第9話 成長
リオが王立学院に入学して五年の月日が流れた。
十二歳になったリオは初等科の六年生である。
入学してからまもなくして始まったリオに対するいじめは、今なお継続して行われている。
さらに、学年が上がるにつれて罵詈雑言の悪質さもエスカレートの一途を辿っていた。
いわく、術式契約が一つも成功していない学院史上一の落ちこぼれである。
いわく、不正をしてペーパーテストだけ優秀な成績を修めている。
いわく、女子生徒を脅してふしだらなことをした。
いわく、後輩を脅して金を奪い取った。
これらのうち術式契約が一つも成功していないということ以外は、すべてが事実無根であり、そんな証拠もない。
だが、学院側はその噂を取消す真似もせずに放置している。
その真意をリオが知ることはできないが、どうでもいいことであった。
だから、リオも噂を否定するような真似を一切せずに放置している。
本人にそのつもりが毛頭ないのだ。
その結果、噂だけが一人歩きをして、リオは王立学院史上有数の問題児であると生徒の間では認識されていた。
ところで、初等科も高学年にもなると選択制の講義が増える。
貴族の子弟の多くが教養面の講義を選択する中、リオは自らの知的欲求を満たす講義を優先的に選択していた。
「じゃ、魔法理論概論を始めるわよ。ご存知の人も多いのだろうけど今年から私がこの講義を持つことになったわ。ぶっちゃけ理論なんて知らなくても魔法は発動するっていうのが学生たちの間の一般的な認識なんでしょうけど、ここにいるってことは、みんなは魔法理論に興味があると思っていいわよね」
リオが選択した講義の一つである魔法理論概要、担当講師はセリアである。
十七歳になった彼女だが、容姿面での成長は中学生レベルで停止していた。
魔法理論概要は小難しい上にあまり実用的ではないとされていることから敬遠されている科目であるが、天才と呼ばれた彼女の講義を受けるために受講者はそれなりにいる。
ちなみに彼女の容姿に惚れて講義を受ける一部の男子生徒がいるのはご愛嬌である。
今教室にいるのはリオを含めて三十人。
その中にはクリスティーナやロアナ、そして一つ年下の学年であるフローラがいたりする。
「今回はそもそも魔法というものがなんなのか、そして魔法がどういったプロセスで発動するのか。それについて学びたいと思います。それじゃあみんなが魔法について抱いているイメージを聞いてもいいかしら? そうね、クリスティーナ姫どうですか?」
「はい。魔法とは世界の法則に干渉して様々な事象を引き起こす技法です」
と、クリスティーナは淡々と自らの見解を述べた。
「おぉ、最初から非常に良い答えが聞けました。さすがは王女殿下」
セリアの称賛を聞いて、周囲の生徒達も流石だと言わんばかりの表情でクリスティーナに尊敬の眼差しを送った。
「魔法は色んな観点から定義づけされているわ。今クリスティーナ姫が仰っていたものは魔法の本質・効果面に着目した定義ね。魔法とは世界に干渉して様々な事象を引き起こす技法である。かの高名な大魔導師ディーラ様の著作でも書かれていることよ」
セリアの言葉を興味深そうに生徒達は聞いていく。
「さて、他に有名な定義として魔法の発動プロセスに着目した定義が存在するわ。じゃあ魔法の発動プロセスについてみんなが知っていることを話してくれるかしら。そうね、スコット君」
セリアに指されたスコットと呼ばれた生徒が自信に満ちた様子で立ち上がる。
「はい。魔法は術式と契約して呪文を唱えることで発動します」
「んー、それじゃ下準備と発動プロセスがごっちゃになっているわよ。はい、じゃあ、次は、ロアナさん」
自らの発言が正解でなかったことを知ると、スコットと呼ばれた少年は悔しそうに席に着いた。
そして、次に指名されたロアナが席を立つ。
