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精霊幻想記(Web版) 作者:北山結莉

第一章 異世界にて目覚める

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第10話 演習(前編)

 ベルトラム王国王立学院では、初等科の最終学年度の生徒を主な対象として、クラス対抗の野外演習を恒例行事として行っている。

 野外演習といっても参加者は貴族の子弟が中心である。

 スタート地点からゴール地点までルートはお膳立てされており、生徒達は決まった通りに動いていれば基本的に演習をこなすことができる上に、特段ペナルティはない。

 しかも、男子生徒は演習の参加が必須となるが、女子生徒の参加は任意である。

 なお、参加するのは初等科の六年生であるが、それを補助するのと次年度の予行演習を兼ねて五年生も参加することができる。


「さて、これから今回の総合演習の対策会議を行う。やるからには栄えある一位通過を目指したいと思う」


 リオのクラスのリーダーとなったのはロダン侯爵家の次男坊であるアルフォンスだ。

 彼は近衛騎士への入団を目指して中等科への進学が決まっている。

 とはいえ、家格や成績の面においてはクリスティーナやロアナといった面々の方が圧倒的に優れている。

 だが、伝統的にクラスリーダーは男子生徒が務めるという慣習が存在していることから、彼がリーダーとなった。

 少し気障なところもあるが、その態度に見合う容姿を持つ美男子だ。


「我がクラスには王族であるクリスティーナ王女殿下と魔道大家フォンティーヌ公爵家のロアナ様がいるのだ。二人とも天才魔道士と名高い。しかも五年生からは神の癒し手と名高いフローラ様も応援に来てくださる。長い歴史を誇る学院においてもこれほどメンバーに恵まれた演習はなかったはずだ」


