第23話 精霊術
精霊の民の里に来てから数日、里の外れに位置する広場で、リオはアースラから精霊術の教えを乞うていた。
「精霊術を教える前に聞いておきたいんじゃが、リオ殿の髪の色からすると出身は東の人間族の国なのか?」
「両親はそのようです。ヤグモの生まれだとか。自分が生まれた地は西にあるベルトラム王国という国です」
その言葉を聞いて、アースラは得心したといった表情を浮かべた。
「ならリオ殿の両親が精霊術に長けていた可能性は高いのう」
「……どういうことでしょう?」
生まれた地によって精霊術の適性が決まるかのような発言にリオが尋ねる。
「まずはオドとマナについて説明する必要がありそうじゃな。リオ殿はオドとマナについて知っておるか?」
「いえ」
リオは頭を軽く左右に振った。
「ふむ、オドとは生物が体内に保有する生命力で、マナとは世界が有する自然力じゃ」
漠然とした定義でこれだけではよくわからないため、アースラを見据えて、リオは説明の続きを待つ。
「じゃが、聞いたことがない単語ではよくわからないじゃろう。人間族が魔力と呼ぶものがオドじゃ。リオ殿はオドの感知も視認もできるのではないか?」
感知はともかく、オドを視認できることを言い当てたアースラの言葉に、少しだけ驚きながら、リオは首肯した。
「マナについては眼で視えんし口では説明しづらいのう……。リオ殿も精霊術を使えている以上はマナを感知しておるはずなんじゃが、感覚を研ぎ澄ませると何かが感じられはせんか?」
「……身体からオドを放出すると感覚が鋭敏になります。その時、大気中を満たす様に眼に視えない何かが存在するのはわかります」
喋りながら、リオは身体からオドを放出する。
すると、オドの光を介して触れる世界に、小さな粒子のようなものが浮遊しているのを、リオは感じた。
それは、この世界に来て最初にオドの光が身体に溢れた時から、リオがずっと感じとっていたものだった。
「それじゃよ。やはり感知はできているようじゃな。それにしても淀みなく力溢れるオドじゃのう。リオ殿は人間族にしては保有するオドの量も多そうじゃ」
リオの発するオドの光を見て、アースラが小さく笑みを浮かべた。
「マナは自然が存在する限り世界中に溢れておる。すなわち自然の力そのものじゃ。そのマナに働きかけて世界を操るのが魔法であり、精霊術でもある」
では、両者の違いは何なのか、リオが当然のように抱くその疑問に対する答えを、アースラが口にする。
「異なるのはマナへの働きかけ方じゃ。魔法が体内に術式を刻みその術式を発動させることでマナへと働きかけるのに対して、精霊術は術者本人が直接にオドを操ってマナへとイメージを伝えて働きかけることになる」
その言葉を聞いて、魔法が術式によってマナへの干渉をあらかじめプログラム化しているのに対して、精霊術はマニュアル操作でマナへと干渉しなければならないものなのではないかと、リオは解釈した。
「そもそも精霊術はマナの感知さえできれば誰でも使える。じゃが人間族はあらゆる人族の中で最もマナの感知を不得手とする。そこでマナの感知ができない人間族でも精霊術の真似事ができるようにと作られたのが魔法じゃ。千年以上前に七賢神と名乗る者達が大陸の西に暮らす人間族に与えた技法じゃな」
「七賢神……? 六賢神ではなくてですか?」
六賢神という名称ならばリオも聞いたことがあった。
それらは西に暮らす人間族達が信仰する神々だからだ。
「七人目は他の六人から追放された者なんじゃよ。千年以上前に起きた神魔大戦が起きる前にの……。人間族の中では歴史から抹消されておるのじゃろ」
と、何かを考えるように遠い目をしながら、アースラが言った。
その七人目のことをどうしてアースラ達精霊の民が知っているのか、リオは疑問に思った。
だが、今は順序的に精霊術の説明を聞くべき時だと考え、尋ねることはしない。
「術式の有用性は我等も理解はしておる。精霊術では不向きな事象を引き起こすのに術式が役立つこともあるからの。術式を利用してマナに干渉する技術はもともと魔術と呼ばれるものじゃった。本来、術式は霊具、人間族が言う魔道具や結界を作るために開発されたものじゃ」
と、術式本来の活用の仕方をアースラは語る。
魔術という名称は魔法以外で術式を利用した技術一般を指すものとして、今日でもシュトラール地方の人間族の間で呼称されていた。
