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精霊幻想記(Web版) 作者:北山結莉

第三章 両親の故郷の地で

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第35話 新たな来客

 そして、翌日、ここ最近では毎日のことではあるが、村の中は慌ただしい雰囲気に包まれていた。

 収穫期となる秋は一年間でもっとも忙しい季節だ。

 陸稲、麦、雑穀、野菜類、果実と作物を収穫しなければならないのはもちろん、冬が来る前に保存食も作らなければならない。

 また、納税物品の仕分けをも行わなければならないし、余剰分を王都に出荷する準備もある。

 加えて、来年の豊穣を祈って豊穣祭の準備もしなければならない。

 さらに、秋には村へ行商人達がやって来る機会も増えてくる。

 冬になると農業をすることはできなくなり、あまり外にも出歩けなくなることから、村人達は冬を乗り越えるために消耗品を買いだめするのだ。

 当然、みな塩を買っていくが、基本的に行商人から買うしかない塩はちょっとした贅沢品である。だから、保存食を作るにしても塩漬けよりは乾燥や発酵させたものの方が多い。

 行商人にとっては商売繁盛の季節であり、村にとっては一年を通して最も慌ただしくなる時期であった。

 リオも本来ならば今日は狩りに行く日なのだが、予定を変更して午前中は農業の手伝いを行っていた。


 他方で、昨日、この村にやってきたゴン達一行はすっかり鳴りを潜め、大人しく馬車の修理を行っている。

 まるで昨日の騒動が嘘のようであった。


 昼も過ぎて、仕事も一段落し、ユバと二人で家の中で休憩していると、家の扉を叩く音が聞こえた。


「自分が開けますね」

「すまないね」


 椅子に座ったままのユバを制して、リオが素早く立ち上がって扉へと向かった。


「ああ、ウメさん。どうしたんですか?」


 村の女衆のまとめ役的地位にいるウメが少し急いだ様子でそこにいた。


「リオ、徴税官としてハヤテ様がお越しになったからユバ様に報告しに来たんだ」


 と、面倒見の良さそうな笑みを浮かべて、ウメが言った。


「ふむ、話は聞いたよ。どれ、じゃあ早速参るとしようかね」


 広間から二人の会話を聞いていたようで、ユバが立ち上がり家の外へと歩き出す。


「ああ、リオ。今日は夕食を五人分くらい増やして作ってくれるかい? 今日来ている来客の一部が我が家で夕食を食べることになるだろうからね」


 扉から出る前に振り返って、ユバがリオにそう言づけた。


「はい、わかりました。なら、少し豪勢な食事にした方がよろしいですか? それなら午後の狩りで多めに獲物を狩ってきますが」

「おぉ、そうか。なら頼むとしようか。ありがとうね。材料が足りなければ菜園の野菜も適当に使っていいよ」


 リオの申出に、にっこりとした笑みを浮かべて、ユバが応える。


「はい。行ってらっしゃいませ」

「ああ、いつもの夕食の時間にはこの家に戻ってくるよ。仕事の方も頑張っておくれ」

「承知しました」


 リオに見送られてユバが外に出て行った。

 容器の中に残った茶を飲み終えると、茶器を片付け、リオも再び仕事へ戻っていく。

 農業の手伝いは一段落したことから、リオは午後から狩りに行くことが決まっていた。

 近くの狩場を何ヶ所も周って、いつもよりも多めに獲物を狩っていく。

 そんな思いもあって順調に狩りは進んでいき、少し早めに切り上げて解体作業を行うことにした。


 その後、家に帰ったが、まだユバもルリも帰ってはきていない。

