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精霊幻想記(Web版) 作者:北山結莉

第二章 旅は巡り会い

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第19話 交流

 ラティーファの野営装備と追加の食糧を買って森の中に戻って来ると、二人は東へ向けて走り出した。


 ラティーファは『身体強化魔法ハイパーフィジカルアビリティ』だけを教えられて習得しているようだ。

 この魔法は有益だが問題点も多い。

 まず、リオのように肉体をも強化できるわけではないので、長時間の使用により強化された身体能力に肉体がついていけず悲鳴を上げることが多々ある。

 また、使用中は常時魔力を消費していくので燃費もあまり良くない。

 もっとも、これは精霊術による強化も同様に抱える問題ではあるが。

 その点、獣人族は人間族よりも柔軟で強靭な肉体を持っているために『身体強化魔法ハイパーフィジカルアビリティ』との相性が良い。

 保有魔力もラティーファはリオが知っている限りでは断トツに豊富であったために、リオのように長距離の移動に利用できるくらいに持続して強化を施すことが可能である。


 魔法で身体能力を強化した時の最高速度はリオに匹敵しうるラティーファだったが、持久力はあまりないようだった。

 三十分も走り続けると息切れを起こす。

 リオは、移動速度を少し緩め、ラティーファがついて来られるくらいの速度で移動していくことにした。

 また、時間はかかるが、小まめに休憩もとってやった。


「ほら、水だ」


 彼女に買ってあげた水筒に精霊術で水を注ぎ渡す。


「ありがと、です」


 ラティーファが小さな口でゴクゴクと水を飲んでいく。

 リオもラティーファに向き合って自分の水筒に入った水を飲む。

 ぐう、とラティーファの胃袋から悲鳴が聞こえてきた。

 ラティーファへとリオが視線を向けると、勢いよく首を横に振った。

 その様子を見て、リオが苦笑する。


「昼にするか。……ほら」


 アマンドの宿で女将からもらった弁当のパンを調理用のナイフで切り分けると、ラティーファへと渡した。

 ところがラティーファは戸惑ったように差し出されたパンを見た。

 そして、キョロキョロとリオとパンを行き交う様に見ている。


「どうした?」

「食べて、いい、ですか?」


 と、少し怯えた様子で尋ねた


 ラティーファは常に主人の顔色を窺い生きてきた。

 明確な命令がなければ何もできないように調教されてきたのだ。

 ご飯を差し出されても食べていいと言われなければ食べることはできない。

 それをして躾を受けたこともある。

 勝手に何かをすれば怒られる、という恐怖心から、ラティーファは何をするにしても他者に指示をまず仰ぐという依存症のような状態になっていた。

 いわば他者の意見に従うことで精神の自己防衛を行っているといえ、その習性が奴隷から解放された今でも彼女に染みついてしまっているのだ。

 奴隷から解放されてリオに付いていこうと思ったのも、そういった精神の自己防衛作用から来る当然の行動であった。


「遠慮しなくていい。食べていいんだ」


 リオは、ラティーファの心の病ともいえる依存症についてまで察したわけではないが、命令を受けることが習慣と化していたのであろうと察し、優しい声色でゆっくりと言い聞かせた。


