第31話 村での生活 その一
翌日、今日からリオはかつて自らの父親であるゼンが暮らしていたというこの村でしばらく生活することになる。
何もせずに居させてもらうのも申し訳ないと考え、リオは滞在中に村の仕事を手伝うことをユバに申し入れた。
村の朝は早い。
日の出前に起床すると、リオはユバの家の広間へと姿を現した。
「おや、ずいぶんと早い起床だね」
既にユバは目覚めていたようで、囲炉裏に火をいれ、広間の椅子に座っていた。
「う~ん、お婆ちゃん、おはよ~」
すると、そこに寝惚け眼のルリもやって来た。
「おはよう。あんた、リオがいるのを忘れとりゃしないかい?」
縫い目の荒い下着姿ともいえる寝間着を身に着けたままの彼女に、ユバが苦笑する。
リオよりも一つ年上の彼女の肢体は、日々の農作業と若干の栄養不足により痩せているとはいえ、十分に女性らしい柔らかさを持っており、上半身の薄着にはふっくらとした乳房が浮き立っていた。
「へ……。っ~~~!」
自分の目と鼻の先に、昨日から同居することになった同年代の異性がいることに、ルリが気づく。
リオは既に彼女から視線を逸らしているようだが、それは一瞬とはいえ自分のあられもない姿を見られたことを意味することに気づき、ルリの顔が熟れた林檎のように真っ赤になった。
「き、着替えてくる!」
そう言うと、ルリは脱兎の如く自分の部屋へと駆けだした。
その後、しばらくして彼女は部屋の中から戻って来たが、どこかリオのことをジト眼で眺めていた。
(いや、まぁ、仕方ないけどさ……)
なるべく彼女と視線を合わせないようにして、リオが引きつった笑みを浮かべる。
「で、ずいぶんとお早い起床だけど本当に手伝う気はあるんだね? 遠慮なく使わせてもらうよ?」
リオとルリの間の空気を払拭しようと考えたのか、ユバが愉快そうに笑いながらも、そんなことを言った。
「ええ。任せてください」
そんなユバの言葉に、早急に今の気まずい状態から脱したかったリオが、素早く返答する。
「と、言ってもあんたは何ができるんだい? それによってやってもらう作業内容も異なってくるからね」
期限付きとはいえ新たな労働力を確保した以上は、そのリソースを有効に活用しようと、ユバは村長としての表情を覗かせた。
「料理、農作業、狩り、工作作業、薬作り、後、目立つようならあまり人に言いふらさないでほしいですが、精霊術も使えます」
精霊の民の里にいる間にリオもずいぶんと多芸になった。
ドワーフ仕込みの工作知識によりその気になれば建築だってできるし、エルフ仕込みの知識で材料さえあれば大抵の症状に対応する薬を作ることもできる。
次々と列挙されるリオの特技にユバとルリが目を丸くする。
「まぁ使えても悪目立ちまではしないけど……、本当かい? 別に見栄を張らなくたっていいんだよ?」
出来ると出来そうとでは大きく違う。
農作業、狩り、工作など村の男に回される仕事は肉体労働が多いが、いきなり上手くこなせるほどに簡単なものでもない。
万が一、リオが見栄を張っているようであれば、他の者の作業効率にまで影響が出かねないのだ。
「ええ。問題ありません」
淀みなくリオは断言する。
「そうか。なら信じるとしよう。じゃあまずはとりあえず顔見せからだね。ルリ、リオと一緒に朝の食材交換に行ってきな。ついでにこの子のことを女衆に紹介するんだ」
揺るぎないリオの自信を感じとったのか、ユバは一応その発言を信じることにしたようだ。
そこで、まずは村人達にその存在を知らせるためにも、ルリにリオを紹介してくるよう言づけた。
「えっと、はい。じゃあ、リオ……。行こっか」
いまだ先ほどの痴態を見られた恥ずかしさが残っているのか、少し照れた様子で、ルリはリオに声をかけた。
「ええ、よろしくお願いします」
そのまま二人して村長宅の玄関から出て行くと、まずは村で運営する田畑とは別にある家庭菜園で育てた食材を収穫した。
自宅の食事用の分を別に確保すると、一定の量を籠の中へと入れていく。
「村の中だと物々交換が基本だからね。毎日の食事に使う食材を朝に収穫して、広場に集まって各家庭と交換するんだ」
と、ルリがリオに作業内容を説明する。
「なるほど……」
どこか感心した風にリオは家庭菜園と籠の中に入った野菜を眺めた。
