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精霊幻想記(Web版) 作者:北山結莉

第四章 再会、その裏で

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第53話 異世界漂流

 ガルアーク王国の南に位置するセントステラ王国、その国境付近にある街道からほど近い草原に三人の少年少女がいた。

 三人の年齢はバラバラだが、全員が十代であることは間違いない。

 どこまでも透き通った青い空の下で、彼らは呆然と周囲に広がる広大な自然風景を見渡している。

 視界に映るのは草原、岩、丘、山ばかりで、人工物はまったく見当たらない。


「…………ここ、どこ?」


 状況が全く掴めていないようで、一人の少女が呆けた様子で呟いた。

 年齢は十三歳前後といったところで、この三人の中だとちょうど真ん中に位置する。

 セミロングの黒い髪をポニーテールにして束ねた学生服姿の少女は、一見するとお淑やかな雰囲気を持っているが、なかなか勝気な目をしていた。


「どこって……、それは俺が聞きたいくらいだよ、亜紀姉ちゃん」


 顔をひきつらせて少年が答えた。

 年齢は勝ち気目の少女よりも僅かに年下といったところだ。

 長袖シャツの上にジャケットを羽織り、デニム生地の長ズボンを穿いている。

 少年ながら整った顔に、癖のない髪の毛を短く切りそろえ、活発そうな雰囲気を放っていた。


「私達、途中で沙月さんに会って道を歩いていたはずよね? 雅人」

「え? うん」

「そうよね。……美春お姉ちゃんも同じ?」


 顎に手を当て何やら考えるそぶりを見せると、亜紀は最年長の少女に水を向けた。


「うん。私も同じかな。けど、貴久君と沙月さんはいないみたいだね」


 困ったように曖昧な笑みを浮かべて、美春と呼ばれた少女が頷く。

 ふわりと柔らかい風が吹き、背中まで伸びた艶やかな黒髪が、さらさらと衣擦音を奏でて、ベージュ色のブレザーとチェック柄のスカートを撫でる。

 細いながらもはっきりとした目鼻立ち、触れれば溶けてしまいそうな白い肌、柔らかい物腰で、お淑やかで清楚な美少女であった。

 歳は年長で十五歳前後といったところだ。


「お兄ちゃんは沙月さんと話をしていて、私達とは少し離れた位置にいたよね……」


 まだ現実を受け止めきれていないのか、亜紀は呆然と周囲を見渡していた。

 少なくとも彼女にとって周囲が見慣れた光景でないことは明白である。

 先ほどまで彼女達がいた場所は、文明の発達した都会の真ん中で、こんな周囲に人はおろか人工物すら見当たらないような場所ではなかったのだから。

 元々彼女達がいた場所から、数キロはおろか、数十キロ移動したとしても、このような景色が広がる場所はないはずだった。


「うん。そういえば貴久君と沙月さんから変な光の渦が広がったような気がするけど……」


 錯覚だったのではないかと思い、美春が躊躇いがちに言った。

 そもそも現状が非科学的な状況である。

 都会のど真ん中から、気がついたら草原のど真ん中にいたのだ。

 一言で語るとすれば「ありえない」と言うしかない。

 場違いな自分の制服姿が非現実感をいっそう際立たせている。

 三人一緒だったことから危機感が麻痺していたが、少しずつ現状の危うさを実感し始め、美春達は深刻な顔を浮かべ始めた。


「どうしよっか?」


 最年少の雅人が年長の美春と姉の亜紀に判断を仰いだ。

 ちなみに雅人と亜紀は姉弟関係にあるが、美春は二人とは血が繋がっているわけではない。


「あ、そうだ! 携帯電話!」


 この中で唯一、携帯電話を所持している美春が慌てて鞄をまさぐった。

 数瞬の時を経て、美春が目的の物を取り出す。

 電源ボタンを押してスマートフォンを起動させたが、画面の右上には無情にも圏外の表示が映っていた。


「駄目、電波が通じないみたい……」


 ほんの少し顔を伏せて、美春が力弱く呟いた。

 唯一の通信手段も役に立たないとなると、いよいよ三人は何の準備もなしに秘境に取り残されたことになる。


「と、とにかく人を探そう!」


 慌てたように亜紀が叫ぶ。

 その声は周囲に虚しく響き渡ったが、それ以外にこの状況を解決する手段はない。

 顔を見合わせると、三人は行動を開始することにした。


「じゃあどっちに向かう?」


 と、雅人が尋ねる。


「うーん。あっち? とりあえず反対方向は森みたいだし」

「私も亜紀ちゃんに賛成かな」


 そうやって歩くべき方向を定めると、三人は黙々と足を進めた。

 一定のスピードを保ってゆっくりと移動する。

 十分、二十分と歩いていくが、人影は見当たらない。

 空気が乾燥していて、歩くと喉が乾いてくる。

 道中、美春は自分のために買ったペットボトルを差し出して、亜紀と雅人に飲ませてやった。

 飲料水はこれしかないために節約して飲むことを決める。

