第40話 カラスキ王国王都
村を出発した日の夕方、リオ達はカラスキ王国の王都に辿り着いた。
王都の面積は六百ヘクタール程で、人口は三十万人と、ヤグモ地方では最大クラスの規模を誇る。
ちなみにシュトラール地方に存在する各国の王都と比べると、中堅の規模である。
周囲は城壁に囲まれており、城門には門番がいる。
王都に暮らす以外の人間で、行商目的で都市の中に立ち入るには、通行税を支払う必要があった。
ドラが税金を支払うと、納税証明証が発行される。
これがあれば一定期間の間は自由に王都の中を出入りすることができるのだ。
馬車を預けると、リオはドラとシンと一緒にゴンを拘束したまま兵士の宿舎に連れていくことになった.
その一方で、残りの者達は今夜宿泊する簡易宿泊所を押さえに行くらしい。
簡易宿泊所とは国が運営する集団向けの宿泊施設だ。
素泊まりになるが、大勢で宿屋に泊るよりかはだいぶ費用を安く済ませることができる。
後で合流することを約束し、他の村人達と別れると、ドラが先導し、リオとシンでゴンを囲み兵士の宿舎へと向かった。
王都の中は建物が雑多に立ち並んでおり、道の幅はそれほど広くはない。
人はそれなりに歩いており、なかなか活気がある。
だが、そんな王都の風景をゆっくりと観察するような空気でもなかった。
先ほどから隣でシンとゴンが罵倒し合っているのだ。
シンがいちいち噛みつくせいで、ゴンも気を良くしておちょくっているという悪循環に陥っていた。
精霊術で眠らされて目覚めて以降、ゴンはリオと視線を極力を合わせないようになり、リオに向けて悪態を吐くことはなくなった。
どんな心境の変化があったのかはわからないが、シンに対しては相変わらずの態度であるようだ。
悪態をつくゴンに呆れるリオ。
これから自分がどうなるかわかっていないのだろうか。
犯罪奴隷になればゴンの寿命はどんなに長くても数年で終わりを迎える。
それなのにこうして人に害悪をまき散らして悦に入る真似しかしていない。
状況を楽観しているだけなのか、それとも開き直っているのか。
いずれにしても相当な神経の図太さである。
(まぁ、どうでもいいか)
たしかに自分の身内であるルリに危害を加えようとしたゴンは許せない。
しかし、自分が手を加えるまでもなくそう遠くないうちにこの男は確実に死ぬのだ。
ゴンが何の処罰も受けずにのうのうと暮らしていけるというのならば手を下すだろうが、筋が通って確実に処罰を受けるのならばそれでいいと、リオはゴンに興味を失っていた。
「へっ、ルリの柔肌は極上だったぜぇ。シン、お前あいつの地肌に触れたことなんてねぇんだろ?」
シンが嫉妬でもすると思っているのか、ゴンがそんなことを言い出した。
安い挑発だった。
「なんだと!?」
だが、その安い挑発に乗ってしまうのがシンという青年だった。
リオはゴンがそんな真似をする暇もほとんどなかったことを知っているが、シンは、案の定、顔色を変えてゴンの言葉に食いつく。
「ふん、なんだ。お前、やっぱりあいつのことが好きなんだろ? 残念だったなぁ。俺が汚した後でよけりゃ、あの女を口説いてみろよ、ははは!」
そんなシンの反応にさらに気を良くしたようで、得意げな表情を浮かべて、ゴンがケラケラと笑いながら言った。
「ちっ、テメェ……」
シンが剣呑な空気を纏ってゴンを睨みつける。
いつ殴りかかってもおかしくないような不機嫌さを身に纏っていた。
二人の言い争いは目立っているようで、かなり周囲の注目を集めている。
この国では珍しい恰好をしているリオと、縄で後ろ手に拘束されて連れられているゴンが目立っているのも大きい。
周囲から多くの視線を感じて、リオが小さく溜息を吐く。
ドラはどう思っているのか知らないが、黙々と先へ進んでいる。
「ったく、何言ってんだ、お前ら。ほら、着いたぞ」
リオが流石に注意しようかと思い始めたところで、二人の言い争いに呆れたような表情を浮かべ、ドラが目的の地に着いたことを告げた。
現在地は王都の中心部にほど近く、王城のすぐ側である。
そこには、一際、大きく、堅牢な建物があった。
どうやらこれが兵士の宿舎らしい。
