日本海中央部の,隠岐島から北東にかけて続く浅瀬の北端付近にある水深約 300mの浅瀬。最浅点 286m。中間に 2000m以上の深所をへだてて,北に最浅点 397mの北大和堆がある。 1926年測量艦『大和』が精査して大和堆と命名した。短径 20km,長径 130kmの巨大な浅瀬である。堆の頂上は平坦で,南部に花崗岩や片麻岩が露出しているところがある。堆の上には礫,砂,有孔虫化石が発見され,礫の岩質は花崗岩,安山岩,流紋岩,砂岩などで,これらの礫は円礫が多い。堆付近には湧昇流があり,サバ,タチウオなどの好漁場となっている。
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日本海の中央部にある海底の高まり。最浅部236メートル。付近の北大和堆とともに大和海嶺をなす。好漁場。名称は、大正15年(1926)に測量艦大和が精密調査をしたことから。
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日本海中央部にある東北東方向に細長い浅所(堆)。長さ130km以上,幅約20km,最浅所は北緯39°,東経134°08′の236m。1926年海軍水路部の測量艦大和が発見。北西方に2000mの深所を隔てて同程度の規模を有する浅所があり,1930年,海洋気象台の春風丸が発見,北大和堆と命名されている。この両者を合わせて大和海嶺ともいう。地震探査によると大陸的地殻構造を有し日本海の成因上重要な地域といわれる。好漁場。
→関連項目日本海
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日本海中央部にある大和海嶺の一部をなす堆。大和海嶺は比高約2000m,長さ約400kmで東北東にのびる。北は日本海盆,南は大和海盆に接し,西は2500mの深所を隔てて朝鮮海台に対する。海嶺中央部にある凹所により北大和堆,大和堆,拓洋堆に分けられる。大和堆は1924年特務艦大和が発見し,翌25年大和が精測して大和堆と命名された。北大和堆は30年海洋気象台の春風丸が465mの浅所を発見し春風堆と命名したが,翌31年大和が精測し416mの最浅所を発見し北大和堆と改名された。
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日本海の中央部にある最浅部236メートルの海底の盛り上がりの通称。1926年(大正15)に測量艦大和が精密な調査をして、その全貌(ぜんぼう)を明らかにしたので、大和堆とよばれている。すぐ北西には約2000メートルの谷部に隔てられて、最浅部397メートルの北大和堆があり、ともにイカなどの好漁場。正式には全体を大和海嶺(かいれい)とよぶ。[安井 正]
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