 先に石鹸で身体にこびりついた獣と血の臭いを入念に落とすと、リオは夕食の準備をすることにした。

 ユバに指示された人数分を作るとなると、合計で八人前の食事を用意しなければならない。

 一度にこれだけの人数の料理を作る経験はあまりなく、久々に腕が鳴った。


 メインディッシュには先ほど獲ったレンオウ鳥が良いだろう。

 後は、白米、味噌汁、漬物といったところか。

 頭の中で献立を思い浮かべると、リオは調理を開始した。

 作り始めてからしばらくすると、広間に充満するように食欲をそそる香りが広がっていく。

 そこにユバが数人の男達を引き連れて帰ってきた。


「お帰りなさい」


 と、見事な接客スマイルを浮かべ、リオが入って来た者達に声をかけた。


「うん。ただいま。良い匂いだね」


 室内に充満する香りに、ユバが相好を崩し挨拶を返す。

 後ろにいる人間達も部屋の中の香りに食欲を刺激されたのか、好奇心に満ちた表情を浮かべていた。


「実に素晴らしい香りですな、ユバ殿」


 室内の香りに食欲を刺激されたようで、ユバのすぐ後ろにいた身なりの良い青年が関心したように言った。


「ほう、なにやら見かけない少年だが……」


 続けて、室内にいるリオを発見すると、青年は好奇心に満ちた視線を向ける。


「あの子はリオと言います。しばらくうちの村に滞在することになったのです」


 と、ユバがリオのことを軽く紹介する。

 その言葉に合わせて、いったん料理を中断し、リオは一歩前へ出た。


「初めまして。ご紹介にあずかりました、リオと申します。以後、お見知りおきを」


 そして、深く頭を下げて、挨拶をする。


「む、そうか。私はサガ=ハヤテという。この村の徴税にやって来た者だ。よろしく頼む」


 きりりとした顔付きを浮かべ、青年は名乗りを上げた。

 ヤグモ地方では苗字を先になのる習慣があることから、サガが苗字で、ハヤテが名前となる。

 質のいい生地の作務衣さむえのような服の上に、見事な意匠の羽織を身に着けており、腰には二本の直刀を差している。

 年齢はリオよりも何歳か年上のようである。


「はい、よろしくお願いします。サガ殿」


 軽くお辞儀をして、頭を上げてハヤテを視界に収めると、何やら只者ではなさそうな風格が伝わってきた。

 その立ち振る舞いからして腰に差した直刀は飾りではないだろう。


「ああ」


 そして、ハヤテも、重心の位置や足の運び方から、リオが強者つわものだと判断していた。

 その礼儀正しさにも好印象を覚え、ハヤテは感心したような表情を浮かべる。


「さて、じゃあ少し早いけど夕飯としようかね。ルリは帰って来ているのかい、リオ?」

「いえ、ですが、そろそろ帰って来るんじゃないでしょうか?」


 すでに日は暮れ始めている。

 時刻はもう夕方だ。

 もう仕事を終えて自宅へと帰っていてもおかしくない時間帯である。


「ただいま~!」


 と、噂をすれば何とやらで、ルリが元気な挨拶をして家へと戻って来た。


「こ、これはルリ殿っ!?」


 すると、それまで凛々しかったハヤテの態度が、急に落ち着きのないものになった。


「あ、ハヤテ様。お久しぶりです」


 そんなハヤテに、人懐っこい笑みで、ルリが挨拶をする。


「う、うむ、久しぶりだな。元気そうで何よりだ」

「はい。おかげさまで。他の皆様もこんにちは」


 どこかそわそわとしたようなハヤテに、ルリが微笑を浮かべて言った。

 ついでに、そのままハヤテの部下達にも軽く挨拶を済ます。


「では、ちょっと台所に行ってきますね」


 そう言い残すと、ルリは真っ直ぐとリオがいる方へ歩を進めた。


