第11話 演習(後編)
リオが崖の下に落ちていく光景を見ていた部隊の面々が唖然とする。
「っ、今はあいつらを殲滅することが先ですわ! アルフォンス! いい加減に正気に戻りなさい! 魔法が使える我々が力を合わせればゴブリンとオーガの群れ程度倒せます! 早く!」
いち早く正気に戻ったロアナが部隊指揮官であるアルフォンスに活を入れた。
「ま、守れ! 男子前衛はクリスティーナ様とフローラ様の壁となれ! 後衛組は攻撃魔法で弾幕を張る。隊列を組め! 使用する魔法は火属性以外だ。出来る限り氷属性にしろ。次に風属性か水属性だ。僕の合図とともに魔法を撃て! 『
ロアナの言葉により目を覚ましたのか、生徒達のパニックを鎮めるように、アルフォンスはようやく少しはまともな指示を出した。
「撃てぇ!」
タイミングを見計らってアルフォンスが攻撃の指示を出す。
すると、部隊にめがけて進軍してくるゴブリンの群れに、数十の攻撃魔法が一斉に襲い掛かった。
放たれた魔法は、木々にぶつかりながらも激しい音をたて、前衛のゴブリンたちに直撃して土埃を舞い上げる。
「やった!」
「はっ、所詮は畜生だぜ!」
「人間様の生み出した魔法の前にかかればゴブリンなんて雑魚だな」
その光景を見て生徒達が自分達の勝利を確信したように喜びの声を上げる。
「ぐぎゃっ」
だが、その時、部隊の中から鈍い声が聞こえてきた。
煙の中からオーガの投げた無数の木の槍が飛んできたのだ。
「ぞ、ぞんな……」
煙の中から投げられたためか狙いは甘かったものの、飛んできた槍により一名の犠牲者が出た。
合計で既に十名近い生徒が槍によって負傷している。
本来ならば死者が出ていてもおかしくはない。
だが、『
「慌てるな! 回復系の魔法が使える者は引き続き負傷者の治癒を頼む。所詮は単発だ! もう一度いくぞ。撃て!」
指揮官が正確に機能している生徒達は強かった。
この場にいる生徒はほぼ全員が何かしらの魔法を使えるのだ。
そして、魔法が使えることは人間の中では絶対的な強者であることを意味する。
十秒前後で幾度も、数十にも及ぶ攻撃魔法の雨が、ゴブリン達に降り注ぐ。
魔法の雨を避けて近づいてくるゴブリン達は、魔法で身体能力を強化した前衛達により、斬り伏せられている。
ゴブリンとオーガの群れ程度では相手になるはずがなかった。
数分後、生徒達は遠距離から魔法を一方的に撃ち続けることで魔物の群れを壊滅させた。
「負傷は九名。幸い死者はいませんわ。重傷者もクリスティーナ様やフローラ様のおかげで無事に治癒されました。ですが、行方不明者が一名おります」
負傷した生徒達の様子を確認したロアナが渋い顔をしてアルフォンスに報告する。
行方不明者が出た事実を知らない者はおらず、部隊内に気まずい空気が流れた。
「と、とりあえずは報告を! あの時の一部始終をすべて目撃していた生徒はいるか? そもそもフローラ様はどうして転んでしまったのでしょうか?」
部隊の指揮官であるアルフォンスが、焦ったように言った。
今の彼はこの不祥事の責任をどう切り抜けるかで頭がいっぱいであった。
アルフォンスがフローラへ視線を送る。
「あ、あの、私は後ろから急に人がぶつかって来て……、誰にぶつかられたかまでは……」
戸惑ったようにフローラが言った。
後ろからスティアードがぶつかってきたために、フローラは何がどうなってあんなことになったのかを全く察していなかった。
すると、ふと、一人の生徒がおずおずと手を挙げ、遠慮がち喋り始めた。
「あの、王女殿下が転んだのはスティアード君がぶつかったからだと……」
その様子は多くの者が見ていた。
この者が言わなくとも誰かが言っていただろう。
だが、スティアードを恐れているのかその生徒の声色は固い。
スティアードが鬼のような形相でその生徒を睨みつけた。
「僕が悪いと言うのか!? 僕だって突き飛ばされたんだ! 僕は被害者だぞ!」
心の底からそう信じて疑っているような形相で、スティアードが言った。
「あ、いえ。スティアード君が悪いというわけではなくですね」
スティアードに睨まれ、発言をした生徒が委縮する。
「じゃあ誰が悪いと言うんだ!?」
「あ、いえ、それは……スティアード君を突き飛ばした人でしょうか?」
「そうだ! あの時、僕を突き飛ばした奴らがいる! そいつらが犯人だ! 僕は複数人に突き飛ばされたぞ!」
「あの時はパニック状態でしたからそれもやむをえませんわ。魔物に注意が向かっていて周りの状況も視えていなかったでしょうから。今は犯人探しをしている場合ではないのではなくて?」
と、話の展開に辟易したような表情で、ロアナが話題を誘導した。
