第25話 料理教室
精霊の民の里はエルフ、ドワーフ、獣人によって構成される一個の国だ。
千年以上昔に繰り広げられた神魔戦争を機に勢力を拡大した人間族との抗争を嘆き、原生林と呼ばれる未開地の奥深くに自らを封じ込め、およそ外部との交わりを絶ち、彼らは独自の発展とともに千年にも及ぶ悠久の時を過ごしてきた。
そんな精霊の民は、人口こそ人間族に比べると非常に少ないものの、農業、工業、医療、建築、あらゆる分野で、人間族の技術を凌駕している。
彼らを大きく支えるのは精霊術だ。
そして、人間族よりも長い寿命によりもたらされる知識の積み重ねである。
武具や魔道具の作成についても目を見張るものがあったが、リオからすれば一番驚きを受けたのが風呂文化と食文化である。
まず、精霊の民は、綺麗好きであり、自在にお湯を生み出せることから、日本式の風呂に入る習慣がある。
今まで行水で我慢してきたリオはいたく感動し、連日、精霊の民の風呂を堪能している。
また、精霊の民の里はリオからすれば食材の宝庫といえた。
膨大な種類の食材と、それを育む精霊術で管理された土壌により、あらゆる食物が一級品の状態で収穫される。
人間族の領域では育っていない作物はもちろん、同じ作物でも人間族の世に出回っている物とは品質が桁違いである。
精霊の民独特の料理が多く存在するが、リオは、最長老達から教えを乞う一方で、前世の料理を和洋中問わず数多く再現することに腐心していた。
当初は精霊の民の里の官庁施設にあった客間に暮らしていたリオだったが、正式にこの里に滞在することが決まってからは、アースラの自宅にラティーファと一緒に住まわせてもらっている。
食べ慣れたリオの料理を食べたいというラティーファの懇願がきっかけで、リオも料理をすることになったのだが、アースラ達家族の評判はすこぶる良かった。
ラティーファに呼ばれてやって来たサラ、オーフィア、アルマも、一度リオの料理を食べてからは、頻繁に足を通わせるようになっている。
お土産を渡したりして少しずつリオの料理を食べる者が増えてくると、そのうち長い歴史を持つ精霊の民ですら知らないレシピの豊富さが話題になる。
やがて、今までリオとの接触が避けられていた一般の精霊の民達の間でも、リオの料理に関する噂が広がっていった。
そこで、ラティーファが里の者達と交流を図る良い機会であったし、リオがこの里を離れた後にもラティーファが前世の料理を食べられるようにと、ラティーファにせがまれ、リオは定期的に料理教室を開催してはどうかとアースラに提案した。
すると、最初は長老陣の親族を限定にという条件で、試験的に料理教室を行うことが認められるに至った。
そんな料理教室が初めて開催される日、宴の際に利用される巨大な調理施設に、多くの精霊の民の女性陣が集まっていた。
彼女達は精霊の民の里の中でも上層部の家庭に暮らす者達である。
「米は色んな食べ方のある食材です。短粒種が炊いたり蒸したりするのに適しているのに対し、長粒種は煮るのに適しているのはみなさんご存知の通りだと思います。ただ、これも絶対というわけではありません」
精霊の民の里でお米を発見したリオは、初手となる第一回目の料理教室において、米料理を教えることを決めた。
キッチンに立ったリオを多くの精霊の民の女性が囲んでいる。その中にはラティーファ、サラ、オーフィア、アルマの姿もある。
「中には短粒種と長粒種を問わずに米を炒めて味付けをする料理もあります。こういった料理を作るときは利用する食材やどんな味付けをするかによって米の炊き方も微調整しなければいけません」
と、精霊の民の言語でリオは女性達に料理の解説をする。
「というわけで今日はオムライスという料理を作ってみようと思います。利用するお米は好みもありますので短粒種でも長粒種でもかまいません。他に最低限用意すべきものはタマネギ、塩、コショウ、それとトマトケチャップと呼ばれる加工した調味料です。ただより美味しく作るならバターも必要ですね。後はお好みでマッシュルーム、ハム、グリンピースなどを使います」
オムライスを作るのに必要な材料は既にキッチンの台の上に並べてある。
