今日の1曲セレクトは、「誘われてフラメンコ」郷ひろみでーす。
まずは、データから。。
・タイトル 誘われてフラメンコ
・アーティスト 郷ひろみ
・作詞 橋本淳
・作曲 筒美京平
・編曲 筒美京平
・リリース日 1975年7月21日
・発売元 CBSソニー
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数 24.5万枚
・ベストテンランクイン期間:1975年8月4日~9月1日付
郷ひろみの「誘われてフラメンコ」・・厳密に言うとちょっと、ヒットした時期とはずれるんだけど、どうにも気になってたんで、引っ張ってきちゃいました。
CM見てるとさ、あれ? あの曲って、これのパクリじゃないかなぁ?・・・って思うことがたまにあるんだよね。もちろん、たまにだけどさ。
最近、大塚製薬の「アミノバリュー」ってドリンクのCM見てると、どうしても、郷ひろみの「誘われてフラメンコ」を思い出しちゃうんだよね。
♪アー アアー アーアアーアーアー~♪ って、↓ これですね。
最初、ワタシ、なんで、今時のCMに、昔の郷ひろみの曲使われてんだろう? ってマジで思ったもん。
まあ、あの曲は、メッセンジャーズの「気になる女の子」って曲で、郷ひろみとは全然因果関係もなんもないんだけどね。
でも、声質は、「当時」の郷ひろみに似てるよなぁ。 いまよりちょっと甘ったるくて、近田春夫氏のいうところの「プラスチックボイス」だし。
いや、それより、この「誘われてフラメンコ」の出だしの
♪アーアーアアア アーアアーアー~♪
のところが「気になる女の子」に似てるんだよ~。
あ、こんなふうに感じるの、ワタシだけかと思ってたら、他にも同じこと考えてたヒトがいた。
http://yamakazu.at.webry.info/200505/article_25.html
これは、筒美氏の得意とするところの「パクリ」戦法だと踏んでるんですが、どうなんでしょうね?
メッセーンジャーズの「気になる女の子」は、1971年の曲らしいし、日本では、ほとんどヒットしなかったと思われるけど、筒美氏くらいなら、ちゃんとチェックはしてるだろうしね。
(・・・とおもってたら、日本ではヒットしてたらしいです。。71年に。。)
しかし、すごいタイトルだ。「誘われてフラメコ」。。。。直接的ではないよねぇ。さすがに詞の行間を読ませることをモットーにしてる橋本淳氏ですね。
ちなみに、「フラメンコ」って付いてるけど、曲は全然フラメンコぢゃないのよ。
筒美氏が作曲と、アレンジもやられているから、ベースライン、1拍3拍強リズム重視の独特の筒美調(?)な作風で、音質も典型的かつ良質な70年代ポップスなんですけどね。
ただ、3分そこそこの曲の中で、転調が2回も入ってるから、展開はめまぐるしく変わっているし、多分、当時としては、かなりのスピード感があったんぢゃないかな。 まあ、今でこそ、BPMが速い曲になれてるから、そういったスピード感は感じないけど。
ちなみに、当時は郷ひろみは まだ、ジャニーズ事務所に居たと思うんだけど・・・あれ? 違ったかな?
いやいや、もともとはジャニーズ所属だったのは、間違いないんだけど、いつバーニングプロに移ったかってのは、詳しくはちょっとさだかぢゃない。75年~76年ということは間違いないんだけどね。
ただ、75年、76年の郷の顔つきを今、見ると、全く変わってるんだよね。 ジャニーズの頃は、ホンとに「アイドル」って感じだったけど、バーニングに移ってからは、男っぽさって言うのが全面に出てきたてたし・・・。
曲も、76年には全然変わったって感じだな。
76年9月の「あなたがいたから僕がいた」。これは76年の郷の代表作だけど、この曲をとっても、「誘われてフラメンコ」とはまるで違う。大人っぽいというか男っぽい。作曲は同じく筒美京平氏なんだけどね。
だから、76年時点ではバーニングに移籍していたことは間違いない。
そういう点をみても、まだ、この「誘われてフランコ」の頃は、逆にまだジャニーズに所属してたんじゃないかな・・・と思いますね。
まあ、なんで、郷ひろみがジャニーズからバーニングに移籍したのか・・・っていうのも真相は藪の中って部分もありますしね。
ただ、バーニングに移ったからこそ、ここまで、アーティスト人生が続いているってことは、確実に言えるだろうけど。。。 あのままジャニーズだったら、20歳すぎたら、サヨナラだったろうしなぁ。
さらに、この曲のチャートアクションがすごい。
1975年7月21日リリースで、同7月28日付ランク、17位初登場⇒2位⇒4位⇒3位⇒5位⇒9位⇒13位⇒・・・・
と、登場2週目で早くも最高位を記録している。
最近のチャートに慣れてる人だったら、だからなに? なんだろうけど、これは、当時のランキングとしたら超ハイペースでのヒットな訳です。初登場17位っていうのも、当時としたらものすごいことなんだけど、リリース2週間でピークに持っていくという瞬発力ってのがね。
まあ、CBSソニーは、当時からそういう瞬発力でピークに持っていく戦略は得意で、他に天地真理なんかもそうでしたもんね。
逆に言うと、この傾向がやがての「初動のみ」の曲に繋がる「元凶」だったのかもしれないけど・・・。
ただ、当時は、スーパーアイドルしか出来ない、「勲章」みたいなものだったんだけどね。こういうチャートアクションは。
ちなみに、コノ同時の時点では、「初登場1位」っていうのは、日本においては「存在してなかった」のです。
初めての「初登場1位」は1976年1月5日付の「およげ!たいやきくん」なんですからね。
ただ、その3ヶ月前の1975年9月1日付で沢田研二「時の過ぎゆくままに」が初登場3位という記録を打ち立てまして、その当時は、それが「初登場順位」のオリコン記録だったわけです。
なので、このころから、ヒット曲は時間をかけてつくられるもの・・・っていう常識が一気に変化してきたころともいえますけどね。
ただ、それでも、現在のような壊れた状況にはならなったわけで・・・。音楽界が音楽をやる場という常識が残っていたからこそかもしれませんが・・・。
http://www.dailymotion.com/video/x1ytdb1_%E9%83%B7%E3%81%B2%E3%82%8D%E3%81%BF-%E8%AA%98%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%B3-1975_music
例のごとく、YOUTUBEには動画が落ちてなかったんで、別のサイトにリンク。