 恐る恐るラティーファがパンを口に含む。

 その味を確かめると、今度は慌てたようにパンにかぶりついた。

 与えられた食事は特別に豪勢というわけではない。

 だが、奴隷として生きてきた彼女にとっては今までで最高の御馳走であった。


「はく、はくはく、っぐ、はぐ、ひっぐ、うっぐ」


 しゃぶりつく様にむしゃむしゃとパンを頬張っていると、ラティーファは食べながら泣き出してしまった。


「とったりしないからゆっくり食べろ。身体に悪いぞ」


 泣きながら食事をするラティーファの背中を、リオがあやす様にゆっくりとさすってやった。


「うっ、う、ご飯、ひっぐ、餌だって、お兄様、っぐ、あいつ、毎日、私に、うう」


 今までの食事のことを思い出し、ラティーファの鳴き声が強まった。

 いったいラティーファは食事の度にどのような扱いを受けていたのだろうか。

 それを想像してリオは顔を歪めた。

 ラティーファがリオの身体に顔を埋めると、リオは、そっと頭を撫でてやり、ラティーファが落ち着くのを待った。


「獣人は同胞を大切にする種族だと聞いた。彼らの所に行けばラティーファのことも歓迎してくれるはずだ。そうしたらもうそんな思いをすることはないさ」


 泣き止んだラティーファを安心させるため、何を言うべきか悩んだリオは、そう言った。


「そう、なんですか?」


 ラティーファが不思議そうな目でリオを見上げる。


「ああ、きっとな。人間族の国よりはずっと良い場所だよ」


 ラティーファから視線を逸らし、どこか遠くを見るようにリオは言う。


「さて、まだ明るいからな。そろそろ動くぞ。どの程度進めば獣人族のテリトリーに入るかはわからないが前に進むしかない」


 胸に抱いた何らかの感情をかき消すように、リオはラティーファに出発を促した。

 ここに立ち止まっていても何も解決するわけではないのだ。

 身体を動かしたい気分だった。

 ラティーファはリオの顔を見て小さく頷いた。


 それから数時間程は移動と休憩を繰り返した。

 すれ違う魔物達はほとんど無視している。

 いちいち相手にしていたら進行速度は大幅に遅れるからだ。


「今日はここまでだ。ちょっと待っててくれ」


 陽が傾き始める前に野営に適した窪地を発見すると、リオはラティーファに停止するように指示した。

 手慣れた様子で草木を集めると、リオは簡易テントを作りだす。

 草木のテントは地球に暮らす現代人からすれば中で寝るには少々心理的に抵抗のある外観だが、魔物や獰猛な生物が数多く存在するこの世界ではメリットが多い。

 草木しか用いていないので自然に溶け込みやすいのだ。

 しかも、臭いもある程度ごまかせる。

 さらに、夜の森は冷え込みやすく、天候も不安定になりやすい。

 草木のテントならば、仮に雨が降ったとしても、葉を下から上へと重ねるように置くことによって水が漏れにくくなる。

 風雨を凌げるだけでも体力の消耗度合いは大きく異なるのだ。

 また、常に木々の隙間から空気の換気がなされるので室内は意外と快適な環境が保持されるし、ナイロン製のテントと異なり中で焚火をしても火事が起きにくく室内に煙が充満することもない。

 あっという間に寝床を作ってしまったリオに、ラティーファが尊敬の眼差しを送った。


「ちょっと食事を作ってくる。出来たら呼ぶからその中で待っていていいぞ。鼻が利く分、俺よりも索敵範囲は広いだろうから異常があったら迷わず教えてくれ」


 ラティーファはコクリと頷いた。

 それを見てリオは野営地から離れる。

 本来、野営において大量に臭いを発生させる料理は望ましくないが、前世で美食に慣れ親しんだリオとしては味気ない食事を食べるつもりはなかった。

 そこで、野営地から離れた場所で料理を作り、食事をとることにした。


 適当な場所を見つけると、リオは調理を開始した。

 精霊術を使って水を創り塩と一緒に鍋に入れる。

 作るのはパスタだ。


 拾った木々に火をつけて鍋を温める。

 同時に、パスタを茹でている鍋の中に収納できるワンサイズ小型の鍋にも、水を入れて火で温める。

 味付けはアマンドで購入した香辛料がある。

 また、移動中で食べられる野草も適宜積んでおいたので、栄養バランスにも配慮している。


 鍋が暖まるまでに野草を水洗いして、食べやすいサイズに自前のナイフで切っていく。

 野草を切り終えると、今度は保存食の干し肉を細かく切り刻んだ。

 嗅覚の優れていない魔物までもがやって来ないように、定期的に精霊術で風を生み出して臭いを上空に散らす。

 貴族の旅でも野営でここまで本格的に料理は作らないだろうと思われる贅沢さだ。


「ん?」


 近寄ってくる気配を察知して振り向くと、匂いに釣られてラティーファがやって来ていた。

 鼻をひくひくと動かしている。

 リオが苦笑しているのに気付くと、恥ずかしそうに顔を赤らめた。


「ほら、スープパスタだ。味付けはオリジナルだけどな」


 中身の入った容器をラティーファに差し出す。

 リオとしてはスパイシーな味が好みだが、ラティーファが苦手かもしれないのであえて子供でも食べやすい味にしてある。


「…………『スパゲッティ』? これ、『スパゲッティ』、ですか!?」


 容器の中身を見て、ラティーファが驚きを隠せないように声を出した。


「あ、ああ……、食べていいぞ」


 戸惑ったようにリオが返事をする。


 リオの許可を得たラティーファは目を輝かせてパスタを食べ始めた。

 ラティーファはフォークを上手に使って、まるでパスタを食べ慣れているかのように、スープの中のパスタを巻き取りながら食べている。

 リオはそんなラティーファのことをじっと見ていた。

 パスタはこの世界では元から存在しなかった食材だ。

 それをこの少女は『スパゲッティ』と言った。

 奴隷であったラティーファは食事にフォークを使っていたとも思えない。

 それなのにパスタをどうやって食べたらいいのかを知っている。


(どう考えても転生者……だよな)


