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精霊幻想記(Web版) 作者:北山結莉

第三章 両親の故郷の地で

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第44話 祖父母との面談

 ゴウキ達が村へやって来てから二日後。

 アヤメの過去の処遇からリオの存在は公にすることはできず、リオと国王夫妻との会談は秘密裏に行われることが決まった。

 現在、リオは客人として王城に滞在しており、その素性を知る者はリオを案内したゴウキ達と国王夫妻のみである。

 うかつに知らせると騒ぎが生じかねないため、事情を知る一部の上層部の人間達にすらその素性を教えていない。

 そして、今まさに、カラスキ王国の王城にある一室で、リオは自らの祖父母である国王夫妻と密会しようとしていた。

 ゴウキとカヨコに案内され、部屋の中に踏み入ると、リオは国王ホムラと王妃シズクに出迎えられた。


「おぉ、そなたがリオか」


 歓喜の笑みを浮かべ、なめらかな声で、ホムラはリオの名を口にした。

 シズクは感極まったようにリオの顔をじっと見つめている。

 二人に会うまで、いったいどのような人物なのだろうかと、リオは想像をめぐらしていたが、どこか品を感じさせるものの、予想外に気さくな印象を夫妻に抱いた。

 その表情は柔らかく、爛爛らんらんと光り輝く目の奥には、リオに対する慈愛の念が籠っている。

 これから先に高確率で語ることになるかもしれない話のことを考えると、その温かな表情が痛々しくて仕方がなかったが、リオは何とか平静を取り繕った表情を浮かべた。


「はっ。お初にお目にかかります。リオと申します」


 慇懃な所作で畏まったようにリオが挨拶をする。

 緊張した様子は見てとれず、非常に落ち着いた口調であった。


「可愛い孫との再会なのだ。公式な場でもない。そのような無粋な作法はよしてくれ」

「そうですとも。貴方は私達の孫なのですよ」


 そんなリオの余所余所しいともいえる態度に寂しさを覚えたのか、国王夫妻は困ったような表情を浮かべた。

 リオは苦笑めいた表情を浮かべて夫妻の言葉に応える。

 いきなり自分の母が王族だと言われて、ならば自分も王族だと、笠に着るような真似が出来るほどにリオの神経は図太くない。

 リオはどう接すればいいのかを計りかねていた。


「我々も戸惑いがないと言えば嘘になる」


 そんなリオの考えを察したのか、ホムラはなめらかな声でそんなことを言った。

 どうやら戸惑っているのは国王夫妻も同じようである。


「だが、こうして巡り会えたことを嬉しく感じているのは確かだ」


 言って、ホムラは柔らかな笑みを浮かべた。

 シズクもそれに賛同するように深く頷いている。


「まずは長年会うことのできなかった家族の親交を温めようではないか」

「ええ、言いたいこと、聞きたいこと、たくさんあります。密会できる時間は有限ですが、精一杯お話をしましょう」


 真っ直ぐにリオを見据えて、国王夫妻は心から安らいだ表情を浮かべた。


「はい」


 最初からいきなり重たい話をするのも気が引ける。

 束の間とはいえ、今は少しでもそれを語るにあたって心の準備をしたい。

 そう考え、リオは僅かに相好を崩し、返事をした。


「まずは席に座ってくれるかな?」

「はい、失礼します」


 ホムラに勧められ、リオが席に着く。

 すると、待ちきれないと言わんばかりに、二人はリオに向かって話しかけた。

 繰り広げられるのは当たり障りのない話ばかりだ。

 意図的に避けているのではないかというくらいに、アヤメとゼンに関する話題が出てくることはない。

 二人から投げかけられる言葉に、落ち着いた口調でリオは答えており、緊張のそぶりもなく、時折、出されたお茶の入った容器を見下ろしていた。


「貴方の雰囲気は本当にアヤメによく似ているわ」


 柔らかく静謐せいひつなリオの雰囲気に、今は亡き娘の面影を重ねたのか、シズクが穏やかな笑みを浮かべて言った。

 ふと、出された母の名に、リオが僅かに目を見開きシズクを眺める。


「そうなのでしょうか?」


 不思議そうに疑問を口にしながらも、リオはじっとシズクを見据えている。

 精霊術を扱えるおかげで、シズクの容姿はまだまだ若々しい。

