第6話 入学
ベルトラム王立学院の新年度が始まって既に二か月が経過している。
リオは中途入学することになったわけだが、当然のように注目を集めることとなった。
初めてのホームルームではリオが自己紹介をすることとなった。
「今日から皆様と同じこの教室で学ばせていただくこととなりました。リオと申します。どうぞ六年間よろしくお願いします」
と、リオは淀みのない口調で淡々と挨拶をした。
「中途入学生?」
「家名を名乗らぬとは、平民か」
「平民がどうして中途入学を?」
「私聞きましたわ。何でもクリスティーナ様の危機を助けた孤児がいると。その恩賞で国王陛下の推薦により王立学院に入学することになったとか」
「孤児? そんな奴がこの栄えある王立学院に入学するというのか?」
拍手の一つも起こらない。
代わりに品定めをするような会話が随所で行われ、似たような視線がリオに集められた。
随分と小憎たらしいが、それは七歳にして貴族社会に染まっている姿だった。
王城に勤める上流貴族の子弟は親から、既にリオの情報が与えられているようである。
当然のようにリオが孤児であったということも知られており、特権階級である彼らはリオを珍妙な生き物でも見るような視線を送っていた。
リオにとっては完全に予想通りの展開である。
まったく気にした様子のない冷静な表情を浮かべて、リオは視線だけ動かしてクラスを一瞥した。
見渡してみたところ百人ほどの生徒が教室の中にいた。
一学年三クラスで、一クラスの人数が百人である。
平民と貴族の間には身分の差という明確な壁が存在し、貴族の中でも家格という壁が存在するが、学院の中での関係に身分を持ち出さないというのが建前として校則となっている。
だが、クラスの雰囲気からすると、それは形骸化しているようである。
(まぁ学院で関係なくとも卒業したら関係が大有りだからな。ん……?)
ふと、リオは一人だけ見知った顔を見つけた。
その人物は教室の後ろの席に座っている。
周囲にはいかにも家柄の高そうな人物達が座っており、リオのことを見下したように見つめている。
リオと視線が合うと、クリスティーナは不機嫌そうにそっぽを向いた。
ずいぶん嫌われているようだと、リオは内心で皮肉げに笑った。
リオとしてもクリスティーナとは関わるつもりは毛頭ない。
あちらがリオに嫌悪感を抱いているというのならば、むしろ好都合であった。
「ふむ、生徒からの質問は……ないようだな。よし。リオ。空いている席に座れ。基本的に席は自由だが、今空いている席に座ることをお薦めする。以上だ」
「わかりました」
リオの横で立っていた講師は簡潔にそう言うと、リオに着席を促した。
リオとしても、これ以上教室の前に突っ立っているのは好ましくなかったので、さっさと空いている席へと移動する。
こうしてリオの学院生活は始まった。
授業は一日四コマ、一コマあたり一時間半をかけて行われる。
最初の授業で、問題は起こった。
それは算術の時間だった。
「そうね。じゃあ、新しく入ったリオとか言ったわね。アンタこの問題解いてみなさい」
クラスの担任となる講師はいるが、科目ごとに担当する講師は異なるようであった。
算術の授業を担当しているのはかなり若い少女の講師である。
日本ならばまだ小学校高学年、百歩譲って中学生程度にしか見えない、そんな少女がリオを指した。
指定された問題は日本の小学一年生ならば誰でも解けるような非常に簡単な問題であった。
しかし、リオがそれを理解することはできない。
「えっと、書いてある数字が読めません」
そう、リオは数字が読めないのだ。
そのことを伝えると、一瞬の静寂の後にクラス中から笑いが起こった。
「おいおい。数字も読めないのに王立学院に入学できたのかよ」
「数字すら読めぬ下賤なものと一緒に学ぶことになるとは……」
「あー、あれでしょ。アイツ試験受けてないんでしょ」
「これだから下賤な奴がいると嫌なんだよな。頭悪いし」
クラスの子弟達は他者を
至る所でリオを小馬鹿にする会話が繰り広げられた。