「入るぞ。付いてこい」
「ちぃ!」
ゴンの首に着けられた紐を引っ張り、リオが宿舎の中へと入っていく。
ちらりと横目から冷めた目つきで眺めてきたリオと視線が合うと、ゴンは顔を歪めて小さく舌打ちをし、そっぽを向いた。
「何用だ?」
宿舎の中に入ると、兵士がリオ達に声をかけてくる。
「強姦を働こうとした犯罪者を連れて来たんでさ。証人はここにいる三人で、罪人はあいつです。徴税官のサガ=ハヤテ様が証人になってくれると仰ってました」
落ち着いた口調でドラが手短に事情を説明する。
ハヤテの名が出ると目に見えて兵士が驚いたような表情を浮かべた。
「なるほど。サガ様が証人になるというのならば間違いはなさそうだな。事情を聞かせてもらってもいいか?」
「もちろんです」
兵士に案内されて、四人は取調室のような部屋へと連れて行かれた。
そこでゴンがどのように強姦を働こうとしたのかを語っていく。
「まさかサガ様が滞在している家に忍び込んで犯罪を働こうとする愚か者がいるとは……」
その蛮勇に、兵士は呆れたような視線をゴンに向けた。
話の信憑性を確かめてみるためにハヤテに聞いてみる必要もあるだろうが、証人として徴税官を用意したなどと嘘をついて他人に冤罪を着せればすぐにわかってしまうし、バレれば重罪となる。
そのこともあってドラ達の話をそのまま信じることにしたようだ。
「一応、サガ様から事情を聴く必要もあるだろうが、本人も開き直っているようだし、この場で有罪としよう。いくらで買い取るか審査してくる。少し待っていてくれ」
「承知しました」
慣れた手つきでゴンに首輪を嵌めると、兵士はゴンを引き連れて部屋の外へと出て行こうとした。
去り際にリオに向けて唾を吐きかけてきたが、リオが精霊術で見えない風の障壁を作ると、あっさりと防がれる。
「くそがっ! 人を見下したような目しやがって!」
最後の抵抗と言わんばかりに、感情を爆発させて、ゴンはリオを怒鳴りつけた。
「その余裕こいた目が気にくわねぇんだよ!」
「おい、黙れ!」
「がっ」
暴れ喚くゴンに、手に持っていた槍の太刀打で、兵士が頭を殴りつける。
なかなかの力で殴りつけたようで、ゴンは大きくバランスを崩した。
「ちくしょうがぁ……」
うなだれ、心底悔しそうに、ゴンは力弱く呟いた。
これがリオ達の聞いたゴンの最後の言葉となる。
「行くぞ」
荒っぽく縄を引っ張られると、ゴンはふらふらと兵士に連行されていった。
兵士とゴンが部屋の外に出ていき、室内に静寂が降りる。
「ま、若いうえに、体格良いし、健康状態も良いときてる。それなりの値段で買い取ってくれるだろ」
そんな辛気臭い空気を打ち壊すように、ドラが朗々とした声で言った。
「……そうだといいですね」
小さく溜息を吐き、リオは苦笑めいた表情でそれに乗っかった。
「あの野郎、少しでも高く売れないと気が晴れないぜ。クソがっ!」
だが、シンだけはゴンに対する憎悪をいまだに抑えつけられないようで、やるせない怒りを発散させるように、大声で叫んだ。
「まぁ、あいつは犯罪奴隷になるんだ。碌な死に方はできねぇさ。それにあっちの村から慰謝料もとれた。気持ちはわかるが、そこらへんにしておけ。疲れるだけだぞ」
年長者だけあって、こういった事態にはドラの方が耐性があるようだ。
ストレスに対する受け流し方を心得ている。
その言葉で不機嫌さを若干押さえたようだが、シンは終始ムスッとしていた。
三十分ほどすると、部屋の中に先ほどの兵士が一人で戻って来る。
「これが売却金だ。良かったな、最高値で売れたぞ。金銭十枚だ」
金銭は一枚もあれば王都でひと月は何もせずに一人で遊んで暮らせる価値がある。
十枚もあれば平均的な王都の家庭が一年は暮らすことができるだろう。
一般奴隷として売却すれば少なくともこの数倍の値段はついてもおかしくないのだが、犯罪奴隷は消耗品扱いされているゆえに値段は安くなってしまうのが常だった。
ちなみに、犯罪奴隷の値段は、マニュアルに従って状態を確認し、等級を決めて、既定の代金を支払う決まりになっている。
「ありがとうございます。行くぞ」
差し出された金銭十枚を大切にしまうと、ドラはリオとシンを引き連れて宿舎から立ち去った。