一方でスティアードはムッとした表情でロアナを見た。
「ではどうすれば?」
アルフォンスがその真意を尋ねる。
「彼を助けるのか、この森から出るのか。そのいずれかではなくて?」
何を当たり前のことを、と言わんばかりに、ロアナがやや不機嫌な表情で言った。
「そ、それは私の一存では……」
アルフォンスの指揮官にあるまじき発言にロアナは呆れた。
「何を言っているんですの……、こういう時のための指揮官でしょうに」
「ぶ、部隊内の意見も尊重したいと考えております。みんなはどう思う?」
アルフォンスは部隊の構成員に意見を仰いだ。
「そもそも生きているのか?」
「流石に助からないんじゃないか? この高さじゃ」
「さっさと森から出た方がいいだろ。こんな場所、いつまた魔物の軍勢が現れかねないぞ」
「まぁ、何の後ろ盾もない平民一人の命でフローラ様のお命が救われたと考えればな」
「そうだな。名誉の戦死と言える」
リオの救出に消極的な意見が飛び交う。
「ふむ、僕を押した人物ですがね。実は一人だけ顔を見たのですよ」
と、アルフォンスと何やら話していたスティアードが、意味深長な表情を浮かべて、言った。
「それはあのリオという下民でした。あの時、あの臆病者は戦闘の空気に怯えて槍が刺さった僕を押し倒したんです。そのせいで僕はやむなくフローラ姫に衝突してしまった。王族殺しの罪を恐れたあの男は必死になってフローラ様を助けようとしたが、間違って自分が崖から落ちてしまった。そういうことなんじゃないんですかね?」
その場にいた生徒達の大部分が、ごくり、とつばを飲み込む。
「そ、そんな!?」
そんな中でフローラが納得できないというように声を出した。
「本当に目撃したのね?」
今までフローラの隣で黙っていたクリスティーナが、静かだが力強い声で、スティアードに尋ねた。
冷たい視線をぶつけられたスティアードが一歩だけ後退する。
「え、ええ。間違いありません」
「……そう。わかったわ」
じっとスティアードを見つめていたクリスティーナだったが、やがて視線を外した。
「あいつの証言に反する他の証言が出てこない限り、あいつの証言を覆すのは無理よ。諦めなさい」
と、フローラにだけ聞こえるような小さな声で、クリスティーナが呟いた。
クリスティーナも誰がスティアードを突き倒したかは見ておらず、嘘をついてまでリオを庇う発言をすることはしなかった。
そして、仮に目撃者がいたとしても、おそらくこの場でスティアードに反する証言をする者はいないだろうと、クリスティーナは見越していた。
この中にスティアードに逆らえるような影響力を持つ貴族の子弟はいないし、この中には彼の親の派閥に属する生徒しかいない。
敵対貴族同士のもめ事が生じないように、学院はクラス分けには注意を払っているのだ。
「っ!? お姉様!」
クリスティーナの言葉を聞いて、フローラが非難するような声を出した。
「その、命の危機に瀕したフローラ姫の御気持ちは察するに余りあります。ですがあの男の自業自得にございます。姫の御心を悩ます必要など何もないのです」
と、納得できない表情のフローラに、アルフォンスが口にした。
それはスティアードの意見に賛同するという意思表示だ。
彼としても一番面倒事にならない方向で話を持っていきたいようだった。
「なっ……」
その物言いにフローラは言葉を失う。
アルフォンスはクリスティーナに視線を移した。
「とりあえずこの森から脱出する、という方向でよろしいでしょうか? 王女殿下と部隊の命を預かる身としてはこれ以上ここに留まるわけにもいきません。残念ながら今からでは一位獲得は無理でしょうが、いち早くこの件を報告しなければなりませんゆえ」
「そうね。貴方が指揮官なんだから貴方の裁量でやりなさい」
一切干渉をする気はないように、クリスティーナが告げた。
「待ちなさい! あの人を見捨てるというのですか!?」
と、話をまとめようとするアルフォンスに、フローラが食い下がった。
「あの男を助けに行けば王女殿下や部隊の命を見捨てることになりかねませんゆえ」
アルフォンスは強い口調でリオの命を切り捨てる言葉を口にした。
「な、ならば私が助けに行きます!」
その場にいた多くの生徒が戸惑いの表情を浮かべた。
フローラの言っている言葉が理解できない。
そういう顔つきだった。
「なりません。フローラ様の御身に何かあれば我々の沽券にもかかわります。その、フローラ様、どうしてあのような平民にそこまでこだわるのですか?」
アルフォンスは心底不思議だといった表情を覗かせた。
どうして?