「しかし体内に術式を取り込むことは肉体の改造を意味する。術式を体内に刻めば刻むだけ身体は不自然なものになっていく。その代償として精霊術を使うことができなくなってしまうくらいにの」
人間族に精霊術の使い手がほとんどいないことの理由がわかり、リオは腑に落ちたという表情を浮かべた。
「特に西に暮らす人間は魔法を与えられたおかげで精霊術の使い手がほとんど存在せんようじゃな。東の人間族には魔法を使えない代わりに精霊術を使える者がそれなりにおる」
アースラが最初にリオの両親が精霊術を使えた可能性が高いと言った意味を、リオは理解した。
「……ラティーファの体内には術式が一つだけ存在します。彼女はもう精霊術を使うことはできないのでしょうか?」
その術式は『
暗殺者として働かせるためにラティーファに刻み込まされた唯一の魔法だ。
「うむ、複数の術式を体内に刻み込んでいる者はともかく、一つ程度の術式ならば取り除くのはさほど難しいことではない。やり方は解呪と似た要領じゃな。そう遠くないうちにあの子の体内から術式を取り外すつもりじゃ。その時には我が里有数の精霊術者であるオーフィアにあの子を指導してもらうように頼んである」
現在、ラティーファにも、サラ、オーフィア、アルマの三人が精霊の民の里の知識を教えていたりする。
ラティーファをいち早く精霊の民の里に馴染ませたいという意味が込められており、この件については、ラティーファは知らないが、リオは承諾済みである。
いずれリオはこの里を離れなければならない。
その時までにこの里の中でラティーファが定着できるようにと、リオから頼んだことでもあった。
同年代の少女ならラティーファの良き友人になれるだろうと考え、自らの案内役としてつけられたサラ、オーフィア、アルマの三人をラティーファのもとに付けたのである。
「その、ですが、アースラ殿が直々に教えなくともよろしいのですか? ラティーファは貴方の曾孫かもしれないんですよね?」
ラティーファがアースラの曾孫であるかもしれないということについて、ラティーファはまだ何も知らされていない。
時が来れば自分から告げるとアースラが言ったことや、今はラティーファをこの里の暮らしに慣れされる時であると考えていることもあり、リオはこの件についてはアースラに一任していた。
「ふふ、儂じゃあの子に厳しく指導してやることはできそうにないからのう。あの子が嫌じゃと言えば儂はそのまま言うことを聞いてしまいそうなんじゃ。これはあの子の祖父母とも相談して決めたことじゃ」
ラティーファの顔を思い出したのか、アースラがその顔をほころばせて破顔させた。
「……いらぬ心配をしてしまいましたね。申し訳ありません」
リオがアースラへと頭を下げる。
「いや、そのようなことはないぞ。種族は違えど、あの子はリオ殿のことを間違いなく兄のように感じておるはずじゃ」
「そうですか……」
ラティーファのためにと行動はしているが、ラティーファに黙っていることもある。
自分も彼女と同じ転生者であるということだ。
その部分においてリオはラティーファのことを騙していると言ってもいい。
そんな大切なことを告げていない自分が彼女の兄として慕われる資格があると思うことはできなかった。
だが、自分にはそのような資格はありません、とは言えなかった。
「ところで、一つ質問があります。精霊術を扱える人間が術式契約を結ぶことは可能ですか?」
話の流れを打ち切るようにリオがアースラへと質問を投げかけた。
アースラはリオがラティーファに何らかの後ろめたい感情を抱いていることは気づいていたが、微笑を浮かべてリオの質問に正面から答えることにした。
「精霊術の有用性を知っておる限りそんなことを考える者はおらんじゃろうが、することはできるぞ」
想定していなかった回答にリオが少しだけ硬直する。
それだと自分が術式契約に成功しないことの説明がつかないからだ。
「ただし、精霊と契約を結んでいる者は話が別じゃがな」
と、付け足す様にアースラが言う。
精霊と契約を結んでいる者は、術式契約を結ぼうとすると、術式の内容を理解できる代わりに、体内への術式の刻印が弾かれてしまうようだ。
「……自分は術式契約が成功しないのですが、つまりは精霊と契約しているということでしょうか?」
身に覚えはないが、その例外に当てはまる以上はそうとしか考えられなかった。
