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精霊幻想記(Web版) 作者:北山結莉

第三章 両親の故郷の地で

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第49話 シュトラール地方へ

 ゴウキ達が村へやって来てから数日が経過した。

 既に一通りの説明も終わり、技官達はそれぞれが好き勝手に技術の実現に向けて調査を行っている。

 その一方で、ゴウキはリオと一緒に狩りを行って、コモモもそれに同行していた。

 そうやって仕事が終わった後はゴウキと一緒にコモモの鍛錬に付き合ってあげるのが最近の日課となっている。


「リオ様は遥か西の地へ向かわれるのですよね?」


 鍛練を終えたある日、リオの顔を覗き込みながら、コモモが尋ねた。


「ええ、そうですよ」


 リオの返答を聞いて、コモモは純真無垢な笑顔を浮かべた。


「あの! 私、リオ様と一緒に行きたいです!」


 にっこりと微笑みながら、コモモがリオを見上げる。


「ダメ、ですか?」


 コモモの上目遣いは男女問わずに誰もが了承しかねない魅力を伴っていたが、リオは何とか思いとどまった。


「ダメです」


 苦笑を浮かべ、リオはきっぱりとかぶりを振る。


「むぅ……」


 コモモが僅かに頬を膨らませる。

 その姿がまだまだあどけなくて、リオは口元をほころばせた。


「ゴウキ殿、娘さんを使って誘惑させないでください」


 だが、きっちりと教唆者は取り締まらねばならないだろう。

 リオはコモモをそそのかしたと思われるゴウキに呆れを含んだ視線を送った。


「む、見抜かれましたか」


 これまでもゴウキは折にふれてリオの旅に同行したいと嘆願していた。

 その度にリオは首を横に振り続けていたのだが、コモモの愛らしさならばあるいはと考えていたのか、絡め手を用いてきたようだ。


「バレバレですよ。いくらコモモちゃんとはいえ、まだまだあの年齢の子には相当に過酷な旅路となるはずです。無茶を言わないでください」

「コモモは精霊術による強化も習得しております。長い旅路は良い修行になることでしょう」

「いや、修業って……」


 ヤグモ地方からシュトラール地方までは精霊術で身体能力と肉体を強化したとしても数か月はかかる険しい旅路だ。

 確かに結果として良い修練を積むことはできるのだろうが、それを修行と片づけてしまう脳筋な思考回路に、リオは小さく溜息を吐いた。

 しかもコモモが望むところだといわんばかりに奮い立っているから手に負えない。


「いずれにしろシュトラール地方には私一人で向かいます」


 これまでも何度と口にした言葉をリオは決然と述べた。

 そうは言っても簡単に引き下がらないのがゴウキなのだが。

 どうしたものかとリオは空を仰ぎ見る。


「……ここまで仰るのでしたらもはや同行は諦めるしかありませんか」


 だが、返ってきた答えはリオの予想から外れていて――。


「え? あ、はい……」


 あっさりと食い下がったゴウキに目を丸くして、リオは返事をした。

 いつもならば言質げんちを取ろうとあれこれ食い下がるわけだが、今日は引き際が早すぎる。

 しかも同行を諦めるとまで言っているではないか。

 いったいどういうことだ。

 リオは僅かに怪訝な表情でゴウキを見やった。


「む、どうかなされましたかな?」


 そんなリオの視線に気づき、ゴウキが尋ねた。


「あ、いえ、ゴウキ殿がよろしいというのであれば特には……」


 少々違和感を覚えつつも、藪蛇やぶへびになることを恐れ、リオはこの件についてこれ以上深く尋ねることを止めた。

