第39話 王都へ向けて
村の交易隊が王都へ向けて出発する日がやってきた。
時刻は早朝、広場には出発する者達とそれを見送る村人達が集まっている。
すぐ側には交易品が詰め込まれた馬車が十台ほど停まっており、その中に、この村の交易品だけでなく、ゴンの村の交易品も積まれていた。
王都に向かう人員は十五名の大所帯となっており、その中にはリオの姿もある。
普段は村の中で武器と防具を装備することはほとんどないが、この日ばかりはリオも完全武装で身を固めていた。
「リオ」
積荷の確認作業を終えて、手持無沙汰になったリオを、ルリがやや堅い声で呼びかけた。
すぐ後ろにはユバがルリを見守るように立っている。
リオは二人に向けて気さくに微笑んだ。
「ルリさん、ユバさん。行ってきますね」
穏やかな口調で、二人に出発の言葉を投げかける。
「うん。気をつけてね」
「私からも同じ言葉を送らせてもらうよ。気をつけておくれ」
「はい」
二人も微笑み返し、リオに見送りの言葉を送った。
そんな二人にリオが力強い返事をする。
「それで……ね。その……」
何かを伝えたそうに、だがどうやって伝えたらいいのかと悩むように、ルリが言葉を紡ごうとした。
微妙に不思議そうな表情を浮かべ、リオはルリの顔色をそっと
「どうかしましたか?」
「うん……。その、……ごめんなさい!」
問いかけたリオに、大きく溜めを作ると、何やらものすごい勢いで、ルリが頭を下げた。
リオが驚いた顔を浮かべる。
だが、すぐに彼女が何を謝っているのかに気づいた。
先日、ユバが言っていたことだろう。
「私、リオにひどいことしちゃったよね。リオは私のことを助けてくれたのに、リオのことを怖がっちゃって……」
申し訳なさに押しつぶされてしまいそうな、悲しげな色の漂う声で、ルリはリオに謝り始めた。
肩に力が入っているのか、その仕草は硬い。
「いえ、元を辿れば自分が見境を忘れてあの男を殴ってしまったのが原因ですから。ルリさんは悪くないです」
と、どこか困ったような笑みを浮かべて、リオは答えた。
「で、でも……」
なおも申し訳なさそうにするルリに、リオは申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「それでもルリさんは自分のことを心配してくれました。だから、やっぱり悪いのは自分です」
ゆっくりと、かみ砕いて説明するように、リオが言った。
怖がらせてしまった手前、あまり積極的に近寄ろうとしても逆にルリを怯えさせるだけなのではないかと、リオは過度にルリと接触をとってこなかった。
それでも、ルリはリオがあんなに激昂したことを心配して、怯えながらも普通に接しようとしてくれた。
つまり、お互いがお互いを気にかけて、完全に正反対な行動をとっていたということである。
リオは自分の選択した行動について反省していた。
ここまで悩ませてしまったのならば、最初からもっと彼女とコミュニケーションを図っておけば良かったのかもしれない、と。
人間関係においては、良かれと思ってしたことが、裏目に出ることもある。
やはり自分はあまり人付き合いが上手い方じゃないようだと、リオは内心で溜息を吐いた。
「ううん! リオは悪くないよ! 本当は私がお礼を言わなければいけない立場なのに。リオのことを怖がって、それどころかリオに謝らせちゃって。本当にごめんなさい!」
リオの自分が悪いという言葉を力強く否定し、落ち着きのない風に、ルリが謝罪の言葉を告げる。
「いえ、原因は自分の配慮不足ですから。助けるにしてもやり方に問題がありました」
「ち、違うよ! 私が悪いんだって」
「いや、ルリさんが怖がるのは当然ですよ。そのきっかけを作ったのは自分です」
「だから! リオは悪くないってば! 私が悪いの!」
互いに互いが謝罪する展開に、ルリがむっとして言った。
「ですが……」
「いいの! 私が悪いんだから!」
なおも自らに非があると述べようとするリオの言葉に被せるように、きっぱりと、ルリは断言した。
一歩も譲りそうにない強い意志が感じられ、リオは思わず目を
「わかりました……。ならお互いが悪かった。そういうことにしませんか?」
言って、確固たる意思を感じさせる目つきで見つめてくるルリに、リオは苦笑してみせた。
リオはルリを助けるにあたって怒り狂って暴れて彼女を怯えさせてしまった自分が悪いと思っている。
