今回は「予審尋問調書」で述べられた、出生から幼年・少女時代までの写真です。その「予審尋問調書」は何処にあるかというと「阿部定手記」1998年刊(中公文庫)に収録されております(文庫本なので手軽に入手できます)。
第1回尋問調書から・・・被告人名の次に「本籍 名古屋市東区千種町通7丁目79番地」「出生地 東京市神田区新銀町19番地」の記載。出生地の地番はもちろん旧表示で新銀町は現在、神田司町と多町の一部がそれにあたります。手書き地図に旧の地番を所々載せました。
阿部定の学歴については「東京神田尋常小学校」(現在の区立千代田小学校)を卒業。調書では「卒業してからは家庭に先生を呼び習字を少し習いました」と簡単に述べてます。畳屋「相模屋」の主人・阿部重吉と妻カツの末娘として新銀町に生まれた定は、小学2年位から三味線を習い始め、以降在学中、夢中になるほど打ち込みます。家業の畳屋は常時6人ほどの職人が働いており、多忙期には10人~15人ほどまで雇い入れていたと証言しています。その職人らから男女の話を色々と吹き込まれ、10歳くらいで性的な事は理解していたと述べ、更に15歳での初体験から16歳の暮れから月経が始まったことまで調書には記されています。
15歳(数えなので14歳)の夏に、女友達の福田ナミ子宅でその兄の友人(桜木という慶応の学生)と2階でふざけているうちに初体験・・・猟奇的事件の裏付けを取るためか調べは性関連を重点にして積み上げられてゆきます。その後、16歳の4月に芝区聖坂のお屋敷に奉公に出されますが、その家の娘の着物や帯を勝手に持ち出し浅草で憂さ晴し、見つかったあげく初めての警察沙汰に。17歳の春、親は家業の畳屋を廃業して神田の家を売り払い埼玉県坂戸町に定を連れて移転します。ここで定の生まれ故郷は消滅・・・以後、長い流転の人生が始まって行くのです。
阿部定の足跡 坂本町の長屋跡http://zassha.seesaa.net/article/312996652.html
阿部定の足跡 星菊水http://zassha.seesaa.net/article/312979470.html
阿部定の足跡 篠山・京口新地http://zassha.seesaa.net/article/313095541.html
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