 仮にアヤメが生きていたとしたら、歳の離れた姉妹といえば通じそうなくらいだ。

 リオの記憶の中にあるアヤメが歳を重ねたら、こういった女性になるのではないかと想像できる人物だった。 


「ええ、そうよ」


 そんなシズクがリオに微笑んだ。

 その柔らかい笑みに引き込まれるように、リオも薄く微笑む。

 この笑顔だけでシズクの人柄がよくわかる。

 リオはシズクに亡き母の面影を感じとった。


「聞かせてくれるかしら? アヤメとゼンのことを」


 それまでと打って変わって顔つきを引き締めると、シズクはその話題を口にした。

 決して興味本位からくる質問ではない。

 既に二人が死亡したという情報はホムラとシズクにも届いているはずだ。

 その具体的な死因を知らぬとはいえ、国を去って遠い異邦の地へ向かったゼンとアヤメが過酷な人生を歩んだであろうことは容易に想像ができるはずだ。

 だから、軽々しい思いで質問したはずがなかった。

 質問を投げかけたのはシズクだが、ホムラの目にも決然とした覚悟をのぞくことができる。


「二人が亡くなったのは自分が幼少のみぎりです。父については母から伝え聞いたことしか知りません。記憶もあいまいな部分もありますが、それでもよろしければ……」


 と、胸を締め付けるような心の動きに抗いながら、リオは言った。


「もちろんかまいません」 

「……わかりました」


 二人の真摯な視線を受け止め、小さく深呼吸をすると、リオはゼンとアヤメについて差しさわりのないことを語った。

 その内容はユバに対して語った事とほとんど同じだ。

 ゼンに関して語れることはほとんどなく、アヤメに関しての話が中心となる。

 リオが語るアヤメの話に、ホムラは懐かしそうな表情を浮かべ、シズクはそっと涙を流した。

 話は進んでいき、やがてアヤメの死について語られることになる。


「そして自分が五歳の時に母が亡くなりました」


 強姦の末に殺されたという事実を教えるのはやはりはばかられ、リオは事実を抽象化して死んだという結果だけを伝えた。


「五歳の時に……、それでは……、貴方はそれからどのように生きてきたというのですか?」


 おそるおそるとシズクが尋ねる。

 リオとしては母の死因を突っ込んで尋ねられるかと思っていたが、どうやら自分が五歳で孤児になった事実の方がインパクトが強いらしい。

 ユバに話した時と同じだった。

 心の中でほっと息をついて安心する自分がいることにリオは気づいた。


「……孤児です。王都にあるスラムで暮らしていました」


 飄然ひょうぜんと、リオはかつて自らが孤児だった事実を口にした。

 自らの過去の境遇に一切不満を感じさせないその物言いに、夫妻は僅かに圧倒される。


「っ……」


 だが、すぐにシズクが泣きそうな顔を浮かべた。


「といっても孤児だったのは七歳の時までですが」


 リオが苦笑いを浮かべながら告げる。


「そうか……、では、七歳からはどのように生きてきたのだ?」


 ホムラがその後のリオの生活について尋ねた。


「七歳からはちょっとした事情もありその国の教育機関に通うことになりました」


 話題は自然とリオのことに移っていく。


「教育機関にか? 我が国もそういった場所はあるが、その……」


 とても孤児が通えるような場所ではない。

 そういった機関は一部の富裕層に向けて設立されたものだからだ。

 どこの国でもそう違いがあるようには思えない。

 どうして孤児だったリオがそんな場所に通うことになったのか、それを尋ねようとしたが、ただならぬ事情が透けて見え、ホムラは言葉を濁した。


「たまたまその国の偉い人を助ける機会があって、その関係で教育を受けさせてもらえることになったんです」


 と、その背後にある詳しい事情は伏せて、リオはその経緯を説明する。


「そうか……、逆境にもめげずにそうやって他者を助けることできたことは誇っていいはずだが……」


 嘘は言っていないのだろうが、リオは何かを隠しているのではないか。

 そんな疑問をホムラは抱いた。

 薄らと目を細め、リオの表情に変化がないか探る。

 だが、王として多くの人間と接してきた歴戦のホムラをしても、リオの感情を読み取ることはできなかった。

 その間にもリオは滔滔とうとうと王立学院での話を述べていく。

 リオの話を聞かなければならないと、ホムラはその疑問を一先ず捨て置いた。