 クラスの大半のメンバーがアルフォンスの説明を真剣に聞いている。


「道中ではゴブリンといった下級の魔物に遭遇する可能性があるが、我々が力を合わせれば奴らがいくら現れようとも物の数ではない。私の指揮に従っていれば大丈夫だ」


 お膳立てされている演習ではあるが、危険が全くないわけではない。

 進行中には魔物が生息する森の近くを通ることになるのだ。

 下級の魔物であれば、魔法が使える生徒達が後れをとることはそうそうありえないが、ピクニック感覚で行うべき演習ではないことは確かだ。

 この野外演習は、ゴブリンといった人型の魔物を殺させることで、殺人への耐性をつけさせることも狙いの一つとしているのである。


「なお、演習にあたっては必要な荷物を厳選する必要がある。黒板に必要な物と不必要な物を詳細に記載しておいた。各自よくチェックしておくように!」


 クラスのメンバーはそれぞれ黒板に書かれたことを羊皮紙の上にメモしていく。

 その様子を満足そうに眺めると、アルフォンスはリオを睨みつけた。


「おい、下民……。リオ、貴様だ! よく聞け。王女殿下に恥をかかせるわけにはいかない。絶対に一位でゴールしなければならない」


 と、きつく言い聞かせるように、アルフォンスは言った。


「魔法も使えない貴様が足を引っ張ることは目に見えているが、まぁ安心しろ。貴様は私の指示に従っていればいい。荷物持ちとして貢献してもらうからそのつもりでいろ」

「承知した。君の指示に従おう」


 散々な言いようであるが、卒業まであと少しの辛抱なのだ。

 特に言い返すわけでもなく、リオは相手の要求を受け入れた。


 そして、演習当日がやって来る。

 出発地点では二百人以上の生徒が集まっていた。

 一クラスの部隊人数は七十人程度である。

 それぞれ武装したうえで、訓練用制服と革製の軽鎧を身に着けており、訓練用制服の色はクラスごとに決まっていて、リオ達のクラスの色は白だった。


 なお、行軍にあたっては個人持ちの荷物の他にクラス単位の荷物もある。

 その運搬にはリオが指定されていた。

 完全に雑用扱いである。


「あ、あの、大丈夫ですか? そんなに荷物を持ったら重いのでは……」


 クラス中が三十キロ近くある荷物をリオに運ばせることを当然の了解としている中、唯一リオのことを案じて声をかける人物がいた。

 フローラである。

 リオがフローラと喋るのは誘拐現場で話した時以来である。

 学院に入ってからもフローラと話したことは一度もない。

 思わぬ人物から声をかけられて流石にリオも驚く。


「その、私も少し持ちましょうか?」


 リオが反応に困っていると、フローラが手伝いを申し出てきた。


「いえ、大丈夫ですよ。ご心配いただきありがとうございます」


 ここでフローラの申し出を受けるという選択肢はない。

 そんなことをすれば部隊中から非難されてしまう。

 彼女は特権階級とは思えない程に優しい性格をしているのだろう。

 その心遣いは嬉しい。

 だが、自分の行動により周囲にどのような影響をもたらすかについては少々疎いようだ。

 それゆえリオは感謝の言葉だけを告げて断ることにした。


「フローラ様、そんな下賤な男とお話になられてはなりません。雑用などその下民に任せればよいのです」


 そこにアルフォンスがスティアードを引き連れてやって来ると、二人はリオとフローラの間に入って距離をとらせた。


「ほぉ、野蛮人だけあって馬鹿力だな」


 と、リオが個人の荷物の他に三十キロもある行軍装備を担いでいるのを見て、スティアードが嫌味たらしく言った。

 嫌味を言われることは慣れているので、リオは適当に受け流し出発を待つ。


 それからすぐに部隊は行軍を開始した。

 出発地点から一時間ほど歩くと、最初のチェックポイントである森へとたどり着く。


「諸君、朗報がある。五年生のユグノー公爵家のスティアード君の協力を得て近道を発見した。場所はもう少し進んだところにある」


 チェックポイントを通過して森を迂回するように歩き出したところで、アルフォンスは近道が存在することを打ち明けた。

 ざわりとメンバーが騒ぐ。


「静粛に。このルートを使えば一位通過は間違いない。地図上ではこの森を迂回するように目的地へと進むことになるが、近道はこの森の中を突っ切っていくことになる」


 その言葉を聞き、リオは現在地を確認するために地図を見た。

 演習で使用される森は事前に騎士団が入念に調査を行っている。

 それゆえ、既定のルートを通っている限りは、そう大した危険が生じることない。


「反対ですわ。規定外のルートを進んで万が一の事態が生じた時にクリスティーナ王女殿下とフローラ王女殿下に対する責任をとることができませんもの」


 アルフォンスの提案にロアナが反対意見を述べる。


「クリスティーナ王女殿下はどう思われますか?」


 ロアナの意見を無視することはできないのか、アルフォンスがクリスティーナの意見を窺う。


「私もそう上手いルートがあるとは思えないわね。危険は回避するべきだと思うわ。まぁこのクラスの指揮官は貴方だから私が決定することじゃないけどね。けど、王族である私とフローラに万が一のことがあったら擁護しきれないわよ」


 と、どこか突き放したようにクリスティーナは言う。

 その言葉にアルフォンスは万が一の時のリスクを想像したのか、怖気づいてしまったようである。


「アルフォンス先輩と私の調査は完璧です。あまり目立たないのですが、ちゃんと森の中に通じる道があります。かつてそこに街道があったようです。そこを通って行けば何も心配することはありませんよ」