「暗くなってきたし、まっすぐ俺らが泊まる宿泊先に行くとするか」
言って、唯一この中で王都の地理に詳しいドラが歩き始めた。
それにリオとシンが続く。
二十分ほど歩くと、宿泊施設が密集している区域にやって来た。
宿屋だけでなく、簡易宿泊所もこの中にあるようだ。
「お、あそこみたいだな」
外で待機している村人の姿を発見し、ドラが言った。
簡易宿泊所はそれなりの数が建っているが、一定数以上の人間がいる団体しか利用することはできない。
建物の中には簡易台所と寝室となる部屋しかなく、一つの建物で三十人くらいまでなら同時に寝ることができる。
「お疲れさん。待ってたぜ。今日はみんな外に飯を食いに行くことになった。荷物を置いたらお前らも行ってこいよ」
どうやらリオ達がやって来た時に備えて、宿泊所の外で待機していてくれたようだ。
一つの団体で一つの簡易宿泊所を利用できるとはいえ、盗みに入る者達もいる。
その見張り番としての役割もあった。
「おう。ありがとな。じゃあカムタンでも食いに行くか」
「マジか? やったぜ!」
リオの聞きなれない料理の名をドラが口にすると、先ほどまでの不機嫌さも吹き飛んだのか、シンが喜びの声を上げた。
ドラがシンの反応に僅かに苦笑する。
「カムタンですか?」
「おう、リオはカムタンを食うのは初めてか。なかなか村で作ることはないが、この地方じゃ伝統的な料理よ。小麦を使った細い加工食材を茹でて、スープに入れて食べるんだ」
「へぇ、美味しそうですね」
カムタンという名称は聞いたこともないが、その説明を聞いて、リオの中で何となく料理のイメージができた。
そのまま宿泊所の中に入って荷物を降ろすと、リオはドラとシンの三人でそのカムタンを食べに行くことになる。
「あそこの店にすっか」
「どこでもいいよ。早く入ろうぜ!」
どこの店が美味しいかなど全く分からないので、リオはドラの案内に従うことにした。
シンも王都に来たのはまだ二回目で店には詳しくないようであるが、カムタンは大好物のようだ。
急いて店の中に入っていくシンに苦笑しながら、リオとドラがその後を追っていく。
店の中は賑わっており、どの客も箸を使って麺料理を啜っていた。
その光景にリオの予想は外れていないことを悟る。
とはいえ、どういったものがお勧めかわからないので、リオはとりあえずドラに注文を一任してみることにした。
「カムタンを三人前頼む。大盛りでな。肉もトッピングしてくれ」
「はいよ!」
料理の完成を待っている間に、ドラとシンからカムタンの特徴を聞いていく。
それは間違いなくラーメンであった。
他にもうどんやそばに似た料理もあるようだ。
とはいえいずれも名称は地球とは異なる。
この地方の郷土料理らしく、古くから食べられている料理なので、以前シュトラール地方で見つけたパスタのように、製作者が転生者である可能性は低いように思えた。
「へい、カムタン三丁おまち!」
やがて店員がどんぶりに入ったカムタンを持ってきた。
透き通った醤油ベースのスープに縮れ麺が入っており、ホカホカと香ばしい香りを立ち昇らせている。
麺の上に大量に乗った肉はチャーシューとは少し違う見た目をしているが、特に気になるようなものではなく、これはこれで美味しそうであった。
「カムタンは音を立てて食うのが粋ってもんよ」
得意顔で説明すると、シンはカムタンを勢いよく
元が日本人のリオだから啜る行為に抵抗がないが、シュトラール地方にしろ、ヤグモ地方にしろ、音を立てながら食事をする行為は階級を問わず行儀が悪いと嫌われやすい。
だが、ヤグモ地方において、このカムタンだけは例外的に庶民の間では音を立て啜って食べられるようになっていた。
そんな彼らに倣ってリオも慣れた様子でカムタンを食べる。
それは混じりけのない非常にシンプルなスープだった。
標準的な日本風の醤油ラーメンとは少々味付けが異なり、若い日本人ならもう少し濃くて複雑な味を好むだろう。
だが、久々に食べたラーメンにリオは胸を熱くした。
ゆっくり、じっくりと味わいながら、僅かにご機嫌な様子で、リオは空腹を満たした。