第30話 両親の足跡
リオが精霊の民の里を出てから既に半年以上が経過した。
風の精霊術で空を飛ぶことができるようになり、リオの移動速度は段違いで上昇し、精霊の民の里を出て僅か一週間ほどでヤグモへと到着することとなる。
ヤグモとはユーフィリア大陸東側地方の総称であり、そこには大小様々な国が三十以上も存在している。
ヤグモ地方にはベルトラムやガルアークが存在するシュトラール地方のように冒険者ギルドや商人ギルドといった組織が存在せず、使用されている貨幣もシュトラール地方のものとは異なる。
また、ヤグモ地方ではシュトラール地方で使用されている人間族の言葉とは異なる言語が用いられている。
だが、長い年月を暮らしている精霊の民の最長老であるアースラはヤグモの言語にも通じており、日常会話ができる程度にはアースラから言葉を習っていた。
今では発音はぎこちないものの、日常会話に支障がない程度には言葉を習得してある。
リオは、ヤグモの各国家を西側からしらみ潰しにあたって、現地の住民達に両親の名を聞き、知り合いがいないか探していた。
だが、両親の名前とヤグモという地方名以外に両親の出身を知る手がかりがなく、捜索は難航しているというのが現状である。
ヤグモ地方には大小三十近い国家が存在しているのだ。
それだけの国々の中から二人の人物を探し出すのは、砂漠の中で針を探すのに等しい作業とまでは言えなくとも、相当に困難であることは間違いない。
リオが一つの国家に滞在する時間はおよそ一月から二月程度であり、既に四つの国を巡っていた。
ヤグモを構成する各国家には、それぞれ一つの巨大な都市と、その周辺に衛星のように広がる街や村があるのが特徴である。
今、リオは、カラスキと呼ばれる国家の都市に向かっており、その近辺に位置する少し大きな村にやって来たところである。
聞いた話によればカラスキは今までにリオが巡って来た都市と比べて段違いに人口が多いという。
両親の情報が手に入る可能性も他の都市より高いかもしれない。
すべての人間に聞いて回ることはできなくとも、今回は少し長めに滞在してみるのもいいかもしれないと、リオは考えていた。
だが、その前に今は眼前の村で情報を収集しなければならない。
立ち並ぶ家屋の数からして人口は三百人程度といったところか。
村を囲むように柵が展開しており、集落の中心部には木材、石灰、粘土等によって作られた少しばかり粗末な家屋が立ち並んでいる。
そして居住地域を取り囲むように田園、放牧地、家畜小屋が散在しており、リオの視界に耕作地と放牧地でちらほらと人が作業しているのが映った。
どこにでもあるような素朴な村の光景である。
村の入口へとリオが足を運ぶ。
見張りの人員は配置されておらず自由に出入りができるが、部外者がやって来たことに気づいた人間達が遠巻きにリオのことを見つめている。
思わず足を踏み入れることを躊躇してしまいそうな雰囲気だが、このまま立ち去るわけにもいかない。
手早く用件を済ませようとリオは村の中へと足を踏み入れた。
村の中心部を見渡し、村長宅と思しき一際大きめな家を発見すると、真っ直ぐとそちらへ歩き出す。
「えっと、お客さんかな? 見たところ商人ってわけじゃなさそうですけど、武士様でもお侍様でもない……ですよね? 浪人さん……か、旅人さんですか?」
すると、リオと同年代と思われる少女が不思議そうな顔をしてリオに声をかけてきた。
珍しい。
リオはそう思った。
大抵はこちらから話しかけない限り村人の方から話しかけてくることはないものだ。
話しかけたとしてもどこか余所余所しい態度をとられるのが普通である。
少女は、服装は質素で、農作業等をしているせいか多少は肌荒れもしているようだが、短髪が良く似合い、愛らしい顔立ちと人懐っこさを感じさせる子だった。
ちなみに、武士とはベルトラム王国やガルアーク王国でいうところの騎士と同じ役職だ。侍は武士の下に就く一般の兵士よりは高位の身分にある者をいう。浪人は冒険者のようなものである。
武装はしているが、リオの見た目はこの国の標準的な武士や侍の恰好からはかけ離れていた。
というよりもこの国の武装スタイルからおよそかけ離れたものになっている。
少女はリオがどこか異国の地からやって来た旅人かとあたりをつけた。