「では早速作ってみましょうか。本格的に作るために、まずは、バターライスと呼ばれるご飯を炊き上げます」
リオがバターライスの炊き方を指導する。
白米に味を加えて炊きこむという料理は精霊の民も知っていたので、この点について驚きはないようだ。
「バターライスにトマトケチャップと具材を入れて炒めたものがオムライスのベースになるチキンライスです。ただ、バターライスは違う味付けをして炒めることでピラフという料理にもなりますし、上からいくつかのソースをかけて食べる料理もあります。それについては後日教えるとしましょう」
バターライスの活用の幅に僅かに感心したような声が女性達から上がった。
色んな料理に利用できるのならば、多少手間がかかっても夫や子供のために作ることに吝かではないというのが女性たちの心理だろう。
「続いて、バターライスが炊き上がるまでの間にトマトケチャップを作りましょう。必要なのは、トマト、玉ねぎ、にんにく、しょうが、砂糖、塩、コショウ、ローリエ、唐辛子、コンソメ、シナモンです」
別の位置に取り分けておいたトマトケチャップの材料に視線を送ると、手順と必要な分量を教えながら、リオが手際よくトマトケチャップを作り始める。
「トマトケチャップは色んな料理に活用できるので便利ですよ。ある程度は保存もできますので作り置きしておくといいでしょう」
バターライスが炊き上がるまでの間にリオが女性達から寄せられる質問に答えていく。
「そろそろバターライスが炊き上がりますね。後はチキンライスを作り卵で包むことでオムライスの完成です。ちなみにチキンライスだけでも料理としては完成した品なので食べることはできます」
フライパンとヘラを巧みに使ってリオがチキンライスを作っていき、半熟のオムレツを作り、それを上手に包んだことでオムライスが完成する。
「これが一般的にオムライスと呼ばれるものです。さらに色んなソースをかけることでアレンジできますが、本日はトマトケチャップを少量かけることで食べてみましょう。では、みなさん試食してみてください」
調理の過程で放たれていた香りで、女性陣の食欲はこれ以上ない程に刺激されていた。
リオが試食の合図をすると、綺麗な仕草だが競う様に素早く女性達のスプーンがオムライスへと向かっていく。
蓋の役目をはたしていた半熟卵が破られると、周囲一帯にいっそう食欲をそそる香りが充満する。
分量は多いとはいえ一度に無理なく作れる程度の量しか作っていないことから、あっという間にオムライスが乗っかっていた皿は綺麗になってしまった。
一人一人が食べられたのは一口程度だろう。
それぞれ名残惜しそうに皿とスプーンを見比べていた。
「お気に召していただいたようで何よりです」
と、女性達の食欲旺盛ぶりに、リオが微笑を浮かべて言った。
リオが笑っていることに気づき、女性達が僅かに顔を赤らめる。
「今回教えたのは本格的なオムライスの作り方ですが、時間がない時や冷や飯が残っている時は、風味は劣りますがバターライスを作らずとも、白米をトマトケチャップで炒めて卵で包むだけでお手軽に作れたりもします。では、今度はみなさん自身で作ってみましょう」
それから、あらかじめ決まっていたいくつかのグループに分かれ、女性達が調理を開始した。
ラティーファもサラ、オーフィア、アルマを含んだ同年代の少女達と一緒の班になってオムライス作りに挑戦している。
手順にわからないところが出てくると、女性達から質問が寄せられ、リオが駆けつけて答える。
「いくつか完成したグループも出てきたようですね。出来あがったグループから食事を開始してけっこうですよ。本日はこれで終了なので、食べた後は片づけをして帰っていただいて結構です。お疲れ様でした」
その後、全てのグループが調理を終えたことを確認すると、リオはそのまま調理教室となっているキッチンルームから出て行こうとした。
が、そこでラティーファもいる少女達のグループから声を掛けられた。
「よろしいんですか? 自分がいてはみなさんの気が休まらないのでは……」
何故か少女達が作ったオムライスを一緒に食べることになり、十人以上の異種族の少女達に囲まれたリオが、少しばかり居心地が悪そうに言った。
