第18話 暗殺者の少女
少女のナイフを目にして、リオがとっさに身体を捻る。
だが、少女の腕が蛇のようにうねると、軽鎧の隙間から、鋭いナイフがリオのわき腹に突き刺さった。
「っ」
グサリ、と刃物が身体の中に入ってくる感覚に、リオが思わず顔を顰める。
とっさに少女を突き飛ばすと、少女と一緒にナイフがリオのわき腹から抜け、緑の衣類が血で滲んだ。
少女が離れていくのを確認し、少女の行動に対応できるようにバックステップを踏んで距離を保つ。
突き飛ばされたことで少女の態勢が崩れ、顔を隠していたフードが外れてその容姿が露わになった。
少女の頭に狐の耳が生えているのを見てリオが目を丸くする。
(獣人! っ?)
初めて見た獣人族に驚く一方で、刺された痛みとは別に、熱のような倦怠感が腹部に走ったのを、リオは感じた。
(これは……毒か)
すぐにナイフに毒が塗られていたことに気づく。
どうやら速効性の毒のようだ。
全身に毒が回りきる前に、患部に手を当てて精霊術により解毒と治療を開始する。
少女は、リオが倒れて動けなくなるのを待っていたが、逆にリオの顔色が良くなっていくのを見て驚くと、勢いよく足を踏み出して走り出した。
(速い!)
少女の走る速度にリオが驚愕する。
少女の速度は今までリオが見た中で一番速い。
そこらにいる騎士が『
まだ刺された部位と身体に不快感はあるが贅沢は言っていられなかった。
少女から漂う殺気を吹き飛ばすように魔力を放出し、瞬時に身体能力と肉体を強化すると、リオは真横に飛び出した。
少女もそれに反応して進行方向を変える。
走りながら距離を詰めてくる少女の脚を狙って、リオが手投げナイフを放つ。
少女は、放たれたナイフを避けるために飛び上がると、手ごろな木の枝に掴まり、そのまま逆上がりの要領で身軽に木の上に立った。
今度はリオが跳躍して少女に対して間合いを詰める。
それは突風のように迫る強烈な突進だった。
慌てたようにローブの中に手を突っ込むと、懐から手投げナイフを三本ほど取り出し、少女はリオに向けてそれを投げつけた。
リオは、鞘から剣を抜くと、少女の放った手投げナイフを受け流すようにすべて弾き、再び剣を鞘に収めた。
足場の悪い木の上でリオと相対することを逃れるように、少女が木の枝から素早く降りる。
跳躍により生み出された勢いを殺すように、リオは少女が立っていた木の枝に飛び込んだ。
その運動量によって枝をへし折ると、リオはそのまま前方に進むように落下していく。
地面に着地したところで、少女がリオに近づきナイフを突き出してきた。
少しでも掠れば毒が身体を蝕むだろう。
少女のナイフの軌道を逸らしながら、リオがカウンターで少女の顎に当たるように掌底を放つ。
だが、少女は頭をズラすことでリオの拳を避けた。
(すごいな。まだ子供なのに身体能力が人間族とは段違いだ)
リオは戦いながら少女の強さに感心していた。
負けるとは思わないが、少女の身体能力は強化したリオに匹敵していた。
(だが動きが雑だ)
確実に負けることはないと断言できる。
(いや、それも慢心か……)
勝負に絶対はない。
前世で鍛えた古武術に精霊術があればそうそう不覚をとることはないと、リオは薄々思っていた。
実際、それだけ精霊術のアドバンテージは大きい。
だが、今回はそれが油断に繋がり、刺されるに至った。
力を持っていてもそれを使う前に不意打ちされたら意味はないのだ。
確実に勝利を得るために、少女の動き一つ、一つをつぶさに観察し、少女が突き出してくるナイフをリオが正確に捌く。
少女が打ち込む攻撃をすべて素手でいなし、リオが打撃を打ち込んでいく。
少しずつ少女は押され始めていた。
リオとの地力の差が現われてきたのだ。
