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精霊幻想記(Web版) 作者:北山結莉

第一章 異世界にて目覚める

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第7話 魔法

 放課後、リオは算術の講義で言われたとおりに少女の講師がいる研究室へと向かった。

 研究室の場所は図書館棟の地下にある一室である。

 リオが研究室の扉をノックする。


「…………」


 しかし、返事はない。

 リオは改めてノックをした。

 今度は先ほどよりも大きな音だ。

 しかし、またしても返事がない。


(いないのか?)


 今度はさらに大きな音でノックしてみた。


「すいません。先生!」


 加えて、少し大きい声を出すと、勢いよくドアが開いた。


「っだー! うっさいわね! 今良いところなんだから! って、あんた、リオだっけ? どうしたのよ?」


 危うくドアが額に直撃するところで、リオは超反射でドアを避けた。

 現れたのは、一見すると窓際で優雅にお茶でも飲んでいそうな深窓の令嬢、といった綺麗な少女だ。

 だが、見た目と一致しないあまりの豪放ぶりに、リオは唖然としかける。


「い、いえ。今日先生に言われた通りに数字を教えてもらおうと思ってきたんですが……」

「あー、そっか。今日は悪かったわね。私の配慮不足だったわ。あんたがどれくらいできるのか知る意味で指したんだけど、恥をかかせてしまったわね」


 と、どこか申し訳なさそうな表情で謝った。

 その様子に悪い先生ではないようだとリオは判断する。


「あ、いえ。効率的に生徒の学力を把握する上では必要なことだったでしょうから。こちらこそわざわざ先生のお時間を割いてまで教えを乞うことになってしまい恐縮です」


 女講師はリオの対応に目を丸くした。


「へぇ。平民の子供なのにその年齢でずいぶんと小利口そうじゃない。あんた七歳よね?」

「はい。と言っても、先生こそだいぶ若いですよね? あまりに若い方が講師をやっているので驚きました」

「そりゃそうよ。私まだ十二歳だし? 本当ならまだギリギリ初等科に通っているんだろうけど、飛び級で高等科も卒業しちゃったの」


 リオの言葉に少し気を良くしたように少女が語る。


「本当は魔法の研究を専門としていてそっちに専念したいんだけどね。片手間に講師業をやらないといけないの」


 ローブに包まれた小さな胸を突き出して誇る様子を、少しリオは微笑ましく感じた。


「それは、すごいんですね」

「まぁね! あ、そういえばあんた中途入学生だから自己紹介してなかったわね。私はセリアよ。セリア=クレール。一応、伯爵家の貴族だけど堅苦しいのは嫌いだから畏まらなくていいわ」

「はい。自分はリオと言います。どうぞよろしくお願いします」

「はいはい。よろしくね、リオ。じゃ、そんなところに突っ立ってないで部屋の中に入りなさいな」


 セリアに案内されてリオが部屋の中へと入る。


(き、汚い……)


 そしてあまりの部屋の散らかりように引いた。


「あー、ちょっと散らかっているけど、そこの椅子に座ってちょうだい」


(……ちょっと?)


