第15話 リッカ商会
リーゼロッテという少女について、自重する気がないのではといくらいに目立っているのは個人的にどうかと思うが、功績や評判を見れば悪い人物ではないだろう、とリオは思っている。
とはいえ、進んでどうこうしようとは考えていなかった。
相手もリオが転生者であることに気づいて聞かれたのならば答えるのも吝かではないが、自ら教えに行くという気にはなれない。
(仮にお互いが転生者だということがわかっても何を喋るのかって話だしな)
同郷話で話を咲かせることはできるだろう。
故郷に帰りたくもなるだろう。
リオだって地球に帰って幼馴染の少女を探したいという気持ちはある。
相手の子にも地球に未練があってもおかしくはない。
だが、この世界で生を受けてしまった自分が今更地球に帰るという選択肢をとることはできないと、リオは気づいてしまった。
戻ったところで戸籍はどうなるのか、同じ時代に戻れるのか、そもそもどうやって戻るのか。
それに容姿だって地球にいた時と異なるのだ。
これは、仮に地球に戻る手段が見つかったとしても、解決できる問題ではない。
世界を移動する方法についてはリオも探してみたことはあるが、この世界の魔法にそのような魔法は存在しない。
仮にも王立学院にある図書館で調べて見つけられなかったのだから、他の国の図書館に行っても見つかる可能性は少ないだろう。
だからリオはもう地球に帰ることは諦めた。
未練があるにもかかわらずその決意ができたのは、仮にあのまま地球で暮らしていても幼馴染の少女が見つからないと、どこか心の中で諦めているからなのかもしれない。
それに、素性の知れない子供がいきなり貴族の令嬢に会いに行って会わせてくれるはずもない。
そういう巡りあわせならいずれ会うこともあるはずだ。
代わりに、今は彼女が考案したという春人にとっては懐かしの料理を食べさせてもらうことにした。
懐かしの味が食べられるということに心を躍らせながら、リオはリーゼロッテが陰から経営しているという商会の店舗を訪れることにした。
都市の構造は綺麗に区分けされて整備されていた。
店舗が立ち並ぶブロックへ入ってすぐに目的の建物が目に入る。
五階建てとの石造建築で、他の建物と比べてひときわ大きく小奇麗であった。
そのまま入口の中へ入っていく。
建物の内部も綺麗だ。
良い材質を使っており、一階の奥にカウンターがあり、オープンフロアの各所に商談用のスペースが設置されている。
(これは……入る格好を間違えたか?)
さっと目を通したところ、中にいるのは商人と思われる身なりの者ばかりだ。
それなりに小奇麗な格好をしている者が多いので、旅人スタイルで武装している自分が完全に浮いているように思えてしまった。
すると、カウンターの奥にいたリオと同年代程度の少女がリオの存在に気づき、笑顔で話しかけてきた。
「いらっしゃいませ。ようこそ、リッカ商会へ。何かご入り用でしょうか?」
気品の溢れる仕草で少女が愛想良く微笑む。
薄い水色のウェーブのかかったロングヘアに、愛らしくおっとりとした顔立ち、制服を着ていることから従業員のようであるが、お洒落をしてドレスでも着れば貴族の令嬢と間違えそうなくらいである。
「これはどうもご丁寧に。こちらでパスタを販売していると聞きまして、乾燥していて保存が効くものがあれば少し多めに購入したいと思ったのですが。それと他の食料品もあるのなら揃えたいと考えております」
流石一流の商会だけあって教育が行き届いているなと感心しながら、リオは丁寧に挨拶を返した。
武装した冒険者のような見た目とは裏腹に、恭しい態度で挨拶をするリオを見て、少女の目に少しだけ興味深そうな光が灯った。
「はい。乾麺タイプのものもございますよ」
「それは良かった。保存期間はどの程度でしょうか?」
「なにぶん製造が開始してからまだ一年も経っていない商品ですので実証されたものではありませんが、湿気が少なく高温でない環境でしたら少なくとも二年は保管できるものと自負しております」
「なるほど、では値段は如何程でしょうか?」
