第13話 指名手配
王立学院で一晩を過ごし、朝になって抜け出したリオは、旅の準備を整えるために王都の市場で歩いていた。
これまで王立学院の外に出ることはめったになかった。
久々に歩く王都の街並みはリオが孤児だったころと全く変わっていない。
だが、今は感傷に浸っている暇はない。
できるだけ早く準備を整えて王都から脱出しなければならないのだ。
リオは王立学院の訓練用制服を着ているために非常に目立つ格好をしていた。
王立学院の紋章が刻まれた軽鎧は既に廃棄してある。
それでも、王立学院の制服を着る者はほとんどが貴族であるため、時折すれ違う警備兵はリオを見ると道を空けて敬礼していた。
平民達も一定の距離を空けてリオには近寄ろうとはしない。
ふと、ここ数日間、水以外に何も口にしていなかった、リオの腹が、空腹で大きな悲鳴を上げた。
さっさと服を着替えて胃に何かを入れたいところだが、なにぶん、この五年間、リオの生活は学院の中で完結していた。
購買のような場所で日常生活に必要な最低限の衣類を購入していたことから、あまり市場に来ておらず、どこに服屋があるかを把握していなかった。
適当に歩いているうちに、市場の大通りから外れの通りの方にまで、来てしまったようだ。
そんな時、食欲をそそる良い匂いがリオの鼻を刺激した。
市場には至る所に露店が出ている。
その中の一つから放たれているものだった。
立地条件があまり良くないのか、客はいない。
(あそこで何か買ってついでに服屋の位置を聞いた方が早いか)
そう思ったリオは露店へ向けて足を動かした。
露店の台から小さな少女が顔を出しているが、客の入りがないのでどこかつまらなさそうな顔をしている。
その後ろには母親と思しき人物が何か作業をしていた。
「あ、いらっしゃいませ!」
リオが露店に近づくと、少女が気づいて元気よく接客の挨拶をしてきた。
歳は七、八歳というところか。
この国ではありふれた栗色の髪をしたあどけない少女だ。
少々痩せてはいるが可愛らしい。
少女はリオの身なりを見ると少し驚いた表情をしていた。
「あ、えっと、その……」
リオの着ている制服の見栄えの良さから貴族だと思ったのだろう。
少女は緊張しているようだ。
平民に対して横暴な貴族が多くいることは、平民にとって一般的に知られていることである。
おそらく少女も親から貴族にあまり関わらないように教えられているのだろう。
「そんなに緊張しないで大丈夫だ。ちょっと腹が減っていてな。良い匂いがしたからやって来たんだ。ここは何が売っているんだ?」
と、少女を安心させるように、リオは優しい声色で喋った。
「えっとね、パンの中にソースと野菜と焼いたお肉を入れるたの、です」
頑張って丁寧語で喋ろうとする少女の姿を見て、リオはそっと微笑む。
「あ、あら、まぁ、貴族様でしょうか?」
屋台の裏で調理と仕込みをしていた母親がリオに気づいてやってきた。
少女の母親のようで若い綺麗な女性である。
身なりから機敏にリオのことを貴族と勘違いしたようだ。
「驚かせてすいません。良い匂いがしたので立ち寄ったんです。お腹がかなり減っていて、二人分もらえますか?」
「ですが、その、うちのお店の物は貴族様に食べてもらえるような味かどうか……」
と、恐縮した様子で少女の母が言った。
注文していざ食べてみて貴族から不味いと怒鳴られれば、少女の母にはどうすることもできない。
それを恐れているのだ。
「大丈夫ですよ。こういう買食いは慣れていますから。ケチをつける真似もしません」
少女の母を怖がらせないように、リオが軽く頭を下げた。
その様子で母親の警戒心が薄まったようだ。
ちなみに買食いするのはこの世界では初の体験である。
「では、その、二つで大銅貨二枚になります。食べ方はわかりますでしょうか?」
貴族は手づかみで何かを食べるということはまずしない。
食事はナイフ、フォーク、スプーンを使って食べるものだと思っている。