 学院生活で貴族達からいじめを受けていたことについて触れることはせず、リオはセリアにお世話になった話を中心に語っていった。

 そうやって苦労話を一切語ることのないリオだが、元孤児がそのような場所にいて苦労しないはずがない。

 リオがあえて辛い話をしていないことに薄々と気づき、夫妻はどこか沈痛な表情を浮かべて話を聞いていた。


「それから、まぁ色々とありまして、父と母を故郷の地で弔おうと思い、十二歳の時にヤグモへ向かいました」

「……本当に苦労をしてきたのだな」


 唸るようにホムラが呟いた。

 抽象化されて事実を聞くだけでも、リオの生い立ちが凄絶せいぜつなものだということは嫌でもわかる。

 五歳で孤児になり、十二歳の身で両親を弔うためにシュトラール地方からヤグモ地方へ渡ろうなどと、普通は考えることすらしないはずだ。

 部屋の中で黙って話を聞いているゴウキとカヨコも難しい顔を浮かべている。


「いえ、この国にやって来て本当に良かったです。父と母の過去について知ることができました。それだけでもこの国に来た甲斐があったというものです」


 軽く笑いを浮かべ、一同が感じているであろうやりきれない気分を払拭するように、リオが澄んだ明るい声で言った。

 そんなリオの笑みにホムラ達は息を飲む。


「そうか……」


 かろうじて苦笑を浮かべると、ホムラは目を瞑り押し黙った。

 決して短くない沈黙が室内に降りる。

 深く深呼吸を行うと、ホムラはリオが濁した事実を尋ねるために口を開いた。


「ところで、ゼンの死因についてはともかく、アヤメがどうやって死んだかについては聞いていない。その話を教えてくれないか?」


 濁したということはそれを教えたくないということだ。

 どうしてリオがそれを隠すのかは予想はつくが、ホムラは聞かなければならなかった。


「……あまり面白い話ではないかと思いますが」


 ホムラ達に警戒を促す意味も込めて、リオは遠まわしにその覚悟の程を尋ねた。

 本当に聞きたいのか、と。

 聞けば確実に胸糞が悪くなるような話だ。


「我々はそれを知らなければならない。あの子達を国から追いやり、そなたにまで苦労をかけてしまった我々はな」

「ええ、貴方にその事実を語らせてしまうことが残酷なことだとわかっていても、私達は聞かずにはいられないの。ごめんなさい……」


 かすかにうなだれて、だが、強い意志を感じさせる落ち着いた口調で、シズクは言った。

 それを聞くことで辛い過去を思い出させ、リオに不快な思いをさせてしまうことは夫妻にもわかっている。

 それが自分勝手な選択だとわかっていも、リオから罵られるかもしれないと思っても、それでも二人はリオにアヤメの死について尋ねることを選択した。


「そうですか……」


 と、リオが力弱く呟く。

 何かを戸惑うように目を瞑り、小さく深呼吸を行う。


「母は……殺されました。俺の目の前で」


 そうして心を決め、リオは端的に事実を告げた。


「っ……」


 ある程度予想はついていたものの、ホムラ達は大きな衝撃を受け、その動揺を隠すことはできなかった。

 彼らがその動揺を抑えるのに時間を置く必要があることは明らかだが、リオは母が死んだ当時の状況を語り始めることにした。


「まず、母を殺した人物はルシウスという名の男です」


 リオの父であるゼンが死んでから五年の間、リオはベルトラム王国にある質素な家で母アヤメと二人で暮らしていた。

 最愛の夫には先立たれ、アヤメに残ったのはまだ赤ん坊のリオだけだ。

 働こうと思っても赤ん坊のリオを置いて外に行くことはできず、貯えを切り崩して生活を送るしかなかった。

 幸いゼンもアヤメも浪費家ではなかったため、リオがある程度成長するまでの間ならなんとか生きていけるくらいの蓄えがあった。

 だが、生活は予想以上に大変で、ちょっとした買い物へ行くにしてもリオから目を離すことはなかなかできない。


 そんな時にアヤメを助けてくれたのがルシウスという名の冒険者の男だった。

 ルシウスとアヤメが初めて出会ったのはベルトラム王国の冒険者ギルドへと最初に訪れた時だ。

 腕は立つがいまだ異国の地に慣れぬ異邦人のゼンとアヤメに声をかけて、あれこれと面倒を見たのがルシウスである。

 アヤメがリオを身籠った時も積極的にゼンに割の良い仕事を紹介し、時には一緒のパーティを組むこともあったようだ。