「いやぁ、外にまで良い匂いがすると思ったら、今日はいつにも増して豪勢そうじゃない」


 と、リオの作った料理を眺めて、ルリがご機嫌な様子で言った。

 その表情は餌を与えられるのを待っている子犬のようで、ずいぶんと空腹なようである。


「もうすぐできますから、先に手を洗ってきてください」

「うん、ありがとね。こんなに大勢の料理を一人で作るの大変だったでしょ? お疲れ様。配膳を手伝うよ」


 感謝と労いの言葉を告げて、水場で手を洗うと、ルリはリオが作った料理を個別に配膳していった。


「これは、まさかこうして貴重な肉を振る舞っていただけるとは。それもこれは保存用の肉ではないな。この人数分を用意するのは大変だろうに……。かたじけない」


 その料理を見ると、驚いたようにハヤテが語った。

 作られた料理は保存用の加工された肉ではなく、新鮮なものが使用されているのが一目でわかった。

 狩人がいるとはいえ、こうした新鮮な肉をこの人数分用意するのはなかなかできるものではない。


「あはは、リオは良い腕の猟師ですから。今日はたくさん獲って来てくれたんだと思います」


 と、ルリがこうして新鮮な肉を振る舞える理由を教えた。


「おぉ、この肉はリオ殿が狩ってきてくれたものであったか。たしか調理もリオ殿がやったと言っていたな。男の身でありながら天晴れなものだ」


 そんな説明を聞いて、ハヤテはリオを褒めちぎる。

 それから、旅先で満足な料理も食べてこなかった一行は、目を輝かせて自分に配膳されていく食事を眺めていた。

 配膳が完了したところで全員が席へと着く。


「今日は私が旅をしてきた中で知った異国の料理も作ってみました。どうぞお食べください」


 そして、リオの言葉を皮切りに、夕食が始まった。


「サガ殿、まずはそちらのレンオウ鳥の料理から食べることをお勧めします」


 と、対面に向かって座ったハヤテにリオが言った。


「ほう、食欲を増す実に良い香りだな。調理者の提案だ。では、こちらからいただいてみるとしよう」


 リオの言われるがまま、ハヤテは切り分けられたレンオウ鳥の肉切れに箸を伸ばした。


「それは香草焼きといいます。少し独特な香りがするのが特徴ですね」


 リオの言葉に釣られて、ハヤテが鼻をひくつかせる。


「ふむ、たしかに……美味い!」


 ほのかに鼻をくすぐる香りが何とも食欲を刺激し、その香りを堪能しつつ、ハヤテは口の中に肉の切れを入れた。

 その瞬間、レンオウ鳥のジューシーな味わいが爆発し、ハヤテは目を見開いて感想を告げた。


「へぇ、ハヤテ様がそれほど仰るということは興味ありますね。どれ……」


 と、その様子を横で眺めていた彼の副官が、同じようにレンオウ鳥へと箸を伸ばす。

 その料理を同じように口に入れたところで――。


「っ、美味い!」


 と、これまたハヤテと全く同じように感嘆の声を漏らした。

 他の者たちも興味を惹かれたようで、次々とレンオウ鳥へと箸を伸ばし、その料理に舌鼓を鳴らしていく。


「どうやったらこのような味付けを出せるのだ?」


 その味付けが気になったらしく、ハヤテが興味深そうに尋ねてきた。


「塩、コショウ、ローズマリーという香草、オリーブオイルと呼ばれる油、それに蜂蜜を隠し味として使っています」


 本来ならばにんにくを入れてもいいのだが、香草の香りが消えて風味が落ちると嫌う者もいる。

 リオは気分次第で食べ分けるが、最初に食べてもらえるなら、風味を楽しんでもらえる方をと選んで作った。


「ふむ、塩とコショウと蜂蜜以外は聞きなれぬものばかりだな。コショウといえばトリコニアの名物香辛料ではないか。ピリっとした味わいがあると聞いていたが、なるほど……」


