閑話 ラティーファの軌跡 その三
リオさんが都市から戻って来ると、私達は東に向けて走り出しました。
私は魔法を使って身体能力を上げているんですけど、リオさんは精霊術というのを使って身体能力を上げているらしいです。
精霊術というのはリオさんが言うには私と同じ種族の人達が使う技術だとか。
じゃあなんで人間族のリオさんは使えるんだろう。
そんなことを考えたけど、すぐにどうでもいいやと思いました。
うん、リオさんはリオさんだもん。
それで、リオさんが言うには私の魔力は多い方らしい。
魔力っていうのは身体の中にエネルギーみたいなものです。
よくわからないけど、体力みたいなもので、休めば回復する。
空っぽになるまで使ったことはないけど、空っぽにならないということは多いんだと思います。
身体能力を上げる魔法を使っている最中は体内の魔力が減っている感じはするけど、それでも余裕はあります。
平常時のリオさんの身体能力は私よりも下だけど、精霊術を使うと私が魔法を使っても負けるくらいの身体能力になるんです。
それにリオさんは体力もかなりあります。
私も鍛えてはいるけど、普段は室内に閉じ込められていた私とは走り込んでいる量が違うんでしょう。
走っていると私の方が先に体力の限界が来てしまうくらいです。
私が息切れしてリオさんに付いて行けなさそうになると、リオさんは機敏にそれを察して休憩をとってくれます。
リオさんは優しい人だと思う。
やっぱりあのお兄さんに似ているな。
お兄ちゃんって呼んでみたい。
呼んだら怒られるかな。
口数の少ない私に気を使っているのか、時折話しかけてくれるのも、あのお兄さんを思い出させます。
そんなことを考えていると、また私の走るペースが落ちてきました。
リオさんならきっとあのお兄さんのように私の異変に気づいてくれる。
そうして私を助けてくれるんだ。
そんなことを考えていると、リオさんが減速して立ち止まりました。
ほら、やっぱり。
リオさんは、私に近づいてきて、水を作ってくれました。
その水を私は一生懸命に飲みます。
ああ、美味しいな。
ふと、私のお腹が鳴ります。
不味い、と思って、私は条件反射的に首を勢いよく左右に振りました。
スティアードの前で私がお腹を減らすと碌なことが起きた覚えがない。
私が食事をするにあたってあいつの中で儀式が必要になるのです。
私は粗末な食事を食べるためになんだってやらされました。
だから、お腹が鳴った瞬間にそれを否定するようなまねをしてしまいました。
だけど、リオさんは優しく笑って――。
「昼にするか。……ほら」
と、言って、たくさん具の入った美味しそうなパンを私に差し出してくれました。
こんな美味しそうなパンはこの世界で初めて見ました。
これは食べてもいいってことなのかな。
私はリオさんとパンの間に何度も視線を往復させた。
「どうした?」
リオさんが不思議そうな顔して尋ねてきました。
「食べて、いい、ですか?」
リオさんなら、食べてもいいって言うんだろうけど、それを聞かないで食べるのが怖い。
もはや習性みたいなものです。
「遠慮しなくていい。食べていいんだ」
ああ、やっぱりリオさんは優しいな。
「はくっ、はくはく、っぐ、はぐ、ひっぐ、うっぐ」
私はしゃぶりつく様にむしゃむしゃとパンを食べ始めました。
すごくお行儀の悪い食べ方だったと思います。
でも、目の前に御馳走を置かれて、それを我慢しなくてもいいんだと思うと、我慢なんかできなくて、そのパンはすごく美味しくて、いろんな感情があふれ出して、私は思わず泣いてしまいました。
気がつくと、リオさんが私の背をさすってくれました。
リオさんに依存してしまいそうで怖い。
リオさんを私だけのものにしてしまいたい。
この人は私の仲間が暮らしている場所に行ったら別れると言っていたんだから、そんなのは無理だとわかっているのに。
そう思わずにはいられませんでした。
ふと、私の中で、リオさんはどこまで私のわがままを許してくれるんだろうかって考えが沸きました。
私が我儘を言えばこの人は私とずっと一緒にいてくれるんでしょうか。
どうだろう。
試してみたい。
でももう少し仲良くなってからでないとダメかな。
なんて考えて――。
ああ、私ってすごく嫌な子だ。
そう、思いました。
こんな世界で生きている間にずる賢くなってしまったんでしょうか。
でも、それでも、リオさんの優しさはまるでお母さんみたいに温かくて、私はリオさんに溺れてしまいたいと強く思ってしまいました。
