、先ほどのように威嚇するか、最悪、実力行使に出るしかない。


「……そんな奴は知らんな」


 だが、奴隷商は平然と白を切った。

 スッと目を細めて、冷たく笑うリオを見返す。

 二人の視線が交差した。


「おかしいですね。一緒に保護してもらった二人はすでにこちらで回収済みなのですが……。何なら後ろの馬車を確認させていただいてもよろしいですか?」


 困ったと言わんばかりに、リオは肩をすくめた。

 その表情は変わらず冷たい笑みを浮かべたままだ。

 奴隷商の表情が不快気に歪む。


「……殺せ」


 冷たい声で奴隷商はリオの殺害を命じた。

 傭兵のリーダーは小さく笑い――。


「わかりました」


 頷いた。

 そのまま一気に馬を走らせ猛々しくリオへと迫る。

 男は瞬時にリオとの間合いを詰めた。

 この段階だと殺気をぶつけて威嚇したところでもう遅い。

 リオは小さく溜息を吐いた。


「……」


 瞬間、リオの姿がブレたかと思うと――。

 肉の断たれる音が響き渡った。

 馬上の男の身体が傾き、少し遅れて血が噴き出る。

 瞬間、むせ返るような血なまぐささが鼻を衝いて、リオは僅かに顔を顰めた。


「っぁ!?」


 その光景に悲鳴にならない声を奴隷商が上げる。

 周囲で見守っていた他の傭兵達も驚愕して目を丸くしている。

 いつの間にか抜き放たれたリオの片手剣は、返り血を一滴も付けないまま、鞘に収まった。

 同時に、走り続けている馬の上から男の身体が地面に崩れ落ちる。

 周囲に静寂が降りた。


「出来れば今ので最後にしてくれるとありがたいんだが」


 冷たい瞳で奴隷商を見据えて、だが困ったように、リオが言った。

 そのリラックスした声色が奴隷商の戦慄を掻きたてる。

 眼下には、胴体を真っ二つに切断され、自らの死に気づかぬまま絶命した歴戦の傭兵の死体があった。

 その目が合ってしまい、奴隷商の膝が崩れそうになる。

 かろうじて堪えたが、その代わりに傭兵の男に対して抱いていた全幅の信頼が音を立てて崩れ落ちた。


「あんたらが拉致した子はどの馬車に乗っている?」

「ひっ、う、後ろから二台目……」


 呼ばれ、奴隷商は小さく悲鳴を漏らした。

 震えた声で答える奴隷商を一瞥し、周囲を警戒した様子もなく、リオは悠然とした足取りでその馬車に近づいく。

 いや、警戒する必要もないのだ。

 武人ではない奴隷商にもそれだけの実力差があることがはっきりとわかった。

 先ほどリオが斬り殺した男はそこそこ名の知れた傭兵である。

 それこそ、この場にいる他の傭兵全員を相手にしても、負けるビジョンが思い浮かばないくらいに強い。

 そんな男をリオは神速と言ってもいい速さで剣を抜き周囲が気づかぬ間に斬り殺した。

 周囲の傭兵達もリオが馬車へ近づく姿を呆然と眺めているだけだ。

 傭兵である彼らには商人である自分以上に実力差をわかっているのだろう。

 リオの進行上にいる傭兵達が顔を青ざめさせて勢いよく退いていく光景を見て、奴隷商はそう思った。


 ☆★☆★☆★


 その頃、美春は形容しがたい不安を覚えていた。

 突如、馬車が止まったかと思えば、急に周囲が物々しい空気になったのを機敏に感じ取っていたのだ。

 美春の周囲で薄汚れた衣類を纏っている年若い少女達も似たような反応を見せている。

 車内には少しキツイ体臭が漂っているが、そんなことは今は気にならない。

 ふと、一人の人間の足音が耳に届いた。

 その人物はゆっくりと自分達の馬車に近寄ってくる。 

 すると足音の主が自分達の馬車の前で立ち止まった。

 一気に美春の心臓の鼓動が高鳴る。

 おそるおそる視線を送ると、そこには一人の少年が立っていた。

 視線を動かし馬車の中に乗っている少女達の顔をきょろきょろと眺めている。

 どうやら人を探しているようだ。

 やがて少年の視線が美春に固定された。

 少年は呆けたように美春を見つめている。

 美春は思わず少年の瞳に吸い込まれそうになった。

 そのまま少年と美春は黙って見つめ合う。

 まるで時が止まったかのように、少年は身動き一つしない。

 それは美春も同じだった。


「みー……ちゃん?」


 少年が何かを小さく呟くと、その瞳から涙が零れ落ちる。

 それはとても綺麗で儚いように思えて、何故だか美春も泣きたくなった。

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2019年8月1日、精霊幻想記の公式PVが公開されました
2015年10月1日 HJ文庫様より書籍化しました(2020年4月1日に『精霊幻想記 16.騎士の休日』が発売)
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