 肉の味を噛みしめ、唸るようにハヤテは言った。


「ええ、どれも旅をしながら手に入れてきたものです」


 トリコニアというのはヤグモ地方の中でも南西に位置する温暖な気候の国であり、リオはその国には行ったことがない。

 だが、コショウといった香辛料はシュトラール地方の一部の国でも栽培は成功しており、精霊の民の里でも栽培されているので、リオは大量に所有している。


「なるほど。貴重な香辛料を使ってこうして料理を振る舞ってくれたこと、深く感謝する。よかったら後でゆっくりと君の話も聞かせてくれないか?」

「ええ、かまいませんよ」

「感謝する」


 綺麗なお辞儀をし、ハヤテは食事を再開した。

 リオも食事を始める。

 すでに周囲の者たちは黙々と食事を食べており、レンオウ鳥の香草焼きと米との相性が抜群なため、次々と箸が動いていった。

 味噌汁もしっかりと味付けされており、しっかりと味噌を使っていることがうかがえた。

 その料理の美味さに、ハヤテも夢中になって食べ続けているし、他の男達も黙々と料理をかき込んでいた。

 やがて村の特産品の一つである醸造酒が振る舞われ、男達の酔いも少しずつ回り始めてくる。


「お前ら、そんなに大量に飲んで明日に響かせるなよ……」


 と、少し顔を赤くしている部下たちに忠告するように、ハヤテが僅かに呆れたように言った。


「はは、わかってますよ。大将」


 そんな彼に、部下たちは苦笑して返事をした。

 少し気分を良くしているようだが、上官の前でだらしない姿を見せるわけにもいかないだろう。

 彼らは節度はわきまえて飲み続けた。


 その一方でハヤテは一切酒に触れる様子はない。 

 尋ねてみたところ、飲めないわけではないようだが、こういった任務中は宿泊先でも酒を飲まないように決めているようだ。

 なかなかストイックな人物である。


「リオ殿は飲まないのか? 別に私に遠慮することはないのだぞ?」


 と、酒を飲まずに自分の話に付き合ってくれる年下の少年であるリオを、ハヤテが気遣うように言った。


「いえ、この後は片づけもあります。それに日課の鍛錬もしなければいけないので」


 リオも自らも酒を飲まない理由を説明した。

 日中は村の仕事の手伝いに追われていることから、この村に来てからは夜に鍛練をするようにしていた。

 酒を飲むのならば必ず鍛錬の後でなければならない


「ああ、やはり何か武術を修めているのだな。足の運びや重心の位置から予想はついていたが」

「はい。まぁ、たしなむ程度ですが」

「謙遜しなくていい。君くらいの年齢で一人で旅をしてきたのだ。そのことが君の強さを証明しているさ」


 そう言って、ハヤテは柔らかい笑みを見せた。

 獰猛な野生の動物、人に敵対的な魔物、さらには盗賊と、旅をしていれば道中に様々な危険がある。

 多少、武術を嗜んでいる程度では、とても一人で旅ができるはずもない。

 普通は集団を組んで旅をするものなのだから。


「先ほども言ったが、よければ君の旅の話を聞かせてくれないか? 拙者もこうして村々を渡り歩いてはいるが、国と国をまたいで旅をしたことはないのでな」


 興味深そうな視線を向けて、ハヤテが聞いてきた。


「ええ、自分の話でよければ――」


 小さく頷き、教えても特に支障のない範囲で、リオは旅の話を語ることにした。


「そうか。君の両親がユバ殿の古い知り合いで、彼女を探して旅をしてきたというのだな。やはり一廉ひとかどの人物であったようだ」


 ある程度リオの話を聞き終えると、ハヤテが感心したように言った。


「いえ、身に余る評価です」


 気恥ずかしさから、うっすらと微笑を浮かべて、リオはかぶりを振った。

 話してみて、ハヤテはお世辞を言うタイプの人間ではないと、リオは感じている。

 そういった人間からストレートに褒められるとなるとこそばゆいものがあった。

 それからも少し話を続けてみると――。


「ところでリオ殿の名前はリュオという昔の王様を由来にして名づけられたものなのか?」


 と、そんな質問をハヤテが投げかけてきた。