その後、しばらく走り続けて、その日は野営をすることになりました。
リオさんは手慣れた様子で草と木だけでテントを作ってしまいました。
すごいです。
そして、料理を作るからその中で待っていてくれと言われました。
しばらくすると、どこからかすごく良い匂いがしてきて、私は思わずテントの中から出てしまいました。
今の私の鼻は前世の私の鼻とは比べ物にならないくらいに利きます。
鼻をひくひくと動かしながら、匂いをたどっていくと、リオさんがいました。
(うっ、笑われている……)
リオさんが私を見て笑っていることに気づき、私は顔を赤くして俯いてしまいました。
それでもその匂いに耐えることはできずにリオさんに近づきます。
「ほら、スープパスタだ。味付けはオリジナルだけどな」
そう言って、リオさんが器とフォークを差し出してきた。
私はその中身を見て驚愕してしまいました。
「…………『スパゲッティ』? これ、『スパゲッティ』ですか!?」
思わず大きな声を出してリオさんに聞いてしまいます。
「あ、ああ……、食べていいぞ」
私が大きな声を出して呆気にとられたのか、リオさんは戸惑ったように言いました。
けど、今はそんなことを気にしている余裕はありません。
だって、スパゲッティです。
前世でお母さんが作ってくれた私の大好物の一つです。
ああ、フォークを使って何かを食べるのも懐かしい。
息を吹きかけて、私は必死に熱々のスパゲッティを冷まします。
一口食べると、口の中に塩気の効いた最高の味が広がりました。
「はふ、はふはふっ」
私は我慢できずに口の中が火傷するような勢いでスパゲッティを食べていきます。
途中でリオさんから勧められたビスケットのようなパンをスープに浸して食べると、また違った味わいがあって最高でした。
スープの味も絶妙にマッチしていて、昔お母さんが作ってくれた手料理を思い出します。
そう、私は前世のお母さんとお父さんのことを思い出してしまい、ここでまた泣き始めてしまいました。
けど、スパゲッティが美味しくて、泣きながら食べるという器用な真似をしてしまって、気がつけば最後の一口を飲み干してしまいました。
(あ、空っぽ……)
思わず空になった容器も舐めてしまいます。
前世に比べて、ずいぶんと私も行儀が悪くなったものです。
すると、そんな私を見かねて、リオさんがお代わりをよそってくれました。
私は眼を輝かせてリオさんに頭を下げ、再びスパゲッティを食べ始めます。
食事を食べ終えると、テントに戻って身体を拭き、一日の疲れを癒すために早めに眠りに就きました。
そして、問題が起こります。
いい年をしてみっともないんですが、時々、私は夜泣きをします。
この世界のお母さん、前世のお母さんとお父さん、それにお兄さんの夢を見ると確実に夜泣きします。
酷い時は大声を出して泣きます。
そして、その日はちょうど夜泣きをしてしまう日でした。
それもかなり本格的なやつです。
泣き始めればすぐに意識は覚醒しますが、起き始めは気が動転しているため、状況判断もままなりません。
すぐ側ではリオさんが眠っていましたが、そんなことも忘れて私は泣いてしまいました。
もちろんすぐ側で眠るリオさんは私が泣いた瞬間に眼を覚ましました。
すると、リオさんはそっと私を抱きしめてくれました。
(あ……)
はたと、私の泣き声が小さくなります。
それは私の大好きな人達の温もりを感じた瞬間でした。
相手がリオさんだとはわかっていなかったけど、私はリオさんをギュッと抱き締めました。
そして、顔を擦りつけ、すすり泣き、やがて私は再び深い眠りに落ち、その夜はもう泣くこともありませんでした。
翌朝、目覚めると、私はリオさんに抱き着いていました。
既にリオさんは起きていたみたいですが、私があまりにも強く抱きしめていたこともあり、身動きをとらないでいてくれたみたいです。
顔を真っ赤にする私に対して、リオさんは――
「おはよう」
と、薄く笑って挨拶を言ってくれました。
その顔は涼音としての私の記憶の中にあるお兄さんにそっくりでした。
だから、この時から、私の中でリオさんをお兄ちゃんと呼ぶことにしました。
お兄ちゃんは、私が夜泣きしたことに特に触れず、普通に接してくれました。
それが私にはすごく嬉しかったです。
どうしてこの人は私に優しくしてくれたんだろう。
ふと、そんなことを思いました。
私はこの人を殺そうとしたのに……。
けど、この人から感じる優しさは本物だと思う。
それはどうして?
この人がお兄ちゃんだから?