「むっ、やはり精霊と契約しておったのか? ……しかし、その様子じゃと自覚はなさそうじゃのう」
「ええ、まったくありません」
困ったようにリオが肩を竦める。
「契約精霊は契約者の体内かすぐ側にいるものじゃが……」
「感じたことも見たこともありませんね」
やはりリオに身に覚えはなかった。
「感じたことも見たこともない、か。となるとリオ殿の中で休眠状態にある可能性が高いのう……」
「休眠ですか……」
自分の中で知らない存在が眠っていると言われたが、リオに自覚は一切ない。
「そもそも精霊とは何なのですか?」
精霊が自分の中に眠っているかどうかはともかく、リオは精霊がどんな存在なのかすら知らない。そこで精霊という存在について尋ねることにした。
「精霊とはマナが明確な自我を持った存在じゃと言われておる」
「マナが自我を持った存在……。どういった形をしているのですか?」
この説明だけではいまだにイメージが沸かなかった。
「この世界に暮らす何らかの生物の姿を真似て実体化する個体が多いのう。動物が多いぞ」
「動物……。ひょっとして自分が襲撃された時に見た狼は精霊ですか?」
突如光を発して自らの視界を奪った狼の存在をリオは思い出した。
「狼の精霊じゃと? ああ、それはたぶんサラの契約精霊じゃの。あの子が契約しているのは中位精霊じゃ。他にオーフィアやアルマも中位精霊と契約しておるぞ」
「あれは彼女の精霊でしたか。あれが精霊……」
普通の獣と比べると無機物的な感じが強いが、傍目には普通の狼にしか見えなかった。
精霊はおよそああいった動物の姿をしていて、似たような気配を放っているのだろうと、リオは考えた。
「彼女達の契約精霊の姿をほとんど見かけないのですが、普段はどうしているんでしょうか?」
「ああ、普段は霊体化して契約者の体内におるんじゃろうな。精霊にとっては契約者の体内はオドの供給源に直結しておるから居心地が良いんじゃよ」
「なるほど……、では、精霊との契約の結び方はどうすればいいのでしょうか?」
「精霊の方が勝手にやってくれる。される側が明確に拒絶の意思を持っていなければ契約の締結完了じゃ」
「それじゃ複数の精霊と契約し放題なんじゃ……」
リオは群がるように一人の者に集まる精霊の姿を想像した。
「ほほ、例外がないとは言わんが、ほとんどそんなことはない。そもそも契約を結んでくれる精霊が希少じゃからな。精霊と契約を結ぶには精霊からよほど好かれなければならん。それにある者が一体の精霊と契約を結ぶと、他の精霊が遠慮して契約を結ばないようだしの」
だが、リオが考えるような事例は非常に少ないようだ。
「なるほど。では、精霊と契約を結ぶことの利点は何なのでしょうか?」
「ふむ、代表的な利点はマナへの干渉が非常に上手くなることだの。契約精霊は術者と深く結びつくからの。正確には契約精霊が術者のイメージを読み取って精霊術の制御の補佐をしてくれるのじゃが、下位の精霊と契約するだけでもその恩恵は莫大じゃ」
アースラ達の目の前で初めて精霊術を使った時、アースラがリオは精霊と契約しているのではないかと言ったことを思い出した。
アースラからすればリオのマナへの干渉は非常に巧みに見えたということだろう。
とはいえ、自分が精霊術を使えるのは両親ではなく精霊のおかげなのか、あるいはその両方のおかげなのか、依然としてわからないことは多い。
だが、長年、頭の中でつかえていた疑問の多くを氷解させることはできた。
「さて、以上で精霊術を扱う上であらかじめ説明しておかなければならん前提知識は語ってしまった。後は実践するのみだの。リオ殿、こないだ怪我を治療するときに思ったんじゃが、精霊術で人間の使う魔法を模倣しておりゃせんか?」
「その通りです」
魔法によるオドの流れを模倣して事象を発生させていたリオの精霊術の特徴をアースラは一度目にしただけで見抜いたようだ。
「それでも事象を引き起こすことはできるが、十全に精霊術を活かしきれているとはお世辞にも言えぬのう。精霊術とは魔法よりも自由自在なものなのじゃ」
魔法は術式によって自由度を狭めている代わりに、オドの感知と制御さえできればマナの感知ができなくとも使うことができる。
対する精霊術はオドの感知と制御に加えてマナの感知と制御もこなさなければならず、扱いはピーキーだが自由度が高く効果の調節もしやすい。
アースラが言っているのはそういうことである。