自分は人間族なのだ。
あまり良い思いを抱いていないのではないかと、リオは少なからず危惧していた。
「そんなこと言わないでいいの。ラティーファがお兄ちゃんに食べてもらうって張り切って作ったんだから。お兄さんなら妹の作った料理を食べてあげないとね」
と、面倒見の良さそうな一番年上の猫獣人の少女が言った。
年は十六、十七歳といったところか。
「それに、リオ君、もう一年近くもこの里に暮らしているんでしょ? なのにあんまり里の人達と交流がないからさ。ずっと気になっていたんだよ」
「皆さんの所には自分に関してどの程度の情報が行き渡っているんですか?」
「私達はサラ様、オーフィア様、アルマ様、ラティーファ達から色々と聞いたんだよ。礼儀正しくて、精霊の民の言葉もすぐに覚えるくらいに頭が良くて、顔も良い、ウズマ姉と同じくらい武術の才がある、オーフィア様を凌ぐくらいに精霊術に長けている、何らかの精霊と契約を結んでいる、しかも料理も上手とくれば、気にしないわけがないでしょ」
「ア、アーニャさん!」
焦ったようにサラ達が声を出した。
自分達がリオに対して抱いているイメージを暴露されたようなものなので、気恥ずかしさを覚えたのだ。
「お世辞でもそう言っていただけると嬉しいです」
アーニャと呼ばれた少女の言葉を受け流す様に、リオは謙遜した。
「お世辞じゃないよ。人間族っていうのは寿命が短いから年齢の割に大人びていて早熟だって聞いたことがあるけど、謙虚だねぇ。今日の料理教室の様子を見たら人間族だとかそんなみみっちいこと関係なしに君の評判もグッと上がるんじゃないかな。ね、みんな?」
サラ達の視線を気にした様子もなく、アーニャがその場にいた少女達に話を振ると、周囲の少女達もそれに賛同するようにコクコクと頷いた。
「はい、なのです! この料理美味しいですよぉ!」
と、物凄い上機嫌な様子でオムライスを食べながら、ラティーファと同年代の狼獣人の少女が言った。
「えへへ、ベラちゃん、お兄ちゃんの料理は美味しいって言ったでしょ」
「はい! 流石はラティーファちゃんのお兄様なのです!」
ずいぶんとラティーファとは仲が良いようだ。
二人の仲睦まじい様子にリオが薄く微笑む。
「ありがとう。ラティーファのことをよろしく頼むよ」
「ふふ、もちろんですよぉ!」
オムライスを食べながらも、じゃれつくような笑みを浮かべてベラが頷いた。
「こら、ベラ、喋りながら食べるんじゃありませんよ」
サラが姉の表情を浮かべてベラをやんわりと叱る。
「わふ、サラお姉様、ごめんなさいなのです!」
「あらあら、ベラちゃん」
子犬のようにしゅんと小さくなったベラ。
そんな彼女をオーフィアが宥めた。
その様子を見て少女達が仕方がないなと笑う。
「それにしてもリオ兄様はどのような精霊様と契約を結んでいるのですか?」
と、ベラが敬意と好奇心の織り交ざった視線をリオに向けて聞いてきた。
(に、兄様?)
聞き慣れぬ敬称に戸惑いを覚えながらも、不快感を覚えることはなかった。
どうもベラという少女は人懐っこい気質を持っているようだ。
「実は自分でもわからないのですよ。どうも休眠状態にあるらしくて、霊体化した状態で私の身体の中で眠っているそうです」
と、どこか困り顔を浮かべてリオは語った。
「へぇ。どんな精霊なんだろうね。精霊と契約を結べるっていうのは私達にとって最大級の憧れだから羨ましいな」
と、アーニャが、オムライスを口にし、相好を崩して言った。
アーニャの言う通り、精霊と契約を結ぶと言うのは精霊の民にとってこの上ない名誉である。
それゆえ、精霊と契約を結んでいる者に対しては一定以上の敬意を支払われることになり、それは人間族であるリオであっても例外ではなかった。
今回の料理教室の開催が認可されたのも、リオに契約精霊がいることがアースラの口から語られて、長老達に知られるに至ったというのが大きい。
「ま、今日はせっかくの機会だから色々とお話をしてみたいな。そういうわけでたくさん質問するからね!」
その言葉を皮切りに、少女達から様々な質問を投げかけられ、終始にぎやかな雰囲気の中、リオは少女達と何気ない会話を繰り広げて交流を深めた。