 と、顔色の悪いアルフォンスの横に控えていたスティアードが、自信に満ちた表情で言った。


「アルフォンス先輩。ここで王女殿下に恩を売れれば私達の覚えも良くなるはずですよ」


 アルフォンスだけに聞こえるように小声でスティアードが呟いた。

 それに自信をつけたのか、アルフォンスの顔に覇気が戻る。


「ええ、歴代最速の記録を樹立することをお約束しましょう。それをもってクリスティーナ王女殿下への卒業祝いとさせていただきます。なぁ、みんな!?」


 するとクラスと五年生の補助メンバーで構成された部隊の面々も同調した。


 周辺の地図を見ながら、リオはアルフォンスの言った地図上に乗っていない近道について考える。

 たしかに、正規ルートを進むと、遠回りしているようにしか思えないように森の外を迂回することになる。

 森の中を進めば半分近く単純な直線距離を短縮することができるだろう。


 だが、スティアードはその近道をかつての街道だと言った。

 森を切り開いて街道を設置することは別に珍しいことではない。

 国土の大部分を森が覆っているこの国では、森の中であっても移動ルートに組み込まざるを得ないからだ。

 しかし、中には今では使われなくなった古い旧道もある。

 一度設置された街道をわざわざ放棄する理由には、利便性、交通量、地形条件の変化とさまざまな要因がある。

 しかも、人の手が一切入っていない森の中だと、魔物や獰猛な生物が生息する危険性がかなり増大する。


 たしかに、リオを除くこの人数のすべてが魔法を使えることを前提にすると、下級の魔物が群れを成して襲ってきたところで大した脅威にはならない。

 中級の魔物だって倒せるかもしれない。

 だが、それはこの部隊が十全のパフォーマンスを発揮した場合に限られる。

 碌な行軍訓練も行っていない即席の部隊では、その能力全てを十分に機能させることはまず無理だろう。


 それなのに彼らは根拠のない自信を持っている。

 貴族である自分達にできないことはない、と。

 ベルトラム王国の貴族全体に言えることだが、彼らはその選民思想ゆえ、自らの力を過信しすぎるきらいがある。そのせいで少々思慮が浅くなる傾向があった。


 アルフォンスも例外に漏れずそのタイプであり、王族に対する忠誠心の高さは目を見張るものがあるが、典型的な武人タイプの貴族で、柔軟性がなく命令されたことだけを忠実にこなすことから、指揮官よりも一兵卒として用いた方が資質の面で適していた。

 それがリオのアルフォンスに対する評価だ。

 指揮官の器ではないのだ。

 現に簡単に目上の者の意見に踊らされてしまっている。

 だが、クラスの総意で選ばれた以上、リオが口出しをすることはできない。

 勘弁してくれとしか思えなかった。


「クリスティーナ王女殿下やロアナ嬢の御心配もお察しします。ですが実際にその道を確認すればお二人の不安も晴れることでしょう。こちらです」


 スティアードがアルフォンスとともに率先して歩き出した。

 件の道は森を沿って歩いていればすぐに見つけることができた。

 たしかにその道は数人が歩いて通れるくらいに幅が広いが、草木が生い茂っており中は薄暗い。

 確実に近道ができるとわかっていなければとても中に入ろうとは思えない。

 それほどに寂れた道だった。


「……どうです? 一時期この森を開発しようとして国が切り開いたようです。今ではその計画は途切れたようですが、冒険者達は今でもよくこの道を使って森に入っているそうです」