「はい、まぁそんなものです。実は人探しをしていまして。この村の村長とお会いしたいのですが、あちらが村長宅でよろしいでしょうか?」
「あ、は、はい! そうですけど……」
荒事になれた浪人や旅人とは思えぬリオの丁寧な物腰に、少女が畏まったように返事をする。
「それはよかった。村長は御在宅でしょうか?」
「えっと、はい。おります、です?」
改まった言葉づかいを苦手とするのか、首を傾け、疑問形で少女が言った。
「よろしければ案内していただいてもよろしいでしょうか? いきなり訪ねるとあまり良い顔をしない方もいらっしゃるものでして」
と、どこか困った風にリオは言った。
いくら村の渉外役を務める村長とはいえ、完全な部外者にいきなり訪問されれば、不審がるというのはこの旅の中で幾度も経験済みである。
面談をスムーズに行うためにも彼女の存在はリオにとって好都合であった。
「あ、はい! じゃあ、えっと、付いて来てください」
すると少女は特に嫌がる顔もせずリオの頼みを承諾してくれた。
そのまま少女に案内されて、リオは村長の家まで歩いていく。
少女はどこか緊張しているのか、黙ったままだが、道すがら何度も興味深そうな視線をリオに向けてきた。
行商人以外で外から来る人間が珍しいのだろうかとリオが思っていると、ちょうど村長宅へとたどり着いた。
「お婆ちゃん! お客さんだよ~! 何か人探しをしているんだって~」
村長宅の中に入ると、少女が大きな声を出して村長を呼んだ。
建物に入ってすぐの位置には広間があり、中央に暖をとる囲炉裏が設置されている。
「そんなに大きな声を出さずとも聞こえておるわ。客だと、行商人じゃなくてか? ……おや、あんたは……見かけない顔だね」
そこに一人の老人が姿を現し、リオの姿を目にすると、怪訝そうな表情を浮かべて言った。
「どうもはじめまして。自分はリオと申します。以後、お見知りおきを」
リオは慣れた様に礼儀正しく挨拶をした。
「リオ……。昔の王様にそんなような名前の人がいたっけね。っと、私はユバだ。以後見知りおくかどうかはさておき、こんな何もない村にどんな御用で?」
と、慇懃だが、ユバと名乗った老人はどこか訝しそうな物言いをした。
やはり不審に思われているなと内心で苦笑しつつも、速やかに用件を済ませてしまうためにリオはお決まりの質問を聞くことにした。
「では、早速ですがお尋ねしたいことがあります。ゼンという男とアヤメという女性に心当たりはないでしょうか? 少なくとも十五年以上前にヤグモのどこかで暮らしていたはずなのですが」
と、目当ての人物達の名前を口にする。
ゼンとアヤメ。
リオの父と母の名前である。
これまでに同じ質問を何度聞いてきたことだろうか。
かつてこの質問を口にして芳しい答えが返って来たことはない。
今回もおそらく似たような返答が帰って来るのだろうと思いつつも、心のどこかで期待せずにはいられない。
もし駄目ならばすぐにこの村から立ち去ることになるだろう。
だが、今回ばかりはその期待がリオを裏切ることはなかった。
「……ゼン? ゼンだって? それにアヤメ様だと……」
目の前にいるユバの反応はこれまでリオが目にしてきたものとは異なるものであった。
この老人は明らかに何かを知っている。
そう思わせる反応だった。
「ご存知なのですか!?」
普段はあまり動揺しないリオも、思わず語調を強めて尋ねる。
「……あんた、何者だい?」
ユバはどこか見定めるような視線をリオに向けてきた。
「……自分は二人の息子です」
真実を告げるか少し悩んだものの、質問をしている以上、こちらから情報を開示するのが筋だろう。
そう考えてリオは質問に答える。
「息子……。あんたが……」
どこか呆けたような表情を浮かべると、ユバは何かを確かめるようにリオの全身をジロジロと眺めた。
「……ルリ、あんたはあっちに行ってな」
すると、傍で興味深そうに公然と聞き耳を立てていたルリと呼ばれた少女に、人払いを言づけた。
「ええ~。なんでさ?」
と、ルリはどこか不満そうに頬を膨らませて言った。
「いいから。私はこの子と大事な話がある。今ここでした話を村の連中に話すんじゃないよ」
「え~? わかったけど……。ちぇ。ちょっと面白そうな感じなのに」
ブツブツと文句を言いながら、ルリが家の外へと出て行く。
「で、あんた、リオと言ったね。あんたがさっき言ったことは本当かい?」