 その後も、ピタリとゴウキから同行を願われることはなくなり、リオは肩の荷が下りたようにほっとすることとなる。


 ☆★☆★☆★


 それから、瞬く間に時は過ぎていき、季節は秋へと移り変わる。

 村での生活は平和に過ぎていき、しばしばコモモがゴウキやハヤテを伴って村へとお忍びで遊びに来た。

 人懐っこいコモモは村人達から愛され、四六時中リオにくっつき、ルリとも姉妹のように仲が良くなっている。

 リオは今年も交易隊に加わり、それ以外にも単身で幾度か王都へ行き、ホムラとシズクに会って話をしたりもした。

 その際、農業の改善に対する報酬として、カラスキ王国の特産品や料理の製法などを教わっていたりする。

 また、精霊の民の者達にお土産を買うべく、コモモと一緒に王都の中を散策したりもした。


 そうして時間が過ぎていき、豊穣祭の日が再びやって来た。

 この豊穣祭の数日後にリオは村を出発することが決まっている。

 昨年度と比べて今年は明らかに豊穣で、村の雰囲気は非常に明るく、リオの送迎会の意味も込めて昨年以上に盛大に宴を行うことになった。

 今回もリオは村の女衆達に混ざって料理を作っており、そのすぐ側にはルリとコモモがいる。

 そんな三人の様子を少し離れた位置でサヨが羨ましそうに眺めていた。

 だが、その目には何か決意めいたものが宿っている。


 料理を作り終えるとリオ達は村の広場へと向かった。

 コモモと一緒にやって来たハヤテのところへ向かい、四人で談笑する。

 自然とリオはコモモの相手を、ルリはハヤテの相手をするような空気が出来上がっていた。

 コモモからリオへと数々の質問が投げかけられ、リオがそれに答えていくという形で会話が繰り広げられている。

 外の世界のことを知りたいのか、コモモはシュトラール地方に関する話を積極的に尋ねた。

 リオとしては何が楽しいのかはわからないが、ニコニコと笑みを浮かべながら話を聞いてくれるコモモに様々な話を語ることにした。

 そうして小一時間ほど話をしていると――。


「あ、あの! リオ様! 少しいいですか?」


 何やらひどく緊張した面持ちで、サヨがリオに声をかけた。


「はい。なんでしょうか、サヨさん?」


 僅かに目を丸くし、リオがサヨを見つめる。

 シンがリオのことを引き留めるように懇願して以来、サヨはどういうわけか頻繁にユバの家にやって来るようになった。

 だが、それはリオに会うためではなく、ユバに会うことが目的でやって来ているようだった。

 サヨがユバのもとで何をしていたのかは知らないが、今、サヨの頭にはリオが一年前に贈ったかんざしが飾られている。

 それが視界に映り、いまだに大事にしてくれていることに名状しがたい感情をリオは抱いた。


「ちょっとお話がしたくて……」


 おじおじとしてはいるものの、どこか強い想いを秘めた瞳で、サヨはリオを見つめた。


「はい。かまいませんが、この場じゃない方がいいですか?」


 何となく他の人間がいては話しにくそうであることを察し、リオが尋ねた。


「は、はい。出来れば、その、お願いします」

「わかりました。それじゃあ移動しましょうか。コモモちゃん。ごめんなさい。少し席を外しますね」

「あ、はい……」


 立ち去り際に残したリオの言葉に、呆気にとられたようにコモモが返事をした。

 そのままリオとサヨは人気のない場所へ移動する。

 といっても村の中にいる人間達は全員が広場に集まっているため、少し広場から外れた場所に移動しただけだ。


「それでお話とは?」


 周囲に人気のないことを確認すると、リオが尋ねた。


「あ、はい……。えっと……、その……」