「ありがとうございます。食べ方は心得ているので大丈夫です。お釣りはいりませんので、これを」
リオは小銀貨を一枚差し出した。
慌てて釣銭を取り出そうとした母親に、釣りはいらないと伝える。
「そういうわけには……」
「驚かせてしまったお詫びです。その子に美味しい物を食べさせてあげてください」
リオは薄っすらと微笑んで少女を見た。
「ですが……」
「いいんです。でしたら代わりに服屋と武器や防具が売っている店の場所を知っていたら教えていただけないでしょうか? 実は道に迷ってしまいまして」
そう言うとリオは少し恥ずかしそうに苦笑した。
そんなリオの様子に、少女の母は、一瞬だけ呆けた顔をしたが、すぐに薄く笑った。
「はい。新品の服が売っているようなお店ですと、中央通りに大きな商会の服屋がありますよ。この道を真っ直ぐ進んで行くと大通りに合流しますので、そこを左に曲がってください。一分も歩かないうちに右手に服屋があるはずです。武器と防具を売っている店もすぐ近くにあるからわかると思います」
「なるほど。助かりました。ありがとうございます」
リオが軽く頭を下げてお辞儀する。
少女の母は恐縮したように頭を下げ返すと、調理を始めた。
「どうぞ」
差し出されたのはホットドッグ程の細長いライ麦パンに、肉と野菜が挟まれたサンドイッチのようなものだった。
リオがそれを慣れた様子で頬張る。
次の瞬間、塩の効いたソースと肉汁が混ざり合った味が口の中に広がった。
「美味しいです」
と、満足したような笑顔を浮かべて、手短に感想を言う。
少女の母はどこか安心したような表情を浮かべていた。
使っている素材の品質は、王立学院の中で食べられる食事に利用されている物の方が、圧倒的に上である。
調理師の腕もそうだろう。
だが、外出先でこうして買い食いをした前世の経験が懐かしくなり、最高のスパイスとなって、美味しく感じられた。
あっという間に二つのサンドイッチを平らげると、店先で母親と元気に手を振る少女に見送られて、リオは教えられた店へと向かった。
大通りに近づくと、活気と熱気が伝わってきた。
大勢の人々が行き交う中を、先ほど教えられたとおりに歩いていく。
地面は城壁の中のように石畳で舗装されているわけではなく、土がむき出しのままになっている。
(ん?)
ふと、リオはねちっこい視線を感じた気がして立ち止まった。
視線を感じた方を見たが、人が多すぎて視線の主は特定できない。
(気のせいか?)
違和感を覚えながらも先を急ぐ。
一分ほど歩くとすぐに目的の店は見つかった。
二つとも石造建築で三階建ての建物である。
それぞれの店に入って手早く必要な物を購入していくと、三十分ほどで買い物を終えた。
着替えを終えたリオは冒険者に成りたての少年といった風貌であった。
腰に片手剣、ナイフ二本、矢筒を差し、胴体には、フード付きの黒いロングコートを羽織り、その下に緑を基調としたクロースアーマーと茶色の革の軽鎧を身に着けている。
コートの下には手投げナイフがいくつも収納されていた。
さらに背中には弓とバックパックを背負っている。
バックパックの中には最低限の替えの下着、靴下、それと厚手の毛布が入っていた。
スペースは食料品のためにまだまだ余裕がある。
デザイン性よりも森林や夜間での隠密性と実利性を重視したチョイスであった。
といっても、リオくらいの年齢だと、ここまで完璧に装備を整える資金力はないのが通常である。
「おい」
次の用事を済ませようと歩いていると、リオはチンピラといった容貌の男に声をかけられた。
「何か?」
「お前、リオっていうんじゃねぇか?」
じろじろと無遠慮に下から上へと眺めていくようにリオのことを観察しながら、男はリオに誰何してきた。
リオはわずかに目を薄くして男を見定めるような視線を送った。
そして、先ほどの視線の主はこいつかと見当をつける。
「……いえ、違いますけど。急いでいるので、それじゃ」
どうして男が自分の名前を知っているのかについては疑問を覚えたが、男の目つきから碌なことになりそうにないと考え、リオは先を急ごうとする。
