第14話 交易都市アマンド
リオはベルトラム王国の国境へ向かって森林地帯を走っていた。
既にリオがベルトラム王国の王都を出発してから二日が経過している。
移動手段は徒歩である。
一般的な徒歩旅の移動距離は、整備された街道を歩くことを前提にして、一日の移動時間八時間で合計三十キロを平均とする。
ところが、リオは、強化した身体能力と肉体に物を言わせて、道なき道を一日で三百キロ以上も走破していた。
これは、馬を休ませることなく常時疾走させていなければ、追い越すことができない移動距離である。
この調子で行けば今日中には国境を越えることができそうであった。
ベルトラム王国の東に位置するのは同盟国のガルアーク王国である。
ガルアーク王国は、ベルトラム王国と同程度の歴史と国力を誇る、ユーフィリア大陸の列強に数えられる大国の一つだ。
(ガルアークにまで俺の手配書が届いていないといいが……)
王都から逃げ出すように出てきたせいで食料品の調達が不足していた。
万が一、ガルアーク王国内でも指名手配が有効であると、最悪その先にある未開地に何の食料の準備もなしに突入することになりかねない。
ちなみに、未開地とは人間族の支配が及ばない空白地帯である。
そこの一部の地域にはエルフ、ドワーフ、獣人といった亜人達が暮らしている。
人間族と亜人の交流はゼロであり、どちらかというと亜人は人間族に敵対的である。
リオが目的地とするヤグモはその未開地の更に東にある地方である。
定期的な移動手段は存在せず、数十年に一度、大使のやりとりがあるかどうかだ。
移動ルートは三つ、陸路、海路、空路である。
陸路については必然的に亜人達のテリトリーを移動しなければならない。
詳細な地図は存在せず、大森林や山岳地帯など徒歩で移動するには地形条件が悪く、下手をすると凶暴な生物や魔物が生息する地域に迷い込むこともある。
リオでも移動速度が道中で大幅に落ちることを考えれば、二か月は到達に必要と考えた方がいい。
海路については海岸線沿いに航行していくことになるが、移動速度が気候条件に左右されることから、移動には時間がかかる。
海中にはシーサーペントと呼ばれる亜竜を始めとして獰猛な生物や魔物も数多く存在する。
その危険性は下手をすると陸路よりも高いことから、移動に必要なコストも考えると現実的な移動ルートではない。
一番安全な移動ルートが空路である。
古代のアーティファクトに魔道船と呼ばれる空を飛ぶ船がある。
移動速度は通常運行時で五十ノット弱ほどであり、空の生物や魔物に襲われる可能性はあるが、海上よりは比較的対処がしやすい。
ただし、魔道船は現存数が非常に少ない上に移動には大量の魔石を消費することになる。
また、空を飛ぶ生物をテイムしている者がごく少数ながらにいることから、そういった人物は空路で移動することができる。
これらのうち安全性とコストの関係で個人が採りうる選択肢はほぼ一つしかない。
陸路である。
とはいえ、先に述べた危険性が存在するので、行くとすれば命がけで、まともな精神をしていればまず行こうと考える場所ではない。
それでもリオがヤグモに向かうのは、前世の自分である天川春人からすればその国の名がどこか懐かしい響きがすることに興味を持っているというのもあるが、そこがリオの父と母の故郷であるからだ。
ベルトラム王国に二人の墓はないが、故郷であるヤグモには二人の墓を作ってやりたい。
リオはそんなことを考えていた。
そして、その時までに自分の中で一つの答えを出そうと考えていた。
母親の仇をとりたいという気持ちは今でもリオの中で燻っているが、他方で復讐に対してどこか消極的なもう一人の自分もいるとリオは感じていた。
それゆえ、もし相手と相対した時に、自分がどのような行動に出るのかリオ自身にもわからないのだ。