 頬を紅潮させ、どぎまぎとした様子で言いよどんだが、やがて深呼吸をして、サヨは思い切ったように口を開いた。


「あの、こんなこと言われても迷惑かもしれないんですけど、私……リオ様のことが……好きです!」


 勢いよく頭を下げて、サヨはリオに告白した。


「サヨさん……」


 悩まし気な声でリオは呟いた。

 リオの声が耳に届き、サヨがびくりと身体を震わせる。

 リオと視線を合わせたくないのか、サヨはずっと頭を下げたままだ。

 なんて声をかけたらいいのだろうか。

 いや、かけるべき言葉は決まっている。

 だが、その言葉をかけるのを少しでも先延ばしにしたい自分がいることに気づき、リオは一瞬だけ苦虫を噛み潰したような顔を浮かべた。


「ごめんなさい。貴方の気持ちに応えることはできません」


 ぐっと手を握り締め、心苦しさを押し殺し、リオは落ち着き払った声できっぱりとサヨの告白に答えた。

 それは拒絶である。


「っ……。それはリオ様が村を出て行くからですか?」

「そうです」


 あらかじめその理由を予想していたのか、サヨがそんなことを尋ねた。

 震え声のサヨの質問に、リオが静かに返答する。


「な、なら! 私も一緒に連れて行ってください!」


 勢いよくサヨは言い切った。

 心臓が飛び出してしまうかもしれないと思うくらいに胸の鼓動が高鳴っている。

 きっと顔もひどく紅潮している。

 サヨはそう思った。


「えっと……」


 一瞬、リオはサヨが何を言ったのかわからなかった。


「それは無理ですよ」


 数瞬の間を置いて、言った内容が頭に入ってきたが、答えは決まっている。

 リオはどこか困ったように答えた。


「大丈夫です! ユバ様に精霊術を教えてもらって、私、最近になって少しだけ使えるようになったんです!」


 言って、サヨが前のめりになってリオに迫った。

 サヨがここ半年ほどユバのもとへ通い詰めていたのはそういうことだったのか。

 リオは気づき、ハッとした顔でサヨを見据えた。

 だが、リオにはまるでわからない。

 どうしてサヨはここまでするのか。

 リオとサヨは出会ってから一年程度しか経っていない。

 まったく会話をしないわけではないが、頻繁に会話をするほどの仲であったとも言い難い。

 それなのにどうして……。

 リオは戸惑う。


 少しとはいえサヨは精霊術を使えるようになった。

 それこそ、日々の仕事の合間を縫って、一生懸命、努力したのだろう。

 サヨがユバのもとに通いだしたのはほんの半年ほど前だ。

 半年で精霊術を使えるようになる人間族はそうそういない。

 それこそ血のにじむような努力をしても、人間族ではごく簡単な精霊術を使えるようになるまで平均で一年以上はかかると言われている。

 実戦で使えるようなものになると数年はかかる。

 おそらく元々の才能が豊かだったのだろう。

 それは凄いことだ。

 だが、少し精霊術を使える程度ではリオの足手まといにしかならない。

 彼女なりに何か思うところがあって移した行動だったのだろうが、その努力は水の泡でしかないのだ。

 だが、そんな事実を彼女に伝えることははばかられた。


「だから、私、リオ様の足手まといには――」

「ごめんなさい。俺には好きな人がいるんです」


 サヨの言葉を遮り、リオが硬い声で言った。

 言って、胸が痛んだ。

 自分の心の中には一人の女性が存在している。

 彼女は天川春人の想い人だ。

 彼女はこの世界には存在しない。

 だというのに彼女のことを考えると、他の異性と付き合おうとかそういう考えは全く浮かんでこない。

 いつまでも非現実的な恋に捕らわれている。

 そんな自分がまるで道化師にすぎないとわかっていても――。