税金は村単位で課されることになるが、課税の対象となるのは村で経営する農地からとれた食材だけである。
そうして事務的な内容の会話をしながら、二人は村の広場へと向かった。
質素な藁屋根の木造家屋が立ち並ぶ中、村の中心に小さな学校の校庭くらいの広場があった。
既にちらほらと村の女衆が集まっているようで、朝の挨拶と何気ない会話を繰り広げている。
「みんな、おはよう!」
と、そこにルリが元気よく挨拶をした。
女衆達はルリの存在に気づくと、笑顔で挨拶を返したが、すぐ後ろにいる見知らぬ男が視界に映り、誰なのか窺うようにリオへと視線を向けた。
「彼は昨日からうちで暮らすことになった子でリオっていうの。お婆ちゃんの古い知り合いの息子で、年は十四歳だってさ。今日からしばらくの間は村の仕事を手伝ってもらうことになるから顔見せしに連れてきたんだ」
「ご紹介の通りリオと申します。至らぬ点が多々あると思いますが、どうぞよろしくお願いします」
初対面の相手に向ける笑顔としては完璧な笑みを浮かべると、リオは慇懃に挨拶をした。
礼儀正しさ、すなわち挨拶と言葉遣い、は人間関係の潤滑油であるというのがリオの持論だ。
相手が礼をもって接してくるというのなら自分も礼をもって接するし、こちらから相手に接しようとするときは礼をもって接するように心がけている。
「えっと、よろしく……」
リオの態度にどこか照れた様子で、女衆達は挨拶を返した。
「そんな貴族様みたいに丁寧な言葉遣いをする必要はないって。リオみたいな子にそういう態度で接されるとみんな緊張しちゃうよ」
と、ルリは自らの体験談として語った。
粗野な荒くれ者ばかりのこの村に住む女性達からすれば、中性的で整った綺麗な顔立ちをしているリオは非常に魅力的に映る。
そんな人物が丁寧な言葉遣いで話しかけてくるとなれば、気恥ずかしさから緊張してしまうのも無理はない。
「はは、まぁ、努力します。少しずつ改善していくんで」
一度、丁寧に接した初対面の相手に対しては、よほどの理由がない限り露骨に言葉遣いを変えることが、リオは苦手であった。
それなりに接する間に少しずつ変えていけばいいだろう。
そんな風に考えてリオが苦笑しながら返事をする中、女衆達はそろってルリに視線を向けていた。
見た目からして超優良物件としか思えないこの男は誰だ、と。
言い逃れを許さぬと言わんばかりの肉食動物を連想させる目つきにルリがたじろぐ。
特にいまだ独身の若い少女達の視線はすさまじい。
(は、はは……。まぁ、こうなるんじゃないかと思ったけどさ。うぅ、絶対に仕事の時に根掘り葉掘り聞かれるよ)
ルリとしてもいまだにリオのことはほとんど何も知らないし、一緒に暮らすことに緊張だってしているのだ。
昨日、仕事が終わって家に帰ると、突如、自分の祖母からリオが一緒に暮らすことを告げられた。
聞けばユバの古い知人の息子だという。
さりげなく人脈の広いユバならば外部に古い知人がいてもおかしくはないのだが、いきなり歳の近い異性が同じ屋根の下で暮らすことになったと言われて戸惑わないわけがない。
しかもリオの容姿は美青年という言葉がしっくり来るくらいに整っており、物腰も非常に落ち着いている。
昨日、たまたま外を出歩いている時にその姿を目撃した時は客と思って案内をしようと声を掛けたが、その容姿の良さに思わず声をかけるのを戸惑ってしまったくらいである。
明け透けな性格をしているという自分ですらどこか緊張してしまうのだから、村の若い少女達が見惚れて緊張するのも無理はない。
今までガサツな男ばかりと接してきたルリとしては、これからリオのようなタイプの男とどのように接すればいいのかを、いまだに掴み兼ねていたりする。
先ほどからちらちらと少女達の視線がリオとルリを行ったり来たりしている。
朝食後の仕事の時に寄せられるであろう質問の嵐を想像し、ルリは気が重くなった。
ちらり、とルリはリオに視線を向けてみる。
女衆達と視線だけで会話が成立しているのは、ルリが彼女達と長年の付き合いがあることと、同性であるがゆえだ。
少女達から寄せられる視線に、隣に立っているリオは不思議そうな顔をしていた。
ふと、リオとルリの視線が重なる。