ルリはリオに助けられたにもかかわらず怯えてしまった自分が悪いと思っている。
お互いのことを想いあっているのに、お互いの気持ちは平行線だ。
それは少しばかり悲しい。
なら、お互いが歩み寄るために、ありきたりな言葉だが、そう言ってみるのは悪くない気がした。
「いや、……うん。そう……だね」
一瞬、そんなリオの言葉を否定しかけたが、ルリもリオの言わんとしていることは何となくわかったのか、その言葉を受け入れた。
どこか納得しないような思いが目に浮かんではいたが、口元は優しく微笑んでいた。
リオも柔らかく微笑んだ。
これまでの彼女の態度に、リオに対する誠実な想いが
リオは、ルリにそっと歩み寄り、少し恥ずかしげに手を差し出した。
「仲直りの印に握手をしてもらってもいいですか?」
一瞬、呆然としていたルリだが、まじまじとその手を見つめると、ハッとした表情を浮かべて、その手を掴んだ。
「うん! うん! ごめん、ごめんね、リオ……」
目に涙を浮かべ、ルリは力強くリオの手を握った。
「こちらこそ……。帰ってきたらまたたくさんお話ししましょう。行ってきますね」
「うん、約束だよ!」
気負ったところのない風にリオがそう告げると、ルリの表情に喜色満面の笑みが浮かんだ。
そんな二人の様子をユバは後ろから微笑ましげに眺めている。
「ユバさんも行ってきます。道中での村人の方々と交易品の安全は自分が守りますのでご安心ください」
ユバから向けられている視線にどことなく気恥ずかしさを覚え、その気持ちをはぐらかすように、真面目な表情を浮かべ、リオは言った。
「うん。頼んだよ。だが、優先するのは自分の命だ。それは忘れないでおくれ」
「そうだよ。気をつけてね、リオ」
「はい」
自分のことを心配してくれる家族達に、つい嬉しさが
こうして何やら近づきがたいアットホームな雰囲気を纏っていた三人の会話が一段落し、しばし歓談していると――。
「あ、あの! リオ様、今日はよろしくお願いします!」
それまで遠くからその様子を窺いウロウロと歩いていたサヨが、意を決したようにリオに話しかけてきた。
いつもは村娘といった格好の彼女だが、今日ばかりは旅装束を身に着けている。
そう、王都へ向かうメンバーの中にはサヨも含まれていた。
本当はルリが同行するはずだったのだが、先日あんな事件があったばかりだ。
ユバがルリの同行を控えるように伝え、その代わりとして未だに王都へ一度も行ったことがないサヨを交易隊のメンバーに入れたというわけである。
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
リオが落ち着いた声で挨拶を返す。
緊張した様子のサヨを、ユバとルリが温かい目で見守っていた。
「は、はい! リオ様に迷惑をおかけしてしまうと思いますが、お兄ちゃん共々よろしくお願いします!」
「ええ。道中の安全は自分が確保しますが、非常時はこちらの指示に従ってください」
「気をつけてね、サヨちゃん」
万が一の事態が生じたときに備えて、サヨに最低限従わなければならない絶対の注意事項を説明する。
「はい!」
その言葉に、サヨは力強く返事をした。
「おい、サヨ。何を余計なことを言ってやがる。俺は自分の安全くらい自分でも守るぞ」
すると、そんな二人のやり取りを聞いていたのか、シンがやや不満そうな表情を浮かべて会話に入って来た。
リオは僅かに目を見開いた。
やや不満そうとはいえ、こうやってシンからリオに近づいてくることはほとんどなかったことだ。
いったいどういった心情の変化なのだろうか。
「お兄ちゃん、リオ様に突っかかったらダメだよ」
そんなシンに、子供に言い聞かせるように、しっかりと、僅かにきつい口調で、サヨが言った。
サヨの兄というのはシンのことである。
腕白なシンと控えめなサヨと、対照的な性格をしているが、サヨも兄に対してだけはハッキリと意見を言うようだ。
「な、なんで俺がそいつに突っかからないといけないんだ」
すました風に言ってはいるが、その声は僅かに上ずっていた。
「もう、お兄ちゃん、リオ様がルリさんを助けたのは認めてもいいって、こないだ言っていたじゃない。いつまでも子供みたいにツンケンしてるのは良くないよ」
「ば、ばか! そういうことを言うなよ!」
自らの心の内をひけらかすようなサヨの言葉に、慌ててシンが反応する。
その様子にリオとルリは意外そうに眺めていた。