 彼女の存在しない世界でこうして生きているとしても――。

 リオは、天川春人は、彼女のことが好きだ。

 そんな自分の気持ちに嘘はつけない。

 それが出来たら天川春人は死ぬまで幼馴染に囚われていたりはしなかったのだから。


「し、知っています! わかってます。でもっ!」


 とても愛らしい目に涙を浮かべ、サヨは叫んだ。


「でもっ、私、行きたいです! 一緒に行きたいんです!」


 サヨは必死だった。

 初めての恋に自分のすべてを捧げていた。

 リオが好きで好きでたまらない。

 そうやって、ただひたすらリオのことだけを想って、ともに歩みたいと一途に努力してきた。


「わ、私、どこまでだって行きます! どんな道だって歩きます! だから、置いていかないでください!」


 サヨの真っ直ぐな想いが伝わってきて、リオが悲しそうに顔を歪めた。

 こんなにストレートに想いをぶつけられたのは初めてのことだった。


「俺はあなたの気持ちに応えるつもりはないんです」

「い、いいんです! 私を見てくれなくてもいいです! 何もしてくれなくてもいいです! でも、せめて、せめて傍にいさせてください!」


 見えない明日を恐れて、絶対に離すまいと、サヨはぎゅっとリオの手を握りしめた。


「サヨさん……」

「お願いします!」


 縋るようなサヨの視線を避けるように、リオは顔をそむけた。

 それでも無理なものは無理だ。

 リオは彼女を連れていくことはできない。 

 その先に彼女の幸せがないとわかっているから。

 彼女の気持ちに応える気はないから。

 だが、それをどうやって伝えればいい。

 どうすればサヨは納得してくれるのか。


「ごめんなさい」


 リオは考え考え、結局、そうやって言葉を紡ぐしかなかった。

 言葉足らずな自分の愚かさを悔いる。

 それはサヨに対する罪悪感か、同情心か、はたまた自分に対する嫌悪感によるものか。

 リオにはわからない。


「ふぇっ……、うっ……ぐ……ぐすっ」


 初めての失恋に堪えきれず、ほろほろと目から涙を流し、サヨは泣き始めてしまった。

 サヨはわかっていた。

 予想もついていた。

 なんとなくこの恋は実らないものだと。

 だが、それでも無駄だと諦めてしまうなんて、可能性をすべて閉ざしてしまうなんて、サヨにはできなかった。

 どうにかしなければならなかった。

 リオを引き留めても意味はない。

 シンがリオに土下座をした件でユバと話し合って、この村を出て行くというリオの意志が揺らぎないものであることはサヨも知っていたから。

 ならば、自分がリオに付いて行けばいいのではないか。

 そう考えついて、サヨはユバに精霊術を習うことを決めた。

 リオの足を引っ張るわけにはいかない。

 今の自分ではリオの隣を歩くことはできない。

 その想いに突き動かされて、周囲を見渡すことも忘れて、サヨは必死に努力し続けた。

 盲目的に努力して、その献身さを認めてもらうしかなかった。

 そうやって自分の頑張りが認めてもらえたのなら、もしかしたら自分にも可能性があるんじゃないか。

 そう思えたから。

 だが、それでもダメだった。

 ふと、サヨは胸に穴が開いたような喪失感に襲われた。


「…………」


 やりきれない表情を浮かべ、リオは泣き崩れるサヨを見下ろした。

 思わず彼女の肩に手をかけてしまいそうになったが、きつく手を握り締め、思いとどまった。

 リオが今のサヨにかけるべき言葉は存在しない。 

 何か優しい言葉をかけてもリオがサヨにそれ以上してあげられることはない。

 リオはサヨの想いに応えてあげることはできないのだから、中途半端な優しさは彼女を傷つけるだけだ。

