第47話 いつか訪れる別れに
冬が終わり、春がやって来た。
既に水汲み水車と水路の設置は完了し、水車は必要に応じて稼働し村へと続く水路へと水を流している。
そうやって水車が水を汲んで水路へと流していく光景に、村人達も当初は仰天していた。
だが、すぐにその利便性に慣れ、今では村の農作業に欠かせない存在となっている。
土壌の改良も完了しており、現在、リオは何人かの村人と一緒に今年の収穫の向けて種まきを行っているところであった。
「リオ~。私の担当している範囲は言われた通りに種まいたよ~」
「ありがとう。じゃあまだ終わってない人の作業を手伝ってあげてくれる?」
「了解!」
やや離れた位置から繰り広げられる二人の会話が周囲に響き渡る。
リオがルリに自分との関係を明かしてからというもの、二人は以前にもまして仲が良くなった。
もともとルリが人懐っこい少女であるというのもあるが、リオがルリとの喋り方を変えたことで、傍から見ると以前よりも気さくに接しているように見えるのだ。
若い村の女達は競うようにリオが口調を変えた理由をルリに尋ねたが、本当の理由を教えるわけにもいかず、適当にはぐらかして答えるしかなかった。
結局、ルリが「一緒の家に暮らしているわけだし、いつまでも堅苦しい喋り方は疲れるから止めてほしいってお願いしただけだよ」と述べただけである。
一応、納得できなくもない理由ではあったが、リオとルリが男女の仲になったのではないかと勘ぐる者達が増えることになる。
この二人の間柄の変化により、今まで密かにリオを狙っていた少女達も大半はそのレースから完全に脱退することになった。
(あの二人、やっぱり付き合ってたりするのかなぁ……)
だが、それでもまだ諦めきれていない少女がここにいた。
サヨである。
リオの手伝いを申し出て作業に取り組む彼女であったが、今はリオ達の様子が目について気が気でなかった。
ルリはリオのことを狙っていないとサヨは踏んでいたのだが、今の二人の関係を見る限りは考え直した方がいいのかもしれない。
いや、考え直さなければならないと強く感じていた。
なんといえばいいのかわからないが、二人の喋る様子を見ていると何か胸がもやもやするのだ。
ルリに対するリオの言葉遣いが他の村の女達では超えられない壁を現しているようで、サヨは不安で仕方がない。
「サヨさん、種まき手伝いましょうか?」
そうやってぼんやりとリオのことばかり考えていると、当のリオがサヨのところへやって来た。
「え、あ、リオ様! す、すいません! ボーっとしてて!」
リオが苦笑して手伝いを申し出てきたことで、サヨが我に返る。
慌てて周囲を見渡してみると、サヨの作業ペースが際立って遅いのは明らかであった。
それに気づき、サヨはほんのりと日焼けした白い顔を真っ赤にする。
「しっかり覚えてくださいね。自分が村からいなくなった後に、サヨさんにもこの種まきの仕方を村の皆さんに教えていただくことになりますから」
サヨがきちんと手順を覚えていないとでも思ったのか、リオがそんなことを言った。
「え……?」
リオの言葉を聞いて、寝耳に水と言わんばかりに、サヨの顔から血の気が引いた。
「あ、あの! リオ様! この村から出て行っちゃうんですか?」
既に種まき作業を始めているリオに慌ててサヨが尋ねる。
リオがこの村から出て行く。
そういえば、この村にリオがやって来て最初の頃に、そんなことを聞いた気がする。
だが、今の今まで、サヨはリオが村から出て行くという事実を完全に失念していた。
「はい。次の秋にはこの村を出ることになるはずです」
少し離れた位置でリオが答える。
どこか寂しそうな笑みを浮かべてはいるが、この村を出て行くというリオの意志に揺らぎは感じられない。
「次の秋……、そう……なんですか。行っちゃうんですね」
そんなリオの意志が伝わってきて、サヨが力弱く言葉を返す。
「どうかしましたか?」
サヨの返事が聞こえず、リオが不思議そうな表情を浮かべて尋ねた。
「あ、いえ! なんでもないです!」
慌てたようにサヨは首を振った。