何を言っているのだろうか。
本気で言っているのだろうか。
温厚なフローラだが、アルフォンスの言葉に怒りを覚えた。
「何を言っているのですか!? そもそも貴方がここに入ると言わなければこんな事態にはならなかったのでしょう!」
「そ、それは……、私としてもこの件で無罪となれるとは思っておりません。部隊を危険に陥れた何らかの責任をとることになるでしょう。ですが御身の御命に代えることはできません」
ちらり、とアルフォンスがスティアードに視線を送った。
スティアードが力強く頷き、そのままフローラへと声をかける。
「フローラ姫、アルフォンス先輩は此度の件について深く責任を感じているのですよ。彼の立場上これ以上犠牲者を出すわけにもいきません。何卒、ご理解なされますよう」
「っ……」
何か言いかけたところで、フローラは周囲の生徒たちの視線に気づいた。
言葉が出てこなかった。
フローラは自分を支持してくれる仲間がいないことを察した。
ここにいる全員が自分のことを敬ってはいるが、自分の話を聞いて賛同してくれる人がいないのだ。
そんな視線で彼らはフローラのことを見ている。
フローラはゾッとした。
「……だ、だってあの人は私の命を助けてくれたんですよ?」
と、消え入りそうな声で、かろうじて声を捻り出す。
リオのことを思う。
この国では珍しい黒髪、端正な顔、自分の一つ上の学年にいる、この学院の落ちこぼれであり問題児とされている少年だ。
フローラはこの少年のことを知っていた。
五年以上前に姉と自分を誘拐犯達から助け出してくれた少年だ。
フローラはこの少年に対して後ろめたさという罪悪感を抱いていた。
きっとこの人は自分のことは嫌いなのだろうとも思っていた。
だってそうだろう。
あの時、フローラは助けてくれたお礼をすると言った。
その結果、色々と面倒な事に巻き込んでしまった。
少年は牢屋に拘束されたばかりか、近衛騎士と戦うことになっていた。
近衛騎士と戦っていた時のことはフローラも覚えている。
なぜならフローラも修練場にいたのだから。
少年は何故か助けてもらった時以上にボロボロだった。
顔は少し腫れた様子で口からは血が滲んでいた。
あれはおそらく牢屋でつけられた傷なのだろうとフローラは思っている。
フローラがよくわからないうちに、少年は王立学院に入学することになっていた。
謁見の間で見た少年の変わり様に少し驚き、目を奪われたことは置いておくとして、何とかお礼をすることができたとこの時は思った。
だが、フローラが一年遅れで王立学院に入学すると、リオが孤立していることを知った。
それどころか揶揄の対象にもなっている。
姉にリオのことをそれとなく聞いてみたことはあるが、不機嫌そうな顔をされ、あの男のことは忘れろと言われた。
理由はわからないが、どうやら姉はリオのことをあまり快く思っていないようである。
フローラは思った。
結局、自分はあの少年に何のお礼もすることができていないのではないかと。
王族と言ってもフローラには何の権力もない。
それどころか、一個人のために何かしようと思っても、王族であるということの柵に捕らわれて何もできない。
できることは誰かにお願いすることだけだ。
何かをするにはすべて人任せになってしまう。
あの少年は自分に関わったせいで碌な人生を歩めていないのではないか。
あの少年はいつも無表情だ。
けど、いつもどこか悲しそうな顔をしているようにも思える。
それは自分のせいではないのか。
学院の中でリオの姿を見る度に、フローラはそんなことを思っていた。
その少年がなぜかまたしても自分の命を助けてくれた。
しかも自分の身を危険に晒してまでだ。
見捨てられるわけがなかった。
フローラが言葉を失ったのを機に、生徒達が森から脱出するために行動を開始した。
そんな中でフローラは呆然と立ち尽くしている。
「フローラ、納得しなくてもいいわ。でも、これ以上事態を重くしないためにも移動しなければいけないのよ。今ならかろうじて厳重注意を受けるだけで済ませることができるの」
と、取り残されているフローラにクリスティーナが声をかけた。
「死者が一人出たかもしれないんですよ、それを厳重注意って……」
消え入りそうな弱い声だった。
「人の命の価値は平等じゃないってことよ。貴方や私とあの男では比較するにおこがましいくらいに重みが違う。現実に王族である私達の身に何かあってみなさい。この場にいる連中に責任がとれるわけがないでしょう?」