「はい。大きく分けると、契約した術式のイメージ、魔力の放出、呪文の詠唱、この三つによって成り立っていると理解しておりますわ」
と、ロアナは淀みなく答えた。
「さすがロアナさん。魔力の発動プロセスは今言われた通り三つの工程から成り立っている。でもその三つを支える大事なものが一つある。それって何だと思う?」
「それは……わかりませんわ」
わからないことがあることが悔しい。
そういった表情で、ロアナは口元を歪めた。
「そうね、じゃあリオは?」
「魔力制御です」
「正解。流石ね」
クラスの中で小さく舌打ちが響いた。
その主は上級貴族の子弟であった。
ロアナにわからなかったことがリオにわかった。
それが気に食わないようである。
その音を聞いて、内心でため息を吐きながら、セリアは講義を継続することにした。
「案外、着目されていないけど、魔力制御というのは魔法の肝となるものよ。契約した術式を用いてみんなが呪文を唱えると魔法が発動するわよね? それはみんなが無意識のうちに魔力制御を行っているからなの」
リオを除く教室の全員が初耳だったようで、それぞれが興味深そうな顔をする。
「魔力制御が大事なのは魔法の発動プロセスだけじゃないわ。魔力制御は魔法の習得段階でも必要となるものなの。どうして人によって契約できる術式とできない術式があると思う? それは魔力制御が大きく関係しているからよ」
教室の中にいる生徒全員が食い入るようにセリアの話を聞いていた。
「先生!」
そんな中で沈黙を破った一人の少年がいて、彼は大きな声を出して手を挙げた。
「はい、スティアード君」
セリアが手を挙げた生徒、スティアードを指名する。
「つまり術式契約ができない者は魔力制御が下手くそであるという理解でよろしいでしょうか?」
スティアードはリオの方を見てニヤニヤと笑っている。
他の大半の生徒も同様である。
リオは涼しい顔をして前を向いて聞き流していた。
その一方でセリアは僅かに顔を顰めている。
「……極端な言い方をするとそうなるわね。でも少し言葉づかいが悪いわよ」
「すいません。気をつけます。ありがとうございました」
セリアに注意されながらも、スティアードは満足した様子で着席する。
「じゃあ、講義を再開するわね。そもそも……」
その後は、特に問題もなく、セリアの講義は順調に進み、またたく間に講義の終了時間を迎えた。
「さすがはセリア先生! 王立学院史上に名を残す天才と言われるだけのことはありますね。先生の深い識見に僕は感動しました!」
講義が終わると感動したようにスティアードがセリアのもとへ歩み寄った。
スティアードはリオの一つ下の学年の生徒で、とある公爵家の子息である。
「あはは。どうもありがとう」
セリアが苦笑いしながら礼を述べる。
その合間に、リオはさっさと自分の教材を整理して、教室から立ち去ろうとしていた。
「あ、リオ」
それを見かけたセリアがリオに声かける。
「おい、下民。魔法も碌に使えないくせに、口先と小手先の器用さだけが売りの卑しい愚図の貴様がどうしてこの講義をとっている? 貴様のような卑劣漢がこの教室にいるとなるとこの場にいる婦女子の方々に危険が及びかねないだろうが」
が、そこにスティアードが割って入るように声を出した。
セリアとリオの間に立ちはだかるように、スティアードがリオの前へ歩み出る。
「何方かは存じませんが、それはこの講義を選択したからですが」
リオは、この手のトラブルは日常茶飯事なので、いつものように淡々と対応することにした。
「ふん、まぁ貴様のような下賤な平民に顔を覚えられていても怖気が走る。何やら勘違いしているようなので忠告してやる」
「何をでしょう?」
「はっ。聞けば小賢しい悪知恵も働くそうだな? その卑しい手腕でこうして名誉ある王立学院への入学が認められたそうだが、勘違いするなよ? 下民はあくまでも下民、愚図があまりでしゃばるな。不愉快だ」