 大きく異論を唱えたくはあったが、ぐっと我慢することにした。

 リオが着席するとセリアは羊皮紙を取り出して机の上に広げた。


「さて、まずは数字ってものの意味はわかっている?」

「わかります」

「ふーん、じゃあ、ここに八冊の本があるわ。あんたは六冊の本を読み終わった。まだ読んでない本は何冊?」


 確認する意味を込めてセリアはリオに簡単な計算問題を出した。


「二冊です」


 それに即答するリオ。


「あら、暗算で引き算ができるの? 足し算も?」


 予想外と言った様子でセリアが尋ねる。

 この世界の平民は現物を一つずつ数えながらでないと簡単な計算もできないのが普通だからだ。


「はい」

「じゃあこれの意味は?」


 セリアは先ほどの計算と同じことを羊皮紙の上に数式で書いた。


「わかりませんが?」


 数字の読めないリオは数式を理解できない。


「えっと、数字は読めないけど計算はできるってこと?」

「そうなります」

「何よ、そのちぐはぐな状態は……まぁ、ありえないこともないか。紙は平民にとっては高いだろうし……」


 セリアが呆れた顔でリオを見る。


「じゃあとりあえず数字だけ教えればいいってことか。そうね、とりあえずここに一から九までの数字を書くわ。それを覚えて頂戴」


 そう言うと、セリアはすらすらと数字を書いていった。

 書かれた数字はさほど難しいものではない。

 それらの数字を凝視すると、リオはほんの数十秒で数字を暗記した。


「覚えました」

「え、もう? じゃあ一から九までここに書いて」


 セリアは羊皮紙を裏返しにリオにして渡した。

 リオはスラスラと数字を書いていく。


「正解。しかも字綺麗ね……」

「あの、できればゼロを表す数字と四則計算の記号も教えてほしいのですが」

「……あんたゼロの概念を理解しているの? しかも数字が表意文字だってわかってるし、四則計算もできるってこと……よね。……こうよ」


 セリアがリオに言われたことを羊皮紙の上に書いていき、リオはそれを覚えていく。


「なるほど。ありがとうございます。これ以上、セリア先生の時間を割くのも心苦しいのでそろそろお暇しますね。この紙は一応貰っていってもいいですか?」


 セリアも忙しいようだし、用件も済ませたことから、リオはさっさと部屋から立ち去ろうとする。


「ちょっと待ちなさい! その紙はあげるけど、せっかくだから学力診断をしてあげるわ。今問題を作るから、ちょっと待ちなさい!」


 身を乗り出して迫るセリアにリオがたじろぐ。

 新たに羊皮紙を取り出すと、セリアがスラスラと問題を作っていく。

 その数、実に五十題、四則演算の問題が全て入っている。


「それじゃ開始」


 渡された問題をザッと眺めると、リオからしてみれば極めて簡単な問題が散りばめられていた。

 ほんの五分で見直しも含めて解き終える。

 その様子をセリアは驚愕した表情で見ていた。


「できました」


 セリアは羊皮紙を受け取ると瞬時に答え合わせをしていく。

 リオが解くのを見ながら答え合わせを行っていたのか、すぐに結果を通知することになった。


「全問正解よ……」


 と、僅かに苦笑いを浮かべて、セリアは言った。


「まぁ、その程度の問題でしたら。クラスの皆さんもそれくらいならできるのでは?」


 リオの言葉に、セリアが堪えきれないといった様子で笑いをもらす。


「ふ、ふふ……ふふ……。まぁ中には出来る子もいるでしょうね。でもね、それはいても学年で数人程度よ。しかもあんたほど早くしかも暗算で解ける子はいないわ」


 ここでリオは自らがやらかしたことに気づいた。

 貴族の中でも上位の貴族ばかりが通う学校というからには、それなりの学力を有する生徒が大勢いると思っていたのだ。

 実際、子弟達は自らの学力を誇示するように振る舞っていた。

 それならば、この程度は出来て当たり前だと、リオは勘違いしていた。


「あの、本当に御迷惑でしょうし、そろそろ……」


 不味い、と思ったリオが席を立ちあがろうとする。


「いいわ。時間ならあるもの。気にしなくていいの。ちょっとお話しましょ」


 立ち上がろうとしたリオの両肩を、セリアががっしりと押さえつけた。

 ふわり、と花の香水の匂いがリオの鼻をくすぐった。


「さて、たしかあんたつい最近まで孤児だったのよね?」


 その情報はセリアのような一介の講師にも伝わっているようだ。


「はい」


 取り立てて隠すべきことも出ないし、隠せることでもないことから、リオは素直に肯定した。


「その言葉づかいといい、算術の基礎をマスターしているところいい、どう考えても孤児が身に着けてるものじゃないわよね? どういうことよ!?」


 と、興奮した様子で加速していく口調で言った。

 年相応の可愛らしい笑みとは別に、有無を言わせぬ迫力があった。


「えっと、王立学院の中だと言葉づかい一つで苦労すると思ったので必死に覚えました。母が丁寧な言葉づかいをする人だったのでそれを参考にしています。算術についても幼いころに将来役に立つからって母に教わりました」