「そっか、数字を読めないのね。そこから教えないといけないのか。……いいわ。あんたには後で私が数字を教えてあげる。放課後になったら私の研究室に来ること。今日のところは訳が分かんないだろうけどそのまま授業を聞いてなさい」
と、少女は頭を抱えながら言った。
「わかりました」
リオは特に気にした様子もなくその決定に従った。
「ねぇ、あなた」
算術の授業が終わったところでリオに声がかけられた。
相手の方を見ると、典型的なお嬢様といった可愛らしい少女が、何人かの取り巻きを連れて立っていた。
リオはクリスティーナの近くに座っていた集団だったことに気づく。
「はい、何か?」
「何か? じゃ、ありませんわ。先ほどの講義はどういうことですの?」
嘆かわしいと言わんばかりの表情を少女は浮かべた。
「数字すら理解できないなんて。この歴史ある王立学院に、しかもクリスティーナ王女殿下や私のいるクラスに、猿が紛れ込んだと思ってしまいましたわ」
どうやらこの少女はリオにクレームをつけにきたらしい。
リオは内心でため息を吐きつつも、向き合って対応することにした。
「すいません。何分、無学なもので」
この世界で無学なのは事実だ。
これからこういった相手が腐るほど沸いてくるのだろう。
こういう手合いはまともに相手をせずに、言わせるだけ言わせておくのが無難だ。
今までにあった特権階級の人間達のおかげで、ストレス耐性と処世術は十二分に身に着けることができた。
「中途入学するくらいだから、平民でも算術の基礎である四則演算は楽々こなせるのかと思いましたけど、とんだ期待外れでしたわ」
少女はリオを蔑むように見つめた。
「まったくです。さすがにクリスティーナ王女殿下やフォンティーヌ公爵の令嬢たるロアナ様と比較するのは可哀そうですが、私もこいつがどれくらいできるのかと期待していたのです」
どうやら取り巻きのリーダーである少女の名はロアナというらしい。
ロアナに同調するように傍に立っていた気障な男が言った。
「それを数字すら理解できないとはなかなか笑わせてもらいました。いや、かえって期待通りだったのかもしれません」
言って、道化でも見ているかのような視線を、少年はリオに向けてきた。
「はぁ。これじゃ他の講義も期待できそうにありませんわね」
ロアナが小さく溜息を吐く。
「まずは貴方が今この場所に座っていられることを疑問に思いなさい。そしてそのありがたみに気づいて感謝の念でその身を焦がすのです。貴方はそれくらいに場違いな場所にいるのですから」
「わかりました。ロアナ様。お気遣いいただきありがとうございます」
と、礼儀正しく頭を下げながら、リオが言った。
その様子を見て感心したようにロアナが口を開く。
「あら、一応、礼儀はわきまえているみたいですね。いいのよ。これもクリスティーナ様の名代としてクラス代表を務めさせていただいている私の責務ですから。それにそうでなくとも平民を導くのも貴族の役目です」
「ありがとうございます」
それが当然のことであるかのように、少女は自信に満ちた表情で言った。
本心からそう思っているのだろう。
「さすがはロアナ様です」
取り巻きの連中もすかさず賛同する。
ふと、周囲の連中を見てみるとニヤニヤとリオの方を見ていることに気づいた。
どうやら自分よりもレベルの低い者を見て自尊心を満たしているようだ。
リオはロアナよりも取り巻きの連中の方が質が悪そうだと思った。
「次は歴史の授業ですけれど、どうせ文字も読めないのでしょう? 悔しいと思うのなら努力して少しでも早く這い上がってくることね」
そう言うと、ロアナは自分達が座っていた席の方へと戻っていった。
そして間もなくして次の講義の先生がやって来る。
案の定、リオは文字も読めないので黒板に書かれたことは理解できなかった。
それゆえ、ノートはとらないで、話の内容を暗記することに集中して過ごした。
そして、本日最後に行われたのが武術の講義である。
武術と魔法の講義は二コマを通して行われるが、武術の講義に関しては身体を壊さないためにも初等科の段階では過酷なことは行われない。