今のリオは殺傷性のある攻撃を極力使わないようにしている。
精霊術を用いれば勝負はとっくについていたはずだ。
「っ」
少しずつ少女の顔に焦りが浮かんできた。
少女もリオに敵わないことを薄々と察したのだろう。
焦ったようにリオの心臓めがけて少女が突きを放つ。
「うがっ」
だが、リオは僅かに体を捻ることでそれを躱し、右拳で少女の腹に掌底を打ち込んだ。
少女の口から鈍い悲鳴が漏れ、意識が飛びかけてバランスを崩したところで、リオが左手で少女の頭を右から左へと押し込む。
「がはっ」
少女の身体が地面へと勢いよく叩きつけられた。
手に持っていたナイフを弾くと、リオは少女を仰向けの状態にして拘束した。
少女は、暴れようと全身に力を入れたが、自身の身体が全く動かないことを悟る。
「ここまでだ。言葉は解るか?」
と、少女の胴体と両手に体重を押し込んで、リオが言った。
「ひっ、ひっ、ひうっ、ううううっ、ひぐうううっ」
すると、何かに怯えたように顔を歪ませ、全身を震えさせて足をじたばたと動かし、狂ったように、少女は泣き出した。
「うぐううう……っ」
トラウマでも刺激されたかのように、悲鳴にならない声を上げて、少女は泣いている。
「おい。落ちつけ」
余りに必死な様子にリオが宥める。
「うううっ。はな、はな、じてっ! や、やめで!」
とても話ができそうにない少女に、リオは小さく舌打ちをする。
少女をうつ伏せにさせると、首筋に手刀を当て、一度、意識を失わせた。
「……どんな育ち方をしたらこうなる?」
と、怪訝な表情を浮かべながら、気絶した少女を眺めて言った。
戦闘中の機械のような冷酷さが嘘のような情緒不安定さだった。
組み伏せられた瞬間に、何かを極度に恐れ出したようである。
「これは……」
リオは少女に首輪が嵌められていることに気づいた。
「服従の首輪……、奴隷……か」
服従の首輪とは奴隷に着けられる魔道具である。
これをつけると奴隷は主と定めた者の命令に逆らうことが難しくなる。
何かを命令されるとその命令に従おうという気持ちが湧き上がり、命令に反した行動をとろうとしたり、特定の呪文を唱えられると、身体に激痛が走るのだ。
『
また、装備者が自ら解除の魔法をかけることはできない。
そういった魔道具だ。
先ほどの少女の泣き方は異常だった。
おそらく組み伏せられることに極度のトラウマを抱いているのではないかと、リオは考えた。
しかし、完全に動きを野放しにしたら、主の命令を遂行しようと、再びリオを殺しにかかるだろう。
苛立ったようにため息を吐くと、リオは、バックパックから縄を取り出し、少女の手足を縛った。
腰からナイフを抜き去り少女に突きつけると、少女を揺さぶり、目が覚めるのを待つ。
「ん……、っ!?」
リオに気づくと、ビクッ、と反応し、少女が動き出そうとする。
だが、自らの身体が動かないことを知ると、必死に縄を外そうとし始めた。
そこにナイフをちらつかせ、リオが少女と至近距離から視線を合わせる。
「んー!」
どうやら今度は先ほどのように会話もできないわけではなさそうである。
相変わらず目に光はないものの、さっきのように理性を失っているわけではない。
「目が覚めたか? 死にたくなければ俺の質問に答えろ。質問の答えがイエスなら首を縦に振れ。ノーなら黙っていていいぞ」
淡々とそう告げると、首筋に手をあて、顔を覗き込み、リオは少女の仕草を観察し始めた。
最初から少女が本当のことを言うとはリオも思ってはいない。
それゆえの行動だ。
自分を見透かすような行動に、少女は怯えた様子でリオのことを見ていた。
「お前は奴隷だな」
「……」
「主はベルトラム王国の貴族か?」
「……」
「そいつに命令されて俺を殺しに来た」
「……」
少女は沈黙し続けている。