 さらに歩いていくと、ようやく前方に影が見えてきて――。


「あ、人だ!」


 嬉しそうな声を出して亜紀が叫んだ。

 距離は遠く離れており、まだ相手は亜紀達の存在に気づいてはいないようだが、確実に人影だった。

 何やら箱のような人工物まである。

 しかも集団で行動しているようで、複数の人影を確認することができる。

 遠目で姿はよく見えないが、何かにまたがっている者もいた。

 ようやく人と遭遇できた事実にほっと胸をなでおろし、三人の顔に自然と安堵の笑みが浮かんだ。

 人間がいる。

 原因不明の漂流状態において、その事実が三人の精神状態にもたらした影響は計り知れないほどに大きい。


「おーい!」


 無警戒に雅人が大声を出した。

 両手を大きく振って、自分達の存在をアピールする。

 すると相手も雅人達の存在に気付いたのか、群れの中から急速度で接近してくる者達がいた。


「……え?」


 振っていた手をぴたりと制止して、雅人が硬直する。

 その人物達は騎乗していたのだ。

 雅人の知る限り、自分達が暮らしていた国の中で、馬を通常の交通手段として用いている地域は存在しない。

 牧場や競馬場といった施設にでも行かない限り、馬はお目にすることがない生き物である。


「う、馬?」


 唖然と亜紀が呟いた。

 大地を踏みしめ、砂埃を巻き上げ、今も三騎が亜紀達のもとへ近づいてきている。

 馬に乗っているのはいずれも粗暴な印象の男達で、明らかに亜紀達とは人種が違う。

 革製の軽鎧で大柄な体格を覆い、腰には重厚感のある金属製の剣が差してあった。


「あ、えっと……」


 咄嗟に、亜紀と雅人を庇うように、美春が一歩前に出た。

 震えた声で何かを尋ねようとしたが、それが言葉になることはない。


「ヒュ~」


 そんな美春の容姿を目にすると、一人の男が小さく口笛を吹いた。

 そして、にやりと笑みを浮かべ、口を開く。


「********?」

「え?」


 男の一人が何かを喋ったが、美春にはその内容を理解することはできなかった。

 男が喋った言葉は彼女が知っている言語とは異なるものだったのだ。


「えっと、ここがどこだか教えてくれませんか?」


 それでも、勇気を出して、淡い期待とともに、美春は日本語で質問を投げかけてみることにした。


「******?」


 訝しげな表情を浮かべて、男が答える。

 やはり自分達の言葉は通じないようだと、美春は肩を落とした。


「『こちらはどちらでしょうか?』」


 気を取り直し、今度は彼女が喋れる唯一の外国語を使って語りかけてみることにした。


「******?」


 だが、男の反応は先ほどと同じだった。


「え、英語もダメなの……。どうすれば……」


 焦ったようにおろおろと困惑する美春。

 その後ろでは亜紀と雅人も似たような反応をしていた。

 日常生活でほとんど見ることのない外人を相手にして、完全に委縮してしまっているようだ。


「****。*******?」

「*******。***********」


 美春達の困惑をよそに、何やら男達が会話を始めた。

 美春とその後ろにいる亜紀に視線を送り、にやにやと表情を緩めている。

 何となく嫌な予感がした。

 亜紀達を庇うように両手を広げて、美春が一歩後ずさる。


「****」


 すると、男の一人が馬から降りて、無造作に美春達に近づいた。


「こ、来ないで!」


 美春に後ろにいた亜紀が叫んだ。

 その声は震えている。


「****!」


 そんな二人の様子を見て、男達が大声を出してゲラゲラと笑った。


「な、なによ!?」


 威嚇するように亜紀が美春の後ろから男達を睨みつける。

 一瞥して、男は動じることなく腰の剣を抜き放った。 

 その光沢と重量感からして間違いなく本物の剣である。

 振れば容易く人の命を刈り取るように思えた。


「*****!」


 スッと顔に浮かべた笑みを消し、男が怒鳴るように何かを言い放った。

 ビクリと亜紀達の身体が震える。

 おそらく今のは警告だったのかもしれない。

 男の表情は決して友好的であるとはいえなかった。

 それどころか突き刺すように亜紀達に向けて殺気を放っている。


「あ、えっと……」


 男の一人が凄みのある表情で矢面に立つ美春を睨みつけ、視線が重なった。

 チリチリとした嫌な感覚が全身を襲い、美春の胸を締めつける。


「な、なぁ、これ、逃げた方がいいんじゃないの?」

「う、うん。私もそう思う」


 なんて会話がひそひそと後ろから聞こえて――。


「二人とも、逃げちゃダメ」


 慌てて美春は亜紀と雅人の手を握った。

 男の剣幕は普通じゃない。

 あの手に持っている剣が偽物とは美春には到底思えなかった。

 しかも相手は馬に乗っている。

 逃げられるとは思えないし、逃げたら殺されるかもしれない。