ルリが出て行ったのを確認し、ユバが鋭い視線をリオに向けてきた。
「さっき言ったことというと自分がゼンとアヤメの息子ということですか?」
「ああ」
と、真剣な面持ちで、ユバは短く答えた。
「はい。と、言っても証明できるものはありませんが。父の記憶はありませんので、せいぜい母の特徴や生前に母から聞いた話を語れるくらいでしょうか」
「悪いがそれを教えてくれるかい? 私はあんたが本当にあの二人の息子か測りかねていてね」
ユバの視線にどこか疑うような節の感情が混ざっていることにリオは気づいていた。
「なるほど。確かに仰る通りですね。では自分の知る範囲のことで語らせていただきます」
そう言って、リオは母の特徴と父との思い出話を語り始めた。
その話をユバは黙って聞いていく。
話の途中から、ユバはどこか懐かしそうな表情を浮かべ、じっとリオの顔を見つめていた。
「……疑って悪かったね。あんたがあの二人の息子だと信じさせてもらうよ」
ある程度語ったところで、納得したような表情を浮かべ、ユバからリオがゼンとアヤメの息子であることを認める発言が出てきた。
「いえ、二十年近く前に立ち去った人物の子供だと名乗る者が目の前に現れても、すんなりと信じることはできないでしょうから」
リオがユバの考えに同意するように小さく頷く。
「そう言ってもらえると助かるよ。あんたはアヤメ様の面影があるからね。半ば信じかけてはいたんだけど確信が欲しかった。それで、ゼンは、アヤメ様は、どうしてるんだい?」
と、僅かに加速した口調でユバは尋ねた。
二人がどうしているのか気になって仕方がないという感じだ。
この人物がゼンとアヤメの知人であり、二人のことを気にかけている以上、彼らが既に死んでいるという情報を伝えないわけにもいかないだろう。
「父は自分が赤ん坊の折りに他界しました。それに母も私が幼少の頃に……」
と、質問に答えながらも、好奇心を隠さない風のユバについて、リオは彼女が両親とどのような関係にある人物なのかを考えていた。
「……そうか。あの子は逝ったのかい。ったく……」
どこか寂しそうな表情をユバは覗かせる。
「その……、父と貴方の関係をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
と、リオはユバに質問を投げかけた。
「私はあの子の母親さ」
返ってきたのは予想していた答えの一つだったからか、不思議と驚きはなかった。
「そう、でしたか……。そうなると貴方は私の祖母ということになりますよね?」
両親以外の肉親に初めて出会えたことに、どこか気恥ずかしさを覚え、苦笑しながら、リオが言う。
「ああ。そうなるね。なんとも不思議な感覚だよ。だが、よく生きていてくれた。今まで大変だったろうに」
先ほどまでの緊張がとれたような優しい顔つきで、ユバがリオを見つめた。
「まぁ、それなりに大変ではありました。ですが、今こうして生きていますから」
ユバの視線を受け止め、リオが曖昧に微笑む。
その表情から、ユバは今までリオがどのように生きてきたのか、その境遇と、それに対するリオの感情を、読み取ることはできなかった。
「そうか……。それで、あの二人はちゃんと西の果てにたどり着けたのかい?」
西の果て、というのはおそらくシュトラール地方のことだろう。
「ええ。そこにある国で自分は生まれましたから」
「そうか。それは良かった。あんたという息子を産めたのなら二人も幸せだったろうね」
「それは……、はい。そうだと思います」
父は仕事の最中に死に、母は強姦の末に殺された、という過去の出来事が一瞬だけ頭の中に過ぎり、リオが言いよどむ。
「……そうか。それは、良かったよ。……それで、あんたは西の果てからわざわざここまでやって来たってことだよね? どうしてまたそんな大変な思いをして?」
ユバは長年の経験で僅かなリオの表情の変化に気づいたが、特に深く聞くことはせず、リオが遠い異邦の地からこの場所までやって来た理由を尋ねた。
「はい、両親の墓をこの地で作ってあげたいと思っていまして……」
遺品も何もないが、あんな出来事があった地よりは二人の故郷に墓を作ってあげた方が喜ぶだろうと、リオは考えている。
「……実はね、あの二人の墓はもう作ってあるんだよ」
すると、ユバがリオの予想していなかった言葉を口にした。