「まぁ、ちょっと待てよ。ついさっきな、リオって黒髪のガキの手配書が掲示されたんだ。まだ一時間も経ってねぇ。情報屋の俺はいち早くそれを察知してな。まだ、警備兵にも通達が行き渡っていないんじゃねぇか」
男はリオの前に強引に割り込むと、自分の目と耳の良さを自慢するように語りだした。
やむを得ずにリオも足を止める。
「で、飯でも食おうと市場を歩いていたら、黒髪のガキが歩いていたのを見かけてな。声をかけたってわけなんだが」
下卑た笑みを浮かべながら、歩み寄ると、男は目を丸くむき出してリオを覗き込んできた。
「何の話でしょうか?」
「とぼけんじゃねぇよ。黒髪のガキなんてこの国にはそうそういないぜ。しかも、さっきまで王立学院の制服を着ていたのに、今は逃げるかのように旅人の姿をしてやがる。おめぇがリオなんだろ?」
男は至近距離からリオを睨みつけた。
リオの話を信じる気はないようで、なれなれしく、それでいて、ねっちこく絡みつくように、リオにまとわりついてくる。
「いい加減しつこいですね。俺は急いでいると言いましたけど?」
怒気の中に僅かな殺気を混ぜて、リオは冷たい視線で男を睨みつけた。
「っと、と! 待て、待て。慌てなさんな。俺が大声を出せばすぐに警備の連中がやって来るぜ。警備兵はそこかしこにいるんだ」
そんなリオの迫力に押されて男が後ずさる。
「お前がリオじゃなくても警備の連中は信じないだろうな。それはお前も困るだろ? な? すれ違った巡回の兵士達も黒髪のお前の存在に気づき始めてる奴はいるだろうぜ」
早口で、脅迫めいたことを、男はまくし立てた。
「……」
リオは無言のまま男を見つめている。
客観的容姿の一致とリオのこれまでの反応で、男は自分の中で確信を強めていた。
「へへ、それにお前がリオならこの王都どころか国中でお前の逃げ場はないぜ。もう魔道通信機でお前の情報が国内の各都市に通知されているはずだからな」
男はリオの反応を見逃さないようにねっとりとその仕草を観察するが、リオが表情を崩すことはない。
魔道通信機とは古代のアーティファクトを参考に作られた無線映像通話機である。
通話可能範囲は三十キロ程度だ。
高価で数も少ないが各都市に一台は設置されている。
そのため三十キロ圏内を目安に都市が隣接していることが多い。
「ちっ、食えねぇガキだな。まぁいいけどな。ずいぶんと羽振りが良いみたいじゃねぇか。お前、金持ってんのか?」
(ああ、強請りか)
男の目的を察知し、自分の心がスッと冷たくなっていくのを、リオは感じていた。
リオは生死不明だが高確率で死んだ者扱いされているのだ。
まさか指名手配までされているとは思っていなかった。
万が一でも自分が生きていると不味いからの処置だろうか、それとも王族殺人未遂というのがそれほど重大な犯罪だからこその処置だろうか。
いずれにしろ、冤罪をでっちあげられた上に、ここまで実害を被ることになったのだ。
人間不信に陥ってもおかしくないくらいである。
流石にそれはないだろうと、リオは冷たい怒りを覚えていた。
それがじわじわとリオの心を蝕む。
ふと、目の前にいる強請り魔にそのいら立ちをぶつけたくなった。
「まぁ、とりあえず金貸してくれね? 王立学院の制服着ていたってことは金持ってんだろ? そんな装備を整えられるくらいだしな。代わりと言っちゃなんだが匿う場所くらいは用意してやるぜ?」
強請の男は、自分の優位を欠片も疑っていないように、図々しい言葉を平然と言ってのけた。
おそらくここで金を渡しても男はリオを強請るだろう。
それか、金を受け取った後に、リオを警備兵に付き出して懸賞金でも貰うかもしれない。
リオはそう思った。
「ははは」
何故かおかしくて、リオは笑い出してしまった。
男が眉を顰める。
「あん? 何笑ってやがる? 気でも触れやがったか?」
男の言葉を無視して、リオは笑い続ける。
笑っていないと何かが爆発してしまいそうだった。