「リュオ? いえ、わかりませんが……」


 非常に響きは似てはいるが、その名前に聞き覚えはなく、リオは不思議そうな表情を浮かべた。


「ふむ、そうなのか。まぁ伝説上の王様だし、口述による簡単な伝承しか残っていない。あまり知られてもいないからな」


 と、ハヤテは簡単にその王様の話をリオに語った。

 千年以上前。

 かつてカラスキ王国のあった地に存在した王朝に、君臨していたと伝えられる一人の王様がいた。

 強くて、賢くて、優しくて、とても偉大な王様であったという。

 そんな彼を慕って多くの者達が集まった。

 だが、彼は頭がよすぎた。

 そして、優しすぎた。

 だから、彼の本当の顔を知る者はほとんどいなかった。

 それでも、彼は孤独ではなかった。

 彼にはたった一人の理解者がいたからだ。

 だから、彼はみんなのために頑張ることができた。

 しかし、その後、一度、どうしても避けることのできないたった一度の、大きな犠牲が生じた。

 これまでの実績から、リュオが完璧な王様だと信じて疑わなかった者達は、その犠牲に憤怒する。

 大きな期待に対する裏切りは怒りとなり、国民達は彼を徹底的にとがめた。

 リュオはその失敗を謝罪をすると、責任を取って王朝の変更を宣言する。

 そうして今のカラスキ王国が生まれたという。

 彼の功績によって国は大きく安定しており、その少し後になって、当時リュオが出した犠牲がなければ、国が倒れかねない混乱が確実に生じていたことが判明した。

 その時、彼らは初めてリュオの偉大さに気づいたという。

 だが、その時にはもう、その国にリュオはいない。

 彼の部下だった当時のカラスキ王国の王は、せめてもの感謝と誠意を伝えたいと、彼の功績を称えた伝承を語り継ぐようにと国民達に命令をした。

 その伝承の一部は今でも残って、一部の者に語り継がれている。


「そのような王様がいたのですか。初耳です」

「まぁ実在は疑われているがな。あまり有名な存在でもない。父から初めてこの話を教えてもらった時はその王が可哀想にしか見えなかったが、最近では違うように思えるようになったんだ。いずれにしても君の名前は良い名前だとは思う……」


 そういうハヤテの顔は薄く微笑んでいた。

 なにやらその伝承の王様のことを気に入っているようだ。


「ハヤテ様、リオ、お茶どうぞ」


 と、そこに、ルリがお茶を持ってやって来た。


「ああ、ごめんなさい。ルリさん。片づけを任せてしまって」


 ハヤテと話しているうちに、ルリが最低限の片づけをしてしまったようで、申し訳なさそうに、リオが謝った。


「ううん。最近はリオに夕食を任せっきりだし、これくらいはしないとね。どうぞ、ハヤテ様」


 微笑を浮かべて、そう言うと、ルリはお茶をハヤテに差し出す。


「す、すまない。いただこう!」


 すると、ハヤテの動きが目に見えて固くなった。

 そんな彼の様子を見て、リオは和んだ。

 実直で不器用なところもあるが、ハヤテは純粋で誠実な人間だ。

 聞けばハヤテはまだ十八歳で、上級武士の家の出身であるそうだ。

 だというのに、家柄を笠に着て不必要に威張り散らさないところには非常に好感が持てる。

 どこかの貴族達に見習わせたいくらいであった。

 とはいえ、普段は凛とした物腰のハヤテだが、ルリを目の前にすると、急に初心うぶな反応を見せるではないか。

 彼がルリに対してどのような感情を抱いているかは明白だった。


「あはは。大したお茶じゃありませんからお口に合うかわかりませんけど」


 ぱっ、と笑みを浮かべて、ルリはハヤテに笑いかけた。


「い、いや、そのようなことはない。ルリ殿が淹れてくれた茶だ。そこいらの茶とは比べ物になるまいよ」


 まだ飲んでもいないうちに、ハヤテがルリの入れた茶を称賛する。


「えぇ? 村人が飲むような普通のお茶ですよ。それにまだ飲んでもいないのに。まったくもう」


 過剰な称賛に困ったように、ルリは笑った。

 なにやらお世辞と勘違いしているようだ。


(間違いなさそうだな)