「ふ、ふん、お前がルリを守ったことは感謝している。よくやったな」
僅かに顔を紅潮させて、リオのこと睨みながら、
そんな子供のような彼の態度に、リオとルリが可笑しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます」
「そうやって最初から素直になればいいのに。本当に子どもなんだから」
憎まれ口は相変わらずだが、どうやらリオのことを認めてはもらえたようだ。
からかうようにルリから声をかけられ、シンはそっぽを向いた。
「ちっ、じゃあな。俺も気にかけてやるが、何かあったらお前もサヨのことは守ってやってくれ」
ぶっきらぼうにそう言うと、背を向け、シンはその場から立ち去った。
はたから見ると恥ずかしがっているのは丸わかりだった。
「すみません。兄が素直じゃなくて」
姉と弟、まるで立場が入れ替わっているかのような目線をシンに向けながら、サヨはリオに謝った。
「男なんてのはみんな不器用なんですよ、いろいろと。心の中で思っていることと行動が一致しないなんてこともよくあります。ああいった態度に思うところがないわけでもありませんが、彼が本当に悪い人じゃないっていうのはわかりますから」
「はい……。あ、ありがとうございます」
リオの言葉に、驚いたような表情で、サヨが礼を告げる。
シンは少し誤解されやすい態度をとることが多々ある。
それに幼稚なところもある。
だから、村の者達と喧嘩をすることもよくあるが、それでもシンはいつの間にか村の若い男達の中心にいることが多い。
そんなシンが他の村の若い男達とは仲が良いのに、リオとだけはいつまでも仲がよろしくないのをサヨは嘆いていた。
なんとかできないものかと常々考えて、シンにリオの話をし続けてきたが、あまり反応はよろしくなかった。
ところが、先日、リオがルリを助けて、遂にシンがリオのことを認めるような発言をした。
これで二人も仲良くなれるかもしれない。
後はシンの不器用な性格をリオに理解してもらえれば、そう思っていた矢先に、リオがシンの性格をちゃんと理解してくれていた旨の発言をしたのだ。
それを驚くとともに、嬉しく思い、会話がなくとも男同士で互いに意思が通じているのをうらやましくも思っていた。
「よし、そろそろ行くぞ~」
そこに交易隊の隊長であるドラの声が響いた。
どうやら出発の時間のようだ。
「時間みたいですね。馬車に乗りましょう。ルリさん、ユバさん、それでは行ってきます」
「うん! 気をつけて!」
「行ってらっしゃい」
最後に再び挨拶を告げると、自らが乗車する荷馬車へと近づき、リオは御者席に座った。
「よろしくお願いします。ドラさん」
「おう! こちらこそ頼むぜ」
道中、馬車で隣に座ることになるドラへと、リオが挨拶の言葉を送る。
すると、ドラは人の良さそうな笑みを浮かべて挨拶を返してきた。
交易隊におけるリオの役割は、交易品と村の面々、そしてこの馬車の中に載っている人物の護送だ。
リオは荷台を覆う
そこにいる人物と視線が合うと、相手はリオを呪い殺すような目つきで睨みつけてきた。
そう、そこにいるのは犯罪奴隷として裁かれることになるゴンだった。
「はっ。テメェの顔を見たくて仕方がなかったぜ! 今も殺したくて仕方ねぇ!」
リオの顔を見るなり、呪詛めいた言葉をゴンは叫んだ。
ゴンはギラギラとした目つきでリオのことをじっと睨み続けている。
全身を縛られ、その巨体でも流石に身動き一つとることはできないが、相も変わらず迫力だけはある男だった。
リオが小さく溜息を吐く。
どうやら元気はあり余っているようだ。
「うるせぇなぁ。よし、じゃあ行くか。出発だ!」
荷台の中から聞こえるくぐもったゴンの怒鳴り声に眉根を寄せると、ドラは出発の合図を告げた。
空はまだ薄暗く、太陽の日差しが薄っすらと遠くの地平線を照らしている。
秋とはいえ、吐息は白く、早朝の寒さは堪えた。
そんな中、村人達に見送られ、一行は王都に向かって馬車を走らせた。
「行ってらっしゃ~い!」
遠く後ろから村人達の声が響く。
後ろの方の馬車に乗っている者達はいまだに手を振っているようだ。
ちなみにリオは先頭の馬車に乗っている。
村と村を繋ぎ、王都へと辿り着く街道は、馬車が進めるように簡単に整備されており、馬車同士がすれ違うことができるくらいに幅も広い。