だから、その時、両親を弔ったその時になってもまだ復讐を忘れられないというのであれば、リオは母を殺した男を探し出して何らかのケリをつけようと考えている。
相手がどこにいるかは判明していないが、王立学院に在籍している間に王都のギルドで調べた情報によれば、その名前の男は割と名の知れた傭兵団を率いて各国を転々としているらしい。
各地の冒険者ギルドに寄って情報を集めれば、いつかその人物に巡り合うこともあるだろう。
そんなことを考えながらも、ほぼ無意識的に、着地と離陸の瞬間に絞って、脚に部分的な身体能力と肉体の強化を施すと、リオは爆発的な加速を得て前へと進んで行く。
街道は山岳地帯を避けて平原、森林、盆地に切り開かれる。
街道が百パーセント安全というわけではないが、人の手が及ばない領域には国内であろうとも野生の生物や魔物が暮らしていることが多い。
魔物と遭遇する道なき道を進む覚悟があるのならば、ある程度安全の確保された街道を通らなくとも国境を越えることはできる。
指名手配されていることを考えると、リオは正規のルートで国境を越える気にはなれなかった。
道中で稀に遭遇する魔物は下位のものばかりだったので、足の速い魔物以外はすべて無視して突っ走って来ている。
一度街道に戻って確かめた標識によれば、そろそろベルトラム王国の国境を越えていてもおかしくはない。
ベルトラム王国が横に長い国であるならば、ガルアーク王国は縦に長い国である。
ガルアーク王国に入ってそのまま横に突っ切って未開地へと入っていくのならば、二日もあれば十分だろうとリオは踏んでいる。
ガルアーク王国で指名手配されていないようであれば、どこかの都市で食料品等の調達を行わなければならない。
そして、セリアに手紙を書くと約束した手前、どうにかして手紙を送れないかとも考えていた。
既に午後に突入してそれなりに経過した。
もし都市がすぐに見つからなければ野営することも考えなければならない。
リオはガルアーク王国に入ったことを確かめる意味も込めて、街道がある方へ向かった。
数分も進むと森を切り開いて作られた街道にたどり着いた。
道幅は十メートルほどで、馬車が三台は余裕で通れるくらいの広さがある。
街道が続く先に目的の都市があるはずだとそちらの方角を眺めると、遠くで煙が立ち上っているのが見えた。
どうやら都市が近いようである。
周囲に人や馬車がいないことを確認して少し早目の速度で走り出す。
一時間も走ればそこに着くだろう。
そうすればここがガルアーク王国内かどうかわかるはずだ。
都市の近くまでやって来ると、周囲の開けた土地一帯に穀物畑、菜園、ブドウ畑、放牧地、家畜小屋が散在していた。
耕作地と放牧地で作業している人達が視界に映る。
すぐ傍には湖畔もあり、都市へと続くいくつかの街道には今まさに都市に到着する馬車が数台あった。
この都市はガルアーク王国クレティア公爵領にある都市の一つでアマンドという。
定住人口は五千人と少ないが、ベルトラム王国を繋ぐ交易地点として多くの旅人や行商人が行き交うことから、人口以上の賑わいを見せる都市である。
都市の周りは三メートル程度の石壁で囲まれており、入り口には警備の兵もいるが、出入りのチェックは緩かった。
ここでリオはガルアーク王国に侵入したことと指名手配が及んでいないことを知った。
とりあえずは一安心である。
まだ情報が届いていないだけの可能性もあるが、魔道通信機の存在を考えればその可能性は低いだろう。
仮に前者だとしてもこの都市にいる間くらいなら、目立たなければ大丈夫だろうと判断した。
都市の中に入ると多くの店舗や露店が立ち並んでいた。
武具、魔道具、食材、衣類、家具、アクセサリーと大抵の物は揃うのではないかというほどの品ぞろいだ。