 だが、ハヤテの言動に、リオは自らの確信をさらに強める。

 あれはお世辞なんかじゃなく本心だろう。

 なぜなら、リオの見立てでは、間違いなく、ハヤテはルリに惚れていた。

 これほどわかりやすい者はいないのではないかというくらいにだ。

 だが、それも無理はない。

 従兄弟のリオから見てもルリは非常に魅力的な少女だ。

 見た目も性格も文句なしで、まるで野に咲く一輪の花のように力強い美しさを持っている。


 村の若い男衆達の多くも競ってルリを口説こうと躍起になっている。

 それゆえ、村の若い男連中のリーダー格であるシンを中心に、リオに対する対抗心はいまだに継続して燻っている最中である。

 意中の異性と一つ同じ屋根の下に暮らす男がいれば嫉妬を覚えるのも無理はないだろう。

 とはいえ、二人の間に彼らが疑うような事実は一切存在しない。

 リオはリオで意中の相手がいるし、そのことはルリも承知している。

 そして、従兄弟であることを本能的に察知しているのか、ルリはリオに対して兄弟のように接してくる節がある。

 あるいは、彼女には幼い頃に亡くなった弟がいたはずだ。

 もしかしたら、その弟とリオのことをどこか重ね合わせているところがあるのかもしれない。

 そんなわけで、彼らの気持ちはまったくの杞憂ということになるのだ。


 そんな彼らの感情をわずらわしく思う気持ちがないわけではないが、同じ男として彼らの気持ちは理解できないわけではない。

 だから、リオは彼らの嫉妬を暖かく受け流していた。

 とはいえ、そういったリオの態度がいけ好かないと、彼らの反感を買う一因にもなっているわけだが、そこまではリオとしても面倒を見てあげるつもりはなかった。

 また、そんな彼らがルリと恋仲になるように応援してあげる気持ちにもなれなかった。


 だが、目の前にいるハヤテのことは、何となく応援してあげたいと、リオは思った。

 従姉妹の将来の安定を願うのならば、下手に村の男達と結びつくくらいなら、優良物件であるハヤテと結婚した方がいいのではないかという想いもある。

 しかし、リオがそう言った気持ちになっているのは、ハヤテの人柄によるところが大きい。

 まだ会って間もないが、どういうわけか、彼ならば生涯ルリのことを一途に愛し続けてくれるのではないかという期待を抱くことができるのだ。


 もっとも、当事者であるルリにその気があって、身分上の障害も発生しないというのが前提条件にはなるのだが。

 ルリが村の中で好きな異性がいるというのならば、そちらとの恋仲を応援しなければならないだろう。

 とはいえ、ルリはそろそろ結婚を考えても十分によい年齢なのだが、ルリはリオから見てもそういったことには興味が薄いように思えた。

 特定の異性との浮いた話はないし、浮いた話を作ろうと近寄ってくる男達のアプローチもことごとく気づいていないくらいだ。

 そのくせ誰に対しても平等に接する性格のせいで、男達の勘違いを加速させる一因になっていたりもする。


 身分上の問題については、この国の武士の結婚事情に明るくないために、リオとしては何とも判断のしようがない。

 だが、少なくともハヤテがルリに惚れていることは間違いない。

 ならば、ささやかながらも、目の前にいる好青年を援護するのは(やぶさ)かではなかった。

 リオはお茶を運んできたルリも話に加わるように上手いこと計らい、ハヤテに会話を振っていく。

 ハヤテはぎこちない様子ながらもルリとの会話を楽しみ、時折リオに感謝の視線を向けてきた。

 そんなハヤテにとっては夢のような時間は、あっという間に過ぎていき、いつの間にか寝るのにいい時間帯となってしまった。


「そろそろお開きとしましょうか」


 意中のルリとの会話にもうつつを抜かしすぎず、ハヤテはきっちりと引き際を心得ていた。

 そういったところがリオが好ましく思うところであった。


 その後、片づけを行い、ハヤテ達が就寝できる部屋に案内すると、リオは庭先でいつものように日課の鍛錬を行うことにした。

 身体能力も肉体の強化も施さず、ひたすら型を繰り返す。

 稀に夜闇にまぎれて木の枝から舞い落ちる葉っぱがあれば、それを目がけて剣を振る。

 そうして葉を切り刻むと、思い出したかのように型の動きに戻る。

 リオの身体は火照り、白い靄のような湯気が立ち上っていた。

 ミスリル製の片手剣が鋭い音をたてて空を切ると、ちょうどリオの視線の高さでピタリと静止する。


「……ふぅ」


 そして、大きく息を吐くと、持っていた剣を腰の鞘に収めた。


「今日はこれくらいにするか」


 修練の量に満足すると、小さく呟き、踵を返す。

 その時、リオは遠くから観察するような視線に気づき、瞬時にそちらへと視線を向けた。


「……」


 相手は静止しており、距離も離れている。

 夜闇のおかげもあり、その姿形を視認することはできないが、確実に誰かに見られていたとは断言できる。

 リオは激しく動いていたことから、相手からは遠目でもリオの物影を見ることはできたはずだ。


 村の中に侵入者が入ってきた様子はない。

 実は村の中には防犯のために密かにリオが侵入者探知の魔術結界を張り巡らせているのだ。

 だから、外部から侵入者が来ればすぐにリオが察知することができる。

 だが、魔術結界の中に誰かが入って来た反応はない。

 それゆえ、リオのことを見ているのは村の内部の者となる。

 すでに村人たちは寝静まった時間であるが、外出する人間が絶対にいないとまでは断言できない。


 こんな夜闇の中で動いている物影がいれば、疑問に思って眺めるのも無理はないか。

 そう考えて、僅かな違和感を覚えながらも、リオはそのまま家の中へと戻る。

 それから身体を洗い、軽く水分を補給すると、自室へと戻り、リオは眠りに就いた。

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