ああ、きっとそうだ。
何故だかその言葉は私の胸にストンと落ちた。
だからもっと甘えてみてもいいよね?
そう考えて、私は、この日を境に、露骨にお兄ちゃんに甘えてみることにしました。
そうして何日も時間は経っていき、恥ずかしくて言葉ではお兄ちゃんと言えないけど、私はお兄ちゃんにたくさん話しかけてみました。
お兄ちゃんは私の言うことをなんでも聞いてくれるし、夜泣きしてうるさくしても嫌な顔せずに私に優しくしてくれる。
だからやっぱりこの人はお兄ちゃんなんだと私は確信を抱いていました。
それと私は以前に比べてよく夜泣きするようになりました。
たぶんお兄ちゃんの温もりを知ってしまったせいだと思います。
ある日、夜泣きした私は、いつものようにお兄ちゃんに抱き着き、思わず――。
「お……兄……ちゃん」
と、言ってしまった。
心の中の呼称が現実の呼称となった瞬間でした。
その時は寝ぼけていたけど、翌朝目覚めると、たしかにその時の記憶が残っていました。
それを思い出した時の私の顔は真っ赤になっていたはずです。
だけど、一度言ってしまった以上は、もう気持ちを抑えきることはできませんでした。
「お兄ちゃん!」
と、私は日常的にお兄ちゃんをそう呼ぶようにしました。
真っ赤な顔の私に、お兄ちゃんはどうしたのかと、聞いて来たけど――。
「だって、お兄ちゃんはお兄ちゃんだから……」
と、私が言うと、苦笑しながらも納得してくれたみたいです。
私の中でお兄ちゃんの存在がどんどん大きくなっているのがわかりました。
そして、その反動として、旅を続けているうちに、私はどんどんお兄ちゃんとの別れを恐れるようにもなりました。
お兄ちゃんは私と同じ種族の人達が暮らしているところまでしか一緒に行かないと言っていた。
けど、そんなのは嫌だ。
見ず知らずの人達と一緒に暮らすくらいならこのままお兄ちゃんと一緒がいい。
自分がどんどん図々しくなっていくのがわかる。
でも、もうお兄ちゃんの温もりを失いたくはなかった。
私は四六時中お兄ちゃんにくっつくようになりました。
食事を作っている時も、ご飯を食べる時も、眠る時も、引っ付きました。
お兄ちゃんに抱き着いていれば夜泣きだってしない。
お兄ちゃんは駄目って言うけど、お兄ちゃんならトイレや着替えをするときだって一緒にいて欲しい。
お兄ちゃんには私のすべてを見てほしい、すべてを知ってほしい。
お兄ちゃんになら私のすべてを差し出したってかまわないんだ。
そんな風に考えるようになって、ある日、遠くにすごく大きな樹が見えるようになりました。
前世で東京に出来たばかりの高い塔みたいな建物とどっちが大きいかなと悩むくらいに、それくらいに大きい樹だと思います。
私達はその樹に近寄ってみることにしました。
すると私は見知らぬ匂いを感知しました。
言葉では上手く説明できないけど、動物や魔物とは違う匂いです。
私が要領を得ない言葉でお兄ちゃんにそう言うと――。
「なるほど、な。そろそろいい時間だし、……とりあえず今日はここまでにしておくか」
と、お兄ちゃんは言って、その日はそこで野営をすることになりました。
いつものようにお兄ちゃんの作った美味しいご飯を食べます。
今日のご飯は大麦のリゾットです。
お粥とはまたちょっと違うけど、すごく美味しい料理です。
ご飯を食べると、テントに戻り、お兄ちゃんに抱き着き、私は深い眠りに就きました。
どれくらい眠ったんでしょうか。
どういうわけか眠りながらお兄ちゃんの感触がないことに気づき、私は久々に夜泣きしてしまいました。
ふと、目が覚めると、まったく見知らぬ場所に私はいました。
すぐ側には、私と同じくらいの小さい女の子と、綺麗な翼を持つ女の人がいます。
でも、お兄ちゃんがいません。
いない。
お兄ちゃんがいない。
そのことに気づくと、私は大泣きしてしまいました。
何やら女の子達がお母さんに教えてもらった言葉で話しかけてきたけど、私はなんて答えたかわかりません。
「お兄ちゃんはどこ?」
ただそう繰り返す様に叫んでいたんだと思います。
すると、ふと、お兄ちゃんの匂いを、私の鼻が捉えました。
間違いない。
間違えるはずがありません。
私はお兄ちゃんがいる場所へと急いで走り出しました。
(行っちゃやだ! お兄ちゃん!)