都市の住人も活気に満ち溢れており、至る所で威勢の良い呼び込みの声が聞こえる。
存外に早く着いてしまったせいか、まだ都市の中を見て回る時間はあった。
数多くある露店から縦横無尽に溢れる食べ物の香りを無視することは、今のリオにはできなかった。
朝から小休憩を挟む以外は、何も食べずにひたすら走り続けてきたのだから、無理もない。
リオは牛肉の串焼きを売っている露店へと足を向けた。
「おじさん、ベルトラム王国の貨幣はこの国でも使えたりしますか?」
もし使えないとなると今リオが持っているお金は使い道がなくなる。
隣の国の貨幣ならおそらくは使えると考えてはいるが、確認の意味を込めて聞いてみる。
「お、兄ちゃん知らないのか。貨幣は商人ギルドが各国から委託を受けて発行しているんだ。だから商人ギルド設置国ならどの国でも同じ貨幣が使えるぞ?」
(へぇ、この世界の文明水準で国際間の共通通貨が発行されているのか)
リオの心配は杞憂だったようだ。
その利便性に感心するととともに安心する。
「なるほど、初めて知ったよ。ありがとう。五本ください」
「あいよ!」
大銅貨を二枚と小銅貨を五枚渡して、牛肉の串焼きをまとめ買いする。
シンプルに塩だけで味付けされた牛肉が実に食欲をそそる。
空腹は最高の調味料とはよく言ったものだ。
貴族が食べるような上質の肉ではなく、少々歯ごたえはあるが、あっという間に五本の串焼きを胃袋に入れていく。
「兄ちゃん、良い食いっぷりだな! あんがとよ!」
「美味しかったですから。ところで、おじさん、この国について少し教えてくれません? 俺、この国に来たばっかりでして」
店主の男性が納得した表情を浮かべる。
「兄ちゃんは見るからに冒険者って感じだもんな。その割には礼儀正しいし、若えのに大したもんだ。いいぜ、任せな!」
リオの中では初対面に接する相手との会話としてはそれなりに砕けた口調で喋っているが、それでも丁寧な口調として捉えられたようだ。
リオくらいの年齢で冒険者をやっている者は
そんなリオに男が得意げに語りだす。
どうやらかなり話好きな性格をしているようだ。
ガルアーク王国とベルトラム王国は同盟関係にあり、宿敵のプロキシア帝国とは敵対関係にあるが今は冷戦状態であることを語ったかと思えば、ガルアーク王国の王室の色恋話のようなどうでもいいようなことも語る。
「んで、この都市は、クレティア公爵唯一の御息女であり、ガルアーク王国一の才女であるリーゼロッテ様が治める交易都市さ。兄ちゃん、こっちの肉『メン』スープもどうだ?」
リオ達の話を聞いていたのか、隣の露店にいた男も客の入りが空いたようで話に加わって来た。
きちんと営業も忘れないあたり、商魂たくましいと言うべきか。
「肉『メン』スープですか? へぇ、そっちも美味そうだ。じゃあ一杯もらえます?」
『メン』という発音の単語に興味を持ち、リオは注文することを決めた。
代金の大銅貨二枚を支払い、出来上がりを待つ。
「なんでい、兄貴。それは俺っちがこれから話そうと思ったのによ」
リオと話していた男が、美味しいところをとられて、ふてくされたような顔をする。
「へへ、まぁそういうなや弟よ。それにうちの肉『メン』スープはそのリーゼロッテ様が考案なされた料理だしな。へい、お待ち!」
どうやら二人は兄弟のようだ。
現れた料理を見て、リオが一瞬だけ硬直する。
「これは……」
現れた料理の見た目はスープパスタだった。
具材は肉と僅かな野菜しか入っていないが間違いない。
「これをその公爵令嬢が考えたんですか?」
「おうよ。正確にはその『メン』と調理方法をだけどな。『パスタ』っていう『メン』の一種らしい」
「この『メン』を……。『パスタ』……。『メン』、『麺』。なるほど……」
合点がいったというようにリオが呟く。