「五百グラムでお値段は大銅貨一枚と小銅貨五枚です」
この世界の食材にしてはそれなりに高い値段である。
だが、リオとしては親しみのある食材なので惜しくはない。
というよりも、食事に対して妥協する気は一切ない男なのだ。
「なるほど。ちなみに大麦の粒をこの商会で扱っていたりはしませんか?」
「はい。もちろんございます。値段は一キロで大銅貨一枚です」
「では、パスタを十五キロ、それと大麦の粒を五キロ、それぞれご都合をつけていただくことはできますか?」
個人で食べるにしては相当多いが、精霊術のおかげで水を携帯する必要がないし、身体と肉体の強化もできるので、多少の無理は効くはずだと、食い意地を優先させた。
他の食材をすべてそろえれば四十キロは容易に上回りそうである。
「パスタについては五百グラムで六人前ほどの量があるのですが大丈夫ですか?」
全部で百八十人前となる。
商人が一度に購入する量としては少ないが、一個人で一度にこれだけの量を買う人間はそうはいない。
冒険者の恰好をしているリオがこれだけ大量のパスタと大麦を購入することを、少女は不思議に思った。
リオくらいの年齢の平民だと、重さをよく理解していない者も多い。
ひょっとしてリオもそうなのではないかと考え、少女はわかりやすく何人前となるのかを教えてみた。
ちなみに、リオはパスタや大麦を旅の携行食として用いようとしているが、少女はその選択肢を頭から完全に除外していた。
なぜなら、その二つは旅の携行食には向かない食材であるからだ。
乾燥パスタを茹でるにしろ大麦で麦飯を作るにしろ多くの水が必要となるが、旅において水は僅かでも無駄に消費できるものではない。
たしかに水を生み出す魔法はあるが、魔道士の魔力は有限であるため、よほど余裕がない限り水を魔法で創りだすことはしないのだ。
また、大麦についてはビールの製造にしか用いられていないというのもある。
「はい。パスタは全部で百八十人前で、小銀貨四枚に大銅貨五枚ですよね。大麦は五キロで大銅貨五枚ですか。合計で小銀貨五枚ですね」
パスタが普通は旅の携行食に向かない食材であることはともかく、少女の意図はリオにも理解できたので、てっとり早く量と値段を計算してわかっていることを示す。
「……失礼しました。では、乾麺タイプのパスタ十五キロと大麦を五キロずつご用意させていただきます」
商人以上の暗算の速さに、少女が目を僅かに見開いて言った。
「その、準備に少し時間がかかりますので、代金のお支払いと一緒にあちらのテーブルでお茶でもいかがでしょうか?」
と、フロアの商談用スペースに置いてあるテーブルとソファーを眺めながら、少女が提案した。
「ああ、それはありがとうございます。是非、お願いします」
待機時間に手持無沙汰になるのも何なので、リオはありがたくお誘いに乗ることにした。
近くにいた職員に紅茶を淹れるように指示すると、少女が席まで案内する。
「さて、他にご入用の物がございましたらご用意いたしますがどうでしょうか?」
リオが柔らかいソファーに深く座ると、少女がそう切り出した。
「そうですね。旅に持ち運びできる調理器具、それとできれば調味料が欲しいです。あとは携行できる保存食一人分を一ヶ月分ほど。それに持ち運びしやすい丈夫で大きい袋ですかね」
ヤグモまでの距離を考えるとそれでも心許無いが、大量のパスタがあれば大丈夫だろうとリオは判断した。
「なるほど。でしたらこちらでご用意いたしましょう。ご予算は如何程でしょうか? それによってご用意できる質も変わるのですが……」
結構な食材の量を購入するリオに少女は大きく好奇心を動かされたが、それを表情に出すことはしない。
「そうですね。保存食については大銀貨一枚ほどで、調味料については特に上限は定めません」
ユーフィリア大陸の中でも、ベルトラム王国やガルアーク王国がある地方で栽培されていない調味料については、値段が高騰する傾向にある。
特に香辛料の類は高い。