もしかしたら急に落ち込んだように見えてしまったかもしれない。
だが、これ以上リオに迷惑をかけるわけにはいかないと、サヨは一生懸命に作業に没頭することにした。
そうしていなければ今すぐにでも泣き出してしまいそうだったから。
「みなさんお疲れ様でした! おかげさまで今日中に所定の作業を終えることができました。今日教えたことを忘れずに、来年からも同じように種をまいてください」
その日の作業を終え、あらかた教えるべきことを教えると、リオは作業の終了を宣言した。
ついでにこの場を借りて、リオは次の秋になればこの村を出て行くことを村人達に告げた。
村に来た当初に言っておいたことだが、ここで再度伝えることでリオが教える知識を意欲的に覚えてもらおうと考えたのだ。
水車と水路の功績もあって今ではリオの知識を疑う者は村の中にはいない。
すっかりリオの存在が当たり前になってしまったようで、村人達は衝撃を受けたようだが、取り乱す者は現れなかった。
時刻はもう夕方で、その場で村人達は解散していく。
「リオ! お疲れ様~。早く帰ろう?」
住む家が一緒のリオとルリは当然のように一緒に帰っていくことになる。
サヨが暮らす家は反対方向だ。
一緒に帰りましょうなんて不自然すぎてとても言えない。
サヨはルリが羨ましくて仕方がなかった。
「了解。ルリもお疲れ様。今日の夜ご飯は何にしようか?」
「あ、じゃあ残っている野菜を使って雑炊が食べたいなぁ」
楽しそうに喋りながら歩いていく二人の後姿を、サヨが呆然と眺める。
会話の内容からしてまるで夫婦のようだと、ぼんやりと考えた。
そのうちサヨもとぼとぼと帰路に着く。
その雰囲気は異様に暗く、道中ですれ違った村人達はみなサヨに声をかけることを躊躇うほどであった。
「っ……」
家に帰ると、膝から力が抜けて、サヨは玄関で座り込んでしまった。
そのまま地面にうずくまって、
「ただい……、お、おい、サヨ!?」
そこにちょうどシンが家に帰って来て、泣いているサヨの姿を目にする。
慌てたように声をかけるが、サヨが顔を上げることはない。
途中でシンとすれ違った村人達がサヨの様子がおかしかったと言っていたことを思い出し、慌てて声をかけた。
「どうした? 何かあったのか?」
サヨの反応は薄い。
シンは必死にサヨが泣く原因を考えた。
「あいつ……か」
サヨが泣く原因にシンの心当たりは一つしかなかった。
他の原因もあるのかもしれないが、これだけの感情の変化をサヨに起こすことができる人物は一人しか想像がつかない。
「リオの野郎……何しやがった」
サヨはリオから貰った
家の中でリオの話を振ってあげると嬉しそうに喋り出す。
両親が死んで以来、自分の前では気丈に振る舞い、見せることが少なくなった幼い頃の笑みを、最近では日常的に覗かせている。
だから、今サヨを泣かせている人物はリオに違いないと、シンはそう決めつけた。
「ち、ちがっ……。リオ様、悪くない……」
怒りで震えたシンの声がサヨの耳に届き、サヨが慌てて弁明した。
涙ぐんでいるせいで上手く声が出せていない。
シンからすればそんな妹の姿はいっそう怒りを湧き上がらせてくるだけだった。
「あんな奴、やっぱりこの村に来なきゃ良かったんだ」
言って、シンはひどい抵抗感を覚えた。
リオが来たおかげでこの村の暮らしは明らかに良くなっている。
リオが来ていなければルリはゴンにひどい目に遭わされていたかもしれない。
そうやってリオの存在を認めている自分が心の中にいるのだ。
だが、目の前で泣いている妹を見ると、それでもリオがこの村に来ない方が良かったんじゃないかと思わざるをえなかった。
そうであったなら、少なくとも今、妹は泣いていないはずなのだから。
「違う、違うから、リオ様が村から出て行くって……、それで……」
サヨはリオが悪くないこと説明しようとした。
だが正直に説明すればシンはリオが悪いと決めつけてしまうかもしれない。
「違くて、リオ様は関係ないから……」
それがかえって逆効果だということに気づき、サヨはすぐにリオは関係ないと言い直した。
しかし、もはや手遅れだ。