先ほどの講義で舌打ちをした生徒の中にはこの少年も含まれているのだろうと、リオは当たりをつけた。
「左様でございますか。では、今後はこの講義で極力目立たないようにしましょう」
「ん? は、はは、何を言っている? 今後この講義に出てくるなと言っているんだぞ、僕は」
しん、と教室の中が静まり返る。
周囲の生徒達は冷めた目つきでリオを見ていた。
その中で、クリスティーナは我関せずといった様子で、フローラはそわそわとした様子で、ロアナは不機嫌そうな様子で、リオ達の会話を聞いていた。
「貴様に騙されて被害にあった女子生徒もいると聞いている。このまま貴様の存在を見過ごすことはできんな」
地位、血統、名誉、収入。
いずれも貴族の少女達が将来的に追い求めることになる結婚条件だ。
貴族の少女達は、より優れた相手と結婚することを、産まれた時から義務付けられているからだ。
だが、十二歳前後といえばちょうど異性へ興味を持ち始める年齢である。
この年頃だと、そういった即物的な条件よりも、単純に容姿の優れた異性に興味を持つ子が多いのが事実だろう。
貴族の少女たちもその例に漏れることはなかった。
いまだ少年っぽいあどけなさを残すリオであるが、生来の中性的な容姿は年々磨きがかかってきている。
加えて、この国では珍しい黒髪がエキゾチックな雰囲気を醸し出していた。
そのせいか火遊び感覚でリオにちょっかいを出す貴族の令嬢がしばしば登場した。
リオはその都度そういった令嬢達をすべて袖にしてきた。
それを気に食わない生徒達がリオに関して根も葉もない噂を流しているのだ。
リオを弾劾しているスティアードは根拠なくそうした噂を信じ込んでいる口である。
リオが女性の敵だと信じて疑っていない。
まぁ仮に噂がなくともリオのことを気に食わないのではあろうが。
「こら。スティアード君、貴族たる貴方が確たる証拠もなしに人を弾劾するんじゃありません」
その様子を見かねたセリアが仲裁に入る。
「ですが……」
セリアの登場にもなお食い下がるスティアード。
「仮にリオがそういう男の子でも、講師である私の目が黒いうちはこの教室でそんなことはさせません」
と、きっぱり言い切った。
この言葉でスティアードが渋々引き下がる。
「……貴方がそう仰せになるのでしたら。……覚えておけ、下民。貴様が何かしたら僕の実家であるユグノー公爵家を敵に回すと思え」
「覚えておきましょう」
そう言うとセリアに一礼してリオはその場から立ち去った。
去り際に放課後に研究室に来るように合図をして、リオが苦笑したのは、セリアしか知らない。
放課後、リオはセリアの研究室にやって来ていた。
「ったく、相変わらずの嫌われようね」
「もう慣れましたけどね」
苦笑しながら紅茶を口にする。
といってもその紅茶を淹れたのはリオなのだが。
セリア曰くリオが淹れた方が美味しいらしく、こうしてセリアの研究室で会談するときはリオが紅茶を淹れている。
「私も周囲から嫉妬されてちょっといじめられたことはあったけど、リオのはそれ以上ね。まぁ何だかんだ言われつつも陰であんたを慕っている女子生徒もいるみたいだけど?」
ちらり、とリオの反応を窺いながら、セリアは言う。
「興味ないですから」
その朴念仁ぶりにセリアはため息を吐く。
「逆玉の輿のチャンスよ?」
「それはないでしょう。仮に俺がそういった付き合いをしたとしても実家が許すわけがありません」
あくまでもリオは冷静な判断をする。
その様子から本当に興味がないのだなと、セリアは思った。
「まぁ、ねぇ……」
曖昧に頷きながら、どうしてリオがここまで朴念仁なのだろうかと、セリアは不思議に思っていた。
異性に対する興味というのは、リオくらいの年齢だと、そう簡単に断ち切れるものではないはずだ。
なのにこの男はそれをことごとくぶった切っていく。
(もしかして本命がいる……?)