 少し言葉の歯切れが悪い。

 アルフォンスとスティアードも、この道の様子を実際に見て、少しだけ自信を無くしたようだ。

 しかし、今更引き下がることはできないのか、意見を変えることはない。

 あの様子ではどうせ伝聞の情報だけを頼りにして碌な調査もしてなかったのだろうと、リオは見当をつけた。

 自信を持って大丈夫だと言った手前、面子にこだわって発言を撤回することもできない。


 貴族とは本当に難儀なものである。

 面子にこだわって失態を見せる方がよっぽど恥になるのというのに、面子を重視するのだ。

 もはや性分なのだろう。

 内心でため息を吐きながら、リオは貴族の見栄からくる彼らの行動を呆れた眼で見ていた。


 どうやらクリスティーナやロアナも似たような目でアルフォンスとスティアードを見ているようだ。

 珍しく意見が合うなと思った。


 先が思いやられるが、トラブルが起きないことを祈り、リオは自らに渡された荷物を背負い直した。

 心なしか荷物も重くなった気がする。


 結局、一行は森の中へと入っていくことになった。

 森の奥へと突き進んでいくと、道中、稀に現れる下級の魔物を男子生徒達が競って切り殺していく。


「これで僕も殺しの処女を捨てられたよ」

「おめでとう」


 生まれて初めての生命の略奪に、男子生徒達は舞い上がっていた。

 そんな様子をリオは呑気だと思った。


 リオはまだこの世界で明確な殺意をもって人や動物を殺そうと思ったことはない。

 だが、クリスティーナとフローラを助ける時に命のやり取りをした経験はある。

 あの時は、リオが前世で武術を習得していたことから身体を動かすことはできたが、それでも十全に動けたとはいいがたかった。

 緊張が動きの細部に表れてしまったのだ。

 戦闘が終了した後は、碌に動いてもいないのに、息切れも止まらなかった。

 命のやり取りをするという実戦経験を踏まなければ、いざ戦場に立っても従来のパフォーマンスを発揮することはできないだろう。

 圧倒的多数で弱い魔物をいたぶり殺したところで、そういった実戦経験を得られるとは思えなかった。

 彼らがやっていることは一方的な略奪なのだから、実際に命のやり取りをしていない以上、あのまま戦場に立っても足が震えて碌に使いものにならないだろう。


 彼らが貴族である限り、戦争の際には軍を率いて前線に立つ可能性は高い。

 常に自分達が奪う側にいると思って生きてきた、その勘違いのツケを払わされる日が、いつか来るだろう。

 その時に彼らが生きようが死のうがリオにとってはもはや関係のないことであった。


 考えごとをして大量の荷物を背負いながら歩いているが、周囲に対する警戒は怠っていない。

 先ほどから散発的にゴブリンがやって来ていることをリオは気づいていた。

 そして、進めども、進めども、森の出口が見えてこない。

 元気が有り余っていた生徒達も徐々に険しくなっていく道のりに疲れを見せてきていた。

 話し声はまばらでおしゃべりをする気力はもはや残っていない。

 傍から見ると、一番辛いのは人一倍重い荷物を黙々と運んでいるリオであるのは、一目瞭然である。

 だが、こっそりと身体能力と肉体の強化を施しているため、一番平然としているのもリオであった。


「我々は本当に一位で目的地にたどり着けるのか?」


 いくら進んでも出口が見えないことに、生徒の一人が遂に疑問を口にした。


「このままじゃ最下位だぜ?」

「今からでも正規ルートに戻った方が良くないか?」


 それをきっかけに各所から好き勝手な意見が飛び交う。

 それぞれ自分勝手に騒ぎ出し、それが魔物をさらにひきつけていた。


「またゴブリンか」

「なんかさっきからゴブリンが多くないか?」


 ゴブリンは数が多く下級魔物の代表格のような存在である。

 繁殖力が高く、一匹見つけたら三十匹はいるものと思えと言われているくらいである。

 自らの失点を補おうと、アルフォンスとスティアードは、特に張り切って、ゴブリン達を切り殺していく。


「せ、静粛に! あ、安心してくれ! 大丈夫だから! ちゃんと予定通りなんだ。なぁ、スティアード君?」

「え、ええ。私達の計画に狂いはありません。この部隊の指揮官はアルフォンス先輩です。我々は黙ってそれに従えばいい。それに現れる魔物はしょせんゴブリンばかりです。魔法が使える我々の敵ではないですよ。それにゴブリンの魔石でもまぁ良い小遣い稼ぎくらいにはなるじゃないですか」