とはいえ、乗っている馬車の質がよろしくなく、石で舗装された綺麗な路面でもない以上、乗り心地は良くない。
村から王都までの距離は馬車でちょうど一日もあれば着くことのできるくらいだ。
道のりは長いわけではないが、短いわけでもない。
道中で尻を痛めないように、毛布を敷いて、リオはその上に座っていた。
「にしても傲慢な男だよな、お前も。あんなに俺を憎悪して散々ぶっ叩きやがって。暴君様かってんだ」
すると後ろの荷台からそんな言葉が響いてきた。
ゴンは先ほどから憎まれ口をずっとたたき続けている。
内容は主にリオに対する嫌味や悪意のこもった嘲笑ばかりだ。
そうやって
悪意というのは人にぶつけた瞬間に目的を達成すると言われることがあるが、ゴンから何を言われても、するりとリオの心の中を通り抜けてしまうのだ。
喚く姿をうるさく感じても、哀れと思うことも、憤りを感じることもなかった。
「おい、聞きやがれ! 俺は好き勝手やって生きてきたが、テメェだって好き勝手やって生きてるって言ってんだよ! 俺とテメェは同じ穴のムジナよ!」
いくら喚いてもリオが平然と無視し続けていることから、ゴンの方も怒りが募ってきたようだ。
徐々にその声は大きくなっている。
こうしてゴンが元気でいるのは現時点では望ましいことだ。
少なくとも犯罪奴隷として売却するまでの間は、ゴンには生きていてもらわなければならない。
そうでなければルリへの賠償金も受け取れないのだから。
犯罪奴隷になった後は長く人生が続くわけでもないだろうが、その辺に関してはもはやリオも興味は持っていない。
「テメェのように善人面して、しっかりと汚いことをやりやがる人間が、俺様は一番嫌いなんだ!」
先ほどからよくもまぁ色々と罵詈雑言を思いつくものであると、リオはある意味ゴンに感心していた。
喚きたいならいくらでも喚いてもらってかまわないが、少々、声が大きい。
道中、こうして喚かれ続けても面倒だ。
そう考えて、リオはゴンに近づいた。
「あぁ? なんだ?」
自らに近づき、ゆっくりと手を伸ばしてきたリオに、ゴンは怪訝な表情を浮かべた。
リオは面倒くさそうな表情を浮かべるだけで、自分のことをよく吠える犬のようにしか思っていない。
気分を害して怒らせてやろうと散々文句を言ってはみたが、その効果は騒音程度の嫌がらせにしかなっていないのだ。
(ふざけやがって!)
ここまで自分のことを虚仮にした人物はリオが初めてだった。
今までゴンの周りには自分に恭順するか怖がる人間しかいなかったのだ。
稀に敵意を露わにする人物はいたが、そういった連中はすべて力で屈服させてきた。
それなのにリオはゴンに無関心だ。
憎たらしい。
憎たらしくて仕方がない。
リオが気分を害して自分を殴ろうとすれば、相手の汚い部分を見透かしたように笑ってやろうと考えていたのに、そんな考えすら見透かされているような気がした。
「少し眠っていろ」
言って、リオはゴンに眠りの精霊術をかけた。
オドの操作に長けていれば抗うことはできるが、精霊術を使うことのできないゴンでは無理だ。
ほんの一瞬でゴンは眠りに落ちてしまった。
「すげぇな。それが精霊術ってやつか」
瞬きをするような時間で眠ってしまったゴンの姿に、ドラが感心したような声を出した。
「えぇ。これで静かになりますよ」
一変して静かになったことに苦笑し、リオは言った。
だいぶ強い精霊術をかけたから、王都に着くまでは眠っていることだろう。
それから、どこの馬車の中でも談笑が繰り広げられ、和やかな空気が流れていた。
道中は野生の獣や魔物に襲われる可能性もあるが、交易隊の人数はそれなりに多いので、よほど規模の大きな群れでもない限りはその危険性もあまり高くない。
それに、道中で盗賊や凶暴な生物に襲われた時に備えて、村人達は槍や短剣で簡単に武装している。
盗賊の類もよほど大規模な人数でなければ警戒して攻めあぐねるだろう。
リオも気を張り詰めない程度に簡単に周囲を警戒している。
万が一、襲撃があればすぐに気づくことができるはずだし、すぐに対応することもできる。
村を出発してから数時間が経ち、カタカタと馬車を進ませているうちに、日も昇ってきた。
雲一つない青空の下、穏やかな日差しが降り注いでいる。
周囲一帯には緑溢れる広大な草原が広がっており、遠方には山林が視界に映っていた。
秋風に吹かれながら、牧歌的な風景だなと、そんなことを思い、リオはゆっくりと流れゆく景色を眺めていた。