 嘘ばかりである。

 だが、母親の言葉使いについてだけは事実だった。

 リオの記憶ではリオの母は冒険者とは思えぬほどに綺麗な言葉づかいをする女性であった。

 汚い言葉づかいをしようものなら怒られた記憶は懐かしい。

 といっても、母の喋り方から学んだのは丁寧語の表現方法だけだ。

 一部の尊敬語や謙譲語の表現方法については、謁見の前にアリアから簡単に習っている。

 しかし、算術の習得経緯については完全に嘘である。

 まさか前世で習いましたというわけにもいかない。

 リオはポーカーフェイスで嘘をつくことにした。


「その、そっか、お母さん死んじゃったんだ。ひょっとして元貴族とかだったのかしら。いずれにしても素晴らしい人物だったのね。悪いことを聞いたわ。ごめん」


 リオの母が死んでいることを聞いてしまったことに罪悪感を抱いてしまったのか、セリアは雰囲気を一変させて申し訳なさそうに謝った。


「いえ、一応、心の整理はついていますから」

「そういうところが……。はぁ、いいわ。ずいぶんと大人びているのね」


 どうやらリオの発言に納得しきったわけではないようだ。

 だが、リオの過去を掘り下げて聞くのも悪いと思っているようで、突っ込んで聞いてくることはしなかった。

 なかなかお人良しな人間のようだ。


(貴族にはこんな人もいるのか……)


 今までに見てきた貴族の選民意識が強すぎたため、リオはだいぶバイアスがかかった状態で貴族と接してきた。

 とはいえ、彼女のような存在は極一部の例外なのだろうが。


「セリア先生こそずいぶんと大人びた雰囲気を持っていますよ」

「え、あら、そう? そっかー。リオにはわかっちゃうかー」


 どうやらリオの言葉にセリアは気を良くしたようだ。


(意外と扱いやすい人なのかな……)


 と、感情豊かなセリアを見て、リオは思った。


「っと、まぁ、それは置いておいて、算術について言えばリオが一気に学年トップに躍り出たわよ。ついさっきまで数字すら知らなかったのに、ね」


 だが、すぐに真面目な表情を浮かべ直すと、セリアは話を元に戻した。


「もう算術の授業に出なくてもいいんじゃない? 似たような内容が初等科の三年まで続くから」


 貴族の用事で休む生徒が大勢いるため、王立学院の講義の出席は任意となっている。

 それでも用がない限りは真面目に出席するのが一般的ではあるが。


「はは、さすがにそれはまずいでしょう。他の生徒達から反感を買うでしょうし」


 遅れてやって来た劣等生が授業に参加しないとなればあまり良い眼で見られないだろう。


「あー、まぁそっか。めんどくさいもんね。人間関係がさぁ。特に貴族がいるとねぇ」


 貴族社会の煩わしさを思い出したのか、明け透けな様子でセリアは嫌そうな顔をした。


「先生も貴族じゃないですか」

「まぁそうなんだけどねー」


 だいぶ素が出てきたのか、セリアの仕草も口調も砕けてきている。

 姿勢を少しだらしなく崩し、ぐったりと伸ばした細く色の白い肢が、年齢に似合わぬ蠱惑的な魅力を醸し出していた。

 黙っていれば深窓の令嬢にしか見えないため、正直、見た目とのギャップが激しすぎる。

 スカートが捲り上がりそうになって、リオにとっては目の毒であった。


「ところで先生は魔法を専門に研究していると仰っていましたが、具体的にどのようなことをしているのですか?」


 セリアの無防備さに内心でため息を吐くと、リオは話題を変えるようにセリアに質問を投げかけた。


「あら、魔法に興味ある?」

「はい」


 リオがそう返事をすると、セリアは、近くの棚から、複雑な幾何学文様が刻み込まれた無色透明な水晶を取り出した。

 セリアが手に持った瞬間から、その水晶は白く光を放ち始めた。


「えっと、これは?」


 机の上に置かれた水晶を見てリオが尋ねる。

 セリアが手を放した瞬間には、水晶は発光を停止した。


「これは魔法の適性を判断してくれる魔光結晶という名前の魔道具よ。表面の幾何学文様は魔石の粉を用いて刻み込んであるの。特殊な品でかなり高いんだから」

「魔石ですか?」

「魔石っていうのは魔物が体内に保有している物質よ。で、魔物は魔石を核として動く超常生命体って言われているわ。まぁ死んだら魔石を残して文字通り跡形もなく消滅しちゃうから何もわかってないんだけど……、一説によると迷宮が魔物の発祥地と言われているわね」