 ゴブリンを切り殺したところで騒がしいクラスの様子に気づき、アルフォンスとスティアードが苦し紛れの言い訳を饒舌に語り、少しでも士気を高めようとした。

 その言葉を聞いて一応は生徒達も黙った。

 アルフォンスの実家もなかなかのものだが、スティアードの実家であるユグノー公爵家の影響力はそれよりもずっと絶大なのだ。

 そんな彼に表だって逆らうような者はこの場にはいなかった。

 だが、部隊内の雰囲気はどこか悪い。


 少しずつ増えていくゴブリンの数に特に気にした様子もなく、彼らは進んでいく。

 しかし、遂にそれ以上先に進むことが叶わなくなる時がやって来た。


 ある程度進むと忽然と木々が途切れた。

 目の前に唐突に開けた空間が広がる。

 しかし、それは彼らが待ち望んだ森の出口ではなかった。


「おい……、出口なんてないじゃないか」

「あ、あるだろう? ほら、あそこに目的地点が見える!」

「ふざけるなよ? どうやってここから進むというんだ!?」


 今、部隊は崖っぷちに立っていた。

 ここら一帯が小高い丘のようになっており、高さは三十メートルもある。

 何の準備もなく、下に降りるのは自殺行為に近い。


 これが街道の設置を断念した理由であった。

 ある程度森を切り開いて初めて崖の存在に気づいたのだ。


 適切な技量と勇気があればこの崖を降りることはできるだろう。

 だが、ここにいる人員の大半にそのいずれもが欠けていた。

 仮に一人、二人いたところで全員で進まなければ意味もないのだ。


 一度爆発しかけた不満はここで完全に爆発することになる。

 有力な上級貴族の子弟であるスティアードに直接矛先を向ける者はいないが、アルフォンスを罵倒する者は多かった。


「ねぇ」


 収拾がつかなくなり出したところで、今まで沈黙していた生徒が遂に声を出した。

 その声の主はクリスティーナである。

 静かだが良く通る声、貴族の生徒達でも流石に王族から声をかけられて無視することはできない。


「この部隊の指揮官は貴方だから反対意見はあえて今まで言わなかったけど、この事態をどのように考えているの? 仮にも指揮官なら相応の指揮をしてほしいわね。貴方の指揮で部隊が崩壊しかけているじゃない」

「そ、それは……」

「このままいくと、正直、何も起こらなくても、私じゃカバーしきれないわよ。厳重注意は確定でしょうね」


 冷たい視線で睨みつけられ、何か喋ろうとしても言葉が出てこないといった感じで、アルフォンスは言葉に詰まった。


「それとスティアードとか言ったかしら? 貴方、補助要員として参加しているにすぎない割には随分とでしゃばっているわね。どういうことかしら?」


 クリスティーナが視線の矛先を変え、スティアードにもその行動を責問する。


「ぼ、僕は……」


 その迫力に、スティアードの顔が真っ青となる。


「軍隊において指揮官の言葉は絶対よね。今の私達は訓練だけど軍隊と同じことをしているの。指揮官である貴方が進めと言うならば進むしかない」


 スティアードに興味を失ったかのように視線を外し、クリスティーナは再びアルフォンスへと視線を戻した。


「貴族としての面子が大事なのは私にも理解できるわ。でも、貴方の命令一つで万が一の事態が生じかねないということを、いずれ人の上に立つ貴方にはよくわかってほしいわね、指揮官殿」