しばらく笑い続けると、真面目な表情を浮かべ、リオは開口する。
「いや、別に。俺はリオじゃない。強請るならそのリオって奴にやってくれ。アンタの世迷言に付き合っている暇はないんだ。じゃあな」
そう告げると、リオは男に背を向けて歩き出した。
男はどのような反応をするのだろうか、そう思ったが答えはどうでもよかった。
男は一瞬だけ唖然とした表情を浮かべたが、すぐに怒りの形相を浮かべ直す。
「おい! こいつ指名手配の小僧だ! 警備兵! ここだ!」
近くにいた警備兵に向けて大声でそう叫ぶと、男はリオの肩に強引に手を掛けた。
リオはその手を引っ張り、そのまま自分の前へと投げ倒す。
「がっ……ぎっ」
受け身を取れなかった男の口から鈍い声が漏れた。
そして、リオはそのまま男の腕を捻る。
鈍い音が聞こえたが、リオが表情を変えることはない。
その様子を警備兵達も見ていたため、大声を出してリオを呼び止める。
だが、その声を無視し、全力で走りだし、リオは王都から抜け出した。
☆★☆★☆★
そして、その日の夜、貴族街にあるユグノー公爵邸の一室で、高価な椅子に深く座ったユグノー公爵がローブを身に纏った一人の少女と対面していた。
少女はペールオレンジの髪を背中まで真っ直ぐに伸ばしていた。
年齢はまだ十歳に満たない。
少女の頭には小さな狐耳が、そしてローブの下に着ているスカートからは狐の尻尾が生えていている。
そう、少女は狐獣人だった。
人間族の国に獣人族を含む亜人全般はほとんど住んでいない。
そもそも亜人族自体が人間族の領域には滅多に姿を現さない。
亜人は奴隷としての価値が高く、問答無用で奴隷狩りに襲い掛かられることも多いからだ。
中でも獣人族の扱いは酷い。
獣と人間の半人である獣人を不浄の存在として考え見下す者が多いのだ。
人間族の貴族の高尚な趣味として獣人の奴隷を飼うことがある。
不浄な存在であっても、高貴な自分が飼ってやることで、ペットとしての存在価値ができる。
彼らは本気でそう思っている。
少女の母は狐獣人だった。
亜人の領域付近に侵入してきた人間族の奴隷狩りに運悪く捕まったのだ。
そして少女の母はユグノー公爵に買われた。
少女の母は、十五歳で少女を産み、二十歳にして死んだ。
少女の目の前にいるユグノー公爵は少女の父親だった。
スティアードは腹違いの兄である。
少女は碌な扱いを受けていなかった。
物心がついた時から調教を受けており、身体には至る所に鞭の跡がついている。
スティアードからはおもちゃのように扱われており、先日も何やらミスを犯したとかで、怒りの発散のはけ口とされたばかりである。
さらにユグノー公爵は少女に戦闘訓練を受けさせていた。
獣人族は人間族に比べて身体能力が格段に高い。
五感も優れており、たとえば狐獣人の嗅覚は犬獣人と同じくらいに優れている。
表舞台では使いにくいが、育てれば優秀な戦闘人形になるのだ。
ちなみに、人間族と獣人族で交配すると片親の特徴を完全に受け継いだ子が産まれるので、少女は純粋な獣人である。
「それが暗殺対象の衣類だ。臭いを覚えろ」
ユグノー公爵は少女に一枚の衣類が投げ渡した。
「はい」
短く返事をすると、少女は衣類に鼻を当てて匂いを覚える。
「死ぬことは許さん。だが刺し違えてでも殺して来い。そのためにお前を育ててやったんだからな。見た目が子供のお前なら油断させて殺すこともできるだろう。その首輪がある限りお前が逃げることは叶わん。行け」
「わかり、ました」
たどたどしい言葉でどこか怯えたように少女が頷く。
最低限の日常会話はできるが、少女は碌な教育も受けていない。
少女の目にはほとんど光がない。
その代りに、少女に着けられた首輪に嵌められた魔石が、鈍く光っていた。
少女はフードを被ると、命じられるがまま部屋を出て、屋敷を出た。
臭いの主を探すように王都の中を走り回っていると、かすかに対象の匂いを嗅ぎとった。
そのまま少女は走り出し、やがて王都を立ち去った。