お兄ちゃんは黙ったまま私をここに置いて行ってしまうんでしょうか。
ここが私と同じ種族の人達が暮らす場所だから?
嫌だ。
絶対に嫌だ。
お兄ちゃんと離れるのが怖くて、私は必死でした。
建物の中は広かったけど、匂いをかぎ分けていたので、道に迷うことはありません。
やがてお兄ちゃんがいる部屋を見つけて、扉が開いていたことから、私はその中に飛び込むように走り込みました。
いた。
いました。
お兄ちゃんだ。
良かったと、そう思って、私はお兄ちゃんに抱き着きます。
すると部屋の中に次々と人が入ってきました。
やがて私と同じ狐耳のお婆ちゃんが入って来ると、その場にいた女の子たちが何やら事情を説明し始めました。
完璧ではないですが話の内容はわかりました。
(この人達がお兄ちゃんをこんな目に!)
それを理解した瞬間、私は本気でこの人達に殺意を抱きました。
お兄ちゃんの敵は私の敵だ。
女の人が私の殺気に反応して身構えて、まさしく一触即発の状態でしたが、流石に人数的に私が圧倒的に不利です。
どうやってお兄ちゃんを連れてここから逃げようかと頭の中で考えていると――。
「すまぬ。とりあえず事情を知りたい。その上でこちらに非があれば謝罪もする。まずはその者の手かせを外そう。今はそれで納得してくれぬか?」
と、私と同じ狐耳のお婆ちゃんが言ってきました。
このお婆ちゃんは私や私のお母さんと同じ種族だ。
この人の言うことは信用できるだろうか。
お兄ちゃんはこの人達は優しい種族だと言っていた。
今の状況からすると、そうだとはとても思えないけど、お兄ちゃんの言葉だ。
一度くらいは信じてみてもいいかもしれないと思いました。
「……なら、早く外して。何かしたら、殺す」
私がそう言うと、狐耳のお婆ちゃんはお兄ちゃんの手かせを外す様に綺麗な女の子に命令しました。
なにやら背中に翼のある女性が慌てていましたが、狐耳のお婆ちゃんはその女性を叱りつけます。
耳の長い綺麗な女の子がお兄ちゃんの手かせに手をかざすと、すぐにお兄ちゃんの手かせが外れました。
「ラティーファ、俺は大丈夫だからその殺気を鎮めるんだ」
安堵する一方で、いまだ警戒して殺気をまき散らす私に、お兄ちゃんが優しく言いました。
少し納得はできなかったけど、お兄ちゃんが頭を撫でてくれたらすぐに落ち着くことができました。
それからお兄ちゃんが怪我の治療をすると、部屋を移動して話し合いをすることになりました。
何やら小難しい話をしていたので、私は途中で眠ってしまいましたが、目が覚めるとお兄ちゃんが私の隣で眠っていることに気づきました。
それに安心してお兄ちゃんに抱き着くと、私は二度寝をすることにしました。
そして、次に眼を覚ますと、お兄ちゃんと一緒にお昼ご飯を食べました。
すぐ傍には先ほどお兄ちゃんと話しをしていた女の子達が三人いて、私に話しかけてきます。
最初はお兄ちゃんに意地悪をした人達だし、あまり話そうとは思えなかったけど、お兄ちゃんが仲介してくれたおかげで、少しずつ私からも彼女達と話すようになりました。
どうやら悪い子達ではないみたいです。
歳の近い女の子達と話すのは新鮮で、少し恥ずかしかったけど、気がつけばだいぶ仲良くなれました。
夕方になると、お兄ちゃんは偉い人達と面会すると言って、私を残してどこかへ行ってしまいました。
すごく不安だったけど、大丈夫だというお兄ちゃんの言葉を信じて、待つことにしました。
一緒に残った女の子達とお話をすると、ここが精霊の民の里と呼ばれる場所であると教えられました。
女の子達は、銀狼獣人のサラお姉ちゃん、ハイエルフのオーフィアお姉ちゃん、エルダードワーフのアルマお姉ちゃんといって、それぞれ私よりも年が上でした。
しばらくしてお兄ちゃんが戻って来ると、小さな宴会が催されることになったそうで、私はお兄ちゃんと一緒にそれに参加しました。
詳しい話はよくわからないけど、どうやらお兄ちゃんはしばらくこの里に暮らすことになるそうです。
つまり、まだまだお兄ちゃんと一緒にいられるということです。
それが嬉しくて、お兄ちゃんと離ればなれになることに対する恐れはすっかり忘れて、私はその宴会を楽しむのでした。