 部隊内に静寂が流れる。

 同時に、どこか居たたまれない感情の込められた視線がアルフォンスへと集中した。


「みんな……」


 アルフォンスが居たたまれない様子で何かを口にしようとしたその時、森の中から飛んできた勢いのある数本の木の槍が数名の生徒に突き刺さった。


「え……?」


 身体に木の槍が突き刺さった生徒達が、何が起こったのかを理解できないように、戸惑いの声を漏らす。


「あ、あれを見ろ! ゴブリンの群れだぁ!」


 異変に気付いた生徒が大声を出して森の中を指差す。

 森の中は薄暗いが、葉の隙間から覗ける木漏れ日のおかげか見通しはそれなりに良く、ある程度先まで見通すことはできる。

 だから、生徒達はそれを見るができた。

 森の中を埋め尽くすように、ゴブリンとオーガ達がリオ達の部隊を包囲している光景を。


「お、おい……、あれ、全部ゴブリンか……」

「オ、オーガもいるぞ!」


 ゴブリンはせいぜい人間の子供程度の身長しかなく、腕力も人間の大人には負けてしまう弱い魔物だ。

 群れれば厄介であるが、大人が武装さえすれば、素人でもそうそう後れを取る相手ではない。

 だが、オーガはゴブリンとは比べ物にならないくらいに凶暴な魔物だ。

 体長は二メートルを超え、その腕力は人間の大人を遥かに凌ぎ、ゴブリンと群れれば彼らを指揮する統率力を発する。

 今、生徒達の目の前にいる魔物たちはゴブリンとオーガの群れであった。

 自分達が奇襲を受けたという事実――、生徒達がその現実を受け入れる前に、さらに数本の木の槍が飛んでくる。

 槍を投げたのは群れの中にいる少数のオーガ達だ。


「オーガがいるわ! 槍を投げているのはそいつらよ!」

「はい! 幸いオークはいないようです! アルフォンス、早く指示を! くっ」


 クリスティーナとロアナが部隊に情報を伝達していく。


「うわぁぁぁぁ」


 しかし、ここで槍の刺さった生徒が何名か発狂して暴れ出した。

 その中にはスティアードもいた。

 当たり所が悪ければ即死しかねない速度で木の槍が飛び交っているが、幸い致命傷を負った者は今のところ一人もいない。

 だが、この場にいるほとんどの生徒が、今まで他人から害意を持って傷をつけられたことのない者達ばかりである。

 そんな彼らが槍の突き刺さった状態でパニックを引き起こさないわけがなかった。


「抜いて、抜いてくれぇぇ!」


 スティアードが恥も外聞もなく大声でわめき散らす。


「うわぁ! やめろ!」

「お、おい、来るな!」


 槍を抜いてもらおうと他の生徒達に詰め寄るが、部隊を恐慌状態に陥れるだけである。


「父上、母上ぇぇぇ!」


 肩に槍が刺さって暴れまわるスティアードを生徒達が突き飛ばすと、そのまま勢いよくフローラに衝突してしまった。

 玉突きのようにフローラが弾き飛ばされる。


「きゃあ!」


 フローラが崖のふちに倒れ込んでしまった。


「フローラ!」


 あと少しで崖に落ちそうになったフローラを見て、クリスティーナが大声を出した。

 脆くなっていた崖先の土がガラガラと崩れ落ちる。

 それに引きずり込まれて、フローラの身体を支えていた地面も崩れ落ちようとしていた。


「ひっ!?」


 落下していく浮遊感に、フローラが恐怖で怯えた表情を見せる。


「っ!」


 それを見て、リオの身体がとっさに反応する。

 気がつけば荷物を振りほどき、瞬時に強化した身体能力と肉体で弾丸のように走り出していた。


 その頃、フローラはふわりとした浮遊感を感じとり、心臓が宙に浮いたような不安に襲われていた。

 既にフローラの身体は崖に隠れて半分以上見えなくなっている。

 フローラが何かを掴もうと手を伸ばした。


 その時、虚空を掴みかけたその手を、リオがしっかりと掴みとる。

 あと一秒、リオが走り出すのが遅かったら間に合わなかっただろう。

 リオとフローラの視線が重なる。

 リオが読み取ったフローラの表情は驚愕だった。


 後先を考えぬまま咄嗟に飛び出した、そんな数秒前の自分をリオは悔いていた。

 目立って行動しても碌なことにならない。

 五年前に経験したはずのことだった。

 それなのに何故か同じ失敗を繰り返そうとしている。

 自分はまたくだらない偽善に駆られてしまったのだろうか。

 それとも何も考えていなかったのか。

 何も考えていなかったとしたら、どうして身体が動いたのだろうかと、不思議に思った。


 だが、身体が動いてしまった以上、今はできることをするだけだ。

 掴みとったフローラの手を引っ張り、身体を引き寄せると、リオはコマのように身体を回転させた。

 そして、その遠心力と強化された腕力で、フローラを崖の上へと投げ返す。


「きゃあ!」


 ドサリ、とフローラが崖の向こうに降り落ちた。

 あの位置なら大丈夫だなと、リオがぼんやりと思う。

 多少のかすり傷は負ったかもしれないが、そこらへんも勘弁してほしい。

 フローラを救ったことの代償、それが今まさにリオに襲い掛かっていた。

 そう、リオの身体が崖の下へと落下することになった。

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