 そうとしか思えなかった。

 つい先日に別の転生者の存在を発見したと思ったら新たな転生者の存在である。

 しかもこうして対面までしている。

 リオは奇妙な巡りあわせに戸惑っていた。


「はふ、はふはふっ」


 熱いパスタをラティーファが必死に食べている。


「熱いからあんまり急ぐとやけどするぞ。ほら、パンがそのままだと固いからスープに浸して食べるんだ。そうすればスープも少し冷めるしな」


 リオがラティーファに保存用の固いビスケットのようなパンも勧める。

 ラティーファがリオの指示に従いパンをスープに浸して食べると、その味に満足したように笑顔になった。

 リオはラティーファの精神年齢について測りかねていた。

 これまでの交流からして、どう考えてもラティーファは見た目相応の精神年齢しか持ち合わせていないのだ。

 前世で相応の社会経験を積んでいるようには思えない。


(演技……、いや、そんなことをする必要はない。……なら前世でも幼かった?)


 リオが一つの結論にたどり着く。

 その可能性は非常に高いと考えた。


 ゆっくりとパスタを味わいながらラティーファのことを考える。

 リオの推測が正しければ、ラティーファは、どんなに成長していても小学校高学年程度の年齢で、ある日いきなり奴隷になってしまったことになる。

 ラティーファがいつ記憶を取り戻したのかはわからないが、一桁の年齢であることは間違いない。

 一桁の精神年齢と小学生の精神年齢を足して、単純に合計した年齢の精神年齢になるとは思えなかった。


(だとすれば転生者でこの幼さも納得できるか)


 リオはラティーファの過酷な運命を想像して複雑な気持ちになった。

 リオはまだよかった。

 孤児というスタートも決して選びたいものではないが、運が良かったのか悪かったのかは別にして、まともな教育を受けて、こうして生きることができている。

 冤罪で犯罪者にはされているが、奴隷のように自由までも拘束されて生きてきたわけでもない。

 また、世の不条理を受け入れられるくらいには精神も成熟していた。


 だが、ラティーファは違う。

 現代日本で豊かな生活を送っていた幼い子供が、いきなり人権をはく奪されて、ペット扱いされたのだ。

 おそらく想像を絶する虐待も受けてきたのだろう。

 年齢に似合わぬ残酷性も持ち合わざるを得ないような訓練も受けさせられたはずだ。


 それでも、前世の記憶を取り戻すまでは、奴隷として生きることを当然のように受け入れていたのかもしれない。

 ラティーファは生まれながらにして奴隷だったのだから。


 だが、前世の記憶を取り戻した以上は、そのまま奴隷として生きることを当然のように受け入れることができるはずがない。

 奴隷から解放されたい、元の世界に帰りたい、間違いなくそう思いながら生きてきたのだろう。

 きっとトラウマという言葉では言い表せない程の心的ダメージをラティーファは負っているはずだと、リオは推測した。

 生まれながらの奴隷ならば自由意思を持つことはない。

 最初から自由意思などないのが当たり前だからだ。

 だが、記憶を取り戻した彼女は自由意思を手に入れてしまった。

 それを幸運というべきか不幸というべきか。


(情緒不安定なのはそういった理由もあったからか……、くそがっ)


 ラティーファの境遇を想像し、リオは胸糞が悪くなった。


 ラティーファは一心不乱にリオが作った料理を食べている。

 前世のことを思い出したのか、いつの間にか目に涙も浮かべていた。

 最後の一口を飲み干すと、ラティーファは空になった容器を名残惜しそうに舐めていた。

 リオが空になった容器におかわりを掬ってやる。

 するとラティーファはリオに笑みを浮かべて頭を下げて食事を再開した。

 リオはそれ以上食事をする気にもなれず、最初の一杯を平らげると、鍋の残りをすべてラティーファにあげた。


 リオは、自らが転生者であることを、ラティーファに伝えることはしなかった。

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登場人物紹介(第115話終了時点)
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