「そんな言い方、私達は自らの意思で演習に参加しているんですよ。危険は承知の上です」
と、どこかふて腐れたような口調で、フローラが言った。
「安全の確認された当初のルートを外れている今の状況ではその危険性が段違いなの。野外演習なんて言っているけど死者はおろか負傷者だってずっと出ていない名ばかりの演習のはずだったのよ、これは。そうじゃなきゃ私達の参加が認められるわけがないでしょう?」
苦々しい表情でクリスティーナがフローラへと語る。
「本来ならそれでも参加は認められるかどうかってところなんでしょうけど、お父様は私達に甘いから認めてもらえたのよ。そのお父様に無用な心配をかけるわけにはいかないわ」
大好きな父親のことを持ち出され、フローラは何も言えなくなる。
「……わかり……ました」
森のざわめきにかき消されそうな小さな声で返事をすると、フローラは上の空で準備を始めた。
☆★☆★☆★
ほんの十五分ほど前、リオは木が広がる森へと真っ直ぐに落ちていた。
流石に三十メートルもの高さから落ちるのは怖い。
ジェットコースターに乗っていたら途中で放り出された、と言えばイメージがしやすいだろうか。
(ああ、くそ。強化された肉体の耐久値テストをこんな形ですることになるとはな……)
高速で接近してくる地面を見て、ぼんやりとそんなことを思った。
おそらく強化された肉体ならば痛みは感じても死にはしないだろう。
全力で強化すれば岩だって拳で突き破れるのだ。
だが、怖かった。
死なないとわかっていても、高所から紐もつけずに飛び降りたことなど一度もないのだから、当たり前だ。
リオは少しでも落下の衝撃を和らげるために、体内から魔力を放出し、魔力を制御することにした。
魔法とは同じようでいて、全く異なる原理で、世界へ干渉していくと、リオの目の前に突風が解き放たれた。
術式契約の魔力の流れをコピーしたまがい物の魔法、おそらく精霊術と呼ばれるものであるはずだ。
本来ならばエルフ、ドワーフ、獣人が用いるものである。
普通の魔法を一切用いることはできないリオだが、なぜか人間に使うことの出来ない精霊術をつかうことはできた。
人間族の中にも極稀に精霊術の使用者が現れるそうだが、いかんせんその絶対数が少ないことから、詳細な資料は一切存在しない。
リオも大分古い書物を読んで精霊術の概要に触れただけだから、精霊術についてはよくわかっていない。
リオがわかっていることは、術式契約を必要としないこと、呪文の詠唱も必要としないこと、魔法に出来て精霊術に出来ないことはないこと、それくらいだ。
暴風ともいえる突風を目の前に作りだすことで、リオは落下にブレーキをかけた。
すると、リオの落下速度が減少していく。
だが、重力が働いている以上、完全に落下を阻止することはできない。
とはいえここまで速度が落ちれば充分であった。
風で落下地点を調整すると、そのまま木々の中へと突っ込んで行く。
その中で手ごろな太さの木の枝を掴むと、勢いをさらに殺した。
グローブ越しに手にかなりの負荷がかかってきたが、気合でそれを無視する。
「っ、と」
結果、ほぼ無傷で着地することができた。
痛んだ手を治癒の精霊術で治療すれば何も問題はない。
だが、どうしたものかと、崖の上を眺めながら、リオは内心でぼやいた。
上に戻って合流するのはさほど難しいことではない。
絶壁ともいえる崖だが、三十メートル程度の高さなら登れないこともないのだ。
しかし、三十メートルもある崖の下に落っこちたにもかかわらず、魔法も使えないリオがほぼ無傷ですぐに崖の上に現われれば異常に思われるだろう。
それは少し面倒だった。
そこで、とりあえず様子だけでも隠れて窺うことにした。
生徒達に気づかれないまま上に登ることを決めると、リオは、身体能力と肉体を強化し、軽業師のように崖を登って行く。
ほんの数秒で上へ到達すると、木の陰に隠れて生徒達の会話を探った。
(まぁ、そんなことだろうと思ったけどな)
と、生徒達の会話の内容を聞いて、内心で呟く。
最初から期待などしていなかった。
フローラだけは自分のことを気にかけてくれたようだが、最終的に周囲の空気に飲まれて移動をすることを決めたようだ。
奇跡的に生還したことを伝えるにしても、すぐに合流するのは少し不自然である。
数日は時間を置いた方がいいだろう。
(くそ、やっぱり面倒なことになったな)
森の外へと出るためにその場を立ち去って行く部隊の面々を見ながら、リオはこの森でサバイバル生活をしなければならないことを億劫に思った。