それはこの世界の単語ではなかった。
口の中に入れて触感を確かめる。
みずみずしく、もちっとした食感をしていることから、使用しているのは保存用の乾麺ではなく生パスタだろう。
味付けはシンプルな塩味だ。
ガーリック、鷹の爪、胡椒、コンソメ、オリーブオイル等で味付けを調整すれば、さらにリオ好みの味になりそうだった。
(乾麺があるなら保存食にいいな。あとは、米……はここら辺にないけど、大麦で代用すればいい)
「これって元は乾燥している『麺』じゃないですよね? 乾燥しているのもあったりしますか?」
生パスタが作れるのなら乾麺を作るのもさほど難しくはない。
そう考えて、リオは早速質問する。
「おお。輸出用に保存用の乾『麺』ってのも出来たみたいだぜ。リーゼロッテ様が出資して設立されたリッカ商会の直営店に行けば買えると思うぞ。なんだ、坊主すでに『麺』を知っていたのか?」
「いえ、初めて食べました。ただ、すごく美味しくて、これなら毎日食べたいなと」
「ほう、そんなに気に入ったか。へへ、流石はリーゼロッテ様だぜ!」
と、兄弟は二人そろって嬉しそうに言った。
「リーゼロッテ様でしたか。そんなにすごいお方なんですか?」
この『パスタ』を作った公爵令嬢に興味を持ち、リオは質問を投げかけてみた。
すると、二人は競うようにリーゼロッテのことを語りだした。
いわく、ガルアーク王国の王立学院を飛び級で卒業した。
いわく、ガルアーク王国有数の天才魔道士である。
いわく、クレティア公爵領に農業革命を引き起こした。
いわく、今までに考えたことのないような料理レシピを数多く考案している。
いわく、様々な娯楽を考え付いた。
いわく、その才能を認められて、十歳の時から、クレティア公爵領にある都市の一つである、このアマンドの管理を任せられている。
いわく、この都市にある最大の商会であるリッカ商会は彼女が裏から経営している。
と、リーゼロッテの偉業の数々が語られる。
「なるほど、たしかにすごいお方のようだ」
感心したように、リオは呟いた。
「おうよ! 俺ら平民に対しても驕ったところが一切なくてな。たまに市場の視察に来たりするんだが、こないだなんか俺に微笑みかけてくれたのよ」
「そりゃお前の勘違いだ。あれは俺に対して微笑んだんだからな」
「なんだと!? いくら兄貴でもそれは聞き捨てならねぇぜ!」
もはやアイドルである。
聞けば可愛らしい容姿をしているようだが、年齢はまだ十一歳だという。
ゆうに三十歳過ぎの男達がそんな少女に何を言っているのかと、リオは呆れかえる。
「お二人のリーゼロッテ様に対する愛の深さはよく理解できました」
「ば、馬鹿野郎! 愛なんてそんな恐れ多い!」
「そ、そうだ! 確かに俺ら二人、リーゼロッテ様のためなら死ねるけどよ!」
二人の必死さに、リオは苦笑しながら顔をひきつらせていた。
「ま、他にも露店でリーゼロッテ様の考案した料理で公開されたもんが売っているから食べてみろよ。どれも激ウマだぜ! 俺のおすすめは肉『マンジュー』だ!」
(肉『マンジュー』、ね……。発音は微妙だが、間違いない、か)
この世界の人間が考え付かなかったことを、いくつもの分野で、次々に立案していく。
天才だから、この世界の人間はその一言で理解するしかないのだろうが、その少女が考えついたものはリオ、そして天川春人が知っているものばかりだ。
だからリオはその結論にたどり着くことができた。
『メン』は『麺』に該当する食材がないから、肉『マンジュー』とやらは『饅頭』に該当する料理がこの世界にないことから、そのまま『麺』と『饅頭』という日本語の単語を採用したのだろう。
(そのリーゼロッテという少女は俺と同じ転生者だ。しかも日本人)
思わぬところで、リオは同郷の人間をこの異世界で発見することとなった。