だが、これまでの質問の答えはすべてイエスだと、リオは踏んでいた。
そして、リオが聞きたいこともすべて聞くことができた。
もう少女に用はない。
後はこの少女をどうするかである。
「……奴隷から解放されたいか?」
ため息を吐いた後に、リオはそう言った。
「っ……」
少女の瞳にほんの一瞬だけ僅かに光が戻ったのを、リオは見逃さなかった。
「そうか」
少女がどこか窺うような視線でリオを見ている。
リオの真意が理解できないといった感じだ。
「奴隷から解放された場合、俺のことを殺すつもりはあるか?」
「……」
しばしの沈黙の後、少女は顔をゆっくりと横に振った。
脈、視線の動き、呼吸、発汗、少女の反応すべてを、リオはつぶさに観察する。
「そうか……。俺がお前を解放すれば人間族の国では逃亡奴隷扱いされることになるがそれでもか? ……どうだ?」
少女は周囲をキョロキョロして戸惑った様子を見せたが、リオの真剣な表情に見ると、最終的に小さく縦に頷いた。
少女の返答を確かめ、リオは少女の首筋に右手をかざした。
リオの手に小さな光が溢れると、少女の首輪が外れて地面に落ちる。
「…………」
外れた首輪が少女の目に映る。
少女は呆然としていた。
しばらくすると少女は首の感覚を確かめるように顔を動かし始めた。
「ぇ……、ふぇっ、ふぇ、ひっく、ひっく、うぇええええん」
そして、首輪が完全に外れていることを理解したのか、突如、少女が泣き出した。
その光景を見て小さなため息を吐くと、リオはナイフを腰に収めた。
少女が泣き崩れて十分以上が経過すると、ようやく泣き疲れてきたのか、泣き声が収まってきた。
「そろそろいいか」
リオが少女に声をかける。
少女は、ビクリと反応して、リオのことを見つめた。
「毒は拭いておいたが、お前のナイフは返す。もう逃げていいぞ」
攻撃した部位を軽く治療してやり、そう言うと、リオは少女を拘束していた縄を切った。
ついでに少女の装備品であるナイフを渡してやる。
「え……?」
リオの言葉に少女が戸惑いの声を上げる。
「だから、逃げていいぞ。人間の領域はお前には暮らしにくいだろうけど、亜人の領域ならそうでもないだろ」
と、少女に言い聞かせるように、リオは言った。
「ここから東に行けば亜人の領域がある。俺も東に向かっていたんだが、あいにくと服が破れたからな。一度都市に戻ることにする。ここでお別れだ」
そんなリオの言葉を、呆然と少女は聞いていた。
奴隷の首輪をつけたままだと少女はリオのことを殺そうとし続けるだろう。
その場合はリオも少女を殺さなければならない。
だが、首輪がなければ話は別だ。
殺す必要がないのなら殺すこともない。
そう考えたから少女を解放した。
この少女が一人で生きていくことができるかどうかまで、面倒を見るつもりは、リオにはなかった。
獣人族は同胞に対して情に厚いという話をリオは聞いたことがあった。
それならば彼らと合流した方が彼女にとって良いだろうとも思っている。
解放した少女にそう告げると、リオはアマンドに向けて歩き出した。
もはや少女にリオに対する敵意や殺気はない。
少女は、呆然と立ち尽くして、リオが立ち去るのを眺めていた。
アマンドへ戻り、服を買うと、リオはそのまますぐに都市を出た。
再び街道を抜け出し、森の中へと入って行く。
リオは人の目がなくなったところで移動速度を一気に上げた。
木々の隙間を縫うように進んで行くと、いきなりリオが立ち止まった。
「……出て来い」
先ほどからずっと後ろをつけている人物に向かって、リオが呆れたように声をかけた。
そこにいたのは先ほどの狐獣人の少女だ。
声をかけられたことに少し驚いたようだが、少女は恐る恐る姿を現した。
「どうした?」
何の用かと、リオが尋ねる。
