第29話 旅立ち
精霊祭の日から瞬く間に一年近くの月日が流れた。
盟友となったリオは精霊の民達とそれまで以上に深く交流を図ってきた。
幾度となく料理教室を開いたり、ウズマを始めとする精霊の民の戦士達と模擬戦を行ったり、里の仕事を手伝ったりと、本当に色々なことがあった。
そして、ヤグモに向けて出発する日が近づいたある日、リオは最長老達から呼び出しを受けた。
「うむ、よく来てくれたな」
リオが呼び出しを受けた部屋に入ると、シルドラ、ドミニク、アースラの三人が笑顔でリオを歓迎した。
「いえ、本日はどのような用件でしょうか?」
歳は離れているが、既に最長老達とも気の知れた仲だ。
リオも軽く微笑して挨拶を返す。
するとシルドラが代表して用件を切り出してきた。
「今日リオ殿をここに呼んだのはほかでもない。これから旅立つ盟友に対して我らに出来る援助をしたいと思ってな。まずはこれを受け取ってくれ」
と、リオの見立てではミスリル製であろう精霊石と術式の埋め込まれた腕輪を差し出してきた。
「これは……」
その凝った意匠にリオが目を見開く。
「それは時空の蔵という霊具だ。核となる精霊石が登録した所有者のオドを吸い上げ、時間的空間的に隔離された独自領域を構築する次元魔術が込められている」
登録以降、物を収納したいときは、時空の蔵にオドを込め、登録者が対象に触れて『
逆に、中に入っている物を取り出す時は、時空の蔵にオドを込め、取り出したい物を想像し、『
なお、作成される空間は登録者の魔力の量に比例する。
「っ、……そのような貴重な品を受け取るわけには」
時空の蔵の効果を聞いてリオが驚きを露わにし、受領を拒む。
人間族にとっては神魔戦争期のアーティファクト級に貴重な品物だ。
リオの想像では値段をつけることもできない。
「気にしなくともよい。これも盟友の証だ。それに、こちらから知識を与えるどころか、リオ殿からも色々と知識をもらってしまったしな」
だが、シルドラが差し出した手を引っ込めることはない。
アースラ達から精霊の民の知識を教えてもらう一方で、リオは自分の知りうる限りでこの里の発展に役立ちそうな知識を前世のものを含めて精霊の民に教授していた。
レンズ、爪切り、ハサミといった日常生活で何気なく使う日用品のアイデア、料理と加工調味料のレシピや、農作業に使う道具、さらにはチェス、将棋、トランプといった娯楽の品々、果てには法整備などにもリオは口を出している。
そういったリオの功績も踏まえて贈呈する品だとシルドラは言っている。
「しかし……」
それでも自分が行った功績と時空の蔵の価値が釣り合っていない。
リオはどこか納得できていないように声を出した。
「細けぇこたぁいいんだよ。それが盟友ってもんなんだからな。それに贈り物はそれだけじゃねぇぜ」
と、気風の良い声でドミニクが話しかけてきた。
「俺からはドワーフ特製の武具一式をプレゼントする。リオの坊主はまだまだ成長するだろうからサイズには少し余裕を持たせてある。里に戻って来た時には再度調整してやるぜ」
背後に置いていた装備一式の存在には気づいていたが、まさかそれらが自分への贈り物だとはリオも気づいていなかった。
「そんな……」
一目見て高級品とわかるそれらを見てリオが戸惑ったような声を出す。
「いいから受け取っておけ。もうお前専用に作っちまったんだ。受け取り拒否はできないぜ」
そう言うと、ドミニクは武具一式の説明を始めた。
ミスリル製の片手剣、ミスリル繊維のクロースアーマー、黒飛竜革の鎧、篭手、靴、ロングコート、どれも時空の蔵には及ばないものの、人間族の技術では加工するのが難しい品々ばかりである。
すでに十四歳になっているリオの身長は百七十センチ中盤に差し掛かっている。このまま成長すれば百八十センチには届くことだろう。
どれもリオが成長した時にも使えそうな非常に質の良いものであった。
「これほどの武具を……」
その出来具合に見惚れたように、リオが呟く。
「良い出来だろ? 俺直々に作った品々だからな」
ドミニクは誇らしげな表情を浮かべた。
「さて、贈り物があるのはドミニクだけではないぞ。私からはエルフの薬を一通り用意した。効用を書いたメモもあるから確認するといい」