(うぅっ、人の気も知らないでさぁ~)
先ほど自らの肢体を肌着越しに見られたことを思い出し、僅かにルリの顔が赤くなった。
その様子に女衆達は何かがあったのだなと女の勘を働かせる。
そして、その辺のことも聞かなければと瞬時に彼女達は共通認識を作り上げた。
「はぁ、さっさと今日の食材交換を済ませちゃおうよ。みんな家に帰って朝食を作らないといけないでしょ」
一時凌ぎとはいえ今は早く家へと戻りたい。
気恥ずかしさもあり、小さく溜息を吐くと、ルリはその場を仕切るように動き出した。
手早く他の家の家庭菜園で採れた食材と交換していくと、あっという間に籠の中身が入れ替わる。
「はい、じゃあ戻ろっか。リオ」
用事を終えたことを確認すると、食材の入った籠を背負ったリオに素早く声をかける。
女衆達はリオと話したがっているようだったが、お互いに牽制しあってタイミングを掴みかねていたようだ。
背中から感じる女衆達の突き刺さるような視線を無視し、ルリはリオを引き連れてさっさと家へと戻った。
「ただいま、おばあちゃん」
「ただ今戻りました」
ルリが元気よく帰りの挨拶を言うと、リオもそれに続いた。
「おかえり」
どうやらユバは料理に用いる器具や薪の準備をして待っていたようだ。
「料理、手伝いますよ。自分も旅の過程で得た食材と調味料を持っているので使ってください」
食材はアースラからもらったものが五年分はあるし、調味料もかなり多めにもらってきている。
とはいえ、流石にそれらすべてを一度に出して分け与えれば、何処に収納していたのかと不自然に思われるだろう。
そこでカモフラージュ用のバックパックに入る程度の食材と調味料を渡すことを決めた。
「それは助かるよ。特に調味料の類は不足しているからね」
調味料、特に塩は定期的に村へとやって来る行商人に完全に依存している。
輸送費がかかる関係で値段も都市で買うよりかは割高となってしまうため、一度に大量に購入することは難しく、村の中で塩は貴重品であった。
それゆえ、食材と調味料ならば優先すべきなのは不足している調味料の方だろう。
食材があっても味付けがなければ、そっけない料理しか食べられなくなってしまうのだから。
そう考えて、部屋に戻ったリオが時空の蔵から食材と大量の塩を取り出し、バックパックに詰め、キッチンと繋がっている広間へと戻った。
「とりあえず塩はこれですね」
バックパックの中から十キロ以上の塩が入った袋を取り出し机の上に置いた。
「む、こんなに大量に塩を持っているのかい」
「うわぁ、こんな大量の塩、うちだけじゃ使い切れないって。節約して使えば二年分はあるんじゃないの?」
その袋の大きさにユバとルリが目を丸くする。
「あとは自前の調味料の類がちらほらとあります。食材は乾燥肉が多いです」
流石に旅をしていた人間が採れたての野菜を持っているというのも不自然なので、いくつか保存食を選んでバックパックの中に入れていた。
肉類は贅沢品なので、乾燥肉が中心である。
「それにしてもよくもまぁこれだけの量の荷物を持ち運んでいたもんだ。見かけによらず体力はありそうだね」
リオは背が高く筋肉質ではあるが、線は細い方だ。
服を着ていれば力があるようには見えないために、ユバは意外そうな声を出した。
「伊達に一人旅などしていませんよ」
そんなユバの言葉にリオが苦笑する。
「じゃあ朝食を作りましょうか。米を炊いて、汁物を作って、後は野菜と俺が持ってきた乾燥肉でなんか適当に作りましょうか。これに漬物があれば完璧ですね」
ヤグモ地方ではパンの代わりに米と雑穀が主食となっていた。
とはいえ、品種改良は行われていないため、精霊の民の里で採れる米や雑穀と比べると何段も味は落ちる。
また、味噌に似た調味料も多く存在することから、シュトラール地方よりかは日本人好みの味を再現しやすいだろう。
「よし。じゃあお手並みを見せてもらう意味も込めて朝食はリオに作ってもらおうか。ルリは変なところがないか一応見ておきな」
「はーい」
元気よく返事をしたルリから食事やキッチンの勝手等を聞くと、リオは調理を開始した。
村での一日の食事は朝と夜の二回。
朝食は一日の活力を得るために豪勢なものが作られ、夕食は宴会でもない限り質素なものになる傾向があるそうだ。