 一見すると無精髭の目立つ粗野な容貌のルシウスだったが、その振る舞いは実に紳士的であった。

 ゼンの死亡後には一人でリオを育てるアヤメの日常生活をルシウスは援助した。

 リオもルシウスが母のもとによく訪れていたのは覚えている。

 気さくな雰囲気でリオと遊んでくれたりもした。


 だが、それらはすべて演技だった。

 リオが五歳になったある日、どうしても外出しなければならない用事が出来て、アヤメはルシウスにリオの子守りを任せることになる。

 その日、ルシウスは人が変わったように冷酷な人物へと豹変した。


 アヤメが消えた直後、ルシウスはそれまで抑えつけてきた感情を爆発させたかのように愉悦に染まった表情を浮かべた。

 そんなルシウスの顔を間近で見て、リオが恐怖を覚え思わず後ずさる。

 だが、ルシウスは足を前に踏み出し、リオの腹を勢いよく蹴りつけた。


「がっ」


 鈍い声を漏らし、まだ幼いリオの身体が勢いよく宙に舞う。

 そのすぐ後にすさまじい衝撃がリオの全身を襲った。


「おーい、もう入ってきていいぜ」


 腹を抱えて苦しむリオを放置して、家の外に出ると、ルシウスは見知らぬ男達を家の中に招き入れた。

 朦朧もうろうとした意識でリオがその光景を眺めている。

 どうして自分は腹を蹴られたのか。

 あの優しかったルシウスはどこに消えたのか。


「ど……し……て?」


 息も絶え絶えに、リオは疑問を口にする。


「どうして? んなもん食べごろになったからに決まってんだろ」


 言って、我が意を得たとばかりに、ルシウスは口元を歪めた。


「そういうわけだ。リオ君、少しお寝んねしてようか」


 妙な薬品の染みた布で口をふさがれ、リオが意識を失った。

 そして、リオが目を覚ました時、アヤメはルシウスに犯されていた。

 当時のリオにはルシウスが何をしていたのかを理解はできなかったが、アヤメが嫌がっていたことだけはわかった。

 目覚めたことに気づくと、ルシウスはリオに見せつけるようにアヤメを犯し続けた。

 アヤメは嫌がっていたが、リオに害を加えると言われれば、黙って言うことに従っていた。


「おい、こいつをスラムにでも捨てて来い」


 ルシウスの手により首を絞められアヤメが死に、すべてが取り返しのつかないことになった時、ルシウスは取り巻きの男にリオをスラムに捨ててくるように告げた。


「へっ、処分しないんですか?」


 不思議そうな顔をして男が尋ねる。


「おいおい、そんなことしたら面白くねぇじゃないか。こいつはまだ収穫期じゃないぜ」

「し、収穫期ですか?」


 随分と上機嫌なルシウスに、男は上ずった声を出した。


「もし生き延びたらこいつは俺に復讐しに来るかもしんねぇ。そういう輩を返り討ちにすると極上に美味ぇんだ」

「は、はは……」


 ぼんやりとした意識の中で、狂気に染まったルシウスの暗い笑みが、リオの視界に写った。

 それから、リオはスラムに捨てられ、曖昧な記憶で王都中を歩き回ってようやく家に戻ったが、家の鍵は固く閉じられ、私財もすべて無くなっていた。

 まともな戸籍が存在しない以上、リオがアヤメの息子であると証明する手段もない。

 そうして、リオは二年もスラムを彷徨さまようことになった。


「以上です」


 静かに微笑みながら、冷たく、淡々とした口調で、リオは話の終わりを告げた。

 室内には暗澹あんたんとした雰囲気が流れている。

 ホムラは震えながらじっと目を閉じ、シズクは顔を伏せて泣いていた。

 ゴウキは憤怒を露わにした表情を、カヨコは氷のように冷たい表情を、それぞれ浮かべている。

 そんな彼らをリオはじっと見つめていた。


「リオよ、そなたは我々のことを恨んでいるのだろうな……。アヤメをそのような目に遭わせた我々のことを……」


 リオの沈黙に耐えかねたように、何らかの感情をぐっと押し殺したような声で、ホムラが呟いた。


「恨んでいます」


 僅かな逡巡しゅんじゅんさえなく、リオはきっぱりと言い切った。


「っ……」


 罵られる覚悟もしていたのであろうが、その一言はホムラ達の胸に深く突き刺さり、ビクリとその身体が震わせた。

 だが、数瞬の間をおいて語られる次の言葉が彼らを現実に引き戻す。


「と、言う人がいてもおかしくはない状況なのかもしれませんが、別に自分は貴方達のことを恨んではいません」