そう言うと、リオに一枚の紙を渡し、シルドラは傍に置いていた大きな木箱に視線を移した。
それらの中に薬が詰められているのだろう。
エルフの作る薬は素材が貴重なことに加えて精霊術を用いて作成されるものが多い。その効果は人間族が作る薬とは桁外れである。
渡されたメモの一覧には秘薬や霊薬と呼ばれるものあり、リオは目を見開いた。
「秘薬や霊薬まで頂いてよろしいのですか?」
「ははは、遠慮しないでいい。材料さえあればリオ殿ももう作れるだろう?」
窺うようなリオの視線に、シルドラが大したことではないという風に言った
「その材料が貴重なのでは?」
なにぶん人間族では栽培が困難なものばかりだ。
中にはドリュアスの樹液を必要とするものもある。
「なに、人間族の領域では見つけることが難しい素材ばかりだが、この里ならばそうでもない。遠慮せずに持っていきなさい」
ドミニクとシルドラの厚情に言葉もなく、リオは深く頭を下げる。
「さて、まだ儂の分が残っておるぞ。儂は食糧を用意した。一人で食べるなら五年分は容易にある。量が量だけにこの場には持ってきていないから、後で時空の蔵の中に入れるとよい」
そこに止めと言わんばかりにアースラは五年分の食糧を用意したことを告げた。
それだけ大量の食糧であっても、時空の蔵があれば腐ることなく保存することが可能である。
時空の蔵と三人の支援とを併せて、これ以上は考えられない程に十分な支援であった。
「しかし……これほどの支援を受ける理由が見当たりません。どうして……」
あまりにも多大な援助にリオが戸惑ったように呟く。
「同胞であるラティーファを救い出してくれた恩、手違いで迷惑をかけたことを水に流してくれた件、里の生活をさらに豊かにしてくれた功績、さらには準高位精霊と契約せし盟友であること。我々には君を援助すべきこれだけの理由がある。十分な理由だろう」
そんなリオの疑問にシルドラが答える。
「これは長老会議でも正式に決議されたことだ。我々が君に行ったこと、君が我々にしてくれたことの対価として見合うものだと、我々が悩み導き出した答えなのだ。是非、受け取ってほしい」
揺るぎない口調だった。
心の底からそのように思っているのだろう。
シルドラ達の視線を真っ向から受け止めると、リオは言葉を紡ぎだした。
「……至らぬ我が身に皆様方の重ね重ねの御厚情、誠に感謝の言葉もありません。万が一、精霊の民に危機が及ぶ折りには、盟友としてこの身を差し出し助力することを誓いましょう」
同時に、精霊の民が宣誓する時の所作で、決然と告げると、深く頭を垂れて、リオは深い謝意を示した。
☆★☆★☆★
そして、つい先日に二度目の精霊祭を終えると、遂にリオが精霊の民の里を出発する日がやって来た。
「みなさん、この二年間、本当にありがとうございました」
見送りにやって来た面々に向けてリオが礼を告げる。
「行ってらっしゃい。お兄ちゃん!」
旅の別れを惜しむように、先ほどからラティーファがリオに強く抱きついている。
「ラティーファ、リオさんが苦しくなっちゃうわよ」
引っ付く様に身体をくっ付けるラティーファを制するように、サラが声をかけた。
「しばらく会えなくなるからお兄ちゃん成分を今のうちに補充しておくの! サラお姉ちゃんも抱き締めたいなら今のうちだよ!」
と、ようやくリオから離れたラティーファが言った。
「なっ、わ、私は抱き締めたいわけじゃありません!」
顔を真っ赤にしてサラは否定する。
「ふーん。オーフィアお姉ちゃんとアルマお姉ちゃんはちゃんと挨拶をしているみたいだけど……」
ちらり、とラティーファがリオの居る場所へ視線を送る。
「え、あ!」
すると、いつの間にオーフィアとアルマがリオのもとへと移動していたことに気づく。
「リオさん、行ってらっしゃいませ。帰って来たらまた一緒に料理を作りましょうね!」
にっこりと満面の笑みを浮かべて、リオの門出を祝福するように、オーフィアはリオを軽く抱擁した。
このように軽く抱擁することは精霊の民が特に親しい者に対して行う親愛表現の一種だ。
とはいえ同年代の異性に対して無暗に行うものではない。