「あいつが村から出て行く……。それか……」
それが妹を泣かせている理由かとシンは合点がいった。
苦虫を噛み潰したような顔を浮かべる。
リオがいずれこの村を出て行くという事実はシンも知っていた。
最近では村に馴染みすぎているせいでそんなことはすっかり失念していたが、それはリオがこの村に来た当初から知らされていたことである。
臨時の村人にすぎないくせに村人達がへらへらと受け入れ、挙句にはルリと仲良くしていたからこそ、当初シンはリオのことが気に食わなかったのだ。
「……」
シンは考えた。
どうすればいい。
どうすればサヨは泣き止むのかと。
だが、自分はあまり物事を考える人間ではないと、シンは誰よりもそのことを自覚していた。
考えているうちに頭に血が上って来て、次の瞬間、シンはその場から走り出した。
考えるよりも直感に従って行動することにしたのだ。
「お、お兄ちゃん! ま、待って!」
後ろから制止しようとするサヨの声が聞こえたが、シンは構わず全力で走り続けた。
そうしてすぐにユバの家へたどり着く。
「おい、リオ!」
血相を変えて、家の扉を開き、シンはリオの名を叫んだ。
その姿に広間で夕食の準備を行っていたリオ、ユバ、ルリの三人が驚いたように目を見開く。
「リオに何の用だい?」
数瞬の間をおいて、訝しげな声でユバが用向きを尋ねた。
あのシンがリオに用事があるというのもかなり稀有な事態だが、その必死な形相から伝わってくる気迫も只事ではない。
いったい何の用事だというのか。
「頼む! 村に残ってくれ!」
言って、シンは土下座をした。
「なっ……」
リオ達が絶句する。
「勝手なことを言っているのはわかっている! だが、何も言わずに聞いてほしい。これからも村にいてくれないか!?」
サヨが泣いているんだ。
その言葉を口にすることはできず、シンはひたすらリオに頭を下げ続けた。
シンの突拍子もない行動にリオ達が二の句を継げずにいると――。
「お、お兄ちゃん! す、すいません! 兄がご迷惑をおかけして……」
そこに息を切らせたサヨがやって来た。
土下座しているシンの姿に目を丸くしたが、焦ったようにシンに声をかける。
「ほら、お兄ちゃん。リオ様達にご迷惑だから。ほら、ね?」
サヨがシンの身体を引っ張る。
ちらりと覗けた妹の素顔には精一杯の笑みが浮かんでいた。
その目じりには涙の痕もある。
口調はやんわりとしているが、その必死さが伝わってきて、シンは力弱く身体を持ち上げた。
「あ、ああ……。わりぃ」
その気迫に負けて、シンは呆然と謝罪の言葉を口にした。
「本当にすみませんでした! 兄とはきちんと私が話しておきます!」
サヨが深く頭を下げる。
シンも居心地が悪そうにその隣で一緒に頭を下げた。
頭に血が上るとシンが後先考えずに行動をしてしまうのはいつものことだ。
そうして何度サヨに迷惑をかけたかはわからない。
またやってしまったと、シンは何ともばつの悪い思いをしていた。
「……わかった。何があったかは今は聞かないでおくよ。それでいいかい、リオ?」
シンがこうして突拍子もない行動を起こすことがしばしばあることをユバはよく知っている。
そういった行動を起こす時にその背後にどんな理由があるのかについてもわかっている。
絶句したままのリオとルリを尻目に、深く頭を下げ続ける兄妹の姿を見て、小さく溜息を吐き答え、ユバはリオに尋ねた。
「はい。自分はかまいませんが……」
呆然と二人の兄妹が頭を下げているのを見て、何とも居たたまれない気持ちになり、リオは首肯した。
正直、リオも何がなんだかよくわかっていないのだ。
そろそろ節目だろうと村人達に自分が村を出て行く時期を告げた矢先にこれである。
しかもあのシンが自分を引き留めるなんて、その衝撃は大きかった。
二人が何でもないというのならば自分が突っ込んで聞くべき問題でもないのかもしれない。
その場で答えを出すことはできず、リオはユバの提案に従った。
「ありがとうございます!」
リオ達の言葉を受け、再度、礼を告げると、そのままシンはサヨに引きずられるようにして帰っていった。