「墓が……作られてある?」
どういうことだ、とリオは考える。
生きている人間の墓を生前から作ることもありえないわけではない。
だが、墓というのはその地で眠ることを前提に作られるものであるはずだ。
年単位で移動に時間をかけて、危険な道のりを進み、大陸の反対側まで移動したリオの両親であるゼンとアヤメ。
シュトラール地方とヤグモ地方は同じ大陸にはあるが、お互いに地方名以外はほとんど何も知らないような異邦の地だ。
そんな場所へ向かった二人は再びこの地に戻ってくるつもりだったのだろうか。
少なくともリオの知る限りで母がヤグモへ戻るそぶりを見せたことはない。
そもそもどうしてゼンとアヤメはこの地を離れなければならなかったのか、それを知ることができれば推測できることもたくさんあるのではないか。
考えてみても答えが出ることはないが、生き証人に尋ねることはできる。
リオは頭の中に沸いた疑問をユバに尋ねるべく開口した。
「父と母はどうしてヤグモから立ち去ったのでしょうか?」
「あんたは何も聞いていないのかい……」
と、何かを悩むような表情を浮かべて、ユバが呟いた。
その様子から彼女ならその理由を知っているのだろうと考え、リオが事情の説明を求めようとしたところで、徐にユバが口を開いた。
「……悪いが私の口から事実を告げることはできないんだ」
非常に申し訳なさそうな表情を浮かべ、ユバは謝ってきた。
「今の私にかろうじて言えることは、あの二人が重罪人であるということ、この国では死んだ者として扱われていること、そしてこの村の外れに小さな墓が建てられているということだけさ」
そして、追加するように三つの情報をリオに開示した。
「重罪人……ですか」
僅かに困惑した声色でリオが言った。
いったい二人に何があったというのだろうか。
気にはなったが、無理やりユバから聞き出すわけにもいかないし、ユバの態度からどれだけ頼み込んでも話してくれそうな感じではない。
今は諦めるしかないだろう。
「とりあえずゼンとアヤメ様の墓まで私が案内しよう。二人を供養してやってくれるかい?」
リオが押し黙っていると、ユバがそんなことを言ってきた。
「ありがとうございます。是非お願いします。そのために来たようなものですから……」
背筋を伸ばし、微笑して、リオは言った。
そのまま村長宅を出ると、村の外れにある小高い丘へとやって来た。
周囲一帯を見下ろして村の様子を眺めることができるどこか居心地の良い場所だった。
そこにポツリと建てられている少し立派な石柱が二つ、日常的に手入れはなされているようで、風化している様子もなく小奇麗だ。
「これがゼンとアヤメ様の墓だよ。骨は埋まっていないけど二人の思い出の品が入っている」
ユバは優しい目つきでその石柱を見下ろした。
「この墓がゼンとアヤメ様の墓だと知っているのはこの村じゃ私だけさ。そもそも村人達はこれが墓だとも思っていない。ルリを含めてこの村の者達には内緒にしておくれよ」
「……わかりました」
いまだ事情は掴み兼ねているが、リオは小さく頷いて了承した。
「もしかしたら時が来れば二人に何があったのかを説明ができるかもしれない」
と、何を考えているのか、ユバはそんなことを呟いた。
ちらり、と、リオが石柱からユバへと視線を移す。
「だからその時までこの村で暮らしてみる気はないかい?」
それはどこか人を安心させる慈愛に溢れた面持ちだった。
「よろしいんですか?」
眼を瞬き、リオが尋ねる。
「あんたは私の孫なんだよ。孫が祖母に遠慮しちゃいけないよ」
晴れやかな笑みを浮かべてユバは言った。
「それに部屋ならたくさん空いているんだ。ルリの父親が戦争で死んで、あの子の母は流行り病で亡くなって、今じゃあの家は儂とあの娘の二人暮らしだからね」
そう言うユバの表情はどこか寂しそうである。
「ルリさんですか。彼女は……」
彼女とリオの間柄を予測し、リオが質問を投げかけようとした。
「あんたの従姉妹になるね。年は今年で十五歳だ」
そんなリオの言葉を繋ぐように、ユバが言った。
「そうですか……。このことも彼女には内緒になるんですよね?」
「ああ、あの子は自分に従兄弟がいるなんて知らないからね」
予想通りの答えに、了承の意味を込めてリオが頷く。
「わかりました。では、お言葉に甘えてしばらくこの村でお世話にならせてください。お願いします」