「おぉ。本当に精霊術が使えるんだね! やるじゃない」
リオが精霊術で薪に火をつけると、ルリがご機嫌な様子で言った。
初めて精霊術を見たにしては驚きが少ないように思えた。
「精霊術を見るのは初めてだったりするんですか?」
どこか精霊術を見慣れているようなルリの反応を不思議に思い、リオが尋ねた。
「ううん。実は私も精霊術が使えるんだ。この村だと他にはお婆ちゃんもね」
少し意外な事実を告げられたが、彼女が精霊術を見ても特に驚かなかったのはそういうことかと、リオは納得した。
「なるほど。となると精霊術はユバさんから習ったんですか?」
「うん。どうもうちの家系は平民にしては精霊術の適性が高いみたいでね。お婆ちゃんが村長をやっているのもそれが関係しているんだ」
となると、やはりゼンも精霊術の使い手だったのだろうなと、リオは思った。
村の女衆に挨拶をしている間に水に浸されていた米に火をかけて炊き始めると、味噌汁を作るために鍋の中に水を作りだし昆布や鰹節を入れて弱火でだし汁を作る。
「本当に手慣れているんだね。うちの村の男どもに見習わせてやりたいくらい」
すぐ側でリオの料理の様子を眺めていたルリが感心した様子で言った。
村の中では家事は女がするものという固定観念が存在しており、村に暮らす男達は基本的に料理を作ることはしない。
そんな村の中で暮らすルリからすれば男が料理を作る光景は非常に新鮮に映ったようだ。
「まぁ旅をしているとこれくらいは作れないとやっていけませんから」
ルリと会話をしながらも、リオの料理をする手が止まることはない。
米の炊き上がりとだし汁の完成を待つ間に、キノコや野菜を適当な大きさに切り刻んでいき、それを終えると今度は乾燥肉を切り刻んでいく。
「うわぁ、私よりも包丁使うの上手いし……」
鮮やかなリオの包丁さばきにルリが引きつった声を出す。
そんな彼女の様子に苦笑しながら、少しずつコミュニケーションも図っていく。
いつの間にかどこか緊張していた彼女の様子もだいぶほぐれてきたようだ。
きっと柔軟性のある性格をしているのだろうなと、リオは感じていた。
「そろそろ米も炊き上がりそうですね」
少し焦げた臭いがしてきたので、リオは米の入った釜を火から遠ざけた。
そのまま蓋をとらずに蒸しておき、その間にだし汁を
その間に先ほど切り刻んだ乾燥肉を野菜と一緒に炒めて、味付けをし、皿へと移した。
鍋の中身が煮立ったところで味噌を少しずつ溶き入れていき、中身が沸騰すると火を消して、囲炉裏へと運ぶ。
「できました」
蒸らした米の蓋を取り外すと、ピカピカの米が炊き上がっていた。
ほぐしたご飯を茶碗によそい、味噌汁をお椀に入れていくと、完成した品々を机の上に並べていった。
「うわぁ、美味しそう。リオの持ってきてくれた乾燥肉のおかげでいつもより一品多いし、今日は良い日になりそうだよ!」
ご機嫌な表情を浮かべてルリが言った。
どうやら見た目は彼女のお気に召していただけたようだ。
「これだけの料理が作れるとなれば当番に組み入れても大丈夫だね」
ユバも満足したように完成した料理を眺めている。
「じゃあ冷めないうちに食べちゃおう!」
三人が食卓に着くと、待ちきれないといった風に、ルリが食事の開始を合図した。
「ん~! この御味噌汁美味しいねぇ。絶妙な出汁の効き具合だよ。こっちの炒め物も美味しい!」
一品一品を食べるごとに幸せそうな表情を浮かべるルリ、これならリオも作った甲斐があったというものだ。
「ああ、本当に良い腕をしているよ。大したもんだ」
ユバも一口一口を噛みしめるようにリオの料理を味わっている。
「ありがとうございます。そう言っていただけると作った甲斐もあります」
上々な二人の感想にリオが微笑を浮かべる。
「さて、朝食を食べたらリオの職場に案内するよ。とりあえずは狩りを手伝ってもらおうかと思っているんだが大丈夫かい?」
と、食事も進んで会話が弾んできたところで、ユバがリオに語りかけてきた。
それは今日から始まるリオの仕事に関する話題だった。
「ええ。任せてください」
ユバの言葉に、いったい今日からどんな生活が始まるのだろうかと思いを馳せながら、リオは静かだが力強い声で頷いた。