恥ずかしげもなく行えるのは、非常に温和でおっとりとしたオーフィアの性格ゆえである。
少しうっかりしたところもある天然な少女だが、その笑顔はいつも曇ることがなく周囲の者を明るく照らしている。
「ええ。旅の間に新しい料理を覚えておきますね。ついでに美味しい食材があれば見つけてきます。それに良い茶葉も」
料理が趣味であるオーフィアとは、料理教室以外でも一緒に料理を行うことは多かった。
また、彼女は大のお茶好きでもあることから、お茶を淹れ合ってティータイムで語ることもあった。
彼女には良い食材や茶葉があれば買っていこうとリオは考えていた。
そして、オーフィアが抱擁を終えると、続いてアルマがリオの前へとやって来た。
「き、気をつけて行ってきてください。旅の安全をお祈りしています」
そう言うと、アルマも顔を赤くしながらリオを軽く抱擁する。
リオとアルマでは既に四十センチ近く近く身長差があるので、傍から見ると大人と子供のようにも見える。
理知的でどこか背伸びしたところのある女の子、というのがアルマに対して抱いているリオの印象だ。
それでいて気を許した相手にはどこか甘えん坊なところもあるギャップのある少女だった。
「ええ。お土産に外で美味しいお酒があったら見つけてきますね」
「う……、はい。お願いします」
ドワーフの
同じく酒好きなリオは彼女と一緒に飲み交わすことも多く、その嗜好は心得ている。
お土産に酒というのは自分でもどうかと思ったのか、いっそう顔を赤くしながらも、外の酒を飲んでみたいという気持ちに逆らうことはできず、アルマはリオに酒を買ってきてもらうことを頼んだ。
「ほら、サラお姉ちゃんも!」
オーフィアとアルマの挨拶が終わるのを見計らって、ラティーファがサラの背中を押してリオのもとへと移動させた。
「わっ! こら、ラティーファ。 あ、えっと、リオさん!」
どこか照れた様子でリオの前で直立するサラ。
彼女とは幾度となく模擬戦を行ったが、リオの全勝で終わっていた。
サラは、模擬戦で負けるたびに悔しそうにして、徐々に躍起になって、言葉使いも変わってくる負けず嫌いな少女だが、それを悟られると慌てて恥ずかしそうにするお茶目な女の子である。
その反面、非常に生真面目で、他者に厳しくしながらも無償の優しさを贈ることができる子だ。
サラはこの一年間でリオから武術を学ぶようになっており、リオのことを師匠としても敬っている。
「はい、なんでしょうサラさん」
模擬戦の時に覗かせる恥ずかしがり屋な彼女の一面を思い出し、どこか可笑しくて仕方がない風の笑みをリオは口元に浮かべた。
「か、帰って来たらまた鍛えてください!」
やたら早口な口調でそう言うと、サラも焦った様子でリオに軽い抱擁を行う。
「ええ。サラさんにも何かいいお土産を見つけてきますので、楽しみにしていてください」
「はい。期待して待っていますね。お気をつけて!」
晴れやかな笑みを浮かべて、サラはリオの旅の安全を祈った。
そして、サラが挨拶を終えるのを待っていたウズマが入れ替わるようにリオのもとへやって来た。
「リオ殿。お気をつけて。サラ様と同じく再び貴方と戦えることを楽しみにしています。リオ殿に習った武術とやらもその時までにさらに鍛えておきますので」
ウズマにとってリオは模擬戦とはいえ死力を尽くして全力でぶつかることのできる数少ない相手であった。
誇りが高く、礼儀正しく、強者である者に敬意を払うウズマにとって、リオは非常に相性の良い相手である。
今では当初の苦手意識もなく、リオのことを好敵手として好意的に接していた。
さらには彼女もリオから武術を習っている一人だ。
人間族と異なり、精霊の民は、同族を相手に戦うことを前提としておらず、魔物や自然界に生息する生物を相手取ることを想定している。
それゆえ、型にはまった対人戦闘向けの技術である武術は存在せず、なまじ個の身体能力が突出しているせいか、感覚で戦闘を行うものが多い。
結果、身体能力は凄いが、対人戦闘を前提にして隙を無くすことを追求している者達からすれば、動きが単調に見えてしまうという弱点があった。