「あ、あの、東、行く、一緒……」
少女の言葉にリオが一瞬だけ硬直する。
たどたどしい喋り方たが、伝えたいことはリオにも理解できた。
だが、少女の真意がリオには理解できなかった。
どうして少女はこのようなことを言うのだろうか。
ひょっとして自分が良い人間だとでも勘違いしているというのか。
そんなことをリオは考える。
「あのな、俺は善意からお前を助けたわけじゃないぞ。お前を連れていくつもりもない」
と、少女の勘違いを正すようにリオは言う。
殺人に抵抗感を抱いていた。
罪悪感を抱きたくない。
そういう自分勝手な理由から、少女を解放した。
リオにとってはそれだけのことなのだ。
「……行きたい、です」
消え入りそうな声で少女が言った。
それが聞こえてしまったリオが、小さくため息を吐く。
「俺は人間だぞ。自分勝手な存在だ。お前を奴隷として扱っていた連中と同じなんだぞ?」
リオの言葉を聞いて、少女が首を左右に振る。
「嫌な感じ……しない、です。変な臭い、も、しない」
と、少女はリオを指差して言った。
変な臭いと聞いて、リオは少しだけ疑問に思ったが、少女にはリオを信用するに値する根拠になるらしい。
「それに俺は獣人のテリトリーには入れない」
少女の意思が思いの外に固く、リオが戸惑ったように言った。
といっても、苦し紛れの理由ではない。
同胞を奴隷として扱っていることから、人間族に恨みを抱いている獣人族は多いはずだ。
リオが獣人族の少女を連れてそこに入っていけば、高確率で外敵認定されることは容易に想像できた。
「じゃあ、そこまで、一緒……行きたい……です」
と、どこか強い意志を感じさせるように、少女は言った。
少女は今までずっと隷従して生きてきた。
同時に、奴隷から解放されたいと心の中でずっと思っていた。
だが、少女は今までずっと他者の命令を受けて生きてきたのだ。
いざ自由になってもどうすればよいかわからなかったのである。
少女は、リオが都市の中に入ってからも森の中をうろうろと歩き回り、リオが都市から出てくると、何となくその臭いを察知して後をつけてきたというわけだ。
左手で頭を掻き毟り、小さくため息を吐くと、リオは観念したように開口した。
「……好きにしていい。ただし、獣人族のテリトリーに入ったら別行動だ。わかったか?」
このまま後ろをついてこられるよりかは一緒に行動した方がいいだろうと、消極的な理由を自分の中で作り、リオは少女の同行を了承することにした。
「は、い」
少女は戸惑いながらも頷いた。
リオがそんな少女の恰好を確認する。
前に切れ目の入った全身を覆う緑のローブを纏っており、その中には色々と装備を収納しているようだ。
「食料と水は持っているのか? それに毛布は?」
最低限の必需品を持っているかを確認する。
「食料は、もらったの、ある、少し。水は、川の、飲む。毛布は、これある、です」
ローブをヒラヒラさせて少女が言った。
それを見てリオがため息を吐く。
それだけでは旅の準備はできていないも同然である。
「わかった。食料も水も俺が用意してやる。となるともう一回あの都市に戻った方が良さそうだな……」
出たり入ったりを繰り返すことを億劫に思うが、同行を許可した以上は世話を見てやらなければならないだろう。
「少しここで待ってろ。都市に行ってお前の必需品を買ってくる。そうだな、一時間で戻ってくる。わかったか?」
言い聞かせるように少女に語りかける。
おずおずと少女が首を縦に振るのを確認すると、リオはアマンドへ向けて歩き出した。
「そうだ、名前はなんていうんだ?」
ふと、思い出したかのように、立ち止まって振り返ると、リオは少女に名を尋ねた。
「ラティーファ」
「そうか。俺はリオだ。よろしくな。ラティーファ」