「魔物、魔石、迷宮……」


 と、あまりよく知らないが、名称だけは知っている興味深い単語を、リオは呟いた。


「で、話が逸れたから戻すけど、魔光結晶は身体の表面に滞留している魔力に反応して、これに触れて光るようなら下級の魔法程度なら使えるだけの魔力があるってことを意味するの。別名、測定石って言われているわね」


 その名称と効果をセリアが説明する。 

 人間は誰もが魔力を持っているが、その量は個人差がある。

 中には魔法がまったく使えないくらいに魔力が少ない人もいる。

 これはそんな魔法を使うための前提条件を判断するための魔道具らしい。


「それと光る時の色でどんな魔法が得意かもわかるわ。魔法使いとしてのタイプ分けもしてくれるってわけ」


 セリアの言葉を聞いて興味深そうにリオが水晶を見る。

 魔法使いとしての適性を判断する方法はともかく、どうして魔力の有無を調べるのにこんな迂遠な真似をしなければならないのか。

 リオは不思議に思った。


「へぇ、魔力って目で見えないんですか?」


 そう、リオは魔力と考えている光を目で見ることができるのだ。

 だからわざわざ測定石など使わずともよいのではないかと疑問に思った。

 その疑問をそれとなく聞いてみがら、リオは目に意識を集中させてセリアを見つめた。

 王立学院の生徒たちもなかなか多い魔力を持っている者が多かったが、その中でもセリアはかなり多い部類に入る淡い光を纏っている。

 ちなみに少し訓練したところ、今のリオは淡い光を見るにあたってオン、オフの調節ができるようになっていた。

 コツは目を魔力で覆うことだ。


「純粋な魔力は漠然と感じとれても目で見ることはできないわ。魔法が発動する時の魔法光は目で見えるんだけどね」


(……おかしい。じゃあ俺が見ている淡い光は何だ? 感じとることはできる? この光も感じとれている……よな)


「ほら、試しに置いてみなさい」


 セリアに促されておそるおそる水晶に触れると、無色透明な水晶が白く発光した。


(セリア先生と同じだ。白く光った。これは魔力を吸い取るのか? いや、魔力を帯びて可視化している? 俺が手を置いた瞬間に白い光が水晶を覆った。となると俺が見える淡い光は魔力か?)


 頭の中で冷静に分析していく。

 その横で、セリアが水晶の光を見て、目に僅かに驚きの色を浮かべた。


「おぉ、光っているじゃない! しかも白ってことは万能型よ! 魔力制御さえこなせればどんな魔法でも使いこなす適性があるとされる色よ! 私とお揃いね。白く発光する人間は少ないんだから」


 セリアがリオの隣でニコニコと笑っている。

 魔法使いのタイプには、他に道士型と闘士型が存在する。

 道士型なら赤く、闘士型なら青く発光することになっている。


「えっと、ありがとうございます。万能型ですか? なんかあまり実感がわかないですけど」

「まぁ、まだ魔力を感じとることもできないしね。魔力の感知、魔力の操作、術式契約と魔法を使うにはやることが多いんだから」

「なるほど。魔力の感知はどうすればできるようになるんですか?」

「一番簡単なのは魔力を扱える他人に魔力を身体の中に送り込んでもらってその違和感を察知することかな。まぁなかなか気づけない人もけっこういるんだけどね。魔力の操作はその後に習うことになるの」

「なるほど。その、質問だらけで恐縮なのですが、術式契約とは?」


 疑問に思ったことを解消するため、キーワードとなる単語の説明を求める。


「んー、一般的な定義を言うと、世界に干渉するためのフレーズを身体に染みこませる儀式が術式契約かな。小難しいわよね。まぁやってみるのが一番早いわよ。最初のうちは魔法の感知をするだけだからつまんないと思うけど、魔法の講義が進めば術式契約もやることになるからその時のお楽しみにとっておきなさいな」

「はい」

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