一つの可能性にセリアが行き当たる。
だが、そのような人物に心当たりはない。
そもそも学院の中でリオは友達すらいないのだ。
(唯一の話し相手が私だしね)
そう、リオはセリア以外にまともに話す相手はいないのだ。
それはセリア自身もそうなのだが、その話は棚に上げた。
リオは、学院の講義、食事、睡眠時間以外は、図書館にいるか、外で自主練習をしているか、そのどちらかしかしていない。
いつ見かけても一人なのだ。
女の影など自分以外にない。
それを見てその都度セリアから声をかけているうちに、リオと仲良くなったのはセリアにとって良い思い出である。
だから、リオに本命がいるとは思えなかった。
セリアはその可能性を除外してしまった。
(もしくは人の好意に鈍感とか。これは十分にあり得るわね。というよりもそうとしか思えないわ)
セリアが目の前へ視線を移すと、リオが貴族のように優雅な仕草で紅茶を飲んでいた。
正直、憎たらしいくらいに様になっている。
(これが見られるのも残り僅かなのよねぇ。卒業したらどうするのかしら? こいつ自分のことを一切話さないからなぁ。ったく、少しは話しなさいよね。こっちは気になってんのにさ)
リオの将来が気になって、セリアは思い切って本人にその話題を振ってみることにした。
「それにしてもリオもあと一年で卒業か。卒業後はどうするのか決まっているの?」
「そうですね。今のところしばらくはこの国にいるつもりですが、そう遠くない将来に旅に出ようかと思っています」
「えっ!? この国からいなくなるの?」
リオの言葉にセリアが驚愕する。
まさか国を出るとは思っていなかったのだ。
武術の成績は優秀なため、てっきり騎士や兵士にでもなるのかと考えていた。
「まぁ、この国は俺には居づらいですからね」
「……ねぇ、私の研究室で働かない? リオがいないと私もう生きていけないんだけど」
と、研究室の中を見渡しながら、セリアが言う。
リオと出会ってもう五年間が経った。
当初、セリアの研究室の散らかりようはリオの目に余るものであった。
だが、何度か呼び出しを受けてこの研究室に来るうちに、リオは自発的に片づけをすることを申し入れた。
その結果、セリアは、目を丸くするほどにリオの家事スキルが高いことを知る。
今では部屋の整理だけでなく、前述の通りお茶入れから研究の一部までも手伝ってもらっていたりする。
「セリア先生も貴族としていい歳なんですから結婚の話もあるでしょう? それなのに得体の知れない平民の男が研究室にいるのはよくないですよ」
結婚という単語を聞いてセリアがげんなりする。
「私、当分結婚する気はないのよ。実家はうるさいけど研究を盾に縁談は全部断っているし」
「結婚の時期はセリア先生の自由だと思いますけど、いいんですか……その……結婚適齢期のうちに」
リオ自身はそう思ってはいないが、貴族の結婚適齢期が十代中盤から後半にかけてであることは周知の事実であった。
となると、今のセリアは既に結婚適齢期に突入している。
とはいえ、セリアのように目覚ましい功績を持つ女性や非常に高貴な身分の女性であるのなら、二十歳を超えても結婚相手を探すのはさほど難しくもなかったりする。
「あー! 行き後れになるって思っているでしょ! ったく、何なのかしら女は二十歳を超えたら行き後れになるっていうこの国の男達の発想は……」
だが、セリアは自分の結婚適齢期の話題についてかなり気にしていたようだ。
「まぁ、俺個人は貴族の女性の結婚適齢期は早すぎると思いますけどね。セリア先生は永遠の十七歳ですよ」
「永遠の十七歳……。なによ、それ、良い響きじゃない」
ブツブツと呟くセリアの様子を微笑ましく思いながら、リオは空になったティーポッドを見て新しく紅茶を淹れる準備に取り掛かる。
セリアの好みは心得ているのだ。
紅茶に煩いセリアと長年付き合ってきたことから、紅茶に関して言えば執事クラスの働きができるとリオは自負している。
どこの貴族の令嬢にも満足してもらえることだろう。
「そういえばもうすぐ野外演習の季節よね。男子は強制参加だっけ? あれってどれくらい歩くの?」
いつの間にか自分の世界から現実に戻ってきたセリアがリオに声をかけてきた。
「全部で二十キロの行程だそうです」
「うへぇ。私、無理。そんなに歩けない。ここから校舎に行くのだってめんどくさいのに」
想像しただけでぐったりしたと言わんばかりに、セリアが机に突っ伏した。
長く美しい白い髪が机を覆うように広がった。
「セリア先生も少しは運動した方がいいと思いますよ」
と、呆れながらもセリアを心配するように、リオが言った。
いかんせんセリアは講義以外では研究室から碌に外に出ないのだ。
いくら上級貴族の令嬢といえどこの運動量の少なさは人間として問題があるのではなかろうか。
「はい、はい。移動には馬車があるからいいのよ。そういうのは」
典型的な引きこもり発言に苦笑すると、リオは出来上がったセリアの好みの紅茶を差し出すのだった。