「それだけあれば保存食は良質な物が買えますよ。調味料についてはどういったものを御所望でしょうか?」
ふと、リオ達がいるスペースにメイドの姿をした女性が現れた。
一商会にメイドがいることに少し驚いたものの、慣れた手付きで優雅に紅茶を淹れていくのを見て、視線を少女に戻すと口を開いた。
「そうですね。塩、ガーリック、ハーブ、オリーブオイル、できれば胡椒、グローブ、ナツメグ、唐辛子も欲しいですね」
本当は醤油や味噌も欲しいが、今までにリオはその二つを見たことも聞いたこともない。
大豆はあることから、稲の代わりに大麦を使えばいずれも作ることは可能である。
(パスタや肉まんを考案したんなら、そのリーゼロッテさんが醤油と味噌を作っていてもおかしくはないけど、そういった話は聞かなかったしな。まぁ、自作する人はあんまいないし、作り方を知らなくても無理はないけど。どこかで定住するようなら自分で作ってみるか)
前世では田舎で暮らしていたことから、リオは二つとも作り方を心得ていた。
「あはは、ずいぶんと食通なようですね。もちろん全部ご用意しております。塩、ガーリック、ハーブ、オリーブオイルはさほど高くありませんが、胡椒以下については百グラム当たり小銀貨一枚からとなっております」
「それはありがたい。それなら全部で金貨一枚もあれば足りそうですね。さて、お茶、いただきますね」
せっかくなので断りを入れて冷めないうちに出されたお茶を楽しむことにする。
差し出された陶器製のカップとソーサーの色合いと絵柄を楽しむと、続いて胸の位置にソーサーを置いて水色と香りを楽しんだ。
最後にソーサーを添えてカップの紅茶を口に含む。
一連の優雅な所作を少女が驚きつつも感心したように見ていた。
「その、飲み慣れているんですか? ずいぶんと仕草が洗練されていますけど」
「ああ、知り合いに紅茶に煩い人がいましてね。飲むのに長年付き合っていたせいで自然と身についたんですよ。独特の香りと少し渋みのある風味、これ、リズ産の茶葉ですよね。良い等級のものを使っていらっしゃる」
セリアと一緒に紅茶を長年飲み続けてきたおかげで、自然とその仕草が表れてしまう程度に、リオは貴族式のティータイムのマナーを身に付けている。
「ご明察の通りです。素晴らしいですね。貴族の殿方でも紅茶について無知な方が多いというのに」
嘆かわしいと言わんばかりの表情を一瞬だけ覗かせると、話の合う相手に巡り合えた幸運を喜ぶように、少女は上機嫌に微笑んだ。
そして、優雅な仕草で紅茶を口に含む。
その仕草を見つつ、リオはカップとソーサーに視線をやる。
「テーブル、ソファー、そして食器……オープンフロアにある商談用スペースにしては、ちょっと上等すぎやしません?」
ちょっとした話題にしてみようと話を振る。
食器は大銀貨数枚、ソファーとテーブルについてはセットで確実に金貨数枚はするはずだと、リオは見抜いていた。
「ふふ、最高の商談を行うには場所も大事になりますから。良客を招く当然のおもてなしです」
と、少女は誇らしげに言った。
「流石はガルアーク王国一の才女であるリーゼロッテ様が陰から経営すると囁かれる商会なだけはありますね。先ほどのパスタもリーゼロッテ様がご開発なされたとか」
「え、あ、はい。そう仰っていただけるとお喜びになると思います」
リーゼロッテの名が出ると、少女が少し動揺したようにリオには見えた。
(まさか……な)
一瞬、突拍子もないことが思い浮かんだが、リオは頭の片隅に沸いたその疑問を端に追いやった。
「ところで、個人的な質問で恐縮なのですが、お客様は冒険者でいらっしゃるのですか?」
と、少女が個人的な疑問を口にした。
今は商談というよりは歓談中でもあるし、この程度のプライベートな質問ならば無礼になるわけでもない。
少女に聞かれた質問に答えるためにリオが開口する。
「いえ、冒険者登録はしていないのですよ。実は旅の最中でして、今のところ路銀には困っていないので冒険者登録をするつもりはあまりないですね」
(そもそも指名手配されている状態で冒険者ギルドに登録できるかも怪しいしな)