 心苦しそうに顔をしかめると、きびすを返し、リオはその場から立ち去る。


「リ、リオ様、待って……」

「…………」


 力弱く呟いたサヨの声に対する返答はなかった。

 確たる足取りでリオはゆっくりとサヨから遠ざかっていく。

 その距離は近いようで絶望的に遠かった。

 サヨは為す術もなく、ただその場で泣き続ける。

 音もなく、気配もなく、リオの知覚範囲外からその光景を眺めていた一人の影が、決然とした様子でサヨへと近づいていた。


 ☆★☆★☆★


 それから数日後、ホムラ、シズク、サガ家の面々と事前の別れを済ませ、リオが村を出発する日がやって来た。

 リオを見送りに村人達がやって来ているが、そこにサヨとシンの姿はない。

 サヨがリオに告白して振られたという事実は何となく村人達も察している。

 別れを寂しいと思う気持ちはあるが、リオがこの村を去っていくことはずっと前からわかっていたことだ。

 村人達は既に心の準備を済ませており、リオを笑顔で送り出そうとしていた。


「リオ、気をつけて行ってきてね」


 村人達との別れの挨拶を一通り済ませると、締めくくるように、ルリがリオに近づき声をかけた。

 そのすぐ後ろにはユバの姿もある。

 昨日のうちに何度も別れの挨拶は済ませたのだが、ルリは寂しそうな笑みを浮かべている。


「次にこの村に来る時には甥か姪の姿を見せてくれると嬉しいかな」


 寂しい別れの雰囲気を茶化すように、リオはそっとささやいた。


「ば、馬鹿!」


 顔を赤くし、口をパクパクさせて、ルリが叫ぶ。

 そんな彼女に微笑むと、リオはユバへと視線を移した。


「ユバさん、今までお世話になりました」

「お世話になったのはこっちの方だよ。ありがとう、リオ。いつでもここに帰っておいで」

「はい。ありがとうございます」


 顔を見合わせ、リオが気恥ずかしそうに口元をほころばせる。

 そうして頷きあうと、二人は別れの抱擁を交わした。


「ルリもありがとう。こんな俺を名実ともに家族として扱ってくれて本当に嬉しかった。戻ってきたらまたたくさん話をしよう」

「当たり前だよ。人には言えなくても私達は従姉弟なんだから」

「うん、ありがとう」


 視線を交わし合い、小さく噴き出すと、二人は別れの抱擁を交わした。

 ほんの数秒だが、お互いの身体をしっかりと抱き寄せる。

 かすかに疼く寂寥せきりょう感を胸に抱えながらも、やがてその身を離した。


「行ってきます! みなさん、本当にありがとうございました!」


 きっぱりと告げ、村人達に深く頭を下げると、リオはきびすを返した。

 そうして足を踏み出し、村の外へと歩いていく。

 村人達がリオに別れの挨拶を投げかけ、リオは何度も後ろを振り返って手を振った。

 そうしてルリ達が最後に見たリオは、穏やかな笑みを浮かべながら、遠くで大きく手を振る姿だった。


 神聖暦九九九年、晩秋。

 リオが村の中でルリ達と一緒に暮らす日々は終わりを告げた。

 これから先は別々に生きていくことになる。

 それでも心が離れたわけではない。

 いつか再会することを心に誓い、リオはシュトラール地方へ向けて歩み出した。


 ☆★☆★☆★


 リオがヤグモ地方を立ち去ってから一月と少しが経過したある日。

 神聖暦一〇〇〇年、シュトラール地方で、赤、青、緑、茶、白、黄の六本の光柱が天空を穿うがった。


(世界に穴が開いたか。間違いなく、あの光だ) 


 今より千年以上前に見たあの六本の光柱の記憶は、今もなお色褪いろあせることなく、観測者の心に刻まれたままだった。

 大地をけがす魔の軍勢、それを向かい討つ道化の軍勢と道化の英雄達。


(この道は千年前に確定していた。疑いようのない程に明確にな)