「とりあえず食事にしようか」
その後ろ姿に深く溜息を吐くと、ユバが言った。
それを皮切りにおずおずとリオとルリも行動を開始する。
夕食はどことなくぎこちない雰囲気で、シンの行動が話題に上がることはなかった。
「リオ、ちょっと聞きたいことがあるんだけどいいかい?」
夕食後、片づけを終えると、リオはユバから話しかけられた。
「はい、なんでしょう?」
「あんたがこの村を出て行った後に何をしようとしているのか聞いてもいいかい?」
やがてリオが村を出て行くであろうことは滞在することが決まった当初から聞いていたが、その理由はこれまで深く尋ねてこなかった。
何となく気が引けてこれまで聞けなかった話題だが、今日はシンがあんな事件を起こしたばかりだ。
ユバはリオが村を出て行く理由の一つについて薄々と察しているが、リオの様子を見ていると他にもいくつか理由があるように思えた。
そこでユバは意を決して尋ねてみることにしたのだ。
傍で話を聞いているルリはじっとリオを見つめている。
「この村を出て行った後ですか……」
その質問に答えるのにリオは僅かに間を置いた。
村を出た後はシュトラール地方へ戻るつもりだが、その前に精霊の民の里に顔を出すことになるだろう。
シュトラール地方に戻ってからはルシウスの情報を集めるつもりだ。
それと恩師であるセリアに自分が無事であることを報告しておきたい。
セリアには一度だけ偽名を使って手紙を出しただけで、それ以降は何の接触もとっていない。
ベルトラム王国の貴族達とは肌が合わないが、セリアだけは別だ。
現在、ベルトラム王国内でのリオの扱いがどうなっているかは不明だが、今なら身の隠しようもいくらでも存在する。
セリアに会いにベルトラム王国に潜入するのもいいかもしれない。
「血は繋がっていないのですが、自分のことを兄と慕ってくれている子がいまして。その子に会いに行きます。あとは向こうに恩人もいますから、その人のところにも顔を出したいですね」
「へぇ、そんな子達がいたのかい」
初めて聞いたリオと親密な者達の存在に、ユバが興味深そうな声を出した。
ルリも関心を寄せているようだ。
「はい。妹は今は十二歳ですね。恩人の方はちょうど二十歳になっているはずです」
「ふむ、二人ともまだまだ若いね」
リオにそういった人物達がいるのは好ましいことだ。
その者達に会いに行くというのならばユバも引き止めるわけにはいかない。
「いつかこの村に戻ってくる気はあるのかい?」
「そうですね。いつになるかはわかりませんが、またこの村に顔を出したいなとは思っています」
そう頻繁に使えるものではないが、転移結晶で移動時間を短縮すれば、リオはシュトラール地方からヤグモ地方へ小旅行程度の感覚で来ることができる。
色々と繋がりもできたことだし、用事を済ませ、時間さえ許せばこちらに戻ってきたいという思いはあった。
「そうか。いつでも戻ってくるといい。もうあんたはこの村の一員として完全に認められているからね」
「……はい。ありがとうございます」
温かな微笑を浮かべるユバに、リオは気恥ずかしそうに礼を告げた。
そんなリオの笑顔にユバは微かに寂しそうな笑みを浮かべ直す。
「それと今日のシンのことだがね。どうしてシンがあんな行動に出たのかは薄々と予想はつくわけだけど……」
「あー、うん。よくよく考えると私もその件に関わっているような気がする」
ちらりとリオに視線を送ると、ルリが苦笑いを浮かべて同意した。
リオはその意味がいまいちよくわかっていないようで、首を傾げている。
そんなリオの反応に二人は苦笑した。
「今度、私の方からそれとなく話してみるよ。あんた達はあまり立ち入ったことは聞かないで今まで通りに接してあげてくれるかい?」
「うーん。私としてはちょっとサヨと話しておきたいこともあるんだけど……、とりあえずはおばあちゃんに任せてみるよ」
複数人が同時に事情を聞きにいくのは好ましくないと考えたのか、ルリはやや不承不承の
「ええ、自分も承知しました」
いまいち腑に落ちないところはあったが、リオも承諾の返事をし、その場は解散することになった。