そんな彼らにリオはこの一年間で自らが身に着けている武術を教えることにしたのだ。
一年程度ではまだまだ技術は未熟だが、鍛練を積めば彼らはさらに強くなることだろう。
抱擁こそしなかったものの、二人は再戦を約束し固い握手を交わした。
「ええ、ウズマ殿もお土産を楽しみしていてください」
「ありがとうございます。貴方の御武運を祈ります。お気をつけて」
清爽な笑みを浮かべ、力強く頷くと、ウズマは後ろへ下がった。
「ほほ。では、いつまでも引き留めるのも悪いからの。老人どもはまとめて挨拶をするぞい。いつでも帰って来きなされ。ここはリオ殿の里でもあるからな」
すると、長老陣を代表して最長老の三人がリオのもとへとやって来た。
「おうよ、いつでも帰って来いよ!」
豪快な笑みを浮かべて、小柄だがガタイの良いドミニクがリオの腕をがっしりと掴んで言った。
「ああ。我等一同、リオ殿の帰りを待っている。貴殿の旅に精霊の導きがあらんことを」
シルドラは安らかな笑みを浮かべてリオの旅の安全を祈願した。
「みなさんには本当にお世話になりました。改めてお礼を言わせてください。ありがとうございました」
リオが深く頭を下げると、三人はどこか照れたように謙遜した。
「では、そろそろ頃合いかな。あまり出発が長引いても未練が残るだろう」
「そうじゃな。じゃがその前に……」
ちらり、とアースラが視線を後ろへ戻した。
「またね! お兄ちゃん!」
すると、これで最後だと言わんばかりに、再びラティーファがやって来て、リオを力強く抱きしめた。
「ああ、行ってくる。またな、ラティーファ」
名残惜しそうにラティーファの頭を撫でたが、やがてリオは踵を返した。
「みなさん! この身が精霊の民とともにあることこそは我が最高の誉れです。不肖の身ながら私を精霊の民の盟友に加えて頂いたこと、誠にありがとうございました」
大きな声でそう告げると、精霊術により風を操り、ふわり、とリオの身体が宙に浮き上がった。
「それでは! またお会いできる日を楽しみにお待ちしています!」
そう言って、軽く手を振ると、はるか上空へと舞い上がり、そのまま勢いよく彼方へと、リオは姿を消した。
精霊の民達もリオの姿が見えなくなるまで手を振っていた。
「行っちゃいましたね」
リオの姿が完全に見えなくなったところで、アルマがぼそりと呟いた。
「サラお姉ちゃん、オーフィアお姉ちゃん、アルマお姉ちゃん。私、負けないよ」
と、リオの消えて行った空を眺めながら、ラティーファが言った。
「……えっと、負けないとは?」
と、どこか戸惑ったようにサラが返事をする。
「お兄ちゃんの心の中には私たち以外の人がいるの。けど、私はそれでもお兄ちゃんをいつか振り向かせて見せる。もしお姉ちゃん達がお兄ちゃんを狙っているなら今のうちに宣戦布告しておこうと思って。まぁ、サラお姉ちゃんがリオお兄ちゃんのことをどうでもいいって思っているならいいけどね」
と、不敵な笑みを浮かべながら、ラティーファはサラを見据えた。
「な、わ、私は別にどうでもいいとは!」
顔を真っ赤にしてどちらともとれない曖昧な言葉を口にするサラ。
「ふふ、素直じゃないなぁ。サラちゃんは」
と、オーフィアがにっこりとほほ笑みながら言った。
「まったくです。恥ずかしがり屋で素直じゃないのはサラ姉さんの良くないところですよ」
アルマは仕様がないと言わんばかりに首を横に振った。
「そ、それはアルマも似たようなものじゃないですか!」
「私はちゃんとアピールする時はしていましたから」
そっぽを向きながらしれっと言ってのけたアルマ。
こういう態度をする時は恥ずかしがっている時だと、長年の付き合いでサラは心得ている。
「ほら、そういうところです! 恥ずかしがり屋で素直じゃないのは一緒じゃないですか」
「今はそういう話じゃないでしょう」
そうしてヒートアップしていくのはいつもの四人の姿だった。
この場にリオがいればきっとそれを横から楽しそうに眺めていただろう。
騒がしく語り合う四人の姿を、その場にいた精霊の民達も微笑ましく眺めている。
神聖暦九九八年。
リオがこの世界で記憶を取り戻してから七年以上の月日が流れた。
歴史が動き出す日は近い。