 美春はそう考えた。


「え、あ……」


 いきなり手を掴まれ、美春に声をかけられたことで、亜紀と雅人がビクリと身体を震わせる。

 二人の手を掴んだまま、美春は両手を挙げて無抵抗をアピールした。


「****」


 抵抗の意志を失った美春達を見やると、小馬鹿にしたように小さく鼻を鳴らし、男は騎乗している二人の男に何かを命令した。

 男達は馬から降りて、亜紀達に近づくと、手を縄で縛った。

 これで抵抗することはもはや不可能である。

 逃げるそぶりを見せようものなら何をされるかはわからない。

 いや、そんな真似をしなくとも、碌な目に遭わないのは確実なように思えた。

 案の定、美春を縛っていた男が厭らしい目つきで彼女を至近距離から眺めている。

 全身を這うようなねっとりとした視線だ。

 美春の顔を何度も凝視し、胸と尻にその視線を熱くぶつけている。

 男の一人が美春の体を触ろうとしてきたが、リーダー格の男に怒鳴られ、手を引っ込めた。

 脳裏に考えたくもない嫌な想像が浮かび、美春の全身に鳥肌が立った。

 亜紀には絶対にそんな目には遭わせたくない。

 そう思い、美春は小さく深呼吸して心を落ち着けた。

 幸運なことに、その場で乱暴されて慰み者にされることはなく、美春達は男達が所属している集団へと連れて行かれることになる。


「******」


 そこには馬車が八台あった。

 中にはボロ衣を身に着けた人間が数えきれないくらいに乗っている。

 そして馬車の周囲を取り囲むように武装した人間が大勢いた。

 随分と物々しい雰囲気を放っている。


「*****?」


 身なりの良い一人の男が何やら美春達に声をかけてきた。


「***。************。****」


 美春を拘束していた者達のリーダーと思われる男がほくそ笑んで答える。

 美春達の所持品が身なりの良い男に手渡された。

 その中身を不思議そうに見つめていたが、すぐ興味を失ったようで、視線を美春達に移す。

 ニヤリとした表情を浮かべると、品定めをするように美春達を眺める。 


「****。*********」


 美春を指さし、何かを言って、身なりの良い男は顎をしゃくった。

 示した先には一台の馬車がある。

 続けて、残った亜紀と雅人を指さし、別の馬車に向けてしゃくりなおす。


「美春お姉ちゃん!」


 身なりの良い男の命令に従い、配下の男達が馬車に乗せるように亜紀と雅人の腕を引っ張った。

 自分達とは違う馬車に乗せられる美春に、亜紀が慌てて声をかける。


「大丈夫だから。きゃ……」


 亜紀達に薄く微笑みかけると、美春は乱暴に引っ張られ、そのまま馬車に乗せられた。


「ま、待って! 美春お姉ちゃん! きゃ!」


 (わめ)き叫ぶ亜紀。

 そんな彼女のすぐ近くで鞭を打つ鋭い音が響いた。

 威嚇するように何度も勢いよく鞭が打たれると、亜紀は完全に沈黙する。


「うぅ……」


 身体を縮こまらせて、亜紀は萎縮した。

 震える彼女の腕をつかみ取って、男がそのまま馬車へと引っ張る。

 その後、街道の分かれ道で、隊は二つに分けられ、美春だけが亜紀と雅人とは別々の方角へ向かっていくことになった。


「美春お姉ちゃん……」


 離れていく美春が乗った馬車を見て、亜紀がぼそりと呟く。

 すると。


「や、やばいって。亜紀姉ちゃん。声を出したら……」


 周囲を気にするように、雅人が亜紀にささやいた。

 亜紀達が乗る馬車の荷台には同年代の少年少女が乗っている。

 全員の目に活力はないが、どこか咎めるような視線を二人に視線を向けていた。

 余計な真似はするなという意思表示だろう。

 仕方なく、亜紀と雅人は彼らに混ざって大人しく座ることになった。


「…………」


 監視しやすいようにか、馬車の荷台には幌がかけられていないため、中からも外の景色が良く見えた。

 美春が乗った馬車が完全に姿を消し、ほんの少し時間が経過する。

 やがて部外者らしき一人の少年が亜紀達の乗っている馬車に近づいてきた。

 少年の容姿は整っており、灰色髪で、歳は美春と同年代といったところだろうか。

 少年は隊の男達に声をかけている。

 その少年の姿を見つめて――。


「た、助けて!」


 藁にもすがる思いで、亜紀は叫んだ。

 言葉は通じないかもしれない。

 けど、もしかしたらこれが最後のチャンスかと思うと、叫ばずにはいられなかった。


「……」


 すると、少年が亜紀に視線を向けてきて、二人の視線が重なった。

 少年は僅かに目を見開き、硬直したように亜紀と雅人を見つめている。

 すぐに男達に視線を戻すと、そのまま少年は男と何かを喋り始めた。

 時折、その視線が亜紀達の方に向けられている。

 亜紀はそっと手を合わせ、祈るようにその様子を眺めた。

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