 リオは苦笑していた。

 そんなリオを呆然とした面持ちでホムラ達が眺めている。


 では、どうしてリオはホムラ達を驚かせるような真似をしたのか。

 リオはホムラ達の少々的外れな加害者意識に呆れを抱いたのだ。

 こうやって驚かせて灸を据えるくらいのことをしてやりたいと思うくらいに。


「本当に貴方達に恨みなんて抱いていないんですよ」


 言って、どこか悲しげな微笑を浮かべながら、リオは首を左右に振った。


「ゴウキ殿から当時の状況を聞いた限り、父と母が国を出たのは仕方がなかったというのもありますが――」


 面子のために国から追いやられたとはいえ、ゼンとアヤメは望んでこの国を出て行ったはずだ。

 国を出なければ二人が結ばれることはなかったのだから。


「自分は短かったとはいえ母を身近で見てきましたから――」


 リオは知っている。

 アヤメは国を出たことを後悔なんてしていなかった、と。


「だから、母は幸せだったと断言できます。貴方達を恨むのは筋違いでしょう」


 母との想い出を偲ぶように、リオは遠い目を浮かべた。

 ゼンが亡くなっても、アヤメは自らの人生を嘆くことはなかった。

 アヤメはゼンと過ごした日々を大切にし、ゼンの分までリオに愛情を注いでくれた。

 リオと接し、ゼンのことを語る時、アヤメの表情は本当に幸せで満ちていて、辛そうな顔つきをリオに見せたことなんて一度もなかった。

 そんな彼女が国を出たことを後悔しているはずがなく、ましてやホムラ達を恨んでいるはずもない。

 ならば、自分がホムラ達を恨むのは的外れだ。

 恨むべきは母を殺した人物だろう。


「っ、そうか……」


 リオの言葉に、身体を震わせ、ホムラは深くうつむいた。

 先ほど恨んでいると言われた時よりも、今のリオの言葉は胸に深く突き刺さった。

 自分の無力さに本当にどうしようもないやるせなさを覚える。


「アヤメ……」


 シズクのすすり泣く声が室内に響く。

 いや、シズクだけではない。

 この場にいるリオ以外の誰もが目に涙を浮かべていた。

 そうしてどれ程の時間が流れたのだろうか。

 やがてシズクの泣き声も収まり、室内に静寂が訪れた。 

 ある時、ホムラがうつむかせていた顔を上げて――。


「ルシウスといったか。リオよ、そなたはその男のことを……。その男に復讐をするつもりか?」


 ふと、せきを切ったように、そんな言葉を口にした。

 それは大切な者を奪われたものなら誰もが抱く感情だろう。

 だから、ホムラがこの質問を投げかけたのは必定であったのかもしれない。


「はい」


 予想していた答えに、やりきれない表情を浮かべ、ホムラは内心で深く息を吐いた。


「そうか……。儂とてその男のことは憎い。だが、そなたがその道を歩むというのならば言っておかなければならないことがある」


 言って、ホムラはリオの覚悟の程を見定めるように目を細めた。


「なんでしょうか?」


 そんなホムラの視線を真っ向から受け止め、リオが尋ねる。


「復讐は正義ではない。復讐は復讐を呼ぶこともある。そのことを理解してはおろうな?」

「はい」

「そうか、それでも殺すか?」

「ええ、あの男が今ものうのうと生きているのならば自分の手で殺します」


 端正な顔を少しも歪ませることなく、落ち着いた明瞭な声で、リオは淡々と自らの意志を表明した。

 その瞳には復讐に囚われた執着心は存在せず、気の迷いといったものも存在せず、何かを気負ったところもない。

 それは、この世に絶対的な価値観が存在しないと知りながらも、自らの価値観を貫き通すと決めた者の目だ。


「そうか。ならば儂はそなたの復讐を止めまい」


 人の感情は綺麗事で流せるほどに軽いものではない。

 もしリオが己を見失っていたというのならば、祖父として辛い道を進まぬように誘導するような発言をしたであろう。

 だが、今のリオにはそんな真似をしても意味はない。

 国王として長年生きてきた経験でホムラはそのことを理解していた。


「……だが、そなたにその意志を成し遂げるほどの強さがあるのかを知りたい。ゴウキと手合せをしてみてはくれんか?」


 数瞬の沈黙の後、ホムラはそんなことを言った。

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