 観測者はただ眺める。

 六本の光柱が巻き起こしている異常なオドとマナの奔流は遥か彼方のこの地も震わせている。

 そう遠くない未来に歴史は再び繰り返されるであろう。

 歴史はもう動き出したのだから。

 その時に動くのは自分の役目ではない。

 自分は何もできない。

 ただ眺めるだけだ。

 始まりから今の今まで世界を観測してきた者は、懐かしそうな笑みを浮かべると、瞳を閉じた。


 ☆★☆★☆★


 場所は変わってガルアーク王国の西部にある交易都市アマンドの領主館にて。


「本当にあの眉唾物の伝承通りね……」


 天空を穿つ光柱を眺めながら、クレティア公爵家の令嬢たるリーゼロッテは呆然と呟いた。

 それは王族や貴族達に語り継がれてきた御伽話。

 神魔戦争が終結してから数十年、神聖暦が始まった年に、六賢神はある予言と一緒にブレイブストーンと呼ばれる六個の聖石を残したという。


「千年後、六本の光柱がシュトラールの天空を穿うがちし時、聖石のありし場所に六勇者が再来し、世界に永久の安寧がもたらされる」


 この予言を最後に六賢神は人間族の前から姿を消し去った。

 勇者とは人々の希望であり神の使徒である。

 神魔戦争期には数えきれぬ魔族を屠ったそうだ。

 そんな勇者を再び呼び寄せると六賢神が告げた聖石、ブレイブストーン。

 その正当な所有者たる地位を巡って、幾度も争いが繰り広げられることになる。

 そうしていつしかブレイブストーンは権威性を示す神具と化した。

 現在、六個ある聖石の所在はそのすべてが公式に判明しているわけではない。

 そのうちの二つはベルトラム王国に、一つがガルアーク王国、もう一つはセントステラ王国にある。

 リーゼロッテが所在を掴んでいるものについては、その所在通りに光柱は立ち昇っているが、ベルトラム王国で立ち昇っている二つの光柱は位置が少し離れているようだ。


「所在が不明だった聖石はガルアークからだいぶ遠い場所で立ち昇っているみたいね。近くて手空きなようでしたら勇者を配下にと思ったんだけど」


 言って、まだあどけなさを残すものの、おっとりと優しく美しい顔立ちをした水色の髪の少女、リーゼロッテはフフッと笑った。

 その透き通った水色の瞳は今も光柱を映している。


「このきな臭い世の中で勇者の再来は何を意味するのかしら。最近では魔物が活発化しているみたいだし、つい先日にはベルトラム王国でクーデターも起きたし、とても世界の安寧がもたらされるとは思えないんだけどねぇ。どう思う、アリア?」


 と、リーゼロッテはその場にいた腹心の女性に問うた。


「それがわかればまさしく神の所業かと。何やらきな臭い感じはしますが」


 リーゼロッテと同等の美貌を有する妙齢の女性、アリア=ガヴァネスが感情の乏しい顔で答える。


「そうよね。出たとこ勝負ってあまり好きじゃないんだけど、世の中そう上手く行くものじゃないし」


 少々げんなりとリーゼロッテがちる。


「で、伝説の勇者に貴方は勝つ自信はある?」

「伝承通りの戦闘能力を有しているとしたら、遠距離戦を仕掛けるのは少々愚かしいですね。近接戦闘に持ち込めばどうなるかはわかりませんが、いざという時には勝たないといけないのでしょう?」


 リーゼロッテの投げかけた質問に、アリアは起伏はないがどこか呆れを含んだ声で答えた。

 アリアの主がこういった茶目っ気のある質問を投げかける時は、その質問通りの事態が生じると見越している時だ。


「ええ、勇者が人格者なんて保証はどこにもないしね。もし今後戦争が起きるとしたら高確率で勇者が戦場に出てくるはずよ。基本的に貴方に表舞台に出てもらうつもりはないけれど、国が傾かざるを得ない事態になれば裏で動いてもらうことになるわ」


 腹心の及第点な回答に満足すると、リーゼロッテは話を続けた。


「ま、戦争が起こらないにしろ、今後は忙しくなるはずよ。今ごろは我が国にも勇者が降臨しているでしょうからね」


 ガルアーク王国が所有するブレイブストーンが本物ならば勇者はこの国にも現れているはずだ。

 現に光柱はガルアーク王国の王都の方角にも一本だけ立ち昇っている。

 そう遠くないうちにリーゼロッテもその勇者と面談することになるだろう。


「それにベルトラム王国で昇った光柱の位置関係からして、反革命軍も勇者を一人確保したみたいね。王政府は反革命軍の受け入れを了承したみたいだから、斥候と使者を送るように手配しておいてちょうだい。王都へ向かうなら確実にこの都市を通ることになるでしょうからね」

「御意に」


 答えて、アリアはその場から静かに姿を消した。

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