初等科一年生の段階では各々の得意なジャンルを見つけるために幅広い内容の武具に触れることになる。
「さて、今日は剣の型について学んでもらう。こないだの講義で教えた型を十分その後の休憩が十分でワンセットとする。まずはそれを三セットだ。やれ」
そう言われると生徒達は木剣を手に習った剣の型を再現する。
指示を終えると教官の一人がリオの所へやって来た。
「リオ。お前は一人だけ進行が遅れているから俺が直々に型を教えてやる。付いて来い」
教官の指示に従い付いて行く。
やって来たのは生徒達の位置から離れた場所であった。
「お前、剣を握ったことはあるのか?」
「はい。一応は」
「む、そうか。なら、まずはお前がどの程度できるのかチェックしてやる。その剣で俺に一撃でも当ててみろ。いつでもかかって来い」
そう言うやいなや、教官は剣を構えた。
それを見て、実戦的な無駄のない構えだと、リオは思った。
教官の構えを見ながらどうしたものかと考える。
おそらく魔力で身体能力と肉体を強化すれば一撃を与えることは容易だろう。
だが、魔法を習っていない段階でそれをするとどう思われるかが不安であった。
クリスティーナとフローラを助けたという事実は知れ渡っているため、ある程度の強さを見せても不自然に思われることはないだろう。
だが、身体能力と肉体の強化は封印することにして、素の肉体でどの程度やれるのかを確認することにした。
自分の中で制約を定めると、リオは剣を構えた。
「それは我流の構えか?」
構えの美しさを見て、疑問に思ったのか、教官が尋ねる。
「……いいえ」
「剣を握ったことはあると言っていたな。なるほど。才能はあるようだ」
教官が言い終わるやいなや、リオは走り出した。
教官に近寄ると、様子見の意味を込めて剣を薙いだ。
「ほう。良い太刀筋だ。それなら手首も痛めない」
リオの剣を受け止めると、教官はその剣の持ち方と刃の立て方を見て、そう言った。
教官というだけあって観察眼は優れているようだとリオは判断する。
身に付いた基本的な技量は隠そうと思って隠せるものではない。
その程度は見せてもいいだろう。
だが、あまり本気を出しても目立つだけろうと考えて、適度に力を抜く。
「うむ。いいぞ! リオ、お前は騎士に向いている!」
と、笑顔でリオの打ち込みを捌きながら、教官は言った。
どうにも熱血な気質があるようだ。
正直、少しばかり暑苦しい。
「あいにく騎士に興味はありません」
「何? そうか。まぁ学院生活は長い。騎士の剣術を教え込んでやる、安心しろ」
「っ!?」
突如、教官の側から鋭い一撃がリオに放たれた。
「ほう。今の一撃に反応するか」
「先生の方から攻撃はしないんじゃないんですか……」
「そんなルールはない! が、お前の実力はわかった。もういいぞ」
教官が剣を降ろす。
それに合わせてリオも剣を降ろした。
「パワー、スピードはともかく、基礎的な技量について言えば満点……、非常に綺麗な動きだ。まぁ、学院で教える王国流の剣術とは大きく違ったがな。どこでその剣術を身に着けた?」
「死んだ母に教わりました」
と、便利な言い訳だと思いながら、リオは言った。
「そうか……。すまない。よほど反復練習したのだろうな」
「いえ」
特に気にした様子もなくリオは返した。
「まぁ基礎はどの剣術にも通じるところがある。それだけ基礎が身に付いているのならば王国流の剣術を学んでも弊害はないだろう。型を教えてやる」
型を習った後はリオもクラスに合流して剣を振るうことになった。
(ん?)
戻ってくると、ふと、リオは視線を感じた。
そちらを見てみるとクリスティーナとロアナがいた。
クリスティーナはリオと視線が合うやすぐに目を逸らしたが、ロアナは驚愕の表情でリオの方を見て固まっていた。
見られていたのだろうか。
それほど大したことはしたつもりはなかったが、どうしたのか。
リオは僅かに疑問に思った。
が、それ以上は考えることはなく、型の練習を始めた。