「オドの量と術者の適性という制約はあるが、精霊術は術者次第で魔法よりも自在に事象を操ることができるようになる。大事なのはマナにイメージを伝えて事象に干渉することじゃ」
「マナにイメージを伝える?」
「そう。オドをマナに溶け込ませることで術者のイメージをマナが読み取ってくれる。マナには漠然とした自我があるのじゃ」
「マナに自我が……」
明確に自我を持ったマナの集合体が精霊、ならばマナは精霊の前段階の存在ということになる。
「マナにイメージを自在に伝えられればこのようなこともできる。ほれ」
アースラは、正面に掌を突きだすと、手の上に小さな火球を発生させた。
人、動物、物と、火球は目まぐるしい速度で様々な形へと変わっている。
「他の属性の精霊術ができないわけではないが、儂は特に炎術と幻術が得意じゃ。個人ごとに得意な精霊術の適性があるのが普通じゃな。種族ごとの傾向もあるが絶対とは言えんから一般論化するのは無理じゃが、自分の得意な精霊術を見極めてみるのもよいだろう」
「自分の得意な精霊術……ですか」
「うむ。苦手な属性の精霊術じゃと発動はしても効果がイマイチということがあるんじゃ。一応、エルフ、ドワーフ、獣人、種族ごとに特異な精霊術の特徴もあるの。例えば……」
「お兄ちゃん!」
アースラが説明を続けようとしたところで、ラティーファがリオのもとへ走ってきた。
「こら、ラティーファ!」
その後を追う様に、銀髪のロングヘアを風に靡かせて、タイトな黒いシャツと赤いプリーツスカートを着たサラが走ってくる。
「二人とも速すぎだよっ」
さらにその後ろから、白いワンピースを着たオーフィアが、風を身に纏い、長い金髪を舞わせて、空を飛びながらやって来た。
一気に慌ただしくなった場の雰囲気に、リオが目を丸くする。
「極めればあんなこともできるというわけじゃ」
オーフィアを見て、アースラが得意げな口元に笑みを浮かべて、言った。
「なるほど……」
空を飛ぶオーフィアの速度はなかなかのものである。
そして、その追従を許さないで走りぬくラティーファとサラの身体能力もかなりのものであった。
ラティーファは『
「お兄ちゃん! お姉ちゃん達、優しいけど、お兄ちゃんと会っちゃ駄目って言うの!」
やって来るなりラティーファがリオにそう言った。
「そう言う意味じゃありません! ラティーファは先に精霊の民の言葉を覚えなくてはいけないんですよ!」
サラがラティーファの言葉を釈明する。
「嫌だもん! ふんだ、サラお姉ちゃんの怒りんぼ!」
「なっ、ラティーファ! そこに正座です! 座りなさい!」
リオの中では大人しくて真面目そうなイメージのサラだったが、なかなかの剣幕でラティーファに詰め寄る。
「嫌だよー!」
ラティーファがサラに向けて舌を出してあっかんべーをする。
「くっ、この子は……」
サラが小さく震える。
「だ、ダメだよ。サラちゃん。ラティーファはまだこの里にも慣れてないんだし」
今にも耳と尻尾を逆立てそうに怒るサラをオーフィアが宥める。
どうやら落ち着いた物腰を感じさせる見た目通りに、彼女はおっとりとした性格をしているようだ。
「オーフィアは甘すぎなんです! この子のためにも心を鬼にしないと!」
「躾をするのはわかりますが、姉さん達も少し騒がしすぎます。それではラティーファと一緒ですよ」
そこに、サラやオーフィアと比べても、一際小さいドワーフの少女がやって来た。
アルマである。
燃えるような灼髪のショートカットが僅かに褐色の入った肌の顔を覆っているのが印象的な少女だ。
「そ、それはラティーファが抜け出したから……」
「サラ姉さんならラティーファの匂いを追跡すればいいだけでしょう?」
アルマの説教染みた言葉に、サラが力なく反論したが、アルマは理路整然とサラを追い立てた。
アルマは、白を基調とした赤い文様のチュニックに赤い短ズボンを着ており、ボーイッシュな見た目をしているが、性格はなかなか落ち着きがあり理知的なようである。
「う……」
反論の余地のないサラが言葉に詰まる。
救いを求めようとオーフィアを探したが、いつの間にかラティーファを連れてリオとアースラの場所へ避難していた。
(オ、オーフィア~)
「いいですか。そもそも僅かとはいえサラ姉さんは私達の中で年長なのですから……」
ちゃっかりと逃げ出したオーフィアにジト眼を向けつつ、サラは自らよりも年下のアルマから十分以上にわたって説教を受けることとなった。