胸元のカップを眺めながらそんなことを考えると、リオは視線を少女へと戻した。
「なるほど。それでお客様の髪はあまり見かけない色なのですね」
教養の溢れる丁寧な仕草と言葉づかい、複雑な計算を即興で暗算する知能、紅茶に関するマナー、どれをとっても見た目を大きく裏切るものばかりだ。
しかも商談をするにあたっても値切るということを一切してこない。
少女はリオのことを異国の貴族の御曹司がお忍びで旅でもしているのではないかとあたりをつけていた。
その勘違いはリオにとっては非常にありがたいものである。
「ええ、この国だと黒い髪というのはあまり見かけないですよね。東の方だとさほど珍しくはないらしいのですが……。ああ、そうだ。実はベルトラム王国の王都に知り合いがいるのですが、手紙を送る方法を御存じないでしょうか?」
尋ねて、リオが少し冷めた紅茶を口にした。もしかしたら手紙の郵送業も営んでいるかもしれないと思ったのだ。
「ベルトラム王国の王都でしたら私どもの商会で配送いたしますよ。そういった業務も行っておりますから。商談をまとめて商品を用意する間に手紙をお書きになりますか?」
「是非、お願いします。そろそろ商談を再開しますか」
すると雑談を止めて商談を再開し、リオが旅に必要な物を購入していく。
必要な商品の量を伝えて金貨で料金を支払うと、従業員が手紙を書く羊皮紙、羽ペン、インクを持ってきた。
「では、商品の準備をしてまいりますね。手紙を書き終えましたらお声掛けください」
「ありがとうございます」
手紙は二十分ほどで書き終えた。
近くにいる従業員を呼ぶと、何故か先ほどの少女が再度カウンターの奥から出てきた。
「ではこれをベルトラム王国の王立学院宛てに届けてください」
「はい、宛先人はセリア=クレール様ですね」
リオは手紙を少女へ渡し、少女がその手紙を大切そうに受け取った。
その手紙の宛先人を見て極僅かに目を見開くと、少女は宛先が間違っていないことを確認した。
「はい。よろしくおねがいします」
リオとしてはリッカ商会ほど大きな商会に頼めばほぼ確実に依頼は達成されると踏んでいるので、特に手紙が配送されなくなる心配はしていない。
「畏まりました。では、こちらがご依頼の品です。お受け取りください」
脇に控えていた従業員が荷物の入った袋を担いでリオに引き渡した。
かなりズッシリとした重みがあるが、身体能力と肉体を強化すればこの程度なら苦にはならない。
少年の背格好をしているリオがあっさりと荷物を持ってしまったのを見て、その場にいた全員が目を見開く。
「ありがとうございました。それでは」
リオは苦笑しながら挨拶をすると、リッカ商会の本店を後にした。
少女が一歩前に出て、リオの姿が建物の中から消えるまで、見届ける。
「あのセリア=クレールと個人的に知り合い? 本当にどんな人物なのかしら?」
ぼそり、と少女が好奇心から来る疑問を口にした。
クレール伯爵家といえばガルアーク王国でも有名な貴族だ。
その娘のセリアといえば天才の名を欲しいがままにする人物としてさらに有名である。
今、少女が手にしている手紙の宛先人は、そのセリア=クレールだという。
そんな大物と個人的に知り合いであるのだから流石に少女も驚いてしまった。
詮索することは失礼にあたるのでそれはしなかったが、可能ならば是が非でもしたかった。
(やっぱり異国の貴族なのかしら。まぁ、この手紙をあの子に届けさせる時にそれとなく聞いてくるように頼んでおくとしますか)
自分の部下の中でも懐刀というべき女性が、セリア=クレールの友人だと言っていたことを思い出し、少女はこの手紙を彼女に配送させることを決めていた。
明後日にはベルトラム王国に大事な商談をしに行くことになっているのだ。
その護衛として彼女も同行することになっている。
(この世界で初めて見た黒髪に興味を持って話しかけたけど、中々面白い出会いに巡り合えたものね)
リーゼロッテとリオ、二人の転生者はお互いが転生者だと実際に気づくことなく初対面を済ませることとなった。